20091103

Wiki的世界、楽譜が楽しい!

インターネットを使うようになって10年以上になるけれど、今でもときどきびっくりするようなプロジェクトやサイト、技術に出会うことがある。それも探していて、というより何かの偶然で見つけてしまうことも多く、その出会い方も含めてインターネットの可能性を「未だに」感じるのである。

ある作曲家のウィキペディアからのリンクで、ペルトルッチ楽譜ライブラリー(IMSLP: International Music Score Library Project)という非営利の楽譜図書館を見つけた。青空文庫、あるいはグーテンベルク・プロジェクトの楽譜版と言っていいだろう。パブリックドメインになった作品を中心に楽譜を収集し、インターネット上で公開している。2006年2月スタートだから、比較的新しいプロジェクトだが、2009年11月1日現在で42,000の楽譜がアップされているという。サーバーはカナダにあり、カナダは日本と同様、著作権保護期間が作家の死後50年なので、アメリカやヨーロッパの70年より短く、多分その理由で選ばれたのに違いない。アーカイブされている楽譜は、基本的に作曲家の死後50年を越えたものなので(著者が許可しているもので一定の条件を満たしていればそれらの楽曲も含まれる)、今年であれば1959年以前のものが対象となり、作曲家の年齢を逆算するとジャズやタンゴは含まれている可能性があるが、ポップスは今後のものとなるだろう。出発がバッハ協会のバッハ全集を網羅することだったそうで、現在はクラシック音楽の楽譜が大半である。因みにバッハ以外に全曲が収められている作曲家には、ショパン、ブラームス、フォーレ、シベリウスなどがいる。

試しに検索をかけて楽譜をダウンロードしてみた。楽譜はオーケストラ譜からパート譜、ピアノ譜など一つの楽曲でも様々な版を含んでいることが多い。そこもアーカイブとしてすばらしい。多くの楽譜はPDFで表示され、そのままプリントアウトできる。ちょっと古いところで16世紀イタリアの作曲家カッチーニの歌曲を閲覧、プリントしてみた。因みに作曲家リストを引くと、本人のジュリオ・カッチーニの次に、娘のセッティミア、フランチェスカの作品まであった。アーカイブにある楽譜は協力者(マサチューセッツ工科大など)や一般投稿者により、出版された本やピースからスキャンされたものが多いようだ。カッチーニはとてもきれいな楽譜だった。伴奏のピアノ譜を試奏してみたが、充分使えるし、まったく遜色ない。もう一つダウンロードしてみたスカルラッティのチェンバロソナタは、スキャンではなく、新たに楽譜を作成したものかもしれない。いくつかの注意書き(何小節目のg音のトリルは後で追加されたものかもしれない、などとあった)が最後に追記されている。こちらもとてもきれいな楽譜。この他に、楽譜を公開している他のウェブサイトからの移入という方法も取られているようだ。(それが著作権上問題ないらしいことも発見だった)

次にオーケストラ譜を見てみようと、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」を探した。これはオーケストラ譜、パート譜、アレンジ譜があり、ピアノ譜はチャイコフスキー自身による編曲版とタネーエフのものと2種類あった(市場でもこの二つが出ている)。オーケストラ譜には表紙や目次のページもあった。面白かったのは、楽曲の録音リストが非商業と商業に分かれて載っていて、商業の方はamazon.comのページに飛び、サンプルを聞いたりダウンロード購入ができるのだが、非商業の方はYouTubeのページにジャンプ、Neffさんという髭のおじさんピアノ弾きが、自宅のようなところで演奏していた。練習風景のようにごく気楽な演奏で、自分でページをシャーッと繰りながらの演奏。もちろん一瞬曲はとぎれる。が、これもピアニストの芸のうち。見ていて楽しい。インターネットというのはやっぱり様々な垣根なしに、必要とあればどことでも繋がっていくところが醍醐味。

この楽しい世界、つかえるアーカイブを支えているのは何か、と言えば基本的にボランティアである。言語は英語がベースになっているようだが、主要部分は日本語を始め多くの言語に訳されている。必要と思えば、自分が翻訳者として支援することももちろん可能だ。このプロジェクトに参加する方法として、楽譜の投稿、サイトの保持や支援、翻訳、寄付などがあり、フォーラムでは誰もが参加して提案や話し合いや議論ができる。「ストラビンスキーの楽譜はアップされないのか」などと言う質問に対して、著作権保護期間内にあるため今のところできない、などの返答があったりする。

楽譜の投稿法については、質を高めるため細かい説明がなされている。どういうものが投稿可能か、どのような方法でファイルを作成するか、高解像度でスキャンをする方法の詳細からゴミよけソフトの使用法に至るまで説明されている。投稿可能な楽譜は、著作権保護期間を過ぎたもの、あるいは著作権者がフリーなライセンスで公開するもの。著作権保護期間は、Wikipedeaの説明によると、サーバーのあるカナダと利用者の住む国(地域)の両方の法律を守ることが求められているそうだ。とするとアメリカやヨーロッパの70年組は利用できるものがぐんと減ってしまう。現実的には何らかの規制が技術的にかけられているのだろうか。2007年にペルトルッチは、オーストリアのある楽譜出版社から「法的脅威」を受け、約一年間閉鎖した。保護期間50年と70年の落差から起きた出来事らしいが、版元側から地域別のIPフィルタリングなどを施す要求が出され、現況はわからないけれど、2008年にライブラリーはめでたく復活した。その経緯もサイト内のフォーラムで公開されている。

ここで考えるのは、抗議したのが著者ではなく出版社だということ。もう死んでしまってこの世にいない著者本人やその遺族より、損害を被る可能性があるのが版元だからだろう。ただサイトが復活したこと、それから楽譜の投稿の仕方の説明から、版元には出版権のような形での権利の主張はできないのかもしれないと思った。なぜなら投稿の際の注意項目として、楽譜をスキャンした際、出典を記載することが薦められているが、版元への許可には触れられていない。楽曲を作った作曲家のみに権利の侵害が起きうるという判断なのだろう。楽譜の記述や体裁を整えるのはそれなりの技術がいり、今はコンピューターを使っている可能性が高いが昔は写譜屋さんというプロがいた。演奏時、楽譜は図案を読み取るように(目でスキャンするように)素早く読んでいくものなので、あるルールに従って読み取りやすい記述法で書かれていないと用を足さない。反射神経で読めなくてはいけない。その意味で出版社が出版に際して、作曲家の手描き楽譜の体裁を整えることの貢献度はそれなりに高いとは思う。なのでわたしも、楽譜に関しては、版元ごとの出版権がきっとあるのだろうと今まで思っていた。

コンピューターが流通するようになって、インターネットも広がり、という状況はここ10年くらいのことなので、上に書いたようなことも法律の解釈の問題になるのかもしれない。法律が作られたときは、未来の技術革新やその広がりまで予測できていないのだから。

ペルトルッチの楽譜ライブラリーは音楽というジャンルを扱うことで、目で楽譜を読むだけでなく、リンク先のamazonなどでその音符を耳で聞き、YouTubeなどで演奏を見て、とメディアとしての広がりを持っているところが面白い。アメリカのamazonには音のサンプルを聞くことのできるCDが多い。それだけペルトルッチとの親和性も高い(ただしamazonとペルトルッチの間にはいかなる利害、支援関係はない、とのこと)。音のサンプルを載せるかどうかは、多分、CDの版元、販売元の努力、労力、知識によるものと思われる*。商業の側にいても、人々の役に立って宣伝にもなる無料の音源公開法があるのだから、日本の版元ももっと利用することを考えたらいいと思う。1社だけでなく、たくさんの会社でそれぞれのCDに音源サンプルを置くことで初めて、データベースとしての価値が生まれる。その全体を理解していないとなかなか実行できないことではあるが。自分のところで出したCDをより適切な場、それを欲している人々がいる場で聴いてもらい、知られていない日本の演奏家の演奏を紹介する。そうやってペルトルッチのある作曲家のページの録音リストに、グールドやホロヴィッツと並んでリンクを載せることは、いろんな意味で広がりが期待できる。世の中のためになり、人々の役にたち、演奏家やそのCDも広く知られる、という合理性があるとわたしは思う。

*本の場合に、表紙や中身の画像や紹介文をどのように掲載するかは、版元次第であり版元自身が画像やテキストを用意して登録するので、CDのサンプル音源も同様と思われる。

20091023

出版するということ。重版とsold out

ある出版企画をここのところ考えていて、その過程で葉っぱの坑夫の出版姿勢のようなものを改めて見直す機会をもった。何をどう出版するか、をどれくらい考えてやってきただろう、と。これはウェブでの出版にも言えることだし、紙の本でも同様。出版点数の少ない紙の本を例にとって見渡してみれば、2000年に葉っぱの坑夫をスタートさせて以来、この9年間に15冊の本をつくっている。最初は2001年10月に出版した「ニューヨーク、アパアト暮らし」。その後1年に1〜4冊程度のペースで出してきての合計15冊。この中には重版したものも4冊ほどある。印刷形式も最初はモノクロでのオンデマンド印刷、その後オフセット印刷を「シカ星」で初めて使用したけれど、このときは赤とスミの2色だった。「rabbit and turtle」はフルカラーで初めて作った本だが、これはスイスのNievesという出版社との共同出版。その後Nievesとは「AKAZUKIN」でも共同出版した。どちらの本もミヤギユカリさんが童話を題材に描きおろした絵本風のアートブック。また今年の夏にはZINE'S MATEというジンのフェアに参加する目的で、初めてフォトコピー印刷とインクジェットプリンターによるジン・スタイルの本を4冊作った。オンデマンド印刷の本とCD-Rを組み合わせた「森ノ星」という作品集もある。オンデマンドのモノクロの本はテキストのみ、CD-Rの方には100枚のカラー写真をフラッシュムービーで見せた。

こう書いてくると、印刷形式から使用メディア、共同出版まで、たった15冊の本にも多様な方法とスタイルが取られているのがわかる。出版部数にしても、印刷形式や出版の状況に応じて50部から1000部と大きな巾がある。

さて中身の方はどうだろう。元より計画性あっての出版ではない。年度計画はおろか2年、3年ごとの出版計画をもって進めていたことでもない。ウェブで出版したものを検討後、紙でも出版する、という方法を初期にはある程度とっていたが、紙の本の計画からウェブ作品が生まれたり、紙とウェブ同時進行で作ったり、紙のみの出版物も何点かある。つまりルールはないと言えばない。既刊の本を並べてみると、テキストが主体の本が6冊、絵や写真が主体の本が4冊、テキストと絵、写真の両方で構成されている本が5冊、とざっと分類できる。こう見るとほぼ三つのスタイルが同じくらいずつ出版されているように見える。翻訳プロジェクトをベースに出発した版元としては、わりにヴィジュアル系の本が多いかもしれない。言語面で見ていくと、15冊のうち、日本語のみの本は5冊。日英二重表記の本が8冊。絵のみでテキストがまったくないものが2冊、となっている。

中身を見ていく場合でも、単純にテキスト系かビジュアル系か、という風に分けていってもあまり意味がないこともあるだろう。「何」で表現するかは別にして、ある考え方や思想の方向性をもって素材や題材に応じた表現法を選んだり、著者の表現法がそのまま本の表現法になったりする。たとえば憲法九条の改憲に反対する、というテーマで本がつくられる場合も、漫画になるのか、テキストになるのか、絵本になるのか、は企画次第。その選択によって版元の資質が分かれるというよりは、問題の扱い方によって版元の立ち位置は見えてくるはず。

出版社が何をどう出版するかは、やはり大切にするべきことだろうと思う。商業出版においては、特に近年の日本では、端から見て混乱に陥っているように見える版元も少なくない。そこまでではなくとも、昔ほど本と版元の関係は、濃いものではないようだ。読者の方もあまり気にしなくなったし、気にしても役に立たないこともある。

葉っぱの坑夫は非営利での出版なので、作りたい本、作って意味があると思う本を、売れるかどうかに優先して出版することができる。ただしあまりに全体として売れなければ、活動資金が枯渇して本をつくることが不可能になる。また在庫の置き場にも困ってしまうだろう。そこを考え、調整しながら本を作ることになる。また作った本が売れて在庫がなくなったとき、版元はどうすべきか、という問題もある。それは本を作るときの最初の企画意図とも関係しているのかもしれないし、その本の、大げさに言えば「運命」を考えるということかもしれない。ウェブ作品であればそのサーバーを版元が維持している限り、本がなくなることはない。モノである紙の本の場合は、現物がなくなれば、即在庫0となる。少部数出版で、限定100部などと書いてあることがあるけれど、それは有限であることに意味がある、あるいはそれによって本の価値を高めようとしているのか、それとも印刷部数を少なく作ることを「限定」という言い方で何か別のことを表わそうとしているのか、わからないことがある。単にコストの問題や売れ行き予想から少なく作るのであれば、「限定」という言葉は入れなくて済む。部数だけ告知すれば事足りる。あるいは、この本は1回きりのもので、どんなに売れても重版はしません、ということを表わしているのだろうか。もしそうだとしたら、そこには理由があるのだろう。

葉っぱの坑夫ではたとえ50部、100部の本でも「限定」という言葉を使ったことはない。予算や1冊の単価を考えつつ、とりあえず部数を決めて初版を出版するが、なくなれば、まずはショップに委託で置いてある分の調査や回収をした上で、重版するかどうか決める。今までのところ、初版と同じ数ではなくとも、売り切れたものは重版してきた。考え方として、売れたということは少しは利益が出たということであり、最低でも元は取れたわけだから、それを本の継続という形で返す、表わすのは自然かなと思うから。初版300部で5年かかって売り切ったものなどは、そこから先はもっと遅いスピードで売れるのが普通だ。でも少しずつでも売れるということは、まだ需要があることだと思えるし、作るのをやめてしまうのはそれはそれで決心がいる。ある思いをもって作った本なら、著者が許可し、経済的にも許されるなら絶版にしたくはないと思う。何をどう出版するかと同じくらい、出版社が責任を負ってもいいことかもしれない。どんなに小さな本でも少部数でも、ある本を世に出す、公のものにする、publishするとはそういうことではないかと思う。

本を探してネットの本屋さんを巡っていると、軒並みsold outと表示されているリストと出会うことがある。自分の欲しい本がsold outとなっていた場合、考えるのはこれは最近売り切れたもので、たまたまのことなのか、そして近々入荷予定があるのか、それとも一度リストに載せたものは売り切れたが最後ずっとsold outになっているのか、いったいどちらなのだろうということ。情報として不足しているし、お客さんに対して不親切だと思う。出版社が在庫が切れたら重版するかどうかと、ショップが在庫が切れたら補充するかどうかは、それぞれの業種における責任だと思う。商業出版の本や大手書店でもあることだけれど、あちらは利益優先でしか動けない大所帯の限界としてあまり期待しないとして、小さな版元や小さなネットショップはそれぞれの本の命をどう見届けるかに心を砕いてもいいように思う。新しいものをどんどん生んでいくことと同じくらい、過去に作った本の命をどう始末するかも視野に入れていないと、小さな出版物は歴史を残したり、後の人々に思いを伝えていくことができない。

葉っぱの坑夫がISBNを振っているのは、amazonで売るためという実質的な意味とは別に、国会図書館に献本することで書誌データに記載され、本自体も保存され、「公開された本」として残るからである。それは自分の経験として、古い本や珍しい本、海外の本などに国会図書館で出会っているから。今店頭に置かれて、今の読者により多く触れてもらうことは第一の希望であるのは言うまでもないことだけれど、さらに、10年後、20年後、もっと先の時代に、何かを調べていてデータベースで行き当たるなどして、葉っぱの坑夫の本がその時代の読者に届くことを想像するのは、ひとつの楽しい夢であり本をつくる希望となる。

20090926

歴史は生もの、事実も、歴史書も

歴史とは昔起きたことを研究したり、記述したものだから、ひとたび公になって共通認識として収まったなら変わることがないのか、と言えば、そんなことはないらしい。歴史は時代と共に激変するのだ。そんなことは(何となくは)知っている、というのも「常識の範囲」かもしれないが、それでも、学校の教科書が改訂を重ねているらしいことや、実際に自分が聞いてきたことと違う「歴史」と出会うと、人はそれなりに驚くものだ。たとえば、

アイヌは中央の勢力に追われて北海道まで流れ着いた人々である。

というのはよく言われていること。今でも多くの人がそう思っているかもしれない。でも近年のある研究によれば、アイヌの人々は縄文時代から北海道にいた、ということがわかっているそうだ。アイヌは、新人(原人、旧人の後の、今から3万年前くらい)の段階になって、東南アジアなど南方からやって来た原アジア人の流れを汲む、縄文人の母体となる集団の特徴を多く持つという。東南アジア系の「古モンゴロイド」とも言われるその集団は、北海道から沖縄まで全域に渡って住んでいたそうだ。一方、弥生時代に、中国や蒙古、朝鮮半島などから渡って来た渡来系の北東アジア人は、大陸に渡った原アジア人が北の生活に適応して身体的特徴を変化させた人種で、「新モンゴロイド」とも言われている。その人々は長い期間かけて渡来し、日本の西部を中心に定着していった。紀元前3世紀から7世紀くらいまでの1000年の間に、相当数の北東系集団が渡来したと言われる。近年の研究の中には、数十万人から百万人が渡来したという説もある。西日本を中心に住む渡来系の集団は後に、日本列島に最初の政権をつくった人々の祖先であるとされ、政権の抵抗勢力となった周縁地域の各集団は、古モンゴロイド系(東南アジア系)の集団の末裔ということになるらしい。

この言説を前提にするなら、日本人の源流には二つの元集団があって現在に至るまで混合を繰り返してきたが、アイヌは元集団の一方の縄文人、つまりより早く列島にやってきた東南系の集団の特徴を強く残す人々(沖縄人もそうだという)ということになりそうだ。過去の研究では、アイヌは(沖縄人も)、日本人の起源の部外者として、本土人とは異なる別集団として扱われてきたという。渡来系の人々の数を少なく見積もったり、アイヌや沖縄人を日本人の起源から外したり、という傾向がこれまでの歴史認識にあったとするなら、何をもって「日本人」の起源をイメージしようとしていたのだろう、という疑問が沸いてくる。たとえば、現代日本人に直接つながる日本原種の純血古代人のようなイメージであるとか? 縄文人という言葉の中に、そういう「ロマン」を見ていた可能性もあるが、アイヌこそその縄文人の特徴を残す人々でその集団は日本全域にいた、ということになれば、その夢も成立不能になる。

また日本の始まり、として、3世紀ころの「大和朝廷」による国家統一が言われていた時期が長いと思うが、最近では高校の教科書でも「大和」や「朝廷」の言葉は適切さを欠くので、「ヤマト政権」「ヤマト王権」などの限定的な用語に変わってきていると言う。「大和朝廷」という言葉には、日本がいかに古い時代から、現在の皇室につながる勢力によって「日本の元」となる中央集権国家が形成されていたか、ということを言いたいニュアンスを感じる。時期についても、国家としての日本の成立は、律令制が導入された7、8世紀ころと見るのが近年の歴史学の解釈らしい。

特別な機会でもないかぎり、改めて歴史書などひもとく人は少ないだろうと想像すれば、それぞれの生年に沿った学校教育の「成果」が、そのままその人の一生の歴史認識となってしまうのだろうか。その他の科学知識は(歴史学は社会科学だと思うので。「神話」に基づく学問ではなく)、医学でも、生物学でも、地球科学でも、ある程度は進歩の経緯が一般人にも更新されて伝わっているように思う。でも歴史となると、20年、30年、40年前の認識そのままでも、それを自覚することなく生きていける、ということであるなら、ちょっと恐いことかもしれない。

歴史学というものが、時代によって解釈を変え、必ずしも公正、公平な認識の元に編まれないとすれば、それは何故か。それは過去の解釈はそのまま「今」に関係しているからだろう。いまだに「日本は単一民族国家」などと発言する政治家が首相レベルを含めて後をたたないのは、国民的理解としても、それは歴史的に見ておかしいと判断する人が数の上でまだまだ少ないからかもしれない。その意味で、歴史書の変遷を見ていくことは、その時代その時代の政治や国民が何を事実として受け入れていたかの、もうひとつの歴史となるのだろう。

*前半の日本人の起源に関する言説は、岩波書店「日本列島と人類社会」(岩波講座/日本通史/全21巻、別巻4」の第1巻(1993年)の中の、「日本人の形成」(埴原和郎)の章を参照しています。この言説への反論やその後の新たな研究成果もあるかもしれませんが、出版から16年後の今読んで、個人的には一説としてそれなりに納得がいきました。
*元政権の一部の政治家たちが「日本は単一民族国家」と言ってきたことが、在日朝鮮人、アイヌ、沖縄人などのマイノリティへの視点を欠くということで問題になってきた。今回この文章を書いていて、それはもっと根深く、古代に及ぶ歴史認識も含めての単一民族国家論だったのではないかな、と思った。

20090904

自国の歴史を学ぶとき

今でこそ社会科学関係の本はわたしの読書の中心をしめるジャンルだけれど、中学や高校時代の社会科への興味はかなり低かった。どんな科目があったかすら出てこない。日本史、世界史、倫理?、、、あとは、政治経済なんてあったっけ、というくらいものである。中でも日本史は退屈だった。授業の大半を寝て過ごした。正直言って知識のレベルは、常識的な範囲での年表的事実や大まかな時代ごとの出来事、歴史上の著名人すら危うい。以来、日本史に限らず歴史関係の本を手にとることは稀だった。大河ドラマなどのテレビや映画などで歴史ものを見た覚えもほとんどない。オマエは日本人か、と問われれば、どうでしょう、、、と返すしかほかはない。

それがこの夏、900頁に及ぶ大部の歴史書をほぼ読破した。「現代朝鮮の歴史――世界のなかの朝鮮」(明石書店、2003年)、アメリカの学者、ブルース・カミングス(Bruce Cumings)の著書である。カミングスは朝鮮半島の歴史や政治を専門とするシカゴ大学の教授で、この本は朝鮮半島の現代史を中心に扱ったものだ。韓国で英語教師をしていた経歴や奥さんが(名前からみて)韓国系らしいことから、普通のアメリカ人とは違った視点を持つ機会、環境に恵まれたことが想像される。アメリカのみならず、世界的にも、朝鮮半島現代史の第一人者の一人とされているらしい。

カミングスの本は学者の本としてはとても読みやすいだけでなく、ものの見方や論理、文章の書き方がアクチュアルで生き生きしていて、また自身の経験(土地の経験や人との出会い)からくる感じ方も日常的なレベルで語られているので、本人から話を聞いているように読み進むことができる。多分、カミングスにとって学問とは大学や学会の所有物ではなくて、実世界や人々と直接繋がっているものなのだろう。たとえば「現代朝鮮の歴史」では、朝鮮戦争やその後の南北それぞれの歩み、統一の問題に加えて、アメリカに住む朝鮮系の人々(Korean American)についても1章が割かれている。ちょうど読んでいる最中に、クリントン氏の訪朝や金大中氏の訃報があったのでなおのこと、この本に描かれている朝鮮現代史が現実味を帯びて感じられた。

朝鮮現代史であるから、当然のことながら日本もしばしば登場する。植民地時代は言うにおよばず、韓国の民主化の歴史や北朝鮮の建国の経緯の中にも、それ以前の李王朝時代の中にも日本の姿は見え隠れしていた。もちろん朝鮮戦争はアメリカ人カミングスにとって一方の当事者であるわけで、それ抜きにこの地域の問題を語ることはできないだろうが、わたしにとっては日本でも朝鮮半島でもない人間が語る両国間の歴史、という視点が面白く感じられた。そしてこの本を読む間に、日本の歴史について少し学んでみたい気が起きてきた。ここで語られている日本という国はいったいどういう国なのか、別の視点からも知りたいと思ったのだ。

さて人は自分の国の歴史を、この言い方が大雑把すぎるなら、自分が生まれ育った土地の歴史をどのように知ったらいいのだろう。たとえばどんな本を読んだら知りたいことが知れるのか、その前に知りたい「その国の歴史」とは何か、という問題があるかもしれない。年表的な、あるいは人物伝的な、あるいは戦記物的な歴史が知りたいわけではない。自分が求めているのは、歴史や歴史書を成り立たせている「歴史自身の意味」や、現在の視点から見た「過去の捉え方」としての歴史、つまり歴史を知る意味とともに学ぶ歴史、ということかもしれない。

そんな気持ちでいくつかの本を当たっているとき、「日本列島と人類社会」というタイトルの本を見つけた。この「日本列島」という言葉こそ、わたしの知りたい「この地域」の歴史の俯瞰図に近い気がした。日本ではなく、日本列島。日本列島という言葉には、「国体」としての日本から解放されて、東アジアの海に浮かぶいくつかの島からなる一地域、列島社会という印象がある。そうなのだ、日本列島という島の連なる海洋地域にどんな人々が集まって来て暮らすようになり、いつ、どのようにして境界を設けたり少数民族を排して「日本国」を主張するようになったのか、少数民族は、あるいは隣国はどういう状態だったのか、日本語と言われる言語はどのように定着したのか、自然環境としての列島にはどういう特徴があったのか、そういう全体を通してこそ「日本」の歴史は知る意味がある。こういう科学的歴史観を基本にすれば、日本海が東海(朝鮮語でトンヘ)であっても、竹島が独島(ドクト)であってもなんら差しつかえないはず。二つの呼び方は両立する。植物が言語や地域によっていくつもの違う名前を持つように。時に「歴史」は社会科学を逸脱して、学問や研究とは関係ない感情の世界に行ってしまうことがあるのだろう。

領土獲得史や王位継承史としての日本史だけでは息がつまる。自分のいる国が古来より、立派な人物(武将やら皇族やら政治家、学者、文人など)たちの宝庫で立派な事ごとを成しとげ、立派な日本国をつくって現在に至る、式の「愛国教育」を今さら受けなければならない理由はどこにもない。

負け惜しみに聞こえるかもしれないけれど、学校時代に日本史を学ばなかったおかげで、偏見や悪弊なく白紙の状態で今から列島の歴史を辿ることができそうだ。一度知ってしまったことを元に戻すのはそれなりの労力をともなう。一度信じてしまったことを覆すには時間がかかる。ラッキーなことだったのかもしれない。


1.ブルース・カミングス(Bruce Cumings)
2.日本列島と人類社会:岩波書店「岩波講座/日本通史/全21巻、別巻4」の第1巻(1993年)。編集委員:網野善彦ほか。

20090816

zineとは、そして本とは?

ジンについては今回のブックフェアに参加するにあたって、いろいろなジンを手に取ってみたし、その始まりについても知った。最初はジンと言えば、スイスのニーブスが作っているようなコピー機と中綴じで制作されたアーティストブックくらいしか思い浮かばなかった。それもイメージとしては、テキストのほとんどない絵か写真によるビジュアルブック。ニーブスがこのタイプのジンを短期間にたくさん作って広く知られたので、ジン・カルチャーが知られていなかった日本では、これがジンの典型と見られるようになったのかもしれない。でもジンをよく知る人によれば、ジンと言えばまずテキスト、そこで何を言うかがジンのジンたる由縁、という感じだった。確かに、アメリカのジン・パブリッシャーであり多種多様なジンのディストリビューターでもあるMicrocosm Publishingのカタログを見ていると実にさまざまなジンがこの世にあることがわかり、その世界の広がりには圧倒される。

ジンについてここ何回か書いてきて、最後に「本としてのジン」について考えて一区切りつけたい。それは「本とは何か」ということを考えてきたわたしにとって、ジンという出版スタイルは、一つの暗示のように思えたから。

ところで、葉っぱの坑夫はスタート時からweb publisherというスタンスをとってきた。名前にWeb Pressとついているのもそのため。20世紀の終わりにインターネットのウェブの世界を知り、その技術を知り、そのディストリビューションの卓越ぶりに感銘を受けて、本の出版/publishをインターネットで始めた。「出版」という言葉が日本語ではほとんど「紙の本の世界」にしか使われていなかったときに、ネット上でのウェブによる「本の出版」に可能性を見たのだ。今でも出版、と言えば一般には紙の本のことを指すことが多い。そして紙の本の方が、価値が高いように思われがちだ。

作家やアーティストたちにとっても、どちらかと言えば、紙の本で出版されることの方が、ウェブで出版されるより価値があると思うかもしれない。そこにある真理、心理はどういうものだろう。考えられる一つの理由として、ウェブ上の作品はモノではないので、いつか消えてしまうかもしれない、ということ。ただ実際には、紙の本だって出版後どんどん消えているし、どんどん処分もされている。たかだか10年かそこら前に出版されたものが、一般市場では簡単に手に入らないことも多い(今はamazonのマーケットプレイスで買えることも多いが)。紙の本だからと言って、20年先の将来が保証されているわけではない。

では紙で本をつくることの魅力とはどこにあるのか。葉っぱの坑夫がウェブですでに発表した本を紙の本にしていたのは、別の読者の窓口(市場)を探すためだった。ネットにアクセスしない人、ネットで本を探したり読んだりしない人、本屋などのリアルショップで本に出会いたいと思っている人、そういう人たちにも葉っぱの坑夫の本を知って、読んでほしいと思ったから。ネットでテキストを読む人と、本好きの人が必ずしも重ならないと気づいたのだ。わたし自身の行動パターンにおいても、ネットでテキストは読むけれど、「本を読む楽しみ」を味わいたいときは、まずコンピューターから離れて好きな場所で、が基本。何をするにもコンピューターが必要で、常時そこに貼りつかざるを得ない人間にとっては、電源を切るだけでリラックスできる。職業上そういう人は、今多いのではないか。

ジンによる本づくりのことを考えはじめて気づいたのは、ジンは紙の本でありながら、部数と印刷経費と在庫の問題からある意味解放されることだった。それを考え続けていくと、作家にとって「紙で本をつくり出版すること(してもらうこと)」によって得られる夢の実現とは、どの部分なのか、という疑問が浮かび上がってくる。自費出版請け負います、という業者が一時日本で増え業績を上げたようだけれど、そこに夢を託した「作家たち」が望んでいた「本の出版」とは何だったのか。もし「ちゃんとした」出版業者から、「ちゃんとした」体裁の本をつくり、それなりの数(50部とか100部とかではない)で出版され、全国の本屋の店頭で「ちゃんと」売られること、だとしたら、今の書店や出版業界の現状をまともに観察すれば、何もちゃんとしていないことがわかるだろう。夢は叶わないのだ。

「ちゃんとした」本かどうかは、部数や印刷方式や値段や書店に置いてあるかどうか、で決まるわけではない。

葉っぱの坑夫は最初の数冊の紙の本を、オンデマンド印刷というコンピューターのデータから直接紙に印刷される方式の技術を使って作った。オフセットと言われる一般的な印刷より、300部くらいまでであれば、かなり安くできるのがメリットだった。ただし当時オンデマンド機のカラー印刷の技術はまだ低く、値段も高かったので、モノクロ印刷が主で、それも写真印刷にはドットが粗くて適さない、ということで、学術書や詩集などに使われることが多かった。ジンは基本的にコピー機を使って印刷されることが多いが、最近ではコピー機自体が多機能化し、高度なコンピューターを搭載するようになったため、出力機を兼ねているものがほとんどで、レーザープリンター&ハードコピー機の仕様になっている。オンデマンド印刷機と多機能コピー機は、データから出力という意味でほとんど同じようなものになった、ということかもしれない。それに加え、家庭で使われているインクジェットプリンターの方も、デジカメで撮った写真をプリントできるくらい精度が上がった。レーザーとは仕上がりのクォリティの問題というより(保存耐用年数も含めて)、主として印刷方式の違いに過ぎないのかもしれない。

とするなら、ジンを、あるいは本を作るのに、特別な印刷設備はいらない。自分のインクジェットプリンターで、あるいはコンビニなりキンコーズなりのコピー機で、好きな部数だけ作って出版すればいいのだ。単価的には他の印刷方法より高めになるだろうが、一度に1000部刷ろうと思わなければ問題ない。商売としての出版ではなく、本という形で作品を発表するのが目的であれば、「ちゃんとした(自分の納得のいく)」本の内容と仕様さえプランできれば、あとはゴー!刷って、綴じて、配るなり売るなりすればいいのだ。初めて作る本が、300冊、あるいは1000部単位で作れないのは悲しい、などと思ってはいけない。本というのはそう簡単に売れるようなものでもないのだから。たくさん刷って売れるはず、と思わないかぎり、ジンであれ本であれ、20部、30部、から作ってみて世に出して、その本がどういう運命を切り開いていくか、試してみるのがいいと思う。改訂したいところや追加があれば、第2刷には変更を加えて刷ることも可能だ。更新していける。そう考えるとジンは、ウェブのつくり方にも似てくる。大きく違うのは部数とディストリビューションだ。ジンはひとつひとつのコピーがオリジナルでコピーした数が出版数、ウェブはオリジナルは一つでそのコピーは不特定多数の人にほぼ無制限に行き渡る。

ジン、ウェブ、どちらもコンピューターを媒介にした今の時代の出版方法だと思う。確かにジンは、作って配って、売って、そのとき見てもらうのが主要課題で、長く残すことはあまり考えられていないかもしれない。ウェブも同様。でもどちらも、書誌番号(ISBNなど)を振って、国に書誌登録すれば、後世に残すことだってできる。葉っぱの坑夫ではウェブ作品の書誌登録はまだしていないが、ジンは今回つくった4作品すべて登録し国会図書館に献本している。それはたとえば、30年後に国会図書館なり書誌検索で「鼠小僧」と引いた人が、アリ・マルコポロスと芥川龍之介による葉っぱの坑夫のコラボレーション版の鼠小僧と出会うかもしれないということだ。自分の本が「ちゃんとしている」ことを強く望む人には、本の体裁や部数だけに夢を託すのではなく、こういう(伝わり方における)「ちゃんと」仕方、夢の持ち方だってあるんだと知ってほしいかな、と思う。

国会図書館ですら、「こんな薄っぺらい小さな本は本ではないから書誌に載せられない」とは言わないのだから、ジンも本なのである。ジンが本をつくりたい人の道場、実験場となって、そこから他のスタイルの本作りや出版へのさらなる道を切り開いていけたら素晴らしいと思う。

20090728

幸せな出会い、ZINE'S MATE余波と連鎖。

葉っぱの坑夫を始めてからもうすぐ10年。この間に起きた主としてサイトを通じたさまざまな出会いやその不思議なつながり具合には、そのときどき驚いたり興奮したりしてきた。インターネットの世界では、物理的な距離が(時差以外に)ほとんど感じられないし、共通の言葉さえ見つければ、実世界と変わらないコミュケーションがとれる。その思いは葉っぱの坑夫を始める以前のインターネット利用者の時代から変わっていない。

それとは別に、本を出したときにやった展示や、参加したイベントなどで直接読者の方にお会いしたり、話したりする機会は今までもあった。でも今回出展者として参加したブックフェアZINE'S MATEでは、今まで以上に濃い出会いがあった気がしている。ひとつには志をもって作品をつくり出展している版元やアーティストたちとの出会いがあったからだろうし、そういうオルタナティブな活動に興味をもってやって来た好奇心の強い来場者たちと出会えたからだろう。

印象に残った三つの出会いを書いてみよう。一つはEKKOさんとガレリア・デ・ムエルテ+Ragnar PerssonというスウェーデンのアーティストそしてVICE、もう一つはサウダージ・ブックスさんとそれに連なる作家たちや製本のこと、三つ目はブースに来てくれた台湾系アメリカ人写真家パトリック。それともう一人Futoshi Miyagiさんの作品。他にももっともっとあったけれどとりあえずこの三つ+1に絞って。

EKKOさんはドローイングや木版画をつかったミニインスタレーションのような作品をつくる日本のアーティスト。Gyreに出展していたガレリア・デ・ムエルテのブースで、プレビューの日に本人とメキシコ・アート旅行を綴った楽しい本に出会った。その楽しくも不思議な絵に惹かれて、ちょうど開催中だった個展にも行ってみた。ムエルテ画廊へ。そこでメキシコ土産とともに見たEKKOさんの作品は数は少ないながら印象に残るもので、さらにもう1冊の本「かおかたち」を購入。これはみずたさやこさんの文とEKKOさんの絵による寓話的で、民話的で、世界の裏側を覗き見たような奇妙なあじわいの本。「死の画廊」(ガレリア・デ・ムエルテ)との繋がりがみえるようなテイストを含んでいるな、と読んでみて思った。そうムエルテとはスペイン語で死を意味する言葉。ギャラリーの名前としてユニークだし、そのコレクションも不思議にして奇怪、ちょっと心して近寄らないと、、、という作品も多数。でもアラスカのアーティスト、アニー・オーブはとても面白い。さてそしてムエルテさんで「かおかたち」を買うとき、ふと、レジの後ろに置いてあった絵に目がとまった。見たことある。誰の絵だっけ。ムエルテさんに聞くと、なんとそれは、わたしがZINE'S MATEで購入したジンの作者、スウェーデンのアーティストRagnar Persson(ラグナール・ベルソン)の絵だった。しかも彼の個展をムエルテさんでやるという。あー、繋がった、と思った。EKKOさんの絵とセンスに惹かれてここまでやってきた理由がわかったと思った。さらに、そのときムエルテさんに紹介されていただいたVICEというフリーのアートレビュー誌(ラグナールの絵が表紙だった)、これがまたすごかった。言語は英語だけれど版元はスカンディナビアンらしく、ヨーロッパの各都市やアメリカ、日本、香港などにもオフィスがあるグローバル・マガジン。日本人の若い(16歳)アーティストのインタビューもあった。定期購読してみたい。服屋などに置いてあるとの話だった。
EKKO art
ガレリア・デ・ムエルテ
Ragnar Persson
VICE


サウダージ・ブックスの主宰者浅野さんとは、ZINE'S MATEで背中合わせのお隣さんだった。何の話が最初だったか、たぶん浅野さんがブラジルに3年ほど住んでフィールドワークしていた、というあたりの話題から始まったように思う。人類学者レヴィ・ストロースについての本「ブラジルから遠く離れて 1935-2000」を出版して、その本をもって出展されていたが、そのショッキングピンクのカバーの本の製本についてもお話しした。浅野さんは手製製本を勉強、研究しているそうで、それもわたしの興味を引いたひとつだった。そのピンクの素敵な本は、手に軽く、スミの文字の中にピンクの文字がときどき踊る、造本的にも魅力ある本なのだけれど、確か手製製本の手法を工業的製本の中に少し取り入れている、と聞いた。一見ふつうの製本に見えるけれど、手にもって本を開くとき、どこか柔らかい感じがするのはそのせいなのかもしれない。中身はまだこれから、この夏の楽しみとしてゆっくり味わいたい。偶然にも、葉っぱの坑夫の「籠女」を浅野さんは読んでくれているそうで、オンデマンド印刷、出版についての記録も葉っぱのウェブで読まれたそう。本づくりのあれこれ、手製製本をしている共通の知り合いの話など、よくぞここでとびっくり。またわたしが今回のブックフェアに合わせてつくった二つのテキスト系のジン「たった一つの、私のものではない名前」(温又柔)と「在日Koreanと南北朝鮮をよく知るための本と映画10選」(葉っぱの坑夫選)を読んでください、と渡すと、奥さんが在日コリアンとのことで、後に彼女が寄稿したある雑誌のコピーを送ってくださった。それだけではない偶然は、「在日Korean、、、」の本の中にあげていた1冊、「最後の場所で」の著者、Korean Americanのチャンネ・リーの文章を浅野さんが翻訳したことがあり(今福龍太編『「私」の探求』の中の1編)、その部分のコピーも送ってもらった。チャンネ・リーという作家をより深く知るまたとない機会となった上、その文章はとても印象深く同時に温さんの「たった一つの、、、」の内容とも深く関わっていた。「在日Korean、、、」「たった一つの、、、」この二つのジンをつくってみて本当によかったと思った。どのように読んでもらえるかがわかる読み手を一人でも得たことは何にも変え難い。
サウダージ・ブックス

最後にもう一人。パトリックは出展者ではなく来場者の一人。葉っぱのブースに友だち二人でやってきてしばし楽しく話した。パトリックは台湾系アメリカ人で、写真を撮っていると話していた。ここ何年かは台湾、中国と住み、1年前に日本にやって来たそう。ここに彼のことを書こうと思ったのは、もらった名刺にあったサイトで写真を見て、それが素晴らしかったから。2、3年まえにとても興味深いフォト・プロジェクトを中国人写真家の女の子と二人で始め、旅や共同生活を通じて互いを知り合い、盛り上がり弾け、それを作品にし、その恋の終わりとともにプロジェクトも終了した。写真家としての才能、同時に被写体としての才能にもうたれたし、その境界のなさ、二人のオーサーの境界、写真家と被写体の境界、そういう不思議に開けた感覚がとにかく新しいと思った。パトリックがブースに来たとき、共通の興味として台湾系アメリカ人映画監督アン・リーの話が出た。パトリックはアメリカの大学で写真ではなく映画を勉強していたそう。台湾系の映画監督として、エドワード・ヤンやツァイ・ミンリャンの話が出て、ツァイ・ミンリャンはいいからと何作かリコメンドももらった。彼とはその後連絡をとりあったので、これから何か面白いことが始まるかもしれない。
Patrick Tsai
*上に書いたプロジェクトはmy little dead dickという作品

これ以外にもう一つ。mixed boothで買ったジン"You Were There In Front Of Me"のFutoshi Miyagiのウェブサイトで見つけた作品について。まずジンについて書くと、赤い表紙のハガキサイズくらいの小さなやわらかな本に、片観音を開いた見開きごとに12人のポートレイト。青焼きのような色味の、輪郭がはっきりしない写真の複写のコピーのような写真が淡々とつづく。赤い文字で"You Were There In Front Of Me"と扉ページの見開きごとに出てくる。つまり写真そのものよりこの仕掛けに意味がありますよ、という見え方だった。作家のフトシさんがいたのでこのジンについて聞くと、自分の部屋のパソコンからウェブカメラを通してモニターに写っている被写体を撮影したとのこと。そういえば、最初のページにNew York, Hague, San Franciscoなどの都市名が並んでいた。不思議なプロジェクトだなあと思い、フトシさんのウェブサイトにアクセスしてみる。そこにも"You Were There In Front Of Me"はあった。このプロジェクトについてのテキストの中で、完成したプロジェクト、と書かれていた"Strangers"に興味をもつ。タイトルと"You Were There...."との関連性に惹かれたのだが、なんといっても作品自体が目を洗われるようなすばらしさで惹きつけられた。カラーの写真作品で、未だ映像としては見たことがないけれど知ってはいるある状態、時間。人と人の関係性。そのようなものがひりひりと伝わってくる。パトリックの写真にも写っていた撮影者、フトシさんの写真にも写っていた撮影者。片方は写真として撮っていて、片方は絵の手法として撮っているのかもしれないが。その意味はまったく違うのかもしれないし、共通点があるのかもしれない。今のわたしにはわからない。フトシさんは以前から知っていて、でも作品をちゃんと見たのはほぼ今回が初めて。そういう意味では他の3者同様、「出会い」があったと言えるのかもしれない。
futoshi miyagi

20090718

何が楽しかったって、ZINE'S MATE


(これはGYREの会場の方。テキストの下にVacantや葉っぱのブースの写真あり)


ジンとアートブック、その他オルタナティブブックのフェア、ZINE'S MATE終了しました。
事務局の発表によると、オープニングパーティに招待客など800人、会期中は二つの会場合わせて8000人を超える来場者があったとのこと。これは第1回目としては想像を超える大成功だったのでは。実際、オープニングも含め、両会場は3日間かなりの混雑で、ときに会場内を移動するのが難しいくらいの密集度でした。どこからこんなにアート好き、本好きの人々が沸いて出たのか、頼もしくも不思議でした。

出展者のほうも、葉っぱの坑夫と同様、こういうフェアへの出展は初めてという方も多かったようで、慣れないソワソワ+初めてのワクワクが高じて興奮ムード、それも会場の熱気の源になっていたように思いました。アーティスト本人がブースに座り自分の本を紹介して売る、本をつくった版元がブースに常駐して本を販売する、買ってくれた人と話しをする、また出展者どうしが行き来して互いの本や作品を手にとり、その内容について話をしたり情報交換する、そういういろんなやりとりのすべてがZINE'S MATEというイベントを構成し、盛り上げていました。

葉っぱの坑夫にも以前からの知り合いの人々、まったく未知の人々、どちらもたくさん来て、本を手にとり、話しをし、買っていってくれました。プレビューの日に最初に見つけて買った素敵に弾けたメキシコ旅行のジン、その作者EKKOさんも来てくれて感激。作品を通じて心が通うって素晴らしい。家に帰って読んだら絵も文もとても好きでした。他にも本城直季さんのラスベガスを空撮した小さな写真集を作っているスーパーストアの方とか、MapsやLettersなどフィールドワーク的なビジュアルブックで前々からファンだったポスタルコのMikeさん、Yuriさんともいろいろお話しして、互いの作品を見たり買ったり。他にもたくさん、ジンを交換したり、名刺をいただいたり、これから少しずつウェブにアクセスしてお会いした人たちの作品を見ていきたいと思ってます。

今回初めて、それもプレビューの日いれて4日間も、お店屋さんをやってみて、これまた楽しくも興味深いことがたくさんありました。ブースがお隣だったYEBISU ART LABOさんは二人揃って楽しい人柄で、名古屋でショップを運営されているので慣れていていろいろ助けてもらったし、右のお隣ASOKOさんは今回のZINE'S MATEの一番人気?というくらいの盛況ぶりで、自由な精神から生まれるのであろうユニークな作品群は、ジンに限らず(「木ホルダー」とか「紙の糞」とかTシャツとか)幅広い層から支持を得ていました。かく言うわたしもすっかりファンになってしまい買ったジンにサインをしてもらいました。毎日店頭ディスプレイを変えたり、前日足りなかったものはすぐ作って持ってくるなど、とっても真面目な面々(アートグループなので)でした。真後ろの背中合わせのブースだったサウダージ・ブックスさんとも親しくいろいろお話しました。葉っぱの坑夫の「籠女」を読んでくださっていて、ブラジルの話から製本の話(手製製本をされているので)まで共通の興味ある話題も多く、話が尽きない感じでした。

毎日往復2時間くらいかけて会場に通い、午後めいっぱい常駐するのはなかなかエネルギーのいることでしたけれど、それに余りある何かを感じたり得たりすることがあったから、何はともあれとてもよかったと思っています。