20080722

hunter と trapper、あるいはマタギ

「野生の樹木園」という木について語った本を読みはじめて、こんな記述に目がとまった。(マーリオ・リゴーニ・ステルン著、2007年、みすず書房)

--- かつて狩猟をしていた者としては、動植物の生態となると無関心ではいられないからだ。

狩猟をしていた者、とはこの作家は猟師、あるいは狩人だったのだろうか。それとも人間一般のこととしてそう言っているのか。いずれにしても、狩猟をしていた者だから自然界の生態に無関心ではいられない、と言っているわけだ。よく考えれば当然のこととわかるが、「狩人」と聞けば、銃を持って野生動物を狩猟する人の姿がまず浮かんできてしまう。でも狩猟をするためには、どこに目的の動物がいるかを知っていないとできないし、それを知るためにはその動物が何を餌にしているか、どんな植物を好んで食べるか、水をどこで得ているか、などの知識と情報が必要になるだろう。狩猟の場となる山や森を熟知していないことには、一匹のウサギさえ捉えられないに違いない。

「狩人と犬/最後の旅」という映画がある。ロッキー山脈で狩猟をしていた老狩人(最後の狩人と言われている人)と飼い犬(犬ぞり用の)との交流、山の暮らし、家族や友人の狩人とのエピソードなどを描いた作品で、実在の老狩人を映画では本人が演じている。この映画の原題を見て気づいた。The Last Trapper。トラッパーとは主として罠を仕掛けて動物を狩る人のことだ。それに対して、ハンターの方は英語のhuntが狩る、狩猟する、追う、捜す、などの意味を持つことからも、主として銃などの武器を用いて狩りをする人を指すのだろう。するとあの老狩人は、罠を仕掛けて狩りをする方の人だったのだ。

老狩人ノーマンは言う。猟によって生態系を調整しているのだ、と。詳しい内容は忘れたけれど、その森をよく知る人間が生態系を見ながら、適切な狩猟を行ない、森のバランスを保ってきたということだろうか。人間も野生動物の一種であり、狩人も、人間が狩りをする行為も、生態系の中に組み込まれている、という意味か。ノーマンは捉えた獲物の毛皮をはいで町に売りに行く。狩りは生活を支える手段、ノーマンの生業であることも事実である。

人間の狩りの歴史は古く、漁労や採集と同様に人間の社会生活のごく初期から行なわれてきたものらしい。そんなことを考えていたら、マタギという言葉が浮かんできた。マタギとは東北、北海道地方で行なわれてきた集団による狩猟を指すという。マタギの語源は、アイヌ語の「冬の人」という説や、「又木」と書いて、その昔、先の分かれた枝を使って獲物を追ってたことからその名がついたなど諸説あるようだ。マタギを「又鬼」と書いているものも見た。カモシカの狩猟禁止などでその数は減っているらしいが、現在もマタギは消えてなくなったわけではないらしい。熊谷達也という作家が、マタギについての三部作を書いている。

猟師、トラッパー、マタギ。狩りをする人を指す言葉はいろいろあり、またその仕事の仕方もそれぞれ違うようだ。共通しているのは、狩猟場の生態系について相当の知識や経験を持つ人だということ。そのように狩人を見ていくと、面白い発見がいろいろ出てきそうだ。ところで、有名な童話「赤頭巾」に登場する狩人は、hunterなのかtrapperなのか。どちらにしても、彼もまた、森の生態系をよく知る人だったのだろうことは間違いない。