20140922

わたしのMOOC(ムーク)体験記<2>(6月~9月/ビートルズの音楽)

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6月にこのジャーナルでコーセラで授業を受けた体験について書いた。バークリー音楽大学のSongwritingの授業だった。その後、またいくつかの授業を受けているので、ムークをさらに知ってもらうため、それについて記したいと思う。(ムークとはインターネット上で、誰もが、公開されている大学の講義を受けられる無料の学習システムのこと。コーセラはその一つ)

まず6月から3ヶ月間、ロチェスター大学のThe Music of the Beatles(ビートルズの音楽)を、7月から3ヶ月間、バークリー音楽大学のDeveloping Your Musicianship(音楽家としての能力を延ばす)を受講した。ここまでのところ、すべて音楽に関する講座ばかりだ。確か、Songwritingの授業を受けているとき、メールで来るコーセラの案内インフォメーションの中に、この二つの講座があったのがきっかけだったと思う。

コーセラでは、メールによる案内インフォメーションが効果的に使われている。新しい講座の案内だけでなく、受けている授業の教授からも、毎週、受講生にさまざまなインフォメーションやお誘いがやって来る。人によって違うけれど、多くはフレンドリーでカジュアルな口調の、先生から生徒への手紙のスタイル。もちろん同胞メールではあるが、そうやって教授から今週はこんなことをポイントに授業を進めますよ、こんな参考書がありますよ、ここで面白いビデオが見られますよ、ライブでトークをしますよ、などの情報を受け取るのは悪くない気分だ。そうやって向こうから常に、こちらがやる気になるよう、授業に興味がもてるようプッシュをしてくる。

コヴァチ教授の「ビートルズの音楽」は、なかなかためになる授業だった。ビートルズの音楽は昔かなり聴いたけれど(特に初期のもの)、音楽として分析したり、楽曲が音楽界に与えた影響を知ったり、音楽ビジネスの側面からビートルズを考えたことはなく、彼らの音楽そのものももうずっと耳では聴いていない(聴く気がしない)。しかし過去に耳で聴いて心を奪われたものを、冷静に分析して改めて考えてみるのは面白そうだと思った。

授業がスタートする前に、この講座の案内ページを一覧していたら、お薦めの参考図書がいくつか上がっていて、そのうちの一つを購入した。The Beatles as Musicians(音楽家としてのビートルズ)という本で、ソフトカバーながら大判で450頁もある分厚い本だった(しかもこれは前期編で、同じボリュームの後期編もある)。オックスフォード大学出版のものだが、著者はウォルター・エヴェレットというアメリカ人の音楽学者(専門:ポピュラーミュージック)。この本は一方で非常に学究的、資料的で、論じている楽曲の楽譜をそのつど載せたり、ツアーを行った全会場(リバプールからアメリカ、アジアに至るまで)を仔細に地図化したり、補足資料として使用楽器、用語説明、和声の基礎知識、索引と余すところなくビートルズの音楽が理解できるような構成になっているが、興味深いエピソードが書かれていたり、一般の音楽ファン(ビートルズファン)も想定内の「読んで楽しめる本」にもなっている。

そもそも大学(この場合はロチェスター大学)で、ビートルズの音楽についての研究や授業があること自体、意外な気がしたが、上記の本を見てもわかるように、ポピュラーミュージックは学問として、立派な研究対象になっているのだ。しかも、コヴァチ教授はアメリカ人(もちろんビートルズの音楽は、イギリスの音楽というよりグローバルなものだとは思うが)。

コヴァチ教授の授業は、ビートルズ誕生のところから始まり、年代を追って進んでいく。リバプールという港町に住んでいた十代の少年、ポールとジョンが出会い、互いの家を行き来して、音楽をともに演奏し作るようになった。安物のギターにわずかなコード知識、ギターテクニックで、二人の音楽活動は始まった。当時リバプールには米軍の基地があり、ラジオを通してアメリカのR&Bなど黒人音楽を聴くことができた。それに二人ははまっていた。それを自分たちの音楽の基本にした。才能ある少年が二人もリバプールに住んでいたことは驚きだが、米軍がそこにあった偶然も見逃せない。後にビートルズの音楽はアメリカ全土を熱狂の渦に巻き込むが、それはアメリカの黒人音楽をルーツとするものの逆輸入だった、という事実。(当時、アメリカの白人は、R&Bをどれくらい聞き、自分たちの音楽として支持していたのか、という社会的側面に目がいく)

コヴァチ教授は、ギターリストあるいはバンドマンでもあるようで、スタンドカラーのおしゃれなシャツに、前から見ると普通だが実は後ろ髪を束ねている、古き時代のロックンローラーっぽい人。おそらく50代か。アメリカにビートルズの映画(ヤァ!ヤァ!ヤァ!)がやって来たときまだ子どもで、祖母といっしょに見に行った、というエピソードを話していた。映画なのに、ティーンエイジャーたちが立ち上がって大騒ぎし、悲鳴をあげていたので、祖母が「見えないから座って、座って」と注意していた、と面白そうに語っていた。

コヴァチ教授は、けっこうな早口で、たくさん言うことがあるのを15分くらいのビデオに、なんとか収めようとしているみたいなしゃべりで、聞きとれないことも少なくない。そういうときは、あとでテキストをダウンロードして読んで確認する。それで大抵は解決する。それは一つには、論じている内容(固有名詞や話のコンテクスト)をこちらがある程度知っていて、予測しながら授業を聞いているからだ。ビデオレクチャーにはいくつかの機能があって、たとえば×0.75のスピードでビデオを見ることもできる。そうするとかなりスピードダウンして聞き取りやすくなる。0.75倍だとそれほど不自然ではなく聞ける。しかし全体としては、特に言葉の間やつまったところなどが、まどろっこしく感じられもする。あと字幕という設定があることに、あるとき気づいた。デフォルトは字幕なしだが、英語の字幕を見ながら聞くこともできる。授業によっては中国語やその他の言語が選べるものもある(これはボランティアの翻訳者が協力しているのではないか)。英語の字幕は、音声認識の仕組をつかったもので、音を文字化しているだけなので、時々「不明な音」などと出てきたりもするし、話者が「えー、えー、えー」などと言葉につまれば、そのまま字幕として出てくる。しかし英語においては9割がた使えるシステムだと思う。

コーセラの授業は、どの科目も、世界各地から生徒が集まって参加している。授業に登録すると、自分の住んでいる地域に自分の名前をマッピングするように、という案内があったりする。アメリカはもちろん、中南米、ヨーロッパ、アフリカ、中東、アジアと地球上のあらゆるところに受講者がいるのが、マップを見るとわかる。それは指導教授をも喜ばせ、さらにいい授業をしようというモチベーションにもつながっているようだ。マップでも、ディスカッションフォーラム(生徒同士が、授業内容について書いたり質問したりし合っているボード・ページ。コーセラではこれが盛んで、教授も閲覧しているようで、生徒に利用をすすめている)でも、中国人はどの授業にも必ずいて、とても熱心に見える。日本にも少数だが受講者はいるようだ。

ビートルズの講座を受けているとき、ペルーの生徒が、講座を聞きながらいつも、話にあがったビートルズの楽曲をネットを利用して聴きまくっているよ、とても楽しい、という発言があり、わたしも同じだったので、「わたしも!十代のときにすごく聴いていました」と書いたら、フィンランドの女性が、「あら、わたしも。あー、年がわかっちゃうかしらぁ」と返してきておかしかった。受講生の年齢の巾もかなり広そうだ。

20140908

ブラジルW杯でわかった日本のこと

今年の6月中旬から7月にかけての1ヶ月間、ブラジルでサッカーのワールドカップがあった。4年前の南アフリカ大会のときは、全試合を見てその記録をつけ、「2010年南アフリカの小宇宙」というタイトルで観戦記を葉っぱのサイトに掲載した。今回はスカイパーフェクTVが放映権をとらず、NHKと民放が分け合って放送をすることになっていたこともあり、特別の準備もなく、見れたら見ようくらいの気軽さで開会を待っていた。

ブラジルと日本の時差はちょうど12時間。夜7時からの試合なら、こちらの朝7時と、比較的見やすい時間帯に試合があった。いざ開幕して見始めると、やはり面白い試合が多く、なんだかんだでほぼ全試合見てしまうことになった。いくつかは生で見たが、ほとんどの試合は録画で見た。それは生で7時からの試合を見ると、その前に行なわれた3時とか5時の試合結果を、実況がしゃべってしまうことがあるからだ。結果を知らずに見た方が、サッカーはずっと面白い。

大会2日目に、前回の決勝戦で対戦したスペインとオランダの試合があった。グループリーグのうちにこんな顔合わせがあるとは、と期待をもって見た。前大会王者のスペインが強いのはわかっていたけれど、オランダチームが今どうなのか、予想がつかなかった。前線にファンペルシー、ロッベンという強力なスコアラーがいるけれど、果たしてどうなのかなあ、と。結果は1−5でオランダの圧勝だった。試合が始まってすぐに、解説者の元日本代表ゴールキーパー小島さんが、おや、オランダは5バックのように見えますねー、と言った。強いスペインに対して、最後尾の守備を通常の4人ではなく5人置いている、と言うのだ。ちょっと驚いたと同時に、これは何か起きそうという予感がした。

オランダはサッカーの先進国で元々強い国、前大会も準優勝だ。そのオランダが超守備的な布陣、リアクションサッカーで準備してきた。あとから聞いた話では、グループリーグの組み合わせが決まってからオランダの監督は、このスペイン戦のみに照準を合わせて練習してきたという。ゾクゾク、ザワザワだ。どの時点だったか忘れたが、ワールドカップ中にこの監督が今シーズン、イングランドのマンチェスター・ユナイテッドの監督に就任することが決まった。ユナイテッドと言えば、欧州でも高いレベルと様々な優勝歴をもつ、そして全世界でファンが多いとされるチーム。しかし昨シーズンは監督が変わったせいもあり、7位という考えられない順位で終わっていた。その救世主として、大会後のオランダ代表監督就任が決まった。

スペイン戦は、監督への興味もあって、大注目の一戦となった。そして1−5の結果である。オランダ代表監督のイメージはググッッーと上がった。オランダがスペインという強者に対して、5バックで戦おうとしているとわかったとき、なぜか日本代表のことが思い浮かんだ。やばいんじゃないか。日本の選手たちもそう思ってはいないだろうか。オランダが5バックで試合にのぞんでいる、と見てワールドカップを戦う厳しさ、リアル感がグッと増したのだ。強者オランダですら、相当厳しい覚悟でブラジルにやって来ている。

日本代表はどうか。大会が近づくにつれ繰り返し選手や監督が言っていたのは、「相手に合わせるのではなく、自分たちのスタイルをつらぬいて攻撃サッカーをする」というものだった。「目標は優勝」という言葉も、何人かの中心選手の口から出ていた。メディアもそれに対して批判や質問はなく、言ったことを受け入れていた。しかし大会2日目スペイン、オランダ戦を目の前にして、戦いの厳しさをリアルに察知した瞬間、日本代表マズイ、とわたしは思った。

マズイと言っても、別に日本代表のファンではないので、困ったとか心配とかそういうことではない。ただ良くないことになるのでは?と思ったのだ。そもそもわたしには日本のチームが強いのか弱いのか、よくわからなかった。メディアなどが揃って口にするのは、ヨーロッパのリーグで「ビッグクラブ」に在籍する選手が何人もいるし、中堅やそれ以下のチームにも選手はたくさん行っている、4年前よりずっと強くなっていることは確かだと。

ただその「ビッグクラブに所属」ということに関しては、それほど評価していなかった。確かに名前は知られているかもしれないが、そのリーグ自体が落ち目だったり、さらにはそのリーグの中で成績が悪く、ヨーロッパの強豪が出場するカップ戦への出場資格もなかったりするチーム、それは名ばかりの「ビッグクラブ」だ。そんなチームだから、ピークを過ぎた年をとった選手やまだ名のない若手が多かったりする。そんな中でプレイする「ビッグクラブ所属」の日本人プレイヤー。それほど期待していいのだろうか。

4年前の南アフリカ大会のときは、日本代表は直前の親善試合で負けつづけ、開会前に当時の監督がチーム戦略を白紙にもどし、まったく違う戦い方をする決断をした。4年間「攻撃サッカー」をやってきて、最終的に守備的なリトリートサッカーに変えたのだ。しかし入ったグループの運もあって、理想のスタイルとはほど遠い、自陣にさがって打ち込まれたボールを跳ね返すサッカーで、自国開催大会以来はじめて、グループリーグを勝ち抜き決勝トーナメントに進んだ。自分たちが弱者であることを認識し、徹底した対応策で勝負をかけた。

その4年前の2006年ドイツ大会では、ブラジルの「サッカーの神様」ジーコを監督に迎え、中田選手など(日本の)スター選手を先頭に意気揚々とドイツに向かったものの、まさかの1分2敗、グループリーグ最下位で言葉も出ない大落胆に日本のファンは陥った。今大会も「ヨーロッパのトップクラブでも監督経験のある」イタリア人の指揮官がいて、「ビッグクラブ所属」の日本人(スター)選手を揃え、意気揚々とブラジルに向かった、はずである。自分たちが弱者であるとは認識せず、相手がどこであれ恐いものなし(の気分で)、自分たちのサッカーをつらぬく方針で試合にのぞんだ。

結果はドイツ大会と同じ、まさかの1分2敗、グループリーグ最下位。裏付けのない自信と「優勝する!」と鼻息だけは荒かったけれど、現実に対する認識はほとんどなかったように見える。ある選手は大会後に、監督からスカウティング(対戦相手の検証)の情報はほとんどなかった、と言っていた。そんなサッカーをするチームが、2014年の今、世界中さがして、しかもワールドカップの舞台で、あり得るのだろうか?とかなり驚いた。全32チーム中29位、それが日本の成績だ。「ヨーロッパの名将」と持ち上げられていたイタリア人指揮官は、大会後、代表監督の経験がなく、「ワールドカップには役不足」のような言われ方をしていた。そんなー、代表経験がないのは4年前の就任時からわかっていたはず。なぜ今になってそんなことを言うのだろう。

つい1週間前、日本人選手の中でいちばんの出世頭、香川選手がマンチェスター・ユナイテッドを去り、ドイツの元いたクラブに帰ったというニュースがあった。ユナイテッドは前にも書いたように、今大会で名を上げたオランダ代表監督が、W杯大会後就任したクラブ。香川選手はこのクラブに来て3年目を迎えようとしていた。しかし前シーズン、当時の監督から認められず、試合にあまり出ることができなかった。クラブの成績が悪かったことから、シーズン終盤に監督は解任された。日本の報道やサッカー批評では、香川選手が起用されないこともあって、その監督への風当たりは強く、誰もが辛辣な批判をしていた。監督の力不足と香川選手に対する扱いの不満がごちゃまぜになっていた。香川選手はあんなにいい選手なのに、無能監督のせいで使われず、チームの成績もどん底、と。

そして迎えた戦略家と言われる元オランダ代表監督。ところがその監督にも香川選手は認められず、起用が少ないと思っていたら、戦力外として放出された。日本のメディアは「優しい」から、戦力外放出とは日本人選手に対しては書かない。サッカー評論家たちも(杉山茂樹など少数を除いて)、決して「やはり本人の力不足だったか」とは言わない。正面きって、代表チームや選手を評することがないのだ。「ビッグクラブに入った」と言っては舞い上がり、何もなしていないうちから大騒ぎし、どれだけ優れた選手かの持論を書き連ね、ハットトリック(1試合中に三つのゴールをすること)でもすれば、世界制覇でもしたような盛り上がりで新聞で図解入りで大きく取り上げ、欠点弱点にはあまり目を向けない。そして放出など避けられない結果が出ると、がっかりして事実関係だけ記して口を閉ざす。

うーん、この一連の特徴ある行動パターンをなんと評したらいいのだろう。サッカーだけならまだ罪は軽いかもしれないけど、このような行動様式で外交とか戦争とかすれば、すごくよくないことが起きる気がする。