20170318

「地球温暖化」をめぐる議論ふたたび

日本で地球温暖化についての報道が目につくようになったのは、いつ頃からだろう。2000年代の前半? いや2000年代半ば以降だろうか。IPCC(国連気候パネル)が、「温暖化の原因は自動車利用など人類の行為」であることが90%以上としたのは2007年(前回の2001年には66%以上だった)。アル・ゴアの映画『不都合な真実』が公開されたのが、2006年(日本では2007年)。アメリカではその前年の2005年当時、地球温暖化の原因を二酸化炭素の排出による温室効果ガスによるものとする勢力と、それを否定する勢力の対立が起きていた。多くのメディアは前者を支持し、タカ派のウォールストリート・ジャーナルなど数少ないメディアが人為説に否定的だったという。

そして今、トランプ政権になって、大統領が「地球温暖化説は信用できない」というような発言をし、環境保護局(EPA)の長官に、同様の考えをもつスコット・プルイットを指名している。トランプとは反対の立場をとるオバマ大統領時代のプルイット氏(当時オクラホマ州司法長官)の経歴には「EPAの方針に反対を唱える中心人物」とあったそうだ。そのEPAの長官に、今回プルイット氏が任命されたというわけだ。

ニューヨークタイムズやロイターの3月10日の記事によると、プルイット氏はアメリカのニュース専門放送局CNBCのインタビューで、「人間活動による環境への影響を正確に測定することは非常に困難で、影響の強さについては見解の相違が大きい」とした上で、「人間活動が地球温暖化の主な要因との見解には賛同しない。議論を続け、引き続き検証と分析を行う必要がある」と述べたそうだ。

トランプ政権下の環境保護庁長官と聞いただけで、「まゆつばもの」の人物と思う人がいるかもしれない。しかし、人間活動による環境への影響を測定することは簡単ではないこと、(調査や分析の方法によって)見解の相違が出ること、今後も議論や検証をつづける必要があること、これらのことは間違っていないと(わたしは)思う。共和党支持者でもなく、保守論者でもないが、考え方として「地球温暖化に対する結論はとっくに出ており、世界的なコンセンサスがすでにあり、議論の必要は一切ない」という意見には賛成できない。

アメリカのように人為説派、懐疑・否定派の対立がない日本では、国民、政府、メディアそろって地球温暖化は二酸化炭素の排出によるもの、と信じているように思われる。というかそれ以外の考えがあることすら一般に知られていないのかもしれない。「地球温暖化は二酸化炭素のせい、それでいいじゃないか」 わたしもあるときまで、特に疑問をもってはいなかった。何がきっかけで人為説一元論に疑いをもつようになったかと言えば、ある国際ニュース解説者が、「温暖化問題は、気象や環境問題というより、国際政治の問題だ」と書いているのを読んだことにある。かなり前のことで、おそらく10年以上前になると思う。以来、この問題に関する見方が大きく変わった。

地球温暖化問題がなぜ環境問題というより、政治の問題なのか。日本でも世界でも、IPCCの報告の真偽やアル・ゴアの発言に疑問を抱く科学者やジャーナリストがそれなりの数出てきて、地球温暖化人為説について様々な見解が出ている。国際ニュース解説を書いている田中宇氏は、英米など第三次産業にすでに移行している先進国が、これから発展して二酸化炭素を多く排出しそうな中国やインドなどを、排出ガス規制によって発展を遅らせたり、規制によって「経済成長の果実の一部をピンハネ」する仕組(排出量の多い企業が「排出権」を少ない企業から購入するなど)をつくるためではないか、と推測していた。確かに、先進国は過去に排出したほどには、今後二酸化炭素を出さないだろうことはわかる

しかしここに来て排出規制に消極的だった中国が、去年の9月のパリ協定(京都議定書に代わる新たな温暖化防止の枠組み)で、国際的締結を承認し批准を認めている。中国の批准により、パリ協定の発効は前進するとみられている。ここ何年かで中国やインドは国力があがり、後進国であることから抜け出し、世界の枠組に入ることが損失にならなくなっているのかもしれない。

基本的に、二酸化炭素の排出量を減らすことはいいことだ。日本で言えば、1960年代からのマイカーブーム以来、それは変わっていない(二酸化炭素が増えることによって、逆に、地球の寒冷化を進めるのでよくない、という意見も聞いたことがあるが)。しかし二酸化炭素排出と温暖化の関係の信ぴょう性が疑われ、政治に利用されたつくりごと、偽情報だったとすれば、それは大いに問題がありそうだ。これだけ世界中の人々を巻き込み、真実でないことが長期にわたって信じられたとすれば、地球規模の犯罪行為に見えてくる。

IPCCは2007年に、気候変動問題に関する活動でアル・ゴアとともに、ノーベル平和賞を受賞している。このことが人為説に拍車をかけた可能性は高い。しかし地球温暖化関係のいくつかの書籍(主として温暖化あるいは人為説懐疑派の)を読むと、IPCCは重要な過ちをいくつか犯しているように見える。一つは、温暖化現象が起きていることを表す図(グラフ)で、上昇に転じている時代から現在までのデータを(都合よく)取り上げて、二酸化炭素が増えはじめた時代との合致を示す、という方法論をとっていること。それ以前のもっと気温が高かった時代を無視しているというのだ。あるいは1960~70年代にかけての気温の低下時期を、意図的にデータから削除して、上昇し続けたかのような図をつくったという分析もある。これについては、2009年11月に起きたクライメートゲート事件で、データ製作に関わった2者間のメールがハッカーによって暴露されたことで、データ改変の事実が明るみに出た。クライメートゲート事件は、日本ではほとんど報道されなかったと聞く。

IPCCは設立の1988年当時、「2020年にはロンドンもニューヨークも水没している」と初代議長が発言していた。またIPCCは「ヒマラヤの氷河は2035年までに溶ける」とする報告書を以前に出していたが、あとになって「2350年までに溶ける、の間違いだった」と関係者が訂正しているらしい。IPCCのパチャウリ前議長は、地球温暖化人為説を否定することは、ホロコースト否定と似たようなもの、という見方にも関わっているという。ゴアの『不都合な真実』が、予告編を見ただけでも虚仮威しの大ボラ吹きに見えるのは、あれが科学や環境の話ではなく、政治の話(プロパガンダ)だからに違いない。たとえばゴアは映画の中で「6メートルの海面上昇」を主張しているそうだが、これは1980年代の古い数字を使ったもの。IPCCでさえ、アメリカの環境保護局が1980年代に出した「2100年までに海面は数メートル上昇する」という予測を、1990年代には67センチ、2001年には48.5センチ、2007年には38.5センと数値を減らしつづけているというのに。

トランプが「地球温暖化説はうそだ」と言えばいうほど、あいつが言うなら、うそではなく本当に違いない、と思われるのが今の状況。逆効果で、地球温暖化説がまた、より強力に広まっていくかもしれない。わたし自身は、データ改ざんの可能性や歴代議長たちの軽率な発言など、IPCCのあり方には一定の疑惑をもっている。なぜいい加減な情報によって「温暖化の事実」を証明しようとするのか、なぜその原因を二酸化炭素の排出のみに求めるのか。人為説に少しでも疑問を挟むことが、なぜホロコースト否定と並べて語られるのか。納得しがたいことは多い。今後この問題が、(特にトランプ政権下で)どう動いていくか、人々がどう反応するか、見守っていきたい。

目を通した地球温暖化問題に関する書籍、サイト:
地球と一緒に頭も冷やせ!(ビョルン・ロンボルグ、2008年、ソフトバンククリエイティブ刊)
正しく知る地球温暖化(赤祖父俊一、2008年、誠文堂新光社)
地球温暖化の政治学(竹内敬二、1998年、朝日選書)
CO2温暖化説は間違っている(槌田敦、2006年、ほたる出版)
二酸化炭素温暖化説の崩壊(広瀬隆、2010年、集英社新書)

田中宇 国際ニュース解説https://tanakanews.com/

20170303

小沢健二の不思議な広告

少し前(2月21日)に見た新聞広告から、新聞とか広告のことを考えてみた。その前に、紙の新聞をとっている人ってどれくらいいるのだろう。イメージとしては月極めで家まで配達してもらう定期購読者は、年齢層の高い人というのがまずある。ネットで見たある調査では、2016年度で70%強の人が定期購読者らしい。そのうち全国紙は50%程度。年齢層でいうと、20代、30代は半分程度で、やはり60歳以上の人が90%近くと高い割合を示している。またここ10年くらいの変化でいうと、2008年度が90%弱あった定期購読率が2016年度には73%とかなりの落ち込みだ。この調査の中には電子新聞として定期購読する人も含まれているようだが、比率は1.5%と低い。わたしの家では長らく紙の新聞をとってきたが(やっと先月末で止めた)、わたし自身の紙の新聞への信頼度は近年ガタ落ちで、家族がとっていたからパラパラと見ていたものの、ものの5分か10分で読み終わる。読むところがないからだ。以前(10年以上前)には、時間をかけて読んでいた時期もあった。新聞の中身が変わったのか、自分が変わったのか、その両方あるいは社会のあり方や新聞の位置づけが変わったのか。

新聞代はけっこう高い。月額4000円くらい。しかし紙面の半分ちかくは広告という印象がある。めくってもめくってもぶち抜き15段、30段(現在は文字を拡大した12段が基本の新聞もあるが)の広告がつづき、記事になかなかたどり着けない、というイメージ。試しに広告が新聞全ページのどれくらいの割合を占めるか数えてみよう。手元にある2月22日の朝日新聞の広告段数を数えてみた。最初に全体の段数を数えようとしたが、広告のないページが1ページもないので数えられない。朝日新聞は何年か前から文字を大きくし1ページ12段にしているようだ。ページの5分の1(昔風に言うところの全5段)以上の広告を中心に数えてみたところ、(15段換算で)290段あった。新聞は40面(ページ)なので15段×40ページで全部で600段。ということはやはり約半分が広告ということになる。試しに翌日のものも数えたが285段だった。この2日間は平日だったため、15段広告が何ページもつづく旅行会社のパッケージツアーのものはなかった。なのでほぼ通常、こんな割合ではないかと思う。気づいたのは多くのページが、見開きで5段+15段の組み合わせになっており、記事部分は2面(30段)の中の10段分(つまり3分の1)ということ。株式のページなど広告がないページや、5段+5段の見開きもあるので、全体としては広告が半分弱ということになる。

何年か前に同じ計算をしたことがあるが、そのときは広告が3分の1くらいだった記憶がある。半分まではいっていなかったと思う。それでも驚き、高いお金を払って広告ばかり見せられていることに腹をたてた。今は広告代(媒体料金)が安くなっているので広告が増えている、あるいは新聞社への広告出稿が減っているので、量で広告費を稼ごうとしているということだろう。しかし半分ですよ! 払っている新聞代の半分が広告とは。なぜ誰も文句を言わないのだろう。

広告も情報のうち? そうかもしれない。しかし(たとえば)「リベラル、インテリ層」が読者と言われている朝日新聞も広告はひどいもの、読む(見る)に耐えないものが多い。男性週刊誌のえげつないタイトルが拡大太文字で並び(ときに写真も)、「あの世の仕組みがわかる」本やら、白髪染めに若返り、健康食品の「無料提供」のデカデカとした文字、腰痛、尿もれ、美肌の文字がこれでもかと並び、にんにくパワー、健康シューズ、エコに社員旅行に善玉菌といった商品の嵐。こういうものを貴重な情報源としている読者とはいったいどんな人々なのか。日常に得られる情報が新聞とテレビしかない層だろうか? 広告内容や広告コピーがひどいだけでなく、デザインも汚い。こうした広告群と「誇り高い」「知性派リベラル」朝日新聞の記事や論説とはどんな関係があるのか、知りたいものだ。

新聞の定期購読者が減っている現象、当然と思う。正しい判断だ。誰が購読料の半分を、読みたくもない広告に払いたいと思うだろうか。それに気づかないで月額4000円払っている人が主な読者層とすれば、新聞社がその人々にどんな記事を提供しようとするかも想像できる。実際、朝日新聞を読んでも、世の中のことは理解できない。表面をなでるだけだ。会社や友人との会話で、どんな事件があったか話すときそうそうと相槌をうてる程度の内容だ。(通信社経由でない)オリジナルの取材記事や署名記事は少ない気がするし、どの記事もいつも同じ側面からばかり語られているようにも見える。あるいは何も語らないか。最近は誰でも読めるツイッターの引用(トランプなど)も増えている。

広告が広告なら記事も記事、ということか。目をとおす利点があるとすれば、どのような記事が、あるいは広告が、いま日本の主要メディアで扱われているかを見聞すること、くらいかもしれない。

さてタイトルに書いた小沢健二の広告の話。モノクロの15段(1ページ)広告、タイトルは黒ベタに白抜きのゴシックで「言葉は都市を変えていく」となっている。その下に新聞記事風レイアウトで縦組み10段の文字原稿。一番下には「19年ぶり新作シングル本日発売」の大きめの文字。右上端には、その新曲の歌詞がゴシック太文字の横組みで入っている。『流動体について』小沢健二の新歌詞。また左下端には別の楽曲の歌詞『神秘的』も横組み太文字で入れられている。すべて文字ばかりの紙面で唯一、黒太枠で突き出し広告のような体裁で「小沢健二 既発MV限定公開中」と書かれた中に、小沢健二らしい人の小さなポートレイト・イラストが入っていて、ユニバーサル・ミュージックの該当URLが記されている。

パッと見た目、広告のようでも、記事のようでもない不思議な体裁だ。記事なら最低でも5段組の広告が下にあるはずだし、広告であれば、大きな写真とか大きな文字が紙面いっぱいにあるはずだ。そのどちらでもない。左上に小さな黒枠に囲まれた「広告」の文字があるから、広告だとわかる。わたしは最初、何かなと思って『流動体にについて』の歌詞を読んだ。その脇に小沢健二の新歌詞とあったからだ。「新歌詞」というのも不思議な、あまり聞いたことのない表現だ。

そのあとエッセイのような文章を読み始めた。よく見ると「発売記念モノローグ連作」と書いてある。これはあとで気づいた。「連作」は全部で6つ。『アンキパンの秘密』『ビバ、ガラパゴス!』『メイポールの日』『ショッカーを追え』『歴史の連続性』『遠い起源』。文章はなかなか面白く、長文だがするっと最後まで読んだ。19年ぶりにシングルを発売するにあたって、全ページ広告というのはすごい試みだと思うけれど、それ以上にこの広告のスタイルに不思議さを感じていた。エッセイにはアメリカの暮らし(家族で住んでいる)、そこで暮らす息子(3歳)の話、日本のいちご(や食パンがハイレゾ=高解像度=密度がある)の話、息子の保育園とそれにともなう仮面ライダーの戦いの場面の陣形の話、昭和のテレビ主題歌と軍歌の類似性といった話題がゆるやかに関連しながら語られていく。

19年ぶりのシングルを出したシンガーソングライターの近況報告ともとれるし、アメリカに住みアメリカ人の妻と子どもと暮らす、日本人移民による「外から見た」日本観のようでもあり。こう書くとよくあるどうでもいい駄文を想像するかもしれないが、わたしは書かれていたいくつかの考察を面白く読んだ。いつも忌み嫌い、金返せと悪態をつく15段広告を隅々まで読み、一定の満足感を得、さらには新聞と新聞広告について考え、このように文章まで書いている。CDを買う気はないが、情報はちゃんと受け取り、なんらかの影響も受けた。これを広告効果と言わずしてなんであろう。

小沢健二の文章には、特定のファンに向けて書いた感じがあまりなかった(実際わたし自身、ファンでもなんでもない)。不特定多数の人に向けて何が言えるか、という印象を受けた。エッセイの内容はCDとは関係なさそうだ。トップにある広告コピー(ヘッドライン?)「言葉は都市を変えていく」は、『流動体について』の歌詞の中にある。「だけど意思は言葉を変え 言葉は都市を変えてゆく」が2度繰り返されている。そうか、アメリカでの暮らしというものが、この歌の感性のベースになっているということなのか。エッセイはそれを伝えるためのものなのか。

むかし広告業界で仕事をしていた経験があるので、この広告はどのような手順を追ってプランされたものなのかなあ、という興味が少し湧く。想像では形(見映え、デザイン)から入ったのではないだろう、ということ。多くの広告は(たとえブレーンストーミングをして企画書があったとしても)、制作のある時点で「じゃあまずデザインのたたき台を」という話になって、一気に形の世界に入る。そしてA案、B案、C案とデザインラフができれば、もう終わったも同然、デザインに基づいて、ここに入るコピー、ここに入る写真(あるいはイラスト)を用意する作業に入る。そしてクライアントが「B案がいいなあ」と言えば、B案に決定。しかしあとになってクライアントの上層部の人間が「うーん、違う」と言えば、またブレーンストーミングの段階にもどる。あるいは今ある案を無理やり改良する。(これは程度の低い広告制作の例かもしれないが)


小沢健二の新聞広告は、どういうものをどういうやり方で発信するかに本人が深く関わっているように見えるところ、が勝負の決め手になっている(もしこれが効果的であったなら)ように思える。もちろん広告代理店やデザイン事務所がつくっているのだけれど、あまりその部分が目立たない。中間の媒介的な立場の影が薄いというか。「この広告はアートディレクター○○さんの仕事」というのが新聞広告の質を左右しているかのような時代があった。そういった意味で小沢健二の広告は、広告制作専門業者の手を経ていながらも、発信者の生な手触りが感じられるつくりになっていると思った。

20170217

20世紀初頭の動物作家たち

19世紀末から20世紀前半にかけて、北米を中心に新しいタイプの動物作家が数多く生まれたということを、ラルフ・ラッツの “The Wild Animal Story : Animals and Ideas” という論文で読んだ。日本でも有名な作家をあげると、たとえばカナダの作家、アーネスト・トンプソン・シートンがそれに当たる。アメリカの作家、ジャック・ロンドンもこの中に含まれている。ジャック・ロンドンを動物作家と呼ぶのがふさわしいかわからないが、『白牙』などでオオカミの野生の物語を書いていることは事実だ。

シートンは今でも子どもを中心に読まれている作家だと思うが、日本で知られる『シートン動物記』という本は、原典にはない。シートンが書いた(そして絵も描いた)たくさんの物語を、日本の出版社や訳者が編集して『….動物記』としたようだ。ファーブルの『昆虫記』にならったのかもしれない。

ラルフ・ラッツが「新しいタイプ」の動物作家と呼んだのは、人間がつくりあげた動物をめぐる架空の話ではなく、野生動物をリアルな描写で描いた、本当の動物の姿を記したという意味で「新しい」ということらしい。ほぼ同世代だが少し前の時代のイギリスの作家、ラドヤード・キプリングは、よく知られた小説『ジャングル・ブック』で動物を描いているが、新たな動物作家たちの「リアルな物語」とは境界を異にするということだと思う。

シートンを始めとする新しいタイプの動物作家たちは、自ら森や草原に出ていき、そこで長年にわたるを観察をし、それをもとに物語を書いている。物語といっても、それは必ずしもフィクションを指すわけではない。ジャック・ロンドンの作品は小説と言っていいと思うが(事実に沿っていないという意味ではない)、シートンは自著の中でわざわざ次のように書いている。
わたしは、この物語のなかで、「ウサギの言葉」を人間の言葉に訳して、読者のみなさんにお伝えします。訳すときに、わたしはウサギがいっていないことは、ひと言もつけくわえていないことを、読者のみなさんに誓います。(福音館書店『ラギーラグ』)
シートンの物語は小説ではないかもしれないが、フィクションの様式で語られた物語だと思う。「ウサギが言っていないことは、ひと言も書いていない」と言うように、実際に観察したことを創作の方法で仕上げた作品と言っていいかもしれない。

それに対して、ラルフ・ラッツが「現代版のシートン」と呼ぶ、アメリカの作家でナチュラリストのウィリアム・J・ロングは、よりノンフィクション的作法で作品を書いている。シートンが動物を主人公として書いているのに対し、ロングは一人称「わたし」が森を歩いて出会った動物たちを描写するスタイルだ。動物ルポルタージュと呼んでもいいかもしれない。シートンの物語が、登場人物である動物たちがどんな事件に遭遇するかを記したものだとすれば、ロングの物語は、「わたし」がどんな動物たちと出会い、何を目撃したかを記すことが中心だ。しかしそこには報道記事のような記録ではない、ノンフィクションとしての物語があり、動物と出会ったときの書き手の興奮や失望などが話を魅力あるものにしている。

ウィリアム・J・ロングは日本では全くと言っていいくらい知られていない。まず日本語に訳された本がない。知っている人がいるとしたら、このジャンルの研究者くらいではないか。作品は数多く、Wood Folk Seriesとして知られる何冊かは、特に有名である。1952年が没年なので、アメリカの現在の著作権法でいうと保護期間内となるが、1978年の法改正以前に死亡しているため、現行法が適用されていない可能性がある。グーテンベルクなどいくつかのアーカイブに、複数の作品が登録されており、無料で誰もが作品を読むことができる。アメリカのアマゾンでも、いくつかの本がペーパーバックや電子書籍で売られており、たくさんのレビューがついているものもある。シートン同様、アメリカでは一定の読者を今も得ているのだろう。

ロングの魅力は子どもの頃から自然のそばで暮らし、成長してからは野生動物を追って旅をし、野鳥をふくめ、さまざまな野生動物を身近に観察してきたことで「自然界のマナー」を知り尽くしているところにある。ロングは「自然の掟」というような表現はしない。少し違った観点から動物を見、動物とつきあっているようだ。多くの野生動物は臆病で、偉ぶらず、礼儀を知っている、とロングは観察の中で感じている。たとえば人間社会や物語の中ではあまり評判のよくない、カラスやキツネもこれに当てはまる。また森の動物たちの間で起きるさまざまな出来事、事件をコメディ(喜劇)として捉える感性の持ち主でもある。多くの観察者は、動物間で起きる出来事を「悲劇」と捉える傾向が強いようだが、ロングの見方は違っている。野生動物の世界を「掟」とか「弱肉強食」「悲劇」のように捉えていない。
これらのことは、わたしが小さなころ、経験から得たものだ。本で知ったことではない。自然が語る言葉をわたしは理解していたのだと思う。そしてたくさん観察することで、鳥や動物たちは野生の暮らしを受け入れていることがわかるようになった。おそらく意識せずに、遊びの一種として、面白おかしい役割をそれぞれ演じているのだ。のちに野生動物についての文学や似非科学が現れ、ある者は楽しい森を悲惨な話で満たし、またある者は厳しい生存競争として広めようとした。しかしわたしが野外に一歩足を踏み入れ、動物たちを目の前にすれば、こういった借り物の見方は白日のもとにさらされる。頭で作り出された悲しい物語であったり、誤りの多い机上の科学理論だということがわかる。(Wood-folk Comedies, 1920)

ロングは子どもの頃、庭に野鳥のための食卓を用意して毎朝観察していたが、鳥の種類や学名を覚える前に、個々の鳥の存在を個として捉えていたと書いている。「顔」や羽の色で識別し、名前をつけ、その後に鳥の種としての名前を知るという順番だったりもしたらしい。この付き合い方はごく最近になって、徐々に認識されてきた野生動物に対する理解の仕方に近いものがある。マダライルカ、アジアゾウというように、種として大雑把にその特徴を捉えてわかったように思うのではなく、indivisual(個)として動物を捉えることを大切にする 見方だ。その昔、黒人奴隷を十把一絡げにして、「字も読めない野蛮人である黒人」のように種として捉えていたのに似て、動物の能力を低く見積もり、個々の性格や能力の違いには目をとめない見方が動物に対しては長くつづいた。それは動物に対して非対称の見方をしていたからだろう。人間のほうが動物より優れているという見方だ。今もこの考え方がなくなったわけではない。

もう一人、この時代の興味深い作家に、カナダのグレイ・アウルという人がいる。前述のラルフ・ラッツの論文を読んでいたとき、この名を見て聞き覚えがあると思った。何年か前に、葉っぱの坑夫のメンバーだったカナダの友人が来日した際、もらった本があった。その作家の名前ではなかったか、と思ったのだ。実はその本はほとんど読んでいなかった。さっそく書棚を探してみたら、やはりこのグレイ・アウルの本だった。イギリスに生まれ、20世紀初頭にカナダに移住し、そこでインディアンと親しく付き合い、自分もインディアンであるように振舞っていたという。それで名前がグレイ・アウルなのだ。写真を見ると、顔立ちは確かに西洋人で、しかし髪型や服装はインディアンのものだ。オジブワ族の女性と長く暮らし、その人の影響を受けて、狩りをすることから野生動物の保護へと生き方を変えたらしい。

そもそも20世紀初頭に野生動物を描く作家が多数あらわれた要因は、18世紀から19世紀にかけて起きた産業革命に対する反応(反動)の一つだった。当時、こういった作家の作品は多くの読者を得たそうだが、それまでの動物観を壊すところがあるため、作品に対する反発もたくさんが生まれた。「動物は本能で行動するものである」から、人間のように経験から学び行動するという見方は「科学的」ではない、動物を擬人化している、というような論議があったという。そのような論者の中に当時のセオドア・ルーズベルト大統領もいた。ルーズベルトは、アメリカのあらゆる学校の図書館からロングの本を排除したとも言われる。こうした非難に対してロングは、当時の新聞で、「腰に銃を備え、馬に乗り、ときに何人もで押しかけていては、野生動物の本当の姿はわからない」と反論したようだ。

ロングは著書の中でこう書いている。

森の動物たちは、人間が彼らに興味をもつ以上に、人間に好奇心をもっている。森で静かにすわれば、ニューイングランドの山裾の町によそ者がやって来たとき程度のざわめきで済む。自分の好奇心を制御すること。そうすれば少しして、動物たちの方が好奇心に耐えられなくなる。この人間は何者か、ここで何をしているのか、見にやって来るにちがいない。そうすればこっちのもの。彼らが好奇心を満足させようとしているうちに、恐れを忘れ、あなたが見たこともないような暮らしの断片を見せてくれるだろう。(Secrets of the Woods, 1901)

20170203

キンコン西野の「お金の奴隷解放宣言」

漫才コンビ、キングコングの西野(にしのあきひろ)が自分の絵本を無料で公開している、という話を聞いた。なんでも「お金の奴隷解放宣言」と名をうって、なぜ絵本をネットで無料公開するのかを説明しているらしい。さっそくその宣言を読んでみた。

絵本は幻冬社から去年の秋に発売された『えんとつ町のプペル』で、23万部の「マグレ当たり(本人の弁)」ヒットになっているという。インクづかいなど印刷にお金をかけたことで、2000円という少し高めの値段になってしまったとか。ある日小学生からの投稿で、「2000円は高い。自分では買えない」と言われたことから、キンコン西野は考えはじめたそうだ。

自分はこの本を子どもたちに届けたい、読んでほしいと思って描いた。子どもの方もこの絵本を読みたいと言っている。両者が願っているのにそれが叶わない。なぜか。それはお金のせいだ。お金を介してるせいで、読める人と読めない人が出てしまっている。ならばそのお金を抜きにすれば、読みたい人が読めるようになるのではないか。絵本をお金から解放してやれば、お金を払って読みたい人は本を買って読み、お金のない人は無料でネットで読める。

キンコン西野はこのように考え、発売から3ヶ月後の2017年1月19日に、ネットで絵本の内容のすべてを公開することにした。すでに23万部売れているということで、関係者には制作代金を支払い、版元も(そして著者自身も)利益がとれていることでできた決断だとは思う。しかし無料商品(無料公開)というのは、日本ではあまりないことなので、つまり商習慣として馴染みがなく、どちらかというと社会から嫌われる行為のように思う。

『えんとつ町のプペル』の無料公開も、各方面から反論が相次いだようだ。出版社や書店がダメージを受けるのではないか、クリエーターにお金がまわらなくなる、無料化はよくない金の流れをつくる、、、などなど。しかし無料公開したとたん、アマゾンで売り上げが伸びていき、売上ランキング(絵本部門)でとうとう1位になったそうだ。西野いわく、人は「確認作業で動く」「知っているものを買う」。

ネットで全編見た人が、手元に置きたい、自分でお金を払って買いたいと思って購入したというのだ。そしてネットでは、無料ということで(おそらくSNSなどを通じて拡散も進み)たくさんの人がこの絵本を目にした。その人たちがどのような心理に陥って購入という行動に出たかは興味深いと思う。まず絵本の内容や絵がいいという判断や気持ちが必要だ。次にそれを無料で公開してくれたことへの(出会いをつくってくれた)作者への感謝や、このような行為への賛同があったのかもしれない。

ネットで公開された『えんとつ町のプペル』は、絵本の順番どおりに、テキストと絵を並べていっただけのシンプルなもの。ゴシック体の文字に、700ピクセルくらいの大きさのそこそこ大きな絵。この画像にはプロテクトすらかかっていない。デスクトップに保存してスクリーンセーバーにもつかえそうだ。人に(無断で)利用されたりすることを気にしていない、ピリピリしてない。画像にウォーターマーク(透し模様)を入れたり、右クリックでDLされないようにする技術は誰でもできる簡単なもの。(葉っぱの坑夫も、『イルカ日誌』のプレビューをする際、原著の版元から言われてプロテクトをかけた。言われたから従ったが、インスタグラムやツイッターなどで画像をシェアして拡散する時代に、画像プロテクトとは???という疑問をもったことは確か)

ネットで読める(見れる)絵本は、本の形になった絵本とは内容は同じだけれど、仕立てが違う。どんなストーリーで、どんな絵があるのかは、ネットのコンテンツで十分わかる。でも紙の本になったとき、どんなサイズの、どんな厚さのどんな質感の紙に、どんな色合いで印刷されたものか、タイトルやデザインはどんな風か、といったことはわからない。元データは変わらなくとも、作者が描いた出力のイメージや到達点に関して、紙の絵本こそがこの作品の「オリジナル」と言っていいと思う。ネットで公開する場合も、工夫しようと思えば、いくらでも本らしい仕立てには出来たと思う。アプリケーションをつかい、絵本をめくって読むようにだって出来たはずだ。音声や音楽やアニメーションを部分的に追加することだってできただろう。でもそれはやっていない。ネットで公開するのはコンテンツの素材、あるいはデータに過ぎないということかもしれない。

「お金の奴隷解放宣言」を知ったきっかけは、書体デザイナーの佐藤豊さんのブログだ。佐藤さんはキンコン西野の無料公開に対して賛同する人、反感をもつ人を次のように分析している。

非難する人は、仕事を誰かに貰って生きている人…。
称賛する人は、仕事を自分で作って生きている人…。

なるほど。そういう分類はできるかもしれない。

この問題に関心をもったのは、葉っぱの坑夫が2000年のスタート当時から、ネットのコンテンツはすべて誰でも読みたい人が読めるよう無料で公開してきたことと関係がある。もともとコンテンツの公開を、「作品の出版」と捉えてきてもいる。無料であっても作品は作品。作品の価値と有料か無料は直接関係ない。またネットで公開しているコンテンツの中から、読者の作品との出会いの機会を増やす意味で、ある時期から、紙の本やキンドル本にもすることを始めている。紙の本は当時のオンデマンド印刷で、葉っぱの坑夫スタートの翌年にもう始めている。印刷費があるから有料の本だ(それに書店では無料の本は扱ってくれない)。でも内容は同じ。ネットでは写真が入っているけれど、紙の本は写真ではなくイラストやデザイン的な見せ方で、という違いはある。あるいはネットではフラッシュプレイヤーをつかった動的でインタラクティブな作品に、紙の本はモノクロの小さな本、というケースもあった。でも基本になるテキストは同じ。それに対して、アマゾンのレビューで、「購入したあとにネットでも読めたことに気づいた」というような、やや批判的(不満?)なことを書いている人もいた。そのとき、あーやっぱりな、日本ではそう思う人が多いんだな、と思った。キンコン西野への非難と同種の考え方だ。

インターネットが当たり前の時代になってから使い始めた人には、そのように感じる人が多いかもしれない。インターネット一般化の始まりの時期(1990年代の終わりごろ)、ネットの中心は商売の手段や場というわけではなかった。ネットという空間で、何ができるのか。どんな人々がいて、何をやりとりするのか、など未知な世界を目の前に、多くの人がワクワクしていた。そこにはお金、という介在物を第一にする思想はあまりなかった。そこは表現の場、個人や団体のアピールの場であったりもした。そしてこの世界はグローバルネットワークを基本としていた。フリーウェアとかシェアウェアという名で、誰かが開発した便利なソフト(アプリ)が、無料だったり、少額だったりで世界中で配布されていた。インターネットの世界は、今以上に国境がなかった。アーティストは自分のサイトをかっこよくつくり、国外にまでオーディエンスを広げようとした。NGOや非営利団体はその活動を世界にアピールし、寄付を募っていた。青空文庫が参考にしたグーテンベルクという非営利団体は、過去の文学作品を続々とアーカイブし、世界中の人々が無料で読めるようにしていた。

このようにインターネットのはじまりは、お金を介さない、世界中の人がアクセスできる場として発展し、人々の心をひきつけたのだ。いま日本でも普通につかわれる「シェア」という言葉は、この時期のインターネット抜きには生まれなかった思想だと思う。現在も、海外の(主として英語をベースにした)サイトは、無料で多くの有益なものを提供している。お金や商売に直接関わらずに、出版活動をしている。しかし日本では青空文庫や葉っぱの坑夫がしているような活動はあまり多くなく、無料で誰もがアクセスできることへの評価も低い。公共の財産という考えや、公共という空間に対する認識があまりないのかもしれない。

キンコン西野の絵本の無料公開への反発や非難は、そう思ってしまう側の社会認識の低さや、日本社会の常識への服従から生まれているのでは、と思えてくる。

1月30日のキンコン西野のブログには、今後さらに絵本の無料化を進め、自分の絵本の全作品がネットで読める図書館をつくろうと思う、と書いてあった。図書館、なるほど。図書館では本が無料で借りて読める。誰もそれに文句は言わない(出版社が最近言っているようだが)。それは公共のものだから。公共のための活動は役所の専売特許か? そんなことはない。任意の団体、グループ、個人も公共のための活動はする。NPO(非営利団体)という言葉が、日本の社会でもここ10年くらいの間につかわれるようになってきた。そのように日本も進化してきている。ただし、アメリカとは違って、あくまでも法人としての活動しかNPOとして社会的には(税の優遇措置など)認められていない。個人や小グループが非営利的活動をすることへの理解は(中でもそれが創作に関係することでは)、キンコン西野の例でもわかるように、まだまだ低いのだと思う。

「お金の奴隷解放宣言」

20170112

ゾウ使いキャロルと子ゾウの物語

1月1日の朝、嬉しいメッセージが届いた。Elephant Sanctuary(テネシー州)の創設者キャロル・バックレーからのメールで、葉っぱの坑夫が今年取り組もうと思っているキャロルとゾウのタラの物語の作品化に興味をもってくれたようなのだ。エレファント・サンクチュアリとは、動物園やサーカスを引退したり、病気や怪我で働けなくなったゾウたちが豊かな自然の中で、安心して暮らせるようにつくられた保護・避難施設である。1995年、ゾウの調教師だったキャロル・バックレーとスコット・ブライスによって創設された。

エレファント・サンクチュアリのことを知ったのは、去年の秋に出版したデニース・ハージングの『イルカ日誌』を通してだった。赤ん坊の頃にアフリカやアジアで捕獲され、飛行機で遠い外国に輸送され、動物園やサーカスで本来の姿ではない生活を長く送ってきたゾウたちのための安息の場所、そういうものがあるとは知らなかった。ゾウ以外にも類人猿やクマのための同様の施設がいくつかある。ハージングは飼育イルカのための引退施設ができたら、という願望をもっていた。

エレファント・サンクチュアリのことを調べていて、創設者であるキャロルと彼女が所有していたゾウのタラのことを知った。キャロルは1970年代半ば、南カリフォルニアのカレッジで外来種動物の飼育や管理を学んでいたとき、偶然、タイヤ商が所有する子ゾウと出会った。家の窓から通りを行く子ゾウを見つけ、飛んでいったという。タイヤ商は自分のトラックに子ゾウを積んで、商売のためのマスコットにしていた。キャロルは彼に頼んで、子ゾウの世話をさせてもらうようになる。

子ゾウとすっかり仲良くなったキャロルは、いつか自分のそばに置きたいと願うようになる。そして子ゾウが2歳のとき、とうとうキャロルはタイヤ商から子ゾウを買い取り、タラという名をつけた。こうしてキャロルは子ゾウのタラと暮らすようになり、一緒に遊ぶうちに芸を教えるようになる。その後、キャロルとタラはコンビを組んで、アメリカ中をパフォーマンスをしながら旅する生活を送るようになった。ところがあるとき、パフォーマンスを終えたキャロルに、一人の女性が近づいてきて、「あなたはこのゾウを虐待している」と言い、激しい怒りをぶつけてきた。キャロルは虐待などしていない、と反論したものの、その後、それまでタラにさせていたローラースケートなどのパフォーマンスをやめてしまう。自分がタラにさせていることは、世の中にどのようなメッセージを送っているのだろう、それは間違ったメッセージではないか、そうキャロルは考えた。その後しばらく、生計を立てるため、鼻をつかって絵を描かせ披露することをしていたが、タラが本来の姿で生きていくにはどうしたらいいか、その道を探る日々となった。

そしてその頃出会ったゾウの調教師スコット・ブライスと意気投合し、ゾウのための安息地を思いつく。二人であちこち土地を探しまわったのち、ゾウの生息地に近い気候をもつテネシー州ホーヘンウォルドに220エーカーの土地を取得し、ゾウのためのサンクチュアリをつくった。タラが最初の居住者となり、その後、各地から引退したゾウが安息の地を求めてやって来た。現在は、キャロルもスコットもそれぞれテネシーのサンクチュアリを離れ、自らまた別のサンクチュアリをつくって活動をしている。

わたしはサンクチュアリの創設者がゾウ使いだったことを知って、最初とても驚いた。しかしキャロルとタラの出会いと交流、その後の活動を本などで読むうちに、そういった履歴の人だからこそ、深い関係性をもった者だからこそ愛するゾウの生涯に頭を巡らせ、サンクチュアリをつくるという発想が生まれたのかもしれない、と思うようになった。子ゾウだったタラの世話をし、一緒に遊び、成長を見守り、芸を教えてきた人間が、共に暮らす異種の動物に対して深く考え、どうあることがゾウにとって幸せか、真剣に追求したことの結論として、サンクチュアリがあったのだ。

エレファント・サンクチュアリには、アメリカ各地の動物園やサーカスを引退したゾウたちが多数迎えられ、現在は2700エーカーにまで広がった土地に、チェーンで繋がれることもなく、手鉤で痛めつけられたり脅されることもなく、ゾウの世話人の管理のもと、ゆったりと自然の中で暮らしている。もはや野生に戻すことが叶わないゾウたちが、故郷と似た気候の土地で、森林や草原に囲まれて日々を送っている。ここは動物園のように一般公開されているわけではないので、どんなところで、どんな風に暮らしているのかは、ELECAMというライブ映像と、Trunklinesというニュースレターでしか知ることはできない。

ここ何週間かわたしは、朝起きるとまず、ここのライブカメラでゾウたちの様子を見るのが日課になっている。日本の朝7時が、テネシーの午後4時に当たるので、見るのはいつも夕方の風景だ。敷地はアジアゾウ、アフリカゾウ、隔離地区(病気や相性などの問題で)、この三つのエリアに分かれ、柵でかこわれている。ライブ映像を見て、ゾウたちの姿を目にできるのは50%くらいの確率だ。ゾウのいないテネシーの夕暮れの風景の中で、野生のシカたちが草を食んでいたりする。それでも遠くの方にゾウの姿が見えれば嬉しいし、ときにカメラのすぐ近くまでやって来てじっと佇んだり、柵越しに仲間と交流しているのに出会えれば得をした気分だ。

カメラの設置場所やアングルが日々変えられているが、敷地が広いため、ゾウの姿は追いきれない。しかしそのことが見る者を安心させるところもある。動物園では多くの時間、動物たちは人間の目に触れるよう囲いの中に展示されている。サンディエゴ動物園のように、比較的広い園内に動物たちが住んでいる場合も、ライブカメラが捉える頻度は、サンクチュアリと比べれば格段に高い。80%以上の確率で動物を見ることが可能だ。サンクチュアリのゾウたちは、たまたまカメラに捉えられたときだけ姿が見られる。それで全然かまわないし、待ったり探したりすること自体が楽しみになる。

現在タラは40歳を超え、テネシーのサンクチュアリで変わらず暮らしている。一方キャロルは2010年にサンクチュアリを離れ、新たな土地を手に入れてゾウの保護活動をしている。ネパールやタイのゾウ使いへの教育や啓蒙活動もしているようだ。もう一人の創設者スコット・ブライスもテネシーのサンクチュアリを離れ、自らの動物保護活動をはじめている。アメリカで最初のゾウの保護施設を創設した二人は活動拠点を変えたが、施設と組織はしっかり残り活動をつづけている。保護活動が三手に別れ、広がったと考えてもいいのかもしれない。

タラがまだ小さかったころのキャロルとの2ショットがある。地面に足を投げ出してノートをとる若いキャロルを、頭から背中、お腹と毛がいっぱい生えた子ゾウのタラが覗き込んでいる。そこから40年。今は別々に暮らすタラとキャロルだが、ゾウにとって本来の姿に近い生活を送らせたいというキャロルの願いは叶ったと言える。タラとキャロルが興行をしていた年月と同じ20年間を、タラはこのサンクチュアリで過ごしてきたのだから。


Elephant Sanctuary 2017年1月11日午後5時過ぎ(テネシー時間)

20161222

工業型農業、生命特許???

先日アップリンクのクラウドで『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』(原題:GMO OMG/2013年制作)という映画を見た。食品の遺伝子組み換えについて、パパ(映画監督ジェレミー・セイファート)が、自分の子ども二人といっしょに旅をしながら調べるロードムービー。ちなみに原題のGMOはGenetically modified organism(遺伝子組み換え生物)で、OMGはOh My God。

アメリカでは食品にGMOの表示義務がないことから(映画公開後の2016年に、バーモント州で表示義務が施行されたが、Qコードによる表示のみという)、遺伝子組み換えに対する知識やそれを含む食品への関心が一般的ではないらしい。日本では大豆、トウモロコシ、パパイヤなど8作物と加工品33品目についてのみ表示義務があるようだ。しかし大豆やトウモロコシを原材料とする醤油やコーンフレーク、菜種油、砂糖などの食品については、表示義務がないそうだ。また豚肉など家畜の飼料も表示義務がないため、遺伝子組換えの大豆やトウモロコシが使われてる可能性はある。

農林水産省のHPによると、大豆は国産22万t に対して輸入70万t で、輸入元はアメリカとカナダ、しかし非GMO大豆を輸入しているとあった。日本で表示義務のある作物で、GMOであっても流通しているのはパパイアのみだそうで、その他の作物は販売・流通が認可されているものの、消費者が不信感を持っているなどの理由で、実際には市場には出まわっていないようだ。

遺伝子組換え食品というと、まず人体への悪影響を心配することが多いが、映画を見て感じたのは、そのことだけがこの問題の論点ではないということ。もっと大きな社会の仕組に関わること、グローバルレベルに拡大された世界の仕組、北側先進国の一握りの巨大企業に農業や農産物が所有され、私物化されてしまうことが問題なのだ。

この映画では6歳になる監督の長男が、種集めが大好きなことが冒頭で紹介される。たくさんの植物の種をコレクションしている。種屋さんに行けば興奮し様々な種を見てまわる。種の不思議、そこから生まれる生命の秘密に興味を持っているのだ。昔からの農業にとっては、この種こそが作物のはじまりだった。種を蒔き、育て、収穫する。そしてそこから得た種をまた蒔く。ところが巨大企業が特許を持つ遺伝子組換えの種子は、種を購入したときだけでなく、作物から収穫して得た種に対しても特許を要求するらしい。利用料を支払うのだ。さらには、収穫した種を勝手に使わせないよう、ターミネーター技術というバイオテクノロジーによって、収穫した種を発芽させないようにすることも可能らしい。

これが生命特許と呼ばれるものだ。組み替えによる遺伝子が、知的所有権に当たるということ。

監督ジェレミー・セイファートは、巨大種子企業の筆頭、遺伝子組み換え市場シェア90%を誇るモンサント本社(アメリカ)を訪ねたり、GM食品の長期給餌の実験を行ったフランスのセラリーニ教授に話を聞きに行ったり、さらには種を保管する「種子銀行」を見学しにノルウェーまで足を延ばす。この種子銀行「スヴァールヴァル世界種子貯蔵庫」は、北極圏にあるノルウェー領スヴァーヴァル島の凍土に作られた、巨大な冷凍貯蔵庫である。ノルウェー政府によって2008年に設立され、世界中から送られてくる箱詰めの種子を未来のために冷凍保存している。

映画によれば、遺伝子組み換えの種子は、農薬とセットで販売されることが多いそうだ。種子は除草剤に対して耐性があるように生成され、農薬を散布しても作物自体は成長を阻まれない。あるいはさらに、通常より早く大きく成長するような遺伝子が組み込まれている。遺伝子組み換えによる種子は、わたしたちが直接口にする作物だけでなく、食肉用家畜の飼料にも利用される。

アメリカやカナダは遺伝子組み換え大国と言われ、日本に入ってくるたくさんの食品は、(日本の基準値内であったとしても)その影響を受けていると見ていい。たとえばキャノラー油と呼ばれる料理用オイルは、カナダ産の品種改良されたキャノラー種の菜種から作られる。そしてカナダは遺伝子組み換え大国。キャノラー油を使うことは、遺伝子組み換えのオイルを使うこととおもっておそらく間違いない。パッケージには「菜種から作られました」とあるかもしれないが、カナダ産のキャノラー種の菜種のことである。

このように農産物が、そのスタートである種子のところから、巨大企業に独占されていくとどのようなことが起きるのだろう。豚肉、鶏肉、牛肉などの畜産業では、かなり前から工場型畜産という言葉が使われてきた。身動きできないくらい狭い場所で、より早く、より大きくたくさんの家畜を「製造」する、家畜工場のようなイメージである。のんびり草を食む放牧場の牛や、広い敷地を駈けまわる鶏を想像することはもう何十年にも渡り、難しくなっているのが現実だ。そして農業もいま、工業型農業と言われるようになっている。

個人的にはある生協の組合員になっていて、多くの食品を生産者のわかるものでまかなっている。豚であればどのような環境で育てられているか、どんな飼料が使われているか、抗生物質が投与されていないか、農産物であればどのような肥料が使われ、農薬の散布回数はいつ、どれくらいなのか、など確かめながら購入することがある程度できている。遺伝子組み換えについては、使われているかどうかの細かい表示がある。

遺伝子組換え野菜として、熟しても皮が崩れないトマトがあるそうだが、これまでトマト缶はよく使うので、1缶100円前後で買えるものをスーパーで入手していた。生協のものは同じ容量で倍以上の値段だ。なぜなのか。よく見ると、パッケージは似ていても「長野県産トマトを使用」などの表示があり、製造元もデルモンテやカゴメではなく長野の地元工場だ。味的には変わらないのかもしれないが(まだ食べていない)、出自が特定できることで安心感はある。

食品の出自ということでいうと、最近、新たな表示がスタートしたことを知った。製造所固有記号というもので、賞味期限のところに(+SF)などプラスとアルファベット二つの組み合わせで表示される。これは販売者・製造者と実際に製造した事業者が異なる場合に、その情報を記すもので、この記号を元に消費者庁のウェブサイトでどこで製造されたかを調べられるという。2016年4月よりスタートしているが、移行期間が2020年3月31日までなので、まだ+表示のある食品はあまりないらしい。

食費というのは誰もが日々支出するもの、少しでも節約したいという気持ちはあって当然かもしれない。しかしPB商品など素材の大量入荷による価格コントロールのせいだけではなく、安いものには素材の出自などそれなりの理由があるかもしれない。大量に一時に仕入れすることを考えれば、工業的な素材調達や手順が必要になるのではないか。有機農業を営む小規模農家が、バラバラに個別に出荷しているとは思えない。日本の農家が、そして農業全体が厳しい状況にある、というのはずいぶん前から耳にすることだ。安い農作物が海外から大量に入ってくることが、そしてそれに消費者が飛びつくことがどういう結果を生むのか、一度考えてみてもいいだろう。

遺伝子組み換えではない種子を使い、化学肥料に頼らず、少しでも農薬などの散布を減らしている作物を手にする努力をすることが、国内の良心的な農家とつながり支援することになりはしないか。巨大企業の支配する工業型農業への抵抗になりはしないか。出発は自分や家族の健康への配慮であったとしても、関心を持つ人が増えれば、工業型農業、遺伝子組み換えによる農業への移行スピードを遅らせることができるかもしれない。


*筆者はこの問題についてまだ知り始めたところで、知識は途上。書いたことの中に正確さにかけるところがあるかもしれません。この問題に興味を持たれた方は、信頼できるネットの情報や書籍などで知識を積むことをお勧めします。


参考:
オルター・トレード・ジャパン(ATJ)
http://altertrade.jp/alternatives/gmo/gmojapan

科学的根拠に基づく食情報を提供する消費者団体「遺伝子組換え種子の特許切れ 自由利用を阻む再審査制度」
http://www.foocom.net/column/shirai/7174/

ノルウェーの種子銀行Svalbard Global Seed Vault
https://www.regjeringen.no/en/topics/food-fisheries-and-agriculture/jordbruk/svalbard-global-seed-vault/id462220/

20161208

動物園と水族館、その物語性とリアル

デニース・ハージングの『イルカ日誌』を翻訳、出版したことで、飼育環境にいる野生動物に興味をもつようになった。動物園や水族館にいる生きものはほぼすべて、元は野生動物である。自身またはその親、祖父母などが野生の地からやって来た(連れてこられた)。その出自と、晩年(展示やショーから引退したのち)の暮らしを知ることなしに、動物園や水族館の動物を真に理解することはできないのではないか、と思うようになった。

最初に興味をもったのは、『イルカ日誌』の中に出てくる「ゾウの聖域」(The Elephant Sanctuary)と「類人猿センター」(Center for Great Apes)である。前者はテネシーに、後者はフロリダにある。サンクチュアリと呼ばれる動物の保護施設で、この二つ以外にも、インドやタイ、中国などに同様の施設がある。

「ゾウの聖域」は、サーカスや動物園で20年間、ゾウの調教をしてきたキャロル・バックリーが、1995年にスコット・ブライスとともに作った、引退後のゾウのための保護施設である。テネシー州ホーヘンウォルドに110エーカーの土地を得て、そこにキャロルが長年生活と生計をともにしてきた、タラという名のゾウを保護したのが始まりである。これまでに「ゾウの聖域」には、動物園やテーマパークなどから送られてきた引退後のゾウ27頭が暮らし、じょじょに広げてきた敷地は2700エーカーとなった。

ここで「ゾウの聖域」の最初の居住者であるタラの出自と来歴を紹介してみよう。
1974年ビルマ(現ミャンマー)で生まれる。生後半年のとき、アメリカに貨物用飛行機で送られる。タイヤ商に買われ、デリバリー用トラックに積まれてそこで暮らす。2歳のとき、タラはキャロル・バックリーに買われ、芸を仕込まれる。ローラースケートを履くゾウとして名をはせ、その後の20年間、キャロルとタラはサーカス、動物園、アミューズメントパーク、テレビや映画などでショーをしながら国じゅうを旅する。1995年、キャロルはスコット・ブライスとともに「ゾウの聖域」を設立。タラは最初の居住者となる。


Carol and Winkie in 2004 in Tennessee. Carol Buckley (CC)




キャロルは長年にわたり、ゾウの調教師として働くうちに、ゾウにとっての幸せとは何か、真剣に考えるようになったようだ。そしてタラをショーから引退させ、ゾウのための安息地をテネシーにつくった。タラだけでなく、合衆国のいたるところにいる動物園などのゾウたちを引き受けるようになる。タラ以外のゾウの来歴を少し見てみよう。

ビリーは1962年、インドに生まれる。動物園にいる多くのゾウと同じように、とても小さなときに捕獲され、アメリカに連れてこられた。以来、動物園での展示やショーで芸をする生活を送る。動物の訓練やリースをする会社で飼われていたとき、ビリーは調教師の手にあまるようになり、ある施設に送られる。米国農務省の調査でそこでの扱いが虐待にあたると判断され、ビリーをはじめとする8頭のゾウが、2006年、キャロルの「ゾウの聖域」に送られた。

ゾウに限らず、動物園や水族館、サーカスにいる野生動物の多くは、アフリカやアジアなどの草原や森、海や川から捕獲されてきたのだ。生まれて間もない、まだ母親といっしょにいる年齢で家族から引き離され、遠く離れた見ず知らずの土地に連れてこられた。そこは生地とは気候も環境もまったく違う場所だ。ホッキョクグマが暑い土地へ、熱帯の動物が寒い国へ、と人間の娯楽のために移動させられる。野生の環境とはまったく違う、冷暖房付きの狭い檻や水槽に閉じ込められてしまうのだ。調教師や飼育係によって、年齢の低いうちに飼いならされてはいくのだろうが、ゾウのビリーのように、大きくなってから人間の手に負えなくなることもよくあるようだ。また成長したオランウータンやチンパンジーは非常に強く、人間が扱うのが難しくなると聞いた。

そのような状態になったとき、もういらないからといって、動物を野生に戻すことは難しい。動物園にいる動物が年をとったり、病気や障害に見舞われたり、ビリーのように人間の手にあまるようになってお客の前に出せなくなったとき、「ゾウの聖域」や「類人猿センター」のようなケア施設がない国では、いったいどうしているのか。ちなみに日本にはそのような施設はない。『イルカ日誌』には、引退したイルカが、水族館の裏部屋の小さな水槽で、ひとり寂しく終末を迎える様子が描かれている。

「行動展示」というネーミングで大きな人気を呼んだ旭山動物園が観客に見せるのは、元気で若い生き生きと行動する動物の姿だ。これが野生の命です、と小菅園長は言うかもしれないが、すっかり年をとり、あるいはあちこち病気やガタがきて、なんとか生きている動物だって、同じ野生の命だ。身に合わない場所で生活していることから、より大きなストレスにさらされる動物園の生きものは、病気への耐性が低いという話も聞く。しかしそうなった姿を動物園は、観客に見せるわけにはいかない。

そう考えると、良心的でクリエイティブなアイディアにあふれる動物園も、元気で若く、活発な姿のみを見せるという、動物にまつわるある一面、一つの物語(見せたい物語)を提出しているに過ぎない。それが本当に「本物の野生の命にふれる」体験になるのか、子どもたちに野生の姿を見せるという教育目的にかなうのか。

旭山動物園の小菅園長は、『戦う動物園』の中で、動物園の存在理由についていろいろ悩み、考え、動物や動物園について学んだのち、「人間だけでは精神は病む」「人間が動物である限り、動物園は必要だ」という確信をもったという。長年動物と間近に暮らし、その動物を維持する施設を運営をしてきた人の結論なのだから、少なくとも人間の側から見た場合、そこになんらかの真実はあるのかもしれない。しかし「人間には動物園が必要である」ことを認めた場合も、「生まれて間もない野生動物には、母親が必要である」「母親は産んだ子を手放したくない」こともまた真実だ。繁殖ですべをまかなえるわけではない(ゾウなど繁殖が難しい動物もいる)動物園は、動物の入手に関してどうしても「生まれて間もない野生動物の捕獲」に関わらざるを得ない。

チンパンジーやオランウータン、ゾウは、ワシントン条約で絶滅危惧種として、輸出入に関して最も厳しい条件が付されている動物だ。イルカなどクジラ目の多くの種も同様だ。この条約には考え方として、人間の商用利用について、過剰な捕獲行動を取り締まるということがある。これはどんな種であれ、動物園や水族館の未来に関わってくることに違いない。展示素材となる野生動物が、人間との関わりの中で数を減らし、希少化していることを、動物園や水族館はどのように捉えたらいいのか。「絶滅危惧種を動物園や水族館で繁殖させる」という考えを聞くが、どこまで実効性があるのかについては疑問だ。おそらく動物園内の(あるいは動物園どうしの)補充の足しにはなるのだろう。

子どもたちの教育目的ということで言えば、動物園の存在を善とする運営者は、都合のいい部分、気持ちのいいことだけを見せようとするのではなく、捕獲から終末までのすべての生涯を伝える必要がある。その野生動物がどんな気候の、どのような自然環境に住んでいたか、動物園という「善なる仕組」により捕獲(または他の園から購入、あるいは産地の王族から贈られる)という流通を経て、囲いの中に住むようになったいきさつ、そして年をとったり人間の手にあまるようになったとき、どのような処置が施されるのか、どこでどのように生きているのか、その全体が明らかにされることで、動物園にいる野生動物の存在は意味をもつ。ある部分のみ切り取った「野生はこんなに素晴らしい」という展示は、人間のつくりあげた物語に過ぎない。ある日突然、魔法のようにこの世に現れたディズニーのキャラクターのような存在だと思う。