20170616

極貧地区に生まれ育った少年ケニーの物語

ジャマイカといえばレゲエ、カリブ海クルーズ、熱帯のリゾートがまず頭に浮かぶかもしれない。もし観光で訪れるとすれば、そういった情報を集めればことは足りる。でも実際のところ、ジャマイカは楽園ではない。少なくとも住民にとっては。小説『ディスポ人間』( 原題:Disposable People)の主人公ケニー・ラブレイスにとっては、自分たちニッガの住む村は「クソ沈下地区」であり、ジャマイカという国全体もそれに準じる。

ジャマイカの作家エゼケル・アラン(1970年、ジャマイカ生まれ)の初めての小説『Disposable People』は、日記、モノローグ、民話、短編小説などが混在するスタイルによる自伝的小説で、2013年度のコモンウェルス新人文学賞(カリビアン地区)を受けた。コモンウェルスというのはイギリス連邦(及び連邦王国)に属する国々で、イギリス本国をはじめ、オースラリア、ナイジェリア、カナダ、スリランカ、インド、バハマなどの全53カ国(人口約23億人)がここに入る。コモンウェルス新人文学賞というのは、18歳以上の書き手による長編小説で、初めて発表する作品を対象にしている(Commonwealth Book Prize)。

わたしがこの小説に出会ったのは今年の初めごろ。コモンウェルス賞周辺の作家は、交流のある人や実際に作品を訳した人が以前から何人かいて、面白い作家と出会えるので時々情報にアクセスしていた。移民作家やアフリカ系、アジア系の英語作家を知るための一つのルートでもあった(小説の言語が英語であるため)。たとえばガーナの作家ニイ・アイクエイ・パークスはコモンウェルス賞を通じて知った作家で、2010年の新人賞最終候補作品になった『青い鳥の尻尾』(原題:Tail oF the Blue Bird)を訳して2014年に葉っぱの坑夫から出版している。

コモンウェルスの新人賞は、日本の芥川賞同様、比較的若い層の作家の作品に出会えることがメリットにもなっている。すでに名を成した作家ではなく、第1作目を出して文学賞を取ったり、候補作品になった作品を探し、質の高いもの、ユニークなものを見つけることは楽しいことだ。

そんな風にして出会ったエゼケル・アランの小説を来月(7月)から、葉っぱの坑夫のウェブ上で連載の形で発表することになっている。日本語タイトルは『ディスポ人間』(仮題)。著者と直接連絡をとって、出版許可を得た。エゼケル・アランはペンネームだが、彼と連絡を取れるかどうか、最初は定かではなかった。というのもネットで散々探したものの、本名でないためなのかFacebookやTwitterも該当するものが見つからなかったのだ。さらにこういった賞の受賞者には珍しいことだが、版元がランダムハウスやハーパーコリンズあるいは大学の出版社ではなくCreateSpaceとなっていたことだった。CreateSpaceはアメリカのアマゾン傘下の会社で自費出版を担っている。つまり自費出版による作品が賞を得たのだ。

CreateSpaceは葉っぱの坑夫も利用している機関なので、ここに連絡してみるのがいいだろうと思い、サポートを使ってこちらの意向を(『Disposable People』の著者と連絡したいという)伝えた。すぐに返事が来て、こちらの連絡先と意向を著者に伝えることで仲介することは可能、と言われた。それでCreateSpaceを通じて短い伝言を送った。実はその時点で、つまりオファーを出す時点で、最終的な出版の決断はできていなかった。通常は本をすべて読んだ上で、ときに試訳をしてみた上でオファーを出す。今回は読んでいる途中で著者に連絡を取りたいと思った。それは一つには、連絡が取れないかもしれない、という不安があったから。連絡が取れなければ、どれほど意欲があっても出版は不可能だ。また通常の小説と違い、『ディスポ人間』は一つの物語が貫かれて完結しているのではなく、日記や民話、モノローグ、イラストといった断片の集積で構成されている。短編連作のように、一つ一つの話は連携しているが、各挿話は独立したものでもある。それで最後まで読みつく前の時点で、作品全体の予測がある程度ついた。

最初に読んでいたときの状態は、目を洗われるような感覚が内容からも表現から感じられたものの、それがなんなのか充分に把握できていなかった。パッと思ったのは、ジンバブエの若手作家の小説『We Need New Names』だった。これを読んだときの衝撃は忘れない。まず日本語への翻訳は難しいのではと思ったのを覚えている。この作品は2013年に作者の初小説ながらブッカー賞を受賞。最近になってやっと日本でも翻訳出版された(ノヴァイオレット・ブラワヨ『あたらしい名前』)。偶然かもしれないが、2013年といえばちょうど『ディスポ人間』と同じ年の受賞だ。 

ブラワヨの小説はジンバブエの貧しい田舎に住む、悪ガキたちの物語。ここは『ディスポ人間』と共通するところ。『ディスポ人間』の方は、大人になった語り手が子ども時代を回想するような形で進められているが、読んでいる実感としては、多くの挿話では、10歳そこそこの男の子の語りとして受け取ることができる。こういったシチュエーションの類似以外にも、使われている言葉の面白さ、生きの良さ、弾け具合、ユーモア、それに加えてギョッとするような話の中身など共通するところはある。笑うしかない究極の極貧という舞台設定、子どものもつ生命力が悲惨さ残酷さを冷徹な目で見据えることを許すところ、自分たちの生きている世界を批評する精神と感性。どこか似ているなと思った。

しかしどちらがより悪辣で地獄性が高いか、つかわれている言葉の汚さと露出性、という点ではブラワヨの小説の方が穏やかと言える。ブラワヨは女の子が語り手、アランは男の子。その違いもあるだろう。『ディスポ人間』のクソッタレな言葉で埋め尽くされた世界は、その極端さゆえにいっしゅ清冽でもある。混沌の世界を鋭く、冷たく、透明な目が見る。そして書く。使われている言葉の汚さは、この物語を語るにふさわしい。言葉にし難い強烈熾烈な状況をつたえるには、それに見合う道具が必要だ。

エゼケル・アランによる小説の語りは、主としてファンキーなトーン。ユーモアという品のいいものではなく、笑うしかないような悪辣地獄な出来事はこう書くしかないのかもしれない。その底には無念の思いや怒り、悲しみ、後悔といろいろあると思うが、生真面目に語ることはない。そうは語れない理由があるのだと思う。この話の時代的背景としては、1970年代から80年代にかけてのジャマイカの社会主義化政策による経済の破綻や、冷戦構造の中での不安定な国の立場が貧困に拍車をかけ、社会を暗黒の世界へと引きずり落としていることがうかがえる。その時代に生まれ、成長した少年(著者)は、家族や友だちや地域の話を語りながらその時代のジャマイカの真実をあぶり出し、映し出そうとしている。

20170602

愛護か保護か、それとも福祉、権利?

四つ並べた動物への対応に関する言葉の中で、日本で、日本語として、一般的でいちばん馴染んでいる言葉は「動物愛護」の愛護ではないかと思う。動物を傷つけたり不幸にしないよう、愛をもって接することを表した言葉といっていいだろうか。しかしここ20年くらいの間に、愛護という言葉が時代とのずれを感じさせるようにもなってきた。それは環境問題やエコロジーといった言葉が一般社会で使われるようになり、またイギリス発のBody Shopという化粧品メーカーが日本にもショップを出し始めた1990年代以降、動物の問題は「個々の人間の動物への態度」というより、社会的課題として捉えられるようになったからかもしれない。

Body Shopは化粧品製造過程での動物実験に反対していること知られ、日本の消費者に対して動物実験へ目を向けさせたという意味で際立った存在だった。ショップに行くと、製品紹介のパンフレットとともに、動物実験に関する啓蒙的な印刷物が置かれていた。動物実験に反対する営利企業の活動と、日本に根付く個人的な動物愛護の精神の間には、福祉か愛護かといった言葉上の違いを超えて、決定的な差異がある印象だった。

動物愛護という言葉で思い出すのは、1960年代に活躍したフランスの俳優ブリジット・バルドーだ。アメリカのマリリン・モンローに対して、フランスのバルドーというように、彼女はセックスシンボルとして見られるところがあった。そのバルドーが動物愛護に熱心だ、というニュースが日本に入ってきたとき、セックスシンボルというイメージもあってか、知的な関心から生まれた行動ではなく、「女の人にありがちな動物が好きでたまらない動物好きの人」の行動であるといったニュアンスで(日本では)受け取られたかもしれない。それは受け取る側の動物に対する視野が限定的だったからと想像する。日本人にとっての動物とは野生動物ではなく、おおむねペットのことだ。日本語では愛玩動物と言う。petという英語は動詞では、愛撫する、かわいがる、という意味。

今回そのバルドーの動物愛護活動がどのようなものだったのか、気になって調べてみた。ウィキペディアの日本語版、英語版を見てみると、活動はかなり本格的なもので、単なる動物好きの範囲を超えていることがわかった。英語版ではバルドーはanimal rights activist(動物の権利に関わる活動家)という説明になっていた。1986年には Brigitte Bardot Foundationという動物福祉と保護(Welfare and Protection of Animals)のための組織を立ち上げている。

日本語版ウィキペディアによれば、バルドーは屠畜場での家畜の殺し方に不満を持ったことでベジタリアンになったとある。自伝の中で「この恐ろしい血まみれの虐殺を世界で誰も告発しないのなら私がする。」と書いてもいるらしい。フランスのテレビ番組に屠殺用のピストルをもって出演し、その残酷性を世に訴えたとも伝えられている。バルドーのテレビ出演が影響を与えたのか、その2年後の1964年には、フランスの農林水産省が屠殺に関する法令を変え、1970年には屠殺場での殺し方を人道的なものにするなど、屠殺に関する法律を厳しくしたそうだ(日本語版ウィキペディア)。これが事実なら、バルドーのやったことは、社会や政治を動かす活動と言っていいだろう。

また1976年に、バルドーが 動物福祉団体とともにカナダのアザラシ狩りを告発すると、その翌年に、当時のジスカール・デスタン大統領が、アザラシの毛皮の輸入を禁止している。英語版ウィキペディアにも、バルドーがシーシェパード(海洋生物の保護活動団体:クジラやイルカの捕獲問題のため日本では悪名高い組織として伝えられることが多い)の創設者ポール・ワトソンとともに、カナダのアザラシ漁を告発したことが書かれていた。シーシェパードの船舶の一つは、バルドーの支援に感謝を表して、「MV Brigitte Bardot」と彼女の名を冠しているそうだ。

こういったバルドーの活動とフランス社会への影響力を見ると、彼女のやっていることは「動物愛護」というより、アニマル・ライツ・アクティビストの活動と言ったほうがしっくりくる。

そもそも愛護という言葉に当てはまる英語はないように思う。英語ではanimal welfare(動物福祉)、animal protection(動物保護)、animal rights(動物の権利)といった言葉が一般に使われている。愛護と保護は似た言葉で、animal rights activistを動物愛護運動家と訳してある辞書もあった(英辞郎)。言葉が与えるイメージということで言えば、愛護の方は「愛」があるから、あるいは愛をもって守るという動物との関係性に焦点が当てられている。保護の方は愛があろうとなからろうと、実質的に害から動物を守るという行動が焦点になっている。

ペットのことを愛玩動物と言う人はいまはほとんどいないのではないか。愛玩の意味は「大切にしてかわいがること。また、おもちゃにして慰みとすること」だそうだ。玩は「おもちゃにする。もてあそぶ」の意味があり、玩具の玩だ。愛護という言葉は、どこかこの愛玩と繋がっている気がする。野生動物を「愛護する」ことは可能か。野生動物は人間が好きなように可愛がることのできる存在ではない。自然界では、人間と対立することも多い、本来は人間のコントロールの外にある存在だ。日本語の動物愛護という言葉には、動物を捉えるときに、野生動物の存在をあまり視野に入れていない感じがある。

人間社会にいる動物には、ペット、実験動物、畜産動物、荷役動物、動物園や水族館などの展示動物、サーカス、観光地の動物乗りなどの娯楽用動物、介護動物、セラピー動物、、、などがある。元をたどれば、どれくらい遡るかは別にして、どれも野生動物だった。人間に必要とされて、野生から人間社会に連れてこられ、人間の目的のために使用されている。動物自身がが選択したことではない。

動物福祉の考え方には、人間社会の中での効用との比較の中で、その行為や制度が正しいかどうか判断するというutilitarianism(功利主義あるいは公益主義)がある。ある意味人間中心主義ではあるが、どこまで動物への負担(苦痛)が許されるか、という判断をする際の有効な線引きになっていると思われる。豚や牛を屠殺する場合も、人間にとって動物の肉は重要な栄養源だから食肉は認めるが、屠殺の際の動物の負担(恐怖や痛みなど)をどこまで減らせるかの努力は、人間がしなければならない行為であり制度である、というようなことだ。

最近エジンバラ大学のMOOCSで、動物福祉に関する授業を何週間かにわたって受けた。イギリスはもともと動物福祉への関心の高い国のようだ。科学者たちが畜産の現場や動物実験のラボに入りこみ、そこでやっていることを否定するのではなく、いかに動物の苦痛を軽減できるかを日々研究し、現場で働く人々にフィードバックしたり指導したりしている。非常に実際的な活動だ。畜舎の環境の整備では、一匹当たりどれくらいの広さが必要で、餌や水はどのように与えられるべきか、出産の際必要なことは何か、子を産んだあとの処置はどのようにされるべきか、など動物の心理肉体両面にわたる詳細な観察検査が行なわれ、指針が提供される。屠殺の場合は、その方法論、設備の種類などが検討される。

豚は出産の際、穴を掘ってそこに子を産みたがる。これは研究所敷地内の野外に放した豚の実験から得られた情報だった。それを畜産の現場でも取り入れ、出産の際に豚が穴を掘れる環境を整えてやる。すると豚は本来の形で出産できるので、安心してよい状態で子を産める。これが豚の心理面においてよい影響をもたらすであろうことは充分想像できる。いずれ屠殺してしまう豚であっても、生きている間の生存権を最大限に保証することは倫理的に正しいと思われる。

畜産用の動物にとって、農場から農場へ、屠殺場へといった輸送の際の苦痛も大きな問題だと言う。輸送の間に体調を崩したり、死んでしまう動物も少なくないそうだ。これもどのような状態で運ぶべきかという正しい指針があれば、被害は減らせるし、動物は苦痛を味わわなくて済む。動物に対する人間の対応には、世界中どこであっても、まだまだ改善の余地がたくさんあるようだ。動物福祉の功利主義とはこのようなことであるとエジンバラ大学の講義で知った。


こういった動物福祉の功利主義の考え方は、日本語でいう動物愛護の中からは生まれにくい思想のように感じる。愛護という精神は尊いとしても、いま緊急に目を向けなければならないのは、現実の状況の把握(野生でも人間社会でも、動物たちがどのような苦境に立たされているのかを目にする)と、そこにある問題を解決するための実際的な改善策だからだ。

20170519

外国語で話すときの言語力、会話力

最近2015年度のショパン国際ピアノコンクールのビデオを見ていて気づいたことがあった。母語ではない言語で話すとき、会話が一応成り立っていれば、その言葉が話せるという見方はできる。しかし会話が成り立っていたとしても、個々の言語レベルは一様ではなく、大きくは二つか三つくらいの階層に分類できるのではないか、と感じた。

ショパンコンクール公式サイトの中に、10人のファイナリストの演奏とインタビューをビデオで紹介するページがある。その10人のコンペティターのインタビューを順番に聞いてみた。国籍は第1位が韓国、第2位カナダ、第3位アメリカ(中国系)、第4位アメリカ(中国系)、第5位カナダ(中国系)、第6位ロシア、以下クロアチア、日本、ポーランド、ラトビアの国籍をもつ人々。10人のうち5人がアジア系だった。ただし3位のケイト・リウ(2015年当時21歳)はシンガポール生まれだが8歳でアメリカに渡っており、4位のエリック・ルー(17歳)はアメリカ生まれの中国系二世、5位のヤイク・ヤン(16歳)は中国生まれのカナダ人で6歳で移住。この3人については英語の母語話者と同等と見ていいだろう。

第1位のチョ・ソンジン(21歳)は韓国生まれの韓国育ち。高校卒業後パリのコンセルヴァトワールで勉強をしている。そこでついている先生もフランス人なので、どれくらい英語をつかう機会があるかわからないが、ショパンコンクール公式サイト以外のインタビューもすべて英語で受けているようだった。(英語話者ではない外国人としては)まあまあ普通に話せているかなと思っていたが、今回改めてビデオを見比べてみて、そこまで思ったようには話せてないのではないかと感じた。

それは17歳のエリック・ルーのインタビューを聞いて、違いを感じたからだ。エリック・ルーはまだ10代とは言え、母語が英語であるせいか話には深みがあった。質問に対して考えながら言葉を選び、よりよく伝えようと、丁寧に自分の思ったことを語っていた。ショパンという作曲家についての自分の考えを述べる態度など、インテリジェンスを感じさせた。それに比べると、母語ではない言葉で話したチョ・ソンジンは、型通りの答えになりがちだった。おそらく母語で話せばもっと自分の作品への思いや考え方が語れたのではないか。話すだけの内容をもっていないのではなく、話す術が内容に追いついてないのかもしれない。

そうしてみると、あの人は英語が話せる、英語が達者だと言うとき、その一つ一つにはかなりのバラツキがあるのではと思い至った。それが今回気づいたことだ。今までなぜ気づかなかったのか、とも思う。

さらに別の入賞者のインタビューも聞いてみた。日本の小林愛実、ロシアのドミトリー・シシュキン、ポーランドのSzymon Nehringは、それぞれ日本語、ロシア語、ポーランド語と母語で話した。クロアチアのAljosa Jurinic、ラトビアのGeorgijs Osokinsは英語だった。クロアチアのJurinicは20代半ばで、クロアチアで生まれ育っている。ドイツやオーストリアで勉強した経験はあるようだったが、英語圏に住んでいた形跡は見当たらなかった。しかし英語で話す言語能力は高いように見えた。考えつつ、言葉を選びつつ、自分の思っていることを正確に伝えようとしている姿勢が見えた。英語で話すことにある程度慣れているようで、語彙や表現もそれなりにバラエティが見えた。ラトビアのGeorgijs Osokinsも同様だった。英語で話すことにそれほど苦手意識はなさそうだった。ある程度の深さをもった話ができていた。

話術や表現能力と、使う言葉のスキルとの関係はどのようなものなのだろう。日本のファイナリストの人は日本語でインタビューを受けていたが、話はいくぶん型通りの受け答えのように見えた。正直な答え方ではあったと思うが、内容や表現はやや幼い感じだった。母語で話しているのだから、もう少し踏み込んだ内容、あるいは印象深い話ぶりを見せられたのではないかと思った。そのようなことを要求される場面が少ないので、慣れていないのかもしれない。もし彼女が英語でインタビューを受けていたら、話し方の幼さや型どおりの受け答えを英語能力の足りなさのせいと思ったかもしれない。

韓国の元サッカー選手でパク・チソンという人がいる。10代のとき日本でプレーし、20代の初めにオランダに渡り、その後イギリスで長くプレーした。日本には多分1、2年しかいなかったと思うが、日本語は非常にうまいらしい。日本を離れて何年もあとに、日本の新聞でインタビューを受けたときも日本語だった(そう記事に記されていた)。2010年W杯のときで、内容は北朝鮮と韓国の関係についてなど、それなりに深いことが含まれていた。イギリスに行ってからは英語でインタビューを受けるようになり、CNNのようなテレビ番組にも出ていた。しかし今考えると、英語が話せるということにはなっていたものの、日本語と比べると型通りの受け答えに近かったのではないかと思う。なぜそう感じるかというと、最近になって、パク・チソンがイギリスのテレビ番組に出演した映像を見て、英語が素晴らしく上達しているのを目の当たりにしたからだ。彼は引退後、選手時代に所属していたマンチェスター・ユナイテッドのアンバサダーをやっており、イギリスにずっと住んでいる。最近大学でスポーツに関する勉強を始めたようで、そのせいもあって英語の表現能力が上がったのではないか。イギリスの大学で勉強するということは、たくさんの英語の本を読み、レポートなどではたくさんの英語の文章を書くことになる。またアンバサダーという役割においては、選手時代の英語以上の能力が要求されるのかもしれない。

最近見た映像では、パク・チソンは複雑なことを表現し、切れぎれではない構文的に長い文章を口にすることができていた。かなり楽に話しているようにも見えた。選手時代にはなかった話し方だと思う。自信をもって、今その場で考えていることを口にできる技術を手にしたのだ。他人事ながらこういう成果を見ると、こちらも嬉しくなる。もう一人韓国人のサッカー選手で、YouTubeで見て驚いた人がいる。現在イングランドのプレミアリーグのトットナムに所属するソン・フンミン選手だ。16歳でドイツに渡り、イングランドに来るまでの数年間ブンデスリーガでプレイし、2年前にトットナムにやって来た。ドイツ語はかなり話せるらしいとは聞いていたが、英語でのインタビューはチラッと目にしたくらいで、そのときは片言のように見えた。イングランドに来たばかりのときは、イギリスのテレビ番組で韓国語でインタビューに答えていた。それが1年たったとき、滑らかとは言えないもののそれなりに話ができていた。型通りの受け答えばかりでもなく、楽しげに話し、インタビュアーを笑わせてもいた。もちろんレベルとしては高い会話力とは言えないが。ここから先、語彙や表現力を高めていって、深い話ができるようになるだろうか。

型通りの話で終わるか、自分の考えていることをそれなりのレベルで伝えられるか、この二つには大きな違いがある。多分、それなりのレベルで伝えられるようになるには、それなりの道筋があり、努力が必要になってくるのだと思う。たとえば人と話をするだけでなく、その言語で本を読んだり、手紙やメールを書いたりという経験を多くもつことだ。型通りの受け答えや仲間うちの会話に終始していると、何年英語圏にいたとしても、そこからレベルを上げることは難しいかもしれない。

慣用句やいかにも英語らしい表現を使わなくとも、非常に深い話ができる人もいる。マリア・ジョアン・ピリスはポルトガルのピアニストで、現在はブラジルに住んでいる。何年か前に、彼女がNHKのピアノのレッスンの番組で教えていたとき、そのような英語で話していた。生徒たちの国籍は多様で、英語圏の生徒はいなかったと思う。一番若い生徒は12歳のオランダ人だった。それを意識してわかりやすい英語で話していたのかもしれない。ポルトガル語風のなまりはあるが、シンプルで、言いたいことの本質をついた強い表現で、彼女の個性が出た話ぶりだったと記憶している。中身の薄い型通りの話し方とは対極にあるものだ。

元ハンマー投げの室伏広治選手の英語でのインタビューを聞いたことがあるが、彼の話ぶりも好感のもてるしっかりとしたものだった。言いたいこと、伝えたいことがまずあって、それを表現するための話術と英語のスキルがあるという感じだった。それは一つには基本的な英語の文法や語彙があるということ。流暢とかペラペラという話し方ではない。話す内容と話し方がぴったり合っていて、伝えたいという気持ちが相手に届くような話し方だ。このように外国語を話せば、話すことの意味は増す。

意外だったのはYouTubeでたまたま目にした村上春樹の会見模様。室伏選手同様、堅実な話ぶりで好感が持てたが、英語の表現や語彙自体は中学生レベルだった。それで言いたいことをしっかり表しているように見えた。彼の場合、英語の本の翻訳歴は長いし、海外の公の場で英語でスピーチもしているので、英語の能力は高いはず。しかし自分の言葉で「話す」際は、易しい表現や語彙を使った堅実な話ぶりだった(たまたまだったのだろうか?)。これは日本人が英語で話したり、インタビューを受けるときのヒントになりそうだ。日本の著名人でそれなりに英語で話せる人の中には、一見もの慣れているように見えて、話に曖昧な部分が多かったり、文があちこちに飛んだりと落ち着かない話しぶりであることも多い。このようなケースは外国語で話すときの手本にはなりにくいと思う。

2015年のショパンコンクールで審査員をしていた海老彰子さんは、日本のピアノ学習者は「楽譜を弾けるようになってから表現を探している」が逆でなければならない、というようなことを書いていた。楽譜を音にする最初の段階で構想をもち、表現を考え、表現にしていく、音にしていく、音楽にしていくということだろう。まず弾ける技術を手に入れて、そのあとで自分の表現を探すのではない、というのは納得のいく考えだ。


同様に外国語での会話も、言いたいことがまずあり、どうやって表現したらそれを人に伝えられるか、そのことを追いながら話すスキルを上げていく、言語力を上げていくのがいいように思う。一番適切な言い方を見つけるためには、未知の語彙や表現を手にしなくてはならない。ひとたび手にしたら、そのスキルは言いたいことのために、何度も使われるようになるだろう。そのようにして表現や語彙が身についていくと、自分の「英語での話し方」が徐々に出来上がっていくのではないか。話し方にはその人の人間性が出るものだ。型どおりの受け答えで個性を出すのは難しい。

20170428

子どものトランスジェンダー問題

先月末、スタンフォード大学で「子どものための栄養学と料理」を教えているマヤ・アダム教授からメールが届いた。メールの表題は「Gender and our Children」。アダム教授の授業はCoursera(ネットで大学の授業を受けることができる新しい教育システムMoocの一つ)で取っていたことがある。メールの内容は次のようなものだった。

5年前にスタンフォード大学で「子どもの健康学」をアダム教授が教えていたとき、授業のあとで一人の学生が教壇にやって来た。「アダム先生、この授業はとてもためになりました。でも一つ、子どもの健康について欠けているものがあります。先生の授業ではジェンダー・アイデンティティについて、それが子どもたちの健康や暮らしにどのような影響を与えるかの情報が全くありませんでした」 学生はそのように述べたと言う。アダム教授はそれを聞いて、ジェンダー・アイデンティティですって? それが子どもたちの健康に影響があるって? とかなり戸惑ったそうだ。

アダム教授は、ジェンダー・アイデンティティと子どもの健康に与える影響について、そこから調べ、考えはじめた。小児科医、両親、教師、地域の子どもたちに話を聞くことからはじめたと言う。その結果わかったことに対して教授は非常に驚き、知らなかった自分を恥じ、現在の状況に深く胸を痛めた。トランスジェンダーに生まれた子どものことを何一つ知らず、医学の学位をとったと思い込んでいた自分を恥ずかしく思い、また子どもたちを(それぞれの、すべての子どもたちを)ちゃんと社会が支援できていないことに対して心砕ける思いだったと打ち明けている。そしてメールの中で、Together, we can change that.と呼びかけた。5年前の自分と同じようにこのことについて知識のない人、ジェンダー・アイデンティティと子どもの健康の関係について知りたい人は、「ぜひこのコースを取ってください」と結ばれていた(上品な先生に似合わず、この部分はすべて大文字で書かれていた)。

この率直な思いを訴えかけるメールは印象深いものだった。おそらく過去にアダム教授の授業を受けたことのある人全員に送られたのではないか。子どもの健康とジェンダー・アイデンティティの関係を調べはじめて5年、その成果をMoocという仕組をつかって世界中の学生たちに呼びかけ、このことを一人でも多くの人に知ってもらおう、という教授の熱い想いが伝わってくるメールだった。その想いに打たれ、また子どものジェンダー・アイデンティティについてぜひ知りたいと思い、わたしはすぐにクラスに行って受講申請の手続きをした。

授業のタイトルは「Health Across the Gender Spectrum(ジェンダーに関わる健康について)」。3月27日からスタートした。3週間にわたる短期のコースで、第1週目は「What is Gender Identity?」、第2週目は「What is the Gender Spectrum?」、第3週目は「How Do We Create a Gender-Inclusive Society?」。3週間にわたる授業には、トランスジェンダーの子どもたちやその両親へのインタビュー、50歳を過ぎてから肉体的にも社会的にも性を変えたある大学教授の体験談、この領域の専門家たちとアダム教授の対話のビデオ、理解度をチェックするクイズ、トランスジェンダーの子どもをめぐる問いに対して自分の考えを書き、クラスの他の人々の意見を読むディスカッション、参考になる書籍などのリスト、といったものが並んだ。

わたしがまず驚いたのは、当事者たちのインタビューで多くの子どもたちが、非常に小さな頃から自分の性に対して違和感をもっていたということ。およそ3歳くらいからその感覚は始まっているように見えた。からだは女の子である子どもが、スカートやピンクの服を着るのをいやがり、ズボンをはいて男の子たちと遊びたがる。逆にからだは男の子である子どもが、女の子のものを身につけたがり、自分は女の子と主張する。

実はこれまで、わたしはトランスジェンダーというものがよく理解できないでいた。スカートをはくとか、男の子のように振る舞うといったことは、人間がつくりあげた男女を区分する社会的文脈の中でのみ意味があり、人間にとって本質的なものではないのではと考えていた。社会が男の子として、女の子として、その範囲内で振る舞うよう強制するから生まれるギャップなのではないか、と。もし社会が男女差のない中性的な、あるいは男女を横断し混合を許すような、行き来自由な文化であれば、男とか女とかといった自意識上のギャップは生まれないのでは、と考えていた。

しかしアダム教授の授業を受けてみて、非常に小さな子どもがすでに違和感をもっていることを知り、自己認識の途上で何らかの不和が肉体と精神(脳)の間で起きているのかもしれない、と思うようになった。3歳といえば、歩いたり走ったりできるようになり、外の世界を知り始める年齢だ。それまでは主に母親や父親(兄や姉)と自分、という関係の中を生きていたのに対し、同じ年頃の友だちやよその大人たちとの接触が増えてくる。そうした中で、おそらく自己認識を少しずつはじめ、自分とは何か、自分はどのような存在か、どこに属するのか、ということを認知しようとし始めるのだろう。

トランスジェンダーの問題の基本は、自己認識のあり方にあるようだ。自分はどんな存在かと認識する過程で、男女という性に関する属性の識別が出てくる。授業の中の両親へのインタビューでは、多くの親が子どもの主張に驚き、胸を痛めながらも、自分の子どもが自己認識する性をなんとか理解して認めようとしてきた経緯が語られていた。トランスジェンダーの子どもたちにとって、思春期(第二次性徴期)は最初の関門で、そこをどのように通過するか、どの性で日常生活を送り、まわりの人々にどう理解してもらうかが差し迫った問題となり、将来的に自分の性の舵をどうきるかの入り口に立たされるときでもある。

授業の中で体験談を語った大学教授は、男の子として生まれたが、小さな頃からそれに違和感をもちつづけて成長した。なんとか自分の肉体が示す男性として生きよう、生きなければと思い、高校や大学でバスケットボールなどのスポーツに心を傾け、また素晴らしい女性たちとの巡り会いも経験して、最終的にある女性と結婚し、子どもを二人もうけた。その後、最初の妻とは離婚し、非常にユニークな女性との出会いがあって再婚。そして50歳を過ぎたころに、自分の性の認識について妻に打ち明け、妻の応援もあって性を変更する決意をする。そこからホルモン療法など医学的な治療を受け、性を男性から女性に変更した。当時すでに大学教授だったため、社会的に性を変更する旨、大学の上司に申告することになる。職を失うかもしれないと思いながら打ち明けたところ、その上司は「なに、きみが初めてというわけでもないんだよ」と受け入れてくれたという。また成人した娘と息子にもそれぞれ打ち明けた。息子は「なんだ、もっと重要なことかと思ったよ。これからは共和党を支持するとかさ」と言い、娘は「じゃあ、いっしょにショッピングに行きましょう!」と喜んだという。これはきっと幸せな結末を迎えることができた例だと思うが、そうであっても、この大学教授の50歳までの人生は大変な苦痛をともなうものだったと想像できる。

この大学教授が女性との巡り会いを経験しているように、トランスジェンダーであることと、性的な指向とは必ずしも重なるものではないようだ。ジェンダー・アイデンティティというように、基本は自己認識の問題なのだと思う。そこも混同されやすい問題らしい。

この授業の中で、子どもたちの学校生活で困ることとして、男女に分かれたトイレの問題が取り上げられていた。これは同性愛の人々の問題としてよく知られているが、トランスジェンダーの子どもたちにとっても、学校という生活の場で直接的にストレスのかかる問題となる。学校ではなるべく水を飲まないようにするなど、トイレにまつわる子どもたちの苦労や告白があった。解決策としては、男女別のトイレの他に、性を区別しないトイレを設置することが上げられていた。しかしこれも、学校や教師たちがトランスジェンダーの子どもたちの状況をよく理解しないことには、実現は難しい。

どの国の社会にも、男女を区別する文化はある。そこにどの程度の必要性があるのかは、まだあまり議論されていない。慣習として、歴史的に(封建制や家父長制のもと)、特に問うことなく続いてきたことだ。ネットなどのアンケートでも、男女をチェックする項目は普通にある。最近は必須ではないことも多くなっているが。答えたくない(答えられない)人のことを考慮してのことだろう。一般にマーケティングというものは、年齢や男女の属性を知りたがる。しかし、そこにある意味は深く問われないままだ。男ならこれを欲しがる、30代の人はこういう傾向だ、女性にこういうものを勧めると効果がある。そういった方法で商売をしていく方法は、いったいあとどれくらい持つのだろうか。いやいや世の中、そうは変わりませんよ、という人もいるだろう。性別に大きな意味を感じている人、女はこうあるべき、男はこうだ、という考えの中を自分が生きていることに気づかない人もいるだろう。それしかない、それが当然と思っている人々の存在は、トランスジェンダーの人々を気づかずに傷つけてしまうこともある。それは無知からくるものだ。人間に関する、知識の無知からくるものだと思う。だから誰もが知ることで変われる可能性をもっているし、そういう人が増えれば社会も変わる。


授業の中で参考図書として上げられていた本を1冊購入した。Beyond Magentaというタイトルで、「10代のトランスジェンダーたちの発言」という副題がついている。数人の子どもたちによるモノローグと著者のスーザン・カクリンの解説をまとめたもので、複数の人間の体験を知ることは入門として役に立つのではないかと思った。著者のカクリンはこの本を短編小説集に例え、それぞれの子どもを語る際は、PGP(preferred gender pronounce=その人が望む性の人称代名詞、彼女や彼)をつかいます、と冒頭で述べている。機会があれば、この本について詳しく紹介したい。

20170414

中絶は「女の権利」なのだろうか??

フェミニストの女性たちは、中絶は女の権利であると主張することがよくある。わたしもフェミニスト(社会的に男女の区別をつける意味はないという考え)ではあるが、「中絶は女の権利」とまでは言えないな、と感じている。

体内の子どもの生存を決める権利が誰にあるか検討する場合は、精子提供者である男と卵子提供者である女、それぞれが同等の立場にいないと公平性が失われる。確かに子どもは女性の体内で育つけれど、だからと言って、男性より権利に優位性があるわけではない。「産むのはわたしなんだから、わたしが決める」というのでは、男がかわいそうだ。

子どもの父親が中絶同意書にサインしてくれないという場合、父親不明という形で中絶同意書を提出することも実質的には不可能ではない、と聞く。法律上は「前項の同意は、配偶者が知れないとき若しくはその意思を表示することができないとき又は妊娠後に配偶者がなくなったときには本人の同意だけで足りる。」(母体保護法第14条2項)となっているため、本当は同意が必要だが、なんらかの理由をつけることは可能ということだろう。
厚生労働省の2014年の調査では、人工中絶の件数は18万件(年間出産数100万件)となっている。近年は手術件数そのものは減少傾向にあるらしいが、18万件というのはそれなりの数字だ。

そもそも女性の体内で生まれ、育まれた生命は、それ自身が主あるいは主体であって、誰の所有物でもないように思う。いや、胎児は生命には当たらないという考え方もあるだろう。その場合、どこからを生命とするかは難しい問いだ。母親の体内で人間の形を取り始めるのは受精後7週目くらいで、頭とからだの区別がつき、2頭身くらいになるらしい。妊娠がもっと進めば、さらに人間らしくなり、各器官が備わってくるだろう。そのどこからを生命とするか、その線引きは誰にも決められそうもない。

「中絶は女の権利」ということをOKにしてしまうと、「お腹にいる子はわたしのもの(所有物)」という主張、さらには生まれたあとも子どもは母親のものという考えにつながりやすくなる。レイプなどの犯罪を除けば、子をつくるのは男女両方の協力によるものであり、基本的にはそこで生まれた生命は誰のものでもなく、その生命自身のものだと考えた方がいいように思う。

アメリカではキリスト教系の団体や共和党系の人々が、昔から中絶に反対してきた。最近読んだ国際政治史が専門の松本佐保さんのアメリカのキリスト教右派の話は興味深かった(Synodos インタビュー)。松本氏によると、アメリカでは19世紀までは妊娠初期の中絶は認められていたが、中絶によって命を落とす人が増えたことから規制がかけられたという。しかし1973年には、「中絶裁判」により中絶は合法となった。キリスト教の保守層からは反発を受けたが、そもそも何故彼らが中絶に反対するのかという理由は不思議なものだ。

松本氏によると、ドイツで19世紀の後半に、生物学者によって「受精」が発見されると、受精が人間生命の始まりという考え方が出てきたという。「マリアがその母アンナの胎内に宿った(受精)その瞬間から、原罪から逃れていたという信仰で、受精の瞬間を重視するものでした。これ以降、妊娠の継続を中断することは胎児への殺人行為と信じられようになります。」

ふーむ、受精の発見という科学的な進歩があって、その考えを取り入れるときに、キリスト教では受精の瞬間を宗教的に意味あるものとした、ということだろうか。しかしこの受精の発見というのは、宗教抜きで重要なポイントかもしれない。それを生命の誕生とするかどうか、という問題が中絶との関係で出てくるわけだから。

フランス在住のエッセイスト中島さおりさんによると、フランスでは妊娠12週までなら中絶が合法的にできるそうだ。妊娠7週目までであれば、ピルによる人工流産ができるという。日本ではいまだに中絶の方法が掻爬手術なので、からだへの負担は大きいと聞く。避妊のためのコントロール用のピルは、フランスでは50%くらいの女性が使用していたようだが、近年は下降傾向にあるという。その理由は2012年に第三・第四世代のピルに重大な副作用があるとわかったため。脳梗塞や血栓症を誘発することが知られるようになり、製薬会社への訴訟も起きた。

「フランス4百万のピル・ユーザーに対し2529件の血栓症があり、うち20人が死亡しているという調査結果が明らかにされ、続いて速やかに保健省が第三、第四世代ピルの保険による還付を停止した。」(中島さおり「フランス女性とピルの緩やかな離反」/Love Peace Club)

妊娠のコントロール(の苦労やリスク)を負うのは、やはり母体となる女性の方ということになるのか。ピルの副作用については、死を招くようなものでない場合も、体重の増加やニキビ、吐き気などが言われてきた。ホルモンを投与するのだから、何かしらの影響があっても不思議はない。

健康に影響を与える可能性のあるピルなどの薬をつかわず、また中絶も避けたい場合、確実に、女性の管理のもと避妊する方法はほかにないのか。

それがあるのだ。昔からある科学的な計測&解析法だが、テクノロジーの進歩により使用の負担がかなり軽減され、からだ自身には何の負担も影響も与えない。それは女性が基礎体温を計る方法だ。毎朝目が覚めたらすぐ精度の高い専用の体温計で体温を計測し、それを継続的に記録する。それにより排卵日(体温のもっとも低い日)が特定でき、その日と前後を避ければ妊娠は避けられる。妊娠したい場合は、この排卵日に照準を合わせる。これは避妊のため、あるいは妊娠のためだけでなく、女性が自分のからだがどう活動しているのか、具体的に知ることができる目から鱗的な「実験」になる。

きちんと真面目に長期にわたって計れば、自分のからだの内部の動きが手に取るように見えて面白くもある。昔は手書きでグラフにしていたものが、今はスマホなどと連携させて、自動記録できるようにもなっている。計る時間も秒単位だ。中学や高校の保健の授業で排卵日の見方を学び、実際に生徒に計測させてみるといいのではないか。できれば男子生徒もいっしょに授業を受け、実際に計測したものを前に女性の排卵の仕組を学べば、生命のリアルを身近に感じ、女性のからだへの敬意も生まれるかもしれない。

人間は自由意思によって生き方を選択できる生物であると同時に、ほかの動物たちと同じように、生物として保有する機能からは逃れられない。それを薬や手術といった対処療法でコントロールするのも一つの方法とは思うが、体内のリズムを把握することでコントロールできれば、他の方法以上に、女性は自分のからだも生き方も掌握できるようになる。中絶の権利を主張することもありだとは思うが(違法にしたり、犯罪としたりすることで、より酷い状況を生みかねないから)、別の選択肢として、基礎体温による自立した生き方を推奨し、広めていくことも大事なように思う。

20170330

キンコン西野、パート2

2月に『キンコン西野の「お金の奴隷解放宣言」』というタイトルで、キングコングの西野亮廣さんのことを書いたけれど、それ以降もこの人に注目し続けている。

西野さんの面白さ、特異さはかなり突出していて、やることなすことが興味深い。そしてその弁も面白い。お笑い芸人という職業的な才やエッセンスが何をしても、何をつくっても、至るところで効いていて、得しているなあと思う。そういえばマックンパックンのパックン(アメリカ人の方)も、日本版ニューズウィークでコラムを書いているけれど、この人のお笑い以外の仕事は、笑いのセンスあってこそという気がする。

注目していると書いたけれど、実は西野亮廣さんのキングコングとしての活動、つまり漫才は見たことがない(多分)。では何を追っているかと言えば、毎日更新されるブログや、ハミダシターというトーク番組(FOD=フジテレビオンデマンド)のネットでの視聴、活動にともなうクラウド・ファンディングのページなど。

西野さんが人を惹きつける理由は、アイディアの豊富さ、決断の早さ、実行力、そして人脈の豊かさ、面白さ。またいつ寝てるのだろう、いつ食べてるのだろう、というくらい、常にフル回転しているように見えること。ブログがほぼ毎日、濃い内容で、それなりの長さで、図版(デザインアイディアやイラスト、写真など)をともなって更新されている。朝の8時台の更新がけっこう多いから、早起きしてるのだろうか。とにかく毎日のように新しいことを思いつき、すぐにそれに手をつけ、今こんな風になってますーとブログで報告している。

西野さんの活動は多岐にわたるから、一つ一つ説明するのも大変だけれど、たとえば絵本の制作とその販売。最新の絵本『えんとつ町のプペル』は、西野さん(絵本作家としては「にしのあきひろ」と名乗っている)がストーリーやベースの絵を描いたあと、クラウド・ソーシングでスタッフ(完全分業制なので、いっしょに絵を描いて仕上げていくためのチームメンバー)を募集し、クラウド・ファンディングで資金を集めたとか。幻冬舎が版元になっていて、一般書店やアマゾンでも売っているけれど、それ以外に自らの手でも販売しているという。自らの手でというのは、ネットで直接注文を受け、サインを入れた本を封筒に入れて宛名書きをして自分で発送しているという意味だ。発送前の封筒の山の写真が、ブログに載っていた。直接読者に届けたい、1部でも多く売りたいから自らも、という気持ちの表れのようだ。ネットのサイトでこの絵本を無料で全公開したことで話題になり、クリエーターや出版業界などの一部から反発を受けて炎上したりしたらしいが、売り上げはその直後からグーンと上がって27万部を超えたと聞いている。

西野さんは「アンチはぜったい必要!」と常日頃いっているようだけど、まさにこの反応はアンチのパワーかもしれない。自分のファン、自分を好意的に見ている人ばかりで周りを固めていたのでは広がらない、というのが彼の弁だ。確かに。

自らプロジェクトを組み、資金調達し、ストーリーをつくって作品の絵を描き、本ができれば販売し、さらには全国各地でプペルの絵本展も開催しているらしい。その絵本展では朗読(読み聞かせ)もやっている。読み聞かせかぁ、なんかこれもトークのできる芸人ならではという気がしてくる。その才を存分に生かしてるんじゃないかなあ。

FODの『ハミダシター』の番組は、有料版も含めていくつか見た。西野さんがホスト役をつとめているが、どうも対談相手の人選を自らしているように見える。わたしが最初に見たのは無料版の「FUTURE学」2回分で、ゲストが面白かった。携帯のフリーテルの代表取締役・増田薫に加えて、アソビシステムの中川悠介(1回目)、研究者でメディアアーティストの落合陽一(2回目)が登場。どちらも会社代表や研究者に見えない風貌で、落合陽一の方は、まだ20代で筑波大助教授にしてデジタルネイチャー研究室を主宰している。1回目のアソビシステム中川さんのときは、きゃりーぱみゅぱみゅに興味をもち、さらにそのディレクションをした増田セバスチャンへと行って、セバスチャンの『家系図カッター』まで読んでしまった。この人もかなり変わった人だ。

また小説家の平野啓一郎の回も見た。西野亮廣と平野啓一郎という組み合わせが目を引いた。白っぽい明るい採光の天井の高いスタジオみたいな部屋で、二人並んでベンチにすわって話をしていた。意外な取り合わせのようで、なかなかはまっているところもあって、二人のやりとりは刺激的だった。60分くらいのトークのあいだCMなどまったく入らないし、カメラが切れること(TV番組でよくあるようなサイド情報やゲストの宣伝を流すなどの画面の切り替え)がなく、ずーっとじっーと落ち着いて、二人の話だけを聞いていられる。こうして見ていると、西野さんのホストとしての才能はかなり高そうだ。あいづちの打ち方やリアクションにやや芸人ぽいところはあるけれど(かと言ってNHKの対談みたいでも困るから、まあいいんじゃないか)、パッパッときれる質問を適度に挟んでいくし、ゲストの話をテンポよく聞いて進めるところもいい。ときどき自分の方に話を引きつけて、濃い話、自分の意見を語るのもなかなか。誰がきても全然負けてない。

西野さんは下の世代の人や子どもに対する期待がすごく大きそうに見える。実際そのような発言もしている。下の世代の人と話すときは、向こうがエライと思って聞いてると言っていた。子どもに向けて絵本をつくっているのも、西野さんの子どもたちへのメッセージということかもしれない。いろいろなイベント会場で、西野さんが子どもたちと遊んでいる写真を見るが、イメージとしての子どもではなく、リアルな子どもとの付き合いがあって、絵本を描いているようにも見える。平野啓一郎とのトークでは、二人とも、子どもたちに「将来何になりたい?」と聞いたとき、「わかんない」という回答が返ってくるのは正しい反応、ということで一致していた。今どき、将来の夢を一つのことだけに絞ったところで、世の中もぐるぐる変われば、仕組も簡単に変わってしまい、大きな会社も潰れるから、「これだけ!」という生き方はけっこう危ないというのだ。

ハミダシターの別の回では10代のシンガーソングライター、ぼくのりりっくぼうよみとの対談を見た。まったく未知の人だったけれど、話はとても面白かった。西野さんが彼を番組に招待したという感じだった。このように西野さんのまわりにいる人々、人脈がかなり面白いのだ。

西野さんの話でよく出てくるのは、「客はもういない」という指摘。どういう意味かというと、今は純粋なオーディエンス、つまり受け手であることに納まっている人はもう少数派で、みんなが作る側にまわっているということ。ものを作ることで食べていなかったとしても、もう一つの仕事として(jobではなくworkとして)、セカンドクリエーター(西野さんの命名)として活動している。だから「自分を発信者と位置づけて、純粋な受け手を探す」ことをしても、客はいないということらしい。いない客を探すのではなく、セカンドクリエーターたちと共同して活動した方が面白いし、広がりがでるというわけだ。広がりがでれば、つまり活動に関わる人が増えれば、活動は大きくなり、その分人の輪も広がる。

人の輪を広げるということについては、西野さんはたとえば、独演会をやるとき、チケットを手売りしたりする。ツイッターなどで自分の出没スケジュールを公開し、直接自分のところに買いに来てもらうという。買いに来た人と立ち話などしていると、その人が帰りがけに「もう一枚ください」ということが少なからずあるという。友だちでも誘おうという気にさせてしまうのだろう。チケットを手売りで直接買った人は、仲間意識が芽生え、自分も主催者側に少し立った気分になって独演会を成功させたいと思うらしい。それでその人が独演会を広めてくれる一員になる。その方法で最初400席だった独演会を2000席にまで増やすことに成功したようだ。

西野さんの活動は、絵本作りや読み聞かせ、トーク番組のホストにとどまらない。「おとぎ町」という町を最初は青山に、のちに埼玉につくった。そのどちらも持ち主の好意で土地を提供されている。また今は「しるし書店」という一風変わった古本屋をクラウド・ファンディングで資金集めして、自分のネットサロンのメンバーたち(ファンクラブのようなものか)と立ち上げようとしている。マーカーで線を引いたり、折りをつけた本はBookoffなどでは扱ってもらえなかったり、価値が低くなるけれど、この「しるし書店」はその「しるし」こそが貴重だというコンセプトらしい。本の持ち主がどのようなところに惹かれて線を引いたのか、それを本の中身とともに味わい、共有する。「しるし」が本の価値を下げるのではなく上げているという逆転の発想。

一事が万事、このようなことを一日中、一年中、考えては実行し考えては実行し、としているのが西野亮廣さんという人だ(と思う)。興味をもった方は、まずは毎日更新されているブログをのぞいてみてはどうだろう。

20170318

「地球温暖化」をめぐる議論ふたたび

日本で地球温暖化についての報道が目につくようになったのは、いつ頃からだろう。2000年代の前半? いや2000年代半ば以降だろうか。IPCC(国連気候パネル)が、「温暖化の原因は自動車利用など人類の行為」であることが90%以上としたのは2007年(前回の2001年には66%以上だった)。アル・ゴアの映画『不都合な真実』が公開されたのが、2006年(日本では2007年)。アメリカではその前年の2005年当時、地球温暖化の原因を二酸化炭素の排出による温室効果ガスによるものとする勢力と、それを否定する勢力の対立が起きていた。多くのメディアは前者を支持し、タカ派のウォールストリート・ジャーナルなど数少ないメディアが人為説に否定的だったという。

そして今、トランプ政権になって、大統領が「地球温暖化説は信用できない」というような発言をし、環境保護局(EPA)の長官に、同様の考えをもつスコット・プルイットを指名している。トランプとは反対の立場をとるオバマ大統領時代のプルイット氏(当時オクラホマ州司法長官)の経歴には「EPAの方針に反対を唱える中心人物」とあったそうだ。そのEPAの長官に、今回プルイット氏が任命されたというわけだ。

ニューヨークタイムズやロイターの3月10日の記事によると、プルイット氏はアメリカのニュース専門放送局CNBCのインタビューで、「人間活動による環境への影響を正確に測定することは非常に困難で、影響の強さについては見解の相違が大きい」とした上で、「人間活動が地球温暖化の主な要因との見解には賛同しない。議論を続け、引き続き検証と分析を行う必要がある」と述べたそうだ。

トランプ政権下の環境保護庁長官と聞いただけで、「まゆつばもの」の人物と思う人がいるかもしれない。しかし、人間活動による環境への影響を測定することは簡単ではないこと、(調査や分析の方法によって)見解の相違が出ること、今後も議論や検証をつづける必要があること、これらのことは間違っていないと(わたしは)思う。共和党支持者でもなく、保守論者でもないが、考え方として「地球温暖化に対する結論はとっくに出ており、世界的なコンセンサスがすでにあり、議論の必要は一切ない」という意見には賛成できない。

アメリカのように人為説派、懐疑・否定派の対立がない日本では、国民、政府、メディアそろって地球温暖化は二酸化炭素の排出によるもの、と信じているように思われる。というかそれ以外の考えがあることすら一般に知られていないのかもしれない。「地球温暖化は二酸化炭素のせい、それでいいじゃないか」 わたしもあるときまで、特に疑問をもってはいなかった。何がきっかけで人為説一元論に疑いをもつようになったかと言えば、ある国際ニュース解説者が、「温暖化問題は、気象や環境問題というより、国際政治の問題だ」と書いているのを読んだことにある。かなり前のことで、おそらく10年以上前になると思う。以来、この問題に関する見方が大きく変わった。

地球温暖化問題がなぜ環境問題というより、政治の問題なのか。日本でも世界でも、IPCCの報告の真偽やアル・ゴアの発言に疑問を抱く科学者やジャーナリストがそれなりの数出てきて、地球温暖化人為説について様々な見解が出ている。国際ニュース解説を書いている田中宇氏は、英米など第三次産業にすでに移行している先進国が、これから発展して二酸化炭素を多く排出しそうな中国やインドなどを、排出ガス規制によって発展を遅らせたり、規制によって「経済成長の果実の一部をピンハネ」する仕組(排出量の多い企業が「排出権」を少ない企業から購入するなど)をつくるためではないか、と推測していた。確かに、先進国は過去に排出したほどには、今後二酸化炭素を出さないだろうことはわかる

しかしここに来て排出規制に消極的だった中国が、去年の9月のパリ協定(京都議定書に代わる新たな温暖化防止の枠組み)で、国際的締結を承認し批准を認めている。中国の批准により、パリ協定の発効は前進するとみられている。ここ何年かで中国やインドは国力があがり、後進国であることから抜け出し、世界の枠組に入ることが損失にならなくなっているのかもしれない。

基本的に、二酸化炭素の排出量を減らすことはいいことだ。日本で言えば、1960年代からのマイカーブーム以来、それは変わっていない(二酸化炭素が増えることによって、逆に、地球の寒冷化を進めるのでよくない、という意見も聞いたことがあるが)。しかし二酸化炭素排出と温暖化の関係の信ぴょう性が疑われ、政治に利用されたつくりごと、偽情報だったとすれば、それは大いに問題がありそうだ。これだけ世界中の人々を巻き込み、真実でないことが長期にわたって信じられたとすれば、地球規模の犯罪行為に見えてくる。

IPCCは2007年に、気候変動問題に関する活動でアル・ゴアとともに、ノーベル平和賞を受賞している。このことが人為説に拍車をかけた可能性は高い。しかし地球温暖化関係のいくつかの書籍(主として温暖化あるいは人為説懐疑派の)を読むと、IPCCは重要な過ちをいくつか犯しているように見える。一つは、温暖化現象が起きていることを表す図(グラフ)で、上昇に転じている時代から現在までのデータを(都合よく)取り上げて、二酸化炭素が増えはじめた時代との合致を示す、という方法論をとっていること。それ以前のもっと気温が高かった時代を無視しているというのだ。あるいは1960~70年代にかけての気温の低下時期を、意図的にデータから削除して、上昇し続けたかのような図をつくったという分析もある。これについては、2009年11月に起きたクライメートゲート事件で、データ製作に関わった2者間のメールがハッカーによって暴露されたことで、データ改変の事実が明るみに出た。クライメートゲート事件は、日本ではほとんど報道されなかったと聞く。

IPCCは設立の1988年当時、「2020年にはロンドンもニューヨークも水没している」と初代議長が発言していた。またIPCCは「ヒマラヤの氷河は2035年までに溶ける」とする報告書を以前に出していたが、あとになって「2350年までに溶ける、の間違いだった」と関係者が訂正しているらしい。IPCCのパチャウリ前議長は、地球温暖化人為説を否定することは、ホロコースト否定と似たようなもの、という見方にも関わっているという。ゴアの『不都合な真実』が、予告編を見ただけでも虚仮威しの大ボラ吹きに見えるのは、あれが科学や環境の話ではなく、政治の話(プロパガンダ)だからに違いない。たとえばゴアは映画の中で「6メートルの海面上昇」を主張しているそうだが、これは1980年代の古い数字を使ったもの。IPCCでさえ、アメリカの環境保護局が1980年代に出した「2100年までに海面は数メートル上昇する」という予測を、1990年代には67センチ、2001年には48.5センチ、2007年には38.5センと数値を減らしつづけているというのに。

トランプが「地球温暖化説はうそだ」と言えばいうほど、あいつが言うなら、うそではなく本当に違いない、と思われるのが今の状況。逆効果で、地球温暖化説がまた、より強力に広まっていくかもしれない。わたし自身は、データ改ざんの可能性や歴代議長たちの軽率な発言など、IPCCのあり方には一定の疑惑をもっている。なぜいい加減な情報によって「温暖化の事実」を証明しようとするのか、なぜその原因を二酸化炭素の排出のみに求めるのか。人為説に少しでも疑問を挟むことが、なぜホロコースト否定と並べて語られるのか。納得しがたいことは多い。今後この問題が、(特にトランプ政権下で)どう動いていくか、人々がどう反応するか、見守っていきたい。

目を通した地球温暖化問題に関する書籍、サイト:
地球と一緒に頭も冷やせ!(ビョルン・ロンボルグ、2008年、ソフトバンククリエイティブ刊)
正しく知る地球温暖化(赤祖父俊一、2008年、誠文堂新光社)
地球温暖化の政治学(竹内敬二、1998年、朝日選書)
CO2温暖化説は間違っている(槌田敦、2006年、ほたる出版)
二酸化炭素温暖化説の崩壊(広瀬隆、2010年、集英社新書)

田中宇 国際ニュース解説https://tanakanews.com/