20080928

熊と出会った山野井さんのこと

登山家の山野井泰史さんが今月半ば、住んでいる奥多摩でジョギングしていて熊に襲われた。新聞やテレビのニュースでも扱われていたのでご存知の方もいるだろう。山野井さん自身の報告によると、自宅近くをジョギングしていて、下を見て走っていたため、熊の親子に突進するような形になり母熊の怒りをかったのだろう、とのことだった。「たぶん熊の親子の方が先に僕の存在に気がついていたと思います。」とも書かれていて(山野井通信)、山や自然をよく知る人の言葉だと感じた。葉っぱの坑夫で連載中の「雨の降らない土地」の著者オースティンも、第三話「死肉喰い」の中で同じような発言をしている。つまり自然の中では、野生動物は互いに見張ったり見張られたりしている関係にあり、大きな動物や狩る側の生き物も常に他の生き物の目にさらされているわけだ。人間は森の中で獲物を追いかけているとき、あるいは散歩しているとき、自分がいかに他の生き物たちから見張られているかに鈍感かもしれないが、他の野生動物はそうではないということだろう。

ところで山野井さんだが、とても興味深い人、登山家である。それでときどき山野井通信をチェックしたりして、最近の動向も読んでいた。山野井さんを知ったのは去年の暮れ、NHKBSで放映されたドキュメンタリー「夫婦で挑んだ白夜の大岩壁」という番組だった。登山家の妻、妙子さんとグリーンランドのオルカという大岩壁を踏破したときの記録映像。山野井さんが取材班と行動することはめったにないらしいので、貴重な数少ない映像作品のようだ。このドキュメンタリーを見て目の覚めるような強い印象を、その人柄、行動、発言から受けた。

山野井さんはアルパインスタイルといって、大きな編成を組んだりせずにほとんど単独かそれに近い形で、極地の未踏の山をベースキャンプから短時間で一気に無酸素で登る登山法にこだわってきた登山家だ。そういう意味ではとてもストイックな登山家だと思うし、少ない装備で身ひとつで自分の限界に挑戦するところは、人間が山に憧れ、触れ、登ることの原点をやっているのだとも思う。テレビで見た山野井さんは目がきらきらと輝いて笑顔がたえない、次の山のことを考えていつも心ときめかせている、やんちゃそうな40代前半の少年だった。10歳近く年上の50代に入った妻の妙子さんも、山のことだけ夢みて生きている純な人、今の日本にこんな女性がいるとは信じがたいような素朴さをもった人だ。この二人は山で知り合い、結婚後もいっしょに登山をつづけている。2002年ヒマラヤ、ギャチュカン登頂の下山途中、雪崩に合った二人は奇跡の生還を果たすものの、凍傷でどちらも手足10本を越える指を失った。山野井泰史さんの著書「垂直の記憶」にはそのときの模様が詳細に語られている。またNHKのドキュメンタリーでも、ギャチュカンのことにも答えていたと思うし、映像の中でも指のない手足をどのように使って登山するかが映し出されていた。二人は指を失った後も、トレーニングを積んで新たな山へと挑戦し続けている。

ドキュメンタリーでは、奥多摩で暮らす二人の生活ぶりも取材されていた。二人の生活は山のことが中心。生活費は山野井さんがスポーツメーカーとの契約や講演などで得る年間300万円くらい、ほとんどが山のことに消えるらしい。妙子さんは庭の畑で野菜づくりもしている。部屋の中には山仲間たちが作ってくれたというクライミングのトレーニング用の壁があった。指を失ってからはこれを使ってのリハビリ、トレーニングをしてきたとのことだった。妙子さんは言う。山のことができたら、他のことはなんでもいい。この二人に共通するのはそのような生き方の迷いのなさ。パートナーなしの単独登山をしてきた山野井さんが、妙子さんならいっしょに登ってもいいと思えたというのも、信頼に足る人間であり登山家であることはもちろんだが、山に向かう姿勢が近かったからなのかもしれない。

山野井さんの近況は山野井通信で読める。今回の熊事件、大変な怪我ではあったようだが、25日には退院したと最新の更新にはあった。著書「垂直の記憶」(山と渓谷社)は本人が書いたもので一番のお薦めだが、他にNHKの取材班の「白夜の大岩壁に挑む」や沢木耕太郎の「凍」というノンフィクションもある。

山野井泰史「垂直の記憶」

NHK取材班「白夜の大岩壁に挑む/クライマー山野井夫妻」

沢木耕太郎「凍」

20080920

再話がもたらす楽しさ、赤ずきんの場合

17世紀のフランスにはじまる「あかずきん」のお話は、21世紀になった今も消えることのないお話のひとつ。ウィキペディアで「赤ずきん」の項目を見ると、العربية, Български, Català, Ελληνικά,などこの項目で30言語以上の記述がなされている。それぞれの言語を話す人々の間で、よく知られたお話だという証拠だろう。各国語版にローカライズされた赤ずきんヴァリエーションもあり、たとえばアジアでは中国のチャン・ミーが「金花と熊」というタイトルで書いているし、アフリカにもニキ・ダリーという人が書いた「かわいいサルマ」という絵本がある。パロディもたくさんあるらしいが、わたしはイギリスのキャサリン・ストーの「ポリーとはらべこオオカミ」のシリーズが大好きだった。またさまざまなアーティストによっても作品化され、サラ・ムーンによる写真絵本「赤ずきん」も出版されている。

赤ずきんの歴史をたどれば、最初に本として世に出したのはフランスの詩人シャルル・ペロー、「ペローの昔話」(1697年)の中に収録されている。当時、民間伝承のお話として人々に知られていたものをペローが再話したそうだ。ペローは上流階級の子女のために昔話を書いたので、元の話にあった『赤ずきんが、おばあさんのふりをしたオオカミの前で服を一枚ずつ脱いでいくところ』などは省かれ、最後に『おとなしそうな狼ほど危険』と教訓が付け加えられている。本になったペローの赤ずきんは人気を博し、18、19世紀には大量印刷されて一般に広まり、再度、民話として野に放たれた。ドイツでは、グリム兄弟が19世紀当時ヨーロッパの(貴族、上流階級で)普遍語であったフランス語を解する女性からこの話を聞き、グリム版の赤ずきんを後に書いたと言われている。お話の最後で、オオカミに食べられた赤ずきんとおばあさんを狩人が救うのは、グリムによって付け加えられたらしい。今伝わっているベーシックな話としての「あかずきん」はこのグリムを元にしていると思われる。

この赤ずきんを題材にイラストレーターのミヤギユカリさんが絵を描いた。葉っぱの坑夫で今、本にする準備をしている。「Kaguya」「Rabbit and Turtle」と昔話を題材に、自由な発想でアートブックをつくってきたミヤギユカリさんの昔話シリーズ第3作目といってもいいかもしれない。さて、どんな赤ずきん本になるか、楽しみにしていただければと思っている。(スイスのニーブスとの共同出版で、ブックデザインは服部一成さん、11月末ごろ出版の予定。) 本の紹介ページもそろそろ作ろうと思っているが、一足先に、ミヤギさんが作品を提供しインタビューを受けているサイトで少し紹介されている。「COLLABORATION PRESENTS / Yukari Miyagi」(プライベートレーベル



世界にどんな再話や赤ずきん本があるのか興味ある人は、以下のサイト、本がお薦め。

1) オーストラリアのJan Hoganというアーティストの三次元サイコロ型赤ずきん本

2) サラ・ムーン写真「赤ずきん」(ワンス・アポンナ・タイム・シリーズ)西村書店

2) Tonight's Bedtime Story:The Little Red Riding Hood

3) サウザーン・ミシシッピー大学<赤ずきんプロジェクト>画像資料より

1. 1729年、ロンドン
http://www.usm.edu/english/fairytales/lrrh/lrrhmi.htm
2. 1823年、ロンドン
http://www.usm.edu/english/fairytales/lrrh/lrrhdi.htm
3. 1834年、ロンドン
http://www.usm.edu/english/fairytales/lrrh/lrrhci.htm
4. 1856年、ニューヨーク
http://www.usm.edu/english/fairytales/lrrh/lrrhfi.htm
5. 1863年、ボストン
http://www.usm.edu/english/fairytales/lrrh/lrrhbi.htm
6. 1884年、シンシナティ
http://www.usm.edu/english/fairytales/lrrh/lrrhgi.htm
7. 1908年、シカゴ
http://www.usm.edu/english/fairytales/lrrh/lrrhri.htm
8. 1916年、ニューヨーク
http://www.usm.edu/english/fairytales/lrrh/lrrhoi.htm

4) グリム「赤ずきんちゃん」日本語テキスト
(青空文庫)
*ドイツ語のRotkäppchenのkäppは英語のcapの意味なので、頭巾(hood)ではなく「赤帽子ちゃん」が直訳となる。

5) 「赤頭巾ちゃんは森を抜けて」ジャック・ザイブス著(阿吽社、1997年)
アメリカの比較文学学者ザイブスの赤ずきん論+各国の赤ずきん38話を収録。