野生と飼育のはざまで(4)
注)2月9日の『野生と飼育のはざまで(3)』のつづきです。ここまでと同様、以下の記事は現時点での知見をもとに書きました。気づいた間違いや新たな発見、見解は、そのつど後の記事で更新していきたいと思っています。
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スポーツハンティングが野生動物を救う?
前回、自閉症である自分の特質を生かして、動物の行動の原因を探究した動物学者、テンプル・グランディンの研究や考えを紹介した。その中で野生動物保護について、アフリカの大型動物の狩猟を売りにした「サファリツアー」を、一つの解決策として認めている部分があった。グランディンの著書では「サファリツアー」の言葉がつかわれていた(日本語訳/原著をGoogle Booksで”safari tour”で検索したが出てこなかった)が、適切な言葉は「スポーツハンティング」あるいは「トロフィーハンティング」と呼ばれているものだ。単にサファリツアーと言った場合は、狩猟をしない鑑賞ツアーも含まれるからだ。
グランディンの主張は、「レイヨウやイボイノシシを狩るツアーは、大きなお金を地元に落とし、住民の生活を支えている。これにより私有地に住む動物が狩られて犠牲になるが、この程度の犠牲は、地主に自分の土地を野生動物の生息地にしようという意欲をもたらすなら必要かもしれない」といったものだった(「私有地」については後述する)。つまり国による適正な管理があり、野生動物の数が維持できるのなら、こういったハンティングは非常に大きなお金を地元に落として地元を潤わせるので、結果として住民に野生動物を保護しようという気を起こさせ、適切な解決策になるということだ。
これをグランディンの本(『動物が幸せを感じるとき:新しい動物行動学でわかるアニマル・マインド』)で読んだときは、なるほど、こういう考えもあるのかと思った。正に功利主義の実践といったところか。グランディンがこのように考えるようになった要因として、1977年のケニアにおける狩猟全面禁止政策があったようだ。グランディンは著書の中で次のように書いている。
ケニアの環境保護論者マイク・ノートン=グリフィスによると、ケニアでは、1977年以降、国立公園以外の地域で大型の野生動物が6割から7割、いなくなった。77年といえば、野生動物の狩猟や農場での営利目的の飼育を禁止する法律がケニアで制定された年だ。これは偶然の一致ではない。この法律のせいで動物が姿を消し、事態が悪化したのだ。
グランディンの考えによると、野生動物の飼育が禁止されたことにより、牧草地を維持する費用がまかなえなくなった牧場主が、放牧地を農地に変えた。つまり保護目的の法律が、実際には正反対のことを促した、というわけだ。これを読んだときには、そういうこともあるのかと納得した。
今回これを書くにあたって、1977年以降、ケニアの野生動物がどれくらい減ったのか、調べてみようとした。その中にあった釧路公立大学の小林聡史教授の『ケニアにおける野生動物による被害の現状』 には次のように書かれていた。
セレンゲティ国立公園における個体数センサス*の記録がある. それによるとヌ ーの個体数は1971年に約70万頭だったのが ,1977 年には140万頭にまで増え,1986年にはやや減少 して114万頭と推定されている。一方,サバンナシマウマの個体数はほぼ安定していて20万頭前後, トムソンガゼルは1972年に約70万頭,1986年には 約57万3,000頭と推定されている。(*センサス=実態調査)
これを読むかぎり、グランディンの参照する「大型の野生動物が6割から7割いなくなった」という数値は当てはまらない。「国立公園以外の地域で」とグランディンは書いているので、外と中では事情がまったく違うのだろうか。ちなみに小林聡史教授の調査はケニアの国立公園・保護区の内外に及んでおり、「メルー県におけるゾウによる耕作地への侵入」と題された調査マップでは、国立公園の外の地点が示されていた。
もう一つの資料として、日本自然保護協会『自然保護』(1985年)のサイトの記述をあげたい。
1982年、IUCN(国際自然保護連合)の報告ではアフリカ全土に120万弱のアフリカゾウが生息、うちケニアには6万5000頭となっている。これだけいれば十分と思われるかも知れないが、1969年にケニアにゾウは16万9000頭いたと推定されている。14年間に61.5%が失われたことになるのだ。(『ケニアの野生動物 鳴りやまぬ赤信号』より)
この数値では、確かにゾウが1982年にはかなりの数、減っていることがわかる。前述のヌーやサバンナシマウマの調査と、このゾウの調査では結果がかなり違う。どちらも大型動物だが、種によって違いが出るのか、それとも調査地域による差なのか。グランディンの記述では「大型の野生動物」としか書かれていないので、そのあたりがわからない。
いずれにしてもグランディンは、ケニアでの野生動物の減少と野生保護政策(法律)を結びつけ、因果関係があると言っている。そしてこういった数を減らしてしまうような保護政策ではなく、もっと実質的に効果のある野生動物保護が必要だと訴えているのだ。その理論の延長線上に、経済効果をもたらす、スポーツハンティングによる解決策があげられている。
ところでわたしは、グランディンの著書を読んだのちに、アフリカ地域研究が専門の安田章人氏のSynodosへの寄稿を読んだ。そしてスポーツハンティングによる野生動物保護の論理に疑問をもった。安田氏は、カメルーンをはじめ、アフリカを中心とする狩猟現場において10年を超えるフィールドワークを行ない、人と野生動物の共存について研究している人である。
シノドス:2018.02.08 Thu
安田氏の寄稿を読んだあと、グランディンの主張の中でまず気になったのは、「大きなお金を地元に落とし、住民の生活を支えている」といった中で使われている「地元」や「住民」といった言葉が指す対象だった。「地元」には狩猟区のある国の政府やそこでハンティングを営む観光業者(または土地所有者/地元エリート層)が含まれるだろう。「住民」の方は、安田氏の調査によると2種類あって、狩猟区周辺に住んでいる経済的利益を受けにくい村民と、スポーツハンティングのためにキャンプに雇用され、恩恵を受けている村民があるという。キャンプに雇用された人々は働く機会を得たことで、農業などで得られる収入よりずっと大きな金銭を手にできる。しかしこの雇用も、動物のトラッカーや料理人、整備工のような要職に就いている一部の者(高額な賃金)と、ポーターや洗濯、掃除などをする雑用係(低額の賃金)に分かれ、料理人、整備工などは地元ではなく、都市部からやって来た教育を受けた者であるという。
地元への恩恵という意味では、確かに、ハンティングにかかる税金の一部が、地元住民に還元されるようにはなったようだ。これは一つの前進と言っていい。カメルーンでは、狩猟区の借地代(観光業者が国に払っている借地料)の10%を周辺の村落へに分配することが法律で決まり(1994年)、遅れて2000年以降に実施されるようになった。しかしそれが地域内で平等に分配されているわけではないという。カメルーンのある村では、ラミド(王)を長とする伝統的な権力構造があり、それがヨーロッパからの観光業者と結びついて、有力者が分配利益を享受してしまうことがあるらしい。
このように地元、あるいは住民への利益還元と言った場合、それが行なわれていても、必ずしも平等にみんながそれを享受できているわけではないようだ。地元の権力者が、外からやって来た観光業者(昔は植民者)と協力してものごとを決めたり、利益をわけあう構造は、ハンティングに限らずアフリカでは昔から見られたことだと思う。
二つ目に気になったことは、グランディンの言う「地主」や「牧場主」のプロフィールだ。彼女が例としてあげてるケニアなどの東アフリカでは、ハンティングはゲームランチ(game ranch)と呼ばれる私有地で行なわれている。私有地の持ち主は、植民地時代の19世紀にやって来たヨーロッパからの移民にルーツをもつ人々だという。彼女の本を読んでいるかぎり、彼らもアフリカの地元民の一部のように受け取れたが、その人たちと被植民者だった元々この地に住んでいた原住民とは、分けて考えた方がいいのではないかと思った。
これは安田氏が調査区としていたカメルーンや南アフリカでも同じだが、これらの地域では、土地は基本的に国が所有していて、ヨーロッパからの観光業者や、南アフリカであればアフリカーンスのようなオランダ系植民者の末裔たちが、ハンティング用狩猟区として国から借りて観光業を営んでいる。昔の帝国主義に倣ったような、ヨーロッパの事業者や旧植民者による地元民への支配、という構造がベースにあるように感じられた。
グランディンの言う、ハンティングにより大きなお金が地元に落ち、住民が潤い、結果その資源となる野生動物の保護に地元が積極的になる、という論理は理にかなっているように見えて、実際のところ地元とは何を指すのか、住民とは誰なのか、を見ていくとき、必ずしも理想的とは言えない状態に思えてくる。
狩猟区周辺(あるいは狩猟区内)に居住する村人には、狩猟に関して制限がかかっているという。たとえば食料として、あるいは生業として狩りをするにも、昔ながらの植物資源による猟具による、小さな動物を獲ることしか許可されていない。ハンティングのための狩猟区を「保護する」という理由なのか。もし住民がハンターと同じように大型動物を狩猟したい場合は、狩猟ライセンスを取得し、獲った動物に対して狩猟税を納めなければならない。しかしこれらのライセンスや狩猟税は、裕福な海外からのハンター対象に設定されているため、貧しい地元民に支払えるような金額ではないという。つまり地元民は、実質的に、自分たちの住む地域の自然へのアクセスが大きく制限されている。
安田氏はSynodosの寄稿の中で「土地を所有あるいは賃借している観光事業者は、狩猟に限らず、トロフィー・ハンティングの妨げとなる農耕や牧畜も禁止しているため、地域住民による自然資源に対するアクセス権のすべてが剥奪されている」と述べていた。このような状況の中では、地元民による「密猟」が起きても不思議はないように思えてくる。
野生動物の数を減らさないため、ヨーロッパからの(あるいは植民者末裔の)事業者、牧場主にハンティングのための狩猟区を与え、海外からの観光客を呼びこんで狩猟をさせ、地元にお金を落として経済的に潤う、それが野生動物の保護につながる。この一見win-winなシナリオの中で、抜け落ちているのが、ハンティングに関わらない(雇用されない)一般住民たちではないか。ときに元々住んでいた居住地から、狩猟区確保のため、村民が強制移住させられることもあるという。
安田氏によると、こういった不利益に地元民がなかなか抵抗できないのは、一つには村の伝統的な権力構造(王政のような)があるためだという。近代化が進んでいないから、と言えるだろうが、そのような土地では、植民的なシステムは一般に機能しやすい。
狩猟区を管理・運営する政府や観光業者の主張によれば、一般地元民は、野生動物についての知識がなく、持続可能な狩猟をすることができない、という。また「地域住民は、われわれに雇用されているのに、密猟をおこなっている」と批難する。一方、住民の方は、「自分たちが食べる分だけでよいから狩猟させてほしい」と主張する。
安田氏は、「計画的に野生動物を利用するスポーツハンティングとそれにかかわる保全政策」の正当性が強く訴えられる割には、科学知に基づいた「高い生態学的な精度による野生動物管理」は実現していない、と見ているようだ。
ここで政府、観光業者(あるいは狩猟区の所有者)と地元民の対立構造を俯瞰するため、アフリカにおけるスポーツハンティングの歴史を、安田氏の著書『護るために殺す?:アフリカにおけるスポーツハンティングの「持続可能性」と地域社会』(勁草書房、2013年)から要約してみよう。
- 中世の西洋社会では、特権階級の娯楽としてスポーツハンティングが発展した。
- 19世紀になって帝国主義の象徴となり、植民地支配の道具となった。野生動物の減少。
- 19世紀後半には、アメリカを先駆けとして国立公園が出来、アフリカでも植民地政策により「手つかずの自然」を残すことが使命となった。猟銃保護区、国立公園、狩猟制限が植民地政府によって設定され、狩猟は西洋人のみできるという制限がかけられた。
- 1970年代になって、狩猟への倫理的批判が社会的に起きる。
- 1980年代にエコツーリズムの思想が生まれ、サファリツアーなど住民参加型の保全が提唱される。
- 1970年代に倫理的批判を受けたスポーツハンティングだが、地域に利益をもたらす効果が大きいということで、「生態的な持続可能性と経済的な豊かさ」を実現するツールとして復権する。
- 自然保護行政を支える柱として、狩猟枠の拡大、捕獲枠の拡大が行なわれ、野生動物管理の強力な資金供給源となる(サファリツアーの300倍の税収をもたらす)。
政府や観光業者の「地域住民による資源(野生動物)利用は非持続的である」の見解のため、地元民は狩猟を制限され、違反したものは「密猟者」として逮捕や罰金を科せられている。「住民参加型保全」が掲げられ、一定の利益分配の拡充は図られているものの、安田氏によると、野生動物保全やスポーツハンティングの会議に、狩猟区内に住む一般村民が呼ばれたことはほとんどない、という。近年狩猟区に設定されたある村では、村民が、自分の居住地がスポーツハンティングの狩猟区に設定されたことも、観光業者の存在も知らなかった、という例があげられていた。
「野生と飼育のはざまで(3)で紹介したグランディンの動物の心理へのアプローチには、素晴らしいものがあると思ったが、アフリカのスポーツハンティングにおける「野生動物の保全と住民への経済便益」のシナリオに関しては、最終的に疑問が解消されることはなかった。
野生動物の数を減らさないための合理的な、あるいは功利主義的な解決法として、スポーツハンティング、あるいはトロフィーハンティングが有効な手段だと納得できるためには、何が変わればいいのだろう。スポーツハンティングでは、西洋社会の富裕層がアフリカを訪れ、何百万円もの大金をつかって野生動物を狩る。地元のトラッカーを雇うということは、ハンター自身には狩りの能力(野生動物の性質や生態を知って追いかける)が、必ずしも求められないのかもしれない。つまり人と野生動物の関係性は、「片方がもう一方を娯楽で狩る」の枠を出ることがないのかもしれない。だからハンターたちは、仕留めた後の成果として狩った動物と記念写真を撮り、頭部でトロフィーを作り持ち帰る。その心情は、中世の特権階級や植民地時代の支配層の人々のものと、さして変わらないようにも見える。このような人々をビジネスの対象として呼び込む「持続可能な野生動物の保全」は、ハンティングに大金をつかう人々を「利用している」とも言える。
一般的に日本人には、娯楽としてのハンティングというものが、文化的に馴染みがない。ハンティングによって野生動物を守るというアイディアが、グランディンのようにすんなり受け入れられないのは、そういった文化の違いがあるのかもしれない。日本人の場合、富裕層でなくとも、海外のリゾート地などで最高級のホテルに泊まることがある。最高のホスピタリティで対応されるわけだが、日本で中程度の一般市民であれば、多分、それを素晴らしいと感激しつつもどこか居心地の悪さ、ここは自分の居場所ではないのでは、という感覚をもってしまうのはあり得ることだ。そのような文化的、歴史的違和感は、アフリカの植民地的ハンティング文化(広大な自然の中に、自家発電による給湯・冷暖房完備の客室、欧米客の好みを満たすための菜園などを備えたキャンプがあり、そこに逗留して狩りを楽しむ)に感じるものと近いように思う。
ハンティングを事業化する国の政府や観光業者が言うように、地元民は野生動物を持続的な方法で扱うことができない、というのが事実であるのなら、彼らへの啓蒙や教育が必要かもしれない。その上で日々の食料や生業のために、住民が野生動物にアクセスできるようにすることも検討されるべきだ。またハンティングによって得られる利益が、公平に分けられるシステムもなくてはいけない。21世紀という時代においては、地球上のどこの地域であっても、支配と被支配の構造の中で人が生きねばらないことを正当化するのは難しい。野生動物保全にとっても、その方法は好ましくないと思うし、「持続可能な方法」でもないだろう。
もっと言えば、もしハンティングを観光資源の一つとする場合も、現在の植民地主義的なものとは違った方法論があってもいい。ヨーロッパ由来の欧米式ハンティング観光ではなく、地元発想的なジミな狩猟体験だ。野生動物を知り、近しくなることが狩猟につながるような。地元民の家または運営する簡易な宿泊所に泊まって、地元の生活を体験しながら、野生動物を追う体験をする。これでは経済効果は期待できないし、野生動物保護につながらない? 第一そんなツアーに参加する欧米人はいないだろうって? 確かにその通りかもしれない。求められているのは、欧米式の高級リゾート&娯楽としてのハンティングなのだから。
この先10年、20年、野生動物の「住民参加型保全」はアフリカで、どのように実行されていくのだろう。昔ながらの階級社会的、欧米人思考スタイルから生まれたものではない、真に未来的で持続可能な野生動物保護へと変化していくことを願って、引き続き見守っていきたい。
