20050520

内藤礼「地上はどんなところだったか」

最終日にやっと行くことのできたこの展示。葉っぱの坑夫にレビューを載せました。
Reviews 18「だれも所有できない、そこに自然のようにある(作品)」

20050508

ethnocentric と racism

英語の先生からレッスンで ethnocentric(エスノセントリック)という言葉を教わった。日本国憲法に「日本固有の歴史や伝統を書き込むべき」という意見があるという話をしていたときのこと。ethnocentric とは、社会学の用語で「自民族中心(至上)主義」を意味する言葉だと言う。憲法に「日本固有の」歴史や伝統を書き込もうとする行為は、ethnocentricな思想からではないか、という文脈で出てきた。日本にはethnocentric な思想が強く残っていると常々思ってきたので、一語で表せる言葉が英語にあることに感動した。ethno とは民族、centric とは中心の、この二つの言葉が合体して一語になってる。

以前から、日本人がことさらに「日本の国の伝統はどこよりすごい」とか「日本は誇るべき歴史ある国である」のように強く発言するものを聞くと、その場から逃れたい気持ちになった。あるいは一昔前、ある種特権的に海外(西欧諸国)で長く居住してきた日本人が、「ニッポンはどこより素晴しい。こんな繊細な感性と美意識をもった国は他にない。もっと日本の伝統を誇りにしなくては」と言うのをよく聞いたが(そしてその発言は日本人とってとても新鮮に響いたので、広く受け入れられた)、それにもかなりうんざりしていた。

ethnocentric をめぐって英語教師とレッスンで話したのは、文化や民族というのは、それぞれに違いがあるだけでどれが優れているとか高度だとか、そういう判断の対象にすべきものではない、ということだ。それとethnocentric という言葉の中核である「日本固有の」のような考え方は、歴史を正確に誠実にたどって学んでいけば、どこの国であれ成立しない考え方であるということも話しあった。改めて学ばなくとも、日本が中国や朝鮮半島などから多くのことを学び、模倣し、取り入れ、自国の栄養にしてきたことは、中学の歴史でも習うことだ。しかし教科書にはあっても、近代史以降を学校ではほとんど学ばないので(3学期期末で時間切れなどを表向きの理由として)、その後何が起きたか(影響を受けた国々に対して何を起したか)との対比がなく、総体としての関係性もよくつかめていないように思う。

もちろん、ethnocentric は日本だけのものではない。多くの国に、多かれ少なかれこの傾向があるのは想像できる。あるのは仕方ないとして、そのことを自覚しているかどうかは大切だ。ethnocentric をいくつかの辞書で引いてみて驚いたのは、ある電子辞書に「ethnocentric=中華思想の」とあったことだ。この辞書はもう絶版になって数年以上たつ古いものなので、以前はこういう考え方もあったということだろう。「ethnocentric=中華思想の」と辞書に書くことこそが一種のethnocentric な思想だと思うのだが。

英語の先生はスペイン、イギリス、アメリカなどの複数の大学で政治学を学び、日本在住4年になる人だが、その人から見た日本とは、過去に中国や朝鮮から多くの影響を受けた国であり、それらの国々とは兄弟国(であるはず)という認識だ。そんなことは知っている、と日本人なら誰もが思うだろうが、しかしどのくらいの深さや実感をともなってそのことを認識しているかとなると不安になる。

ところでその英語の先生の母国はスペインである。母語はスペイン語。父親はアメリカ人であるが英語は成長後、自分で学んだ言語だと言う。だから英語という言葉に対しても、より(英語ネイティブの人に比べて自然と)意識的である。英語のレッスンではときどき、ある英語の言葉がスペイン語(あるいは他のラテン圏の言語)ではどう言うかが話題になる。そしてその言葉の持つ意味や思想の違い、広がりやフレーミングの違いなどを学ぶ。そして話し合う。先生は作家でもあるので、言葉についての関心や知識は広く深い。Spanglish という英語とスペイン語の言葉を自由に(より言いたい事柄に近い言語を選んで使う)入れ込んだ言語についても彼から学んだ。Spanglish による作家も紹介してもらっりした。英語という言葉を学ぶ際に、「アメリカ人のようにペラペラにしゃべりたい」「白人系ネイティブのように話せたら」と望む人が日本には多いと聞いている。だから英語教師はアメリカ人かイギリス人がよく、次にオーストラリア人も許容範囲で、しかし中南米の英語圏から来た肌の浅黒い「英語ネイティブ」の人ではだめ、という考えが根深くあるらしい。(今盛んな幼児などのバイリンガル教育にもこの傾向が強い。) これらの考えはいったいどこからやって来るものなのか。世界に対する無知から来るのか、レイシズム(racism=人種差別、偏見、人種的優越感)から来るものなのか。英語を学んでインターナショナルになることを望んでいるにもかかわらず、その心のありようはとてつもなく前近代的な閉ざされた偏狭な方向へと向ってはいないか。racism を辞書で引いたら、ethnocentric に対応し、補完しあう関係の言葉となりそうな説明があった。「racism=人種にはそれぞれ文化を決定する固有の特性があるという信念;通例、自分の人種が優秀で他人種を支配する権利を持つという観念を伴う」(ランダムハウス英語辞書)。とすると、「日本固有の文化や歴史」を強調する人々は、racist、つまり人種差別主義者であるということなる。

20050505

憲法9条とアン・サリーの歌声

憲法記念日の3日深夜(4日午前2:43〜)、是枝裕和監督のドキュメンタリー番組、第9条・戦争放棄「忘却」を見た。これはフジテレビのNONFIXというドキュメンタリー番組の「シリーズ憲法」の中の1本。是枝監督といえば今ちょうど去年のカンヌ受賞作(主演男優賞)の「誰も知らない」がレンタル店で新作として出ている。昔の作品「幻の光」同様、「誰も・・」もヨーロッパのインディペンデント・ムービーのような手触りの(社会から外れてしまった人間の有り様を静かに淡々と痛みをもって描いている)映像作品だった。たとえば3、4年前カンヌでパルムドールを取った「ロゼッタ」のような。

憲法9条をテーマにした「忘却」は、是枝監督の個人史(子ども時代自衛隊で剣道を習っていたことやその敷地内の戦車のまわりで遊んだ記憶に始まり、ウルトラマンとともに過ごした少年時代、そして父の生まれ育った台湾に父や祖父の痕跡を求めてこの作品のために旅したことに至る)と、さまざまなテキスト(木下惠介の映画「二十四の瞳」とそれに対する大島渚の反論など映画にまつわるもの、石原慎太郎や小泉純一郎など政治家の発言、池澤夏樹や橋本治などの著書からの引用など)が交錯する形で作られている。監督自身の中の忘却もふくめ、多くの日本人が戦後60年を、「忘却」と「高度成長」の狭間で生きてきたことが復習されていた。日本がまともに向き合うことなくひたすら忘却の彼方へと押しやってきたことを、今ここにきて更に、(自国の占領の歴史を振り返ることを)「自虐的」という言葉で強力に、永遠に、葬り去ろうとしている勢力に対する危機感も述べていた。その通りだと思う。その風の強さはここ1、2年とても強くなっているように思える。第9条を含む改憲論が広い層で受け入れられていることや、先日来の韓国、中国の反日運動に対して巧妙な反論、情報操作による陥れがありそうなメディアの動きなど(デモや暴動は中国でのここ10年くらいの徹底した反日教育の成果だ、など)もその影響のひとつだと思う。

今日の朝日新聞朝刊の一面には、韓国からの要望で、日本政府が第二次世界大戦中の朝鮮半島出身者の強制連行についての調査を(国内企業100社などに向けて)始めたとあった。今までは「日本人ではない」という理由で除外されていた、海外での朝鮮の人々(日本兵であった)の遺骨収拾、返還についても今後対応することになっている。これも日本政府が自主的に動いてのことというより、韓国国内で強制連行についての実態を明らかにしてほしいという動きが高まっていることへの対処のようだ(最近、日本の論壇誌などで「強制連行はなかった」という主張がよく見られる。そういう動きに対しての韓国側の対抗策かもしれない)。北朝鮮の拉致被害者問題で、あれほど激しく連日、長期に渡ってバッシングとも見えかねない非難をしつづけた日本(マスメディアを中心とする)ならば、他の国の人々に対してきたことにも「自虐的」などと言わずに、遅ればせながらでもきちんと向き合わなければならないことは明らかだろう。

ところで昨日、在日コリアンのシンガー、アン・サリーの新しいアルバム「Brand-New Orleans」を買って聴いた。心臓内科医でもある彼女が、この3年間を研究員として過ごしたニューオリンズでの音楽的体験から生まれた作品集とのこと。ニューオリンズのクラブなどで、折りにふれセッションをしたミュージシャンたちとの共演が現地のスタジオでの新たなレコーディングで収録されている。以前にもアン・サリーの歌うボサノバについてこのジャーナルで書いたことがあった(2003.12.25)。ボサノバ同様、アン・サリーの歌うニューオリンズ・ジャズは、まずニューオリンズ・ジャズのスタイルに則ることやそれ風の歌唱法があるという歌い方ではない。これは簡単なようで簡単ではなく、多くの日本人シンガーはそうはしていない。R&BはR&B風の声の出し方で、ヒップホップやラップはそれ風の歌い方や振りで、シャンソンやジャズだって、アメリカンポップだって、まずは「そのスタイル」があって、そう「見える」よう、いかに「本物」に近づくかというスタンスで(憧れと言ってもいいが)歌っている、たいていの人は。「本物」っぽければそれだけ高く評価され、上手いことと混同される。そういうものが「本物」ではありえないのだけれど。あくまでも「っぽい」だけで、それは何かの代替品だ。ドリカムもミーシャもゴスペラーズも、日本国内で成功していてもこの問題を抱えているミュージシャンは少なくない。もしアメリカなどに進出したい場合はなおのこと、この問題は大きな障壁になるだろう。

ではなぜアン・サリーにはそれがないのだろう。何を歌っても、ボサノバでもジャズでも日本の古い歌でも、そのものを好きなことと自分が何者であるかをいっしょくたにはしていない。良い歌がある。その歌を好きな自分がいる。あくまでもそういう関係なのだ。歌と自分、その異種のかけ合わせ、対峙することの中に新しいものが生まれる秘密があるだろう。何かに近づき、その過程で好きだという理由(甘え)から何かを真似し、その何かにできたらなり変わりたいくらいのメンタリティーを持ってしまう、これは日本の多くのシンガーのものだ。なぜアン・サリーが自分と歌をいっしょくたにしない知性や感性を持っているか、理由は知らない。もしかしたら、彼女が在日コリアンという不安定なアイデンティティを持っていることと関係しているのだろうか。アイデンティティに関する発言はウェブサイトやインタビューでも見たことがないから全くの想像に過ぎないけれど*。両親あるいは祖父母の時代に朝鮮半島からやってきた家族だったとして、個人的にしろ民族としてにしろ自分のアイデンティティ(日本における)について何も思わないことはないと思うほうがむしろ自然だ。

アン・サリー自身、自分の歌い方と自分のアイデンティティとの関係には気づいていないかもしれない。ただ、歌いたいように歌っているだけ、ということかもしれない。あるいは自分が何者であるかとか、どういう民族に属するとか、そういうことからもっと自由でありたいと願っているのかもしれない。そして誰しもそう生きていいはずと思っているのかもしれない。そういう歌声にも聴こえる。それが聴く者たちを、固定的に見える枠組みから解き放つ役割を果たしているのかもしれない。

憲法学者、樋口陽一さんによれば、近代憲法が大前提にしてきたのは「憲法とは国民が権力をしばるもの。憲法という国のかたちの中で一人ひとりが自由に生き方を選べる」ということで、改憲論者たちの言う「憲法に日本固有の歴史や伝統を書き込むべき。国民が守るべき義務を盛り込む」などとは相反するものだそうだ。もし日本が国際的に西側文化圏の一員として自国の憲法を扱うなら、民族を言うにしてもそれは複数形となるはず、ということらしい。一方アジア、アフリカ、イスラム圏では、憲法に宗教や伝統、民族性を盛り込んでいるそうで、日本はどっちなのか、あるいは両方の要素、スタンスの取り方をきちんと付き合わせて議論しているのか、このあたりが憲法学者としての示唆のようだった。

歌声というのは抽象的なものだから、どういう意味を持つなどとは言えないもの。でも、歌声の中にその人間の思想というものは純度高く現われているのかもしれない。歌の詩の内容ではなく、むしろその歌声の中にこそ「思想」は感じとれるものなのかもしれない。ここはあえて「魂」とかではなく、「思想」と言っておきたい。

アン・サリーの歌声に聴きとれる「思想」は、日本人が自国の憲法のあり方を考えていくときの一つのヒントになるかもしれないと思う。

*アイデンティティに関する発言。これを書いたあとで見つけた記事:外国人登録証や再入国許可証が常に必要だったから、日本で生まれ育っても自分は外国人であるという意識は子どもの頃からあった。それはちょっとした心の痛みのようなもので、どこが自分にとって居心地がいいのか探し続けてきたところがある。というようなものや、どこにいてもそこは中継地点のようなもので、調度品などいつも身軽でいようとしていた、という記述もみられた。(アン・サリーのホームページ:Dairy 2004/12/04)