20111024

世界市民と愛国心

ある人の詩を読んでいるとき、「責任ある世界市民」という言葉がでてきてふと気づいたことがあった。実際にはa responsible global citizenと書いてあったのだが、日本語の「世界市民」にするとどうもウソのような、現実味のない語感になってしまう。global citizenという言葉を見て思ったのは、ああそうか、そういう意識をもって生きることも可能なんだな、ということだった。

最近、書棚にあるテッサ・モーリス・スズキの「愛国心を考える」(岩波ブックレット)を読み返してみた。その中でなるほどと思ったことがあった。それは一つの考え方として、自分と国家の関係を、契約に基づくギブアンドテイクの関係として見ることができるというもの。つまり国というものを「契約に基づく共同体」と認識し、国の側は安全や教育、福祉、インフラといった生存に必要なものを提供し、市民の側は国の法律に従って生きることで共同体維持に協力、参加する、ということだ。

別の考え方としては、国というものを維持するには、国に対する愛情が必要で、それを促す文化や伝統の尊重、国土の景観や歴史への愛情や共感が重要、とするものがある。一般に愛国心と言われているものだ。この考え方においては、社会を結束させるには契約関係だけでは不十分で、歴史や文化を共有しているという一体感や共通の祖先をもっているという同族意識が意味をもってくる。それを象徴し、統合するものとして国旗や国歌があると思われる。

わたしは最初の方の考え方、国家と市民の関係は契約である、とする考え方を読んで「これだ」と思った。自分の国家との、望んでいる関係はまさにこれである。これ以上でもないし、またこれ以下ということでもない。なんとすっきりとした論理だろう。日本人であれば当然、日本の文化や歴史に愛着をもち、「日本独特の」風景を愛し、、、というようなことが、わたしについて言うと正直ほとんどないのだ。故郷というものも特にないので郷土愛も持ち合わせていない。また両親の住む家を「実家」と呼んだこともない。そういう人はアメリカでもフランスにでも行って住めばいい、と言われることもあるが、日本に愛着がないことが外国のどこかならいいと思っている、ということに繋がるわけではない。

わたしが言いたいのは、市民と国家の「正常な」あるいは「健全な」関係にとって、愛国の気持ちは必要不可欠なものではないということだ。愛国の気持ちがあってもかまわないが、なくても問題はない。愛国の気持ちは、言われているように「国民であれば誰もがもつ自然な感情」であるとは思わないし、愛国の気持ちが「自然に」もてるかどうかは、その国のあり様がそう思われるにふさわしいかどうか、にもかかっている。愛国心がある人はしっかり、意識的にその判断をしていることが大切だと思う。そうでないと、無条件に、無批判に、自分の国=素晴らしい、ということになり、他者からの目に鈍感で、無頓着になりやすい。

国家と契約関係にある個人(市民)として生きるとき、実質的にはたとえば日本国国民であるのだけれど、属する国が愛するに耐えないものである場合、心理的ディアスポラ(国外離散者)として生きることもできるが、それ以外に自分をa responsible global citizenと規定して生きていく方法もあるのではないか、最近そのように思うようになった。責任ある世界市民とは何かと言えば、実質上はある国家の枠組の中に身を置いているけれど、思想的、感情的には国の枠にとらわれないで生きていくということだ。ものを考えるとき、感じるとき、「日本人として」ではなく、その境界を超えた場所、立ち場に身を置こうとすることだ。それは日本人を生きながら、同時にそれ以外の他者を生きようとすることである。

ものを見るとき、考えるとき、気づかないうちに、属している国のものに影響を受けていることはある。普通のことと言ってもいい。むしろそうでない人の方が、日本では問題になるかもしれない。この「気づかないうちに」の部分を、「意識して」に変えるだけでものの見方は変わる、視野が広くなる。「国家とアイデンティティを問う」(C・ダグラス・スミス、姜尚中、萓野稔人、岩波ブックレット、2009年)という本を読んでいたら、思わぬ発見をした。母語と母国語は違うということ、国籍と戸籍は違うということ。どちらも関心のある言葉であるにも関わらず、その定義があいまいだったことに自分でも驚いてしまった。

母語と母国語については、日本では母語(自分の親からの言葉、あるいは生地の村や町の言葉)と母国語(属している国の標準の言語)が同じ人が多いため、この区別は意識されてこなかった。一般社会で言えば、「母語」という言葉はここ最近使われはじめた言葉で、以前はすべて「母国語」と言われていた。しかし、日本のような単一言語に近い国は世界でも多いわけではなく、たとえばフィリピンにはタガログ語、セブアノ語、イロカノ語など170くらいの土地の言葉があって、生まれ育った地域によって母語が異なっている。国語としてはフィリピン語がありそれが母国語にあたる。また公用語として、フィリピン語の他に英語がある。こういう事情の中では、母語と母国語はあきらかに違うものとして存在する。日本はこのような状況がないので、母語と母国語をあいまいに捉えていても、問題がないのである。

国籍と戸籍に関しては、日本がアジア地域を植民支配していた時代、朝鮮半島や台湾などの人々に同化政策を敷きながら日本の国籍を与えていた。日本国内に居住する人も、国外に住む人も日本国籍をもっていたが、戸籍は国外に住む人は朝鮮戸籍や台湾戸籍で、日本の内地戸籍とは違うものだったという。もともと戸籍という制度自体、中国や朝鮮など東アジアのもので、世界のどこにでもあるものではない。個人より、血のつながりや家族が重視される地域的な特徴から生まれたものなのかもしれない。戸籍というものが意味をもつ社会、国では、個というものの存在が小さく、そのため「市民」という言い方も、日本語の言葉としてはあるけれど、どちらかというと馴染みにくいものだ。「世界市民」以前に「市民」自体が日本語の社会に溶け込みにくい。

普段使われる言葉として「住民」という言葉があるが、こちらの方がずっと日本語に馴染む。住民票、住民運動、住民の反対、住民からの要望、、、というように。市民運動という言葉も最近は使われるが、市民運動と住民運動ではもっているイメージが違うかもしれない。住民運動の示すイメージは、住んでいる人々の利害に直接関わる問題で、反対運動が起きるというようなものだ。たとえば近くにゴミ焼却場ができるというプランに対して、近隣の住民から反対の意見が出る、というような場合である。それに対して市民運動の持つイメージは、自分に関わる直接の利害だけなく、もう少し広い範囲の公共の利益のために、何かを主張するというものだ。たとえば反原発の市民運動、というように。

と、ここで「市民」という言葉を改めて調べてみて驚いた。市民とは住民と対比されるような言葉ではなかった。市民とは、「政治的共同体の構成員で、主権(主に参政権)を持つ者」とウィキペディアではなっている。政治的共同体は国のこと。では国民とどう違うのかと言えば、「国民」はある国の国籍を持っている人々、国から見た構成員を指そうとする言葉。一方「市民」の方は、理想とするあるべき共同体に対して、自分がその主体的構成要員であることを目指す人々のことだ。国籍さえあれば、自動的に「国民」になれるが、共同体への意識なしには「市民」にはなれない、ということか。またウィキペディアでは、市民と国民が重ならない例として、欧州連合の市民について書いている。EUの市民と言うとき、それは自分が国籍を所有する国の「国民」とは違う範囲の属性を示すことになる。たとえばギリシア人はギリシアの国民であると同時に、欧州連合の市民としても生きている、ということだ。実際に、ヨーロッパの若い人々は、どこかの国の国民である意識よりヨーロッパ市民である実感の方が高まってきている、とも聞く。国民である意識を超えることは、それほど遠いことではないのだと気づかされる。

世界市民の前段階として、アジア市民という意識もあり得るかもしれない、ヨーロッパ市民のように。歴史的に、経済の現状として、アジアとヨーロッパではもちろん事情が違う。ただヨーロッパにも様々な格差や過去のあつれきはあったし、今もある。政治や経済のしくみとは別に、近年はアジア、特に東アジアでの文学者たちの交流が、積極的に行なわれているのを見聞きする。それは一種「アジア市民」的な意識をもつ人々が出てきたからかもしれない。

属する国と良好で健全な契約関係を保ちつつ、意識はその国の「国民」に留まらずに生きる。国民としてではなく、市民として生きる。日本市民として、アジア市民として、世界市民として。それは日本語で言うところの「気持ちの問題(あり様)」ではない。「意識と自覚の問題」である。

最後に市民=citizenの定義を英和辞典、英英辞典で調べてみた結果を。
リーダーズ英和辞典 citizen:<出生または帰化により市民権をもち、国に対する忠誠の義務を有する>公民、人民、国民
ロングマン現代英英辞典 citizen: someone who legally belongs to a particular country and has rights and responsibilities there, whether they are living or not

英和では「国に対する忠誠の義務」と書かれ、英英では「国に対する権利と責任」とあり、辞書においても日本語の世界では、市民の権利意識の薄さがうかがわれる。また英英では「そこに住んでいてもいなくても」とあるのに対し、英和では「帰化により」と入っているところが昔の辞書より少し進歩した点かもしれないが、ニュアンスとして「人は誰もある国で生まれ育ちそこで一生を送る」ことを基本にしているような気分が漂っている。

20111012

フットボール、その文化的側面(2)

ワールドカップを二つ(1998年、2002年)見てから数年後、わたしはヨーロッパのリーグ、中でもイングランドのプレミアリーグを見るようになった。(イギリスではなく、何故イングランドと言うのかといえば、サッカーに関して、イギリスは四つの区域に別れている。スコットランド、イングランド、ウェールズ、北アイルランドだ。それぞれが独立したナショナルチームである) イングランド・プレミアリーグは、世界で最も質の高いサッカーをするリーグの一つと言われている。プレミアリーグのクラブはどこも、多くの外国人選手を揃えている。EU諸国だけではない。ガーナやカメルーン、コートジボワール、ナイジェリア、セネガルなどのアフリカから、ブラジル、アルゼンチン、エクアドル、ウルグアイなど南米諸国から、米国、メキシコなどの中米やトルコ、イラン、イスラエルなどの中東、そして韓国などのアジアからも少し。プレミアリーグは外国人選手が多いことで際立っている。近年少しずつ状況は変わりつつあるが、ここまでのことで言えば、スペインのラ・リーガやイタリアのセリエA、ドイツのブンデスリーガはもう少し国内選手の比率が高い。多分一つのチームで、平均すれば、6、7割が国内の選手ではないかと思う。しかしイングランドでは、たとえばチェルシーFC(昨シーズンの第2位)は、トップチームの25人の内、イギリス人選手は数人しかいない。また監督もポルトガル人。アーセナル(昨シーズン第4位)は31人の内4人、監督はフランス人。ウィガン(昨シーズン16位)のような下位のチームでさえ、29人の内数人のイギリス人しかいない。今シーズンにプレミアの下のリーグから上がってきた3チームを除けば、ボルトン(昨シーズン14位)が36人の内19人と、プレミアで最も多くの自国の選手を抱えているクラブかもしれない。

わたしにとって、異なる国籍、人種、文化をもつ選手が混ざりあっているチームの試合を見ることはとてもワクワクすること。世界文学のような、と言ってもいい。選手たちはそれぞれ自分の出自や母語、特徴ある文化や祖国をもっているが、試合となれば、高度な規律に沿ってプレイをする。そこでは選手間に国籍や宗教の境界が入りこむ隙はない。現実の世界ではなかなか目にすることができない、未来的にして完璧な情景。経済界ではもちろん、グローバルカンパニーが増えていて、複数の国籍の労働者が雇われ、共に働いている。でも、サッカーの試合では、人間の混じりあいの現場を一つ一つ、間近に、より人間性に近いところで観察することができる。

チームに外国人選手をもつことは、ファンを地球上で増やし広げていくことかもしれない。たとえば、韓国人選手のパク・チソンはマンチェスター・ユナイテッドでここ数シーズンプレイしているが、自国のファンをプレミアリーグに引き寄せているだろうし、昨年同じくマンUに参加した若いメキシコ人プレイヤー、ハビエル・エルナンデスは、このビッグクラブでプレイするようになってから、国の内外に多くのファンを生みだしている。スタジアムでメキシコの大旗をあげるファンや、大きなメキシカンハットをかぶって応援する人々が見受けられる。いかに彼らが同胞のこの選手を誇りにしているかがわかる。

多国籍の選手のいるチームでプレイする選手は、ときに他の同様のチームにいる自国の選手と対戦することがある。またワールドカップのような国際試合では、しばしばクラブでの同僚と、敵味方の関係で試合をすることがある。仲のいい同僚選手が、場所が変われば、大いなる敵になったりするわけだ。これは観ていて面白いし、わくわくする。

もしかしたら、わたしは人々が易々と自分の立ち場を変更したり、試合によって境界を越えていくそのあり様に惹かれているのかもしれない。すべてはただのゲーム、遊びであり、愉しみ、重大な事態や切迫した状況はない。それでも何かしら、未来の世界というものをそこに見ることができる。

FIFAワールドカップで、ベスト8の試合で行なわれるとき、各チームの主将(ときにスター選手だったりもする)が読み上げる反人種差別の宣言にはいつも心を動かされる。試合の前の選手整列のときに宣言は読まれるが、まあ一種の儀式なのかもしれない。なぜFIFAがこれを始めたのか、いつからあったものなのかは知らない。そうであっても、ある者は棒読み風に、ある者は心を込めて、彼ら自身の言葉で語られる反人種差別への選手たちの宣言は、わたしを感動させる。スタジアムの大観衆の前で、世界中のテレビ視聴者の前で、中でも子どもたちの前では、この行為は充分に意味深い価値あるものに感じられる。子どもたちの心に、ワクワクする試合を観た経験と共に、何か良い影響が残るのではないかと信じている。

ゴールを決めたとき、選手たちはときに、それを互いに喜びあい、サポーターたちにそれを示すためにパフォーマンスをする。ダンスをしたり、宙返りをしたり、誰かの赤ちゃん誕生を祝って手でゆりかごを作って揺らしたり。2002年の日韓ワールドカップでの、セネガルの選手たちのゴールパフォーマンスをよく覚えている。セネガルはこの大会を実によく戦い、初めてベスト8まで進んだ。どの試合でも、ゴールを決めると、選手たちはコーナーに集まって面白いアフリカ風のダンスをしていた。とても印象深かった。あのときわたしは、サッカーがオープンマインドで楽しく、知的なスポーツなのだと知った。そしてそういうものと出会えたこと、その楽しさを世界中の人々と分ちあえる幸せを心に刻んだ。