きっと未来につながる、ライブストリーミングの活況(2)
前回からのつづき。主要ホール閉鎖の中で見た、バイエルン州立歌劇場のオペラ『ユディト』、ロサンゼルス発、The Industryのオペラ『Sweet Land』につづいて、3月中旬から4月にかけて視聴したオンライン・コンテンツの中から、印象深かったものを以下に紹介。
ドイツ・グラモフォン、世界ピアノ・デー10人のピアニスト
ドイツ・グラモフォンというレコードレーベルが、3月28日の世界ピアノ・デーのイベントして、インターネットでバーチャル音楽祭を開催した。コロナウィルスの影響下ということで、選ばれた10人のピアニストは、それぞれ自宅で高解像度のスマートフォンをつかって、自身の演奏風景を撮影していた。ライブ放送されたのち、少しの期間、3時間あまりのフル映像が公開されていたが、現在はハイライトのみ。
World Piano Day – Global Livestream Highlights | Deutsche Grammophon
ひょっとしたらグラモフォンの影響もあってか、その後、演奏家のスマホ撮影によるライブ・ストリーミングが、日本も含めてたくさん出てきた。わたしがピアノ・デーを見たときは、まだあまりなかったので、とても驚いたのだけれど。
グラモフォンのライブは、ピアニスト一人あたり20分程度で、最初にメッセージがあり、それから演奏というスタイルだった。中には演奏する曲について解説しながら弾く人もいて、それもとてもよかった。最初が最近引退したばかりのポルトガルのマリア・ジョアン・ピレシュ。昔NHKのピアノレッスン番組で先生をしていたこともあり、またピアニストとして人気の高い人でもある。メッセージの詳細はよく覚えていないけれど、今の状況をどのように受け止めているか静かに語る姿には、彼女の誠実さがよく現れていて胸打たれた。そしてこれから演奏するベートーヴェンの悲愴ソナタについて、ベートーヴェンの人生が苦難の道であったことを語り、いまこのとき演奏するのにふさわしい曲だと言っていた。そのような語りを聞いて、それから演奏を聞くというのは、そして世界が共有している今の状況下では、通常聞くのとはまた違う体験になった。
演奏というのはただ歌うだけではない。語るものでもあるのだ。
ピレシュの次はアイスランドのピアニスト、ヴィキングル・オラフソンという人だった。「まだこの家に越してきたばかりで」と包装を解いてない荷物を指差し、大きな窓から明るい光が差し込む部屋でピアノを弾いた。わたしにとっては未知の人で、調べたところ1984年生まれの36歳。最初に一番好きだというバッハを弾き、それからバッハと同時代のラモーを弾いた。こう書くとバロックを弾く人かと思うかもしれないが、そうではなく、フィリップ・グラスやドビュッシーをこういった作曲家と同じアルバムに収録している。そしてなにより、この人が弾くと現代の曲のようにも聞こえる。作曲もする人のようで、アルバムを綿密に構成することは、作曲に近い作業だというようなことも語っていた。ピアノを弾いては曲について語る姿は、音楽への愛にあふれ、印象深かった。
元々知っている人としては、2015年のショパン国際ピアノコンクールで優勝したチョ・ソンジンがいた。久々に見る彼は少し大人っぽくなっていて、でも日本人と同様、メッセージを語るのはあまり得意ではなさそうで、簡単なあいつさつ程度で演奏にうつった。自宅のピアノ室のようで(多くの人がそうなのだが)、グランドピアノの上に白いカバーがかけてあり、壁面の書棚には楽譜や本がつまっていた。こんな風にピアニストの自宅を見ることなどないことで、またそこで演奏する姿というのも初めて見るもので、興味津々だった。
同じ自宅といってもスケールの違う人がいた。7番目に登場したキット・アームストロングは1992年生まれの28歳。スマートフォンを覗きこみながら自己紹介する姿は、普通の若者と変わりがない。しかし「ここが居間なんです」と言っていた場所は、どう見ても普通の家じゃない。天井が高く、太い柱に天井画、彫刻、これは教会ではないのか? と思っていたらその通りだった。フランス北部にあるカトリック教会で、2012年、アームストロングが20歳のとき購入し、コンサートホールにしたという。アームストロングも、わたしにとって未知の人だった。ピアニストであり作曲家でもあり、ごく小さな頃から曲を書いていたようだ。Wikipediaによると数学や物理学にも興味があり、音楽と同時進行で勉強してきたとか。生まれはアメリカで、両親の一方は台湾人、とアジア人の血をひく。というか見た目はアジア人の容貌だ。しかしフランス語も堪能で、英語をしゃべっているとき、フランス訛りがあるように感じられるほど。この人もオラフソン同様、ピアノを弾きながら、落ち着いた声で、楽しそうに、1曲ずつ曲の解説をしていた。
一番最後に弾いたダニール・トリフォノフ、スマートフォンに向かって自己紹介する姿は、(おそらく意図して)マスクと手袋着用。教会のようなところで、非常に離れたところにスマートフォンを置き、マスク姿でピアノを弾いていた。顔などはほとんど見えず。カメラは据え置きのまま、ピアノを引き続けた。このプロジェクトはハッシュタグにWorld Piano Dayとともに、StayAtHomeが掲げられていて、トリフォノフはそのアピールをしていたのかもしれない。
この3時間あまりの10人のピアノ演奏が感動的に映ったのには、いくつかの理由があると思う。一つは「いま」という地球レベルで起きている事態の深刻性を、演奏者と不特定多数の聴衆が共有していること。誰にとっても同じように感染のリスクがある、という共通認識をすべての人が分かち合っている、そして自分にできることをしたいと思っている。そのことを共有しながら、音楽を通してつながっている。もう一つは、プロの高いレベルのピアニストたちが、自宅にいることを推奨し、自分も自分の家を出ることなく、自分の家のリビングルームや練習室で手持ちの設備(スマートフォン)をつかって撮影、録音していること。ピアノの演奏には、その人の人間性が現れるものだが、その人の生活までがここではあらわになっている。たとえばアイスランドという北の果てに住むオラフソンは、温かそうな厚手のカーディガンを着て、リラックスした表情でピアノに向かっていた。そういう身近さを、この非常事態の中で触れることは特別の印象を残すように思う。
10人のピアニスト、中でも未知の人の演奏を聴き、話を聞き、とする中で、心惹かれる演奏家と出会えたことは貴重な体験に思えた。
その他の印象深かったプログラム
前回の原稿を書いたあとにも、引きつづきいろいろな作品を見て、聞いてまわっている。それらの話を少しずつしたい。
クラシック音楽は一部の数少ないファンが聞くもの、と思われている節がある。日本でこの時期にネットで流していたオーケストラには、それを払拭しようという意図があったのかもしれない。もっと普通の人、多くの人が楽しめるものを、と。東京都交響楽団は、「春休みの贈り物」と題して<癒やしの音楽><みんなで歌おう>というコンテンツをやっていた。アニメの名曲やスメタナの「モルダウ」などが並ぶ。新日フィルはたくさんのメンバーが、自宅で演奏することで一つの曲を合奏していた。同様のアイディアとして、東京混声合唱団がやはりそれぞれの自宅から、リモートアクセスによる合唱のビデオを流していた。また坂本龍一は自身の音楽プロジェクトCommonsで、過去のヨーロッパツアーなどのコンサートの映像を、ライブと期間限定のアーカイブで無料提供している。
わたし自身のことを言うと、クラシックや近現代の音楽は聞くものの、管弦楽曲は普段あまり聞いていない。だからオーケストラについてよく知らないし、楽曲についても同様。またクラシックを聞くといっても、(誰にとってもそうかもしれないが)あらゆるジャンルを網羅しているわけではない。ごく狭い範囲、ピアノ曲、チェロやバイオリンの曲といったものが中心だったりする。ときにギターやアコーディオン、リコーダーやコントラバスーンの曲を聞いて面白く感じたとしてもだ。今回のコンサートホール閉鎖の影響下で、ヨーロッパやアメリカの劇場などがコンサート映像を配信したことにより、わたしはオペラを初体験した。このことがきっかけで、もっといろいろ見てみようという気になっている。
ベルリン・フィルのバルトーク
オペラ以外にも普段聞くことのない管弦楽曲を聞く、という体験もしている。「きっと未来につながる、ライブストリーミングの活況(1)」でも最初に紹介したベルリン・フィルは、引き続き日々アクセスしている。ここでバルトークの『管弦楽のための協奏曲』をサイモン・ラトルの指揮で聴いた。演奏の前に、ラトルによる解説(11分も!)がありそれがとても良かったこと、また楽曲自体、バイエルン州立歌劇場のオペラ『ユディト』のプロローグで聴いてとても好きになった、ということもあった。ラトルの話は非常に興味深いものがあり、それは先日見た『ユディト』のさらなる理解につながった。
人々の団結を弾くコンラッド・タオ
まったく未知の音楽家に出会うことの多いこの時期。コンラッド・タオはニューヨーク市在住のピアニストで作曲家。自宅の練習室からFacebookを通じてライブ演奏をしていた。グランドピアノのまわりをきれいにライトアップし、来てくれてありがとう、と挨拶したのちに、まず大好きなバッハの曲をと言って短い曲を弾いた(若い演奏家でこの時期バッハを選ぶ人がなんと多いことか)。それからカメラ(スマートフォン)に向かっていろいろな話をし、次に演奏したのはフレデリック・ジェフスキー作曲の《「不屈の民」変奏曲》。この曲の原題は「団結した民衆は決して敗れることはない 」というもので、チリの革命歌「不屈の民」をテーマにした36の変奏からなるピアノ曲。タオは最初にiPadをピアノの譜面台に置いて、この元歌(人々が合唱している)を流し、それから演奏に入った。このメロディは聴いたことがある、よく知られた歌なのだ。タオはこの時期にふさわしい曲として、人々の団結をうたったこの作品を選び、演奏したのだと思う。
イースターのミサのライブ
4月12日の日曜日は、キリスト教の祝祭日イースターだった。この時期、ヨーロッパやアメリカの教会はどうしているのだろう、と思い探していたらミサをライブで流しているところがいくつか見つかった。セント・パトリック大聖堂(ニューヨーク、マンハッタン)で金曜日のミサの録画映像を見てみた。確か2時間近いビデオだったと思う。天井の高い美しい礼拝堂に司祭が数人いて、祈りの言葉を述べたり、聖歌を歌ったりしていた。歌う人は一人で、歌になると常にその人が歌っていた。朗々とした声の持ち主で、きっと歌をうたう司祭なのだろう。ミサの様子を見ていて、これは宗教儀式なのだけれど、どこかオペラなどの舞台芸術に近い印象だなと思った。舞台芸術のはじまりは、宗教儀式にあるのだろうか。
宗教関係の儀式でいうと、もう一つ、ライプツィヒの聖トーマス教会の『ヨハネ受難曲』の演奏があった。こちらも内装の素晴らしい教会で、まずその大きさや美しさに圧倒される。ここはバッハが音楽行事をつかさどっていた教会で、就任期間にたくさんのカンタータを作曲、演奏していたらしい。有名な『マタイ受難曲』もここで初演された。ビデオでは『ヨハネ受難曲』(91分)が流され、それは総勢たった7人による演奏だった。ソプラノ、アルト、テノール、バス、指揮者、オルガン、チェロの7人が、少し距離を置いて立ち、演奏していた。もちろん礼拝者はいない、ガランとした礼拝堂だ。しかしこの時期、タイミングということもあり、宗教曲を普段聞かない者にとっても、バッハの音楽は心に響くものがあった。
独仏のテレビ局アルテの連続ライブ
Arte.tvというところでは、Hope@Homeというプログラムを見た。バイオリン奏者のダニエル・ホープが自宅のリビングルームに友人などゲスト演奏者を招いて、この「文化的な分離」と「シャットダウン」を受けて、「難局に対処するため」のコンサートを開くというもの。3月26日にepsode 1が公開され、4月15日の時点でepisode 19までいっていた。このアルテというテレビ局を調べてみたところ、独仏共同出資の局のようだった。コンテンツは色々で、オペラのところを見ると、プッチーニの『トスカ』をやっていた。英語字幕付きで見れるようだった。
アルテにはクラシックだけでなく、ポップスやジャズなど様々なジャンルのプログラムがアップされている。グルックのオペラ『オルフェオとエウリディーチェ』は字幕が英語ではなかったため、ざっと見ただけだったが、有名な「精霊の踊り」がどのような場面で演奏されるか見ることができた。そういえばオペラ『ジョコンダ』をどこかのサイトで覗いていたとき、バレエとして有名な「時の踊り」を見ることができた。この曲と踊りは子どもの頃からよく知っているものだったので、こんなところで出会えるとは、という感じだった。単独のバレエ作品としてしか知らなかったので。
オランダ国立バレエとオペラ
バレエでは、オランダ国立バレエがこの時期に合わせて、週替りで作品を見せていた。わたしは第1週の『ドン・キホーテ』と第2週の『くるみ割り人形』をほぼフルバージョンで見た。『ドン・キホーテ』は部分的にしか知らなかったので、全編を見ることができてよかった。『くるみ割り人形』の方はよく知っているので、つまみ食い程度にと思って見はじめたのだけれど、第1幕から子どもたちがたくさん登場して、それに惹かれてそのまま見つづけてしまった。こんなにたくさんん子どものダンサーが出ている『くるみ割り人形』は初めて見た。女の子も男の子もたくさん登場して、元気に踊っていた。この演目はよく知られたもので、わざわざ見るかどうか迷うところだが、子どものダンサーがたくさん登場するという演出は、舞台に活気を与え成功していたと思う。そのあと『眠りの森の美女』『コッペリア』『白鳥の湖(ハイライト)』とつづくようだ(それぞれ1週間の上演)。
またオランダ国立バレエは、レッスンビデオをつくっていて、この時期にレッスンに通えないダンサーたちは、自宅のキッチンテーブルなどを利用しての練習に役立ててください、とバーレッスンの映像を流している。ピアニストと講師の二人で30分くらいのものだった。
オランダ国立のオペラの方もストリーミングで作品を流している。4月21日の時点でプッチーニ『トスカ』をやっている。英語字幕があるし、よく知られた作品なので見てもいいかな、とは思っている。アメリカのオペラ好きの友人から、スタンダードなものも見たらどうかとアドバイスされている。これまで見た2本はスタンダードではないので。『トスカ』は多分スタンダードだと思う。そのあと5月に入ると、アルバン・ベルク『ヴォツェック』を流すとのことで、これはちょっと興味がある。現代音楽の作曲家ベルクの作品で、1925年に初演、当時前衛作品だったとか。今見たらどうなんだろう、という興味。
スカラ座の現代オペラ作品
RaiPlayというサイトでは、ミラノのスカラ座で2018年に上演された、ジェルジュ・クルターグの初のオペラ作品『勝負の終わり』(2018年、台本:サミュエル・ベケット)の映像を流していた。RaiPlayはイタリアのマルチメディアのポータルサイト。クルターグは今年94歳になるハンガリーの作曲家。この作品のことは以前から知っていたけれど、まさかネットで見られる日が来るとは思ってなかった。
トーク・ライブも活況
最後に紹介するのは音楽の演奏やバレエではなく、ライブでの対談。Zoomなどを使ったこのようなコンテツは、今あちこちで見かける。ときにポッドキャストをつかった音声だけのものもある。わたしが面白いと思ったのは作曲家の藤倉大と指揮者の山田和樹の連続対談のシリーズ。毎週月曜日の午後10時からライブでやっている。ロンドンの藤倉とベルリンの山田が、YouTubeによるトークのストリーミングを流している。藤倉大は少しだけ知っていたが、山田和樹は未知の人。この二人は「大ちゃん」「和樹くん」と呼び合うような、これまでに仕事も一緒にしたことがある、仲のいい音楽友だちみたいだった。話の内容は音楽に限らないのだけれど、どの話も音楽につながっている印象を受けた。「和樹くんはテクノロジー音痴」「大ちゃんは古典音楽音痴」みたいなところがあって、その周辺で笑えるところが結構あった。ただし、内輪話、裏話という感じではなく、二人を知らない人が見ていても、なぜか面白い対談になっていた。二人とも好奇心旺盛なところがあって、そこが人を惹きつけているのかもしれない。
とここまで、前回の(1)も含めて3月、4月に経験し、印象的だったライブ・ストリーミングを紹介してみた。この先、地域によってはロックダウンや外出規制が少しずつ解けてくる可能性はあるが、地球規模での警戒解除までには時間がかかりそうだ。その間、引き続き、劇場やカンパニー、演奏家などの個人がライブ・ストリーミングによる活動をつづけていくのではないか。そしてこのバーチャル・シアターというフォーマットは、世界が完全に安全になったとしても、残っていく、あるいはもっといろいろな形で発展していくのかもしれない。
ネットワーク社会というものが、思わぬ厄災によって急に進行したことは、ある意味興味深い。インフラも含めた設備・環境や人間の対応力も基礎はすでにできている。日本のような現金&ハンコ文化が根強い旧型の国でも、今後少しずつ変わっていく可能性がある。今回のことで思ったのは、インフラやスキル、対応力も大事だけれど、バーチャルな社会やその方法論に対して、心理的な面で違和感やギャップを減らしていくことが大きなポイントになるのかなと。未来はきっと、リアルとバーチャルを組み合わせることの中に、新しい方法論や可能性を見つけていくのではないかと思っている。