20040927

ライブペインティング、かご展などの話題

23日に江戸川橋のアップリンクギャラリーに「絵と音楽とおにぎりと」というライブ+ライブペインティングを見に(&聴きに)行ってきました。また昨日26日は、平塚市美術館で「かご展 - 指先から拡がる4つの世界」の展示に行ってきました。

アップリンクギャラリーは映画の配給などやっているアップリンクが1、2年前に始めた非営利のアートギャラリー。古いビルディングの広い一室を使い、明るい自然光の中でユニークな展示をしています。ギャラリー全体がカフェのスタイルで、ワンドリンクが入場料になっています。展示には行ったことがありますが、ライブは今回が初めて。どんな風にやっているのか、興味がありました。

まず展示は最近あちこちで名前を見かける古武家賢太郎のドローイング。こぶけ、と読みます。壁面に小さめのドローイング(絵は色えんぴつで描くそうです)が展示してありました。ライブはOgurusu Norihide、トクマルシューゴ、Kazumasa Hashimotoの3組。アコースティックギター+歌、ギター+ノコギリ+その他トイ楽器+歌、エレクトロニカ+ヴォーカルといった三者三様の音楽スタイルでしたが、どれもやさしいアンビエントなトーンは共通するところでした。みんなアメリカのレーベルからもCDを出しているそうで、最近の傾向なのでしょうか。

音楽ライブにつづいて、古武家さんのライブペインティング。ギャラリーのしっくい状の白い壁面に、色えんぴつで直接描いていきます。バックグラウンドミュージックはOgurusuさん。最初ノートパソコンから音を出していましたが、最後にはギターと歌で即興演奏していました。古武家さんの絵は、色えんぴつということもあり、やさしい線、やさしい色合いです。とくにパフォーマンスすることもなく、淡々と自分のアトリエで描くように描いていたのがよかったです。

そうそうタイトルの「......おにぎりと」というのは、ニギリズムというフードデザイナーが出張していて、2種類の(パエリアとちらし)まんまるおにぎりを出していました。ライブの入場料2300円にはワンドリンクとおにぎり1個が含まれていました。

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さて次に「かご展」です。これはCETのときにソニアからチラシをもらっていたのもので(ソニアはウニライトのweaverですから)、それを見てぜひ行きたいと思っていました。最終日の午後、小雨の中、小田急とJRを乗りついではるばる平塚まで行ってきました。

展示は日本の民具としてのかご、コンテンポラリーアート、オブジェとしてのかご、ボツワナやインドの伝統的手法によるかご、という風にいくつかのグループにわかれて展示されていました。わたしにとって印象的だったのは、日本の民具としてのかごとスコットランドのかご作家アナ・キングさんの作品でした。

うす暗くした大きな展示室の壁一面に飾られた日本の各地方のかご。東北地方のものが多いように思いましたが沖縄のものもありました。それぞれのかごのローカル名、たとえば「ネコガキ」は稲藁や布で編んだ背負袋のことで岩手県宮古市の呼び名。収穫物の運搬に使うそうです。山菜取り用の小さなかごは底部分のカーブがかわいらしく、繊細さを感じました。素材に使われている日本の竹の種類にも目を奪われました。真竹、佐竹、スズ竹、女竹など、名前を見ているだけで楽しいです。

スコットランドのアナさんのかごは小さなものが多く、葉っぱや貝や鳥の羽根などをあしらったオブジェ風で、色は茶色だけでなく白、赤、グリーンとカラフルでした。会場のビデオの中で「想い出や出来事、記憶などを編み込んで」とアナさんが言っていたように、一人の女性の心が織り込まれたパーソナルな作風で素敵でした。ちょっと葉っぱの坑夫の「糸ごよみ」を連想させます。

ボツワナのかごの色やパターンは、アメリカインディアンのものといちばん近い気がしました。「籠女」に登場する年老いて目の弱った、だけれども素晴らしいかごをつくって人々を夢見心地にさせる籠編み女のことを思い出します。内側に美しい巻き模様をもつ円錐形のボールには、「Rain cloud Bowl」という名前がつけられていました。

この展示、日本、スコットランド、インド、ボツワナと出品者の出身国をめぐって展示されるものだそうです。文化や社会背景の違う国々で、使う素材は少しずつ違っても、かご編みという基本技術をもとにそれぞれが展開している世界を互いに知って、見て、感じるのは面白いことではないでしょうか。

20040921

馬喰町のCET展示会場へ行ってきました

セントラル・イースト東京(CET04)に参加している大竹英洋さんの展示に行ってきました。会場は馬喰横山町(都営新宿線)からすぐのオールドビルディングの地下。内装もコンクリート剥き出しのままで、廃材、古い書庫なども置かれたままで、ちょっとした廃虚の様相です。写真プリント数点の展示と、暗くした小さな部屋でのプロジェクターをつかってのフォトムービーの投影が作品です。フラッシュムービーによる映像は、かなり大きな面積で投影されていて、倒木など実物大か、と思えるくらいでした。1枚1枚の写真が、じわっーと超スローなクロスフェードで変わっていくので、ぼんやり見ていると、写真が入れ代ったのに気づかないくらい。いつのまにか、風景が変わっていたという感じです。

この日(19日)は、同じ馬喰町付近にあるRe-Know(リノ)という建築中のビルの中で開かれていたCETの他の展示も見ました。1階から6階までのまだ内装が終わっていないスペースに、写真やオブジェ、絵、インスタレーションが展示されていました。そのスペースというのは、各階ともいくつかの部屋に仕切られていて、主にSOHO用に設計された部屋のようでした。大きなガラス窓、広めのデッキテラス、真っ白なタイル張りの広いひな壇上には、大きなバスタブ、シャワー、キッチンのシンクなどがあって、オフィス用のスペースとは仕切りもとくにありません。いっしょに見ていた友人たちも、作品よりこの間取りや内装に目を奪われていたみたいでした。

この日、この展示を見るのに何人かに声をかけて、現地で会いました。葉っぱの坑夫の「シカ星」のデザインを担当してくれた洋子鈴さん、ホームページ朱雀の管理人・泉あゆこさん、CET04の前身(去年の)TDB-CEでコトバコという詩の展示をオーガナイズされた井上のぶおさん、「籠女」のブックジャケットをデザインしてくれたソニア・チャウさん、そこに大竹さんや友人の編集者の方なども合流して、展示見物&リノ地下駐車場でのライブ後、久々に大人数でおしゃべりを楽しみました。

CET04は26日(日)まで。まだ見ていない展示、行っていないエリアがいっぱいあるので、期間中、もう一度くらい行ってみようかと思っているところです。

○CET04(セントラルイースト東京2004)とは:
御茶ノ水、神田、秋葉原、浅草橋、馬喰町、日本橋、八丁堀を結ぶエリアで街全体をギャラリー化し、シンポジウムやイベントも多数行われる複合フェスティバルです。
オフィシャルウェブサイト

20040916

大竹英洋さん、CET04に参加

写真展「森のレッスン」やCD-ROM作品「森の位相」で葉っぱの坑夫とコラボレートした写真家の大竹英洋さんが、今週末からはじまるアートイベントCET04(セントラルイースト東京2004)に参加、出品します。以下は詳細です。

会期:2004年9月18日(土)-9月26日(日)
時間:平日12:00-21:00
   土・日・祝10:00-21:00(最終日は19:00まで)
場所:東陽横山町ビル地下1階 日本橋横山町4-10
※馬喰横山駅・A1出口を出ると、目の前にある建物です

大竹さんはオルタナティブ(一般参加部門)アーティストとして参加。昭和3年に建てられたコンクリートビルの地下室で写真展示、及びプロジェクターによる壁面投影をするそうです。
写真:大竹英洋/映像&展示:agasuke/サウンド:白鳥 悠
 
○CET04(セントラルイースト東京2004)とは:
御茶ノ水、神田、秋葉原、浅草橋、馬喰町、日本橋、八丁堀を結ぶエリアで街全体をギャラリー化し、シンポジウムやイベントも多数行われる複合フェスティバルです。
オフィシャルウェブサイト

20040903

デリマさん (+更新ピックアップ)

(8月28日の葉っぱの坑夫のサイト、更新情報については今日のジャーナルの最後をご覧ください。)

今回のアテネでのオリンピックを見ていて、いちばん印象の残ったことと言えば、やはりブラジルのマラソン選手デリマさんです。男子マラソンはたまたまリアルタイムで見ていましたから、36キロ付近で起きた妨害事件は「あ、あああああ」という感じでドキドキでした。その後、デリマさんはペースを崩して2人の走者に抜かれ、結果は3位の銅メダル。印象的だったのは、競技場に入ってきたデリマさんが大きく手を上げて歓声に応えて笑みを見せた後、子供がするように両手を飛行機のように広げてジグザグランニングでゴールに向かっていったその姿でした。

直後のインタビューで「気にしてない、メダルとれて幸せ」と言っていましたが、その言葉を耳にするまでもなく、あの飛行機ブーーンを見れば、彼の心のうちや彼がどんな人であるかは、想像がつきました。

今のオリンピックで、ドーピング問題がエスカレートする最中のオリンピックで、日本で言えば「悲願のメダル」などと騒ぎ浮かれ自国のメダルにしか興味なさそうなオリンピックで、デリマ選手のようなオリンピック精神が理想としてることを、とっさに自分の判断だけでああやって行動できる人がいたことは一つの希望かもしれません。だれもができることではないと思いました。

競技場でデリマ選手が「ギリシア、ありがとう。オリンピック精神を感じる」と言っていたのは、沿道や競技場で声援を送った人々への感謝の気持ちからなのでしょうか。あんなことが起きたにもかかわらず、走り終えた直後にあんな風に言えること、あの場面で「ギリシアありがとう」と言えるというのは、すごいな、と感じました。あんな風に当の本人が言うことで、救われることがたくさんあったと思うから。

日本のテレビの報道の中では、まったくと言っていいほど、そういう意見、感想は見られませんでした。それにはちょっとびっくり。街の人の声にしても大別すると二つの感想があって、「かわいそう」という同情派と、「ギリシアの警備がなっていない」という非難派。少なくとも直接の関係者ではない日本人が持つ感想がそれか?と。もっとあそこから学べるもの、感じとれることがあるだろうに、というのがわたしが感想です。

選手の感想としては野口みずきさんが「女子のときに起こらなくてよかったです」と言っているのを聞きました。ふむ。わかるけど。。。「それから、、、?」と聞きたい気持ちもありました。野口さんだけでなく、坂本さんや土佐さん、あるいは谷亮子さんでも他のオリンピック選手でも、聞いてみたい質問です。個々の選手が苦しい練習に耐えて、オリンピック本番にのぞんでそこから得られる何か、ということとは別に、もっと別の側面ににも頭をめぐらせて参加してこそ、オリンピックではないのだろうか、と。いろいろ悪い側面が取り上げられるオリンピックだけれど、ちょっと視野を広げて、選手たちが身をもって、スポーツすることの本当のすばらしさや、希望ある未来のオリンピックを(これからも続ける意味を)提示して、世界中の人々と確認しあえる場にすることだってできるのに。そんなことを思いました。

内実はよくは知りませんが、日本の選手は、どの競技においても、それなりに恵まれた環境の中で練習をつんできているように見えます。世界の選手を見れば、日本より恵まれない環境で練習して出てきている人たちがたくさんいるはず。サッカーのイラクの選手もそうだろうし、ブラジルのデリマ選手だって、日本人選手のように恵まれた環境にいたかどうか。ロナウドをはじめとするブラジルのサッカー選手の子供時代の話や、これはちょっと極端かもしれませんがブラジル映画「シティ・オブ・ゴッド」の貧民街の若者や子供たちのギャング集団の生態を見ていると、そんなことも考えてしまいます。

そんなことはまったく頭になく、オリンピック全体を相対化することもしないまま、日本が取った金、銀、銅のメダルの数だけに注目して浮かれ騒いでいる(これはテレビなどのマスメディアだけに起きていること?)様子というのは、なんだか悲しいですね。

そういえば、これは偶然なのですが、男子マラソン中継でテレビの解説をしていたのは元マラソン選手の谷口浩美さんでした。妨害事件が起きたとき、「あーー、これはいけませんねぇ。走りを最初から立て直さないといけないから、大変だぁ」と言っていました。確か谷口さんはバルセロナ・オリンピックで、給水地点での選手同士のもつれあいから転倒して、靴がぬげてメダルを逃した人でした。そのときの言葉が「こけちゃいました」でした。デリマさんに通じるものがある人でしたね、この人は。

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Happano Updates-J (2004/08/28)からピックアップ情報
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■ 連載エッセイ
 動物の森 1999 - 2001
 The inhabitants of the North Woods
 テキスト:大竹英洋
 ウェブデザイン:agasuke(タシロ ジュン・ヨコオ ナオヤ)
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ノースウッズをめぐる動物エッセイに、オオカミ、カ、カナダガン、キツツキ、カンジキウサギ、クロクマ、ノーザン・パイク(カワカマス)、ワタリガラス、ワニガメの9つを追加しました。いつものように2行、3行の短いものから多少長めといっても10行を少し超える程度のものまで。それも詩のような改行の。これがエッセイなの?と思われるかもしれません。200字以内で書くハイパーショート(超短)エッセイというのが最初のプランでした。今回更新分でいうと、カナダガンがほぼそれくらい(223字)。エッセイの定義づけのひとつに、現実を複雑なままに捉えること、安易な断定や単純化、きれいな論理に抵抗し、体系化への欲望を捨てること、というようなことがあるそうです。(Glaudes/Louette著「エッセイとは何か」についての鷲田清一の書評より) またモンテーニュの「エセー」にまでさかのぼれば、原意は「秤」や「腕試し」といった意味でそこから「思考を試しにかける」という精神もとりだせるとか。これは相当高度なことだと思いますが、一つでも二つでも、そういう領域に触れる「エッセイ」が載せられるよう気持ちを引きしめて連載していきたいと思っています。*ページのナビゲーションも更新中です。今回の更新では >> 印にマウスを当てただけで、スルスルーッと動くようになっています。森の中を歩いてる雰囲気、動物の足跡を追いかける感じなどをイメージしています。

□ 大阪市にある本、喫茶、ギャラリーのショップ「いとへん」に、この8月から、葉っぱの坑夫の「籠女」「糸ごよみ」を置いていただくことになりました。デザイン事務所SKKYの経営、運営による、ユニークでとても居心地よさそうなショップです。(写真、ぜひご覧ください

いとへんさんのホームページの方では、お店のマップやギャラリーの展覧会情報、本のラインアップなどの詳細が見れます。写真集、印刷や造本にこだわった海外のアートブックも揃っています。ミヤギユカリさんの「竹姫物語」も販売中です。
いとへんHP:

□ 昨晩(27日)ローナン・オ・スノディというアイルランドのシンガー、詩人、ボーラン奏者のライブに行ってきました(渋谷、ブエノス)。ケルト原人、人力テクノ、オーガニックグルーブなどのふれこみと裸足でボーラン(直径数十センチくらいの抱えて叩くタンバリン型のドラム。ケルトの伝統楽器)を演奏するローナンの写真の野人ぶり、そしてウェブで試聴した歌とボーランだけのCDにピンとくるものがあったので。もう一つの期待は、2部に予定されていたアイヌのミュージシャン、プロデューサーとして活躍するOKIとの競演。ステージの天井から斜めに掛けられたスクリーンにはアイヌのビジュアルパターンが流されるなど、ケルト+アイヌの陽気でスピード感あふれる本邦初の試みかもしれないライブが繰り広げられました。(この日ライブ後に、ローナンはTBSのニュース23に、所属するグループKiLAとともに出演したのでご覧になった方もいるかもしれませんね)アイヌの伝統弦楽器トンコリとケルトの打楽器ボーラン、そしてアイヌ語のOKI、ゲール語のローナンの歌声がふつうに溶け合っていて、これからはこういう組み合わせの音楽がふつうにあちこちで起こっていくと面白いことになるな、と感じた一夜でした。
ローナンの詩集(ゲール語からの英訳)「Songs」をライブ後に購入したので、機会があったら葉っぱのサイトで紹介したいと思います。
●ローナン・オ・スノディのCD「トンタ・ロー」が試聴できるサイト
(10. 「来る日も来る日も」がおすすめ)
●OKIのライブについて以前に書いたテキスト
(ライブ直後に友人に宛てて書いたメールを掲載したもの)