混血のブラジル。シティ・オブ・ゴッドも、ナザレーも。
「シティ・オブ・ゴッド」のTVシリーズを今、CSやCATVで放映している(シネフィル・イマジカ)。数年前に映画の「シティ・オブ・ゴッド」を見て衝撃を受けた人も多いのではないか。リオデジャネイロのスラムに住む少年たちを題材にした映画で、それ1本でメイレレスというブラジル人監督は世界中に名を知られる存在となった。今回のTVシリーズはその3年後に作られたもので、30分×9編のシリーズである。
5〜8話までの4本を見たところでは、テレビということもあってか、全体として明るく、軽いタッチで、インターバルに使われているタイトル映像はスパイク・リーを思わせるポップさでなかなか楽しく、いいぞいいぞという感じ。この監督のセンスを感じさせる。ストーリーはスラムに住むアセロラ、ラランジーニャの二人の少年の日常生活とちょっとした冒険、体験を追ったもの。第8話では日系ブラジル人少年二人も登場し、また別の興味も沸いてきた。アセロラ、ラランジーニャがビーチで知り合った白人の金持ち少年がいて、その家に客として来ている知り合いの日系人の子どもがその二人。最初どこかぎくしゃくしていた五人だけれど(アセロラたち黒人少年は、どうも日系少年をバカにしているか、嫌っている感じで敬遠気味)、気のいいスラム出身のおかかえ運転手(白人少年の家の)の仲立ちもあって、五人そろってスラムに行って凧揚げすることに。そこからはもう、白、黒、黄の違いは溶けてただの子ども、悪ガキ集団となってスラムでの「楽しい一日」を過ごすことになる。
日系少年たちはもちろんブラジル生まれで名前もブラジル風、母語もポルトガル語。裕福な家の子なのか、物おじせず、率直な物言い、振舞いで、アセロラとラランジーニャをとまどわせる。でも凧揚げのための凧を、日系少年たちが部品を買って手づくりすると言い出し、スラムの露天で値切ったあげくに手に入れるのを見て、こいつらスラムの俺たちよりすごい、とそのちゃっかりぶりに親近感を抱くようになる。そのあと起きるちょっとした事件の収拾のために、みんなで資金集めに走るときも、メイレレス監督は日系少年のちゃっかりぶりや機転を楽しく描いていく。こんな風に外国映画の中で日本人、日系人が描かれるのは、案外少ないように思う。とても新鮮だった。スラムの子どもたちのリアルを撮るのと同じ視線、同じ愛情をもって日系人も撮った、それだけのことかもしれないが。
ブラジルは人種の混ざり具合、混血の深さがどこよりも進んでいると聞いたことがある。アフリカをルーツにする黒人系、アマゾンなどの先住民系、植民地時代のポルトガル系白人、その他のアジアやヨーロッパ系移民などがいて、黒人や先住民と白人の混血は昔からあるそうなので、その混ざり具合が時代を経る中で複雑化し、肌の色や顔つき、背格好などのグラデーションとして多様化して現れているのだろうか。
混血といえば、音楽においても、ブラジルではアフリカをルーツとするものからヨーロッパ音楽、そして先住民のものと、混合の度合いが深いようだ。エルネスト・ナザレーという1863年生まれの作曲家、ピアニストがいる。子ども時代にショパン、ベートーベンといったヨーロッパ音楽に親しみ、ピアノ、作曲を習って、後に音楽家になった。まだレコードなどの記録媒体が普及していない時代で、ナザレーは主としてリオデジャネイロの町の楽器店や映画館のロビーで生演奏をしていたという。タンゴ・ブラジレイロといって、アルゼンチン・タンゴとは少し違うブラジルのタンゴのピアノ曲をたくさん書いた。ワルツやポルカ、サンバなども書いている。専門の音楽教育を受けなかったこともあり、管弦楽や協奏曲など大きなものは一つも作っていない。
ナザレーのピアノ曲は、楽しく、ときに物悲しく、センチメンタルで、情熱的、19世紀から20世紀にかけてのヨーロッパのサロン音楽の風味をもちながら(ショパンとか、サティとか)、どこか土臭く、南の言葉やリズム、感情の高まりの強さ、古色な色合いを感じさせ、奔放で自由で放浪性がある。記譜法も少し緩いところがあるようで、それは考えようによっては演奏者の即興性に委ねる部分が多いということかもしれない。あるいは、作曲家自身が弾くたびに違ったように、気分に合わせて弾くので、一つの奏法に固定する情熱が薄く、音楽をそのときのもの、ライブと感じていた可能性もある。そのあたりも含めて楽しむのが、ブラジル音楽の楽しみ方かもしれない。
ナザレーのピアノ曲は日本でも全音から楽譜が出ているくらい、ある程度知られた作曲家だけれど、それほど弾かれてはいないかもしれない。全音の楽譜も、館野泉さんというフィンランド在住のピアニストの情熱で、彼の監修により楽譜が出来たようだ。シベリウスなどフィンランドのピアノ演奏で知られる館野さんが、ブラジルのピアノ音楽を紹介するというのも面白いと思っていた。譜面的には難しい曲はほとんどなく、弾けばその独特のリズムや節回しをすぐに手にとることができ、楽しく、深く感情を共有できる。CDもいくつか出ていると思う。ナザレーも含めた中南米のピアノ音楽の素晴らしいアーカイブを見つけたので、以下にURLを。
http://www.geocities.jp/latinamericapiano/index.htmlメキシコ、キューバ、アルゼンチン、ハイチ、ボリビアなどなど、こんなに中南米の人々もピアノが好きだったのかと驚くようなラインアップである。ネット上に楽譜が公開されているものもあり、リンクをたどっていくとPDFで見ることができ、もちろん印刷すればちゃんとした楽譜として使える。ブラジルにはカバキーニョといってウクレレのような小さなギターがあったりして、音楽のヴァラエティにはこと欠かないけれど、ナザレーのピアノ曲にもこのカバキーニョの奏法をイメージしたものがあり、カバキーニョの音の楽しさを知っていると弾くのがさらに楽しくなる。ブラジルの映画、音楽を知ることは混血、混合の楽しさを感じていくことなのかもしれない。とても未来的だと思う。
印刷、作品、出版物
アメリカ在住の写真家アリ・マルコポロスさんが今月13日から東京で新作展をする(ギャラリー・ホワイトルーム・トウキョウ/表参道)。すべての作品をゼロックス(フォトコピー)を使用して制作したと聞いている。また展示内容を本にまとめた「The Chance is Higher」の限定販売もあるらしい。こちらもフォトコピーによるもので、モノクロ40点を集めた作品集(Dashwood Books)。アリさんから聞いたところによると、本は(価格的には高いけれど)素晴らしい仕上がりだそうだ。展示をするホワイトルーム・トウキョウのサイトには、作品を定着させる方法として、ローファイでミニマルなフォトコピーという手法に現在アリさんは魅せられているとあった。
葉っぱの坑夫で紙の本をつくり始めて以来、印刷、製本の方法にはずっと興味を持ち続けてきた。それは技術的なことや応用範囲、コストなどもあるけれど、特に注目してきたのは印刷の方法とその発表の仕方、さらには世の中の受けとめ方との関係性について。スイスのインディペンデント出版社Nievesを最初に面白いと思ったのも、アーティストとつくるzineスタイルの本をすべてフォトコピーでつくっていたことが大きかった。コピー機が一般的になってから、多くのアーティストたちがコピーをつかってあえてラフなテイストのアートブックをつくっていたことは知っていたけれど、Nievesのやり方はもっと意識的にこの「印刷」法を選んでいるように見えた。出版の方法論の一つとして、「印刷」の選択肢の一つとして、フォトコピーを選んでいるという感じがしたのだ。
いま「印刷」と書いたけれど、フォトコピー(photocopy)は厳密に言うなら「複製」。printとcopyはもともとは違う行為だった。でも現在のように、コンビニのコピー機でさえ、自宅からデータを送って、同じコピーマシンから出力することも可能なってくると、コピーと出力(print)の境界は使用面から見るとボーダーレスに感じられる。同様に家庭用のプリンターも、高解像度スキャナー、コピー機能、プリンターが一体になったものが、手頃な価格で買えるようになった。日本ではデジカメで撮った写真はプリントして閲覧、保存する、という人が多数派なので、プリンターはデジカメからの写真プリント機として大いに活用されている。プリンターのマニュアルを読めば、そこにユーザーのニーズのポイントがあることが見てとれる。マシン(プリンター)の方も写真プリントに便利なように、デジカメのメモリカードから直接プリントできるなど、さまざま工夫がされている。最近このような一体型プリンターを購入してみたのだが、写真プリントについては適正な紙を使った場合、DPEのショップで頼んだものと変わりないクォリティに仕上がる。つまり印刷機としてかなりの精度があると考えていいのではないかと感じた。
一方、出版や広告など一般の商業印刷物は、オフセットという印刷法が使われている。活版印刷の時代があり、その後オフセットが出てきてそちらへの移行時期があり、今はほぼオフセットに取って代わられている。装幀家、製本工芸家の栃折久美子さんは、アウトラインフォントの付いたワープロをつかっての本づくりについて、「活版印刷の力強い美しさには及びませんが、紙を選べば、ねぼけたようなオフセット印刷よりもずっとまともなものが刷れます。」と著書の中で書いている。ワープロ、というのはこの本が出版されたのが1996年で、まだワープロが使われていた時期だからだろう。オフセット印刷についても1996年と2008年の間に、精度において何らかの進歩はあったかもしれない。ただ活版印刷からオフセット印刷に移行した時期には、オフセット印刷の仕上がりに関して、栃折さんの言われるような精度上の欠点、不満は数多く耳にしたことだった。
今やオフセットは大量印刷の方法としては、ほぼ唯一の方法で、普通に印刷と言えばオフセットを指している。オフセットはある程度数量がないとコスト的に割高になってしまうので、少部数印刷には向かないとされてきた。ところが近年になってCTP(Computer to Plate)という、製版フィルムを通さずに、データから直接刷版(印刷にかけるときインクを乗せる版。この版から紙に転写する)を作ることのできるシステムができて一般化した。インターネットが広まったこともあり、ネットの印刷屋さんがこのCTPを取り入れて、100部くらいの少部数からオフセットでの印刷を安価で受けている。DM用のポストカードから冊子まで、様々なスタイルの印刷物に細かく対応しているところもある。このCTPは通常の商業印刷の企業にとっても、ごく普通の印刷法になってきたようだ。方法論としては、コンピューターからデータを直接刷版するのだから、それまでのフィルムをつかった製版と比べて一工程減ることになる。家庭用プリンターでは刷版の工程がなく、直接データを紙に刷るのでもちろん仕上がり感や印刷物としての精度は違う。ただ私家版的なもの、少部数のもの、オンデマンド的な需要のものをつくりたい場合は、家庭用プリンターは印刷方法の選択肢として、充分考慮されていいのではないかと思う。最近そのように思うようになった。高いお金をかけて、「本物の印刷」に必ずしもこだわる必要はないかもしれない。たとえば、とりあえず50部から100部くらいつくってみる、という場合の出版物なら、まずこの方法で試してみる価値はある。その後需要があることがわかってから、オフセット印刷に500部、1000部と出しても遅くはない。一つ問題があるとすれば、製本をどうするかだ。製本については便利で安価なシステムやマシンも今のところ出ていないので、試行錯誤する必要があるだろう。これも「本」という形をどう捉えて、自分はそこにどんな形を与えたいのか、によっても随分変わってくることだとは思う。
オルタナティブな作品づくりや出版においては、世の中にある印刷法をあまり役割固定的に考えず、自分のつくりたい本のイメージや目的、キャパシティに近づけることを第一に選んでいくのが楽しそうだ。また精度に対する考え方も、自分の意向をクリアにしてみれば、皆がみんな同じ一つの仕上がり感を求めているはずはなく、大雑把に「ちゃんとした印刷=オフセット」と考えなくてもいいように思う。アリさんのように、求めるイメージ、テイストがフォトコピーによって初めて実現される、という人もいるのだから。
*葉っぱの坑夫が何冊かの本で使用してきた、ドキュテックなどのモノクロのオンデマンド印刷機も、仕組としてはデータから紙への直接印刷である。この場合は、500部以下の印刷にコストパフォーマンスが高いと言われてきた(オフセット印刷と比べて)。アメリカやヨーロッパでは、オルタナティブな出版の方法として、詩集などモノクロ印刷を中心に今でもよく使われているようだが、コスト的に大きなメリットがあっても日本では私家版制作にはあまり活用されず、主として学術論文などの分野や、絶版本のオンデマンド受注用印刷として使われているらしい。日本人の「本」に対する考え方の特徴がよく現れている事例かもしれない。
*アリ・マルコポロス写真展「The Chance is Higher」 2008年6月13日(金) - 8月25日(月)
Gallery White Room Tokyo (表参道)
*オフセットCTPの印刷工程についての記述に誤りがあったので直しました。(5段目、「今やオフセットは....」のところ/6.10)
形になること、プロセス、出版、マニュスクリプトを読む
複数のプロジェクトを同時進行させながら、海外、国内の作家から送られてくる作品を見たり、読んだりすることをここのところやっている。プロジェクトの方は、2人〜数人の間で進められることが多いので、それぞれが関わっている他のプロジェクトと調整しながらの進行になり、思いついたところですぐ形になるというわけにはいかない。葉っぱの坑夫を始めた頃は、作品の制作や本づくりと同時進行的に、その進行記録を逐次公開してプロセスと作品が一体化したものという見え方を意識していたところがあった。今は少し違っていて、作品を発表するしないにかかわらず、それぞれの作家やクリエーターとメールでやりとりする量や質は昔と変わらないけれど、現在進行形での経過報告をウェブ上ですることは少ない。また以前のようなスタイルをとることもあるかもしれないが、今はちょっと違った気分というか。もしかしたらここ2、3年のblogやSNSによる、多くの出来事が逐次、即時に公表でき、それに対する即時応答もできるという状態に疲れを感じ始めたのかもしれない。面白いもので、一つの技術が手に入ったばかりのときはそのこと自体から無数の輝きが放たれていたものが、ひとたび常態化すると、今度はその技術を使うことを強制されているような気分が生まれる。という気がする。ここのところの葉っぱの活動報告を見てみると、更新と更新の間隔が長く、一つのポストがやたら長い。なかなか書き始めず、一旦書くとなると大量に書くというスタイルになっているようだ。読む身からすると、負担なことかもしれないが。
それともうひとつ。以前はプロセスを大事にすると言いながらも、形にすることに対して今以上にこだわりがあったように思う。ある種の強迫観念のような。もちろん形にすることは大切だし、面白いし、意味があることだが、あるプロセスを経た結果、形になり得なかった場合や、葉っぱの坑夫以外のところで形にすることになってもそれはそれでよいし、その場合もできることはサポート、協力したいと思ってやっている。結局大切なのは、人と人、人と作品が出会って、何かそこで面白いこと、一が二や三になるようなことが起こり、あるいは化学変化のようなことが起きたりして、見たことのない聞いたことのない視野、ヴィジョンが体験できることではないか。それが創作活動の基本のように思う。うまくいけば、そしてチャンスに恵まれれば、それがウェブの作品や本という形になって、第三者のところにまで届けることが可能になる。このようなやり方が許されるのも、葉っぱの坑夫の活動がworkではあってもjobではないからだろう。参加している、寄稿している人々にとっても、voluntary(自発的な、志願した)な仕事としての作品づくりになっているのだと思う。
もう5月も後半なので6月以降のことになるけれど、今後の予定として、今年の後半にウェブの連載作品が一つ、紙の本が一つ、形になってくる見通し。その他今進めているプロジェクトの中から、形になるものが出てくるかもしれない。それとは別に、紙による実験的な出版についての試行錯誤もこの何ヶ月かやってきた。今までやってきたこと以外の方法論の開拓、第三の道というか、ある素材を「本」という形に収めるための考え方であり、再度「本」や「出版」について考えることでもあるのだが、そういうことを考え続けてきた。それは葉っぱの坑夫に寄せられる寄稿作品が与えてくれた課題だ。ひとつひとつの作品とどのように向き合い、その出口を探していくのがいいのか、その解答探しの旅である。ウェブと紙、この二つのメディアをもっと緊密に相互作用的に繋げていく道の探索でもある。
最近送られてきた作品のひとつに日本を題材にした長編小説がある。長編なので一度に読む時間を取るのは難しく、かといって気まぐれに切れ切れに読むのも気が進まない。それは2、3年前に一度、スペイン語で書かれたマニュスクリプト(美しくプリントされ、出力ビューローで製本され形を整えられた原稿だった)として作家から見せてもらったことのある作品で、マニュスクリプトの外観も美しかったが、本文にはスペイン語に混じってときどき、日本語(主として漢字)の姿が見え、その全体に興味を惹かれていた。また作品の主題についても作家から話を聞いていた。その作品を作家自身が英訳し始めたことを聞いたのは1年以上も前のことだ。すでに着手していた新作の長編小説の進行を一時休止し、この翻訳をしているとのことだった。並々ならない想いがあると想像された。「非常に大変」と聞いていたその翻訳作業が終わったという話を聞いて、ほんとうにやってのけたのかと改めて驚いた。だから英訳されたこの作品が送られてきたとき、「I'm finally done...」の言葉を聞いたときはわたしも嬉しかった。だから彼がした大変な思い、志に応えるような読み方をしたいと思った。そこで毎朝起きてすぐに、一つの章を読んでは簡単なノートをつけ、作家にメールすることにした。ここまでのところ7日かけてやっと三分の一のところまできた。時間をとるのは大変だが読むこと自体は楽しい。今やっているこの行為が何に結びついていくのか、まだわたしにもわかっていない。でも明日も、あさっても、同じことをしようと思っている。
Olympic Voices From China
というタイトルのニュースレターを受け取ってメールを見たら、Words Without Bordersという文学ジャーナルの4月号のお知らせだった。WWB(あらゆる境界を超えていく言葉)は世界文学(世界各地で様々な言語で書かれている小説やエッセイ、詩、ノンフィクションなど)を翻訳して出版するオンラインマガジン。紙の本でアンソロジーも出している。orgのアドレスから非営利であることがわかる。使用言語は英語。
4月号の特集は中国の女性作家たちの作品を集めたもので、それでちょっと「人目をひいてしまう」前述のタイトルとなっているのだろう。7人の中国女性作家の短編作品やノンフィクション、エッセイがウェブ上で読める。多くの作品は中国語から英訳されたもので(英語で直接書いた人もいるようだが)、作品を集めて編集したYu Yingが翻訳にもかかわっている。Yingは、ナボコフがプーシキンの「オネーギン」の英語への翻訳について語った「摩天楼の高さに及ぶくらいの脚注を書きたい」という言葉を冒頭に引いた、「摩天楼のような脚注」というタイトルの長い紹介文も寄せている。
特集は今起きている聖火リレーにまつわる妨害事件よりもずっと前から企画されていたものだろう。またどの作品の内容も、オリンピックと関係しているわけではない。では何故、わざわざこのような(人騒がせともとれる)タイトルをWWBは付けたのだろう。(ニュースレター発信は4月16日)
中国は今、様々な局面で強い風当たりを受けているように思う。チベット問題は中でも格好の「誰も異議を挟めない」弱点の一つだろう。それを掲げての抗議運動の世界的な広がり、この現象にはわたしは最初の時点から何かいやなものを感じていた。詳しくは知らなかったが、漠然と不自然なものを感じていた。この運動の本当のところは今も知らない。ただ純粋なチベット弾圧への抗議行動なのか、疑問は消えない。
そもそも聖火リレーにともなう抗議行動の趣旨は何なのか。日本ではどんな受けとめ方が一般にされているのだろう。もちろん様々な考えがあるのだろうが、たとえば出発式が行なわれる予定だった長野の善光寺が、チベット問題を理由の一つに上げて会場提供を断ったことは何を意味しているのか。新聞によると「平和の象徴である善光寺」で厳戒態勢が敷かれたり暴動が起きては困る、という考え方があったらしい。平和とは、これは善光寺だけでなく、多くの日本人にとってもそうかもしれないが、自らの強い意志のもとに守ろうとしたり、切り開いたりしていくものではなく、目の前で起きていることに問題があれば、自らが関わらないようにそっと手を引き波風のない現状を維持する、ことなのかもしれない。一度は(多分喜んで)引き受けたことならば、この問題にもっときちんと向き合い、事の次第を様々な角度から自前で調査し、深く考えることによって違ったアイディア、結論も生まれたかもしれないと思うと残念だ。それを考えることが平和を望み実践することなのではないか。(オリンピック自体が、平和への貢献があるイベントかどうか、についてはここでは問題にしない)
WWBの中国女性作家特集をぱらぱらと読んでみたが、なかなか興味深いものがあった。中国の内部には様々な葛藤が、歴史的に、思想的に、言語的、民族的にあることが伝わってくる。編集者のYingによると、たとえば広東語と北京語は、同じ漢族の言葉とはいえ、方言の範囲を超えて、ラテン語圏におけるフランス語とイタリア語の違いくらいのギャップがあるという。少数民族と漢族の間にある不均衡や差別だけでなく、漢民族の間にも優劣や不平等があるということなのだろう。政府の一人っ子政策にもめげず、妊娠して村を出奔する母親の話など、WWBの特集からは現代に生きる顔のある「中国人」が垣間見える。中国という国は、とてつもない矛盾と葛藤と10億を超える個人を抱え込んだ、人間のあらゆる種類の悩みを内に持つ国なのかもしれない。
そういう隣国をもった日本に住む日本人が、相手を知り理解する一つの方法として、文学や映画は有効だと思う。同じように一般的なマスの報道に接しても、文学や映画で違う側面に触れたことがあったり、多様なものの見方を知っていれば、大声で言われていることを鵜呑みにしてしまう可能性は減るだろう。もしオリンピックが平和の祭典であるならば(たとえそうでなかったとしても)、観戦したり、話題にしたり、あるいは出場する人々が、平和でありたいという気持ちをイベントに投影することで変わるものはあるはず。それはテレビで試合を観戦しているときの家族間でかわされる会話から始めることができる。
Words Without Borders:The Online Magazine for International Literature
今世界市場で翻訳出版されている本の50%が英語から他言語への翻訳で、英語への翻訳は3%以下であるという状況に危機感を抱いて始められたプロジェクトのようだ。アジア、中東、アフリカ、ヨーロッパ、カリブ、、、と様々な地域の、様々な言語、多様な文化圏の作品が、英語への翻訳を通して紹介されている。back issues を見ていて驚いたのは、LITERATURE FROM THE "AXIS OF EVIL"(「悪の枢軸」からの文学)と題して、2006年9月号でイラン、イラク、北朝鮮、「その他の敵対する国家」(米国に対して)の特集を組んでいること。この特集はアンソロジーとして紙の本にもなっているようだ。このタイトルのつけ方から見て、やはり、4月号のOlympic Voices From Chinaも、現状へのそれなりの意思表明としてつけられたものである可能性がある。もう一点気づいたこととして、back issuesには日本に関する特集は見当たらなかった。単体の作品としては、アジアの作品のところに1点だけあったが。どういう事情からなのか。WWBに興味を持たれていないというよりも、著作権や原稿料、その他のハードルから日本の作家の合意が得られないのかもしれない。WWBは非営利活動なので原稿料はない可能性もある。ただ日本の職業作家でも、星野智幸などは自分のホームページで、英語に翻訳した作品を積極的に載せたりしているので、コーディネイトする人がいないだけかもしれない。
チューリッヒ発のアートムーブメント、Artist Trading Card。
ウェブで調べごとをしていて、偶然出会ったATC。アーティスト・トレーディング・カードとは何かというと、64mm×89mm(2.5×3.5 inches )のカードを自分で手づくりし、できたものを他のアーティスト(作者)と交換するというアートムーブメント。サイズ以外は、素材、テーマなどまったく自由で作りたいものを作りたい方法でそれぞれがつくる。ただし、カードは売り買いするのではなく、交換によって受け渡しする。金銭を通さない流通であり、カードは人の手を通して伝わり流れていく。発想の元はスポーツカードだというから(サイズもここから来ている)、人とたくさん交換してコレクションする楽しみも含まれているようだ。
ATCが発行するジャーナルによると、1996年にスイスのアーティストStirnemannという人がアイディアを思いつき、チューリッヒの自分のギャラリーで自作を展示をしたことが始まりらしい。1200枚のカードを展示し、最終日に自分のカードと交換したい人を募ったとか。誰もが自分の発想を生かして参加できることや、伝統的なアートの習わしである批評やお金による売り買いを持ち込まないというコンセプトに、新しいアートカルチャーの出現を感じた人々がいたようで、現在ヨーロッパの他、アメリカ、カナダ、オーストラリアなどで定期的なセッション(交換会)が行なわれている模様。
ATCを作る人々のサイトもいくつか見たが、手法はさまざまで、紙に絵を描く、写真をプリントするといった手法としては一般的なものから、キルトなど布やビーズを使ったソーイング的なもの、メタル素材や樹脂を使ったものと様々、ありとあらゆる手法と素材がある。オリジナル、または少部数のエディションものを基本とし、カードの裏にサイン、作品タイトル、日付、連絡先などを入れておく。エディションがある場合は、1/10などナンバーを付ける。交換に交換を重ねたカードが、海を超え、時間を経て、誰か見知らぬアーティストの手に渡り、ある日「あなたのカードを持っています」などというメールが飛び込まないとも限らない。
わたし自身もATCのことを知ってから、いくつか試作してみている。Joumana Medlejさんのウェブサイトでは、彼女が集めたり、見聞きしたり、自分で編み出した手法がいろいろと説明されていて、読んでいるだけで試してみたくなる。彼女のサイトを見ていて、なるほどと思ってまず作ってみたのが、プリンタを使ったカードづくり。インクジェットプリンタの面白い使い方として、これは楽しい、そしてちょっとコロンブスの卵的発見でもあった。ふつうフォトショップなどで作った画像は一度にプリントしてしまうが、これを何回かに分けて、重ね印刷するのである。画像を作るとき、オブジェクトをレイヤーに分けて保存し、一版ごとにプリンタを通す。一括プリントと何が違うかというと、色の重なった部分の色の出方がまるで違うのだ。わたしはトランスペアレントなイメージを作りたくて、色の濃さの違う複数の色べたを少しずつ重ね、数回に分けてプリントしてみた。結果はイメージ通り、美しい仕上がりになった。Joumanaさんも、生徒(美術の先生なのか)が授業でプリントに失敗したのを見て思いついたそうである。インクジェットプリンタ、バカにできない。マニュアルに使えば版画のようなことができる立派なアートのツールである。わたしもプリントしているときに、ちょっとした不注意から面白い効果が出るプリント法を発見した。インク切れになって黒のカートリッジを交換をしたとき、シアンのカートリッジが浮いてしまったのに気づかず、ある画像をそのままプリントしてしまった。モノクロのイラストレーションだったのだけれど、出てきたものが赤一色。???となってプリンタカバーを開けてみて原因がわかった。しかし、この赤一色が不思議な刷り具合で、よくよく見るとなかなか面白い。それでわざとインクを浮かせて(赤を抜いたり、黄色を抜いたり)、一つの絵をいろいろなヴァージョンで刷ってみた。この手法もATCに応用できそうだ。(*注)
まずは自分が作ってみないとどんなものなのかわからないし、人のものを手にいれるにも売り買いがないのだから、まずは自分のカードづくりから始めるしかない。そこのところがこのATCの活動、ムーブメントの面白い側面だと思う。また自分らしい発想や手のかけかたが含まれていることがきっとポイントであって、それらしいもの、形を整えることに終始したり、精度がないと悲観したりする必要はないように思う。で、そのこととアートの本質は見合っているのではないか、とも。
Artist Trading Card オフィシャルサイト
http://www.artist-trading-cards.ch/index.htmlArt in your Pocket (Joumanaさんのサイト)
http://www.cedarseed.com/air/atc.html*注(追記)
このインク抜きですが、あまり過度にやるとプリンタのヘッドが傷む可能性があるので、注意を要します。1回やっただけでも、次回プリント時に色調の異常が出る場合もあり、そのときはヘッドクリーニングやヘッドリフレッシングをして正常に戻すといいでしょう。因みにCanonのカスタマーサビスの人は壊れる可能性があるのでやらなでください、と言っていました。
仕立て屋座り、とは。懐かしきネットニュース。
翻訳中のメアリー・オースティンのテキストに、tailorwise という単語が出てきた。なになにwiseでなになにのやり方で、という意味があるので、テイラー式に、あるいは仕立て屋風に、と考え、He sat tailorwise in the sand. をとりあえず「仕立て屋座りで」と訳しておいた。先を訳していて「仕立て屋座り」とは何か、気になったので、ふと思いつきGoogleの検索にsat tailorwiseと入れてみた。出てきたのは掲示板式の質問者と複数の回答者のページ。というか英語圏ではインターネット創始のころから盛んなニュースグループというやつである。テキストのみでやりとりし、ジャンルやテーマごとにわかれたトピックに参加し、発言したり、人の意見を読んだりするもの。詩のニュースグループのように作品を投稿して感想を述べ合っているところもあって、今は知らないがかつてはかなり活発なグループもあった。ニュースグループ専用のソフトウェアもあったが、今はGoogleがその役割を果たしているようだ。mixiとはまた違ったコミュニティーと言ったらいいか。
そう言えば以前にも一度、どうしてもわからない単語か表現があって、グーグルの検索ボックスに放り込んだら、ニュースグループのページが出てきたことがあったっけ。そのとき出てきた回答は素晴らしく的を得たもので、しかもテキスト原文が同一のものでもあり(それほど特殊な言葉だったのだろう)、なるほどと納得した。かなり信用に足るものだと思えた。物をよく知り、しかも親切な人々がインターネットにはいるものだと感心もした。
さて今回、出てきたページはalt.usage.englishのニュースグループ。altはオルタナティブでニュースグループのカテゴリーの一つ、usageは使用法。質問してからわずか10分くらいの間に最初の回答が掲載されている。そしてその後、続々と別の回答者からも。わかったのはtailorwiseとは、足を交差させて床などに直に座ること、、、つまりあぐらをかいて座ることだった! 最初の回答者は、ヨガのポーズの写真にリンクが貼ってあったが、そのあとの回答者によると、昔のテイラーは仕事場で胡座をかいて仕事をしていたというのである。日本のことではない。アメリカなどの話である。そして古い写真のリンクが貼ってあり、これがなるほど、という面白さだった。
http://images.jupiterimages.com/common/detail/73/94/22619473.jpghttp://www.vam.ac.uk/vastatic/wid/images/tailorofg-sewing.jpg あるいは床ではなく、テーブルのような台に座っていたようでもある。
http://www.wichitaphotos.org/graphics/wschm_E5-36.1.4.jpgこの写真には驚いた。こんなものが見られるなんて、やはりインターネットならではのこと。
マンザナール、その他の写真家たち。
メアリー・オースティンとアンセル・アダムスの関係にはじまり、マンザナール強制収容所をめぐってアダムスから宮武東洋へと過去を巡る旅をしてきた。さらに最近購入したMichael L. Cooperの"Remembering Manzanar"に目を通すと、また別の側面が見えてきた。マンザナールに入った写真家は他にも何人かいたそうだが、最初に訪れたのはDorothea Langeという女性の写真家で、時期は1942年4月。日系人たちがまだマンザナールへの移動の途上にあり、収容のごく初期のことらしい。そのため後から訪問したアダムスなどの写真と違って、人々の表情には自分の身に起きていることへの不安が現れていたという。
またここではどんな写真家も、写真を撮るにあたっての規制があり、怒りをあらわにする収容者、銃をもった兵隊、有刺鉄線の柵、見張り塔などは検閲にかかった。検閲を通った多くの写真に写る人々の表情がやわらかなのは、こういった事情があるからだ。その写真自身には真実があったとしても、全体としてみるなら、必ずしも正確な描写とは言えないことを知っておかなくてはと思った。知らされる事実には、常にこういう側面があるということだろう。
アダムスとオースティンのコラボレーションによる「The Land of Little Rain」(1950年)を最近手に入れたのだが、そこに載っている地図を見ていたら、マンザナールの場所がわかった。シエラネヴァダとインヨー山脈に挟まれた細長い土地、オーウェンズヴァレーのほぼ真ん中あたりにあった。ビッグパイン、インディペンデンス、ローンパインなどオースティンの書くものに登場する地名のただ中にあった。オースティンは1934年没なので、真珠湾攻撃も収容所も知らずに死んでいる。オースティンはオーウェンズヴァレーの町を点々とした後、晩年にサンタフェに移っているが、もし生存中にマンザナール収容所ができていたら、何か関係をもっていたかもしれない。オースティンの多くの作品の重要な舞台となっているこの一帯に起きた「不名誉な」「事件」に、無関心ではいられないだろうと思うからだ。