20120319

地震直後の新聞記事を読み返して

去年の3月の地震直後の新聞記事がいくつか、パソコンにスキャンして保存してあった。原発の専門家や地元に原子力発電所をもつ県知事、福島の避難区域内の市長などのオピニオン記事で、当時気になったものを選んでおいてあったものだ。

まとめて読み返してみて感じたのは、原発事故の直後、最中という状況下にあるせいか、どの人もかなり率直に意見を述べているということだ。そして中心となる論点には、いくつかの共通性があった。原発事故に対する安全性が確保できていなかった理由も、事故後の対処が遅れて被害を甚大なものにしてしまったのも、大きくは、組織の、つまりは日本社会の仕組上の欠点にあったということだ。

その「仕組上の欠点」としてやり玉に上げられていた原子力安全・保安院は、この3月で廃止となる。これまで経済産業省の傘下にあったため、充分に役割を果たせなかったことから、4月より新たな規制機関として環境省へ移行するそうだ。つまり原発を推進している経済産業省の元にあって、原発を規制、監督しなければならない機関が任務を果たすのは難しいということだ。どうしてそんな組織づくりが行なわれていたのか、と考えると、それは監視機関を機能させない方法論だったのではないか、という疑いも出てくる。もし仮に意図したものでなかったなら、それはそれで、日本の組織づくりのあまりの非合理性とレベルの低さに驚くしかない。

2001年に中央省庁の再編があった際、原発規制は、安全行政の多くを担っていた旧科学技術庁の手を離れ、原発を推進する経産省に移行させる、という仕組が出来上がったと言う。吉岡斉九州大副学長によると、日本の原子力発電事業の特徴は、政府のサポートが他国に比べて非情に強いことだと言う。所轄官庁と電力業界がほとんど一体である、とも。だから日本の経済の動向にかかわらず、経産省(当時の通産省)の強力な指導で原発が増え続けた。原発は燃料費は火力より安いが、設置コストが高く、安全対策のコストまで含めれば経営リスクがかなり高いので、政府の原発推進やサポートがなければ、ここまで増えていなかった可能性がある。日本の原発の発達は、民主主義や市場論理の元に進行したのではなく、自民党政府から続く国の政策の結果なのだ。確かに選挙は公正に行なわれているのだろうけれど、民が主にあるとは思えない成りゆきだ。

原発事故後に、自民党議員がテレビや新聞で発言するところを何回か見たが、事故の責任の多くは自民党政権時代からのものであるにもかかわらず、人ごとのような態度に徹しているところが不可解だった。もしあの場面で、現政権を非難するのではなく、自らの責任に目を向ける態度があったなら、自民党という野党政権への国民の見方は少しは変わったかもしれない。過去に犯した自らの過ちを認識、表明しない政治集団に、どうやって未来を託せるだろう。政治家というのは国民や世の中がつくづく見えていないのだなあ、と感じた瞬間だった。

原発事故を起こさないための真に有効で合理的な仕組が、日本社会に根本的になかったことは悲惨としか言いようがないし、安全性より経済優先という、ある意味明確な国の意図の元にそれが行なわれていたことは、心を暗くさせる。それに加えて、事故が起きた後の国の対処についても、地震直後の新聞記事を見るとかなり驚かされるものがある。原発をもつ県の知事らの発言からいくつか引用してみたい。

(福島の隣県である)新潟県知事・泉田裕彦氏<2011年3月24日朝日新聞より>:当初、何よりも困ったのは、福島県内のモニタリングポストのデータがまったく入ってこなかったことです。原発にトラブルがあった場合、真っ先にほしい情報なのに、「データがばらついている」「出すかどうかは国の原子力災害対策本部で決定する」というばかり。東京電力からもまったくデータが来ない。完全に目隠しされた状況の中で、手探りの対応を求められました。(中略)2004年10月、中越地震発生直後に知事に就任しました。災害時に情報を迅速に出す必要性を痛感したのは、その時の経験からです。(中略)07年7月の中越沖地震では、柏崎刈羽の変電器で火災が起こり、少量の放射線漏れも起きました。地震の影響で、原発と県庁とのホットラインも通じなくなった。(中略)原発についての情報が自動的に出てくるような仕組みをつくらなければいけないと、強く感じました。(中略)福島第一の場合は現場から全然情報が出ない。しかも記者会見を官邸、原子力安全・保安院、東電が別々にやっている。なぜ現場の福島で情報を出せないのか。(中略)新潟県のように、情報をそのまま迅速に出すという体制にすれば、政治判断が入り込む余地がなくなる。それを全国に徹底すべきです。まず情報を出し、その上で対策を考えるというかたちにすべきだと思います。

静岡県知事・川勝平太氏<2011年3月24日朝日新聞より>:今回の地震が起きた時、一番知りたかったのは、福島原発の揺れの数値です。静岡県には中部電力浜岡原発があります。(中略)09年8月11日の駿河湾沖地震では、浜岡原発の5号機だけが426ガルと、他号機の倍以上も揺れました。我々は原因を検証しています。地震による原発の揺れには特に関心が高いのです。ところが、保安院も東電も、揺れのデータをほとんど出さない。福島第一原発3号機は507ガル、6号機は431ガルという以外、明らかにされていません。1号機、2号機、4号機、5号機の数量がなぜ公表されないのか。

原発から20〜30キロ圏にある福島県南相馬市長・桜井勝延氏<2011年3月25日朝日新聞より>:一番望みたいのは、東電も国も県も今、何が起きているのかを我々が瞬時に判断できるような情報を送り続けていただきたい。原発の事故はテレビで知りました。東電だけでなく、国や県から何の情報もなかった。同時に、我々の現場で何が起きているかを職員を張り付かせて発信し、対応策を決めてほしい。それが最低限の責任のとり方だと思います。

原発事故後に必要な情報やデータが、必要とされている場所にほとんど発信されなかった。ここにも日本社会のもつ仕組上の問題が見受けられる。技術上の問題ではない、思想の問題だと思う。新潟県知事の言うように、原発事故のような一刻を争う情報については、人の判断を介さないデータの発信が必要なのかもしれない。不揃いで欠陥のあるデータ、何らかの「判断」で出し渋られた情報は、不安や恐怖を増長させる。知らされていない、知らされていないのではという疑いは、現実を知って陥る恐怖より深いのではないか。それは知らされないことで、自分自身が判断したり考えたりすることを封じられるからだ。そのように、自分の頭で考えたり判断したりするな、と国は国民に言っているように見える。現代において、それは最大のホラーかもしれない。一種の独裁政治ともとれる。

原発事故の解析や安全性研究が専門の田辺文也氏は、今回の事故について二つの衝撃があったと言う。福島で最初の数日間に起きたことは『まさに「想定内」の物理プロセスだった。それなのに、正確な認識も的確な対処もできなかった。』 また『この時点ですでに炉心溶解していたことは明らか。気付いていた人も大勢いたはずだ。事態はどんどん悪化しているのに、テレビでは大学教授らが根拠の乏しい楽観的なコメントを出し続け、だれも「王様は裸だ」と言わなかった。』(2011年4月1日、朝日新聞) 原発事故で全電源喪失が続くとどうなるかという自明のことへの対処も、今起きていることの真実をきちんとメディアが伝えることも、できなかった、というのである。

今回の災害の問題は地震や津波そのものにあったのではない。打ちのめされ、未来に希望がもてないのは、日本の社会の主軸となる仕組が、欠陥をあちこちに抱えながら放置していたこと、事が起きた後も的確な対処をする頭脳も手腕もなく、情報やデータも公開せず、ひたすら表面的に「なんとか穏便に」済ませることばかり考えるというお得意の方法論で、さらに事態を悪化させたこと、そしてそれは単に政府や東電だけでなく、テレビ局やコメントを出す専門家個人も含めた、日本の社会全体の仕組に対する疑いの目が芽生えたことから来るものだ。ガンバロウ、ニッポンなど意味を問わない合い言葉に安易に集結して感動し合う前に、頭をクールにしてニッポンという自己像を個々がしっかりと見つめる必要があった。

20120304

「らしさ」が大好きな日本人

「らしさ」という日本語は、現代の日本の社会で使われる頻度の高い言葉ではないかと思う。昔からよく使われてきて、今もなお有効な言葉のように見える。以前からこの言葉が気になっていた。どういう言葉なのか、一度ゆっくり考えてみてみたいと思っていた。

「らしさ」はどのように使われているか。男らしさ、子供らしさ、兄らしく、社会人らしく、日本人らしく、金持ちらしい、外国帰りらしい、芸術家らしさ、学生らしく、エリートらしさ、と並べてみて、何を表そうとして「らしさ」と言うのか見てみると、それは「見た目」であり「外観」のことのように思える。

「女らしくしなさい」「学生らしく振舞え」と命令形で言われれば、窮屈な感じがして反発を招くかもしれない。本質を指摘されているのではなく、見た目の現われ方、人からどのように見えるかに重点が置かれているからだ。「では何をもって女らしいというのか」とか「学生という存在を決定づける主要要素は何か」などと反発されても、話は噛み合ないだろう。「一般的な見映え」の話をしているのだから。

見映え、ということは、それを判断する主体があるわけで、それは何かと言えば、世間、社会あるいは人の目である。ある集団の中で、その集団の思想や意識から見て、「らしい」か「らしくない」かが判断される。個人と集団の関係性の中で、集団のものの見方、集団から見た個人のあり方が、期待を表す言葉として「らしさ」という表現になるのかもしれない。「〜らしくしなさい」という言葉の背後には、古い時代の集団や村の姿が見える。

「らしさ」は見映えの話であって、本質を問うているのではない、と書いた。では本質を問題にするより、「らしさ」の話の方が身近で通じやすい社会があるとしたら、それはどういう社会なのだろう。日本の社会は一般にその傾向があると思う。本当のことを突き詰めて真実に近づくより、ある種の期待される、あるいは予測される見映えをなぞる方が気持ちいい、という心性があるように見える。「らしい」という言葉には、typical(典型的な)やexpect(期待する、予測する)の意味合いが含まれているように思う。予定調和という言葉があるが、「らしさ」はこの言葉とも近い感じがする。

一方で未来を担う子どもたちに「個性」を求める社会が、もう一方では「典型」や「予定調和」と近い関係にある「らしさ」を求めるのは矛盾としか言いようがない。

2010年のワールドカップ南アフリカ大会のとき、実況はさすがに、サッカー日本代表のプレイについて「日本らしい」という言葉が使えなかった。それまでは「パスを素早く繋いで敵陣に迫る、日本らしい、攻撃型サッカー」が売りだった。しかし大会前のテスト試合などで不調が続き、追いつめられた監督は、直前にその方針をすっぱり捨てた。そして最もやりたくないと言っていた「自陣に引いて守りを固め、チャンスがあれば攻撃する」という違ったタイプの(相対的に下位のチームがよく使う)戦略を実行した。

現在、以前の「日本らしいサッカー」という表現は、何事もなかったかのように復活している。ワールドカップの直後、日本サッカー協会スタッフは世界中をまわって次期監督を探す旅に出た。「日本らしい攻撃型サッカー」を実現させてくれそうな外国人監督を求めて。選考はなかなかうまくいかず、最後に現在のイタリア人ザッケローニに決まった。本当はスペインやチリなどの攻撃型サッカーと言われる国からの人材を希望していたようだが、話がまとまらなかった。イタリアと言えば、超守備的なサッカーというイメージがあるが、ザッケローニはそこからやや外れる人材なのかもしれない。また「日本らしい攻撃型のサッカーを」という使命を負って代表を率いているのだと思う。アジアレベルでは、まずまずうまく行っているように見える。選手たちの個々のレベルも底上げされ、チームとしてもうまく統合されれば、2014年のブラジル大会では、強豪国を相手にする場合でも、理想とする「日本らしい」戦い方が可能になるかもしれない。

しかし、と思う。「日本らしさ」は日本代表を表す言葉として、あいまいな部分を残す。一番最近の大きなインターナショナルマッチである南アフリカ大会を見た世界の人々は、(もし日本戦を見たならば)「日本らしい攻撃型のサッカー」という印象はもっていないだろう。懸命に走ってプレイする負けないサッカーをするチーム、と見るのではないか。日本自身がそう思いたい自己イメージ、理想とする姿の「日本らしさ」とは明らかに違う。「日本らしさ」は今のところまだ地域限定の、自己満足の範囲のものなのだろう。

小さな集団の中で、「らしさ」を求めたり求められたりして生きていくのは、未来にあまりいい影響を与えないように思う。「らしさ」という言葉の中で何かを探っていこうとすると、本質を見極めていく道がつけられない可能性もある。また自己裁定も甘くなるかもしれない。自分の能力や資質を見極めることと、「らしさ」を追求することは違うことだ。「らしさ」の追求は結局、自己模倣のような矛盾と後退を生むのではないか。