20170728

ロパートキナ。ダンサーの引退時期

ウリヤーナ・ロパートキナというバレエダンサーを最近まで全く知らなかった。1973年生まれ、ウクライナ(クリミアの小さな町ケルチ)出身のマリインスキー・バレエ団(ロシア)のプリンシパルである。先月、本人のウェブサイトで「職業上の怪我のため引退」と発表した。43歳での引退。

ロパートキナに出会ったのは、『ロパートキナ 孤高の白鳥』(2014年)というドキュメンタリーだった。たまたまNetflixの新着コンテンツを見ていてみつけた。彼女の名前も知らず、どんな映画かも知らず見始めて驚いた。これは相当なダンサーではないか、映画が進むうちに確信は高まった。わたしが最近のダンサーで名前を知るのは、せいぜいシルヴィ・ギエムまで。確かにバレエに関心があったとは言えない。しかしGoogleで(カタカナで)「ロパートキナ」と検索して出てくるのは、『孤高の白鳥』に関するものがほとんどだった。日本ではそれほど知られていなかったのだろうか、と思った。(日本語版ウィキペディアにはなかった)

次に「ロパートキナ シルヴィ・ギエム」で検索すると、チャコット(バレエ用品)のサイトや個人のブログなどで、ロパートキナへの熱い賞賛の言葉がたくさん出てきたので、知る人ぞ知るダンサーなのだなとわかった。そのうちの一つで紹介されていた『二十世紀の10大バレエダンサー』(村山久美子著、2013年)を読んでみることにした。10人の中にロパートキナが入っていたからだ。本のトップバッターでロパートキナは紹介され、表紙もまた彼女だった(瀕死の白鳥の写真)。

ロパートキナの章の冒頭で、著者はモスクワの芸術学者の言葉を引用している。「古典的優雅さと現代的スピード感をもつ稀有のバレリーナ」。この言葉は、わたしが映画で見たこのダンサーの印象、特徴にピタリとはまる。特にあとの方、「現代的スピード感をもつ」という紹介は特徴を捉えた優れた表現だと思う。いや、そうではないかもしれない。古典的優雅さと合わせもつ、その現代的スピード感がすごいのかもしれない。

映画『孤高の白鳥』の中で引用されていたいくつかのバレエのシーンは、どれも目を見張るもので、一つ一つの作品の踊りのレベルの高さと、そのバラエティの広さ(それをどれも最高の見せ方で演じている)に大きな衝撃を受けた。こんなことが可能なのか、こんな人がいるものなのか。シルヴィ・ギエムはここ2、30年の間の最高の踊り手では、と思っていたが、ロパートキナは総合的に見たときそれを超えているかもしれない、と感じた。彼女の踊りを見たあとでは、どんなダンサーの踊りも、ちょっとした小さな欠点が見えるような気がしてくる。

ロパートキナは身長が175cm(靴のサイズ26.5cm)と主役を踊る女性ダンサーとしてはかなり背が高く大柄。長い手足にスレンダーな身体、髪はショートカット、知性的な話ぶりで落ち着いた優しい物腰をしている。ティーンエイジャーの娘が一人いるそうだ。『孤高の白鳥』はバレエ作品の引用とレッスン風景、彼女のインタビュー、周囲にいるバレエ関係者の彼女についての発言などで構成されている。『孤高の白鳥』はフランス人プロデューサー、映画監督のMarlène Ionesco(女性)による作品だが、よくまとまっており、このダンサーの理解にとても役立った。

このように背の高い女性ダンサーは、古典バレエの名作と言われる『眠れる森の美女』や『ジゼル』『白鳥の湖』などでお姫様役はできるのか、と思ったが、所属していたマリインスキー・バレエ団でプリンシパルとして、すべて踊っている。ちなみにマリインスキー・バレエ団はサンクトペテルブルクにあるマリインスキー劇場付きのバレエ団で、古くはアンナ・アブロワ、ニジンスキー、ジョージ・バランシン、近年ではヌレエフやバリシニコフが所属していたことで知られる名門バレエ団。

ロパートキナの古典は高いレベルの技術と、主役として物語と舞台全体を自分のもとにおさめ、観客をひきつける圧倒的な吸引力が印象的だ。といってもパワーを振りまくタイプの踊り手ではなく、統制のとれた静けさを感じさせる身のこなしが特徴だ。役によって顔つきは変わるものの、「顔で踊る」タイプでもない。動きに余分なものが一切なく、それで充分に優雅さを感じさせる身のこなしである。作品と役への深い理解と、踊る技術の高さによって実現されているものではないか。一般に何かが欠けると(たとえば年齢の上昇によって技術が下がるなど)、他のもので補おうとし、それが余分な動きや顔の表情となって現れることがある。

ロパートキナの古典は見慣れた作品に新鮮さを与えてくれたが、わたしを驚かせたのは現代的な作品を踊る姿だった。『孤高の白鳥』の中で、ニコライ・アンドローソフ振り付けの『タンゴ』の舞台が紹介されていたが、そこで彼女はまったく違った次元でダンスを披露していた。手足が長く背の高いロパートキナが、サテンのシャツにぴったりとした細身のズボン、足元はフラットシューズ、髪はショートカットのまま、手にはツバ付き帽子(ジャケットも床にあった)、という姿で、アコーディオンが奏でるタンゴのリズムに乗ってスピーディーに、鋭く舞う。女性とも男性ともつかないジェンダーの表現。男の役を踊っているのかもしれないが、(宝塚の男役のような誇張した)男っぽさなどみじんも出さない。そこにいるのは手足の長い、大胆に動き、俊敏さを見せる、美しい人間。男性、女性、あるいは中間なのか。どちらでも構わない。

ロパートキナの『タンゴ』を見ていて、こんな風に踊れるダンサーは他にいるだろうか、男であれ女であれ、と考えた。そしてロシア、あるいはウクライナの文化は、こういうセンスのアーティストを生むような土壌があるのだろうか、と不思議に思った。感覚的にいうと、女性ダンサーのこのような身振り、仕草は相当近代的、現代的な思想や文化の上にしか出てこない気がしたからだ。ロパートキナのバレエを見たあと、たとえば日本のダンサーの踊りを見ると、(今までは気づかなかったが)かなり女性っぽさが強調されているように見えてくる。「しな」というのだろうか、あるいは顔つき。その意味で(これも今まで気づかなかったが)最盛期だった頃の森下洋子にも同じことが言える。彼女は非常に日本的なバレエダンサーだったのだ。

ロパートキナは43歳で引退した。怪我が原因と発表されたからその通りなのかもしれないが、ある意味でその時期がきていたのかもしれない。ダンサーの引退年齢はそれぞれだ。しかし、何人かのダンサーを見てみると、45歳前後が「踊れなくなる」年齢なのかもしれないと思う。それまでと同じように踊れない、という意味で。もちろんもっと高齢になるまで踊る人はいる。しかしその人たちも4045歳を超えて、最盛期のときと同じように踊れるわけではなさそうだ。踊る演目を変えたり、振りを変えたり、工夫をして長く踊ろうとする、ということ。高齢になってこそ踊れる演目もあるかもしれないし、身体状況の変化を汲み取って新作の振り付けをすることもできるだろう。

ロパートキナは練習やリハーサルをビデオに撮って、その映像を見ては直し、踊ってまた撮り、それを見てまた直し、と何回もすると聞いた。それをやって自分のからだの状態を常にチェックしていれば、技術的な衰えがきたとき、まず自分が気づくのではないか。多くのダンサーがそこまで自分のからだを客観的に厳しく見ているとは思えない。マイヤ・プリセツカヤがベジャールの『ボレロ』を踊ったのがちょうど50歳のときだという。その『ボレロ』は悪くなかったし、プリセツカヤらしいパワフルな感じも出ていた。ただ20代、30代のときのからだの動きとは違うように思った。鋭さや軽快さの点で。相当高齢になるまでポアント(トウシューズ)で踊っていたとも聞くが、映像は見たことがない。

ルドルフ・ヌレエフの40代後半の映像(森下洋子とのパドゥドゥ)を見たとき感じたのは、おそらく彼はヨーロッパではもう踊っていないのではということ。それは韓国公演の映像だった。振り付けや芸術監督の仕事をメインにするようになっていた時期だ。相手役の森下洋子はまだ30代半ばくらいで、充分踊れていた。しかし彼女も、ある時期以降(50歳前後かそれ以降くらいか)に見たときは昔の面影はなかった。映像で見ただけだが、年齢による技術の低下は明らかだった。その時代の映像は、そのあとYouTubeからすべて削除された。最近のもので残っているのは『瀕死の白鳥』のみ。2008年、60歳のときの踊りだ。振りも、からだの使い方も限定的で、表現力においても最盛期とは比べられない。彼女は今も「現役」で自分のバレエ団(松山バレエ団)で『眠りの森の美女』などの主役を踊っているそうだ。

アクロバチックなからだの使い方、類まれな柔軟さで、ときに「体操みたい」と言われたりもするシルヴィ・ギエムは2015年に50歳で引退した。キャリアの最後の方は、モダンバレエ的な創作ものを主に踊っていて、いわゆるクラシックのグランドバレエはある時期以降、踊っていないと思う。作品を選んで踊っていたということだろう。

ロパートキナも、怪我がなければ50歳くらいまで踊った可能性はある。その場合は、踊る演目や振り付けを厳密に選び、稽古やリハーサルではビデオチェックを欠かさず、自分自身で「ここまで」という時期を判断して引退したのではないかと想像する。

20170714

引用・コピペ・再編集文化

NHK BSで『チョイ住み in 香港』という番組を見た。この番組は以前、何回か見たことがあって、たいてい男同士(若い男の子とおじさんの組み合わせ)の旅で、海外のどこかの街で一週間くらいアパートを借りて共同生活をする、というものが多かった。タレントと作家、俳優と元スポーツ選手などの組み合わせで、同性で年の差がかなりある、という趣向が案外はまっていて面白かった。 

たいてい年配の方が料理好きで(例外もあるが)、地元の市場で買った材料で夕ご飯をつくるのが定番的にあって、若手の方はそれを手伝ったり、ちょっとした使い走りを喜んでやっていた。料理ができない分、他のことでがんばったりして、日本の若い男の子って、素直で可愛くて、優しいところがあって、世界に誇れる貴重種ではないか、などと思った。シナリオもあるだろうけれど、場当たり的に見えるものもそれなりにあり、あまり期待できそうもない場所に行ってしまったり、でもそれはそれでよかったり、別の展開があったり、と即興的な見え方もしていた。

今回初めて、女の子同士の旅を見た。一人はタレント、もう一人は人気ブロガーとのことだった。タレントの女の子の方は、「人といるのが苦手だから、1週間もつか心配」と最初に告白。ブロガーの方は、わかった、自分もそういうところがあるから、じゃあそういう風にやろう、とすぐさまその件を承認、処理する。ブロガーの人は、香港で行ってみたい店、食べてみたいものを日本で入念に調べ、これは美味しいらしい、ここは人気スポットなどリストしていたようだ。現地に着いてからもスマホ片手に、目指すショップへと脇目もふらず直行。そのあとをタレント女子がついてまわっていた。

目指すショップについて、テーブルにオーダーした料理が並べば、まずは写真撮影。何を食べていたか、それについて二人が何を話していたかあまり記憶がない。香港であの二人は何を食べてたっけ? 伝わってなかったのかも、とあとになって思う。ブロガーの方は英語が話せるようで、ときどき店の人に質問したりしてはいたものの、どこへ行っても事務的な話ぶりで、地元の人と会話している感じではなかった。一度だけ、言葉のできないタレントのほうが食堂のようなところで、料理を運んできた人をちょっとちょっととつかまえて、中国語で「これ、おいしい」と嬉しそうに伝えていた。ま、ほんの一瞬ではあったけれど、会話が成立しそうになった瞬間。ブロガーの方は、宿泊しているアパートに戻ると、撮った写真をせっせとブログに更新していた。

食べログなどの情報を詳細に調べてリストし、現地に行って目ぼしいものを探し当て、自分で注文し、それを写真に撮りブログで再配布する。一つの情報がこうして増殖していく。引用文化、あるいはコピペ文化、それとも再編集ジャーナル、だろうか。面白い面白くない、好き嫌いは別にして、大きな文化的潮流ではあると思う。旅に関するネットのサイトが、ほぼこの引用と再編集で成り立っていたりもする。一つの観光地について、ネットから拾ってきた情報(断片的なテキスト)を寄せ集め再編集、再構成し、その場所に行った人たちのツイッターから、あるいはインスタグラムから写真入り情報や感想をプラスしていく。ツイッターは拡散が身上だから、こういった引用には規則上問題がない。ツイッターを通しての引用(リツイート)にとどまらず、それ以外のサイトで引用することも許されている。ツイッターもインスタグラムも、それぞれ埋め込みコードをコピーして、自サイトに貼り付ければ、そのままコンテンツが表示ができる。これはYouTubeなどの動画の埋め込み法と同じである。

ただ観光案内サイトなどで利用されている画像直リンクは、問題があるかもしれない。ネットの観光地案内のサイトなどでは、他サイトから直リンクで画像を「引用」している場合があるようだ。直リンクとは、画像のURLをコピーして、自サイトのコードにそのURLを貼り付けて画像を表示させる方法のこと。画像にコピーガードのかかっていないサイトに行き、画像をポイントして右クリック(またはコマンド+クリック)すると、「画像アドレスをコピー」という項目が出てくる。それを自サイトのコードにペーストする。すると著作権者の許可なく、目的の画像を使用できる。

これが違法かどうか微妙なのは、他者の画像をダウンロードして自分のサーバーにもってきているわけではなく、画像はそのまま相手のサーバーに置いたまま、画像アドレスを使うことで「引用」しているからだ。だから盗用の範ちゅうには入らない、という考え方が成り立つ。画像は「盗んでいる」わけではない、というわけだ。

しかしわたしはこの考え方に疑問をもつ。YouTubeやツイッター、インスタグラムなどは、著作権者が投稿する時点で、というよりそのサービスに登録してIDを得た時点で、おそらく作品の利用権を投稿先に許可しているはず。だからシステム内外での引用が許されており、拡散が行われる。しかし一般のサイトでは、サイト保有者または著作権者と、画像直リンク利用者の間には関係が成り立っていない。あるのは直リンクという技術だけだ。よって許可なく直リンクで画像を引いてくれば、無断転載と同じような結果になる。少なくとも、著作権者にはそう見えるだろう。これは心理的に理解のできることだ。使われたくなかったら、ウォーターマークを入れるなり、ガードをかければいいじゃないか、という人もいるだろう。

本当は一番いい形は、著作権者やサイト保有者に連絡して許可を求めることだが、許可願いを送っても返事をくれなかったり、無視されたり、知らない人には貸せないと警戒されたりということが多くて、「仕事にならない」かもしれない。葉っぱの坑夫の経験でいうと、一般的に日本の法人的なものは個人や未知の者に冷淡で、返事をくれることが少ない。英語圏などでは団体、組織、ときに企業でも、相手にかかわらず許可を出すなり、条件を出すなり、断るなりしてくる。社会の中で未知の者同士のコミュニケーションが、ある程度成り立っているように見える。これまで葉っぱの坑夫が作品の翻訳などでプロジェクトを組んでこれたのは、海外の組織と連携をつくってこれたからだ。日本の組織とでは難しかったと思う。

このような日本の状況から、いちいち聞いていたんじゃ「仕事にならない」と考えるのはわかる。わかるが、だからと言って、「技術がすでにあるのだから、やっていいだろう」という風には、簡単には思えない。もしインターネットの世界で(あるいはリアル社会でも)、著作権などという考え方が消滅して、世の中にひとたび公開したものは本でも、音楽でも、美術でも、みんなの共有物、共有財産である、という認識が一般的なものになったら、そのときは画像直リンクも何の問題もなくなるだろう。直リンクは悪ではないと思う。みんなの認識がそうなったときは、便利な技術になる。

もしかしたらこの問題は法律の問題というより倫理の問題なのかもしれない。一般人が自分の趣味のサイトで画像直リンクをやっていても、よほど金儲けしていない限りそれほど追求されないかもしれない。しかし観光地ガイドなど商用サイトでそれをやった場合、その会社の倫理観は疑われるのではないか。しかしこれも、さっき書いたように、著作権の受け止め方が変われば、変化するものだと思う。

『チョイ住み in 香港』に戻ると、テレビというメディアは、視聴者に対してサービスするものだ。面白いと思ってもらえるような演出や工夫を常にしているはず。これまでの男二人組のチョイ住みの場合、テレビ慣れ、マスコミ慣れしている人がほとんどだったのかもしれない。そして今回の二人のうちの一人はタレントだったけれど、もう一人はブロガー。番組出演中もテレビではないメディアを相手に行動していたのかもしれない。それをテレビカメラが捉えただけ。視聴者が楽しめるだけのサービスが、十分には提供されなかった。それが面白くなかった大きな理由かもしれない。テレビでは、食べログに載っている場所を工夫なく次々訪問、体験するだけ、という企画は成り立たないと思う。そこが二次情報の羅列でもうまく再編集されていれば機能するブログや、まとめサイトとは違うところか。

再編集だけで成り立つテレビ番組もあるかもしれないが、多くは元ネタに対して再創造がないと難しいように思う。再創造とは、小説を映画に仕立てたり、スペイン語で書かれた小説を日本語に訳すときに発生する、準創造活動、準創造行為のことだ。オリジナルを作曲する行為と、すでにある歌の楽曲をオーケストラに編成する行為の違い。前者が創造で、後者が再創造。あるいは楽譜に書かれた記号(音符)を、楽器で演奏して音楽にする行為も再創造にはいる。翻訳家、ピアニスト、ダンサー、俳優、みな再創造をするアーティストだ。何もないところから作品を作るのではないが、違う形態のものに移行する過程で、ある種の創造行為が発生し、出来上がったものに新しい価値が生まれる状況を生み出すこと、それが再創造だ。


引用、コピペ、再編集。どれも今の時代、なくてはならない方法論であり技術だ。しかしその便利さ、めざましい効果をよく知るのであれば、使い方で価値をさげてしまうような行為は避けたいもの。画像直リンクも同様だ。引用も、コピペも、再編集も、直リンクも、著作物を利用する前に、著作者にどのように敬意をはらったらいいか、充分に考えたほうがいいと思う。

20170630

「知る」とはどんなこと?

何かを「知る」とは具体的にはどういうことを指すのだろう。どうであれば知っていることになるのか。たとえば 新聞やテレビでニュースを受け取る、何か起きたことを、あるいは発見されたことについて情報を得る。こういうことが起きました。原因は何々と見られます。など、発信者から出来事の概要を手にする。しかしそのとき、発信者の「身元」、つまりどういう考えの、いかなる立場の、世界をどう動かそうとしている存在がそれを伝えているのか、を問うことはあまりない。

しかしニュースや情報は本来、発信者の身元と切り離せないものだ。起きた出来事、ある事実は、それを拾う者によっていかようにも「編集」される。そういう意味で事実は一つではない。ニュースの受け手というのは、出来事に直接関わらないので、いつも他者の解釈と表現の方法によってしか事実を知ることができない。それはしかたのないことだ。

ここで差が出るのは、一つのニュースを受け取るとき、これは発信者Aの解釈による情報である、と意識的に発信者込みでニュースを見るか、そうではなく、その内容だけを事実として受け取ろうとするかの態度の違いだと思う。もし発信者のことも意識しながらニュースを見るなら、発信者がどういう身元なのかの確認を同時にするだろう。

たとえば「移民による犯罪がここのところ増えている」というニュースがあったとする。発信者の身元を問わない受け手は、「ああそうなんだ、移民の犯罪が増えて怖いね」という方向に簡単にいってしまうことがある。そしてそれはその人間の事実認識として定着する。さらには「そういえば、うちの会社の取引先の中国の人で問題を起こした人がいて、やっぱり、、、、」のように広がっていったりもする。ニュース元である発信者が、どんな意図でなんのために、たくさんの出来事の中からそのニュースを伝えているのか、などについては考えることがない。

一方、「移民による犯罪がここのところ増えている」という同じニュースを受けた人の中には、その発信元に目を向け、なぜ今この放送局が、あるいは新聞社が、これをトップニュースで扱おうとしているかを考える人もいる。そしてそのメディアが関係している企業のこと、あるいは国営放送であれば政府のことに目を向け、そのメディアが公平な立場から発言しているかを検証する。そこに何か疑問が起きれば、「移民による犯罪がここのところ増えている」ということが本当に事実なのか、調べようとする。

マーケティングがそうであるように、ニュースも、事実の記録や調査データを意図する方向に組み換え、一つの結論に導くことは可能だ。たとえば何らかの理由で移民流入を減らしたい、と思っている組織や団体があるとして、移民が定住しにくい状況をつくりだすために、意図的に調査データを「編集」するとしよう。あからさまに捏造と言われない程度、方法で、記録年や期間、該当国、調査地域をうまい具合に選定し、場合によって都合の悪いものは外し、「移民による犯罪が増えている」ということが言えなくもない「事実」を仕立てる。

こうして生み出された「事実」がニュースに乗り、発信者がいかにも困ったことであるかのように発言し、それを聞いた人が鵜呑みにして、こうなんだってね、と広めてくれれば、そのことは着実に事実化していく。そして常識になる。地球温暖化の情報の中にも、こういった情報操作によるデータがかなり含まれているらしい。複数の専門書を読んでそれを知った。しかし温暖化人為説はいまや常識である。ひとたび常識となったことは覆すことが難しい。

しかしニュースを聞いてそのまま信じてしまう人々も、信じているとはいっても、それほど深刻に考えたり信じたりしているわけでもなさそうだ。こうなんだって、という話のレベルに過ぎない。知ったつもりになっているが、どこまで本気で信じているかと聞かれれば、ニュースで言っていたからそうなんでしょ、という程度であると思う。じゃあ、そのことについて少し話しましょうか、と持ちかけられれば、いやニュースで聞いたこと以上のことは何も知らない、と答えるかもしれない。「マグロって泳ぐのをとめると、死んじゃうんだってねー」とニュースで聞きかじった人と、マグロの生態について話そうとしても、その先を話すことは難しい。

先日、CSのナショナルジオグラフィックのドキュメンタリーで、エコロジー活動でも知られるレオナルド・デカプリオが案内役となって、地球温暖化について各国の専門家に話を聞いてまわる番組を見た。その番組の意図としては、地球温暖化は事実であり、人為説を疑うことはできない、というもので、プロパガンダ風のつくりになっているように見えた。番組の製作者あるいはナショナルジオグラフィクにそういう意図があったのだろう。ただその中で異色だったのが、ある牧畜の専門家の発言だった。「牛が大量の餌を食べるときにメタンガスを大量に発生させるので、地球への影響は計り知れない」と述べ、牛の肉を生産するには、その何倍もの飼料が必要になるため、肉を食べることが食料危機問題にも大きな影響を与えていると言っていた。これらのことは、初めて聞くことではない。比較的、昔から耳にすることの一つだ。その牧畜関係の人はこうも言っていた。「食生活を変えることは簡単です。牛を食べないようにすればいいだけです」と。

「水を飲まないようにする」であれば、非常に難しく命にかかわるかもしれないが、牛なら確かにできないことはない。その人も「たまに代わりに(影響のより少ない)鶏を食べればいいんです」と言っていた。もし地球温暖化のニュースを見て、あるいはドキュメンタリーを見て、ある事実を「知り」「理解し」、深く考え自分のできることに目をやったなら、「今日からなるべく牛を食べないようにしよう」という決断は一つの選択肢になり得る。また確かに、それほど難しいことではないかもしれない。 

しかしそれを自分の日常の中で本当に、持続的に実行するには、そのことを心から事実として受け止めなければ、なかなか実際には行動に移せないのではないか。このドキュメンタリーの中で、取材していたデカプリオも、「そうか、牛か。わかった、ぼくも明日から牛をなるべく食べないようにしよう。みなさんもそうしませんか?」とは言っていなかった。簡単そうに見えて、自分の慣れ親しんだ生活の中で、さらには家族で暮らしていればなおのこと、ステーキやハンバーグ、チンジャオロースを食べないことにするのは、家族の和をちょっと乱したり、家庭に小さな刺を持ち込む要因になるかもしれない。

何かをただ「知っている」というのは、ある意味役立たずだ。知っているつもり、というのは情報を受けたあと、その先がない。せいぜい友だちや家族にこうなんだって、と伝えるくらいだ。伝えられた人も、その伝えられ方では、知ってるつもりレベルで終わってしまう。


現代は「情報」で社会が成り立っているように思われているところもあり、新製品や面白い、珍しいニュースや情報をいち早く知ってる「情報通」は受けがいいのかもしれない。しかし底の浅い情報は、さほど役には立たない。情報が情報のレベルで完結してしまうからだ。それよりも、もっと「知る」ことに対して意識的になった方がいい気がする。情報元の立ち位置を知った上で知る情報は、より多くのことを伝えてくれるだろう。また事実の理解にも役立つ。知った情報を自分の生活に直接生かすことができる。それは納豆がからだに「いいらしい」からスーパーに走る、という活かし方ではなく、牛肉を食べないという選択をするかどうか調査し検討してみる、家族にもその考えを伝えてみる、というような活かし方だ。

20170616

極貧地区に生まれ育った少年ケニーの物語

ジャマイカといえばレゲエ、カリブ海クルーズ、熱帯のリゾートがまず頭に浮かぶかもしれない。もし観光で訪れるとすれば、そういった情報を集めればことは足りる。でも実際のところ、ジャマイカは楽園ではない。少なくとも住民にとっては。小説『ディスポ人間』( 原題:Disposable People)の主人公ケニー・ラブレイスにとっては、自分たちニッガの住む村は「クソ沈下地区」であり、ジャマイカという国全体もそれに準じる。

ジャマイカの作家エゼケル・アラン(1970年、ジャマイカ生まれ)の初めての小説『Disposable People』は、日記、モノローグ、民話、短編小説などが混在するスタイルによる自伝的小説で、2013年度のコモンウェルス新人文学賞(カリビアン地区)を受けた。コモンウェルスというのはイギリス連邦(及び連邦王国)に属する国々で、イギリス本国をはじめ、オースラリア、ナイジェリア、カナダ、スリランカ、インド、バハマなどの全53カ国(人口約23億人)がここに入る。コモンウェルス新人文学賞というのは、18歳以上の書き手による長編小説で、初めて発表する作品を対象にしている(Commonwealth Book Prize)。

わたしがこの小説に出会ったのは今年の初めごろ。コモンウェルス賞周辺の作家は、交流のある人や実際に作品を訳した人が以前から何人かいて、面白い作家と出会えるので時々情報にアクセスしていた。移民作家やアフリカ系、アジア系の英語作家を知るための一つのルートでもあった(小説の言語が英語であるため)。たとえばガーナの作家ニイ・アイクエイ・パークスはコモンウェルス賞を通じて知った作家で、2010年の新人賞最終候補作品になった『青い鳥の尻尾』(原題:Tail oF the Blue Bird)を訳して2014年に葉っぱの坑夫から出版している。

コモンウェルスの新人賞は、日本の芥川賞同様、比較的若い層の作家の作品に出会えることがメリットにもなっている。すでに名を成した作家ではなく、第1作目を出して文学賞を取ったり、候補作品になった作品を探し、質の高いもの、ユニークなものを見つけることは楽しいことだ。

そんな風にして出会ったエゼケル・アランの小説を来月(7月)から、葉っぱの坑夫のウェブ上で連載の形で発表することになっている。日本語タイトルは『ディスポ人間』(仮題)。著者と直接連絡をとって、出版許可を得た。エゼケル・アランはペンネームだが、彼と連絡を取れるかどうか、最初は定かではなかった。というのもネットで散々探したものの、本名でないためなのかFacebookやTwitterも該当するものが見つからなかったのだ。さらにこういった賞の受賞者には珍しいことだが、版元がランダムハウスやハーパーコリンズあるいは大学の出版社ではなくCreateSpaceとなっていたことだった。CreateSpaceはアメリカのアマゾン傘下の会社で自費出版を担っている。つまり自費出版による作品が賞を得たのだ。

CreateSpaceは葉っぱの坑夫も利用している機関なので、ここに連絡してみるのがいいだろうと思い、サポートを使ってこちらの意向を(『Disposable People』の著者と連絡したいという)伝えた。すぐに返事が来て、こちらの連絡先と意向を著者に伝えることで仲介することは可能、と言われた。それでCreateSpaceを通じて短い伝言を送った。実はその時点で、つまりオファーを出す時点で、最終的な出版の決断はできていなかった。通常は本をすべて読んだ上で、ときに試訳をしてみた上でオファーを出す。今回は読んでいる途中で著者に連絡を取りたいと思った。それは一つには、連絡が取れないかもしれない、という不安があったから。連絡が取れなければ、どれほど意欲があっても出版は不可能だ。また通常の小説と違い、『ディスポ人間』は一つの物語が貫かれて完結しているのではなく、日記や民話、モノローグ、イラストといった断片の集積で構成されている。短編連作のように、一つ一つの話は連携しているが、各挿話は独立したものでもある。それで最後まで読みつく前の時点で、作品全体の予測がある程度ついた。

最初に読んでいたときの状態は、目を洗われるような感覚が内容からも表現から感じられたものの、それがなんなのか充分に把握できていなかった。パッと思ったのは、ジンバブエの若手作家の小説『We Need New Names』だった。これを読んだときの衝撃は忘れない。まず日本語への翻訳は難しいのではと思ったのを覚えている。この作品は2013年に作者の初小説ながらブッカー賞を受賞。最近になってやっと日本でも翻訳出版された(ノヴァイオレット・ブラワヨ『あたらしい名前』)。偶然かもしれないが、2013年といえばちょうど『ディスポ人間』と同じ年の受賞だ。 

ブラワヨの小説はジンバブエの貧しい田舎に住む、悪ガキたちの物語。ここは『ディスポ人間』と共通するところ。『ディスポ人間』の方は、大人になった語り手が子ども時代を回想するような形で進められているが、読んでいる実感としては、多くの挿話では、10歳そこそこの男の子の語りとして受け取ることができる。こういったシチュエーションの類似以外にも、使われている言葉の面白さ、生きの良さ、弾け具合、ユーモア、それに加えてギョッとするような話の中身など共通するところはある。笑うしかない究極の極貧という舞台設定、子どものもつ生命力が悲惨さ残酷さを冷徹な目で見据えることを許すところ、自分たちの生きている世界を批評する精神と感性。どこか似ているなと思った。

しかしどちらがより悪辣で地獄性が高いか、つかわれている言葉の汚さと露出性、という点ではブラワヨの小説の方が穏やかと言える。ブラワヨは女の子が語り手、アランは男の子。その違いもあるだろう。『ディスポ人間』のクソッタレな言葉で埋め尽くされた世界は、その極端さゆえにいっしゅ清冽でもある。混沌の世界を鋭く、冷たく、透明な目が見る。そして書く。使われている言葉の汚さは、この物語を語るにふさわしい。言葉にし難い強烈熾烈な状況をつたえるには、それに見合う道具が必要だ。

エゼケル・アランによる小説の語りは、主としてファンキーなトーン。ユーモアという品のいいものではなく、笑うしかないような悪辣地獄な出来事はこう書くしかないのかもしれない。その底には無念の思いや怒り、悲しみ、後悔といろいろあると思うが、生真面目に語ることはない。そうは語れない理由があるのだと思う。この話の時代的背景としては、1970年代から80年代にかけてのジャマイカの社会主義化政策による経済の破綻や、冷戦構造の中での不安定な国の立場が貧困に拍車をかけ、社会を暗黒の世界へと引きずり落としていることがうかがえる。その時代に生まれ、成長した少年(著者)は、家族や友だちや地域の話を語りながらその時代のジャマイカの真実をあぶり出し、映し出そうとしている。

20170602

愛護か保護か、それとも福祉、権利?

四つ並べた動物への対応に関する言葉の中で、日本で、日本語として、一般的でいちばん馴染んでいる言葉は「動物愛護」の愛護ではないかと思う。動物を傷つけたり不幸にしないよう、愛をもって接することを表した言葉といっていいだろうか。しかしここ20年くらいの間に、愛護という言葉が時代とのずれを感じさせるようにもなってきた。それは環境問題やエコロジーといった言葉が一般社会で使われるようになり、またイギリス発のBody Shopという化粧品メーカーが日本にもショップを出し始めた1990年代以降、動物の問題は「個々の人間の動物への態度」というより、社会的課題として捉えられるようになったからかもしれない。

Body Shopは化粧品製造過程での動物実験に反対していること知られ、日本の消費者に対して動物実験へ目を向けさせたという意味で際立った存在だった。ショップに行くと、製品紹介のパンフレットとともに、動物実験に関する啓蒙的な印刷物が置かれていた。動物実験に反対する営利企業の活動と、日本に根付く個人的な動物愛護の精神の間には、福祉か愛護かといった言葉上の違いを超えて、決定的な差異がある印象だった。

動物愛護という言葉で思い出すのは、1960年代に活躍したフランスの俳優ブリジット・バルドーだ。アメリカのマリリン・モンローに対して、フランスのバルドーというように、彼女はセックスシンボルとして見られるところがあった。そのバルドーが動物愛護に熱心だ、というニュースが日本に入ってきたとき、セックスシンボルというイメージもあってか、知的な関心から生まれた行動ではなく、「女の人にありがちな動物が好きでたまらない動物好きの人」の行動であるといったニュアンスで(日本では)受け取られたかもしれない。それは受け取る側の動物に対する視野が限定的だったからと想像する。日本人にとっての動物とは野生動物ではなく、おおむねペットのことだ。日本語では愛玩動物と言う。petという英語は動詞では、愛撫する、かわいがる、という意味。

今回そのバルドーの動物愛護活動がどのようなものだったのか、気になって調べてみた。ウィキペディアの日本語版、英語版を見てみると、活動はかなり本格的なもので、単なる動物好きの範囲を超えていることがわかった。英語版ではバルドーはanimal rights activist(動物の権利に関わる活動家)という説明になっていた。1986年には Brigitte Bardot Foundationという動物福祉と保護(Welfare and Protection of Animals)のための組織を立ち上げている。

日本語版ウィキペディアによれば、バルドーは屠畜場での家畜の殺し方に不満を持ったことでベジタリアンになったとある。自伝の中で「この恐ろしい血まみれの虐殺を世界で誰も告発しないのなら私がする。」と書いてもいるらしい。フランスのテレビ番組に屠殺用のピストルをもって出演し、その残酷性を世に訴えたとも伝えられている。バルドーのテレビ出演が影響を与えたのか、その2年後の1964年には、フランスの農林水産省が屠殺に関する法令を変え、1970年には屠殺場での殺し方を人道的なものにするなど、屠殺に関する法律を厳しくしたそうだ(日本語版ウィキペディア)。これが事実なら、バルドーのやったことは、社会や政治を動かす活動と言っていいだろう。

また1976年に、バルドーが 動物福祉団体とともにカナダのアザラシ狩りを告発すると、その翌年に、当時のジスカール・デスタン大統領が、アザラシの毛皮の輸入を禁止している。英語版ウィキペディアにも、バルドーがシーシェパード(海洋生物の保護活動団体:クジラやイルカの捕獲問題のため日本では悪名高い組織として伝えられることが多い)の創設者ポール・ワトソンとともに、カナダのアザラシ漁を告発したことが書かれていた。シーシェパードの船舶の一つは、バルドーの支援に感謝を表して、「MV Brigitte Bardot」と彼女の名を冠しているそうだ。

こういったバルドーの活動とフランス社会への影響力を見ると、彼女のやっていることは「動物愛護」というより、アニマル・ライツ・アクティビストの活動と言ったほうがしっくりくる。

そもそも愛護という言葉に当てはまる英語はないように思う。英語ではanimal welfare(動物福祉)、animal protection(動物保護)、animal rights(動物の権利)といった言葉が一般に使われている。愛護と保護は似た言葉で、animal rights activistを動物愛護運動家と訳してある辞書もあった(英辞郎)。言葉が与えるイメージということで言えば、愛護の方は「愛」があるから、あるいは愛をもって守るという動物との関係性に焦点が当てられている。保護の方は愛があろうとなからろうと、実質的に害から動物を守るという行動が焦点になっている。

ペットのことを愛玩動物と言う人はいまはほとんどいないのではないか。愛玩の意味は「大切にしてかわいがること。また、おもちゃにして慰みとすること」だそうだ。玩は「おもちゃにする。もてあそぶ」の意味があり、玩具の玩だ。愛護という言葉は、どこかこの愛玩と繋がっている気がする。野生動物を「愛護する」ことは可能か。野生動物は人間が好きなように可愛がることのできる存在ではない。自然界では、人間と対立することも多い、本来は人間のコントロールの外にある存在だ。日本語の動物愛護という言葉には、動物を捉えるときに、野生動物の存在をあまり視野に入れていない感じがある。

人間社会にいる動物には、ペット、実験動物、畜産動物、荷役動物、動物園や水族館などの展示動物、サーカス、観光地の動物乗りなどの娯楽用動物、介護動物、セラピー動物、、、などがある。元をたどれば、どれくらい遡るかは別にして、どれも野生動物だった。人間に必要とされて、野生から人間社会に連れてこられ、人間の目的のために使用されている。動物自身がが選択したことではない。

動物福祉の考え方には、人間社会の中での効用との比較の中で、その行為や制度が正しいかどうか判断するというutilitarianism(功利主義あるいは公益主義)がある。ある意味人間中心主義ではあるが、どこまで動物への負担(苦痛)が許されるか、という判断をする際の有効な線引きになっていると思われる。豚や牛を屠殺する場合も、人間にとって動物の肉は重要な栄養源だから食肉は認めるが、屠殺の際の動物の負担(恐怖や痛みなど)をどこまで減らせるかの努力は、人間がしなければならない行為であり制度である、というようなことだ。

最近エジンバラ大学のMOOCSで、動物福祉に関する授業を何週間かにわたって受けた。イギリスはもともと動物福祉への関心の高い国のようだ。科学者たちが畜産の現場や動物実験のラボに入りこみ、そこでやっていることを否定するのではなく、いかに動物の苦痛を軽減できるかを日々研究し、現場で働く人々にフィードバックしたり指導したりしている。非常に実際的な活動だ。畜舎の環境の整備では、一匹当たりどれくらいの広さが必要で、餌や水はどのように与えられるべきか、出産の際必要なことは何か、子を産んだあとの処置はどのようにされるべきか、など動物の心理肉体両面にわたる詳細な観察検査が行なわれ、指針が提供される。屠殺の場合は、その方法論、設備の種類などが検討される。

豚は出産の際、穴を掘ってそこに子を産みたがる。これは研究所敷地内の野外に放した豚の実験から得られた情報だった。それを畜産の現場でも取り入れ、出産の際に豚が穴を掘れる環境を整えてやる。すると豚は本来の形で出産できるので、安心してよい状態で子を産める。これが豚の心理面においてよい影響をもたらすであろうことは充分想像できる。いずれ屠殺してしまう豚であっても、生きている間の生存権を最大限に保証することは倫理的に正しいと思われる。

畜産用の動物にとって、農場から農場へ、屠殺場へといった輸送の際の苦痛も大きな問題だと言う。輸送の間に体調を崩したり、死んでしまう動物も少なくないそうだ。これもどのような状態で運ぶべきかという正しい指針があれば、被害は減らせるし、動物は苦痛を味わわなくて済む。動物に対する人間の対応には、世界中どこであっても、まだまだ改善の余地がたくさんあるようだ。動物福祉の功利主義とはこのようなことであるとエジンバラ大学の講義で知った。


こういった動物福祉の功利主義の考え方は、日本語でいう動物愛護の中からは生まれにくい思想のように感じる。愛護という精神は尊いとしても、いま緊急に目を向けなければならないのは、現実の状況の把握(野生でも人間社会でも、動物たちがどのような苦境に立たされているのかを目にする)と、そこにある問題を解決するための実際的な改善策だからだ。

20170519

外国語で話すときの言語力、会話力

最近2015年度のショパン国際ピアノコンクールのビデオを見ていて気づいたことがあった。母語ではない言語で話すとき、会話が一応成り立っていれば、その言葉が話せるという見方はできる。しかし会話が成り立っていたとしても、個々の言語レベルは一様ではなく、大きくは二つか三つくらいの階層に分類できるのではないか、と感じた。

ショパンコンクール公式サイトの中に、10人のファイナリストの演奏とインタビューをビデオで紹介するページがある。その10人のコンペティターのインタビューを順番に聞いてみた。国籍は第1位が韓国、第2位カナダ、第3位アメリカ(中国系)、第4位アメリカ(中国系)、第5位カナダ(中国系)、第6位ロシア、以下クロアチア、日本、ポーランド、ラトビアの国籍をもつ人々。10人のうち5人がアジア系だった。ただし3位のケイト・リウ(2015年当時21歳)はシンガポール生まれだが8歳でアメリカに渡っており、4位のエリック・ルー(17歳)はアメリカ生まれの中国系二世、5位のヤイク・ヤン(16歳)は中国生まれのカナダ人で6歳で移住。この3人については英語の母語話者と同等と見ていいだろう。

第1位のチョ・ソンジン(21歳)は韓国生まれの韓国育ち。高校卒業後パリのコンセルヴァトワールで勉強をしている。そこでついている先生もフランス人なので、どれくらい英語をつかう機会があるかわからないが、ショパンコンクール公式サイト以外のインタビューもすべて英語で受けているようだった。(英語話者ではない外国人としては)まあまあ普通に話せているかなと思っていたが、今回改めてビデオを見比べてみて、そこまで思ったようには話せてないのではないかと感じた。

それは17歳のエリック・ルーのインタビューを聞いて、違いを感じたからだ。エリック・ルーはまだ10代とは言え、母語が英語であるせいか話には深みがあった。質問に対して考えながら言葉を選び、よりよく伝えようと、丁寧に自分の思ったことを語っていた。ショパンという作曲家についての自分の考えを述べる態度など、インテリジェンスを感じさせた。それに比べると、母語ではない言葉で話したチョ・ソンジンは、型通りの答えになりがちだった。おそらく母語で話せばもっと自分の作品への思いや考え方が語れたのではないか。話すだけの内容をもっていないのではなく、話す術が内容に追いついてないのかもしれない。

そうしてみると、あの人は英語が話せる、英語が達者だと言うとき、その一つ一つにはかなりのバラツキがあるのではと思い至った。それが今回気づいたことだ。今までなぜ気づかなかったのか、とも思う。

さらに別の入賞者のインタビューも聞いてみた。日本の小林愛実、ロシアのドミトリー・シシュキン、ポーランドのSzymon Nehringは、それぞれ日本語、ロシア語、ポーランド語と母語で話した。クロアチアのAljosa Jurinic、ラトビアのGeorgijs Osokinsは英語だった。クロアチアのJurinicは20代半ばで、クロアチアで生まれ育っている。ドイツやオーストリアで勉強した経験はあるようだったが、英語圏に住んでいた形跡は見当たらなかった。しかし英語で話す言語能力は高いように見えた。考えつつ、言葉を選びつつ、自分の思っていることを正確に伝えようとしている姿勢が見えた。英語で話すことにある程度慣れているようで、語彙や表現もそれなりにバラエティが見えた。ラトビアのGeorgijs Osokinsも同様だった。英語で話すことにそれほど苦手意識はなさそうだった。ある程度の深さをもった話ができていた。

話術や表現能力と、使う言葉のスキルとの関係はどのようなものなのだろう。日本のファイナリストの人は日本語でインタビューを受けていたが、話はいくぶん型通りの受け答えのように見えた。正直な答え方ではあったと思うが、内容や表現はやや幼い感じだった。母語で話しているのだから、もう少し踏み込んだ内容、あるいは印象深い話ぶりを見せられたのではないかと思った。そのようなことを要求される場面が少ないので、慣れていないのかもしれない。もし彼女が英語でインタビューを受けていたら、話し方の幼さや型どおりの受け答えを英語能力の足りなさのせいと思ったかもしれない。

韓国の元サッカー選手でパク・チソンという人がいる。10代のとき日本でプレーし、20代の初めにオランダに渡り、その後イギリスで長くプレーした。日本には多分1、2年しかいなかったと思うが、日本語は非常にうまいらしい。日本を離れて何年もあとに、日本の新聞でインタビューを受けたときも日本語だった(そう記事に記されていた)。2010年W杯のときで、内容は北朝鮮と韓国の関係についてなど、それなりに深いことが含まれていた。イギリスに行ってからは英語でインタビューを受けるようになり、CNNのようなテレビ番組にも出ていた。しかし今考えると、英語が話せるということにはなっていたものの、日本語と比べると型通りの受け答えに近かったのではないかと思う。なぜそう感じるかというと、最近になって、パク・チソンがイギリスのテレビ番組に出演した映像を見て、英語が素晴らしく上達しているのを目の当たりにしたからだ。彼は引退後、選手時代に所属していたマンチェスター・ユナイテッドのアンバサダーをやっており、イギリスにずっと住んでいる。最近大学でスポーツに関する勉強を始めたようで、そのせいもあって英語の表現能力が上がったのではないか。イギリスの大学で勉強するということは、たくさんの英語の本を読み、レポートなどではたくさんの英語の文章を書くことになる。またアンバサダーという役割においては、選手時代の英語以上の能力が要求されるのかもしれない。

最近見た映像では、パク・チソンは複雑なことを表現し、切れぎれではない構文的に長い文章を口にすることができていた。かなり楽に話しているようにも見えた。選手時代にはなかった話し方だと思う。自信をもって、今その場で考えていることを口にできる技術を手にしたのだ。他人事ながらこういう成果を見ると、こちらも嬉しくなる。もう一人韓国人のサッカー選手で、YouTubeで見て驚いた人がいる。現在イングランドのプレミアリーグのトットナムに所属するソン・フンミン選手だ。16歳でドイツに渡り、イングランドに来るまでの数年間ブンデスリーガでプレイし、2年前にトットナムにやって来た。ドイツ語はかなり話せるらしいとは聞いていたが、英語でのインタビューはチラッと目にしたくらいで、そのときは片言のように見えた。イングランドに来たばかりのときは、イギリスのテレビ番組で韓国語でインタビューに答えていた。それが1年たったとき、滑らかとは言えないもののそれなりに話ができていた。型通りの受け答えばかりでもなく、楽しげに話し、インタビュアーを笑わせてもいた。もちろんレベルとしては高い会話力とは言えないが。ここから先、語彙や表現力を高めていって、深い話ができるようになるだろうか。

型通りの話で終わるか、自分の考えていることをそれなりのレベルで伝えられるか、この二つには大きな違いがある。多分、それなりのレベルで伝えられるようになるには、それなりの道筋があり、努力が必要になってくるのだと思う。たとえば人と話をするだけでなく、その言語で本を読んだり、手紙やメールを書いたりという経験を多くもつことだ。型通りの受け答えや仲間うちの会話に終始していると、何年英語圏にいたとしても、そこからレベルを上げることは難しいかもしれない。

慣用句やいかにも英語らしい表現を使わなくとも、非常に深い話ができる人もいる。マリア・ジョアン・ピリスはポルトガルのピアニストで、現在はブラジルに住んでいる。何年か前に、彼女がNHKのピアノのレッスンの番組で教えていたとき、そのような英語で話していた。生徒たちの国籍は多様で、英語圏の生徒はいなかったと思う。一番若い生徒は12歳のオランダ人だった。それを意識してわかりやすい英語で話していたのかもしれない。ポルトガル語風のなまりはあるが、シンプルで、言いたいことの本質をついた強い表現で、彼女の個性が出た話ぶりだったと記憶している。中身の薄い型通りの話し方とは対極にあるものだ。

元ハンマー投げの室伏広治選手の英語でのインタビューを聞いたことがあるが、彼の話ぶりも好感のもてるしっかりとしたものだった。言いたいこと、伝えたいことがまずあって、それを表現するための話術と英語のスキルがあるという感じだった。それは一つには基本的な英語の文法や語彙があるということ。流暢とかペラペラという話し方ではない。話す内容と話し方がぴったり合っていて、伝えたいという気持ちが相手に届くような話し方だ。このように外国語を話せば、話すことの意味は増す。

意外だったのはYouTubeでたまたま目にした村上春樹の会見模様。室伏選手同様、堅実な話ぶりで好感が持てたが、英語の表現や語彙自体は中学生レベルだった。それで言いたいことをしっかり表しているように見えた。彼の場合、英語の本の翻訳歴は長いし、海外の公の場で英語でスピーチもしているので、英語の能力は高いはず。しかし自分の言葉で「話す」際は、易しい表現や語彙を使った堅実な話ぶりだった(たまたまだったのだろうか?)。これは日本人が英語で話したり、インタビューを受けるときのヒントになりそうだ。日本の著名人でそれなりに英語で話せる人の中には、一見もの慣れているように見えて、話に曖昧な部分が多かったり、文があちこちに飛んだりと落ち着かない話しぶりであることも多い。このようなケースは外国語で話すときの手本にはなりにくいと思う。

2015年のショパンコンクールで審査員をしていた海老彰子さんは、日本のピアノ学習者は「楽譜を弾けるようになってから表現を探している」が逆でなければならない、というようなことを書いていた。楽譜を音にする最初の段階で構想をもち、表現を考え、表現にしていく、音にしていく、音楽にしていくということだろう。まず弾ける技術を手に入れて、そのあとで自分の表現を探すのではない、というのは納得のいく考えだ。


同様に外国語での会話も、言いたいことがまずあり、どうやって表現したらそれを人に伝えられるか、そのことを追いながら話すスキルを上げていく、言語力を上げていくのがいいように思う。一番適切な言い方を見つけるためには、未知の語彙や表現を手にしなくてはならない。ひとたび手にしたら、そのスキルは言いたいことのために、何度も使われるようになるだろう。そのようにして表現や語彙が身についていくと、自分の「英語での話し方」が徐々に出来上がっていくのではないか。話し方にはその人の人間性が出るものだ。型どおりの受け答えで個性を出すのは難しい。

20170428

子どものトランスジェンダー問題

先月末、スタンフォード大学で「子どものための栄養学と料理」を教えているマヤ・アダム教授からメールが届いた。メールの表題は「Gender and our Children」。アダム教授の授業はCoursera(ネットで大学の授業を受けることができる新しい教育システムMoocの一つ)で取っていたことがある。メールの内容は次のようなものだった。

5年前にスタンフォード大学で「子どもの健康学」をアダム教授が教えていたとき、授業のあとで一人の学生が教壇にやって来た。「アダム先生、この授業はとてもためになりました。でも一つ、子どもの健康について欠けているものがあります。先生の授業ではジェンダー・アイデンティティについて、それが子どもたちの健康や暮らしにどのような影響を与えるかの情報が全くありませんでした」 学生はそのように述べたと言う。アダム教授はそれを聞いて、ジェンダー・アイデンティティですって? それが子どもたちの健康に影響があるって? とかなり戸惑ったそうだ。

アダム教授は、ジェンダー・アイデンティティと子どもの健康に与える影響について、そこから調べ、考えはじめた。小児科医、両親、教師、地域の子どもたちに話を聞くことからはじめたと言う。その結果わかったことに対して教授は非常に驚き、知らなかった自分を恥じ、現在の状況に深く胸を痛めた。トランスジェンダーに生まれた子どものことを何一つ知らず、医学の学位をとったと思い込んでいた自分を恥ずかしく思い、また子どもたちを(それぞれの、すべての子どもたちを)ちゃんと社会が支援できていないことに対して心砕ける思いだったと打ち明けている。そしてメールの中で、Together, we can change that.と呼びかけた。5年前の自分と同じようにこのことについて知識のない人、ジェンダー・アイデンティティと子どもの健康の関係について知りたい人は、「ぜひこのコースを取ってください」と結ばれていた(上品な先生に似合わず、この部分はすべて大文字で書かれていた)。

この率直な思いを訴えかけるメールは印象深いものだった。おそらく過去にアダム教授の授業を受けたことのある人全員に送られたのではないか。子どもの健康とジェンダー・アイデンティティの関係を調べはじめて5年、その成果をMoocという仕組をつかって世界中の学生たちに呼びかけ、このことを一人でも多くの人に知ってもらおう、という教授の熱い想いが伝わってくるメールだった。その想いに打たれ、また子どものジェンダー・アイデンティティについてぜひ知りたいと思い、わたしはすぐにクラスに行って受講申請の手続きをした。

授業のタイトルは「Health Across the Gender Spectrum(ジェンダーに関わる健康について)」。3月27日からスタートした。3週間にわたる短期のコースで、第1週目は「What is Gender Identity?」、第2週目は「What is the Gender Spectrum?」、第3週目は「How Do We Create a Gender-Inclusive Society?」。3週間にわたる授業には、トランスジェンダーの子どもたちやその両親へのインタビュー、50歳を過ぎてから肉体的にも社会的にも性を変えたある大学教授の体験談、この領域の専門家たちとアダム教授の対話のビデオ、理解度をチェックするクイズ、トランスジェンダーの子どもをめぐる問いに対して自分の考えを書き、クラスの他の人々の意見を読むディスカッション、参考になる書籍などのリスト、といったものが並んだ。

わたしがまず驚いたのは、当事者たちのインタビューで多くの子どもたちが、非常に小さな頃から自分の性に対して違和感をもっていたということ。およそ3歳くらいからその感覚は始まっているように見えた。からだは女の子である子どもが、スカートやピンクの服を着るのをいやがり、ズボンをはいて男の子たちと遊びたがる。逆にからだは男の子である子どもが、女の子のものを身につけたがり、自分は女の子と主張する。

実はこれまで、わたしはトランスジェンダーというものがよく理解できないでいた。スカートをはくとか、男の子のように振る舞うといったことは、人間がつくりあげた男女を区分する社会的文脈の中でのみ意味があり、人間にとって本質的なものではないのではと考えていた。社会が男の子として、女の子として、その範囲内で振る舞うよう強制するから生まれるギャップなのではないか、と。もし社会が男女差のない中性的な、あるいは男女を横断し混合を許すような、行き来自由な文化であれば、男とか女とかといった自意識上のギャップは生まれないのでは、と考えていた。

しかしアダム教授の授業を受けてみて、非常に小さな子どもがすでに違和感をもっていることを知り、自己認識の途上で何らかの不和が肉体と精神(脳)の間で起きているのかもしれない、と思うようになった。3歳といえば、歩いたり走ったりできるようになり、外の世界を知り始める年齢だ。それまでは主に母親や父親(兄や姉)と自分、という関係の中を生きていたのに対し、同じ年頃の友だちやよその大人たちとの接触が増えてくる。そうした中で、おそらく自己認識を少しずつはじめ、自分とは何か、自分はどのような存在か、どこに属するのか、ということを認知しようとし始めるのだろう。

トランスジェンダーの問題の基本は、自己認識のあり方にあるようだ。自分はどんな存在かと認識する過程で、男女という性に関する属性の識別が出てくる。授業の中の両親へのインタビューでは、多くの親が子どもの主張に驚き、胸を痛めながらも、自分の子どもが自己認識する性をなんとか理解して認めようとしてきた経緯が語られていた。トランスジェンダーの子どもたちにとって、思春期(第二次性徴期)は最初の関門で、そこをどのように通過するか、どの性で日常生活を送り、まわりの人々にどう理解してもらうかが差し迫った問題となり、将来的に自分の性の舵をどうきるかの入り口に立たされるときでもある。

授業の中で体験談を語った大学教授は、男の子として生まれたが、小さな頃からそれに違和感をもちつづけて成長した。なんとか自分の肉体が示す男性として生きよう、生きなければと思い、高校や大学でバスケットボールなどのスポーツに心を傾け、また素晴らしい女性たちとの巡り会いも経験して、最終的にある女性と結婚し、子どもを二人もうけた。その後、最初の妻とは離婚し、非常にユニークな女性との出会いがあって再婚。そして50歳を過ぎたころに、自分の性の認識について妻に打ち明け、妻の応援もあって性を変更する決意をする。そこからホルモン療法など医学的な治療を受け、性を男性から女性に変更した。当時すでに大学教授だったため、社会的に性を変更する旨、大学の上司に申告することになる。職を失うかもしれないと思いながら打ち明けたところ、その上司は「なに、きみが初めてというわけでもないんだよ」と受け入れてくれたという。また成人した娘と息子にもそれぞれ打ち明けた。息子は「なんだ、もっと重要なことかと思ったよ。これからは共和党を支持するとかさ」と言い、娘は「じゃあ、いっしょにショッピングに行きましょう!」と喜んだという。これはきっと幸せな結末を迎えることができた例だと思うが、そうであっても、この大学教授の50歳までの人生は大変な苦痛をともなうものだったと想像できる。

この大学教授が女性との巡り会いを経験しているように、トランスジェンダーであることと、性的な指向とは必ずしも重なるものではないようだ。ジェンダー・アイデンティティというように、基本は自己認識の問題なのだと思う。そこも混同されやすい問題らしい。

この授業の中で、子どもたちの学校生活で困ることとして、男女に分かれたトイレの問題が取り上げられていた。これは同性愛の人々の問題としてよく知られているが、トランスジェンダーの子どもたちにとっても、学校という生活の場で直接的にストレスのかかる問題となる。学校ではなるべく水を飲まないようにするなど、トイレにまつわる子どもたちの苦労や告白があった。解決策としては、男女別のトイレの他に、性を区別しないトイレを設置することが上げられていた。しかしこれも、学校や教師たちがトランスジェンダーの子どもたちの状況をよく理解しないことには、実現は難しい。

どの国の社会にも、男女を区別する文化はある。そこにどの程度の必要性があるのかは、まだあまり議論されていない。慣習として、歴史的に(封建制や家父長制のもと)、特に問うことなく続いてきたことだ。ネットなどのアンケートでも、男女をチェックする項目は普通にある。最近は必須ではないことも多くなっているが。答えたくない(答えられない)人のことを考慮してのことだろう。一般にマーケティングというものは、年齢や男女の属性を知りたがる。しかし、そこにある意味は深く問われないままだ。男ならこれを欲しがる、30代の人はこういう傾向だ、女性にこういうものを勧めると効果がある。そういった方法で商売をしていく方法は、いったいあとどれくらい持つのだろうか。いやいや世の中、そうは変わりませんよ、という人もいるだろう。性別に大きな意味を感じている人、女はこうあるべき、男はこうだ、という考えの中を自分が生きていることに気づかない人もいるだろう。それしかない、それが当然と思っている人々の存在は、トランスジェンダーの人々を気づかずに傷つけてしまうこともある。それは無知からくるものだ。人間に関する、知識の無知からくるものだと思う。だから誰もが知ることで変われる可能性をもっているし、そういう人が増えれば社会も変わる。


授業の中で参考図書として上げられていた本を1冊購入した。Beyond Magentaというタイトルで、「10代のトランスジェンダーたちの発言」という副題がついている。数人の子どもたちによるモノローグと著者のスーザン・カクリンの解説をまとめたもので、複数の人間の体験を知ることは入門として役に立つのではないかと思った。著者のカクリンはこの本を短編小説集に例え、それぞれの子どもを語る際は、PGP(preferred gender pronounce=その人が望む性の人称代名詞、彼女や彼)をつかいます、と冒頭で述べている。機会があれば、この本について詳しく紹介したい。