20180112

野生と飼育のはざまで(1)

注)以下の記事は現時点での知見をもとに書きました。筆者は野生動物や飼育動物の専門家ではないので、知識やその受け止め方に誤解や偏向があるかもしれません。今後もこの問題について考えていくつもりなので、気づいた間違いや新たな発見、見解は、そのつど後の記事で更新していきたいと思っています。
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「動物園ほど、好きであり嫌いな場所もない。」

『コヨーテ読書』『オムニフォン』などの著書で知られる管啓次郎さんが、文芸誌『すばる』(2017年4月号)でこのように書いていた。アンカレッジの街中にある動物園を訪れたときの話だ。さらにこう続けている。

動物をじっと見るという経験は、他の何物にも換えがたい。つねにつねにおもしろい。でも囚われの動物たちの状態を見ると、いかんともしがたい悲哀を覚える。罪だ、これは。それでもなお、興味深いのが困る。(『アラスカ日記2014』)

このような感慨、感じ方はありそうでいて、あまり聞くことがなかった。だから印象に残った。ここには人間のもつ矛盾や、この世界の不合理さが現れている気がする。ただし、問題の解決法が示されているわけではない。それでも、人間が動物や動物園(水族館)について考えるとき、このあたりを出発点にすれば、柔軟で奥深い思考をする助けになるのではないか、と思えるところがある。

菅さんは「罪だ」と書いている。人間に囚われた動物を気の毒に思い、その状態に動物を置くことはいけない、と感じているのだ。もし新しく展示する動物を、森で(あるいは海で)捕らえてこなければならないがどう思うか、と訊けば、そうしないでほしいと答えるのではないか。野生動物を捕らえることを、自分が見たいという欲望に優先させることはない気がする。

これは菅さんに限らず、一人一人訊いていけば、同じように答える人が多いかもしれない。日本科学未来館で科学コミュニケーターとして働いていた大渕希郷さんという人が、来館者に、動物園、水族館についてのアンケート調査をした(2016年3月)。大渕さんは上野動物園で、両生類や爬虫類の飼育展示・保全を担当していたことのある人だ。

アンケートは対面方式で行なわれ、150以上の回答を得たという。質問の内容は、動物園や水族館に行く頻度や目的など基本的な事項に加え、そこで学べることは何か、イルカショーは必要と思うか、漁で捕獲したイルカを利用することの是非、野生動物の捕獲と展示についての感想といった十数項目で、「人間はどんな動物でも飼っていいと思うか、いいとしたらその基準はなにか」といった難しい質問もあったようだ。アンケートの解析は発表されていなかったが、大渕さんの感想として、以下のようなことが書かれていた。

子どもたちは、「野生に生きる野生動物」と「動物園動物」「飼育されている野生動物」の違いを感じとっているようで、「野生ではどこにすんでいるの?」などの質問もあったとか。一方大人のほうは、動物園の必要性について聞いたところ、手軽に行ける近場に動物園があったほうがいいが、野生動物を自然から引き離して閉じ込めることに罪悪感をもっている、と答えた人が何人もいたという。その人たちは、観たい気持ちと動物に対する罪悪感の板ばさみになっているようで、また子どもたちに地球に住むさまざまな動物を実物で見せてあげたい、という気持ちも強いように感じたとのこと。

そうなんだ。やはり菅さんだけでなく、日本に住むそれなりの数の人が(多数派かどうかはわからないが)、ていねいに訊いていけば、動物園や水族館の存在理由にいくらかの疑問を感じているのだ。こういうことは案外知られていない気がする。大手メディアで問題点として取り上げられることは少ないのではないか。そういったメディアでは、動物園・水族館関係者からの話としても、存在の意味や意義について、あるいはそこで起きる議論についてあまり書かれることがない。関係者にとっては、問題意識はあっても、立場上、口にしにくいのかもしれない。あるいは広く理解を得ようとすると、問題の複雑さにより説明するのが困難に感じられるとか。

大渕さんは日本科学未来館をやめて、京都大学野生動物研究センターの特定助教と日本モンキーセンターのキュレーターを勤めたあと、この1月から、フリーランスの科学コミュニケーター(生き物の不思議を科学的に紹介する仕事)を始めた。京大大学院時代は動物学を専攻していた。科学未来館で科学コミュニケーターをしていたときのブログが公開されており、3回にわたって「未来の動物園・水族館〜動物園や水族館の役割をみんなで考える〜」のタイトルで、この問題を考察している。いくつか参考になった点をあげてみたい。(ブログのURLはこの記事の最後に紹介)

まず第1回、第2回で扱われていたイルカ捕獲問題について。そこでは食べるための捕獲とは別に、捕獲後の心身の健康を考慮した捕獲法があってしかるべきではないかという指摘があった。それはイルカが「高度なコミュニケーションに支えられた社会構造を持ち、記憶能力も高い動物」だから、「社会構造の破壊、つまり仲間や家族を殺された記憶は飼育後も残る」可能性があるからだという。この問題について、このブログで大渕さんとの対話に参加した、動物園動物学の研究者・並木美砂子氏は「そのような歴史(体験)を背負わされたイルカを展示に用いて、野生動物の普及活動を行うことはナンセンス」と指摘している。(そうか、飼育するイルカに対しては、現在の追い込み漁とは違う入手法が開発されてもいいのかもしれない。)

動物園や水族館の役割は何か、についての議論では、一般に言われている「自然界への理解・共感」「生物多様性の科学的知見」「保全・研究」「園内繁殖」などは、関係者に想いはあるものの、現状ではまだ達成されているとは言えず、「野生動物の入手」(施設側)と「娯楽」(来園者側)あたりがリアルなところらしい。大渕さんを含めた話し合いに参加した 計3名(うち2人は動物園に関わった経験あり)からの感想としてそうまとめている。

また運営システムの問題点にも触れていて、日本では動物園は地方自治体が運営しているものがほとんどで(国立はない)、動物は帳簿上は「備品」であり、飼育担当者も自治体の人事異動の中で、事務系の職員が担っているケースが多いそうだ。博士号をもった専門のキュレーターや飼育専門スタッフが常勤していることは少ないという。また日本では飼育職の人が事務系ではない場合も、畜産系出身者が多く、野生動物の生態学を学んできた人ではないという特徴もあるようだ。

これは2016年に『イルカ日誌』を出版したとき、最終稿を科学的知見から校閲してくれる人を探した際、日本の大学の学部をいくつか回ってみて、野生動物の生態学の専門学科がほとんどないことに気づいたことと合致する。そのときは(大渕さんと同じ)京都大学野生動物研究センターで、野生イルカの研究&フィールド調査をしている大学院生の方と幸運にもめぐり逢うことができた。日本で野生動物の研究といえば、今のところほぼ、京大の野生動物研究センターに集約されるのだろうか。 

もしそうだとすれば、こういった日本の社会のあり方が、動物園・水族館の職員の科学者としての専門性や質に影響していることは想像できる。大渕さんのブログのコメント欄では、動物園で生物の担当をしている匿名の人から、展示方法についての来園者からの投書を上層部に伝えたところ、改善の余地なしと黙殺された、という書き込みがあった。改善をもとめる現場スタッフと、「今あるコーナーはなくせない」「お客さんが喜ぶ」などの理由から、見世物小屋的な発想から抜け出ることができない管理層といった、内部の対立もあるようだ。

日本の動物園・水族館の実態を知ろうと、ここのところ複数の関連書籍や雑誌を見ている(この記事の最後に参考図書として記載)。たとえばカーサ ブルータスの「動物園と水族館」特集号(2017年8月号)。巻頭のカラー広告にティファニー、ドルチェ&ガッバーナがくるような「オシャレ系ライフスタイル誌」で、デザインや建築、アート、ファッションなどが題材としてよく取り上げられている。特集は「センス・オブ・ワンダーに出会える!」の副題がつき、『沈黙の春』などで環境問題を告発したアメリカの生物学者の著書のイメージを借りて、古くさい動物園ではなく、未来型の進化した展示施設へ誘なうアプローチをとっている。

内容としては、(思想雑誌でも生物専門誌でもないので)ブルータスが選ぶ動物園・水族館のお勧めガイドで、美しく撮影された見開き写真がたくさん使われている。しかし導入部では、今の時代の関心ごと(動物園における教育や研究、種の保存の役割)に無関心ではない態度を示し、展示のデザインの工夫にも触れている。これらのことは、「先端をいくオシャレ・文化系」には欠かせない知的アプローチの一つとも言える。その関心度がどれくらい深いところまで達しているか、見てみたいと思った。カッコだけじゃないという。

たくさんの水族館、動物園が紹介されているが、全体として、オシャレで進歩的な動物園・水族館ガイドの域をさほど超えているようには見えなかった。素敵な、あるいは癒される展示施設を読者に案内しようという企画だと思うから、動物園・水族館が抱える現代的な問題に触れられていないのは、まあしかたないかもしれない。

確かに、どの記事もテキストのはしばしに、今の展示施設は動物の幸せを考えねばならない、という方向性が示され、その工夫にも触れられていた。それは昔ながらの「狭くて汚い檻に閉じ込められた動物たちを見せる施設」への否定になっている。しかし「のんびり暮らす」「のびのび生活」「動物たちが暮らす自然環境を再現」「イキイキとした行動を引き出す」「広大な敷地」などの言葉は、発信者の意図(希望)としてはわかるし、一般来園者には充分魅力的なアプローチかもしれないが、少しでも野生動物の生態や飼育環境で動物が抱える問題を知る人からは、嘘とは言われないまでも、疑いの目を向けられる可能性はある。

カーサの記事の中で一番興味を惹かれたのは、海外の動物園紹介のところにあったチューリヒ動物園だ。特集の最後に置かれていて、全9ページと単独の動物園紹介では一番力が入っているように見えた。この記事を最後に置いたところも興味深い。というのは、日本の動物園紹介では見られなかったことが、いくつか挙げられていたから。

一つは餌のやり方。チューリヒ動物園では、餌は飼育員が与えるのではなく、コンピューターで制御された餌場が42ヵ所あり、動物自身(この場合はゾウ)が餌場を探して食べる。高いところにあったり、岩山の穴の中にあったりと、それをゾウたちが移動しながら探すのだ。餌を探すという自身の能力を日々発揮させ、それがゾウたちの暮らしに(わずかであっても)「生きる意味」を与える。本当は飼われいてる環境の中に、餌が生育していればいいのだろうが、生息地とは気候も広さも違うので難しいことだ。しかし日本の動物園が「餌やりタイム」を見物人へのサービス(人集めの目玉)にしている例をいくつも知れば、チューリヒ動物園の工夫はいいことに見える。 

もう一つは飼育の仕方で、この動物園では「完全間接飼育」に切り替えられた、との説明があった。これは人が動物と直接触れ合わない(人が立ち入らない)飼育法で、「直接飼育」と区別されている。去年葉っぱの坑夫で連載していた『Elephant Stories:サンクチュアリに住むゾウたちの物語』で、「保護下のコンタクト」として紹介したものと同じだ。動物と人間の間に、常に両者を分かつフェンスのような障壁を置くことで、両者が接する際、互いにとって安全が保証される。動物にとっては、意志のあるときだけ人間に近づくことが可能になり、精神的な安定がもたらされるという(サンクチュアリのスタッフの説明)。

チューリヒ動物園では、この完全間接飼育にしたため、ゾウたちはからだのケアを自分でするようになった。砂浴びや泥浴び、水浴びをしてからだのケアをする。つまりそういう場がこの動物園には用意されているということだ。直接飼育をしていた時代は、飼育員がブラシでゾウたちのからだを洗っていたという。野生のゾウがしていることに近い行動がとれるよう、環境が整えられたのだ。

葉っぱの坑夫サイトの『Elephant Stories』のところで書いたサンクチュアリは、アメリカのテネシー州にある。そこは動物園ではなく、動物園やサーカスで働いていたゾウたちが、引退したのちに暮らす場所。日本にはまだこういった施設はなく、存在自体があまり知られていない。ここは展示施設ではなく保護施設なので、ゾウを一般公開しているわけではない。森と草原が広がる2700エーカー(日本のサファリパークの10倍くらいの広さ)の自然環境の中で、管理・監視されながら、必要に応じて人間のケアを受け、群れで(アジアゾウ7頭、アフリカゾウ3頭、2018年1月10日現在)生活している。

チューリヒ動物園に戻ると、動物園園内のことだけでなく、野生動物の生地へのサポートもしているそうだ。動物保護を進めるため、地元アフリカの人々の生活改善や教育に取り組み、小学校の建設を計画しているという。またケニアの動物保護区と協力し、エコツアーをテーマに、旅行業のスクールも開設している。それにより現地の人が、毛皮や牙の密猟をすることなく、生計を立てられるようにするのだ。教育への取り組みには、啓蒙の意味があるのだと思う。

「行動展示」などの名で呼ばれる来園者へのアピールを中心とする展示方法の工夫ではなく、動物が置かれている状況の意味に注目した飼育法や管理法、さらには動物の生地に住む人間への啓蒙・教育活動といったプログラムには納得できるものがある。

日本の動物園は地方自治体が運営しているものが多く、税金でまかなわれているケースが多いという。予算に余裕があるわけでなく、設備の充実も経営的に難しいのかもしれない。たとえば日本の水族館では、イルカを展示する場合、海から捕獲する方法がほとんどだという。それはイルカの場合、飼育環境での繁殖が難しいからだ。充分な資金がない、繁殖用の施設がない、繁殖のための高度な技術をもっていない、それだけの時間がかけられない、などの理由で、繁殖によるイルカは全体の1割程度にとどまるという。アメリカでは現在、7割が繁殖によって生まれたイルカだという(野生のイルカを捕獲することは、原則として禁止されている)。

ただ繁殖がいいことかどうかは、また別の問題ではある。イルカでもゾウでも、人間によるプログラムは、動物にとって無理がある場合もあるだろう。発情期を見つけ、オス・メス一対揃えれば交尾に進む、といった単純なことでは済まないのではないか。個体にはそれぞれ好みもあれば、気分もある。そこは人間も動物も同じだ。また飼育環境の中で、繁殖を繰り返していくことがどういうことなのか、それについてわたしに知識がないため、今の時点では何とも判断できない。一般的には、現在の日本の動物園は野生由来の動物は少なく、多くは飼育下生まれだと聞いている。だから環境に適応しており動物にとって苦痛は少ない、とも言われる。

飼育環境にいる動物を考えるときの問題点として、野生動物への理解が、日本ではまだ足りていないケースが多い、ということはないのだろうか。上で紹介した科学コミュニケーターの大渕さんは、動物園の動物を「家畜化」させてはいけないと考えている。囲われて暮らしている動物が、野生動物かどうかは難しいところだが、少なくとも元々は野生に生きていた。動物園の動物をなるべく家畜化させないためには、人間視点ではなく、野生動物の視点に立ってものを見ることが求められる。それには野生動物についての知識と経験が必要になる。そういったスキルをもつ人材を、たとえば大学などの専門教育の中で育てていくことも、動物園・水族館の存続には必要ではないか。野生と飼育のはざまで動物を捉える思考をもつ人材、その知見を来園者に伝えられるスタッフがもっと必要かもしれない。そうでないと、動物園・水族館の社会的役割を熱心に論じても、中身のともなわない、空しいものになってしまう気がする。

*「野生と飼育のはざまで」の続きは、家畜動物やペットも含め、今後書きついでいきたいと思っています。

科学コミュニケーター、大渕希郷さんのサイト

日本科学未来館科学 コミュニケーターブログ
未来の動物園・水族館〜動物園や水族館の役割をみんなで考える〜
1)新山加菜美(科学コミュニケーター)+大渕希郷(科学コミュニケーター)
2)大渕希郷+新山加菜美+並木美砂子(動物園動物学研究者)
3)大渕希郷


このブログを書くために集めた本:『子どもが動物に出会うとき』(並木美砂子著、2008年)、『日本の動物園』(石田戢著、2010年)、『キミに会いたい:動物園と水族館をめぐる旅』(吉本由美著、2009年)、『水族館哲学:人生が変わる30館』(中村元著、2017年)、『絶滅危惧種救出裁判ファイル』(大渕希郷著、2015年)、『とらわれの野生:動物園のあり方を考える』(ロブ・レイドロー著、2014年)、『The Dog Book』(管啓次郎著、2016年)、『動物の権利』(ピーター・シンガー編、1986年)、『Casa BRUTUS:動物園と水族館』(2017年8月号)


20171215

エリック・サティ、ちょっとわかった気がした

19世紀末から20世紀にかけて活躍したフランスの作曲家、エリック・サティ(1866 - 1925)。『ジムノペディ』や『グノシエンヌ』を聞けば、どこかで聞いたことがあると思う人は多いと思う。映画に使われていたり、カフェでかかっていたり。日本でも何度かはやったことがあって、最近では2016年が生誕150年で、展示やCDの発売、コンサートなどあったようだ。 

わたしにとってはこれまで特別好きな作曲家というわけでもなく、知っている作品もごくわずかだった。ただ『ジムノペディ』をピアノで弾くと、なんとも言えない(こんな曲を書く人がいるのか、というような)不思議な感覚に囚われた記憶がある。単調で、静かで、ドラマがなく、どこまでも坦々と同じ調子でつづいていく音楽。調性があるのかないのか、メロディーはそれほど突飛というわけでもなく、まあまあ自然な感じ。でもシューベルトとかベートーベンでは聞いたことのない音の運びやハーモニーがある。

そのサティに最近ふとしたことで興味が湧いた。それはほぼ同時代の同じフランスの作曲家モーリス・ラヴェル(1875 - 1937)の書いた講演録を読んでいたときのことだった。ラヴェルは1928年にアメリカツアーを4ヵ月に渡って行なっているが、コンサートの前にレクチャーをすることもあった。そのレクチャーで、アメリカの聴衆にフランスの現代(近代)音楽の話をした中に、サティの話題があった。以下一部を日本語訳で紹介する。

サティは非常に鋭敏な知性の持ち主でした。ずば抜けて優秀な発明家の知性です。また偉大な実験精神の持ち主でもありました。サティの実験はリストが到達したレベルには至ってなかったとしても、多様性とその重要性において、計り知れないほどの価値をもたらしました。率直にして巧みな方法で、サティはこの道を示しましたが、他の音楽家たちが自分の敷いた道を追いかけはじめると、すぐに自身は方向を変え、ためらうことなく、新たな実験場へと道を切り開いていきました。(中略) 彼のもたらしたものはまったく独善的でなかったため、多くの音楽家へのかけがえのない価値ある贈り物になりました。(A Ravel Reader : Correspondence, Articles, Interviews by Arbie Orensteinより)

この文の中で、「もたらしたものはまったく独善的ではなかったため」という部分に興味を惹かれた。この独善的は元の英語ではdogmaticとなっていて、意味としては自分の信じる考えや意見を強力に押す、あるいは押しつける、譲らない、というようなことだと思うが、この文脈でラヴェルが「dogmaticではない」と言ったことからは、それ以上の意味の広がりが感じられた。

それに気づいたのは、この文を読んだあとで『ジムノペディ』をピアノで弾いてみたときのことだった。久しぶりに弾いてみて、この開放感はなんだろうと思った。言葉であらわすなら、openとかopenness、遮るもののない空間性、果てのない時間性、空間・時間をこえる開放性とでも言おうか。誰もに開かれた音楽、誰もが好きに弾いていい曲。子どもが無邪気に弾けば明るい歌に、初心者がポツポツよろよろと弾けば不安なつぶやきに、上級者が弾けばクールで繊細なタペストリーに、というように。

『ジムノペディ』

独善的の反対は、日本語だと協調的とか民主的などがくるようだが、英語のdogmaticの場合だと、equivocal(あいまいな)とかdoubtful(不確か、疑わしい)、あるいはflexible(融通がきく、柔軟な)などが挙げられ、日英の意味のずれを感じる。どちらの言語にも、openness(開放性)が反対語としてくることはないが、ラヴェルの言う「独善的ではないことで、多くの音楽家への贈り物になった」の文脈から読みとると、「独善的」は独占的の意味も含むように思え、作品にオープンなところ(開放性)があったから、後の音楽家にもたらすものが大きかったとも取れる。

そんなことを考えているとき、『ボレロ』を踊って有名になったダンサーのジョルジュ・ドンの言葉と出会った。東京バレエ団代表の佐々木忠次氏の評伝の中に、佐々木がドンに、「ボレロを踊るのは簡単でしょう、同じことを繰り返してればいいんだから」というようなことを言ったら、ドンが「そうです、誰にでも踊れます」と答えたという場面があった(追分日出子著『孤独な祝祭 佐々木忠次 バレエとオペラで世界と闘った日本人』、2016)。

確かにベジャール版の『ボレロ』はあるパターンを繰り返す振り付けになっていて(ラヴェルの音楽も)、その動きは誰にでも真似できそうなところはある。実際は、15分くらいある作品をほぼ一人で踊り通すことは簡単ではないだろうし、かつてこれを踊ったマイヤ・プリセツカヤは、同じように見えて一つ一つ違うエピソード(振り)が入るこの作品を(短期間に)覚えるのに苦労したと自伝に書いている。

Maya PlisetskayaによるBOLÉRO

しかしわたしはジョルジュ・ドンの言った「誰にでも踊れます」という言葉が強く印象に残った。振りをそのまま真似すれば形を踊ることはできる、という意味なのか。サティの『ジムノペディ』もある意味、誰にでも弾ける曲だ。ものすごいテクニックがなくても、ピアノの初心者であっても、楽譜を読んで音にすることは何とかできるだろう。左手は主にワンパターンな伴奏で、そこに風変わりな右手のメロディーが乗ってくる。そして同じフレーズの繰り返し。ゆっくり弾いていい。たいていLent(ゆっくり)の指示が記されているから。

ゆっくり弾く、ということの中にも、サティの開放性が現れている気がする。遅く弾くことによって、余白や空間が生じる。ピアノ曲は割り合いからいうと、速い曲が多い。細かい音符がずらずらと並び、転がるように弾かれる曲。ゆっくり、それもレント、アダージョ、ラルゴといったかなり遅いテンポの曲は、それだけで特別な感じがある。ゆっくり弾くことで、曲との対話がより多く生まれる気もする。ピアノ初心者にとっては、速く弾くのと同じくらい、ゆっくり弾くのは難しいかもしれない。それは空間や時間を自分が支配しなければならないからだ。

ゆっくりということでいうと、『グノシエンヌ』も同じだ。今回サティに興味をもってから、『グノシエンヌ』の6曲をピアノで弾いてみた。楽譜はいつもお世話になっているIMSLP(ペトルッチ楽譜ライブラリー)でPDFをダウンロードして印刷(無料)。『グノシエンヌ』を弾いてみると、『ジムノペディ』と同じようなスタイルだけれど、もう少しエキセントリックで異国風(中東とかアジアとか)な趣きがあった。IMSLPにアーカイブされている楽譜は、パブリックドメインになっているもので、楽譜そのものも古いものが多い。最初にDLした『グノシエンヌ』の楽譜は、小節線のない曲がほとんどだった。1890年度版も見てみたが、やはり小節線はなかった。見慣れないながらも、ビジュアル的にどこか開放感がある。川の流れのようだ。2014年度版の新しく編集されたものは、すべて小節線が入れてあった。編者が入れたものだろう。

サティの楽譜には、楽譜のところどころに言葉が書き込まれていることがよくあり、これがまた面白い。「何か問いかけるように」「考えの及ばないところから」「自分の中で反すうする」「舌で味わう」「自尊心を捨てて」「予知能力をたずさえて」「自分に教えるように」「つかの間一人になって」「穴を見つけたみたいに」「非常に戸惑い、途方にくれて」などなど。詩の言葉と言ってもいいかもしれない。実際、弾きながらこれらの言葉を汲み取ろうとすると、思わぬ効果や、インスピレーションを得た音の連なりが現れることもある。楽譜にこんな風な指示があることは珍しい。普通はもっと即物的、あるいは抽象的な指示が多い。「強く」「急がずに」「いきいきと」といった。

家で楽譜を探していたら、輸入盤のサティの楽譜ピースが出てきた。”Children’s Pieces for Piano” という三つの組曲が入った薄い楽譜で、どの曲にも音符を追うように言葉が書かれている。『豆の王様の戦いの歌』では、「なんて愉快な王様だ、そのお顔はまっかっか、王様は踊り方を知っている、王様のお鼻は毛だらけ、、、」。かと思えば『友だちの頭にやきもち』では、「やきもちを焼いたら、幸せにはなれないよ、オウムをうらやんだ男の子がいた、、、」というように。音符はシンプルながら、バイエルなどに馴染んだ子どもには、曲があまりに妙ちきりんでなかなか弾けないかもしれない。弾いてる音が合ってるんだか間違ってるんだか、弾きながら判断しにくいのだ。しかし面白いことは面白い。こういうものを好きな子もいるかもしれない。

他にサティでよく知られた曲に『ヴェクサシオン』というピアノ曲がある。音源で聴くと抜粋のCDで70分くらいの作品(指示通り全編弾くと24時間かかるとも聞く)だが、楽譜はたったの1ページ(3段)。この楽譜もIMSLPでDLしたのだが、タイトルの下にフランス語でこう書かれている。

作曲者からの注釈:ここにあるパターンを840回繰り返すこと。弾く前に心して、最大限の静けさと、極限の不動をもって演奏すること。

非常にゆっくりと(tres lent)の指示がある。楽譜の1段はテーマで片手(左手のバス)のみ、あとの2つの段にはマークが上についている。そしてテーマのところに、このマークのあるところでは、テーマのバスを弾くことと書かれている。つまりテーマをまず弾き、次に和声のついた1段目を弾いて、またテーマ、そして別の和声のついた2段目を弾く、これが1セット。それを840回繰り返すということらしい。

このテーマは単音のみの旋律で、調号も小節線もない。四分音符と八分音符からできている。音数にして20音足らず。ド(ハ)から始まりミ(ホ)で終わる。音の幅もファから(上へ)ミと狭い。途中シャープやフラットがいくつかつき、不思議なメロディになっている。





1段目、2段目にはそれぞれ、バスと同じ音価(音の長さ)の二つの和音が重ねられている。これがよくよく見ると1段目と2段目は、鏡和音(などという言葉ないと思うが)になっている。つまり上下の重なり方が反対になっているのだ。たとえば1段目の最初の2和音は下がラで上が♭ミ。これが2段目では(1段目の)下の音ラが上になっていて、その下に♭ミが重なる。ラの音を挟んで、上の♭ミと下の♭ミが鏡のようになっている。終わりまでこの進行になっている。1段目、2段目の2和音の響きを比べると、同じ和声だが2つの音の開き幅が5度、4度と違うので、響きも変わる。そしてもちろんメロディも(最上部の音が変わるので)。


作曲家の指示に従いこれを弾いてみよう。どんな感じがするか。

840回繰り返さなくとも、瞑想でもしているような気分になってくる(いや、いつか1度はやってみよう)。あるいは非常に穏やかなトランス状態というか。単純な左手のバスのメロディが、逐一繰り返しのとき挟まるところがキモかもしれない。それにより短いレンジでのリピート感が強調される。そういえばラヴェルの『ボレロ』もたった二つのメロディの繰り返しだった。単一のリズムに乗って、二つのメロディが延々繰り返される。その繰り返しによって興奮状態が生み出されている。平板、単調、シンプルなもののリピートから、最大限のドラマが創出されるという、ベートーベン的ドラマチックとはまったく違う「熱狂」のアイディアだ。 

サティの音楽は「家具の音楽」という言い方で現されたりもする。単調で時間軸がないような、ただ空間に広がる壁紙みたいな音楽。でも「弾く前に心して、最大限の静けさと、極限の不動をもって演奏すること。」という『ヴェクサシオン』の注釈を読むと、瞑想のための音楽のようにも見える。

以前は面白いとは思ったものの、2、3回弾くとあきてしまったサティだが、今回いろいろなことを知って(特にラヴェルの解釈)、何度弾いても楽しみが見つけられるようになった気がする。そしてもう1回、もう1回と繰り返したくなる。サティという知的で、開放的で、実験精神あふれる作曲家と触れ合う、その音楽に近づく、そういう楽しみを見つけた気がする。



20171201

文章の質について考えてみた

このブログ、Happano Journal(葉っぱの坑夫の活動日誌)は14年前から書きはじめて今日に至る。2003年10月12日が最初。「きのうの午後、パイユート・インディアン童話集のすべての改稿がおわる。」という文で始まっている。当初は毎日、あるいは2、3日置きくらいのペースで短い文章を書いていた。ある時期から、具体的な活動報告(本の校正をした、出荷した、誰それと会った、交信したなど)を日記のように書くことから、テーマを決めて長い文章(2500~4000字)を2週間ごとに書くスタイルに変わっていった。

活動報告というより、「今考えていること」あるいは「関心を向けていること」に近い内容だ。しかしそこで書かれたことが、のちにプロジェクトに発展し、作品化されることもある。頭の中の活動報告のようなものかもしれない。書き続けていて思うのは、ここの部分、つまり頭の中の活発度が高くないと、ものを生み出せないことだ。

長い文章を書くには(それが目的ではないにしても)、いくつかのものが必要になる。そうでないと文を紡げない。その問題への関心の高さや、知識の幅や深さ、自分の独自のアプローチやアイディアなどがないと文が続かない。

テーマを決めて書く場合、たいていは結論めいたもの(自分の考え、仮説)があるものだが、それは絶対的なものではない。書いているうちに(調べているうちに)、最初に書こうとしたことと全く違った結論に至る場合もたまにある。前回、前々回に書いた「人種と民族」についての文章はまさにそれだった。人種と民族の定義の違いを書こうとしていたのだが、書く内に(調べている間に)思わぬ結論に行き着いた。「人種という概念は、科学的に根拠がなく、人種はホモ・サピエンス・サピエンス1種類だ」という事実だった。

もしかしたら文章の王道というか、書き方の主流、お手本は、書くことを決め、結論を想定して文全体の構成をつくり、課題と結論の間に論証の柱を立て、それに沿って論理的に詰めながら書いていくことなのかもしれない、とも思う(一般的な文章術を知らないので想像だが)。

その意味では、わたしの書き方はそこから外れている。書こうとするテーマ、問題への関心とそれを書く動機がまずあって、次に考える材料となる見聞や文書などに当たる事前調査をし、そして具体的な自分のアプローチのアイディア、、、そのあたりでたいてい書きはじめているかもしれない。その時点で結論はまだぼんやりしたものであることが多い。つまり書く中で考えたり、再調査したりして、結論を導きだしていることになる。あてのない放浪性の高い書きだし、と言えると思う。

これと関連して、文章の質ということに関して考えると、何が質を高めるのかということだが、それは「公平性」ではないかと最近気づいた。文章の公平性とは、文を書いている人が、対象としている問題に誠心誠意、公平な態度をとることであり、ウソがないことである。これが難しい。とわたしは思う。アマチュアよりプロの書き手にとって、よりハードルが高くなる場合もあるかもしれない。書き手のこれまでの方向性と合致させるため、あるいは依頼主の意向を汲むために、主張や結論があらかじめ設定される場合があるからだ。

そうではない書き方、公平性を第一にする書き方の場合は、違った態度が求められるだろう。この書き方を徹底するには、自分の考えをある程度、白紙状態(0地点)に戻さなければならないかもしれない。問題への関心を主軸に置いて書きはじめ、それまでに収集した知識や体験をつかいながら、考えを進めていく。考えを深めたり広げたりする過程で、最初に思っていたことと実証のための素材(収集した知識や体験)が合わなくなってきたら、どうするか。まずこうなるためには、材料集めの際に、無意識に自分の考えと違うものを排除してしまうことをなるべく避けなければならない。これも難しいことだ。

しかし公平性を胸に書く態度に努めれば、そして元からある考えと距離をとるようにすれば、書いているときに疑問の一つや二つはだいたい浮かんでくるものだ。本当にそうだろうか?というような。その疑問の声を聞き逃してはいけない。ここも質の高い文章を書く際にポイントになると思う。

公平性の高い文章は、論文でも、報道記事でも、小説でも、読んでいて気持ちがいい(と、わたしは思う)。役に立つ、自分の実になる(こういう表現はないようだが。身になるとは違う)。しかしこういうものが人気を集めるかは別だ。多分、あまり人気がない。もっと誰か、どちらかの立場に寄って書かれたものの方が人の気を引きやすい。多くの人は、自分の立ち位置をそれほど意識せずに、ある立ち場に立っている。たとえば終身雇用のもとで働いてきた人は、それに基づく考えや立ち場をとり、海外生活が長かったり、何か社会的、身体的な障害がある人は、それに基づく考えをもつ、というように。ただし「普通」や「一般的」に属すると思っているマジョリティの方が、自分の立ち位置への意識は薄く、マイノリティに属する人の方がマジョリティとの比較から、より自身の立ち位置に敏感で、意識的だとは思う。

公平性の高い文章は、独自の主張が示されなかったり、何らかの立ち場に立たない、ということではない。そこがポイントではない。書くときの態度として、いかに公平な立ち場からものを見たり、分析したり、それを描写したりできるかということだ。社会生活を送る人間にとって、それは無理ではないか、と言う人がいるかもしれない。確かに。難しいことだと思う。それが難しい場合、自信がない、あるいは自分が偏っているかもしれない、と思うとき、その立ち位置を表明してから述べる、という方法もなくはない。「日本人びいきかもしれないが、A選手(日本人)のあのゴールはワールドクラスでした」というような言い方だ。エクスキューズを入れた上で、自分の言いたいことを語る方法だ。スポーツの世界ではときどき見られる。しかしどうなんだろう。あまり意味のある発言にはならないように思う。「A君のあのゴールはワールドクラスでした」と言うよりマシかどうか。

文章の公平性は、学校の教科書にも求められるものだと思う。社会科の教科書などでは特に問題となりやすいかもしれない。それは内容(何を取り上げるか)だけでなく、どのように表現するか、何を省き何を書くか、に現れる。

教科書ではないが、『李朝滅亡』(片野次雄著、新潮文庫)という、李朝と日本の関係史を朝鮮半島の側から捉えた本の中の記述を見てみたい。この本は以前にこのジャーナルで紹介した『在日二世の記憶』(2016年、集英社)で、在日二世の人が薦めていたもの。在日二世の人と日本人とは、立ち場を異にすることは多い。だから彼らの薦めるものを読んでみようと思ったのだ。

著者の片野次雄さんは在日朝鮮人ではなく日本人。李氏朝鮮を専門にする在野の研究者、歴史作家である。『李朝滅亡』は歴史書ではなく、ノンフィクション・ノベルと紹介されている。著者によれば、専門書などを除き、日本語ではあまり触れられてこなかった(あるいはタブー視されてきた)明治維新以降の日朝関係を書きたいと思ったとのこと。「史実を踏まえたうえで、主要な人物たちの挙動や肉声を、わたしなりに想像をたくましくして、より具体的なイメージをつくりあげていこうと配慮した。」と本の冒頭で述べている。 

わたしが注目した箇所は、日朝間の国書を巡る出来事だ。明治維新により王政が復古し、新政府が朝鮮との交流を引き継いだとき、日本から送られた国書があった。徳川幕府に代わった新政府が、改めて朝鮮国との国交をもつためのものだったという。その国書は、朝鮮側から受け入れられなかった。この出来事について、『李朝滅亡』とともに複数の文書を読んで比べてみようと思った。それぞれの説明の中で、その事情がどう語られているか。立ち場の違う者によって書かれた文章を「公平性」という点から見てみるのは面白いのでは、と思ったのだ。

まず『李朝滅亡』の中のこれに関する部分を引用する。

 皇上登極のくだりは、いうまでもなく明治天皇の即位を指している。
 当時、朝鮮王国は清国を上国と仰ぎ、過去の長い歴史的な関わりから、中国に対して属邦という態度をとり続けていた。朝鮮国にとって、清国は宗主国そのものだったのである。

 その清国の最高権力者が「皇」という文字で表される皇帝だった。

この本によれば、徳川時代は将軍の尊称として「日本国大君」「日本国王」という言葉が使われていたという。それが明治新政府の国書の中に、(朝鮮にとって)清国にしか使われない「皇」の字があったことで、字句の訂正を申し入れたそうだ。しかし日本側はこの申し入れを断った、とある。

この国書について、日本語版ウィキペディアの「征韓論」の項目に、次のような説明があった。

そのように日朝双方が強気になっている中で明治維新が起こり、日本は対馬藩を介して朝鮮に対して新政府発足の通告と国交を望む交渉を行うが、日本の外交文書が江戸時代の形式と異なることを理由に朝鮮側に拒否された[5]

文末の注釈[5]のところにカーソルを合わせると、以下の説明がポップアップで表示された。

日本が「皇」という文字を使う事は無礼だ、として朝鮮は受け取りを拒否した。それまでは将軍が「日本国大君」「日本国王」として朝鮮との外交を行っていた。 

確かに、『李朝滅亡』と近いことが述べられるいるが、本文ではなく注釈としてしてであり、表現もやや違う。本文では「江戸時代の形式と異なること」が拒否の理由とされているが、「皇」の字を日本の最高権力者に当てていることと、文書の形式が違うことは同じことなのか。日朝間の微妙な心理の行き違いの説明がなく、通りっぺんの文章に終わっているように見える。

この征韓論を英語版のWikipediaで読んでみた。日本語のウィキペディアでは海外の情報は、英語版をもとに日本語に翻訳(抄訳)されていることがよくある。では日本に関する情報の英語版はどうなっているのか。以下は該当部分の翻訳(by 筆者)。

Seikanron(原文英語)
明治政府からの使節が1869年、両国間の友好関係を築くための手紙をもって朝鮮を訪れた。その手紙の中に朝鮮王朝の認証済みのもの(対馬の宗氏との間での)ではない、明治政府の紋章があった。また「大君」ではなく、「皇」の字が日本の天皇に使用されていた。「皇」の字は、朝鮮が中国(清)の皇帝にのみ使う文字だったことから、日本が作法上の優位性を朝鮮の君主に示しているように朝鮮側には映り、日本の統治者の下に朝鮮君主が置かれていると解釈した。しかし日本は国内政治的に、将軍は天皇に置き換えられたという反応を示しただけだった。朝鮮は清と関係を結び中華思想下にあったため、使節を受けることを拒否した。 

この項目(Seikanron)は、英語出版物を元にしている記述が多いようだった。「皇」の文字の指摘だけでなく、朝鮮側の受け止め方にまで説明が及んでいる。このあたりの説明は『李朝滅亡』の中にもあった。

 しかし、日本側は、朝鮮側の申し入れをきっぱりと拒否した。明治政府は、国書の字句に関しては、すこぶる依怙地であった。その文言の使い方に、ひとつの意図をもっていたからである。(中略)従来、日本の将軍と朝鮮の国王は、呼称のうえでは対等であった。(中略)

 ところが、徳川氏が滅んで、天皇家の臣下になると条件は変わる。徳川氏の上位に立った天皇家は、必然的に、朝鮮国王の上位にもなるという理屈なわけだ。すなわち日本の天皇のもとに、朝鮮国王も臣属させてしまえという肚が、日本側にはあった。

こうして見ると、事実関係はわからないものの、『李朝滅亡』は小説とはいえ、かなり踏み込んだ書き方をしているように見える。日本政府が「皇」の文字を使ってきたことには、朝鮮を自国の下に置く意図があった、としている。

グーグルで「清国 皇帝 皇の文字 朝鮮 日本」と入れて検索したところ、トップに『「反日思想」歴史の真実』という本の文章が出てきた(Google ブック検索)。そこでは次のように書かれている。

 一八六三年一二月、明治政府が朝鮮に送った国書には「皇祖」「皇上」「奉勅」と書かれていたことから、「“皇”“勅”という文字は清国皇帝しか使えない言葉である」として受け取りを拒否した。
 (中略)
 日本ではこのような朝鮮の態度と、いつまでも清国を宗主国と仰ぎ、頑迷固陋に再三にわたる日本からの国書を拒否する朝鮮側の姿勢が怒りを招き、征韓論が起きるきっかけとなった。

(註:1863年というのは明治維新前なので年号の書き間違いではないか?)

著者は拳骨拓史という中国や韓国についての著書が多い作家のようで、この本は扶桑社から2013年に出ている。日本語版のウィキペディア同様、朝鮮側の文書の拒否の事実に力点が置かれているように見える。

一方、片野氏の方は、日本側が朝鮮を支配下に置くことを意図した文書だと断定している。この文章を読んだだけでは、これが事実なのか著者の想像の産物なのかわからない。もし断定するのであれば、周辺の事実を並べるなど、日本側の意図を解説する必要があるのではないか。あり得ることだ、というのと、そうであったというのでは違う。小説であっても、このような詳細がどう扱われているかは、文章の質に関わってくる問題だと思う。

そう見ていくと、ここにあげた2冊の本、日本語版ウィキペディア、英語版Wikipediaの4つの文書の中で、公平性で優っている文章は、英語版のWikipediaとなりそうだ。日韓の歴史の事実を知るのに、日本語の文書より、英語の文書の方がより優れているのは何故なのか。

『李朝滅亡』を在日二世の人が薦めていた理由は、片野氏の題材(史実)の扱い方が在日の人たちの心情に近いからだろう。そして日本語版ウィキペディアや拳骨氏の本は、日本人の心情から書かれたということだろう。自分がどこかの立ち場に属していて、そのことへの自覚が低いと、心情に左右されやすくなる。そうすると書く文章から公平性が消えてしまう。公平性の低い文書は、文章の質を下げるだけでなく、文書自身の価値も落とす。

比較した四つの文書の中の三つの日本語文を見てみると、他にも表現の上で気になる点がある。

日本が「皇」という文字を使う事は無礼だ、として朝鮮は受け取りを拒否した。(日本語版ウィキペディア「征韓論」)

日本側は、朝鮮側の申し入れをきっぱりと拒否した。明治政府は、国書の字句に関しては、すこぶる依怙地であった。(『李朝滅亡』)


いつまでも清国を宗主国と仰ぎ、頑迷固陋に再三にわたる日本からの国書を拒否する朝鮮側の姿勢が怒りを招き、(『「反日思想」歴史の真実』)

この下線部の表現は、歴史的事実であるかないかを超えて、書き手の心情を強調するための文に見えてしまうところが問題だ。一般にこのような(非難を含む)強い表現は、こけおどしの「安い文章」になってしまうことが多い。

こうして見ると、質の高い文章とは、一般的に言われているような「文才」のあるなしより先に、公平性への志向がどれくらい強いかどうかに深く関わっているように思えてくる。巧みな言い回しや臨場感あふれる描写を駆使して書かれた文章も、公平性が疑われるような表現や内容が含まれていれば、文章としての質が問われることになるだろう。その意味で、「一般に文才と言われるもの」が多少欠けていても、質の高い文章(=信頼度の高い文章)に近づきたければ、公平性を保って書くことに挑戦することで道は開かれるかもしれない。


20171117

「人種」などないとしたら、民族はどうか?

前回、人種と民族の定義の違いについて書き始めたところ、思わぬところに行き着いてしまった。いろいろ調べ、考えていくうちに、「人種」という<区別の概念>は存在しにくいとわかったのだ。人種はない。これが行き着いた結論。最新の科学的見地から、ヒトは生物学的、遺伝学的に見たとき、1種類であるという事実。

その後、『人種は存在しない:人種問題と遺伝学』(ベルトラン・ジョルダン著、2013年、中央公論新社刊/原著は2008年出版)という本に出会い、さらにこの事実を確認した。ヒトの遺伝子はほとんど同じで、無作為に選んだ二人の人間のDNAは99.9%が同型だという。違いのある0.1%は300万個分の塩基(DNA分子全体に存在する化学物質。この配列の順番に遺伝子情報が収納されている)にあたり、それによってヒトは明確な多様性をもつ、と書かれていた。この0.1%は人種を分けるものではなく、詳細に見ていくことで(遺伝子マーカーと呼ばれるものを分析するなど)、ある人間の出身地域や祖先をある程度特定できるらしい。

著者によると、「人種」という言葉は、1950年代に出版されたレヴィ=ストロースの『人種と歴史』(1952年)、『人種と文化』(1971年)による分析により、ほとんどタブーになったという。代わりに「民族集団」という表現がつかわれるようなった、とあった。しかし学者間で一定の認識や合意があったとしても、一般社会では1950年代以降も「人種」という区別や概念は流通してきたのではないか。現在も、少なくとも日本では、「人種は存在しない」と考える者がどれくらいの率でいるかは不明だ。確かに今は、ある人間を排除するために「人種」という言葉がつかわれることは少ないだろう。「人種差別反対」というような、社会的、政治的主張の際に「人種」という言葉はつかわれるケースが多い。それは「人種など存在しないが、それを元に差別をする人や組織、社会がある」ことに反対しているのか、「黒人や黄色人種など、白人ではない人たちを差別するのはいけない」というように人種の存在を認めつつ、差別することに反対しているのか、そのあたりは明確ではない。

人種という言葉が、民族や民族集団とほぼ同義でつかわれたり、定義があいまいなままつかわれていることも多いかもしれない。ここで民族という言葉を定義するために、人種との定義の差を見てみよう。

まずGoogleで「race ethnicity definition」で検索してみた。トップに出てきたCliffsNoteによると次のようなものになる。(CliffsNote:自前の、広く模範となることを目的としたスタディー・ガイド)

race
生物学的特徴の差異や類似によってグループ化された人間を指す言葉で、社会によって違いがあると見なされているもの。たとえば目の色は重要と見られない一方で、肌の色の違いは区別の対象となるというような。

実際、明確な外見上の違い(親から受け継いだものを含む)は人間間に存在する。しかしこれらの違いが社会的な偏見や差別の元になっているのは、遺伝学上の指摘からではなく、外見がもたらす社会的な影響による現象だ。

ethnicity:
文化的な習慣やものの見方、「他の集団と違いが見られる特徴」を共有しているものを指す言葉。つまり文化的な伝統や遺産を共有する集団である。もっともわかりやすい区分として、祖先、歴史観、言語、宗教、衣服などの共有が挙げられる。ethnicityの差異は遺伝的なものではなく、学びによって起きる。

この定義は、ここまで書いてきたことの理解とさほど大きな差はないと思われる。では検索で2番目に来ているサイトを見てみよう。Diffenというサイト。

伝統的な定義では、raceは生物学的な、ethnicityは社会学的な事実と関係する。raceは人間の身体的特徴、骨格や肌の色、目や髪の色といったものを参照し、ethnicityは部族、地域文化、祖先、言語などを元にする。

raceの例として、白い肌、黒い肌(どこの地域に居住していても)があり、ethnicityの例としてはドイツ(語)系、スペイン(語)系、漢(中国語)系の祖先、系統(人種とは関係なく)などがある。人のraceはどのような容姿かで特定され、ethnicityはその人が属する社会的、文化的集団を基盤に判断される。一つ以上のethnicityを持つことは可能だが、人種は(混血もふくめ)一つであると言われる。

このサイトでは、二つ比較表があり、raceのところでは、身体的特徴を遺伝子上の祖先からくるものとしていた。この遺伝子上の祖先(genetic ancestry)というのが何を指すのか、肌の色で人種を分けることを指しているのどうかははっきりしない。

検索上位のものを見た理由は、それが正しい回答に近いと思うからではなく、多くの人が見た情報は何か、という興味からに過ぎない。では日本語の「人種 民族 定義」で調べてみよう。

トップに来ている二つはYahooの知恵袋(これがトップに来るのは別の理由があるのかもしれないが)。最初のものは、「民族と人種の定義の違い」についての質問で、回答は「人種」は、人類を区分するためのもので、骨格や皮膚の違いによって分類し(白色人種、黄色人種、黒色人種など)、それぞれを一つの人種とする、「民族」は、人々をグループ化するための言葉で、祖先や地域、言語、文化などの物差しで計られる、というもの。もう一人の回答者は、民族は文化的な観点からの分類、人種は生物的な遺伝子的観点による分類、としてあった。どちらの回答者も、身体的な特徴の違いによって、人種が分けられることを肯定している。

検索の2番目は、同じくYahooの知恵袋で、「民族と人種との違い」についての質問で、回答は民族は社会科の分類、人種は理科(生物)の分類、としてあった。この回答者も人種の存在には肯定的に見える。しかし最後の方の説明で、最近のDNAによる研究で「人種」の存在が否定されたことに触れ、遺伝的には全人類は1人種らしい、「人種」が過去の言葉になる可能性があるという記述があった。

「人種 民族」で検索した際にはウィキペディアの「人種」が2位にきており、そこでは「人種(じんしゅ)とは、現生人類を骨格・皮膚・毛髪などの形質的特徴によって分けた区分である。」としているが、文末に付けられた注釈[1]で「人種は生物学的な種や亜種ではなく、現生するヒトは、遺伝的に、種や亜種に値する程の差異は存在しないとされる。」という相反する説明がある。編集の履歴を見ると、たくさんの訂正修正が行われているので、どこかの時点でこの注釈が加えられたのではないかと想像される。しかし本文はそのままで、人種区分を肯定している。

また学説史として、「従来は、種としてのホモ=サピエンスのすぐ下位、あるいは、それに次ぐ分類群として提唱されてきたもの」(岩波生物学辞典 第四版)の記述があり、出版年度はわからないが、岩波書店の辞典でも、人種を「種」の下の「亜種」とするような認識があったことがわかる。また19世紀の学者チャールズ・ダーウィンは、「人種間における生物学的な差異は非常に小さい」として奴隷制度などに反対していたが、少し後に生まれている福沢諭吉は、どのような専門的見地からは不明だが、白人、黄色人種、赤色人種、黒色人種、茶色人種の区分を、『掌中万国一覧』の中で示している。

もう一つ、3番目に検索された「中学校社会」(Wikibooks)の説明では、人種について「ヨーロッパ系の白人や、アフリカ系の黒人などを、肌の色などの、遺伝的な違いを人種と言います。」と説明し、民族については「民族どうしの区別は、言語や宗教や生活様式などの文化的な特徴から、それぞれの民族を区別されます。」としている。編集の履歴を見ると、2014年から2015年にかけて書かれ、修正を加えられたもので、古いものではない。ここでも人種は身体的特徴(それを遺伝的と説明している)によって区分される、という認識がはっきりとあった。

ここまで見てきた結果を総合すると、日本語の世界では「人種の存在」あるいは「人種という区分法」はない、という認識にはどうも至っていないように見える。前回のわたし自身の、記事を書き始める前の認識(生物学的な特徴の違いによる区分を人種という、という)とほぼ同レベルと言えそうだ。英語圏の記事は、やはり人種に関する論議が盛んなことで鍛えられているのか、何の疑問もなく人種の存在を認めているようには見えない。一方、民族に対する認識や定義は、どの見地からも、大きな差は見られないようだ。民族または民族集団という言葉は、人種を否定する見地からは、人種に代えて使用する言葉となっているようにも見える。

まとめとしては、「人種」というヒトを生物学的に区分けしようとする概念は、科学的に破綻があり、最新の遺伝学ではすべての人間はホモ・サピエンス1種に集約される。亜種としての黒人、白人なども存在しない。ヒトに外見的な違いがあるのは事実だが、その多様性は祖先集団の違いによるもので、それは肌の色の違いではなく、DNA鑑定によって特定されるものである。

ひとたび人種という概念が消えれば、人間を見ていくときにどのような集団に属しているか、が一つの目安になるかもしれない。言語であったり、文化背景であったり、宗教や歴史観であったりするわけだが、それらの要素は不変のものではない。生育の過程で、環境変化により変わり得るもので、後天的要素が大きく影響する。またある集団に属していても、個々の人間が違う考えをもつのは普通で、複数の集団に属することも多い。その意味で民族という言葉も、祖先集団を同じくする人の集まりと定義はできても、実際にはそこからはみ出したり、どこにも所属していないように見えたりと、固定的に捉えることは難しいのかもしれない。

一人の人間を個として見ていくとき、その人間の背景としての民族は、ある程度は参考になるかもしれないが、絶対的なものとも言えなくなっている。近年、人の移動が活発になり、定住先が祖先集団と違う人々が増えている状態では、民族性はますます薄まっていくと思われる。それは人類(ホモ・サピエンス)の多様性が薄まっていくことでもある。アフリカを出発したとされる人類の祖先が、長い旅の間に、定住した地域の環境などにより変容して多様化し、土地ごとに祖先集団を形成し、多数の民族集団となって一定の固定化をみたのちに、また分散や混合を繰り返しながら、その特徴を薄めて大きな一つのヒト集団に帰っていくというプロセスは壮大にみえる。

そう考えると、長い時間の流れの中では、伝統や文化と呼ばれる「民族の個性」も変容したり、薄まったり、混合したりして、形を変えていくものだということがわかる。オリジナルな「純」なままの形での「伝統」や「文化」が失われることを悲しむ必要はなく、その保護や保存は、歴史を振り返るときには役に立ち、一定の意味はあると思うが、守って保存することばかりを過剰に考えることに大きな意味はないのかもしれない。

20171027

人種と民族、その違いは?

人と話をしていて、「人種」という言葉の使い方が気になることがある。たとえばユダヤ人。ユダヤ人を「人種」と認識していて、ユダヤ教徒(あるいはその家族)であるだけでなく、鼻が大きく髪の色が濃い、などの肉体的特徴として捉えていたりする。ゲルマンについてもそうで、金髪で目が青いというようなイメージをもっていたりする。いや、ユダヤ人もゲルマンも民族の話であって人種ではないんじゃないか、と言うという、じゃあ民族とは何なの?ということになる。

確かに人種と民族とは混ざり合っているようにも思え、イメージの中では、線引きが難しい、あるいは無頓着に使われている言葉なのかもしれない。20世紀初頭のヨーロッパ人の文章を読んでいても、民族(ethnicity)と言われるべきところに、人種(race)や国家(nation, nationality)という言葉が使われていることがある。人種という言葉は、定義が曖昧なまま、人間集団を区分するときに広く適用されてきたのかもしれない。また、ethnicityという認識、言葉への意識が強く出てきたのは、もっと後の時代なのだろうか、とも思った。

わたしの中では、人種(race)とは、生物学的な分類による身体的特徴から見た人間の区分(こう書くとひどく差別的な感じがするが)であり、民族(ethnicity)とは言語を共有する人の集団という認識がある。しかし同じ言語を使っていても、集団の住む地域や歴史、文化がまったく違うことは多々あり、それを同じ民族と言うのか。また人種といったとき、白人、黒人、黄色人種、、、それ以外には? また白人は1種類なのかなど曖昧な部分がたくさんある。そこで人種について、民族について、それぞれの定義やその違いを調べてみることにした。

まず人種(race)について。コンピューター(Mac/Apple)に付属している電子辞書で「race」を引いたところ、「同じ皮膚の色、肉体的特徴を持つ集団で、Caucasian、Negroid、Mongolian、Polynesianに大別される」とあった。そしてCaucasianとは「白人、コーカサス人」、Negroidは「黒人、黒色人種」、Mongolianは「モンゴル人」(Mongoloidの方が適切かもしれない)、Polynesianは「ポリネシア人」と出てきた。この分類は正しいのか。

日本語版ウィキペディアでは、「コーカソイド」は「主要な居住地はヨーロッパ、西アジア、北アフリカ、西北インド」とあった。身体的、遺伝的特徴として、鼻、眼、頭部、皮膚や体毛の特徴があげられていた。皮膚の色に関しては、メラニン色素が影響する関係で、褐色など白ではない肌色がかなり多いとも書かれている。髪の色も同様。英語版のウィキペディアでは、18〜19世紀の学者ブルーメンバッハ(医学、生理学、人類学)の定義として、肌の白さ、ピンクの頰、茶色から栗色の髪、球体に近い頭、卵型の顔に細い鼻、小さな口などが挙げられている。とはいえ、この学者も肌色については褐色までの広い範囲を認識していたようだ。つまり生物学的(あるいは人類学的)分類の「白人」には、褐色の肌の人も含まれていることになる。

Negroid(黒人)については日本語版ウィキペディアでは、「主要な居住地はサハラ以南のアフリカ大陸」とされている。また「DNA分析の成果によれば、現生人類発祥の地はアフリカにあるとされ、ネグロイドは出アフリカをせずアフリカにとどまった集団の直系の子孫とされる。」という説明があった。解剖学的な特徴としては、「頭部全体は小さめ」「手足が長く、特に膝から下が長い。手首、足首は細い。」といった記述があった。

モンゴロイドについては、日本語版ウィキペディアでは、「東アジア(北アジア及びチベット高原を含む)・東南アジアを中心に、中央アジア・南北アメリカ大陸・太平洋諸島及びアフリカ近辺のマダガスカル島に分布する。」とあった。マダガスカルについては、最近の遺伝学で、この地に住む人はアフリカとアジアの遺伝子が混ざっていることが証明されたそうだ。モンゴロイドの肌の色に関しては、「淡黄白色から褐色までかなりの幅がある」とあり、確かに東南アジアも含めるなら、肌色は黄色に限らないとは言えそうだ。肌色以外の特徴としては、古モンゴロイドは背が低く、彫りの深い顔、体毛が多いなどがあげられ、寒冷地で適応した新モンゴロイドは、体が比較的大きく、平面的な顔、体毛の少なさなどが挙げられていた。

Polynesian(ポリネシア人)については、果たして人種の分類なのか不明なところがある。Polynesianで検索して出てくるのは、「ポリネシア語を話す人の集団」だということ(英語版ウィキペディア)。しかし日本語版ウィキペディアでは「太平洋のポリネシアに住む人々の総称」となっており、人種的区分なのか民族的区分なのかはっきりしない。前述のブルーメンバーバッハは、「頭蓋骨の比較研究などを基礎に、コーカシア(白人種)、モンゴリカ(黄色人種)、エチオピカ(黒人種)、アメリカナ(赤色人種)、マライカ(茶色人種)の5種に人種を分類した」そうで、この中にはポリネシア人は入っていない。

ブルーメンバッハの人種分類について、英語版ウィキペディアを見てみると、マライカ(茶色人種)というのは東南アジアと太平洋諸島の人々(ポリネシア人はここに入りそうだ)、アメリカナ(赤色人種)とはアメリカインディアンを含む「赤色人種」となっている。アメリカインディアンを「赤」で表すことは聞いたことがあるが、それは肌の色なのか? 彼らはモンゴロイドを祖先にもつ人々だと思っていたのだが。

このように人種の分類については、色々な見方があり、決定的な分類はないことや、中でも肌の色については、メラニン色素の影響で変化が出やすく、肌色で人種は分けられないことがわかってくる。

生物学では動物の分類を網、目、科、属、種などで分けている。では人間はこの分類法でいうとどうなるのだろう。「生物の分類」という項目を日本語版ウィキペディアで見てみた。大きい分類からヒトを見ると、ドメイン:真核生物(エノキダケなどもこれに当たる。大腸菌は「細菌」)、界:動物界、門:脊椎動物亜門、網:哺乳網、目:サル目、科:ヒト科、属:ヒト属、種:ホモ・サピエンス。

因みに南米原産のカピバラを見てみると、界:動物界、門:脊椎動物亜門、網:哺乳網、目:ネズミ目、科:テンジクネズミ科、属:カピバラ属、種:カピバラ。テナガザルはどうか。界:動物界、門:脊椎動物亜門、網:哺乳網、目:サル目、科:テナガザル科、属:テナガザル属。種としては、フクロテナガザルなど9種の名が挙げられている。

うーん。要するに、生物学的に見た場合、ヒトは誰であれヒト属に分類され、ホモ・サピエンスという種に属するということ。そうして見ると「人種」=ヒトの種類とは何なのか、生物学的にはあまり意味のない種分けのように見えてきた。あるいは「人種」という見方は、生物学的というより、人類学的な、あるいは社会学的な分類によるものと見た方がいいのかもしれない。

もし人種(race)が、社会的な産物に過ぎない分類だとすれば、言葉の側面から見てみるのもいいかもしれない。まず英語のraceの語源を見てみよう。

Online Etymology Dictionaryというオンラインの語源辞書を見てみた。
http://www.etymonline.com/word/race

race (n.2)
「共通の家系にある人々」という意味で、16世紀フランスの中世の言葉race、古くはrazza(種族、血統、家族などの意味)から来ており、イタリア語のrazzaを元にすると考えられる(同根の言語であるポルトガル語、スペイン語はraza)。語源研究家は、ラテン語の「radix(root)」とは繋がりがないが、tribeやnationの語感はもっていると認めている。

英語の元々の意味でいうと「ワインの特徴的な香り」(1520年)、「共通の仕事をもつ人々の集団)(1500年)、「世代」(1540年)などがある。「蓄えを共有していると見なしている部族、国、人々」(1560年まで)。1774年になると「人間の身体的特徴を基にした重要な分類の一つ」という解釈が出てくるが、人類学者の間でこの分類が認められたことはないそうだ。

これらの定義を見ていくと、古くは血統や家族をもとにした、部族のような利益を共有する地域集団を表す言葉だったように見える。それが18世紀なって「人間の身体的特徴」という観点が出てきたのは、地域社会が外に広がり、よそから来た人々との交流が活発になったからかもしれない。そしてそれを利用して優位に立とうとした集団が出てきたのかもしれない。

今度は日本語の資料を見てみよう。国際人類学民族学会議での竹沢泰子さん(京都大学、文化人類学者)の話。
http://oldwww.zinbun.kyoto-u.ac.jp/conference/nhk.html

1. ヒトゲノム解読の点から言っても、集団ごとに遺伝子がセットになっていて、他の集団と異なるという人種概念は破綻している。
2. 皮膚や目の色に違いが出るのは、地域の環境による作用が大きい。
3. 従っって身体的特徴をもとに、人間に境界を引くのは生物学的に有効ではない。
4. オリンピックなどでの運動能力の差異についても、社会的状況や経済的な国の政策の影響の方がはるかに大きい。
5. さまざまな集団間における遺伝学的な差異は、ヨーロッパ人とアジア人の差より大きい。「アフリカ人の特性」というような十把一絡げな括り方はあり得ない。

「人種と民族の定義の違いは?」ではじまった問いは、人種という見方は存在しない、という結論に至りそうだ。それが今の時代のものの見方だということ。近年、海外の研究者の間では、コーカソイド、ネグロイドなどの言葉ではなく、ヨーロッパ人、アフリカ人、アジア人といった地理的な呼び方をするようになっているようだ。ということは、ヨーロッパ人の中には、日本からヨーロッパに移住した両親の子も入るわけで、この分類では身体的特徴は関係ないことになる。

生物学的、遺伝学的に見たとき人種の分類は意味をなさず、人類学者は人種に境界を引くことを受け入れていない、となれば、「人種」という区分の仕方はないのだ。分けても意味のない分類なのだ。昔は「人種」という区分をを利用することで利益を得られる人がいたので、この考えが広まり、浸透したのかもしれない。今のわたしたちが、これを利用する意味はあまりない。これによる差別などの悪弊の方がずっと大きいだろう。

でも人種などない、という考え方が一般的になっているかと言えば、それはそうでないと思う。実際、この記事を書きはじめる前のわたしには、その認識はなかった。この考えが浸透するには20年、30年かかるのだろう。

最初の問いに戻ると、民族の方はどうなのか。民族という分類はあるのか。これについては次回また考えてみたい。

20171013

国際競争力ってなにを測るものなの?

国際経済フォーラム(World Economic Forum)が先月発表した国際競争力ランキングによると、スイスが9年連続1位だという。国際経済フォーラムの調査なのだから、GDP(国内総生産)とか貿易輸出入額とか財政収支(国の歳入から歳出を引いたもの)とかで測った結果なのかと思ったら、どうもそうではないようだ。

ちなみにスイスはGDPは19位、財政収支は32位とたいして高くはない。ただし人口が800万人と少ないので、一人当たりのGDPは世界2位。日本はGDP3位(人口1億2700万人で一人当たりGDPは22位)、貿易輸入・輸出額はどちらも4位、しかし国際競争力は9位だ。財政収支が123位と異常に低いのが原因しているのだろうか?

国際経済フォーラムの説明によると、国際競争力とは、国民が健康で安全で満足できる生活にどれくらい到達しているかを測るものだという。そのキーになるのは生産力で、生産性が向上すれば、収入が増え、よい生活が見込めることになるという論法。しかしそれが持続的、包括的でなければならず、社会のすべての人が、その国の経済発展から利益を得られることが競争力となる、としている。

一部の人のみが、経済発展による恩恵を受け、それを独占していれば、国際競争力は低いと判断されるようだ。また一時的な経済の興隆も評価の対象にならない。

競争力を測る方法として、国際経済フォーラムでは12の柱を立てている。そこには機関(公的機関、私的機関)、インフラ、マクロ経済(景気変動、経済成長など一国の経済活動全体の動き)、環境と健康、初等教育などの基本事項が含まれている。これらはある国が発展を進める際、最初の段階で取り組むべき問題だからだという。公的・私的機関のところには、財産権の保護、行政の効率性と透明性、司法の独立性などがあげられていた。

その国の運営や仕組が、公平で正常なものでないと、競争力は低くなってしまうということか。

他に立てられている柱としては、より高度な教育(教育の量と質、職業訓練)、技術革新、ビジネスの手法の効果や洗練、市場のサイズ(国内外)、技術的迅速さ(個人及び企業からの技術の採用、情報通信技術の使用)、労働市場(効果的で柔軟な受け入れ、職場における能力主義と男女平等)などがあった。

外国人の就労への門戸、年功序列ではない適正な能力判断、女性雇用者の正当な扱いなどは、日本社会では伝統的には不得意な部分だったと思われる。果たして今はどうか、向上しているか。

10ヶ国語でスイスのニュースを伝えるSWIによると、「スイスは優れたイノベーション技術、ビジネスや労働市場の質の高さが評価され、過去10年間で最高得点をマークした」とあり、報告書によれば、ランキング1位の評価としては、「経済活動を支えるのは、極めて発達した公衆衛生、初等教育、確固たるマクロ経済環境などといった基礎的な要素だ。スイス経済は高い柔軟性があり、国際的にも最も機能的な労働市場が整っている」というものだった。

日本は「マクロ経済環境」は去年も今年も100位前後と低いが、「健康・初等教育」は7位(去年5位)と低くはない。また「鉄道の品質」も2位(去年首位)と高い。技術革新に関する項目では「産学連携」が23位(去年18位)となっている。日経新聞デジタル版によれば、「日本はインフラや保健に関する項目で評価が高い一方、巨額の公的債務が重荷になる構図に変わりはない」そうだ。

ある国のレベルを評価するとき、経済は中心的な指標になるのだろうが、経済といっても、GDPの高さ比べでは測れないものがある、ということなのだろう。結局のところ、全体として見たときに、その国の人々が日々どのような質の生活を手にしているかが経済力であり、国際競争力の目安となるというわけだ。

ここでちょっと横道にそれて、国ではなく個人の「国際競争力」について考えてみよう。GDPに当たるものが一世帯(一人でも複数でも)の総収入。一人当たりのGDPはそれを人員で割ったもの。機関は世帯運営の仕組や決めごとになるのだろうか。家族内での透明性や自律性が問われることになる。財政収支は世帯収入から支出を引いたものだ。インフラはケーブルテレビやインターネット、Wifiの設備とか電気やガス、近隣の交通機関などが整備されているか。あるいは選択的に使用しているか。教育を受ける機会や家庭内の男女の公平性なども指針になるだろう。 

確かにこういう項目で高い数値を示す人は、社会に出たときに、競争力があると言えるのかもしれない。そう考えると、個人の場合も、収入が多いだけでなく、生活環境内のインフラ、公平性や透明性、教育の機会などが確保されていること、家父長制的な習慣が幅をきかせていないことなどが、競争力になりそうだ。

また生産力については、終身雇用の正社員として勤めて安定的な収入があるタイプだけでなく、いくつかの職業をかけもちしたり、副業やボランティア活動で生産性が示せるタイプの人もいるかもしれない。ただしその場合も、持続性や包括性が求められるだろう。また家族世帯であれば、経済的な発展があった場合、構成要員すべての人に利益として還元されることも、競争力を測る目安になるだろう。(あと生産性といったとき、子どもをたくさん産む、というのはどう測られるのだろうか。育てるのに資金と労力がかかるが、成長したとき、自己の競争力を高める価値ある存在になる可能性はあるかもしれない。ただし子どもは親の財産でも所有物でもないので、過剰に期待はできないと思っていたほうがいい。)

このように考えていくと、個人の場合も「競争力」という言葉が示すのは、単に人と比べて勝つことや、所得の量だけで判断されるものではないことがわかる。たとえ収入が多く、会社での地位が高かったとしても、仕事一辺倒で教育の機会をもたず、家庭内では家父長的で配偶者や子どもに利益を還元していない人は、競争力が低いことになるのかもしれない。

自己を映す鏡として、競争力という観点から、項目別に自分の現状をチェックしてみるのは面白いのではないか。

What is competitiveness?(競争力とは何か。英語)
https://www.weforum.org/agenda/2016/09/what-is-competitiveness/

20170929

在日二世とわたし

わたしは日本国籍をもち、日本語を話す。両親はどちらも「日本人」で、生まれも育ちも日本。日本の公立学校を中心に教育を受けてきた。日本ではこういう人間を「純粋な日本人」と呼び、日本に住む大半の人間はこういう人間だから、日本は単一民族国家と言ってもよい、とされたりもする。

でも実際、日本には日本で生まれ、日本語を話す「日本国籍を持たない人」や「日本に帰化した人」がたくさん住んでいる。古くから住み、数としても一番多いのは朝鮮半島をルーツにもつ在日コリアンではないかと思う。在日コリアンに親しい友人がいるわけではないが、ここ15年くらい、朝鮮半島からやって来た人やその子ども、またその母国に暮らす人々も含めて関心の対象の一つにしてきた。

きっかけが何だったかはよく覚えていない。もしかしたら東京国際ブックフェアで、韓国のブースで見つけた本が興味をもつことにつながったかもしれない。その本とはMirok Li(李 弥勒)による自伝『The Yalu Flows: A Korean Childhood』。原典はドイツ語で書かれているが(作者がドイツに亡命して暮らしていたため)、わたしが手にしたものは1986年出版の英語訳版で、韓国で出版されたものだ。

ミロク・リー((1899-1950)は、日本による植民地支配が始まった年の10年後の1920年、3.1(独立・抗日)運動を経て、ドイツに単身亡命している。中国との国境を流れる790Kmにわたる大河、ヤールー川(鴨縁江/朝鮮名:アムノク川)を夜の闇にまぎれて命からがら渡っていったことから、タイトルの『Yalu Flow』はつけられたのだろう。この作品では、ミロクの幼年時代からドイツ到着に至るまでの十数年間のさまざまな出来事が、ひとつひとつ思い出しては辿るようにして書き綴られている。

ブックフェアでたまたま手に取ったこの本のどこに惹かれたかと言えば、日本による植民地化がはじまったときのことが、そこに暮らす地元の子どもの視点で詳しく描写されていたからだ。こんな話は聞いたことがないと思い、その本をすぐに購入した。ミロク・リーによるこの本は、当時の朝鮮半島や日本の状況を、一般市民の暮らしを通して知る機会となったし、自伝としても、また物語としても面白かった。

何年かのちにこの作品を日本語訳し、主宰する葉っぱの坑夫で出版している。

この本を読んだこと、日本語に訳して出版したことで、朝鮮半島に対して親しみをもつようになったのは確かだ。また同じ頃にちょうどサッカーの日韓W杯が開かれ、その試合を見ていて、韓国代表チームに感動させられたことも、朝鮮半島への興味に多少影響したかもしれない。しかし在日朝鮮人について知るようになるのは、もっとあとのことだと思う。それがいつ頃のことか、ほとんど記憶にないが、mixiが人気だった頃、すでに「在日朝鮮人韓国人」のコミュニティに参加していたという事実はある。

引き続き、朝鮮半島の問題や在日コリアンに対して興味をもちつづけ、様々な著者の関連図書を読んできた。テッサ・モーリス-スズキによる、在日たちの帰国事業を追った本『北朝鮮へのエクソダス』や北朝鮮を旅した『北朝鮮で考えたこと』を読んだのもそのうちものもだ。コリアンでも日本人でもないイギリス出身の学者が、日本と朝鮮半島をめぐる問題に真摯に迫っていることに衝撃を受けたし、彼女の状況認識の仕方に尊敬の念を抱いた。日本サイドの言説から外れてものを見ることの大切さを知ったのも、このときのことだと思う。

日韓W杯の延長で、学術書やエッセイ以外に、サッカーの世界でも、在日や朝鮮半島の選手たちを興味の対象として追ってきたところはある。最初に知った在日の選手は安英学(アン・ヨンハ)選手で、新聞のインタビュー記事を読んで感銘を受けたことを覚えている。具体的な内容は覚えていないが、朝鮮半島や日本の社会に対する見方や、北朝鮮代表としてサッカーをする気持ちなど話していたと思う。2010年南アフリカ大会のときは、鄭大世(チョン・テセ)選手にも注目していた。のちにこのときの北朝鮮代表について、イギリスのスポーツライター、ショーン・キャロルが鄭大世に取材したものを日本語に訳して出版もしている。
知られざる国のサッカー代表

また南アフリカ大会の前には、韓国代表の朴智星(パク・チソン)選手が、新聞のインタビューに答え、南北両朝鮮がいっしょに南アフリカに行けたらいいと思う、と発言していたのを読んだ。そうなんだ、両国の選手たちの中には(そして在日の選手の中にも)そのように望む人が少なからずいるんだなあ、と感慨を覚えたことを記憶している。

ここまで、朝鮮半島をルーツとする人々へのわたしの興味を、その始まりから書いてみた。少なくとも10年から15年くらい、そうしてきたということだ。おそらくそこには自分が日本人であることが関係している。また最近『在日二世の記憶』(2016年、集英社)という本を読んで、いろいろ思うところがあった。新書版ながら750ページを越す、分厚い、中身の濃い書籍だ。

この本は小熊英二、高賛侑、高秀美編による在日二世のインタビュー集で、50人の在日コリアンを6年間かけて取材したオーラル・ヒストリー集である。被取材者を生年月日順に並べてあり、一番年上の人が1932年生まれ、一番若い人が1967年生まれと、同じ在日二世でも35年の差があった。35年と言えば一世代のあたるわけで、社会状況や経験の違い、それに対する感じ方にもバラツキはあった。しかし時代が進んでもいくつかの共通事項はあり、個別の体験への衝撃とともに、読んでいて記憶に残った。

記憶に残ったことの一つは、親の世代の暮らしの貧しさであり、読み書きができないなど在日一世である親たちがたどった人生の厳しさだ。そのような貧しい暮らしや、朝鮮人の日本社会での地位の低さなどから、自分がなぜ朝鮮人として生まれなければならなかったかについて、否定的な気持ちをもったことがある二世も多いようだった。日本の学校に行っていた者は、朝鮮人であることを恥じたり、隠したりもしていた。彼らが「チョン」などと言ってからかわれたり、いじめられたりという話を聞くと、いったいいつの時代の話かと思うが、自分が学校生活を送っていたときと重なっているのだ。つまりわたしが同じ社会で生きていた時代の話しなのだ。同じ社会に暮らしながら、知らない世界が、見えない世界があったということだ。

この本に登場するのは、主として自分で道を切り開いてきた人々で、音楽家やスポーツ選手、映画監督など名の知られた人も何人かいる。そこまで有名でなくとも、日本社会の中で事業を成功させたり、起業家として業界では知られている人もいるようだ。しかし多くの人に共通しているのは、子ども時代に、自分は在日だから、普通の日本人のようにまともな職業(会社員や教師など)への道は断たれている、という認識をもたされていたという事実だ。

ある人は、学校の進路相談で「教師になりたい」と言うと、教師から「あんた知らんの、それは無理やで」のようなことを平然と知らされたりもしている。大学院時代に、在日は大学の教員にはなれない(なった人はいない)と担当教授に教えられ、大学院をやめてヨーロッパに留学した人もいた。未来を夢みる子どもや十代の若者にとって、日本社会にいる限り、自分には自由に生きる権利、職業を選択する自由が失われている、と知ることがどういうことだったのか。それは想像を絶すること、底なし沼のような暗く重い未来を受けとめねばならないことだったのではないか。普通ならいろいろな夢を描く年代に、である。

そういう社会の中で、何も知ることなく、ぬくぬくと生きてきたのは、そしてその社会をつくり、存続させてきたのは日本人である自分だ。この本の終わりのまとめの部分で、小熊英二が「在日の歴史は日本社会の鏡であり、もう一つの日本史だ」と言っていたことは正しいと思う。

在日の人に知り合いがいなくとも、在日の人がいる日本社会を自分も構成し、日々生きていることで、すでに彼らと関係している。いや、彼らはわたしたちだ。自分がどう生きるか、日本で、あるいは国外でどう生きるか、を考えるときにも、自分の国に在日の人々が暮らしていることが無関係とは言えない。家庭内で北朝鮮のことを、あるいは韓国のことを話題にするときも、なぜ朝鮮半島を日本が植民しようとしたのか、なぜ分断は起きたのか、という知識なしに、あるいは事実の曲解や断片的な理解で語ることに対して、自覚的になることは必要だと思う。とくに小さな子どもがいる家庭では。

日本社会で生きることに疑問をもった二世たちが、ドイツやフランスに留学などで行き、外から自分のアイデンティティを眺めてその意味を知ったという話は興味深い。ドイツに留学していて、ドイツにおけるトルコ移民の人々が、在日の状況と似ていることに気づいた人もいた。在日の人たちはこのような見方ができることで、よその国の同じような状況にいる人々に共感したり、連帯したりすることで、自分の住む世界や思想の幅を広げているとも言える。日本に生まれ育って、自国には「日本人」しかいないと思っている日本の人々より、確実に広い視野を確保している。

『在日二世の記憶』はページ数も多いし、いっぺんに読むのは難しそうだったので、毎日一人ずつ読むことにしていた。朝起きて、コーヒーやハーブティーを飲みながら、一人一人の人生を知っていく。50人いるので50日、プラス巻末の編者たちの鼎談に3日、全部で53日間かけて読んだ。中身の濃い人生なので、一日に一人でちょうどよかったと思う。登場する人々が文中であげていた、お薦めの朝鮮史の本、本人発行による俳句雑誌、出版されたエッセイ集、音楽家の場合はYouTubeの動画など、インタビュイーの周辺も当たりながら読んだ。歴史作家、片野次雄著『李朝滅亡』もその一つ(この本は購入した)。インタビュイーの一人が、朝鮮と日本の関係を知るのによい著作であると紹介していたので。

『在日二世の記憶』には、在日の人々を救ったり、支援したり、協力を惜しまなかった日本人のこともたくさん語られている。ユダヤ人を助けたと言われる杉原千畝は有名だが、朝鮮人を助けた日本人の話はあまり聞かない。それはユダヤ人は日本人と関係が浅く遠く、朝鮮人は歴史的にも対立や利害が深く近いからかもしれない。また朝鮮人を救うことが、必ずしも名誉にはならない日本の社会の反映なのかもしれない。日本の社会や制度の欠損や進歩を知ることも含めて、具体的な一人一人の在日の人生を本人の語りによって知ることは、統計やメディアが伝える概要的な情報とは全く違う体験が得られる、と感じた。

最後にもう一つ。この本の中の在日二世に、自分のアイデンティティを考えるとき、帰化して日本の国籍はとるが、名前は朝鮮名で生きるという人がいた。最近の新しい傾向かもしれない。日本社会でよりよく生きるために国籍は変えるが、名前は民族のものを残すという考えだ。現実に生きている社会、その中でフルに生きたいと思う自分、その基盤は日本だ。しかし両親や祖父母の文化や言語の中にも自分は生きている。そこに矛盾はない。ある国家の枠組みの中に身を置く選択をしたとしても、自分という個人の全権を国家に託すわけではない。そういうことだろうか。

『在日二世の記憶』小熊英二、高賛侑、高秀美編、集英社 (2016/11/17)