20031231

「籠女」のデザイン第1稿をもって、旅にでています。A4コピー用紙で100枚ちょっとの分量。四六判で240頁くらいの本に今なっています。27日午後、宮川さんのオフィスでプリントを受け取り、その後絵地図制作のソニアと落ち合ってそれを見せました。ソニアは丁寧に1頁ずつ見たあと一言、う〜ん、きれい。(それから日本語の文字組のルールやスタンダードについて質問を受けました。また英文表記の気になったところも指摘してくれました。)

文字組はとても読みやすく、美しく、E.Boyd Smithのイラストレーションがポイントポイントにひかえめに入っています。読むための本、テキストを楽しむ本という感じがデザインにとてもよく出ています。

さて、これをこの休み中に読んで、細部の表記や表現に手を入れたいのですが、まだ落ち着いてできる時間がみつかりません。ぱらぱらと全体を見たり、扉頁を穴のあくほどくり返し見つめたりするのみ。

今わたしがいるのは、気温20度近い暖かなタイペイスー(台北市)。明日はもっと暖かな台南に移動します。そこでちょっとしたパーティがあって、たくさんの台湾の方たちとお会いすることになっています。

20031225

声紋というのがあるくらいだから、人の声は一人一人みんな違うのだろうか。親子や兄弟姉妹で聞き違えるくらい似た声も、ディテールは違うのだろう。地球上に人が60億人くらいいるとして、60億通りの声が存在するということか。生物界、自然界においては、60億通りのものが存在することは、そんなに特別のことではないのだろうか。

アン・サリーという人の歌をここ2、3日くり返し聴いている(別にクリスマスだからというわけではなく)。わたしはまったく知らなかったのだけれど、日本全国のカフェなどで一時期かかりまくっていた、そうである。何枚かあるCDをamazon.co.jpで見ると、どれも高順位にランクされていた。

アン・サリーの歌声は普通の意味できれいだし、聴きやすい。だけれどもそういうこととは違った、もっと何か、なんと言ったらいいのだろう、あなたはどこの人ですか?どこからやって来たのですか?どんな風に育ったのですか?と聞いてみたくなるような歌声をもっていると感じる。だけれども質問は口に出したとたんに、無意味に感じられてしまうだろう。そういうことをかろやかに超えている声だから。

言葉にたとえたらエスペラントのようなものだろうか。あの声はアイデンティティのもち方ときっと関係しているに違いない。たとえば日本人のシンガーがボサノバやジャズやシャンソンやゴスペルやR&Bを歌っているのを聴くとき、それが本場っぽいものであればあるほど、気恥ずかしさでいっぱいになる。「っぽさ」ってなんだろう。タモリが昔よくやっためちゃくちゃ中国語とかロシア語のようなもの?

いっぽうで、日本人は日本人らしくとか、自分のルーツを掘り下げなければいけないとか、ルーツからは誰も逃れられない、というような声を聞くこともある。これもなんだか息苦しい。

英語を日本人がしゃべるとき、いくつかのタイプがあると思う。ものの言い方(言及の仕方)、動作、発音、すべてアメリカ人風(といっても実際には巾があるが。反日本人風といった方がいいか)の人、考えを伝えることに重点を置いたトツトツ型の筑紫哲也さんのようなしゃべりの人、そういう人にくわえて最近は、自分の普段の日本語のしゃべりとあまり変わらないトーンの英語で英語人(English speaker)の人と楽しく話せる人も出てきているみたい。そういう人を見ると、使う言語は切り替えてもその人がその人であることには何も影響していないのだなと思う。

アン・サリーの歌を聴いていると、そんなことにも考えが及んでいく。アン・サリーは名古屋生まれの韓国系日本人(あるいは在日韓国人)で、脳外科の医師でもあるそう。現在、医療の研究のためニューオリンズに住んでいるとホームページに書いてあった。わたしはデビューアルバムVoyageがすばらしいと思いました。

*「籠女」の本は、まもなくドラフトのデザインができあがります。絵地図もソニアのもとで進行中。ソニアは今、原典の英語版のテキストを読んでいるところ。

20031223

Zac chil。サクチルと発音するのでしょうか。サポテカ(Zapotec)の人々の言葉でグッドアフタヌーンという意味だそうです。メキシコはオアハカ州に住むインディオの一言語です。州都オアハカはメキシコ・シティからバスで6時間くらいのところ。そこからさらにバスで1時間くらいのところにテオティトラン・デル・バジェという小さな村があるそうです。織物で知られた村。この村で作られたという毛織りのバッグを、家の近所の路上で買いました。

わたしがバッグを買ったその青年は、1年に1回くらいメキシコ、グァテマラの村々をバスでまわり、バッグやアクセサリー、ビーズなどを買ってくるそうです。またその素材で自分でもアクセサリーなど少し作るそう。忙しげに歩く人波の一角、冷たい風が吹きとっぷり日も暮れた路上で、売り物を広げた敷物を前に、その人は静かにすわっていました。前髪を切りそろえた髪型やチェックの膝掛け、ひっそりとした雰囲気がインディオの人だろうか、と思わせそばを通るときついじっと顔を見つめてしまい、気がついた彼と目が合いました。ニコッとわらって出てきた言葉は日本語でした。熊本の人だそうです。

バッグを手にした後に、村の名前をもう一度確かめたら、さっと小さな方眼入りのノートを取り出して、不思議な形をしたメキシコの地図を描き、かじかんだ手を口もとで温めながら、メキシコシティ、オアハカ、テオトランデルバジヘとそこに書きこみました。

家に帰ってから「テオトランデルバジヘ」をグーグルで検索しましたが、出てきません。最後の「へ」は一度「ジェ」と書いたあと、小さなエを消して「ヘ」にしています。いろいろ試しているうちに、やっと、Teotitlan del Valleのことだとわかりました。スペイン語ではlleはリェとか、ジェとか、あるいはヘとも読むのかもしれません。Valleは谷という意味です。

上の写真は、そのテオティトラン・デル・バジェのバッグです。

20031221

本に別添付する絵地図は、現在入れる方向で進んでいます。リミット版のみ、あるいは発売記念版のような形で付けるのか、販売する本全部に付けるのか、など詳細はまだですが。絵地図のデザインをしてくれるのは、東京デザイナーズブロック(TDB-CE)で知り合ったソニア・チャウさん。トロント(カナダ)から来て1年あまりになるグラフィック&ファーニチャー&テキスタイルデザイナー、そしてアーティスト。TDB-CE以降も、メールを交換したり会って話したりとしてきて、今回コラボレートすることになりました。

その打ち合わせやデータ渡しなどもあって、先日ソニアが家に来ました。ちょうど「森の位相」(CD-ROM写真集)の大竹さんも来ていて、大竹さんがモザンビークに取材に行ったときの写真をいっしょに見たりと(ソニアもモザンビークに行ったことがあるそうで)、楽しい時間を過ごしました。

絵地図の制作はこれからの約1ヵ月でやります。2月16日(月)から、川崎のプロジェットというヴィジュアル・ブックストアでインディペンデント・パブリッシャーズという個人・独立系出版社の本(電子本&紙の本)の展示・販売イベントがあり、「籠女」はそこで発売開始するので、それに間に合わせようと思っているのです。アイディアとパワーあふれるソニアですから、どんな絵地図に仕上るかとても楽しみです。アイディアが固まってきたら、ここでも紹介したいと思っています。

わたしの住む川崎北部は、今日は富士山、丹沢もくっきり見えて快晴、部屋の中はお日さまでぽかぽかですが、はらの工房のkayoさんのところは一面雪景色とか。さっき読んで、「水墨画のような山の景色」をしばし想像してみました。

20031215

はらの工房のkayoさんの日誌harano-kobo journalをお隣さんblogにリンクしました。昨日はじまったばかりのほやほやです。山の中の小屋暮らし(といっても通いの)の日々がつづられています。さて小屋の主はそこで何をしているのでしょう?

「籠女」の本に入れる「お話しの舞台になっている場所の地図」をつくりました。前につくってテキサスのフィルさんに不明だった場所を書き入れてもらったラフの地図を、本用に少し手をいれました。最初のラフ地図を解像度72でつくっていたので、印刷のことを考えて解像度300のファイルを新たにつくり、元地図を下に敷いて(Photoshopのレイヤーで)モノクロでトレースしました。印刷がモノクロなので。この状態でほぼ四六判の本に収まるサイズになりました。これで印刷に耐えられるか、デザイナーの宮川さんに聞いたところOKとのこと。ほっとする。これで本に関しては奥付や葉っぱの坑夫についての文章を渡せば終わり。あとは絵地図を本に添付するのかしないのか、これもここ数日中には決めたいと思っています。

奥付のテキストを書くために「籠女」のISBN番号と本の分類番号を決めました。ISBNというのは各出版社に割り振られた100册分の番号の中から、その本のID番号(書名記号)を振り、自分の出版者記号とともに表示したもの。葉っぱの坑夫の書名記号は出版順に振っています。詩集とそうでないものと分けて、系列別に振る方法もあると思いますが。ただあんまり厳密に分けて振ると、その系列内の使える番号をつかいきってしまったりするのでよくない、とマニュアルには書いてあります。分類番号というのは、指定の分類コード表を見て、その本がどの分類になるのかを表示するもの。葉っぱの坑夫の今までの本はアメリカの詩集だったので、<販売対象>一般(0)、<発行形態>単行本(0)、<内容/大分類>文学(9)、<内容/中分類>外国文学その他(8)で、0098でした。今回は、<販売対象>児童/中学生以下対象(8)、<発行形態>単行本(0)、<内容/大分類>文学(9)、<内容/中分類>外国文学小説(7)で、8097となります。そうです、今回の本は、児童図書の扱いにしました。一般にするか児童にするか、内容的にはどちらも当てはまるので迷いましたが、副題を「子どものための風変わりなストーリーテリング集」としたのですから、やはり児童書としました。この分類の項目には他に婦人、実用、専門などがあります。「婦人」という分類名はずいぶん古くさい感じがしますが。

これらのことを管理しているのは、日本図書コード管理センターというところです。葉っぱの坑夫を立ち上げた2000年春にISBN登録の申し込みをして出版者記号と書名記号100册分をもらい、3年たった今年の5月に更新をしました。でも本を出すのはなかなか大変で、まだ95册分の書名記号が残っています。

20031214

先週は「籠女」の本の見積りのことで印刷所の人とやりとりをしていた。ドキュテックというデータを流し込むと一気に印刷、製本して本になってできあがってくるシステムの印刷機を早くから取り入れてきた京都の印刷屋さん。今までの4册の葉っぱの坑夫のチャップブックもここでお願いしてきた。今回は判型も違うし、なによりページ数が今までの3倍くらいになりそうだとわかったので、あらためて見積りをしてみた。

こちらとしては、オンデマンド印刷のシステム(ドキュテックを使うと、少部数の印刷がオフセットよりずっと安価でできることから、こう呼ばれている。実際には<オンデマンド=要求した部数だけ、最少1部から刷る>という使われ方はそんなにはしていないと思うが。なぜなら非常に割高になるから)を使っているのだから、ページ数が増えた分を掛けておいたらだいたい良いのではと予測していた。通常の考え方だと、部数が増えたり、ページ数が増えたりと印刷のボリュームが増加した場合、ページ単価は安くなりそうなものだけれど、ドキュテックの場合は製版する必要がなく初期費用がもともと低いので、ほぼ均一と考えて単純計算しておいた方がよいのではと予測していたわけだ。

ところが最初に出てきた見積りは大幅にそれを上まわってしまっていた。それでは本をつくること自体が不可能かもしれない。そういう数字だった。で、なぜそうなるのか、こちらはこう考えるが、などという話し合い、交渉をしていたわけである。見積りが大幅に上まわってしまった理由のひとつは、この印刷機と入稿データの適応性がまだ(とくに日本語フォントにおいては)完全に確立されていないため、データを流した後の検証や調整に人力がそうとういる、ということを見越してのことのようだった。しかし、この考え方、計算方法では今回の出版ばかりか、葉っぱの坑夫の今後の出版計画もおぼつかなくなってしまう。

それで双方でいろいろ協議した結果、今後の出版のことも考え、今回の本づくりの中で、確実で修正のない(データを流した後、人手をかけなくてすむ)入稿、印刷方法を確立しようということになった。こういう発展途上の技術(印刷機、入稿側のコンピューターともに)を使っていくには、印刷する側とデータを渡す側の互いの協力関係なくしてはうまくいかない。一種、使用法における共同開発のようなことである。こちら側はクォークというブックデザイン専門のソフトウェアからの入稿ではなく、クォークでつくったデータをPDFに変換しての入稿をすることになった。これは今までのクォークでの入稿だと印刷機との不適合がいろいろあったから。そして印刷の側は、マッキントッシュのPDFファイルのデータをドキュテックに適合させる試みをする。ウィンドウズではある程度確認されているらしい。

これがうまくいって、この入稿方法であれば、修正なしで人手をかけずに、データ通りの出力ができるということが確認できれば、費用もドキュテックの特性どおり安価で、どんな体裁のものでも一定した計算方法で見積りができるようになるだろう。つまり、ビジネスモデルができるということだ。この方法さえきちんと踏めば、だれにとっても、データ通りの確実な出力が一定の価格で実現できるということになる。そうすればもっと、ドキュテックによる本づくりが一般にも広まるのではないだろうか。そんなことを確認した1週間だった。


*ドキュテックによる本づくりについてもっと詳しく知りたい方は、こちらの「オンデマンドブック制作レポート」をごらんください。葉っぱの坑夫の最初の本「ニューヨーク・アパアト暮らし」ができるまでをレポートしています。

20031205

葉っぱの坑夫のウェブの更新とニュースレターの日本語版、英語版を書いたところで、また「籠女」の方に頭をシフトする。いま考えていることのひとつ、課題は本の判型。いままでに出版した詩集のチャップブックとちがって、今回は14話からなる童話集のようなスタイルの本なので、文字量がまったく違う。とりあえずテキストだけ流した状態で、四六判(128×188mm)として220頁くらいにはなる、とブックデザインの方から聞いている。いままでの英語ハイク集などの詩集は新書判くらいの大きさで5、60頁だった。籠女の原書はどうかというと、英語で横書きで文字がびっしりつまり、各章の扉もないごくプレーンなテキスト本という体裁なので、A5判の大きさで100頁ちょっと。ずいぶんと違うものだ。

いま作っているこちらの日本語版はテキストだけの状態で220頁なのだから、これに絵や写真を入れていくとさらにふくらむ。現在は縦書きの状態。日本語は読みやすさと文字列の美しさからいうと縦、と一般に言われている。とくに物語系のものは縦のほうが良いとも。ただこれも、判型や挿画の入れ方やその他いろいろな条件によって多少かわってくるかもしれない。いずれにしても判型は、本の見え方、手ざわりと、読者へのアプローチの大切な部分なので、よおく考えなくては。家にある似たような体裁の本や参考になりそうな本を手にとったり、眺めたりして考えている。

*ウェブ版の籠女(インディアン・テイルズ)のコヨーテ霊と籠あみ女、陽気な氷河、メリー・ゴー・ラウンド、クリスマス・ツリーの4話を最新の改訂テキストに差し替えました。.