20180309

野生と飼育のはざまで(4)


注)2月9日の『野生と飼育のはざまで(3)』のつづきです。ここまでと同様、以下の記事は現時点での知見をもとに書きました。気づいた間違いや新たな発見、見解は、そのつど後の記事で更新していきたいと思っています。
———-

スポーツハンティングが野生動物を救う?

前回、自閉症である自分の特質を生かして、動物の行動の原因を探究した動物学者、テンプル・グランディンの研究や考えを紹介した。その中で野生動物保護について、アフリカの大型動物の狩猟を売りにした「サファリツアー」を、一つの解決策として認めている部分があった。グランディンの著書では「サファリツアー」の言葉がつかわれていた(日本語訳/原著をGoogle Booksで”safari tour”で検索したが出てこなかった)が、適切な言葉は「スポーツハンティング」あるいは「トロフィーハンティング」と呼ばれているものだ。単にサファリツアーと言った場合は、狩猟をしない鑑賞ツアーも含まれるからだ。

グランディンの主張は、「レイヨウやイボイノシシを狩るツアーは、大きなお金を地元に落とし、住民の生活を支えている。これにより私有地に住む動物が狩られて犠牲になるが、この程度の犠牲は、地主に自分の土地を野生動物の生息地にしようという意欲をもたらすなら必要かもしれない」といったものだった(「私有地」については後述する)。つまり国による適正な管理があり、野生動物の数が維持できるのなら、こういったハンティングは非常に大きなお金を地元に落として地元を潤わせるので、結果として住民に野生動物を保護しようという気を起こさせ、適切な解決策になるということだ。

これをグランディンの本(『動物が幸せを感じるとき:新しい動物行動学でわかるアニマル・マインド』)で読んだときは、なるほど、こういう考えもあるのかと思った。正に功利主義の実践といったところか。グランディンがこのように考えるようになった要因として、1977年のケニアにおける狩猟全面禁止政策があったようだ。グランディンは著書の中で次のように書いている。

ケニアの環境保護論者マイク・ノートン=グリフィスによると、ケニアでは、1977年以降、国立公園以外の地域で大型の野生動物が6割から7割、いなくなった。77年といえば、野生動物の狩猟や農場での営利目的の飼育を禁止する法律がケニアで制定された年だ。これは偶然の一致ではない。この法律のせいで動物が姿を消し、事態が悪化したのだ。

グランディンの考えによると、野生動物の飼育が禁止されたことにより、牧草地を維持する費用がまかなえなくなった牧場主が、放牧地を農地に変えた。つまり保護目的の法律が、実際には正反対のことを促した、というわけだ。これを読んだときには、そういうこともあるのかと納得した。

今回これを書くにあたって、1977年以降、ケニアの野生動物がどれくらい減ったのか、調べてみようとした。その中にあった釧路公立大学の小林聡史教授の『ケニアにおける野生動物による被害の現状』 には次のように書かれていた。

セレンゲティ国立公園における個体数センサス*の記録がある. それによるとヌ ーの個体数は1971年に約70万頭だったのが ,1977 年には140万頭にまで増え,1986年にはやや減少 して114万頭と推定されている。一方,サバンナシマウマの個体数はほぼ安定していて20万頭前後, トムソンガゼルは1972年に約70万頭,1986年には 約57万3,000頭と推定されている。(*センサス=実態調査)

これを読むかぎり、グランディンの参照する「大型の野生動物が6割から7割いなくなった」という数値は当てはまらない。「国立公園以外の地域で」とグランディンは書いているので、外と中では事情がまったく違うのだろうか。ちなみに小林聡史教授の調査はケニアの国立公園・保護区の内外に及んでおり、「メルー県におけるゾウによる耕作地への侵入」と題された調査マップでは、国立公園の外の地点が示されていた。

もう一つの資料として、日本自然保護協会『自然保護』(1985年)のサイトの記述をあげたい。

1982年、IUCN(国際自然保護連合)の報告ではアフリカ全土に120万弱のアフリカゾウが生息、うちケニアには6万5000頭となっている。これだけいれば十分と思われるかも知れないが、1969年にケニアにゾウは16万9000頭いたと推定されている。14年間に61.5%が失われたことになるのだ。(『ケニアの野生動物 鳴りやまぬ赤信号』より)

この数値では、確かにゾウが1982年にはかなりの数、減っていることがわかる。前述のヌーやサバンナシマウマの調査と、このゾウの調査では結果がかなり違う。どちらも大型動物だが、種によって違いが出るのか、それとも調査地域による差なのか。グランディンの記述では「大型の野生動物」としか書かれていないので、そのあたりがわからない。

いずれにしてもグランディンは、ケニアでの野生動物の減少と野生保護政策(法律)を結びつけ、因果関係があると言っている。そしてこういった数を減らしてしまうような保護政策ではなく、もっと実質的に効果のある野生動物保護が必要だと訴えているのだ。その理論の延長線上に、経済効果をもたらす、スポーツハンティングによる解決策があげられている。

ところでわたしは、グランディンの著書を読んだのちに、アフリカ地域研究が専門の安田章人氏のSynodosへの寄稿を読んだ。そしてスポーツハンティングによる野生動物保護の論理に疑問をもった。安田氏は、カメルーンをはじめ、アフリカを中心とする狩猟現場において10年を超えるフィールドワークを行ない、人と野生動物の共存について研究している人である。
シノドス:2018.02.08 Thu


安田氏の寄稿を読んだあと、グランディンの主張の中でまず気になったのは、「大きなお金を地元に落とし、住民の生活を支えている」といった中で使われている「地元」や「住民」といった言葉が指す対象だった。「地元」には狩猟区のある国の政府やそこでハンティングを営む観光業者(または土地所有者/地元エリート層)が含まれるだろう。「住民」の方は、安田氏の調査によると2種類あって、狩猟区周辺に住んでいる経済的利益を受けにくい村民と、スポーツハンティングのためにキャンプに雇用され、恩恵を受けている村民があるという。キャンプに雇用された人々は働く機会を得たことで、農業などで得られる収入よりずっと大きな金銭を手にできる。しかしこの雇用も、動物のトラッカーや料理人、整備工のような要職に就いている一部の者(高額な賃金)と、ポーターや洗濯、掃除などをする雑用係(低額の賃金)に分かれ、料理人、整備工などは地元ではなく、都市部からやって来た教育を受けた者であるという。

地元への恩恵という意味では、確かに、ハンティングにかかる税金の一部が、地元住民に還元されるようにはなったようだ。これは一つの前進と言っていい。カメルーンでは、狩猟区の借地代(観光業者が国に払っている借地料)の10%を周辺の村落へに分配することが法律で決まり(1994年)、遅れて2000年以降に実施されるようになった。しかしそれが地域内で平等に分配されているわけではないという。カメルーンのある村では、ラミド(王)を長とする伝統的な権力構造があり、それがヨーロッパからの観光業者と結びついて、有力者が分配利益を享受してしまうことがあるらしい。

このように地元、あるいは住民への利益還元と言った場合、それが行なわれていても、必ずしも平等にみんながそれを享受できているわけではないようだ。地元の権力者が、外からやって来た観光業者(昔は植民者)と協力してものごとを決めたり、利益をわけあう構造は、ハンティングに限らずアフリカでは昔から見られたことだと思う。

二つ目に気になったことは、グランディンの言う「地主」や「牧場主」のプロフィールだ。彼女が例としてあげてるケニアなどの東アフリカでは、ハンティングはゲームランチ(game ranch)と呼ばれる私有地で行なわれている。私有地の持ち主は、植民地時代の19世紀にやって来たヨーロッパからの移民にルーツをもつ人々だという。彼女の本を読んでいるかぎり、彼らもアフリカの地元民の一部のように受け取れたが、その人たちと被植民者だった元々この地に住んでいた原住民とは、分けて考えた方がいいのではないかと思った。

これは安田氏が調査区としていたカメルーンや南アフリカでも同じだが、これらの地域では、土地は基本的に国が所有していて、ヨーロッパからの観光業者や、南アフリカであればアフリカーンスのようなオランダ系植民者の末裔たちが、ハンティング用狩猟区として国から借りて観光業を営んでいる。昔の帝国主義に倣ったような、ヨーロッパの事業者や旧植民者による地元民への支配、という構造がベースにあるように感じられた。

グランディンの言う、ハンティングにより大きなお金が地元に落ち、住民が潤い、結果その資源となる野生動物の保護に地元が積極的になる、という論理は理にかなっているように見えて、実際のところ地元とは何を指すのか、住民とは誰なのか、を見ていくとき、必ずしも理想的とは言えない状態に思えてくる。

狩猟区周辺(あるいは狩猟区内)に居住する村人には、狩猟に関して制限がかかっているという。たとえば食料として、あるいは生業として狩りをするにも、昔ながらの植物資源による猟具による、小さな動物を獲ることしか許可されていない。ハンティングのための狩猟区を「保護する」という理由なのか。もし住民がハンターと同じように大型動物を狩猟したい場合は、狩猟ライセンスを取得し、獲った動物に対して狩猟税を納めなければならない。しかしこれらのライセンスや狩猟税は、裕福な海外からのハンター対象に設定されているため、貧しい地元民に支払えるような金額ではないという。つまり地元民は、実質的に、自分たちの住む地域の自然へのアクセスが大きく制限されている。

安田氏はSynodosの寄稿の中で「土地を所有あるいは賃借している観光事業者は、狩猟に限らず、トロフィー・ハンティングの妨げとなる農耕や牧畜も禁止しているため、地域住民による自然資源に対するアクセス権のすべてが剥奪されている」と述べていた。このような状況の中では、地元民による「密猟」が起きても不思議はないように思えてくる。

野生動物の数を減らさないため、ヨーロッパからの(あるいは植民者末裔の)事業者、牧場主にハンティングのための狩猟区を与え、海外からの観光客を呼びこんで狩猟をさせ、地元にお金を落として経済的に潤う、それが野生動物の保護につながる。この一見win-winなシナリオの中で、抜け落ちているのが、ハンティングに関わらない(雇用されない)一般住民たちではないか。ときに元々住んでいた居住地から、狩猟区確保のため、村民が強制移住させられることもあるという。

安田氏によると、こういった不利益に地元民がなかなか抵抗できないのは、一つには村の伝統的な権力構造(王政のような)があるためだという。近代化が進んでいないから、と言えるだろうが、そのような土地では、植民的なシステムは一般に機能しやすい。

狩猟区を管理・運営する政府や観光業者の主張によれば、一般地元民は、野生動物についての知識がなく、持続可能な狩猟をすることができない、という。また「地域住民は、われわれに雇用されているのに、密猟をおこなっている」と批難する。一方、住民の方は、「自分たちが食べる分だけでよいから狩猟させてほしい」と主張する。

安田氏は、「計画的に野生動物を利用するスポーツハンティングとそれにかかわる保全政策」の正当性が強く訴えられる割には、科学知に基づいた「高い生態学的な精度による野生動物管理」は実現していない、と見ているようだ。

ここで政府、観光業者(あるいは狩猟区の所有者)と地元民の対立構造を俯瞰するため、アフリカにおけるスポーツハンティングの歴史を、安田氏の著書『護るために殺す?:アフリカにおけるスポーツハンティングの「持続可能性」と地域社会』(勁草書房、2013年)から要約してみよう。
  1. 中世の西洋社会では、特権階級の娯楽としてスポーツハンティングが発展した。
  2. 19世紀になって帝国主義の象徴となり、植民地支配の道具となった。野生動物の減少。
  3. 19世紀後半には、アメリカを先駆けとして国立公園が出来、アフリカでも植民地政策により「手つかずの自然」を残すことが使命となった。猟銃保護区、国立公園、狩猟制限が植民地政府によって設定され、狩猟は西洋人のみできるという制限がかけられた。
  4. 1970年代になって、狩猟への倫理的批判が社会的に起きる。
  5. 1980年代にエコツーリズムの思想が生まれ、サファリツアーなど住民参加型の保全が提唱される。
  6. 1970年代に倫理的批判を受けたスポーツハンティングだが、地域に利益をもたらす効果が大きいということで、「生態的な持続可能性と経済的な豊かさ」を実現するツールとして復権する。
  7. 自然保護行政を支える柱として、狩猟枠の拡大、捕獲枠の拡大が行なわれ、野生動物管理の強力な資金供給源となる(サファリツアーの300倍の税収をもたらす)。
政府や観光業者の「地域住民による資源(野生動物)利用は非持続的である」の見解のため、地元民は狩猟を制限され、違反したものは「密猟者」として逮捕や罰金を科せられている。「住民参加型保全」が掲げられ、一定の利益分配の拡充は図られているものの、安田氏によると、野生動物保全やスポーツハンティングの会議に、狩猟区内に住む一般村民が呼ばれたことはほとんどない、という。近年狩猟区に設定されたある村では、村民が、自分の居住地がスポーツハンティングの狩猟区に設定されたことも、観光業者の存在も知らなかった、という例があげられていた。 

「野生と飼育のはざまで(3)で紹介したグランディンの動物の心理へのアプローチには、素晴らしいものがあると思ったが、アフリカのスポーツハンティングにおける「野生動物の保全と住民への経済便益」のシナリオに関しては、最終的に疑問が解消されることはなかった。

野生動物の数を減らさないための合理的な、あるいは功利主義的な解決法として、スポーツハンティング、あるいはトロフィーハンティングが有効な手段だと納得できるためには、何が変わればいいのだろう。スポーツハンティングでは、西洋社会の富裕層がアフリカを訪れ、何百万円もの大金をつかって野生動物を狩る。地元のトラッカーを雇うということは、ハンター自身には狩りの能力(野生動物の性質や生態を知って追いかける)が、必ずしも求められないのかもしれない。つまり人と野生動物の関係性は、「片方がもう一方を娯楽で狩る」の枠を出ることがないのかもしれない。だからハンターたちは、仕留めた後の成果として狩った動物と記念写真を撮り、頭部でトロフィーを作り持ち帰る。その心情は、中世の特権階級や植民地時代の支配層の人々のものと、さして変わらないようにも見える。このような人々をビジネスの対象として呼び込む「持続可能な野生動物の保全」は、ハンティングに大金をつかう人々を「利用している」とも言える。

一般的に日本人には、娯楽としてのハンティングというものが、文化的に馴染みがない。ハンティングによって野生動物を守るというアイディアが、グランディンのようにすんなり受け入れられないのは、そういった文化の違いがあるのかもしれない。日本人の場合、富裕層でなくとも、海外のリゾート地などで最高級のホテルに泊まることがある。最高のホスピタリティで対応されるわけだが、日本で中程度の一般市民であれば、多分、それを素晴らしいと感激しつつもどこか居心地の悪さ、ここは自分の居場所ではないのでは、という感覚をもってしまうのはあり得ることだ。そのような文化的、歴史的違和感は、アフリカの植民地的ハンティング文化(広大な自然の中に、自家発電による給湯・冷暖房完備の客室、欧米客の好みを満たすための菜園などを備えたキャンプがあり、そこに逗留して狩りを楽しむ)に感じるものと近いように思う。

ハンティングを事業化する国の政府や観光業者が言うように、地元民は野生動物を持続的な方法で扱うことができない、というのが事実であるのなら、彼らへの啓蒙や教育が必要かもしれない。その上で日々の食料や生業のために、住民が野生動物にアクセスできるようにすることも検討されるべきだ。またハンティングによって得られる利益が、公平に分けられるシステムもなくてはいけない。21世紀という時代においては、地球上のどこの地域であっても、支配と被支配の構造の中で人が生きねばらないことを正当化するのは難しい。野生動物保全にとっても、その方法は好ましくないと思うし、「持続可能な方法」でもないだろう。

もっと言えば、もしハンティングを観光資源の一つとする場合も、現在の植民地主義的なものとは違った方法論があってもいい。ヨーロッパ由来の欧米式ハンティング観光ではなく、地元発想的なジミな狩猟体験だ。野生動物を知り、近しくなることが狩猟につながるような。地元民の家または運営する簡易な宿泊所に泊まって、地元の生活を体験しながら、野生動物を追う体験をする。これでは経済効果は期待できないし、野生動物保護につながらない? 第一そんなツアーに参加する欧米人はいないだろうって? 確かにその通りかもしれない。求められているのは、欧米式の高級リゾート&娯楽としてのハンティングなのだから。

この先10年、20年、野生動物の「住民参加型保全」はアフリカで、どのように実行されていくのだろう。昔ながらの階級社会的、欧米人思考スタイルから生まれたものではない、真に未来的で持続可能な野生動物保護へと変化していくことを願って、引き続き見守っていきたい。


20180112

野生と飼育のはざまで(1)

注)以下の記事は現時点での知見をもとに書きました。筆者は野生動物や飼育動物の専門家ではないので、知識やその受け止め方に誤解や偏向があるかもしれません。今後もこの問題について考えていくつもりなので、気づいた間違いや新たな発見、見解は、そのつど後の記事で更新していきたいと思っています。
———-


「動物園ほど、好きであり嫌いな場所もない。」

『コヨーテ読書』『オムニフォン』などの著書で知られる管啓次郎さんが、文芸誌『すばる』(2017年4月号)でこのように書いていた。アンカレッジの街中にある動物園を訪れたときの話だ。さらにこう続けている。

動物をじっと見るという経験は、他の何物にも換えがたい。つねにつねにおもしろい。でも囚われの動物たちの状態を見ると、いかんともしがたい悲哀を覚える。罪だ、これは。それでもなお、興味深いのが困る。(『アラスカ日記2014』)

このような感慨、感じ方はありそうでいて、あまり聞くことがなかった。だから印象に残った。ここには人間のもつ矛盾や、この世界の不合理さが現れている気がする。ただし、問題の解決法が示されているわけではない。それでも、人間が動物や動物園(水族館)について考えるとき、このあたりを出発点にすれば、柔軟で奥深い思考をする助けになるのではないか、と思えるところがある。

菅さんは「罪だ」と書いている。人間に囚われた動物を気の毒に思い、その状態に動物を置くことはいけない、と感じているのだ。もし新しく展示する動物を、森で(あるいは海で)捕らえてこなければならないがどう思うか、と訊けば、そうしないでほしいと答えるのではないか。野生動物を捕らえることを、自分が見たいという欲望に優先させることはない気がする。

これは菅さんに限らず、一人一人訊いていけば、同じように答える人が多いかもしれない。日本科学未来館で科学コミュニケーターとして働いていた大渕希郷さんという人が、来館者に、動物園、水族館についてのアンケート調査をした(2016年3月)。大渕さんは上野動物園で、両生類や爬虫類の飼育展示・保全を担当していたことのある人だ。

アンケートは対面方式で行なわれ、150以上の回答を得たという。質問の内容は、動物園や水族館に行く頻度や目的など基本的な事項に加え、そこで学べることは何か、イルカショーは必要と思うか、漁で捕獲したイルカを利用することの是非、野生動物の捕獲と展示についての感想といった十数項目で、「人間はどんな動物でも飼っていいと思うか、いいとしたらその基準はなにか」といった難しい質問もあったようだ。アンケートの解析は発表されていなかったが、大渕さんの感想として、以下のようなことが書かれていた。

子どもたちは、「野生に生きる野生動物」と「動物園動物」「飼育されている野生動物」の違いを感じとっているようで、「野生ではどこにすんでいるの?」などの質問もあったとか。一方大人のほうは、動物園の必要性について聞いたところ、手軽に行ける近場に動物園があったほうがいいが、野生動物を自然から引き離して閉じ込めることに罪悪感をもっている、と答えた人が何人もいたという。その人たちは、観たい気持ちと動物に対する罪悪感の板ばさみになっているようで、また子どもたちに地球に住むさまざまな動物を実物で見せてあげたい、という気持ちも強いように感じたとのこと。

そうなんだ。やはり菅さんだけでなく、日本に住むそれなりの数の人が(多数派かどうかはわからないが)、ていねいに訊いていけば、動物園や水族館の存在理由にいくらかの疑問を感じているのだ。こういうことは案外知られていない気がする。大手メディアで問題点として取り上げられることは少ないのではないか。そういったメディアでは、動物園・水族館関係者からの話としても、存在の意味や意義について、あるいはそこで起きる議論についてあまり書かれることがない。関係者にとっては、問題意識はあっても、立場上、口にしにくいのかもしれない。あるいは広く理解を得ようとすると、問題の複雑さにより説明するのが困難に感じられるとか。

大渕さんは日本科学未来館をやめて、京都大学野生動物研究センターの特定助教と日本モンキーセンターのキュレーターを勤めたあと、この1月から、フリーランスの科学コミュニケーター(生き物の不思議を科学的に紹介する仕事)を始めた。京大大学院時代は動物学を専攻していた。科学未来館で科学コミュニケーターをしていたときのブログが公開されており、3回にわたって「未来の動物園・水族館〜動物園や水族館の役割をみんなで考える〜」のタイトルで、この問題を考察している。いくつか参考になった点をあげてみたい。(ブログのURLはこの記事の最後に紹介)

まず第1回、第2回で扱われていたイルカ捕獲問題について。そこでは食べるための捕獲とは別に、捕獲後の心身の健康を考慮した捕獲法があってしかるべきではないかという指摘があった。それはイルカが「高度なコミュニケーションに支えられた社会構造を持ち、記憶能力も高い動物」だから、「社会構造の破壊、つまり仲間や家族を殺された記憶は飼育後も残る」可能性があるからだという。この問題について、このブログで大渕さんとの対話に参加した、動物園動物学の研究者・並木美砂子氏は「そのような歴史(体験)を背負わされたイルカを展示に用いて、野生動物の普及活動を行うことはナンセンス」と指摘している。(そうか、飼育するイルカに対しては、現在の追い込み漁とは違う入手法が開発されてもいいのかもしれない。)

動物園や水族館の役割は何か、についての議論では、一般に言われている「自然界への理解・共感」「生物多様性の科学的知見」「保全・研究」「園内繁殖」などは、関係者に想いはあるものの、現状ではまだ達成されているとは言えず、「野生動物の入手」(施設側)と「娯楽」(来園者側)あたりがリアルなところらしい。大渕さんを含めた話し合いに参加した 計3名(うち2人は動物園に関わった経験あり)からの感想としてそうまとめている。

また運営システムの問題点にも触れていて、日本では動物園は地方自治体が運営しているものがほとんどで(国立はない)、動物は帳簿上は「備品」であり、飼育担当者も自治体の人事異動の中で、事務系の職員が担っているケースが多いそうだ。博士号をもった専門のキュレーターや飼育専門スタッフが常勤していることは少ないという。また日本では飼育職の人が事務系ではない場合も、畜産系出身者が多く、野生動物の生態学を学んできた人ではないという特徴もあるようだ。

これは2016年に『イルカ日誌』を出版したとき、最終稿を科学的知見から校閲してくれる人を探した際、日本の大学の学部をいくつか回ってみて、野生動物の生態学の専門学科がほとんどないことに気づいたことと合致する。そのときは(大渕さんと同じ)京都大学野生動物研究センターで、野生イルカの研究&フィールド調査をしている大学院生の方と幸運にもめぐり逢うことができた。日本で野生動物の研究といえば、今のところほぼ、京大の野生動物研究センターに集約されるのだろうか。 

もしそうだとすれば、こういった日本の社会のあり方が、動物園・水族館の職員の科学者としての専門性や質に影響していることは想像できる。大渕さんのブログのコメント欄では、動物園で生物の担当をしている匿名の人から、展示方法についての来園者からの投書を上層部に伝えたところ、改善の余地なしと黙殺された、という書き込みがあった。改善をもとめる現場スタッフと、「今あるコーナーはなくせない」「お客さんが喜ぶ」などの理由から、見世物小屋的な発想から抜け出ることができない管理層といった、内部の対立もあるようだ。

日本の動物園・水族館の実態を知ろうと、ここのところ複数の関連書籍や雑誌を見ている(この記事の最後に参考図書として記載)。たとえばカーサ ブルータスの「動物園と水族館」特集号(2017年8月号)。巻頭のカラー広告にティファニー、ドルチェ&ガッバーナがくるような「オシャレ系ライフスタイル誌」で、デザインや建築、アート、ファッションなどが題材としてよく取り上げられている。特集は「センス・オブ・ワンダーに出会える!」の副題がつき、『沈黙の春』などで環境問題を告発したアメリカの生物学者の著書のイメージを借りて、古くさい動物園ではなく、未来型の進化した展示施設へ誘なうアプローチをとっている。

内容としては、(思想雑誌でも生物専門誌でもないので)ブルータスが選ぶ動物園・水族館のお勧めガイドで、美しく撮影された見開き写真がたくさん使われている。しかし導入部では、今の時代の関心ごと(動物園における教育や研究、種の保存の役割)に無関心ではない態度を示し、展示のデザインの工夫にも触れている。これらのことは、「先端をいくオシャレ・文化系」には欠かせない知的アプローチの一つとも言える。その関心度がどれくらい深いところまで達しているか、見てみたいと思った。カッコだけじゃないという。

たくさんの水族館、動物園が紹介されているが、全体として、オシャレで進歩的な動物園・水族館ガイドの域をさほど超えているようには見えなかった。素敵な、あるいは癒される展示施設を読者に案内しようという企画だと思うから、動物園・水族館が抱える現代的な問題に触れられていないのは、まあしかたないかもしれない。

確かに、どの記事もテキストのはしばしに、今の展示施設は動物の幸せを考えねばならない、という方向性が示され、その工夫にも触れられていた。それは昔ながらの「狭くて汚い檻に閉じ込められた動物たちを見せる施設」への否定になっている。しかし「のんびり暮らす」「のびのび生活」「動物たちが暮らす自然環境を再現」「イキイキとした行動を引き出す」「広大な敷地」などの言葉は、発信者の意図(希望)としてはわかるし、一般来園者には充分魅力的なアプローチかもしれないが、少しでも野生動物の生態や飼育環境で動物が抱える問題を知る人からは、嘘とは言われないまでも、疑いの目を向けられる可能性はある。

カーサの記事の中で一番興味を惹かれたのは、海外の動物園紹介のところにあったチューリヒ動物園だ。特集の最後に置かれていて、全9ページと単独の動物園紹介では一番力が入っているように見えた。この記事を最後に置いたところも興味深い。というのは、日本の動物園紹介では見られなかったことが、いくつか挙げられていたから。

一つは餌のやり方。チューリヒ動物園では、餌は飼育員が与えるのではなく、コンピューターで制御された餌場が42ヵ所あり、動物自身(この場合はゾウ)が餌場を探して食べる。高いところにあったり、岩山の穴の中にあったりと、それをゾウたちが移動しながら探すのだ。餌を探すという自身の能力を日々発揮させ、それがゾウたちの暮らしに(わずかであっても)「生きる意味」を与える。本当は飼われいてる環境の中に、餌が生育していればいいのだろうが、生息地とは気候も広さも違うので難しいことだ。しかし日本の動物園が「餌やりタイム」を見物人へのサービス(人集めの目玉)にしている例をいくつも知れば、チューリヒ動物園の工夫はいいことに見える。 

もう一つは飼育の仕方で、この動物園では「完全間接飼育」に切り替えられた、との説明があった。これは人が動物と直接触れ合わない(人が立ち入らない)飼育法で、「直接飼育」と区別されている。去年葉っぱの坑夫で連載していた『Elephant Stories:サンクチュアリに住むゾウたちの物語』で、「保護下のコンタクト」として紹介したものと同じだ。動物と人間の間に、常に両者を分かつフェンスのような障壁を置くことで、両者が接する際、互いにとって安全が保証される。動物にとっては、意志のあるときだけ人間に近づくことが可能になり、精神的な安定がもたらされるという(サンクチュアリのスタッフの説明)。

チューリヒ動物園では、この完全間接飼育にしたため、ゾウたちはからだのケアを自分でするようになった。砂浴びや泥浴び、水浴びをしてからだのケアをする。つまりそういう場がこの動物園には用意されているということだ。直接飼育をしていた時代は、飼育員がブラシでゾウたちのからだを洗っていたという。野生のゾウがしていることに近い行動がとれるよう、環境が整えられたのだ。

葉っぱの坑夫サイトの『Elephant Stories』のところで書いたサンクチュアリは、アメリカのテネシー州にある。そこは動物園ではなく、動物園やサーカスで働いていたゾウたちが、引退したのちに暮らす場所。日本にはまだこういった施設はなく、存在自体があまり知られていない。ここは展示施設ではなく保護施設なので、ゾウを一般公開しているわけではない。森と草原が広がる2700エーカー(日本のサファリパークの10倍くらいの広さ)の自然環境の中で、管理・監視されながら、必要に応じて人間のケアを受け、群れで(アジアゾウ7頭、アフリカゾウ3頭、2018年1月10日現在)生活している。

チューリヒ動物園に戻ると、動物園園内のことだけでなく、野生動物の生地へのサポートもしているそうだ。動物保護を進めるため、地元アフリカの人々の生活改善や教育に取り組み、小学校の建設を計画しているという。またケニアの動物保護区と協力し、エコツアーをテーマに、旅行業のスクールも開設している。それにより現地の人が、毛皮や牙の密猟をすることなく、生計を立てられるようにするのだ。教育への取り組みには、啓蒙の意味があるのだと思う。

「行動展示」などの名で呼ばれる来園者へのアピールを中心とする展示方法の工夫ではなく、動物が置かれている状況の意味に注目した飼育法や管理法、さらには動物の生地に住む人間への啓蒙・教育活動といったプログラムには納得できるものがある。

日本の動物園は地方自治体が運営しているものが多く、税金でまかなわれているケースが多いという。予算に余裕があるわけでなく、設備の充実も経営的に難しいのかもしれない。たとえば日本の水族館では、イルカを展示する場合、海から捕獲する方法がほとんどだという。それはイルカの場合、飼育環境での繁殖が難しいからだ。充分な資金がない、繁殖用の施設がない、繁殖のための高度な技術をもっていない、それだけの時間がかけられない、などの理由で、繁殖によるイルカは全体の1割程度にとどまるという。アメリカでは現在、7割が繁殖によって生まれたイルカだという(野生のイルカを捕獲することは、原則として禁止されている)。

ただ繁殖がいいことかどうかは、また別の問題ではある。イルカでもゾウでも、人間によるプログラムは、動物にとって無理がある場合もあるだろう。発情期を見つけ、オス・メス一対揃えれば交尾に進む、といった単純なことでは済まないのではないか。個体にはそれぞれ好みもあれば、気分もある。そこは人間も動物も同じだ。また飼育環境の中で、繁殖を繰り返していくことがどういうことなのか、それについてわたしに知識がないため、今の時点では何とも判断できない。一般的には、現在の日本の動物園は野生由来の動物は少なく、多くは飼育下生まれだと聞いている。だから環境に適応しており動物にとって苦痛は少ない、とも言われる。

飼育環境にいる動物を考えるときの問題点として、野生動物への理解が、日本ではまだ足りていないケースが多い、ということはないのだろうか。上で紹介した科学コミュニケーターの大渕さんは、動物園の動物を「家畜化」させてはいけないと考えている。囲われて暮らしている動物が、野生動物かどうかは難しいところだが、少なくとも元々は野生に生きていた。動物園の動物をなるべく家畜化させないためには、人間視点ではなく、野生動物の視点に立ってものを見ることが求められる。それには野生動物についての知識と経験が必要になる。そういったスキルをもつ人材を、たとえば大学などの専門教育の中で育てていくことも、動物園・水族館の存続には必要ではないか。野生と飼育のはざまで動物を捉える思考をもつ人材、その知見を来園者に伝えられるスタッフがもっと必要かもしれない。そうでないと、動物園・水族館の社会的役割を熱心に論じても、中身のともなわない、空しいものになってしまう気がする。

*「野生と飼育のはざまで」の続きは、家畜動物やペットも含め、今後書きついでいきたいと思っています。

科学コミュニケーター、大渕希郷さんのサイト

日本科学未来館科学 コミュニケーターブログ
未来の動物園・水族館〜動物園や水族館の役割をみんなで考える〜
1)新山加菜美(科学コミュニケーター)+大渕希郷(科学コミュニケーター)
2)大渕希郷+新山加菜美+並木美砂子(動物園動物学研究者)
3)大渕希郷


このブログを書くために集めた本:『子どもが動物に出会うとき』(並木美砂子著、2008年)、『日本の動物園』(石田戢著、2010年)、『キミに会いたい:動物園と水族館をめぐる旅』(吉本由美著、2009年)、『水族館哲学:人生が変わる30館』(中村元著、2017年)、『絶滅危惧種救出裁判ファイル』(大渕希郷著、2015年)、『とらわれの野生:動物園のあり方を考える』(ロブ・レイドロー著、2014年)、『The Dog Book』(管啓次郎著、2016年)、『動物の権利』(ピーター・シンガー編、1986年)、『Casa BRUTUS:動物園と水族館』(2017年8月号)


20180209

野生と飼育のはざまで(3)


注)ここまでと同様、以下の記事は現時点での知見をもとに書きました。気づいた間違いや新たな発見、見解は、そのつど後の記事で更新していきたいと思っています。
———-

動物福祉と新・人間中心主義

「野生と飼育のはざまで」(1)(2)では、動物園や水族館に対する人々の見方、動物園の施設や仕組みの問題、動物園の広報活動や環境エンリッチメントの試み、日本のサンクチュアリなど、思いつくままに調べては書いてきた。それはこの問題を考えるにあたって、現時点で的が絞れる状態になく、あれこれ探りつつ、考えつくところを糸口にして書き進めているからだ。

この間、周囲の人々に野生動物を人間が管理することの是非について、考えを聞かせてもらったりもした。ここまでのところでは、両極端、つまり「野生動物を人間が自由に扱っていい」という人も、「そのようなことは許されない」という人もいなかった。どの人もほぼその中間のグラデーションの中いるように見えた。わたし自身、どの地点とは言えないものの、同様にそのグラデーションのどこかにいると認識している(出発地点では、「許されないのでは?」に寄った位置にいたと思う)

これは最近知ったことなのだけれど、17世紀のフランスの哲学者デカルトは、動物機械論という考えを『方法序説』という書物で書いている。動物は機械に近い存在で、人間とはまったく異なるという理論だ。
動物の肉体は、機械としては比較にならないほど厳密に構成されている。その運動の適性は人間の発明したどんな機械より見事である。動物の機械は(知識に基づいて動いているのではなく)器官の仕組みに応じて動いているだけだ。獣には理性がまったくない。獣の魂は本質的に、人間の魂とはちがっていると考えるしかない。感情を示す運動は動物も示すが、これは機械でも簡単にまねできる。器官の命ずるままに動くのが動物の天性なのだということになる。ルネ・デカルト著『方法序説』山形浩生訳からの部分要約)

またデカルトと同じくらい有名な、ドイツの哲学者カント(1724ー1804年)は次のように言っている、と記した文章と出会った。
動物には意識がなく、人間の目的の手段としてのみ存在する。 秋田大学 バイオサイエンス教育・研究サポートセンター 動物実験部門のHPより要約)
いま聞くとちょっと驚きの発言に見えるが、カントは白人至上主義的な記述も残しているので、このような考えをもっていたとしても矛盾はないように思える。以下は著書の中のカントの発言。
アフリカの黒人は、本性上、子供っぽさを超えるいかなる感情も持っていない。(中略)それほどこの二つの人種(註:白人と黒人)の間の差異は本質的で、心の能力に関しても肌色の差異と同じほど大きいように思われる。 (イマヌエル・カント著『美と崇高との感情性に関する観察』より要約/ウィキペディア日本語版より)

ヤーコプ・フォン・ユクスキュルという1864年生まれの学者の著書を見ていたら、機械論の考え方をとるのは動物学と生理学の立ち場で(動物体の全機能をその諸器官から、機械論的に導き出そうとする)、対して生物学は動物の行動を総合的に見て、動物が組み入れられている生命の大きな連関性の中から理解しようとする、とあった。ユクスキュルは動物学から比較生理学、比較行動学へと専門を移し、のちにハンブルク動物園・水族館の館長を務めている。『生物から見た世界』という本では次のように述べている。
生理学者にとってはどんな生物も自分の人間世界にある客体である(註:これはカントの目的論に似ている)。生理学者は、技術者が自分の知らない機械を調べるように、生物の諸器官とそれらの共同作用を研究する。それに対して生物学者は、いかなる生物もそれ自身が中心をなす独自の世界に生きる一つの主体である、という観点から説明を試みる。したがって生物は、機械にではなく機械をあやつる機械操作係にたとえるほかはないのである。(ユクスキュル/クリサート著『生物から見た世界』)

ユクスキュルより時代を遡り、カントより少しあとに生まれたイギリスの哲学者ベンサム(1748ー1832年)は、デカルトやカントとは全く違う考えを示している。
感覚を持つ生き物を同じ悲運に追いやる理由として、脚の本数や、皮膚の毛の密度や、仙骨の末端(尾のあるなし)のどれもが十分な理由とはならないと認められる時代が来るであろう。しかし他に何が超えられない一線となるのだろうか? 問題は、理性があるか、話す事ができるか、ということではなく、苦痛を感じるということである。なぜ法律はいかなる感覚を持つ生き物をも保護の対象としないのだろうか? いつの日か人類社会はその庇護のマントを、呼吸をする存在すべての上にまで広げることになるだろう。(『道徳および立法の諸原理序説』より/日本語版ウィキペディア「動物の権利」)
これは功利主義思想と呼ばれるもので、「快楽や幸福をもたらす行為が善である」の考えに基づき、最大多数の最大幸福を目標としている。個人の幸福の総計が社会全体の幸福となり、それを最大化するのが望ましい、という考えだ。いま動物福祉(animal welfare)と言われているものの多くは、この功利主義を基本にしていると思われる。

動物福祉の基本的な考え方は、人間による動物の利用を(殺すことも含めて)否定はしていないようだ。ただしその扱いについては、苦痛を減らしできる限りの幸福を与えなければならない、と考える。近代の神経科学者たちの考えによれば、「意識」をどう定義するかに論議はあるものの(人間においても)、動物にも意識があるという考えが支配的である、と英語版ウィキペディアのanimal welfareにはあった。しかしその意識というものは科学的に証明されてはいない、と主張する人たちもいるそうだ。

こう考えてくると、動物福祉の考え方は、ある種の人間中心主義であると言ってもいいのだろうか? デカルトやカントの時代の人間優位論に基づくものではなく、20世紀後半からの「非人間中心主義(生命中心主義)」を通過したのち、様々な現実をふまえた上で、改めて復権をとなえた「21世紀型人間中心主義」とでもいった。20世紀の後半に起きたいくつかの思想や運動は、その前の時代の考え方や社会への反省や反論として存在したのだと思う。そこでは人間のしてきたこと、たとえば自然破壊や環境汚染、動物虐待もふくめた動物の利用などに対して、厳しい目が向けられた。しかし非人間中心主義というのは、現実の世界で具体的に実行するのは簡単ではない。人間も生きていかねばならず、それを支えるためには、ときに他の存在より自己を優先する必要が出てくるからだ。たとえば畜産工場のブタやニワトリが劣悪な環境にいるからといって、社会を動かして大多数の人間に肉食をやめさせることは可能だろうか? そんなことをすれば、賛同より反発の方が大きくなりそうだ。

では動物福祉の考え方は、一種の現実主義なのだろうか。現状の人間による動物利用を認めた上で、動物にとって不幸ではない状況をできる限り生み出していく。そのための研究や開発を積極的に行ない、新しい方法論につなげていく、といった現実主義。それを人間として、人間以外の動物に対して行うことが、動物福祉なのだろうか。


自閉症の体験から得た、動物の行動原理の実際

『動物が幸せを感じるとき:新しい動物行動学でわかるアニマル・マインド(Animals Make Us Human: Creating The Best Life for Animals)』という本に、動物福祉に関するいくつかのヒントを見つけた。この本の著者テンプル・グランディンは、自閉症である自分の特質を生かして、動物の行動の原因を探究した動物学者だ。家畜の権利保護活動をするとともに、アメリカやカナダの畜産工場(食肉工場)の設計の多くを手がけている。「家畜の権利保護」と「畜産工場の設計」というのは結びつきにくく、対立事項のようにも見えるが、これこそが動物福祉の考え方の基本と言えるのかもしれない。

テンプル・グランディンは「動物の幸せを生物学的に調べるテストはない」と言っている。置かれている環境が好ましいものかどうか判断する目安は、動物たちの行動だけである、としている。それは人間が「動物を観察する」ことから始まる。しかし動物を観察する場合、他者に見られているとわかっているときは、動物は苦痛や痛みを隠すこともあるので、満足度を計ることは簡単ではない、という注釈も加えている。

飼育下にいる動物の満足度を計るのに、一つの目安となるのが「常同行動」と言われるものらしい。同じ場所を行ったり来たりしたり、からだを揺らすなど同じ動作を繰り返すことを「常同行動」という。野生下でも一時的なものは見られることがあるらしい。飼育下の動物で問題になるのは継続性の常同行動で、これは野生下の動物には見られないという。

常同行動は人間にも起きる。著者のグランディンは子どもの頃、自閉症だった。それでどんなときにそのような行動をするのか、自分の体験から説明している。彼女の場合、何らかの恐怖が誘因となり、耳が痛くなるような音が聞こえ、それから逃れるために常同行動を起こしていたという。グランディンは両手のすきまから砂を落とし、砂粒に反射する光を見つめることで、まわりの世界を遮断していた。他の人が気づかない小さな事象に集中することが、常同行動という形をとり、苦痛から逃れる手段となっていた。

グランディンはこの本の中で、人間に現れる常同行動の別の例もあげている。独裁政権下のルーマニアで、人口増加政策がとられた時代、たくさんの子どもたちに常同行動が見られたという。親が育てられない不幸な状況下で孤児が国にあふれ、子どもたちが孤児院などの隔離施設で育てられたことが原因らしい。隔離されて育てられた子どもの84%に常同行動が見られたという。からだを前後に揺らす、ベビーベッドの中で柵につかまって足踏みをしつづける、また4分の1の子どもに、自分の手をかんだり、頭を壁に打ちつけるなどの自傷行動も見られたそうだ。

グランディンによれば、動物が常同行動をとるのは、現在苦しんでいる場合に限らないという。現在は問題なくとも、過去に苦しんだ経験がある場合に出ることもあるらしい。常同行動の原因として、脳の発達との関係が考えられるという。動物に関していうと、成獣になって捕獲された動物は、常同行動が少ないらしい。幼獣のときから人に飼育された動物は、脳の発達に問題が出ることがあり、それが常同行動につながる。成獣で捕獲されたのち、飼育下に置かれた動物は、脳が発達する幼いとき、豊かな自然環境で暮らしていたため、行動に異変が見られにくいと推測されている。

となると、幼い頃に野生動物を捕獲することも、飼育下での繁殖も、動物の脳の発達という点においては問題があるのかもしれない。

グランディンはまた、放浪性のある動物と常同行動の関係について指摘している。動物園で常同行動の多いライオンやオオカミ、ホッキョクグマは、野生下では行動の範囲が広く、それが満たされないため行動に異変が起きるらしい。キツネの場合は縄張りがあり、それが狭いため問題が起きにくいという。オオカミは放浪性が高く、野生下では一カ所で数晩以上過ごすことはなく、家などほしくない。だから動物園がいかに広くともそれは家であり、そこに住まわされていることに変わりないそうだ。

ホッキョクグマの場合、野生では1日に10キロ近く移動し、何時間も泳ぐ性質がある。動物園では、そのような欲求を満たすため、起きている時間の8割近くを、8の字型に泳ぐ行動に費やしているクマもいるそうだ。

こうったことを解決するため、動物園では「脳の遊びシステム」を活用することが大事だとグランディンは言っている。たとえばアフリカヒョウのような捕食種の場合、「探索」の欲求を満足させるために、鳥の声を録音した音声装置を何カ所かに設置する。声に導かれてあちこちヒョウが探索し、そういった行動の中で餌が(落ちてくるなど)提供されると、ある程度の満足感を与えられるという。(ヒョウはライオンと比べると、もともと常同行動は少ないそうだ。その理由は、野生下でヒョウは活動範囲がライオンより狭いからだという。野生下のライオンは活動時間は短く寝ている時間が長いが、活動範囲ははるかに広く、また放浪性があり遠くまで行くという違いがあるそうだ) 

動物の行動を観察することが、環境が好ましいかどうかの判断の目安になる、とグランディンが述べていることは書いた。彼女によると優れたフィールド研究とは「観察科学」であるそうだ。野生下にいる動物を観察することが、動物を理解するときに大きな助けになることを例をあげて記していた。松沢哲郎博士(京都大学、霊長類学者)のフィールドでの調査により、チンパンジーがジャングルに生えている植物200種類を見分けていることがわかった、というのも一つの功績だという。チンパンジーは植物の生える場所、季節、用途などを熟知していたそうで、このようなことは研究室や動物園では発見できない。フィールドと研究室、両方での研究の重要さをグランディンは強調している。

グランディンはまた、アフリカなどの野生動物の保護について、現実的な指摘をしていた。その要点は、その地域、国の人にとって、野生動物の保護が経済的な価値につながることである。地元の人が野生動物を保護したくなるような状況をつくること。密猟や土地開発を防止するには、それ以上の経済的な価値が地元に生まれる必要があるという。単純に法律で狩猟を禁止したりすれば、逆効果となって動物を減らすことになる場合もあるようだ。1977年にケニアで野生動物の狩猟と牧場での営利的な飼育を禁止したところ、大型動物が6、7割数を減らすということが起きた。飼育を禁止された牧場は牧草地を維持できなくなり、そこを開墾して農地にしたという。それによって野生動物の生息地が奪われる結果になった。

グランディンは、野生動物の保護の目的で、地元に経済効果をもたらすものとしてエコツアーを提案している。またアフリカの大型動物の狩猟を売りにしたサファリツアー(現地費用だけで一人百万~数百万円かかる)についても、反対を唱えない。レイヨウやイボイノシシを狩るツアーは、大きなお金を地元に落とし、住民の生活を支えている。これにより私有地に住む動物が狩られて犠牲になるが、この程度の犠牲は、地主に自分の土地を野生動物の生息地にしようという意欲をもたらすなら必要かもしれない、とグランディン言っている。(アフリカのサファリーツアーについては、九州大学の安田章人博士によるカメルーンの現地調査で、現地にもたらされるものの実態が、言われているような理想とは違うことが報告されている。これについては回を改めて詳しく書きたい)

こういった考えは、普通イメージする動物保護の考えとは違うかもしれない。動物福祉と動物愛護、動物保護は、いつも一致するとは限らないことがわかる。その意味で、動物福祉の考え方は、現実主義であり、またある種の人間中心主義と言ってもいいのではないか。動物の肉を食べる人間、その人間に肉を供給し利益を得る畜産工場、つまり現実に存在する「生きている」ものを否定しない。ただし畜産工場では、食用になる動物たちの苦痛は減らさなければならない。少しでも快適に幸せに過ごさせ、恐怖や苦痛を最小限にとどめて飼育や屠殺を行なう。そのような課題を解決するのが動物福祉ということになる。ここでは人間が中心となって、すべての決定を下し、コントロールし、動物を支配下に置いてコトを動かしていく。

こういった現実的な問題解決法、現状の明らかな改善への手立てに対して、一面的な理想主義で反対するのは難しいことかもしれない。誰であれ、自分がしている生活習慣の中に悪の芽があるとは考えたくない。豚や牛を食べるのは悪なのか。ただ自分がしている日常生活をたんねんに見ていくことはあってもいい。たとえば豚肉を買うとき、安ければいいというのではなく、動物福祉の点で問題のない肉を買うようにするとか。配慮された畜産農場・工場から買う豚肉は、スーパーの安売りの肉より高いかもしれない。でも量を減らす、食べる回数を減らすことで、動物福祉にかなった肉を食べることはできるだろう。それは動物福祉およびその農場に賛同の意を示すことになる。

それほど非現実的なこととは思わない。確かに自分の生活を見直すのは大変だ。でも不可能ではない。メニューを考えるとき、今日はトンカツ、明日はステーキ、次の日はフライドチキンとしていたのを、親子丼や肉野菜炒めにして、肉をメインにしなければいいのだ。毎日の食事や料理のメニューというものが、動物の幸福に(はるか遠くのように感じられるかもしれないが)つながっている。こういうことを考え、実行できるのが人間の知性だと思う。新・人間中心主義というものがあるとすれば、このようなことを指すのかもしれない。

20180126

野生と飼育のはざまで(2)

注)前回同様、以下の記事は現時点での知見をもとに書きました。気づいた間違いや新たな発見、見解は、そのつど後の記事で更新していきたいと思っています。
———-

前回につづいて、野生動物と飼育動物が置かれている環境の違いや問題点、その未来について、さらにはそれに対する人間の見方について考えてみたいと思う。今回は三つの事例を上げて考察する。まず前回書いたことの訂正として、熊本サンクチュアリを取り上げたい。

実験室のチンパンジーを救う試み

前回、テネシーのサンクチュアリの紹介文のところで、「日本にはまだこういった施設はなく、存在自体があまり知られていない。」と書いた。しかし同様の施設は日本にもあった。京都大学野生動物研究センター熊本サンクチュアリである。ここはゾウではなく、チンパンジーの保護施設で、ウェブサイトには「熊本の宇土半島の突端近く、有明の穏やかな海に面したところに日本のチンパンジーの15%が暮らす場所がある。」と紹介されていた。またここをよく知る関係者の話では、チンパンジー以外に、ボノボも現在暮らしているそうだ。

2007年から運営され、以前は「チンパンジー・サンクチュアリ・宇土」の名だったが、2011年から現在の呼称になった。サンクチュアリのスタート当初には、約3.3ヘクタールの敷地に、医学感染実験につかわれていたチンパンジー78人が暮らしていたそうだ(2013年には59人)。因みにチンパンジーの数え方は、一般的には「匹」や「頭」がつかわれているようだが、ここでは人間と同じ「人」で呼ばれている。チンパンジーの研究で知られるイギリスの動物行動学者、ジェーン・グドールの著書(日本語訳)でも「人」がつかわれているのを見たことがある。チンパンジーは分類でいうと「ヒト科」に属している。

サンクチュアリのチンパンジーは、半数がアフリカから連れてこられ、残りはその子孫だという。日本がワシントン条約に批准する1980年以前は、合法的にチンパンジーの輸入が可能で、主として肝炎の感染実験に使用されていていたそうだ。ヒトとチンパンジーは遺伝的に非常に似ている(DNAの塩基配列で約1.23%の違い)ことから、感染実験の対象となったという。

このサンクチュアリの前身は、ある製薬会社の研究施設だったそうで、最も多いときで117人のチンパンジーがいたそうだ。1970年〜80年代、アフリカから輸入されたチンパンジーの小さな子どもたちは、健康なからだに肝炎ウィルスを接種され、気密性の保たれた小さなケージで飼育されたという。30年間という長い年月、そのようにして暮らした。1990年代後半になると、C型肝炎に加えて、遺伝子治療の研究やES細胞をつくる試みが検討され始めた。しかしこうした「侵襲度の高い」チンパンジーに与えるダメージが大きいと思われる実験に対して、反対の声があがった。反対の理由の一つには、チンパンジーが、ボノボやゴリラとともに絶滅危惧種の一つだったことがあるようだ。 

こういった流れの中で、チンパンジーが実験動物としてつかわれることはよくない、と考えた研究者、動物園関係者、自然保護活動家の有志がSAGA*という非営利組織をつくり、医学感染実験の停止とサンクチュアリづくりに乗り出した。その結果、2006年に国内での医学感染実験は全面停止となり、宇土にあった医学研究施設は、チンパンジーたちが余生を暮らすためのサンクチュアリに生まれ変わった。日本における大型類人猿に関するサンクチュアの思想は、京都大学の霊長類研究所に始まり、そのノウハウが熊本サンクチュアリに取り入れられたと聞く。

2012年5月、民間の医学研究施設から、3人のチンパンジーがサンクチュアリに移籍されたことで、かつて国内にいた136人の医学感染実験用チンパンジーがついにゼロになった、とサンクチュアリのサイトには記されていた。サンクチュアリにいるチンパンジーの中には、その後動物園に引き取られていく者もあり、また動物園からサンクチュアリにやってくる者もあるという。

チンパンジーをつかった感染実験の成果として、アメリカでC型肝炎ウィルスが発見されるなど、人間の健康への一定の貢献があったのは事実のようだ。しかし代わりに別の生き物が、その代償を払った。人間の「人間以外の動物」への見方が現在とは違った時代、そして動物の輸出入に制限がなかった時代が過去にあり、サンクチュアリはその時代の負の遺産を引き受ける活動をしてきたことになる。経緯など詳しいことはわからないが、実験の現場だったと思われる施設が、保護施設として再出発したことは衝撃であり、また適切な判断と実行が、「現状を変えることは可能だ」という希望をもたらしたことは、日本社会にとって大きいと思われる。

*SAGA(サガ/Support for African/Asian Great Apes)とは、CCCC(1986年にアメリカ・シカゴ科学院に結集した世界中のチンパンジー研究者がつくった「チンパンジーの自然保護と飼育のための委員会」)の精神を受け継いだ組織で、アフリカ・アジアに生きる大型類人猿を支援している。研究者だけでなく、一般の人々にも開かれた誰でも参加できる「集い」となっている。
SAGAのウェブサイト
https://www.saga-jp.org/ja/saga_exp.html

熊本サンクチュアリの詳細はこちら。
http://langint.pri.kyoto-u.ac.jp/ai/ja/k/070.html


動物園の広報活動

この1月に上野動物園(東京動物園協会)の友の会に入った。公益財団法人・東京動物園協会は、上野動物園を中心に、多摩動物公園、葛西臨海水族園、井の頭自然文化園の4園を委託運営する団体である。友の会に入った理由は、ここの機関誌である『どうぶつと動物園』を購読してみたかったから。年4回発行されるこの機関誌は、一般書店やamazon(マーケットプレイスを含む)では手に入らない。入手先はこの団体のみで、友の会の会員になって初めて読むことができる(動物園園内ではギフトショップで販売している)。

入会後とどいたのは『Animals and Zoos / Winter 2018』と副題のついた、A4判より少し小さな50ページ弱の美しい本だ。表紙は多摩動物公園のタイリクオオカミ。3頭のオオカミが顔を上に向けて遠吠えしている。野生のオオカミのようにも見えるショットだ。現在多摩動物公園には9頭のオオカミが暮らしているという。今年は戌年ということで、オオカミが表紙に選ばれたそうだ。 

本のつくりをまず見てみよう。特別変わったことをしているわけではないが、デザインや使用している紙など、感じよく作られていて好感がもてた。奥付を見て納得した。アートディレクションとデザインのところに、有山達也、アリヤマデザインストア(旧版の『クーネル』のデザインスタッフ)とあった。質の高い、適切なデザイナーを撰択しているところに、機関誌を大事にし、良いものしようとしていることが感じられた。発行所は東京動物園協会、編集委員長は上野動物園の園長、所在地は上野動物園内になっている。

さて中身の印象だが、これもバランスのとれた堅実なつくりで、編集方針もなるほどというものだった。記事は、施設内にいる動物のニュースを伝えるだけでなく、関係する野生動物や家畜動物にも触れられている。全体として、動物園は野生動物につながっている(あるいはその逆も)、という印象を生み出していた。科学的アプローチとしては、最近死んだ井の頭自然文化園のゾウの「はな子」の骨格標本製作後に得た、歯についての解説が写真入りで掲載されていた。それ以外にも、海外の動物園のニュースや動物に関する本のブックレビューなど、興味深い記事があった(読んでみたい本が何冊かあった)。

記事の中に、野生と水族館のウミガラスのレポートが一つずつあった。野生のウミガラスの方は、北海道の天売島における繁殖についてで、ペンギンに似た容姿のこの海鳥は、人口300人の島の観光資源の一つでもあるようだった。しかし近年、繁殖のためにやって来るウミガラスが減少し、環境省がかかわる保護増殖計画が進められているという。というのも、以前には近隣の他の島にもやって来たこの海鳥は、今では天売島のみとなり、この島でも50年前には8000羽来ていたものが現在は数十羽にまで減っているとか。絶滅危惧種にも指定されているそうだ。 

レポートでは保護増殖事業の取り組みの内容が、詳しく説明されていた。繁殖コロニーと呼ばれる崖のくぼみにある繁殖地(以前は島内に複数あったのが現在は1箇所のみ)に、ウミガラスを誘引して繁殖させるのが試みの一つである。具体的には、デコイ(ウミガラスの模型)による誘引、スピーカーをつかったウミガラスの鳴き声による誘引、捕食者対策とビデオによるモニタリングなど。捕食者というのはハシブトガラスやオオセグロカモメなどで、2011年からエアライフルによる捕獲をしているとのこと。しかしオオセグロカモメも天売島で繁殖する海鳥であるため、捕獲場所を限定し、こちらの海鳥の繁殖状況も同時にモニタリングしていると書かれていた。この記事の執筆者は、環境省の自然保護官の方だった。

一方水族館のウミガラスの方は、葛西臨海水族園における飼育について。この水族館では、ウミガラスの足の裏に魚の目のようなものができるという長年の課題をかかえていた。「趾瘤症(しりゅうしょう)」という病状で、飼育下では水中より陸地で過ごす時間が長いことがその原因と考えられた。飼育下では、たとえばゾウも床面の状態の違いから、野生のゾウには起こらない足や関節の病状をもつことが多い。

葛西臨海水族園では、ウミガラスが陸上とプールにいる時間や時間帯を調査し、餌のやり方に工夫を加えた。これまで主として陸上に置き餌していたのを、プール内に投げ餌する割り合いを増やすことで、水中にとどまる時間を増やそうとした。野生下では繁殖のとき以外、ほとんどの時間を海上で過ごすウミガラスの習性にならったのだ。モニタリングしたところ、この方法により、ウミガラスの水中で過ごす時間がかなり増えたという。ただし一定の効果は見られたものの、他にも問題があることが判明した。野生のウミガラスを観察したところ、繁殖地の地面は断崖絶壁の凹凸の激しいところで、水族館のような平坦なところを歩くことは、野生ではあまりないことがわかったのだ。飼育下の平坦な地面が趾瘤症を起こしている可能性があることから、水族館では今後のプランとして、施設の改修も視野に入れていくと書かれていた。

このように飼育下にいる生物の扱いについては、野生下の状況を参考にしたり、その環境に近づけることは重要なのだろう。その意味で、『どうぶつと動物園』で、両環境にいるウミガラスを並べて特集することには、大きな意味があると思われる。この記事は、葛西臨海水族園の飼育展示係の方によって書かれていた。

ところでこの機関誌の最後の方に英語ページが1ページあり、この号の目次の英語訳や、主要な記事の概要が英語で説明されていた。これも今の時代には大事なことかもしれないし、意味あるものだと感じた。葛西臨海水族園のウミガラスがbumblefoot(趾瘤症)の問題を抱えていること、その解決法として餌やりの方法を変えたことが、単刀直入に述べられているのが印象的だった。日本語の記事は圧倒的に文章量が多いこともあるが、もう少し柔らかな入りをしている。

このように見てきて、実際のところ、機関誌と動物園の実体がイコールかどうかはわからないが、動物園の思想を伝える手段として、このメディアが有効に働き、動物園の健全さを伝えることに貢献しているのは間違いない。


動物園のライオンと野生のシカをつなぐプロジェクト

前回のポストで紹介した科学コミュニケーターの大渕希郷さんが、大牟田市動物園で現在進行中の面白い試みを教えてくれた。「ヤクシカZOOプロジェクト」は、科学コミュニケーターの大渕さんと大牟田市動物園のライオン班の伴和幸さん、九州大学持続可能な社会のための決断科学センター、元ヤクニク屋の田川さんの4者からなるプロジェクトだ。

大牟田市動物園HPのブログ『サファリな連中』によると、ことの始まりは屋久島に生息するヤクシカと呼ばれる小型のシカが、固有植物の減少や農業被害を起こすため、駆除の対象になっていることにあったそう。ヤクシカの肉はおいしいそうだが、その流通、利用は一部に限られている。そこで大牟田市動物園のライオン班の伴さん(ブログの書き手)が、屋久島で唯一のシカの処理場であるヤクニク屋さんに、動物園のライオンやトラ用に骨をサンプルとして提供してもらえないかお願いした。

なぜ動物たちに骨のなのか。その理由として以下のような説明があった。

1. かじることで顎(あご)が鍛えられる。
2. かじることで歯がきれいになる。
3. 舐めとるなど、食べるための本来の行動を引き出す。
4. 時間をかけて食べることで充実した時間が増える。
5. 匂いなどの新しい刺激が加わる。

なるほどー。では動物園では普段どんなものをライオンたちは食べているのだろう。伴さんによると、食べやすいサイズに切られた馬肉などを食べているそうだ。それに加えて、ビタミンなど必要に応じて栄養的な配慮もされている。しかしこの方法の場合、獲物の皮をはいだり骨から肉を引き離したりすることがないため、用意された肉をあっという間に食べきってしまうという欠点があった。その対策として、食べ物を隠したり、食べにくくしたりと工夫はしていたそうだが、野生下でライオンが餌を得るためにしていることと比べると、簡単すぎて刺激もないという。

それで、ライオンたちのために安全で、加工されていない状態の肉はないかと探していたところ、屋久島で駆除されているヤクシカのことを知った。まずは骨のサンプルで試し、それが良好だったので、シカをまるごとを与えることに挑戦。屋久島のヤクニク屋さんのシカは、きちんと衛生管理されたものだが、さらに感染症のリスクを減らすため、頭と内臓は除いてしばらく冷凍しておいたそうだ。そして動物たちに、シカがまるごと、皮付き生のままで与えられることになった。 

さて大牟田市動物園にまるごとのヤクシカが届き、ライオンとトラに与えられた。その結果は? 最初は慣れないせいか、どちらも食べ始めるまでに時間がかかったようだが、翌日には骨まで含めてほぼ完食されていたとのこと。ライオン班の伴さんによると、自分で噛みちぎりながら食べると、顎や首などの筋肉が鍛えられ、また皮といっしょに食べる毛が、お腹の調子を整える面もあるそうだ。

ヤクシカが増えている(一部地域で生息密度が高くなっている)ということは今回初めて知った。またヤクシカの食害による森林生態系への影響(林野庁のHP)についても知らなかった(一般論としてシカの増加、森林被害については知っていた)。だからヤクシカの駆除そのものについては、今の時点で何か意見を言える立場にはない。ただ実際問題として、動物園のライオンたちのエンリッチメントとは関係なく、地域の状況、事情によって駆除されているシカがいること、そして殺されたシカたちが、飼育下にいる動物に与えられることで、その死が意味あるものになり得る、ということは充分理解できた。

「駆除された動物に罪はない。可能な限り活用できる方法を探して、動物園でできることは何か、考えていきたい」とライオン班の伴さんは言っている。伴さんの勤める大牟田市動物園は「動物福祉を伝える動物園」をコンセプトとするユニークな動物園で、動物福祉(動物を幸福にするために何ができるかを考え、それを実行すること)の考えをもとに、園全体で環境リッチメント(動物福祉の立場から、飼育動物の“幸福な暮らし”を実現するための具体的な方策)を進めているそうだ。大牟田市動物園は、2016年には市民ZOOネットワークより「エンリッチメント大賞」を受賞している。

大牟田市動物園HP サファリな連中
http://omutazoo.exblog.jp/28748932/
ライオンたちとシカの骨
http://omutazoo.exblog.jp/26914168/
ヤクシカZOOプロジェクト 第2弾!
http://omutazoo.exblog.jp/27374281/
ヤクシカZOOプロジェクト 第3弾!
http://omutazoo.exblog.jp/27833538/

最後に。
大牟田市動物園のライオンやトラは、飼育下にいても、まるのままの肉を食べる欲望や能力は消えていなかった。しかしそうであるなら、切った肉を与えられて食べている、という現状の意味は何か。それは本来いた場所に暮らしていないということ。葛西臨海公園のウミガラスが足の裏に魚の目状のものをつくっているのも、やはり飼育下という本来とは違う状態に置かれているからだ。すべての動物園や水族館ではないにしても、関係者が飼育している動物のために最善のことをしようと努力しているのはよく理解できる。しかしそうであっても、動物園や水族館という場で、人間の管理のもと動物を飼育していくことを心から納得するには、まだ知らなければならないこと、考えなければならないことが残っていると感じた。

取材協力
大渕希郷さん(フリーランス科学コミュニケーター)
http://www.sky.sannet.ne.jp/masato-oh/

20180323

野生と飼育のはざまで(5)


ここまでと同様、以下の記事は現時点での知見をもとに書きました。気づいた間違いや新たな発見、見解は、そのつど後の記事で更新していきたいと思っています。
———-

「獣害」と日本人の暮らし、自然環境

シカの増加による農作物の被害がひどい、生態系への悪影響が心配だ、森林景観が悪化している、という話はとてもよく耳にする。駆除して個体数を減らし、人間が管理することで、被害や影響をなくす解決法が盛んに言われているようだ。メディアから研究者、環境省や林野庁など、目にする情報のほとんどはその方向のものに見える。

わたしも最近まで、シカは「異常なほど」に増加しており、直接的に生活レベルで打撃を受けている農家などが、駆除をしてほしいと願うのは仕方のないことかな、と思ってきた。しかし一方で、シカの増加 → 対処的な駆除 → 問題解決、という思考法がいいものなのか、合っているのか、それ一辺倒でいいのか、多少の疑問はもっていた。いつかきちんと調べてみたいと思っていた。

そもそも何でシカは増えたのだろうか? そこには人間の直接的、間接的な関与はないのだろうか。駆除の前に(あるいは駆除しつつ)、そこをはっきりさせないと、本質的な解決にはならないのでは、というのが素人考えながらぼんやり感じていたことだ。なんとなく浮かんだのは、シカの生息環境の変化ではないか、ということ。シカの生息地の環境が変われば、生態も個体数も当然変わるだろう、と。

しかしこの話題を誰かとすれば、まず最初に出てくるのは大抵「捕食動物がいなくなったからでしょう」という指摘だ。オオカミが絶滅した、それでシカが増えたというわけだ。わかりやすい。確かにオオカミは絶滅しているので、関連性があるように見える。しかしこの説が、シカの増加の原因としてまったく当てはまらないことを、揚妻直樹さんという北海道大学(北方生物圏フィールド科学センター・和歌山研究林)の研究者の論文で発見した。

揚妻さんの論文『シカの異常増加を考える』によれば、オオカミが絶滅したのは、北海道で1890年ごろ、本州では1905年ごろだと言う。一方でオオカミが生存していた時期にも、シカはたくさん生息していたという事実があり、もしオオカミの生存とシカの個体数が関係あるのなら、絶滅後まもなくから、シカが爆発的に数を増やすことが想像される。シカは毎年子を生み、非常に繁殖力の高い動物だからだ。しかしシカが実際に数を増やしたのは(正確に言えば、一時極端に数を減らした時期を挟んで、それを回復させたのは)100年もたってからのことだ。つまりシカが「異常に増加している」と言われるようになった1990年代以降ということになる。

このことからオオカミの絶滅とシカの増加には相関関係がないことがわかる。「オオカミの絶滅とシカの増加」という事実を調べ、検証してみればわかる無関係性が、まことしやかに広く信じられてきたことには驚くばかりだ。それもこれだけ世の中で「シカ害」が問題視されている中で、なのだから。本当にこの問題を真剣に考えているのだろうか?という疑問が浮かんでくる。

面白いのは環境ジャーナリストの石弘之氏が、『野生動物の反乱』という記事の中で、オオカミ絶滅に関する揚妻説を取り入れながらも(おそらく同じ北海道大学にいた関係か)、米国のイエローストーン国立公園でのオオカミ再導入の例をあげ、「私もこの放獣に立ち会ったが、生態系を回復させたことは間違いない」と結論づけていることだ。あれれっ、オオカミの絶滅とシカの増加に関連性がないと認めつつ、その方法論を肯定するのか? 思考が噛み合ってないように思う。 

さて揚妻説の中で、さらに驚くべきことは、この問題の大前提である「シカが異常に増えている」という事実認識自体に疑問を投げかけていることだ。揚妻氏によると、確かに1990年代からシカの数が増えている箇所は全国レベルで多いが(減っていたり、絶滅に瀕している地域もある)、それはそれ以前の1970年代、1980年代と比べたときのことであり、明治時代にまで遡って比べれば、見え方はまったく違ってくるという。生態系を見ていくときは、10年、20年レベルではなく、100年以上の長いレンジで比べる必要があるそうだ。

その見方でいくと、明治初期のシカの数は、少なく見積もっても、現在とほぼ同じくらいと推定されるらしい。北海道、長野、紀伊山地、屋久島など地域によって、増減する年代のずれはあるものの、多かったものが一時的に激減し、その後回復したという経緯は同じだという。どの地域でも、1960年代ー1970年代には、シカは数を減らしていた。明治初期のシカの個体数を推定するために、揚妻氏は次のような方法をとったという。

1.シカに関する古い文献や記述から推測
2.民俗学的情報から推測
3.狩猟統計から推定

たとえば3については、1873年から1882年までの10年間の捕獲数の記録をもとに、この数が達成されるには、最低でも各年に何頭以上シカが生息していたかを推定したそうだ。その推定によれば、1873年当時、最低でも40~50万頭のシカが北海道に生息していたと見ることができるという。揚妻氏によれば、大雪やオオカミなどの捕食動物による死は計算に入れていないので、実際はもっと多かったはずとのこと。この数字は、2005年の北海道発表データである40~60万頭とほぼ同じであることを指摘していた。(江戸時代の獣害については、林野庁の鳥獣被害対策ガイドでも触れられている/この記事の最後に引用*1)

つまり「シカは最近数を爆発的に増やした」というより、1960年代から2、30年間、減らしていた数を、1990年代以降に劇的に回復させた、と受け取ったほうが見方として信ぴょう性が高いということだ。

「シカは最近、異常に数を増やしている」という見解が間違いであるとすれば、この問題を今後どう考えていったらいいのか。農作物への被害は現実のものだ。それはすぐにでも解決すべき問題だろう。しかし駆除さえしていればいいのか、という問題が一つ、またこの問題を根本的に考えるなら、もし元々シカは日本列島に数多く住んでいたのなら、昔はどうしていたのかを考えてみる必要があるだろう、というのがもう一つ。

前述の揚妻氏の調査では、駆除したからといって、シカが数を減らしつづけるものではないことがわかっているそうだ。シカ害の原因として「猟師の数が減った」という指摘があるそうだが、調査では猟師の数は確かに減っているが、シカの捕獲数は増えているという。一人当たりの捕獲量が増えているということだ。揚妻氏の考えでは、農地減少によって広葉樹林が発達するなどの理由で、食物生産性が高まれば、生息個体数の3割の駆除をかけても、翌年には回復されるという。しかし農林水産省の見解は依然「人間が駆除しない限り、シカは増えつづける」というもののようだ。

また揚妻氏は、シカの生息密度と植物への被害量は必ずしも比例しないと言っている。様々な要因で、密度が低くても、被害が大きいことはあるそうだ。

明治初期には今と同じくらいの数、シカが生息していたというのが本当なら、当時の人はどのようにして暮らしていたのだろう。当時の人もシカの害と戦っていた、というのが揚妻氏の考えだ。「鹿垣」が残っているのもその証拠だと言う。

しし‐がき【▽鹿垣/×猪垣】竹や枝つきの木で粗く編んだ垣。獣が田畑に侵入するのを防ぐためのもの。また、戦場で敵を防ぐのにも用いた。鹿砦(ろくさい)。鹿矢来。《季 秋》「―の門鎖し居る男かな/石鼎」(デジタル大辞泉) 
ししがき【鹿垣】  枝のついた木や竹で作った垣。田畑に鹿や猪などの侵入するのを防ぐもの。 [季] 秋。  砦とりでの周りに設けて防御用にした垣。鹿砦ろくさい。(大辞林) 
しし垣江戸時代に九州長崎や中国地方、近畿地方、瀬戸内地方の島々で多く作られた石塁、土塁がこのように呼ばれている。あたかも万里の長城のように土を焼いて作ったものを並べて築いたものもある。(ウィキペディア) 
長崎地方の池田町の三都半島のしし垣は全長約200メートルあり、最も高い所で1.6 メートル、幅(厚み?)は60センチメートルあり、現在もほぼ完全な形で残る。瀬戸内の小豆島には、万里の長城のミニ版ともいうべき延長120キロに及ぶ土塁と石垣の鹿猪垣(ししがき)がある。(同)

広島県呉市安浦町には、中国地方でも最大級とされる全長約6.5キロの鹿垣の遺構が、山あいに点在しているという。1812年ごろ、村人総出で鹿垣工事が行なわれていたという記事もあった。(シシ垣ネットワーク)

鹿垣というのは初めて知ったが、つくられたものの規模の大きさ、村人総出での大規模工事だったことなどから考えて、当時の農被害は相当なものだったのかもしれない。

いずれにしても、明治時代、シカは数が多く、多大な農被害を起こしていたのではないか。そして当時の人々は、鹿垣を張り巡らせることで戦っていた。その後、何らかの理由でシカは数を減らし、1990年代になって何らかの理由で数が回復して、元に戻ったのだ。つまり「異常なほどに増えた」のではなく、昔の数に「戻った」ということ。これが揚妻氏の推測であり、わたしも認めたいと思う。このシカの数の増減に関する何らかの理由、についてはあとでまた書く。

ここで思うのは、昔の人々が、シカに苦しめられながらも、鹿垣で抵抗していたのはどうしてか、ということ。駆除では防ぎきれない、という理由もあったかもしれない。しかし、(これはわたしの推測に過ぎないが)昔の人は、人と野生動物が共存して暮らしいることを(たとえ被害を受けても)仕方のないこと、動物も生きているのだから当然と受け止めていたのではないか。今の人間は、口では自然環境の大切さや、人間以外の生きものとの共生と言うが、被害が人間に及び、利害関係がはっきりしたときの許容範囲は、昔より狭くなっているのかもしれない。

Prevent conflicts with deer(シカとの対立を防ぐには)」という記事を、MassWildlife(マサチューセッツ州のエネルギーや環境問題を扱う部署)のサイトで読んだ。リード文には「住民がシカによる作物や景観の被害を減らし、またシカとの衝突事故をなくすためのヒント」とあった。まず最初に、「作物や植物の害が、シカによるものかどうかをよく確認すること」とあり、シカは上あご切歯がないので、枝の折られ方はギザギザで、ウサギやウッドチャックがかじったときのように滑らかできれいな切り口にならない、とあった。こういうことを最初に書くのは、知識を提供するためでもあるが、態度として思い込みを排し、原因についてまず正しい判断をせよ、ということを伝えているように見えた。

そのあとに「フェンスをする」「脅し戦術」「寄せつけないための工夫」とつづく。フェンスについては長期に及んで効果の高い方法、と書かれていた。脅し戦術というのは、音や光、放水などで追い払う方法。センサー付きスプリンクラーがより効果的とあった。寄せつけないためには撃退用スプレーや人間や動物の毛、尿などを直接植物に撒くこと方法があげられ、ある程度効果はあるが絶対的なものではないと書かれていた。

その次に「運転時の注意」という項目があり、この地域のシカ(オジロジカ)の生態特性が説明され、出没する季節や時間には、特に注意が必要であると書かれていた。その次には「子どものシカを見つけたら」という項目があり、子鹿の生態が説明され、そのまま放置するよう書かれていた。そして次にくるのが「ハンティング」だ。この州に住むオジロジカは大切な野生動物でもあるので、決められた猟の季節(秋と冬)と管理法が設定されている、とあった。規則に沿った安全なハンティングは、シカの数を減らし、被害を小さくする有効な手段であるとし、狩りの趣味をもたない土地の所有者は、猟の季節にハンターが、自分の土地で狩りをすることを許可するよう勧めていた。

このMassWildlifeの記事から読み取れることは何か。野生動物の生態をまず知り、それに合った防御法を見つけ、また猟の季節に狩りをして数を減らすことも方法の一つとし、しかし同時にシカを守ることも視野に入れている。つまり人間とシカは共存して生きている、という前提があるように感じた。シカの害を被ることは苦しい、しかしシカも同じ生きものだ、生きる権利はある、だからある程度の被害は受け入れるしかなく、それが同じ地球に生存しているということだ、といったような。駆除、駆除、駆除、、、、の一点張りではない。「害を及ぼすものは排除する」という思想とは違うものを感じた。またハンティングという欧米の文化の意味も、少しわかった気がした。

さて最後に、1960年代、70年代に起きたシカの激減の理由について、揚妻氏の推測を紹介する。揚妻氏によると、第二次大戦の影響下で物資がなくなり、人々が森に行って木や植物を大量に採取したことで、1930年代末から丘陵地帯が変化し、質的に低下していったことがあるという。また森林の伐採面積が急激に増えたことで、1950年代から1970年代にかけて、広葉樹より成長の早い針葉樹の植林が増え(木材利用できるまでに針葉樹は40~60年、広葉樹は150~200年かかる)、森林面積の4割以上をしめるようになった。それにより野生動物の生息地としての質が落ちてしまい、この時期、中・大型の動物が減少した、としている。

そもそも江戸時代から明治にかけての日本の里山は、現在のような緑におおわれた場所でなく、ハゲ山状態のやせた土地が広がっていたという。貧しい生活の中で、人々は山から薪、炭材を採集し、落ち葉や草を集めて家畜の肥料にしていた。そのような環境では野生動物は暮らしていけず、人の住むところまで出てくることがなかった。その後、化学燃料や化学肥料が一般的になり、人間による森の利用が減ったことで、森林の生産性が高まり、野生動物が暮らせる環境に変化した。昔ハゲ山だったところも、徐々に広葉樹林が回復して緑におおわれ、動物にとって住みやすい条件が整っていった。それにより野生動物が里山まで降りてくるようにもなった。これが揚妻氏の推論だ。

つまり、人間が良きものと考える「緑におおわれた豊かな里山」というものが、野生動物にとっても生産性の高い土地となり、やって来る価値のある場所となる。昔のようにハゲ山状態で土地がやせていれば、動物も来ることがないのだ。そうだとすれば、緑豊かな里山の景観が理想であっても、獣害を防ぐには里山をハゲ山状態に保つことが一つの解決策になり得る。

緑豊かな生産性の高い場所は、人間にとっても野生動物にとっても、生きやすいということであれば、そこで共存するしかない。動物による被害を受けたくない、ということであれば、奥山から動物が出てこないよう、緩衝地帯である里山をやせた土地にしておく。そういう環境設定、環境管理の仕方が必要なのかもしれない。考え方としてあると思うし、揚妻氏によれば、これまで農地の環境管理については検討すらされてこなかったという。

「シカの異常増加」は生態系を壊している、と一般に言われているようだ。人間が想定する「健全な自然」から外れてくるというわけだ。しかし健全な自然、あるいは正常な生態系とは何を指すのだろう。人間にとって心地いい自然を確保するために、手を入れ管理して、「自然」を人間の手でつくりあげる? 生態系とはそういうものなのか。そういう観点から考えると、野生動物を「駆除する」ことは、農被害の対策としてはあり得るだろうが、「自然生態系の保全」には馴染まない考え方だ、と揚妻氏は言う。わたしもその通りだだと思う。


引用*1:江戸時代以前から、野生鳥獣による農業被害は食糧生産上の重要な課題となっていたので、駆除としての狩猟は早くから行われていました。五代将軍綱吉による生類憐みの令の時代ですら、野生鳥獣の狩猟は普通に実施されていました。(森林における鳥獣被害対策のための-森林管理技術者のためのシカ対策の手引きガイド - 平成24年3月版より)

上記でリンク付けしたもの以外の参考文献:
日本列島の野生生物と人 池谷和信編 世界思想社 2010年
生物科学 2013年11月号 農文協



20180406

画像引用について考えてみた

葉っぱの坑夫を始めて以来、著作権について考えることはよくある。まずはテキストだが、翻訳する場合、本でもサイトの文章でも元テキストの著作権者を調べなければならない。どんなに面白いものでも、そこがはっきりしない限り、翻訳に手をつけるわけにはいかない。 

パブリックドメインになっている著作(著作権の切れたもの、もしくは放棄されたもの)は、そのまま翻訳できる。著作権が生きているものは、著者か権利者に、翻訳・出版の許可を得る。そういったケースでは、最初から代理店やエージェントに問い合わせるのではなく、まずは著者をネットなどで探して、メールであいさつや著作の感想、こちらの気持ちを伝えることが多かった。著者にまず自分の気持ちや翻訳の意味を伝えたかったし、できれば直接交渉で進めたかったからだ。しかし海外の作家の場合、半分くらいは、エージェントを最終的に通すことの方が多かったように思う。

ときに著者サイドの希望で、海外の代理店と関係をもつ日本の代理店を通すこともあった。日本の代理店もおおむね親切に対応してくれるが、そういうところは、大手出版社との付き合い方が主なので、こちらが著者に支払う際の送金手数料などの経費をなんとか安くしようとするやり方には、戸惑いもあったとようだ。コストを下げるため、任せてもらえる部分はこちらでやらせてもったりもしていた。

海外のエージェントは、小出版社や非営利出版に対して、それなりの理解があったように思う。いろいろ細かく相談しながら進め、費用のかからない方法をとることを承認してくれたりもした。作家の方にも理解があったように思う。とはいえ、エージェントも作家もそれぞれで、対応の仕方、され方は一つ一つ違う。案外、著名な作家の方が、小さな儲からない出版への理解があったりするものだ。エージェントの考え方次第で、厳しく要求してくるところもあり、しかしそれが有名作家や人気作家であるとは限らない。そういう場合、話はそこで終わってしまうことが多い。

ここまで書いてきたのは、著作権者の承認を得ての再利用の話だが、作品の一部を借りてくる「引用」について、今回は考えてみたい。ここでいう引用とは、著作者の許可なく使用することを指す。

このブログでも、テキストの引用はたくさんしてきた。基本的な理解としては、引用部分が自分の書いている地のテキストと比べて、量的に少ないこと、出典を明らかにすること、引用箇所を地の文と区別して表示すること、などがあった。引用の量とは、主従関係において「引用」部分が従であることを意味する。どれくらいの割合になっているか、自分のこれまでのブログで確かめてみよう。

2018年3月9日の『野生と飼育のはざまで(4)』の<スポーツハンティングが野生動物を救う?>では、全体の文章が7273文字、テンプル・グランディンの著書から引いた部分が161文字、小林聡史教授の論文からの引用が188文字、日本自然保護協会サイトからの引用が146文字となっていた。どれも200文字足らずなので、おおよそ36から40分の1くらいの割合だろうか。

もう一つ、引用の多い記事を調べてみると、『文章の質について考えてみた』(2017年12月1日)は全体の文章量が6404文字、『李朝滅亡』という書籍からの引用が167文字、238文字と二ヵ所あった(全体の16分の1)。また『「反日思想」歴史の真実』という本からは、180文字分引用があった。その他ウィキペディアからの引用が数カ所あったが、こちらはクリエイティブ・コモンズのところで、別途書くことにする。

テキストの引用のルールとしては、はっきりした決まりはないものの、おおよそ10〜15%以内にとどめることになっているようだ。これまで文字数を数えながら引用をしたことはなく、だいたいの感覚で判断してきた。15%というのは、自覚としても、かなり割合的に多いと感じられる量ではないだろうか。

さてでは画像の引用はどうなのか。これまで画像について「引用」を適用したことはないと思う。テキストに比べて、引用という概念が湧きにくいことが一つにある。しかし調べてみると、基本の考え方は同じであるようだ。それは音源についても同様だと思う。

画像の引用は、感覚的にいうと、してはいけないこと、できないこと、という受けとめ方が多いかもしれない。わたし自身もそう思ってきた。しかしよく考えてみれば、テキストならいいが、絵や写真はだめ、という法律は理論上つくりにくいかもしれない。著作権は創作物に対してかかるという意味で、文章も絵も写真も音楽も同じだからだ。

では画像を著者の許可なく引用したいという場合、どのような条件をクリアしたらいいのだろうか。ここまでに調べたところでは、以下のことが判明した。(これはテキストや音源にも当てはまる)

・一般に公開された著作物である
・引用を行なう「必然性」がある(報道、批評、研究での利用など)
・オリジナルの文章(創作物)が「主」で、引用部分は「従」である
・引用部分は、ハッキリと他の部分と区別されている(引用マークなど)
・引用部分を勝手に改変していない
・出典元が明記されている

引用とは、公表されている著作物を他の者が利用できるよう、「著作権に制限をかける」ということのようだ。何もかも利用はだめ、というのではなく、一定の条件を満たしていれば、その範囲内の使用は認められるということだ。

引用を行なう必然性ということに関して、テキストの場合は関係のない文章を引用することはまずないと思われるが、画像の場合は少し事情が違うかもしれない。引用先の記事や著作物と引用元の画像の関係性に、「必然性」が求められるとき、たとえばイメージ画像としての利用は難しい、という判断になるかもしれない。

たとえば『被災地である◯◯町の現在』という文章で、その◯◯町の被災現場の写真を1枚引用させてもらうのは、一定の必然性が認められるのではないか。しかし『この春はのんびり温泉旅行』という休暇の提案に関する文章で、どこかの温泉地の風景を撮った写真を引用させてもらうのは、難しいかもしれない。必然性という意味で、その写真でなければならないという特定性がないからだ。文章と写真の関係が薄く、直接的ではない。こういったイメージとしての写真というのは、必然性が低いと判断されるかもしれない。

以前に一度書いたことがあるが、画像直リンクという手法が日本で問題になった。観光案内サイトで、メインに使われているイメージ画像が直リンクによるものだった場合、著作権を侵している可能性があるかもしれない、というものだ。以下は過去のブログからの引用(2017.07.14『引用・コピペ・再編集文化』)
ネットの観光地案内のサイトなどでは、他サイトから直リンクで画像を「引用」している場合があるようだ。直リンクとは、画像のURLをコピーして、自サイトのコードにそのURLを貼り付けて画像を表示させる方法のこと。画像にコピーガードのかかっていないサイトに行き、画像をポイントして右クリック(またはコマンド+クリック)すると、「画像アドレスをコピー」という項目が出てくる。それを自サイトのコードにペーストする。すると著作権者の許可なく、目的の画像を使用できる。 
これが違法かどうか微妙なのは、他者の画像をダウンロードして自分のサーバーにもってきているわけではなく、画像はそのまま相手のサーバーに置いたまま、画像アドレスを使うことで「引用」しているからだ。だから盗用の範ちゅうには入らない、という考え方が成り立つ。画像は「盗んでいる」わけではない、というわけだ。 
しかしわたしはこの考え方に疑問をもつ。YouTubeやツイッター、インスタグラムなどは、著作権者が投稿する時点で、というよりそのサービスに登録してIDを得た時点で、おそらく作品の利用権を投稿先に許可しているはず。だからシステム内外での引用が許されており、拡散が行われる。しかし一般のサイトでは、サイト保有者または著作権者と、画像直リンク利用者の間には関係が成り立っていない。あるのは直リンクという技術だけだ。よって許可なく直リンクで画像を引いてくれば、無断転載と同じような結果になる。少なくとも、著作権者にはそう見えるだろう。これは心理的に理解のできることだ。

これを書いていた当時、画像の引用というものがあり得るかどうかについては、考えが及んでいなかった。直リンクの場合も結局のところ、方法論ではなく、法律で示唆されている引用の範囲に収まるかどうか、が問題になるのではないか、と今は思う。

同じ写真でも、人の顔が写っている場合は、また別の点で気をつけなければならないだろう。写真を撮った人の著作権ではなく、被写体の人の「肖像権」が侵されていないかが問題になるかもしれない。「肖像権」で調べてみたところ、そのものは法律で規定されていることはないものの、「人格権」の一部として判例があるようだ。もう一つ「パブリシティ権」というものがあり、有名人などの肖像や名前から生じる経済的な利益を指すという。どちらの場合も、被写体の人の利益を損なった場合(写真を使っての名誉毀損や、顧客を呼び寄せるために肖像を引用するなど)、問題が起きる要因となるのではないかと思われる。

今回なぜ画像の引用について調べてみようと思ったかについて、少し書いておきたい。この7月から、20世紀に活躍したアメリカの現代音楽作曲家のインタビューのプロジェクトをスタートさせる。オリジナルはアメリカのブロードキャスターが、主として1980年代、1990年代にラジオで放送したインタビューを、のちに文字化してサイトで公開したものである。葉っぱの坑夫のプロジェクトでは、膨大な音楽家たち(作曲家だけでなく、ピアニストや歌手、指揮者など)のインタビューの中から、アメリカの20世紀の作曲家を何人か選んで、日本語に翻訳する。

テキストに関しては、ブロードキャスター本人に連絡をとり、企画への賛同と翻訳の許可を得ている。しかしインタビューのページで使用されている写真については、彼が権利をもっているわけではない。いくつかの写真については、インタビューの際に、音楽家自身から借りたもののように見えるものもあった。しかしそれ以外のところから「引いてきた」ものもあるようだった。インタビューのサイトには以下のような断り書きがあった。
多くの写真はあちこちのサイトで見つけたものですが、もしこのサイトで掲載するべきではないということであれば、わたしに知らせてください。すぐに削除します。あるいはクレジットをつけてほしいということであれば、お知らせいただければ付けます。(日本語訳)
インタビューした本人が、必ずしも音楽家の写真をもっていないのは、放送があったのはかなり前のことで、文章化したのはそれからだいぶ時が経ってからのことだからだろう。当時すでに晩年期を迎えていた音楽家の中には、サイトに載せる時点ですでに亡くなっている人もいる。

わたしがこの断り書きを読んで感じたのは、このような対処法があるのだな、ということ。撮影者の著作権に触れることはあるかもしれないが、被写体本人とかなり長いインタビューを過去にした者が、それを文字化して(商業ではない)自サイトに載せるとき、写真を使用することは自然なことに見える。写真はかなり古いもの(若い頃のもの)も多く、30年前、50年前と撮影者を追跡するのは難しいことかもしれない。スナップ写真のようなものは、撮影者を特定すること自体が困難ということもあるだろう。

インタビュー記事でインタビュイーの写真がないケースの方が、例として少ないかもしれない。顔写真があった方が、読む方もより楽しいし、顔だちや表情からパーソナリティを理解することもできる。このインタビュー記事の被撮影者である音楽家は、(すでにどこかで公開されている)写真を、ここで使われることに不満はないのではないか。とすると、写真の利用によって起きる侵害や不幸、損害は最小限と見積もることができる。

(オリジナルのサイトにはないものだが)葉っぱの坑夫の日本語バージョンでは、インタビュー記事に、音源のサンプルも付けようと思っている。それはアメリカに限らずだが、現代音楽の作曲家の作品というのは、一般にほとんど知られていないから。あまり聴かれることがない。いったいどんな音楽なのかさえ、読者は想像すらできないかもしれない。インタビューのページでは、ぜひ音源のサンプルを使って、作曲家たちの音楽も紹介したいと思った。

音源についても、引用の規定は他の著作物とほぼ同じと思われる。その作曲家の特徴をよく表していると思われる楽曲を、あるいは今聴いて興味を引きそうな作品をみつけ、音源のあるサイトへのリンクや、YouTube、あるいはその楽曲を購入した上で、一定時間分のサンプル音源をつくるなどして紹介しようと思っている。

最後にウィキペディアとクリエイティブ・コモンズについて。まずウィキペディアに掲載されている記事は、どのような扱いが許されているのか。「Wikipedia:著作権」によれば、
ウィキペディアのコンテンツは、他の人々に対して同様の自由を認め、ウィキペディアがそのソースであることを知らせる限りにおいて、複製、改変、再配布することができます。それゆえにウィキペディアの記事は、永遠にフリーであり続けるでしょう。
ここに書かれている「他の人々に対して同様の自由を認め」というのは、自分が利用した文書や画像を(さらには改変した場合はそれも含め)、他の人が同様に、自由に利用することを指している。つまり独占的に利用することはできない、という意味だ。さらに二次利用については次のような説明があった。

ウィキペディアは「フリー百科事典」ということを掲げており、掲載している文章や画像等は、各種表示等を条件に自由に二次利用することができます(無断転載など)。この文書は、ウィキペディア上の素材を、ウィキペディア以外の場所で二次利用されることをお考えの皆様に対し、その二次利用方法についての解説を提供することを目的としています。
「他の人々に対しても同様の自由を認め」という考え方は、クリエイティブ・コモンズの考えとしても、古くから知られている。自分がありがたく二次利用するのなら、他の人が、自分の著作物の中のその部分を使うことも許さねばならない、ということだ。クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(CCライセンス)とは、「インターネット時代のための新しい著作権ルールで、作品を公開する作者が<この条件を守れば私の作品を自由に使って構いません。>という意思表示をするためのツールです。」としている。

現在の著作権法の多くの部分は、インターネット時代以前に定められたものだ。インターネットの普及によって著作権の考え方は大きく変化している。傾向としては、「著作権の制限」の方向へ動いているのではないか。また「シェア」や「共有」という考え方が、「所有」や「独占(排他的権利)」より一般的に受け入れられいてきているように思う。YouTubeやインスタグラム、ツイッターなどは、「著作権の制限」や共有の思想のもと広まったものだ。

自己の利益のためでなく、世の中を豊かに、楽しくするための共有という思想と、他者の権利を侵害したり、傷つけたりしない方法での引用は、近いところにあるのかもしれない。著作権について「侵害したら大変なことになる」という恐怖の側面からだけ見るのではなく、倫理的に正しいやり方を考え、議論しあい、著作物をリサイクル(再循環、資源再生)して有効利用していくことは、未来に向けて大切なことかもしれない。