20031031

先日メールで、「インディアン・テイルズ」の舞台になっている場所のローカル地図づくりに協力をお願いしたフィルさんから返事がきた。お手伝いできるかもしれない、とのこと。ありがたい。フィルさんが去年歩いたヨセミテからホワイト・マウンテンへの300kmは、こちらの作ろうとしている地図全体の中の北部に当たる。

地名、地図に関して今日わかったこと。インディアン名の山オッパパゴー(weeper=泣く人)は、英語地名のLone Pineらしい。それからワバンはホワイト・マウンテンの南にあるようだ。もしかしたらフィルさん、知っているかもしれない。ワバン(Waban) というのはいかにもインディアン名らしいが。いくつかの地名を地図のラフスケッチに書き入れる。

*夕べBloggerがしばらく使用停止になっていた。大平洋時間10月29日午後11時から2、3時間の予定とのことだった。Macの世界地図で時間を見たら、たしかに大平洋は午後11時すぎくらいの模様。(日本時間30日午後7時すぎのこと)
*このページのテンプレートを変えた。前のグリーンバックのはよかったのだが、どうしてかトップの画像のレイアウトが崩れてしまうようになった。いろいろやってみたがダメだったので、とりあえずテンプレートを変えてみた。

20031028

インディアンの人々もハワイの人々も自分たちの言語の記述法、つまり文字をもたなかった、と先日書いた。北インドをルーツとするロム族の人々もそうと聞いている。ロム族、1000年くらい前に北インドを何らかの理由で出発し、中東、ヨーロッパ、北アフリカへの旅に出た人々。のちにジターヌ、チガンヌ、ボヘミアン、ジプシーなどと呼ばれるようになった放浪の民である。

「ラッチョ・ドローム」(1993年、フランス)という映画を見た。ジプシーの人々がどのように旅をし、その音楽がどんな風にジプシー音楽といわれるものになっていったかの、ドキュメンタリー風再現映画である。最終地点スペインではフラメンコに影響をあたえるジプシー音楽であるが、始まりはインド音楽と舞踊。映画の中では小さな女の子が舞い、男の子が歌っていた。馬、荷馬車、歩きの長い長い旅の途中でさまざまな楽器や歌や踊りを拾い、混ぜ合わせながら、ジプシーたちは進んでいく。

ジプシーとジプシー音楽に興味をもったのは、サリー・ポッター監督の「耳に残るは君の歌声」という映画を見て以来。その時点ではほとんどジプシーについての知識はなかった。エルサレム在住の大桑さんやスペイン人のホアンからいろいろ教えてもらったことと、サリー・ポッターがインタビューでこの映画のために多量のジプシー音楽を聴き、そして虜になった、と言っていたのが関心への入口だったと思う。「耳に残るは・・」の中で歌われるジプシーの歌も素晴らしいものだった。この映画については以前、大桑さんとたくさんのやりとりをメールでしたことがあって、機会があったら紹介したいもののひとつ。日本で、日本人として見ていると、見えてこないものがたくさんつまっている映画だとそのとき気づいた。

25日に書いたハングル語について。
ハングルに「ざ」音はない、と書いたけれど、昨日別のウェブサイトを見ていたら「ざ」「じゃ」「ちゃ」は同じ文字を使っているのを発見した(「人」の上に「一」を乗せて、右横に「ト」のような文字を書く)。ということは、下北沢駅のサインからは「しもきたざわ」「しもきたじゃわ」「しもきたちゃわ」の三通りの読みが得られるということか。(「世界の文字で遊ぼう」というすごいサイトを見て。これについてはまた今度書きます) それと、ハングル文字というのは比較的新しくできた文字で、500年くらい前に学者が王様の依頼で作ったものらしい。

20031025



はんぐる?
きのうの午後、都内に行くとき電車が変な連絡で下北沢で降ろされた。
急行電車をまっているとき、駅名のサインに目がとまった。
ハングル文字? 「しもきたざわ」と書いてあるらしいけれど、暗号のような文字の
組み合わせがひっついて並んでいるので、どこまでが一つの文字がわからない。
その右下に「ひがしきたざわ」とあって、そこにもハングル文字が。
・・・ということは、と暗号を解きはじめた。あと2分で電車がきてしまう。
いそいでいそいで。
「し」がわかった! 「ざ」もわかった! おー、すごいすごい。
ということは「さ」のばあいはこうで、「じ」だとこういう組み合わせ? と
しばし夢中になる。

今朝、iBookのOSXのディスクに、ハングル文字をインストールしてみた。
キーボードをあれこれ打ってみると、でてくるでてくる。。おもしろい。
暗号みたい。ひとつわかったことは、ハングルに「ざ」音、「じ」音はなく、
「ちゃ」と「ち」になるらしい。(Webの「なんちゃってハングル講座」より)
しもきたちゃわ、なの? なんかかわいい。

追加:
そうそう、きのうはインディアン・テイルズ用のカリフォルニアの地図をいろいろ収集。
ローカルな拡大地図(登山用)、もっと広域のもの、略図的なもの、など数枚を見ながら
地名を探す。もっとも地図に載っているのは英語名だけど。本に登場するインディアン名
はない。そういえば、インディアンの言語はたくさんあるけれど、どの言語も文字を
もたない。ハワイ語もそう。

20031023

「インディアン・テイルズ」のウェブ版には本編の他に、シエラネバダの自然に関するレファレンスのページをつけてある。それはお話の舞台になっているこの地域の気候や地形、動植物などが日本の読者にはあまりなじみのないものだから。コヨーテ、ジャックラビット、オオツノヒツジ、銀モミ、氷河などの項目がある。紙の本版をつくるときには、これをどうしよかと今考えているところ。このレファレンスをつくるときは、さまざまなサイトに元資料の提供をお願いした。Desert USAのようなウェブマガジンからアラスカの小学生たちがつくるサイトまで。キアサージュ・ピークのときは実際にこの山に登られた日本の方から写真や話を提供してもらった。

レファレンスとともにもうひとつ、できればこの地域の絵地図をつくって入れたいな、とも思っている。一つ一つのお話をより身近に感じてもらえるように。それで今朝、地名と場所を確認するためにGoogleのサーチをかけてみた。「白皮の松」というお話に出てくるKing's RiverとBig Meadowsで引いたところ、ジョン・ミューア(昨日紹介したナチュラリスト)のトレイルを歩いた人のページが出てきた。去年の9月にヨセミテからホワイト・マウンテンまでの300kmあまりを歩いたそうで、地理的には「インディアン・テイルズ」の舞台と重なるところが多い。こういう実際に歩いた人に地名と場所を確認できると一番いいのだけれど。ということで、そのフィルさんにメールを書いてみた。

20031022

ウェブのことや詩の翻訳をやっていたので、ひさしぶりに「インディアン・テイルズ」の原稿をひらく。「陽気な氷河」を声に出して読んでみる。気になるところを原典とつけあわせたりして、一カ所だけ直す。一番最後のところの「歌詞はいつもいつも同じ・・・」を「歌の文句は・・・」に変える。声に出してみると「歌詞」では固い感じがしたので。
ところでこのお話にはクロウタ水鳥という歌の大好きな陽気な小鳥がでてくる。氷河と仲良しでいつも一緒に歌をうたっているのだが、こんな描写がある。

「氷河が流れの中でどんどん小さくなっていっている間も歌はつづきましたが、ついに氷河は中がくりぬかれ、そこから、やわらかなきれいな青い光が洩れはじめました。するとクロウタ水鳥はその氷の横あなの中に飛びこんで、歌声をすてきに響かせて、水音と氷のチンチン鳴る音とのハーモニーを聞かせました。」

水音と氷のチンチン音にあわせてハーモニーを響かせる? とお思いでしょうが、本当のことかもしれません。ナチュラリスト、ジョン・ミューアによると、この鳥は水音とだけいっしょに歌うそうで、「どんなときも、ちゃんと水音に調和させて歌い、夏の干ばつや冬の流れの少ないときには低い声で歌います。」とのこと。ジョン・ミューア著「カリフォルニアの山々」という本からクロウタ水鳥についての記述を訳したものがこちらにあります。(著者による絵も入っています)
クロウタ水鳥について

20031021

快晴。室温26℃、湿度64%。blog(このページを成り立たせているウェブログのシステム)10日目。慣れてきたのでそろそろ他の機能の追加も考えてみようか。
アメリカの友人に日本の音楽を紹介するためにコンピレーションCDの編集をした。以前にも一度やったことがあるのだが、そのときは「アメリカンの影響がつよいね」と言われたので、今度のはもうすこし日本の核心にふれるようなものにしようかと。10人くらいのミュージシャンを選んであれこれ聴いたが、とりあわせの問題もあって、結局4人(4組)になった。3が沖縄で、1がアイヌ。ポップシンガー系が2組、ワールド、民謡系が2組。アイヌは安東ウメ子さんの「イフンケ」というOKIのプロデュースによるアルバムから(OKIはアイヌの血を引くミュージシャンで今年6月にライブに行ったけれどとてもよかった)。安東さんの歌はワールドというよりは民謡系。歌自体はアイヌの歌唱法そのまま。でもこうして他のミュージシャンとならべて編集してみると、その良さとオリジナリティは際だっている。ここにしかない歌、この人にしか歌えない歌がある。とてもくつろいでいて楽しげで、歌というものの原形がみえるよう。
沖縄の平安隆とボブ・ブロッズマンによる「童唄(わらびうた)」もとてもいい。こちらは三線を使いながらもバックの演奏はどこかハワイアンで、風あたたかな場所をイメージさせる。歌はとってもOkinawan。安東さんや平安さんのような音楽とならべて入れようと思うと、ポップミュージシャンの選択はとても難しくなる。借り物でない自分の歌をうたっている、というだけでは足りなくて、その歌声がそこにしっかりとありがながら遠いところともつながっていくような目線とエネルギーがほしい。なかなか難しいことだ。
*ライブを見たあとで友人に書いたメール(OKIライブ報告)からの引用。
こちら>>

20031020



先日手をすべらせてデジカメを1m くらい先まで放物線を描くように飛ばしてしまった。拾って電源を入れたときまったく反応なしだったのには、ちょっと驚いた。こわれるの、デジカメって、と?現在富士フィルムに1万円以内なら、という条件で修理を依頼中。いつ戻ってくるだろうか。で、今はT2というフィルムカメラのみ。上の写真もそう。ウェブにはやはりデジカメの方が手軽だ。上の写真だけれど、ある日近くの公園を散歩していたとき、ベンチの上で発見したもの。ちょっと原始人のねぐらを見つけたみたいな気分になった。

20031018

昨日の夕方「インディアン・テイルズ」の本の話をするため、ブックデザイナーの宮川さんの事務所に行ってきた。会って話しをするのはすごく久しぶり。そういうときはいろんな話題、様々な発想の元のようなことが次々とでてくる。昨日は人間の野蛮性について、人はなぜそこが過酷な場所であっても定住するのか、あるいは生命の危険をおかしてまでも移動・放浪してきたのか、未開の土地に入っていける人間は知恵なしに身を守る方法を知っているのではないか、調香師あるいは楽器職人はどのようにしてその製法を獲得するのか、文明ではなく人間そのものは進化しているのか、などなど。これらは民謡を次々に歌いついでいくように、天から降ってきたように現われては消えてゆくという話され方。

今度の本は、籠女というストーリーテラーがいて、そのインディアンのマハラ(女)が話す本当のような嘘のような物語が次々につむがれていく。著者自身もストーリーテラーとしてときどき顔を出す。いや本の構成としては著者メアリー・オースティンがストーリーテラーなのだが、読んでいるとこの二人の女は混ざりあっているように見えてくる。

インディアンの話だけでなく日本でもどこでも部族の民話や伝説というのは、不合理でほら吹きで荒唐無稽で残酷、という側面をもっている。後の時代に教訓的なことが追加されたりそういうフレームの中で伝えられたりすることも多いが、オリジナルはもっと生々しく話しっぱなし的な(話がなにを意図しているのか不明な)感じではないのか。むしろ自然科学。人間の生態について(とくにその野蛮性について)、動物や植物、土地の生態について、気候や天変地異についての。

「籠女」の本には、こういった存在の不可思議さが出せたらいいのではないかと思う。人間も獣も未分化だったころの記憶や匂い、そういう中に読む人を立たせることができたなら・・・。今のわたしたちの日常や思考はそういうものと無縁なので、どうやったら気づいてもらってそこまで連れていけるか、それが一番の課題かもしれない。

それとふと思ったのは、この本がストーリーテリングであるならば、著者メアリー・オースティンから受け継いだ話を日本の読者(子供をふくむ)に伝えるときには、間に立つ新たなストーリーテラーの存在が必要なのではないか、と。それは訳者のわたしか。

20031016

「インディアン・テイルズ」の著者メアリー・オースティンの別の著書The Land of Little Rainを朗読しているカセットテープを聴く。テリー・ウィリアムズという作家でナチュラリストの人が読んでいる。なかなかいい。落ち着いた声で淡々と読んでいる。聴いていて、インディアン・テイルズに出てくる地名がたくさん登場するのに気づいた。オッパパゴー、ビターレイク、キアサージュ、パインマウンテンなど。今ちょうど、本のために絵地図のようなものを作ってみようとしているので、参考になりそう。The Land of...の方はエッセイなので、インディアン....よりさらに実際の地理に基づいていると思う。オッパパゴーはインディアン名、意味はたしかweepy(涙もろい)だったと思う。地図には載っていないかもしれない。
このテープは何回も聴く可能性があるので、CD-Rに焼き直した。CD3枚分になってしまった。ラジカセでテープを再生させ、ライン入力でMacに取り込み、iTunesでMP3に変換、それをCDに焼く。けっこう手間も時間もかかった。

20031014

新しいチャップブックの本のタイトル案出しをやっている。『パイユート・インディアン童話集/沙漠のマハラ、籠女』とか、『籠女とコヨーテと少年』とかいろいろ出してみているが、けっこう直訳(上の仮題)もいいような気がしてきた。葉っぱのサイトで連載をお願いしている3号室ロドリーグさんいわく、「籠女」ということばの感じが謎めいていてストーリーを期待させるかな、と。なるほどねぇ。

昨日「掘るまいか」というトンネル掘りの映画を見てきた(しんゆり映画祭)。新潟の山古志村というとこころにある村民の手掘りでつくられたトンネルを題材にしたドキュメンタリー。昭和初期から戦争をはさんで大変な年月をかけて、村民の強い意思と忍耐で掘られたもので、手掘りのトンネルとしては日本最長とか。映画のつくりはぼくとつな感じ(ちょっと教育映画風な趣き)ではあったけれど、内容がすごいのでつくりうんぬんはふっとんだ。上映会場には当時の人夫帳(日付と穴に入った人の名前の記録)や片刃の持ち手の短いツルハシ(穴が狭いから)が展示してあり、また山古志村の人々も来て上映後のトークショーに出演していた。

坑夫という名前のつくパブリッシャーを始めてから、穴を掘る人々には無関心でいられなくなった。以前、北海道で廃坑の写真を撮っている読者から、「坑夫」という言葉は差別用語に入るかもしれないですよ、と教えられたことがあった。きっと「人夫」もそうだろう。「インディアン・テイルズ」にも坑夫の話が何度か登場する。カリフォルニアの金鉱掘りだったりするのだが。そういえば、「掘るまいか」の中で、今は70歳代の村民の人が、穴を掘っているとだんだん夢中になってやめられなくなる、と言っていた。それはとてもわかる気がした。トンネル掘りは、冬に4mもの豪雪で陸の孤島となることから身を守るための必死の作業ではあったのだけれど、そこに楽しみも感じていたのだ。


上映会場でしんゆり映画祭のボランティア・スタッフをするあいざわさんにばったり会った。JAPAN Webgrrlsのときに知り合って、同じ地元ということで、たまにおしゃべりをしたり英語の相談をしたりする(英語がとてもできるので)。この日はあいざわさん、一眼レフをかかえて会場を走り回っていた。

20031013

blog、2日目。
書き込みをすると、タイトル下の日本語がときどき文字化けしてしまうので、画像にしてみる。
やはりこのblogはEnglish speakerなので、こういうこともしかたないか。ちなみに、このポストもテキスト書類で一度書いたものをペーストしている。ブラウザーから直接書くと、ぜんぶ文字化けで自分が何を書いているかわからないから。日本語にちゃんと変換はするのだけれど、書いている本人に見えない、つまり漢字変換や打ち間違えが確認できない。う〜ん、もうひとつだな。

20031012

きのうの午後、パイユート・インディアン童話集のすべての改稿がおわる。
ウェブ版の『インディアン・テイルズ - シエラネバダから14の物語』の連載を終えてから約2年。オンデマンド印刷による紙の本として、タイトルも再考し、中身の翻訳にも手を加え、新たな表現をさがしながら、この作品とともにもう一度スタート台に立つ。新たな読者をさがす旅に出る。

5册目のチャップブックをデザインしてくれるのは、このシリーズでずっとお世話になっている宮川隆さん。最初のラフ稿(送ったときは実は最終稿のつもりだったのだが)は、すでに郵便で送り、読んでもらっている。そして先日、電話で1時間くらい、本のイメージについて意見を交換しあった。宮川さんはこの童話集の舞台になっている場所が、ハリウッド映画の西部劇のランドスケープに重なる、と言っていた。そうです、荒涼とした沙漠地帯がこのお話の背景であり、またもうひとつの主役でもあるのです。いわば、荒野の童話集、といったところ。そのことだけとっても、かなり変わった子供のための本(じっさいは子供に限らないのだけど)と言えそう。

宮川さんにプリントした原稿を送ってからも、数えきれないくらいたくさんの箇所、テキストを直した。読むのも何回も読んでいるし、最終では、後半の物語はすべて声を出して読んだ。これは宮川さんとの電話での話がヒントになっている。直しの内容は、訳し間違い、表現の変更、改良、表記の統一、地名や植物の名前の発音や和名の確認、などなど。いちばん最後の直しは、「トレス・ピノス」というスペイン語名の地名の発音でした。Tres Pinos(Three Pines/三本松)を今までなぜか、「トレ・ピノス」とスを抜かして書いていた。これは偶然、スペイン語を話すJuanとおしゃべりしているときに、気づいた。「トレ・ピノス? 何それ?」と言われて気づいた。よかったよかった、まにあって。