20121227

アメリカのオンラインジャーナルに書いた今年の出来事(日本語訳)


アメリカのオンラインジャーナルSwans Commentary(12月17日号)に寄稿しました。去年に続いて2度目の年末回想録「Year-End Reviews」への参加で、「2012 Japan: Radioactivity Risk, Territorial Dispute, And Rush Of eBooks」のタイトルで書いたものです。 その日本語訳を以下に掲載します。内容は、原発事故から20ヶ月たった今放射能汚染を日本人がどのように受けとめているか、東シナ海の小さな島を巡る紛争と日本のメディア、キンドル発売による日本の出版、電子書籍業界の殺到と混乱、の三つに焦点を絞ったものです。
原文はこちら


「2012年の日本:放射能リスク、領土紛争、電子書籍狂想曲」

一年を振り返って、心に浮かんだ三つの出来事を選んでみました。

1.2011年の原発事故の余波

去年のこの年末レビューで、原発事故とその多大な影響を「放射能汚染とともに生きる」のタイトルで書いたことを思い出します。あの事故から20ヵ月がたちました。20ヵ月たった今はどんな状況なのでしょう。表面上は、時間の経過とともに、事故の余波は薄らいでいるように見えます。人々がいつもいつもそのことばかり考えているようには見えないし、最優先されるべきものでもなくなっているようです。とはいえ、多くの人が東京の首相官邸前で、原発再稼働に反対して、毎週金曜日にデモに参加しているのも事実です。(日本人にとって、中でも子どものいる若い女性層も含めた普通の人々が、政治的なことで行動を起こすのは非情に稀なことです)

多くの日本人は放射能汚染のことを、日常生活の中で、なるべく考えないようにしているのかもしれません。人々は福島やその周辺地域でとれた野菜や魚を食べることが、安全ではないかもしれない、ということを知ってはいますが、だからといってどうしたらいいのかもわからない状態です。つまり考えないようにする、ということ。

しかし中には、特に小さな子どもをもっている人たちは、放射能汚染の問題を重く受けとめてきました。十歳以下の娘が二人いるわたしのある友人は、自分が住んでいる場所の放射能汚染を不安に感じています。その人は東京に住んでいます。彼女は、娘の一人が学校で給食を食べることを拒んできました。代わりに、自分で作った弁当を子どもに持たせています。またその友人は、娘が学校の授業で、校庭での野菜づくりに参加することも断っています。自分の娘が、放射能に汚染されているかもしれない校庭の土を、直に手でさわるのが心配なのです。原発事故後に、東京の幼稚園のいくつかが、放射能汚染のことを考えて、園庭の砂場の砂を除去したと聞いています。

わたしの友人が過剰な心配性であるとはまったく思えません。


2.小さな島をめぐる、日中紛争への反応

基本的に、たとえそれが日本に関することであっても、領土問題には関心がありません。この九月に日本政府が自国の領土であると主張するために東シナ海の小さな島を買った後、ある著名な日本の作家が、テレビでこんな発言をしました。われわれは今、こんな領土問題にかかわっている暇はない、と。日本政府はこの島が日本の領土であることを、強く主張し続けてきました。この作家は、こういう領土問題というのは、いつだって政府間、国家間、植民者たちによって決められた境界線からやってくるものであり、そこに住んでいる人々とは何の関係もないのだ、と言ったのです。つまり「あんたたちの問題にすぎない」ということ。

わたしはこの作家の考えに全面的に賛成です。わたしたちには、考えたり話し合ったりしなければならない、もっと大事な問題があります。ところが、この作家によると、テレビ番組の後で、たくさんの非難中傷が彼のツイッターに押し寄せたそうです。「おまえは非国民か!」というような。

おやまあ、今だに「非国民」などという言葉が、誰かを中傷するときに有効なのでしょうか? もしわたしが、誰かから「おまえは非国民だ!」とののしられたら、こう言うでしょう。「はい、その通り! あなたのその『おまえは非国民だ!』の言葉を大変誇りに思います」と。実際わたしは、「非国民」としてぜひとも生きたいし、それは非国民として生きることこそ、あるいは平和的で偏見のないコスモポリタンとして生きることこそが、わたしたち人間にとって、平和な世界へのいちばんの近道だと考えるからです。

この領土問題で何より驚かされたことは、日本の主要新聞が揃って、日中間で問題になっているこの島を、「日本の島」あるいは「この島は日本の領土である」と記述していたことです。日本の新聞というのは、政府と同じということなのでしょうか? メディアと政府は一枚岩ということなのか? メディは、政府とは別に、この領土問題に関して、独自のものの見方や意見というものをもたないということなのでしょうか?

もし政府見解と何一つ変わるところがないとすれば、メディアは政府の宣伝機関となってしまうでしょう。

もちろん、これはよくあることだと知っていますし、また日本だけの問題でもありません。最近、チャイナデイリーという中国の新聞をキンドルで読むようになりましたが、その新聞もあの島は自国のものだと書いています。中国と日本のメディア、どちらも同じ、変わるところがない。

日本の人々の多くは、日本が中国より文明的で先進的であると思っている傾向があります。しかしこの領土問題を見るかぎり、日本と中国に違いはありません。同じ穴のムジナです。


3.アマゾンの告知で起きた、電子書籍への殺到とパニック

友人の一人で、日本在住のスペイン人男性がかつて言いました。「日本人はカメだね、何につけすごく遅い」 これを言われたのは数年前のこと。今、彼の意味していたことが、わたしには理解できます。

日本で最初に電子書籍の波が起きたのは、1990年代の後半のことです。日本電子書籍コンソーシアムが設立され、電子書籍の実験が始まりました。まずコンソーシアムは、電子関連企業と協同して、電子書籍リーダーをつくりました。わたしはこの実験に参加し、モニターで読書するのがどんな具合か、リーダーをテストする一員になりました。当時、わたしは電子書籍をダウンロードするために、理由がよくわからないまま、都心の書店まで(家から1時間くらいかけて)行かねばなりませんでした。すでにインターネットがあったにも関わらずです。いずれにしても、電子書籍の実験は失敗し、コンソーシアムはたった2年でなくなりました。

その後、いくつかの電子書籍に関する動きが日本でありました。いくつかの電子関連企業が本を読むためのデバイスをつくり、また新しい電子書籍の書店もネットに現われました。しかし、それらの動きは大きな力をもつことはなく、普通の人にも本の愛好家にも、特別な影響を及ぼすには至りませんでした。わたしにしても、電子本を売るネットショップで本を買ったことはありませんでした。それは読みたい本がなかったからです。それらのショップが売る本は、街の本屋にある本ともアマゾンにある本とも違っていました。おそらく日本の名の知れた作家や商業出版社は、電子書籍をつくったり売ったりすることに興味がなかったのでしょう。あるいは自分たちの本が電子本になることを、どういう理由からか恐れていたのかもしれません。

こういう状況の中で、いちばん目立った存在は、インターネットの青空文庫でした。青空文庫は非営利の電子本を提供する組織です。日本では、非営利で本を出版することは大変珍しいことです。青空文庫は、プロジェクト・グーテンベルクのように、著作権の切れた作品をボランティアを募ってテキストに打ち込み始めました。この十年に打ち込んだテキストは、日本語の電子書籍の進歩にとって大変な財産となりました。誰も、どんな企業も成し得なかったことを青空文庫はしてみせたのです。今年の10月にアマゾン・ジャパンがキンドルストアを始めたとき、書棚にあった50000タイトルのうち、大半が青空文庫からの本だったと聞きました。このことは他の商業出版社がこの十年あまりの間、何も用意してこなかったことを意味しています。日本に電子書籍の時代がやって来ることが信じられなかったか、既得権が侵されることを心配するあまり、そんな時代は来て欲しくないと願っていたか、そのどちらかだった可能性があります。

そして今、日本の出版社や出版業界は電子書籍プロジェクトに殺到し、一気にすべてを成し遂げようとしています。カメ日本は、突然ウサギに豹変しました。

わたしは長いこと、アマゾンが日本でもキンドルのサービスを始めるのを待ち望んでいました。日本の商業出版社にとって、アマゾンとともにサービスを始めることは、困難で厳しい試練でした。それはキンドルの世界に参入するには、出版社にとって多くの障害となる事情があったからです。日本の出版社が五十年以上に渡って、大変保守的で閉じた世界でビジネスを行なってきたことが原因です。

もちろん、わたしにとって、英語より日本語で本を読む方が楽ですが、それでも英語の本を読むために、アマゾン・ジャパンがサービスを始めるより前に、アメリカ版キンドルを購入しました。以来、キンドルで本や新聞を読んで楽しんでいます。そしてまた、わたしの運営する非営利出版社葉っぱの坑夫で、プリント・オン・デマンド(POD)の本とともに電子書籍をアマゾンで販売することを始めました。この二つの本を出版する手段は、大変役に立ち便利で、また小規模出版社や自主出版をする著者にとって経済的でもあります。

日本の電子書籍の読者たちが、来年にはどんな風に育っていくかを、楽しみに見守りたいと思っています。

20121215

キンドル本、やっと発売になりました<2>


ここまで(前回のポスト)がデータ製作から入稿、発売までの経過である。今回できなかったこととして、キンドル仕様の目次と固定ページレイアウトがある。目次はEPUBではきちんと付けてあって、Calibreで変換したときはMOBIデータにもきちんと反映されているのだが、どうもKIndleGenで変換すると、その部分が適応されないらしいことがわかった。キンドル用に別に目次の項目を書き出したHTMLファイルが必要、という説明を読んだのだが、もう一つ何をどうしていいのかがわからず、今回は見送った。俳句の本などは目次で引いて読むものではないので、とりあえずよしとした。また紙の本のように、冒頭に目次ページを付けた本もある。が、どこからでも目次にアクセスできるという意味では、本のシステム内に目次があった方が便利だろう。次の出版までの課題としたい。

もう一つ、固定レイアウトという方法を使えば、ページがフローすることなく、紙の本のようにきっちり収まるという。キンドルでは、章ごとに区切りを入れる方法で、扉ページなどをある程度固定することは可能だが、ページの繰り方によってはテキストがフローしてしまい、後ろからページを繰っていったときなど、ページ切れがさっきまで見ていたものと変わっていたりする。ウェブもそうだが、電子書籍も、文字の大きさやフォントなど、見る側の好みで見え方を変えられる仕組になっている。それだけ「フローする」要素が多いということだ。この固定レイアウトも、使い方によっては、見せ方をコントロールできるので、何かのときのために習得しておきたいと思っている。

不安、不満が残る点としては、サンプルの表示が充分でないことが上げられる。アメリカのアマゾンでキンドル本を購入したり、購入検討をしていての満足度から見ると、明らかに劣っているのだ。アメリカのアマゾンでは、ほとんどの本が、その一章分読めるようになっている。一章分読めるというのは気分としても贅沢だし、買う判断にかなり役立つ。日本のアマゾンでは、どうもその量が少ない。一応5%(上限で20%)ととなっているようだが、葉っぱの坑夫の出したキンドル本でいうと、5、6%である。さらに、機械的に5%で切っているのか、扉のタイトル文字の途中や、ページ半ばで文章が切れて白紙になっていたりする。タイトル文字が切れている、などという表示を、サンプルをダウンロードした人は何と思うだろう。その本に不備がある、と思われても不思議ではない。また短めの本では、5%というのは、扉ページや目次などで使い切ってしまうこともある。本文なし、の状態になる。

配信代理店に問い合わせをしたが、タイトル文字が切れてしまうなど、機械的に5%カットで起こる障害は、すべて自動でなされるので直しようがないという。アメリカのアマゾンでも、プログラムを組んでサンプル量を機械的に処理していると思うが、こんな風な不具合にこれまで遭遇したことがない。プログラムに禁則処理を細かくかけて、制御すればいいのではないか。まだそこのところが、日本では間に合ってないのだろうか。

また、POD(プリント・オン・デマンド)の本を出版したときの、「なか見!検索」でも同様の不満がこちらには残った。「なか見」の分量が圧倒的に少ないのだ。これじゃ中身がわからない、というレベルしか表示しない。もしかしたら、これはアマゾンジャパンのせいではなく、大手出版社やそこで本を出す著者がなるべく表示しないでほしい、という要望をアマゾンに出しているのかもしれない。一般に日本の出版社の「なか見!検索」への協力度は低い。それでも最近少しずつは出てきたが。また著者の間でも、インターネットへの不信感からか、著作の中身を見せることに対しての抵抗感が強いように思われる。

一般に日本では、中を見せると売れなくなる、と思っているところがあるようだ。でも本当だろうか。「なか見!検索」やサンプルダウンロードで一章分も読まれては、それで読み逃げされてしまう、とか? 確かにこれまでも日本では、ウェブで連載していたテキストは、本の出版と同時にサイトから消える、というのは決まり事だった。ただで見られては本が売れなくなる、本当だろうか。ウェブで「出版」していたコンテンツは、そこに載せて読んでもらっていたことについて、何の責任も負っていないのだろうか。何かを提示するという社会的責任を感じることなく、自社の都合でいつでも削っていいと思っているのか。あるいは、最初からウェブに載せることは「出版」でもなんでもなく、ただの「宣伝媒体」としか考えていないのか。

コミックの立ち読み、読み逃げを防ぐため、日本の書店ではすべてのマンガ本にビニールがかけられている。「著者の権利や出版文化が侵される」などとよく口にする著者団体や出版社の、ものを考えるときのベースはそういうレベルなのかもしれない。読み逃げ常習犯の日本人読者たちと、中身をできるだけ見せずにたくさん売りたい著者と出版社。これが日本の「出版文化」を支えている主な構成要員だとするなら、電子であれ紙であれ、本の世界から見えてくる未来の風景はとても貧しい。

20121202

キンドル本、やっと発売になりました


10月末にデータ入稿してから約1ヵ月、今月末にやっと念願のキンドルブックが世に出ることになった。今回出たのは以下の4冊。

ポール・デイヴィッド・メナ著「ニューヨーク、アパアト暮らし(ニューヨーク詩人による英語俳句集)」(初版2001年)
大竹 英洋著「動物の森 1999 - 2001」(初版2004年/「森ノ星」に付属のブックレット)
温 又柔著「たった一つの、私のものではない名前」(初版2009年)
ハビエル・ビベロス著「一枡のなかで踊れば(パラグアイ作家によるスペイン語俳句集) 」(初版2012年)

興味を持たれた方は、ぜひサンプルをダウンロードしてみてください。どの本も300円です。

前回のポストで少し書いたが、この4冊はもっと早く出版される予定だった。入稿後様々な不具合のため、通常48時間内で発売開始できるものが、ここまでかかってしまった。理由はいろいろあり、こちら側にも多少の不備はあったが、アマゾン側のシステムもまだ未完成で不安定さがあるように思った。そもそも、電子書籍データとデバイスやOS、アプリの関係自体がまだそれほど安定したものではない、と言えるのかもしれないが。

とはいえ、キンドルで本を出版するのは、それほど難しいことではない。個人の著者や小さな出版社なども、アマゾンが提供するKDP(キンドル・ダイレクパブリッシング)というシステムを使って本を出版することができる。葉っぱの坑夫は、早くに取り組みを始めたので、KDPではなく、アマゾンから紹介された配信代理店を通しての出版となった。

最初にその配信代理店から、出版するまでの手順(契約やデータに関する決まり事、出版までの経過やデータ送信の方法など)の説明を受けた。契約書の内容に関しては、NDA(秘密保持契約)となるそうなのでここには書けないが、どんな手順でキンドルで本を出すまで事を進めたのか、ここで整理してみたい。

出版にあたって必要なものは、入稿データと書誌データの二つである。書誌データというのは、本のタイトルや著者名、版元名、ISBN、内容説明、キーワードなどからなる、本の概要を説明するもの。アマゾンのサイトなどで本のページの下の方に表記されているものだ。これをエクセルの表の中に埋めていく。実のところ、アマゾンから提供されたこの書誌データが大変使いにくく、書き込みに苦労した。内容説明など文章量があるものを入力すると、枠がその分だけビヨーンと縦に伸びて広がってしまう。そうするともう、表組みは壊れてしまい、一つの本の情報を横に見ていくことができなくなる。ほぼ同じ表組の書誌データをPODでも使ったが、そちらは大丈夫だったので、まだ完成度が低いということなのだろう。同じアマゾン社内、8割がた同じものなのだから、PODのエクセルを流用すればいいのに、と思うのだが。部門間のやりとりがないのだろうか。

書誌データは入稿データとセットで、配信代理店のFTPサイトに送る。入稿データはEPUBという世界標準の電子書籍の形式か、MOBIというキンドル本の形式かいずれかで作る。葉っぱの坑夫でまず取りかかったのはEPUB形式の本を作ること。それが出来たら、そのデータをMOBIに変換する。現在、EPUBを作るためのソフトは、誰もが手に入れられるものとしては、英語圏のものしか見つからなかった。MOBIへの変換ソフトも同様だ。

葉っぱの坑夫が手に入れたSigilというEPUB編集ソフトは、Strahinja Markovicという人によって創設されたプログラミング・プロジェクトのソフトフェアで、現在はジョンという人が引き継いで管理をしているようだ(因みにありがたいソフトだったのでPaypalから寄付をしようとしたら、JPからはできないという警告が出た。Sigil側はPaypalの使用を薦めている。日本のPaypalがそれを受け付けないということか。寄付をしようとすると、だいたいこの警告が出てきて出来ないことが多い。Paypalは寄付には便利な仕組なのに)。SigilはGNUのライセンスを持ち、フリーソフトである。Mac版もあってありがたかった。GNUというのは、コピーレフト運動で有名なリチャード・ストールマンによって創設された、フリーソフトウァア運動のプロジェクト。(アメリカっていうのは、商業主義もすごいけれど、それに対抗する反商業主義の活動も活発で実質的に地位を獲得している、社会の役に立っているところが、すごいなー、羨ましくもある)

SigilはHTML、EPUB、テキストファイルのいずれかの元ファイルを読み込んで、それを編集するソフトである。まずは英語のマニュアルをざっと読むことから始めた。とてもシンプルでわかりやすい英語で書かれている。図を見ながら、おおよその手順を理解する。それから試作品を作ってみた。読み込むファイルはHTML。まずは使い慣れたHTMLのソフト(今は市場から消えたGoLive、Adobeが止めてしまった。何故???)で、基本的な形を整えるのがいいと思った。文字の大きさや行間などスタイルシートで細かく指定したが、これがキンドルで反映されるかどうかはわからなかった。そして出来たHTMLファイルをSigilで読み込み、EPUB形式で保存。メタエディターで書名や著者名を登録し、画像を読み込み、ページを成形していく。章マーカーを入れて、章を区切ったり、章タイトルが目次に反映されるようにheadingを指定したりする。すべての作業が終わったら、EPUB検証にかけて、コードやレファレンス、リンクなどに問題がないか調べる。ここでエラーが出たら、指示に従って直す。このエラーの意味がときどきわからないことがあったが、Sigilのマニュアルを見ながらコードを書き換え、なんとかクリアした。

GUIソフトというのはSigilに限らず、コードを直接書き込むわけではないので、ときどき指定と違ったことをしてしまう。AdobeのGoLiveでもときどきあるので、何となくわかっていた。Sigilもときどき動作がおかしくなって、コードを開いて直さなければならないこともあった。幸い、ウェブを作る際に、コードはときどき見ているので、何とか直すことができた。また余分なコードが書かれてしまい、そのために表示にエラーが出ることもあった。が、8、9割がたはそのまま使えるので、やはり便利なソフトと言えると思う。(インターフェースには日本語が導入されている)

こうして出来たEPUBのデータを、わたしはCalibreという電子書籍を他の形式に変換するためのソフトウェアを使って、MOBIファイルに変換した。フリーでオープンソースのソフトで、これもGNUのライセンスを持っている。Kovid Goyalという人が最初の作り手である。大変良く出来た強力な変換ソフトで、EPUBデータをきれいにMOBIに変換してくれる。が、これがアマゾンでの不具合の一つの要因にもなってしまった。これで変換したMOBIデータは、自分のKindle Touch(アメリカのキンドルの標準機)ではきれいに意図通りに表示された。だから問題なしということで、データを送ったところ、配信代理店では問題なしだったが、アマゾンの方でこれではダメだと言われた。まずCalibreで変換したものは検証ができない、とのこと。アマゾンの指定するKindleGenで変換しなければならないと言われた。ところがKindleGenでMOBIに変換すると、Kindle本機で見ると全く違う表示になってしまう。両サイドに大きくマージンが取られ、フォントもとても小さくて読めないほど。これではダメだ、どうしてダメなのか、それがわからなかった。

配信代理店とのやりとりでキンドルのデータは、MOBIではあるがキンドルに適応させたもので、元ファイルのEPUBもキンドルに適応するコードで書かれていないといけない、と言われた。アマゾンの指定するEPUBチェッカーで検査を通ったものでも、だめな場合があるとのこと。EPUBのコード自体に不安定なところがあるとも聞かされた。ついては日本語に適応させたキンドルフォーマットの最新の仕様書を送るので、それを読んで適応させるか、一つだけでもどこかソフト製作会社に依頼して作ってみてはどうかとアドバイスを受けた。しかし料金を聞いたら、1冊につき35000円だという。葉っぱの坑夫としてはこれは高すぎて払えない。うーん、コードが書かれた仕様書を読んで何とかしなければならないのか、と思うと目の前が暗くなった。ひょっとしてキンドルでの出版は、自力ではできないのだろうか、という疑問すら頭をかすめた。

が、もう一度全体を思い返してみて、変換ソフトが違うとは言え、Calibreで正常に表示されているということは、おそらくデータの9割がたは正常に出来上がっているはずだ、という結論に達した。ようするに、アマゾンで受け付けてもらうには、KindleGenという変換ソフトを通して、それをKindle Previewerという検証ソフトで見て、表示が正しければいいのだ。それをゴールに据えて、改めてデータを検証、修正していった。最終的にわかったのは、わたしの持っているアメリカ版キンドルは、日本版のものと違うということらしい。アメリカ版で検証してはいけない、ということだ。KindleGenで変換したものを、Kindle Previewerでおおよその表示確認をして、それでよしとするということ。

それで出来上がった最終データをFTPサイトに送ったところ、めでたくアマゾンのチェックを通過し、発売がスタートされた。後でわかったところでは、日本版キンドルを購入すれば、変換データをそのまま送って、表示確認ができるという。葉っぱの坑夫では、カラー液晶のKindle FIreを予約注文しているので、それが12月後半に届いたら、それで検証すれば正確な表示確認ができそうだ。
(次回ポストにつづく)