20180126

野生と飼育のはざまで(2)

注)前回同様、以下の記事は現時点での知見をもとに書きました。気づいた間違いや新たな発見、見解は、そのつど後の記事で更新していきたいと思っています。
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前回につづいて、野生動物と飼育動物が置かれている環境の違いや問題点、その未来について、さらにはそれに対する人間の見方について考えてみたいと思う。今回は三つの事例を上げて考察する。まず前回書いたことの訂正として、熊本サンクチュアリを取り上げたい。

実験室のチンパンジーを救う試み

前回、テネシーのサンクチュアリの紹介文のところで、「日本にはまだこういった施設はなく、存在自体があまり知られていない。」と書いた。しかし同様の施設は日本にもあった。京都大学野生動物研究センター熊本サンクチュアリである。ここはゾウではなく、チンパンジーの保護施設で、ウェブサイトには「熊本の宇土半島の突端近く、有明の穏やかな海に面したところに日本のチンパンジーの15%が暮らす場所がある。」と紹介されていた。またここをよく知る関係者の話では、チンパンジー以外に、ボノボも現在暮らしているそうだ。

2007年から運営され、以前は「チンパンジー・サンクチュアリ・宇土」の名だったが、2011年から現在の呼称になった。サンクチュアリのスタート当初には、約3.3ヘクタールの敷地に、医学感染実験につかわれていたチンパンジー78人が暮らしていたそうだ(2013年には59人)。因みにチンパンジーの数え方は、一般的には「匹」や「頭」がつかわれているようだが、ここでは人間と同じ「人」で呼ばれている。チンパンジーの研究で知られるイギリスの動物行動学者、ジェーン・グドールの著書(日本語訳)でも「人」がつかわれているのを見たことがある。チンパンジーは分類でいうと「ヒト科」に属している。

サンクチュアリのチンパンジーは、半数がアフリカから連れてこられ、残りはその子孫だという。日本がワシントン条約に批准する1980年以前は、合法的にチンパンジーの輸入が可能で、主として肝炎の感染実験に使用されていていたそうだ。ヒトとチンパンジーは遺伝的に非常に似ている(DNAの塩基配列で約1.23%の違い)ことから、感染実験の対象となったという。

このサンクチュアリの前身は、ある製薬会社の研究施設だったそうで、最も多いときで117人のチンパンジーがいたそうだ。1970年〜80年代、アフリカから輸入されたチンパンジーの小さな子どもたちは、健康なからだに肝炎ウィルスを接種され、気密性の保たれた小さなケージで飼育されたという。30年間という長い年月、そのようにして暮らした。1990年代後半になると、C型肝炎に加えて、遺伝子治療の研究やES細胞をつくる試みが検討され始めた。しかしこうした「侵襲度の高い」チンパンジーに与えるダメージが大きいと思われる実験に対して、反対の声があがった。反対の理由の一つには、チンパンジーが、ボノボやゴリラとともに絶滅危惧種の一つだったことがあるようだ。 

こういった流れの中で、チンパンジーが実験動物としてつかわれることはよくない、と考えた研究者、動物園関係者、自然保護活動家の有志がSAGA*という非営利組織をつくり、医学感染実験の停止とサンクチュアリづくりに乗り出した。その結果、2006年に国内での医学感染実験は全面停止となり、宇土にあった医学研究施設は、チンパンジーたちが余生を暮らすためのサンクチュアリに生まれ変わった。日本における大型類人猿に関するサンクチュアの思想は、京都大学の霊長類研究所に始まり、そのノウハウが熊本サンクチュアリに取り入れられたと聞く。

2012年5月、民間の医学研究施設から、3人のチンパンジーがサンクチュアリに移籍されたことで、かつて国内にいた136人の医学感染実験用チンパンジーがついにゼロになった、とサンクチュアリのサイトには記されていた。サンクチュアリにいるチンパンジーの中には、その後動物園に引き取られていく者もあり、また動物園からサンクチュアリにやってくる者もあるという。

チンパンジーをつかった感染実験の成果として、アメリカでC型肝炎ウィルスが発見されるなど、人間の健康への一定の貢献があったのは事実のようだ。しかし代わりに別の生き物が、その代償を払った。人間の「人間以外の動物」への見方が現在とは違った時代、そして動物の輸出入に制限がなかった時代が過去にあり、サンクチュアリはその時代の負の遺産を引き受ける活動をしてきたことになる。経緯など詳しいことはわからないが、実験の現場だったと思われる施設が、保護施設として再出発したことは衝撃であり、また適切な判断と実行が、「現状を変えることは可能だ」という希望をもたらしたことは、日本社会にとって大きいと思われる。

*SAGA(サガ/Support for African/Asian Great Apes)とは、CCCC(1986年にアメリカ・シカゴ科学院に結集した世界中のチンパンジー研究者がつくった「チンパンジーの自然保護と飼育のための委員会」)の精神を受け継いだ組織で、アフリカ・アジアに生きる大型類人猿を支援している。研究者だけでなく、一般の人々にも開かれた誰でも参加できる「集い」となっている。
SAGAのウェブサイト
https://www.saga-jp.org/ja/saga_exp.html

熊本サンクチュアリの詳細はこちら。
http://langint.pri.kyoto-u.ac.jp/ai/ja/k/070.html


動物園の広報活動

この1月に上野動物園(東京動物園協会)の友の会に入った。公益財団法人・東京動物園協会は、上野動物園を中心に、多摩動物公園、葛西臨海水族園、井の頭自然文化園の4園を委託運営する団体である。友の会に入った理由は、ここの機関誌である『どうぶつと動物園』を購読してみたかったから。年4回発行されるこの機関誌は、一般書店やamazon(マーケットプレイスを含む)では手に入らない。入手先はこの団体のみで、友の会の会員になって初めて読むことができる(動物園園内ではギフトショップで販売している)。

入会後とどいたのは『Animals and Zoos / Winter 2018』と副題のついた、A4判より少し小さな50ページ弱の美しい本だ。表紙は多摩動物公園のタイリクオオカミ。3頭のオオカミが顔を上に向けて遠吠えしている。野生のオオカミのようにも見えるショットだ。現在多摩動物公園には9頭のオオカミが暮らしているという。今年は戌年ということで、オオカミが表紙に選ばれたそうだ。 

本のつくりをまず見てみよう。特別変わったことをしているわけではないが、デザインや使用している紙など、感じよく作られていて好感がもてた。奥付を見て納得した。アートディレクションとデザインのところに、有山達也、アリヤマデザインストア(旧版の『クーネル』のデザインスタッフ)とあった。質の高い、適切なデザイナーを撰択しているところに、機関誌を大事にし、良いものしようとしていることが感じられた。発行所は東京動物園協会、編集委員長は上野動物園の園長、所在地は上野動物園内になっている。

さて中身の印象だが、これもバランスのとれた堅実なつくりで、編集方針もなるほどというものだった。記事は、施設内にいる動物のニュースを伝えるだけでなく、関係する野生動物や家畜動物にも触れられている。全体として、動物園は野生動物につながっている(あるいはその逆も)、という印象を生み出していた。科学的アプローチとしては、最近死んだ井の頭自然文化園のゾウの「はな子」の骨格標本製作後に得た、歯についての解説が写真入りで掲載されていた。それ以外にも、海外の動物園のニュースや動物に関する本のブックレビューなど、興味深い記事があった(読んでみたい本が何冊かあった)。

記事の中に、野生と水族館のウミガラスのレポートが一つずつあった。野生のウミガラスの方は、北海道の天売島における繁殖についてで、ペンギンに似た容姿のこの海鳥は、人口300人の島の観光資源の一つでもあるようだった。しかし近年、繁殖のためにやって来るウミガラスが減少し、環境省がかかわる保護増殖計画が進められているという。というのも、以前には近隣の他の島にもやって来たこの海鳥は、今では天売島のみとなり、この島でも50年前には8000羽来ていたものが現在は数十羽にまで減っているとか。絶滅危惧種にも指定されているそうだ。 

レポートでは保護増殖事業の取り組みの内容が、詳しく説明されていた。繁殖コロニーと呼ばれる崖のくぼみにある繁殖地(以前は島内に複数あったのが現在は1箇所のみ)に、ウミガラスを誘引して繁殖させるのが試みの一つである。具体的には、デコイ(ウミガラスの模型)による誘引、スピーカーをつかったウミガラスの鳴き声による誘引、捕食者対策とビデオによるモニタリングなど。捕食者というのはハシブトガラスやオオセグロカモメなどで、2011年からエアライフルによる捕獲をしているとのこと。しかしオオセグロカモメも天売島で繁殖する海鳥であるため、捕獲場所を限定し、こちらの海鳥の繁殖状況も同時にモニタリングしていると書かれていた。この記事の執筆者は、環境省の自然保護官の方だった。

一方水族館のウミガラスの方は、葛西臨海水族園における飼育について。この水族館では、ウミガラスの足の裏に魚の目のようなものができるという長年の課題をかかえていた。「趾瘤症(しりゅうしょう)」という病状で、飼育下では水中より陸地で過ごす時間が長いことがその原因と考えられた。飼育下では、たとえばゾウも床面の状態の違いから、野生のゾウには起こらない足や関節の病状をもつことが多い。

葛西臨海水族園では、ウミガラスが陸上とプールにいる時間や時間帯を調査し、餌のやり方に工夫を加えた。これまで主として陸上に置き餌していたのを、プール内に投げ餌する割り合いを増やすことで、水中にとどまる時間を増やそうとした。野生下では繁殖のとき以外、ほとんどの時間を海上で過ごすウミガラスの習性にならったのだ。モニタリングしたところ、この方法により、ウミガラスの水中で過ごす時間がかなり増えたという。ただし一定の効果は見られたものの、他にも問題があることが判明した。野生のウミガラスを観察したところ、繁殖地の地面は断崖絶壁の凹凸の激しいところで、水族館のような平坦なところを歩くことは、野生ではあまりないことがわかったのだ。飼育下の平坦な地面が趾瘤症を起こしている可能性があることから、水族館では今後のプランとして、施設の改修も視野に入れていくと書かれていた。

このように飼育下にいる生物の扱いについては、野生下の状況を参考にしたり、その環境に近づけることは重要なのだろう。その意味で、『どうぶつと動物園』で、両環境にいるウミガラスを並べて特集することには、大きな意味があると思われる。この記事は、葛西臨海水族園の飼育展示係の方によって書かれていた。

ところでこの機関誌の最後の方に英語ページが1ページあり、この号の目次の英語訳や、主要な記事の概要が英語で説明されていた。これも今の時代には大事なことかもしれないし、意味あるものだと感じた。葛西臨海水族園のウミガラスがbumblefoot(趾瘤症)の問題を抱えていること、その解決法として餌やりの方法を変えたことが、単刀直入に述べられているのが印象的だった。日本語の記事は圧倒的に文章量が多いこともあるが、もう少し柔らかな入りをしている。

このように見てきて、実際のところ、機関誌と動物園の実体がイコールかどうかはわからないが、動物園の思想を伝える手段として、このメディアが有効に働き、動物園の健全さを伝えることに貢献しているのは間違いない。


動物園のライオンと野生のシカをつなぐプロジェクト

前回のポストで紹介した科学コミュニケーターの大渕希郷さんが、大牟田市動物園で現在進行中の面白い試みを教えてくれた。「ヤクシカZOOプロジェクト」は、科学コミュニケーターの大渕さんと大牟田市動物園のライオン班の伴和幸さん、九州大学持続可能な社会のための決断科学センター、元ヤクニク屋の田川さんの4者からなるプロジェクトだ。

大牟田市動物園HPのブログ『サファリな連中』によると、ことの始まりは屋久島に生息するヤクシカと呼ばれる小型のシカが、固有植物の減少や農業被害を起こすため、駆除の対象になっていることにあったそう。ヤクシカの肉はおいしいそうだが、その流通、利用は一部に限られている。そこで大牟田市動物園のライオン班の伴さん(ブログの書き手)が、屋久島で唯一のシカの処理場であるヤクニク屋さんに、動物園のライオンやトラ用に骨をサンプルとして提供してもらえないかお願いした。

なぜ動物たちに骨のなのか。その理由として以下のような説明があった。

1. かじることで顎(あご)が鍛えられる。
2. かじることで歯がきれいになる。
3. 舐めとるなど、食べるための本来の行動を引き出す。
4. 時間をかけて食べることで充実した時間が増える。
5. 匂いなどの新しい刺激が加わる。

なるほどー。では動物園では普段どんなものをライオンたちは食べているのだろう。伴さんによると、食べやすいサイズに切られた馬肉などを食べているそうだ。それに加えて、ビタミンなど必要に応じて栄養的な配慮もされている。しかしこの方法の場合、獲物の皮をはいだり骨から肉を引き離したりすることがないため、用意された肉をあっという間に食べきってしまうという欠点があった。その対策として、食べ物を隠したり、食べにくくしたりと工夫はしていたそうだが、野生下でライオンが餌を得るためにしていることと比べると、簡単すぎて刺激もないという。

それで、ライオンたちのために安全で、加工されていない状態の肉はないかと探していたところ、屋久島で駆除されているヤクシカのことを知った。まずは骨のサンプルで試し、それが良好だったので、シカをまるごとを与えることに挑戦。屋久島のヤクニク屋さんのシカは、きちんと衛生管理されたものだが、さらに感染症のリスクを減らすため、頭と内臓は除いてしばらく冷凍しておいたそうだ。そして動物たちに、シカがまるごと、皮付き生のままで与えられることになった。 

さて大牟田市動物園にまるごとのヤクシカが届き、ライオンとトラに与えられた。その結果は? 最初は慣れないせいか、どちらも食べ始めるまでに時間がかかったようだが、翌日には骨まで含めてほぼ完食されていたとのこと。ライオン班の伴さんによると、自分で噛みちぎりながら食べると、顎や首などの筋肉が鍛えられ、また皮といっしょに食べる毛が、お腹の調子を整える面もあるそうだ。

ヤクシカが増えている(一部地域で生息密度が高くなっている)ということは今回初めて知った。またヤクシカの食害による森林生態系への影響(林野庁のHP)についても知らなかった(一般論としてシカの増加、森林被害については知っていた)。だからヤクシカの駆除そのものについては、今の時点で何か意見を言える立場にはない。ただ実際問題として、動物園のライオンたちのエンリッチメントとは関係なく、地域の状況、事情によって駆除されているシカがいること、そして殺されたシカたちが、飼育下にいる動物に与えられることで、その死が意味あるものになり得る、ということは充分理解できた。

「駆除された動物に罪はない。可能な限り活用できる方法を探して、動物園でできることは何か、考えていきたい」とライオン班の伴さんは言っている。伴さんの勤める大牟田市動物園は「動物福祉を伝える動物園」をコンセプトとするユニークな動物園で、動物福祉(動物を幸福にするために何ができるかを考え、それを実行すること)の考えをもとに、園全体で環境リッチメント(動物福祉の立場から、飼育動物の“幸福な暮らし”を実現するための具体的な方策)を進めているそうだ。大牟田市動物園は、2016年には市民ZOOネットワークより「エンリッチメント大賞」を受賞している。

大牟田市動物園HP サファリな連中
http://omutazoo.exblog.jp/28748932/
ライオンたちとシカの骨
http://omutazoo.exblog.jp/26914168/
ヤクシカZOOプロジェクト 第2弾!
http://omutazoo.exblog.jp/27374281/
ヤクシカZOOプロジェクト 第3弾!
http://omutazoo.exblog.jp/27833538/

最後に。
大牟田市動物園のライオンやトラは、飼育下にいても、まるのままの肉を食べる欲望や能力は消えていなかった。しかしそうであるなら、切った肉を与えられて食べている、という現状の意味は何か。それは本来いた場所に暮らしていないということ。葛西臨海公園のウミガラスが足の裏に魚の目状のものをつくっているのも、やはり飼育下という本来とは違う状態に置かれているからだ。すべての動物園や水族館ではないにしても、関係者が飼育している動物のために最善のことをしようと努力しているのはよく理解できる。しかしそうであっても、動物園や水族館という場で、人間の管理のもと動物を飼育していくことを心から納得するには、まだ知らなければならないこと、考えなければならないことが残っていると感じた。

取材協力
大渕希郷さん(フリーランス科学コミュニケーター)
http://www.sky.sannet.ne.jp/masato-oh/

20180112

野生と飼育のはざまで(1)

注)以下の記事は現時点での知見をもとに書きました。筆者は野生動物や飼育動物の専門家ではないので、知識やその受け止め方に誤解や偏向があるかもしれません。今後もこの問題について考えていくつもりなので、気づいた間違いや新たな発見、見解は、そのつど後の記事で更新していきたいと思っています。
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「動物園ほど、好きであり嫌いな場所もない。」

『コヨーテ読書』『オムニフォン』などの著書で知られる管啓次郎さんが、文芸誌『すばる』(2017年4月号)でこのように書いていた。アンカレッジの街中にある動物園を訪れたときの話だ。さらにこう続けている。

動物をじっと見るという経験は、他の何物にも換えがたい。つねにつねにおもしろい。でも囚われの動物たちの状態を見ると、いかんともしがたい悲哀を覚える。罪だ、これは。それでもなお、興味深いのが困る。(『アラスカ日記2014』)

このような感慨、感じ方はありそうでいて、あまり聞くことがなかった。だから印象に残った。ここには人間のもつ矛盾や、この世界の不合理さが現れている気がする。ただし、問題の解決法が示されているわけではない。それでも、人間が動物や動物園(水族館)について考えるとき、このあたりを出発点にすれば、柔軟で奥深い思考をする助けになるのではないか、と思えるところがある。

菅さんは「罪だ」と書いている。人間に囚われた動物を気の毒に思い、その状態に動物を置くことはいけない、と感じているのだ。もし新しく展示する動物を、森で(あるいは海で)捕らえてこなければならないがどう思うか、と訊けば、そうしないでほしいと答えるのではないか。野生動物を捕らえることを、自分が見たいという欲望に優先させることはない気がする。

これは菅さんに限らず、一人一人訊いていけば、同じように答える人が多いかもしれない。日本科学未来館で科学コミュニケーターとして働いていた大渕希郷さんという人が、来館者に、動物園、水族館についてのアンケート調査をした(2016年3月)。大渕さんは上野動物園で、両生類や爬虫類の飼育展示・保全を担当していたことのある人だ。

アンケートは対面方式で行なわれ、150以上の回答を得たという。質問の内容は、動物園や水族館に行く頻度や目的など基本的な事項に加え、そこで学べることは何か、イルカショーは必要と思うか、漁で捕獲したイルカを利用することの是非、野生動物の捕獲と展示についての感想といった十数項目で、「人間はどんな動物でも飼っていいと思うか、いいとしたらその基準はなにか」といった難しい質問もあったようだ。アンケートの解析は発表されていなかったが、大渕さんの感想として、以下のようなことが書かれていた。

子どもたちは、「野生に生きる野生動物」と「動物園動物」「飼育されている野生動物」の違いを感じとっているようで、「野生ではどこにすんでいるの?」などの質問もあったとか。一方大人のほうは、動物園の必要性について聞いたところ、手軽に行ける近場に動物園があったほうがいいが、野生動物を自然から引き離して閉じ込めることに罪悪感をもっている、と答えた人が何人もいたという。その人たちは、観たい気持ちと動物に対する罪悪感の板ばさみになっているようで、また子どもたちに地球に住むさまざまな動物を実物で見せてあげたい、という気持ちも強いように感じたとのこと。

そうなんだ。やはり菅さんだけでなく、日本に住むそれなりの数の人が(多数派かどうかはわからないが)、ていねいに訊いていけば、動物園や水族館の存在理由にいくらかの疑問を感じているのだ。こういうことは案外知られていない気がする。大手メディアで問題点として取り上げられることは少ないのではないか。そういったメディアでは、動物園・水族館関係者からの話としても、存在の意味や意義について、あるいはそこで起きる議論についてあまり書かれることがない。関係者にとっては、問題意識はあっても、立場上、口にしにくいのかもしれない。あるいは広く理解を得ようとすると、問題の複雑さにより説明するのが困難に感じられるとか。

大渕さんは日本科学未来館をやめて、京都大学野生動物研究センターの特定助教と日本モンキーセンターのキュレーターを勤めたあと、この1月から、フリーランスの科学コミュニケーター(生き物の不思議を科学的に紹介する仕事)を始めた。京大大学院時代は動物学を専攻していた。科学未来館で科学コミュニケーターをしていたときのブログが公開されており、3回にわたって「未来の動物園・水族館〜動物園や水族館の役割をみんなで考える〜」のタイトルで、この問題を考察している。いくつか参考になった点をあげてみたい。(ブログのURLはこの記事の最後に紹介)

まず第1回、第2回で扱われていたイルカ捕獲問題について。そこでは食べるための捕獲とは別に、捕獲後の心身の健康を考慮した捕獲法があってしかるべきではないかという指摘があった。それはイルカが「高度なコミュニケーションに支えられた社会構造を持ち、記憶能力も高い動物」だから、「社会構造の破壊、つまり仲間や家族を殺された記憶は飼育後も残る」可能性があるからだという。この問題について、このブログで大渕さんとの対話に参加した、動物園動物学の研究者・並木美砂子氏は「そのような歴史(体験)を背負わされたイルカを展示に用いて、野生動物の普及活動を行うことはナンセンス」と指摘している。(そうか、飼育するイルカに対しては、現在の追い込み漁とは違う入手法が開発されてもいいのかもしれない。)

動物園や水族館の役割は何か、についての議論では、一般に言われている「自然界への理解・共感」「生物多様性の科学的知見」「保全・研究」「園内繁殖」などは、関係者に想いはあるものの、現状ではまだ達成されているとは言えず、「野生動物の入手」(施設側)と「娯楽」(来園者側)あたりがリアルなところらしい。大渕さんを含めた話し合いに参加した 計3名(うち2人は動物園に関わった経験あり)からの感想としてそうまとめている。

また運営システムの問題点にも触れていて、日本では動物園は地方自治体が運営しているものがほとんどで(国立はない)、動物は帳簿上は「備品」であり、飼育担当者も自治体の人事異動の中で、事務系の職員が担っているケースが多いそうだ。博士号をもった専門のキュレーターや飼育専門スタッフが常勤していることは少ないという。また日本では飼育職の人が事務系ではない場合も、畜産系出身者が多く、野生動物の生態学を学んできた人ではないという特徴もあるようだ。

これは2016年に『イルカ日誌』を出版したとき、最終稿を科学的知見から校閲してくれる人を探した際、日本の大学の学部をいくつか回ってみて、野生動物の生態学の専門学科がほとんどないことに気づいたことと合致する。そのときは(大渕さんと同じ)京都大学野生動物研究センターで、野生イルカの研究&フィールド調査をしている大学院生の方と幸運にもめぐり逢うことができた。日本で野生動物の研究といえば、今のところほぼ、京大の野生動物研究センターに集約されるのだろうか。 

もしそうだとすれば、こういった日本の社会のあり方が、動物園・水族館の職員の科学者としての専門性や質に影響していることは想像できる。大渕さんのブログのコメント欄では、動物園で生物の担当をしている匿名の人から、展示方法についての来園者からの投書を上層部に伝えたところ、改善の余地なしと黙殺された、という書き込みがあった。改善をもとめる現場スタッフと、「今あるコーナーはなくせない」「お客さんが喜ぶ」などの理由から、見世物小屋的な発想から抜け出ることができない管理層といった、内部の対立もあるようだ。

日本の動物園・水族館の実態を知ろうと、ここのところ複数の関連書籍や雑誌を見ている(この記事の最後に参考図書として記載)。たとえばカーサ ブルータスの「動物園と水族館」特集号(2017年8月号)。巻頭のカラー広告にティファニー、ドルチェ&ガッバーナがくるような「オシャレ系ライフスタイル誌」で、デザインや建築、アート、ファッションなどが題材としてよく取り上げられている。特集は「センス・オブ・ワンダーに出会える!」の副題がつき、『沈黙の春』などで環境問題を告発したアメリカの生物学者の著書のイメージを借りて、古くさい動物園ではなく、未来型の進化した展示施設へ誘なうアプローチをとっている。

内容としては、(思想雑誌でも生物専門誌でもないので)ブルータスが選ぶ動物園・水族館のお勧めガイドで、美しく撮影された見開き写真がたくさん使われている。しかし導入部では、今の時代の関心ごと(動物園における教育や研究、種の保存の役割)に無関心ではない態度を示し、展示のデザインの工夫にも触れている。これらのことは、「先端をいくオシャレ・文化系」には欠かせない知的アプローチの一つとも言える。その関心度がどれくらい深いところまで達しているか、見てみたいと思った。カッコだけじゃないという。

たくさんの水族館、動物園が紹介されているが、全体として、オシャレで進歩的な動物園・水族館ガイドの域をさほど超えているようには見えなかった。素敵な、あるいは癒される展示施設を読者に案内しようという企画だと思うから、動物園・水族館が抱える現代的な問題に触れられていないのは、まあしかたないかもしれない。

確かに、どの記事もテキストのはしばしに、今の展示施設は動物の幸せを考えねばならない、という方向性が示され、その工夫にも触れられていた。それは昔ながらの「狭くて汚い檻に閉じ込められた動物たちを見せる施設」への否定になっている。しかし「のんびり暮らす」「のびのび生活」「動物たちが暮らす自然環境を再現」「イキイキとした行動を引き出す」「広大な敷地」などの言葉は、発信者の意図(希望)としてはわかるし、一般来園者には充分魅力的なアプローチかもしれないが、少しでも野生動物の生態や飼育環境で動物が抱える問題を知る人からは、嘘とは言われないまでも、疑いの目を向けられる可能性はある。

カーサの記事の中で一番興味を惹かれたのは、海外の動物園紹介のところにあったチューリヒ動物園だ。特集の最後に置かれていて、全9ページと単独の動物園紹介では一番力が入っているように見えた。この記事を最後に置いたところも興味深い。というのは、日本の動物園紹介では見られなかったことが、いくつか挙げられていたから。

一つは餌のやり方。チューリヒ動物園では、餌は飼育員が与えるのではなく、コンピューターで制御された餌場が42ヵ所あり、動物自身(この場合はゾウ)が餌場を探して食べる。高いところにあったり、岩山の穴の中にあったりと、それをゾウたちが移動しながら探すのだ。餌を探すという自身の能力を日々発揮させ、それがゾウたちの暮らしに(わずかであっても)「生きる意味」を与える。本当は飼われいてる環境の中に、餌が生育していればいいのだろうが、生息地とは気候も広さも違うので難しいことだ。しかし日本の動物園が「餌やりタイム」を見物人へのサービス(人集めの目玉)にしている例をいくつも知れば、チューリヒ動物園の工夫はいいことに見える。 

もう一つは飼育の仕方で、この動物園では「完全間接飼育」に切り替えられた、との説明があった。これは人が動物と直接触れ合わない(人が立ち入らない)飼育法で、「直接飼育」と区別されている。去年葉っぱの坑夫で連載していた『Elephant Stories:サンクチュアリに住むゾウたちの物語』で、「保護下のコンタクト」として紹介したものと同じだ。動物と人間の間に、常に両者を分かつフェンスのような障壁を置くことで、両者が接する際、互いにとって安全が保証される。動物にとっては、意志のあるときだけ人間に近づくことが可能になり、精神的な安定がもたらされるという(サンクチュアリのスタッフの説明)。

チューリヒ動物園では、この完全間接飼育にしたため、ゾウたちはからだのケアを自分でするようになった。砂浴びや泥浴び、水浴びをしてからだのケアをする。つまりそういう場がこの動物園には用意されているということだ。直接飼育をしていた時代は、飼育員がブラシでゾウたちのからだを洗っていたという。野生のゾウがしていることに近い行動がとれるよう、環境が整えられたのだ。

葉っぱの坑夫サイトの『Elephant Stories』のところで書いたサンクチュアリは、アメリカのテネシー州にある。そこは動物園ではなく、動物園やサーカスで働いていたゾウたちが、引退したのちに暮らす場所。日本にはまだこういった施設はなく、存在自体があまり知られていない。ここは展示施設ではなく保護施設なので、ゾウを一般公開しているわけではない。森と草原が広がる2700エーカー(日本のサファリパークの10倍くらいの広さ)の自然環境の中で、管理・監視されながら、必要に応じて人間のケアを受け、群れで(アジアゾウ7頭、アフリカゾウ3頭、2018年1月10日現在)生活している。

チューリヒ動物園に戻ると、動物園園内のことだけでなく、野生動物の生地へのサポートもしているそうだ。動物保護を進めるため、地元アフリカの人々の生活改善や教育に取り組み、小学校の建設を計画しているという。またケニアの動物保護区と協力し、エコツアーをテーマに、旅行業のスクールも開設している。それにより現地の人が、毛皮や牙の密猟をすることなく、生計を立てられるようにするのだ。教育への取り組みには、啓蒙の意味があるのだと思う。

「行動展示」などの名で呼ばれる来園者へのアピールを中心とする展示方法の工夫ではなく、動物が置かれている状況の意味に注目した飼育法や管理法、さらには動物の生地に住む人間への啓蒙・教育活動といったプログラムには納得できるものがある。

日本の動物園は地方自治体が運営しているものが多く、税金でまかなわれているケースが多いという。予算に余裕があるわけでなく、設備の充実も経営的に難しいのかもしれない。たとえば日本の水族館では、イルカを展示する場合、海から捕獲する方法がほとんどだという。それはイルカの場合、飼育環境での繁殖が難しいからだ。充分な資金がない、繁殖用の施設がない、繁殖のための高度な技術をもっていない、それだけの時間がかけられない、などの理由で、繁殖によるイルカは全体の1割程度にとどまるという。アメリカでは現在、7割が繁殖によって生まれたイルカだという(野生のイルカを捕獲することは、原則として禁止されている)。

ただ繁殖がいいことかどうかは、また別の問題ではある。イルカでもゾウでも、人間によるプログラムは、動物にとって無理がある場合もあるだろう。発情期を見つけ、オス・メス一対揃えれば交尾に進む、といった単純なことでは済まないのではないか。個体にはそれぞれ好みもあれば、気分もある。そこは人間も動物も同じだ。また飼育環境の中で、繁殖を繰り返していくことがどういうことなのか、それについてわたしに知識がないため、今の時点では何とも判断できない。一般的には、現在の日本の動物園は野生由来の動物は少なく、多くは飼育下生まれだと聞いている。だから環境に適応しており動物にとって苦痛は少ない、とも言われる。

飼育環境にいる動物を考えるときの問題点として、野生動物への理解が、日本ではまだ足りていないケースが多い、ということはないのだろうか。上で紹介した科学コミュニケーターの大渕さんは、動物園の動物を「家畜化」させてはいけないと考えている。囲われて暮らしている動物が、野生動物かどうかは難しいところだが、少なくとも元々は野生に生きていた。動物園の動物をなるべく家畜化させないためには、人間視点ではなく、野生動物の視点に立ってものを見ることが求められる。それには野生動物についての知識と経験が必要になる。そういったスキルをもつ人材を、たとえば大学などの専門教育の中で育てていくことも、動物園・水族館の存続には必要ではないか。野生と飼育のはざまで動物を捉える思考をもつ人材、その知見を来園者に伝えられるスタッフがもっと必要かもしれない。そうでないと、動物園・水族館の社会的役割を熱心に論じても、中身のともなわない、空しいものになってしまう気がする。

*「野生と飼育のはざまで」の続きは、家畜動物やペットも含め、今後書きついでいきたいと思っています。

科学コミュニケーター、大渕希郷さんのサイト

日本科学未来館科学 コミュニケーターブログ
未来の動物園・水族館〜動物園や水族館の役割をみんなで考える〜
1)新山加菜美(科学コミュニケーター)+大渕希郷(科学コミュニケーター)
2)大渕希郷+新山加菜美+並木美砂子(動物園動物学研究者)
3)大渕希郷


このブログを書くために集めた本:『子どもが動物に出会うとき』(並木美砂子著、2008年)、『日本の動物園』(石田戢著、2010年)、『キミに会いたい:動物園と水族館をめぐる旅』(吉本由美著、2009年)、『水族館哲学:人生が変わる30館』(中村元著、2017年)、『絶滅危惧種救出裁判ファイル』(大渕希郷著、2015年)、『とらわれの野生:動物園のあり方を考える』(ロブ・レイドロー著、2014年)、『The Dog Book』(管啓次郎著、2016年)、『動物の権利』(ピーター・シンガー編、1986年)、『Casa BRUTUS:動物園と水族館』(2017年8月号)