20200424

きっと未来につながる、ライブストリーミングの活況(2)

前回からのつづき。主要ホール閉鎖の中で見た、バイエルン州立歌劇場のオペラ『ユディト』、ロサンゼルス発、The Industryのオペラ『Sweet Land』につづいて、3月中旬から4月にかけて視聴したオンライン・コンテンツの中から、印象深かったものを以下に紹介。

ドイツ・グラモフォン、世界ピアノ・デー10人のピアニスト

ドイツ・グラモフォンというレコードレーベルが、3月28日の世界ピアノ・デーのイベントして、インターネットでバーチャル音楽祭を開催した。コロナウィルスの影響下ということで、選ばれた10人のピアニストは、それぞれ自宅で高解像度のスマートフォンをつかって、自身の演奏風景を撮影していた。ライブ放送されたのち、少しの期間、3時間あまりのフル映像が公開されていたが、現在はハイライトのみ。
World Piano Day – Global Livestream Highlights | Deutsche Grammophon


ひょっとしたらグラモフォンの影響もあってか、その後、演奏家のスマホ撮影によるライブ・ストリーミングが、日本も含めてたくさん出てきた。わたしがピアノ・デーを見たときは、まだあまりなかったので、とても驚いたのだけれど。

グラモフォンのライブは、ピアニスト一人あたり20分程度で、最初にメッセージがあり、それから演奏というスタイルだった。中には演奏する曲について解説しながら弾く人もいて、それもとてもよかった。最初が最近引退したばかりのポルトガルのマリア・ジョアン・ピレシュ。昔NHKのピアノレッスン番組で先生をしていたこともあり、またピアニストとして人気の高い人でもある。メッセージの詳細はよく覚えていないけれど、今の状況をどのように受け止めているか静かに語る姿には、彼女の誠実さがよく現れていて胸打たれた。そしてこれから演奏するベートーヴェンの悲愴ソナタについて、ベートーヴェンの人生が苦難の道であったことを語り、いまこのとき演奏するのにふさわしい曲だと言っていた。そのような語りを聞いて、それから演奏を聞くというのは、そして世界が共有している今の状況下では、通常聞くのとはまた違う体験になった。

演奏というのはただ歌うだけではない。語るものでもあるのだ。

ピレシュの次はアイスランドのピアニスト、ヴィキングル・オラフソンという人だった。「まだこの家に越してきたばかりで」と包装を解いてない荷物を指差し、大きな窓から明るい光が差し込む部屋でピアノを弾いた。わたしにとっては未知の人で、調べたところ1984年生まれの36歳。最初に一番好きだというバッハを弾き、それからバッハと同時代のラモーを弾いた。こう書くとバロックを弾く人かと思うかもしれないが、そうではなく、フィリップ・グラスやドビュッシーをこういった作曲家と同じアルバムに収録している。そしてなにより、この人が弾くと現代の曲のようにも聞こえる。作曲もする人のようで、アルバムを綿密に構成することは、作曲に近い作業だというようなことも語っていた。ピアノを弾いては曲について語る姿は、音楽への愛にあふれ、印象深かった。

元々知っている人としては、2015年のショパン国際ピアノコンクールで優勝したチョ・ソンジンがいた。久々に見る彼は少し大人っぽくなっていて、でも日本人と同様、メッセージを語るのはあまり得意ではなさそうで、簡単なあいつさつ程度で演奏にうつった。自宅のピアノ室のようで(多くの人がそうなのだが)、グランドピアノの上に白いカバーがかけてあり、壁面の書棚には楽譜や本がつまっていた。こんな風にピアニストの自宅を見ることなどないことで、またそこで演奏する姿というのも初めて見るもので、興味津々だった。

同じ自宅といってもスケールの違う人がいた。7番目に登場したキット・アームストロングは1992年生まれの28歳。スマートフォンを覗きこみながら自己紹介する姿は、普通の若者と変わりがない。しかし「ここが居間なんです」と言っていた場所は、どう見ても普通の家じゃない。天井が高く、太い柱に天井画、彫刻、これは教会ではないのか? と思っていたらその通りだった。フランス北部にあるカトリック教会で、2012年、アームストロングが20歳のとき購入し、コンサートホールにしたという。アームストロングも、わたしにとって未知の人だった。ピアニストであり作曲家でもあり、ごく小さな頃から曲を書いていたようだ。Wikipediaによると数学や物理学にも興味があり、音楽と同時進行で勉強してきたとか。生まれはアメリカで、両親の一方は台湾人、とアジア人の血をひく。というか見た目はアジア人の容貌だ。しかしフランス語も堪能で、英語をしゃべっているとき、フランス訛りがあるように感じられるほど。この人もオラフソン同様、ピアノを弾きながら、落ち着いた声で、楽しそうに、1曲ずつ曲の解説をしていた。

一番最後に弾いたダニール・トリフォノフ、スマートフォンに向かって自己紹介する姿は、(おそらく意図して)マスクと手袋着用。教会のようなところで、非常に離れたところにスマートフォンを置き、マスク姿でピアノを弾いていた。顔などはほとんど見えず。カメラは据え置きのまま、ピアノを引き続けた。このプロジェクトはハッシュタグにWorld Piano Dayとともに、StayAtHomeが掲げられていて、トリフォノフはそのアピールをしていたのかもしれない。

この3時間あまりの10人のピアノ演奏が感動的に映ったのには、いくつかの理由があると思う。一つは「いま」という地球レベルで起きている事態の深刻性を、演奏者と不特定多数の聴衆が共有していること。誰にとっても同じように感染のリスクがある、という共通認識をすべての人が分かち合っている、そして自分にできることをしたいと思っている。そのことを共有しながら、音楽を通してつながっている。もう一つは、プロの高いレベルのピアニストたちが、自宅にいることを推奨し、自分も自分の家を出ることなく、自分の家のリビングルームや練習室で手持ちの設備(スマートフォン)をつかって撮影、録音していること。ピアノの演奏には、その人の人間性が現れるものだが、その人の生活までがここではあらわになっている。たとえばアイスランドという北の果てに住むオラフソンは、温かそうな厚手のカーディガンを着て、リラックスした表情でピアノに向かっていた。そういう身近さを、この非常事態の中で触れることは特別の印象を残すように思う。

10人のピアニスト、中でも未知の人の演奏を聴き、話を聞き、とする中で、心惹かれる演奏家と出会えたことは貴重な体験に思えた。

その他の印象深かったプログラム

前回の原稿を書いたあとにも、引きつづきいろいろな作品を見て、聞いてまわっている。それらの話を少しずつしたい。

クラシック音楽は一部の数少ないファンが聞くもの、と思われている節がある。日本でこの時期にネットで流していたオーケストラには、それを払拭しようという意図があったのかもしれない。もっと普通の人、多くの人が楽しめるものを、と。東京都交響楽団は、「春休みの贈り物」と題して<癒やしの音楽><みんなで歌おう>というコンテンツをやっていた。アニメの名曲やスメタナの「モルダウ」などが並ぶ。新日フィルはたくさんのメンバーが、自宅で演奏することで一つの曲を合奏していた。同様のアイディアとして、東京混声合唱団がやはりそれぞれの自宅から、リモートアクセスによる合唱のビデオを流していた。また坂本龍一は自身の音楽プロジェクトCommonsで、過去のヨーロッパツアーなどのコンサートの映像を、ライブと期間限定のアーカイブで無料提供している。

わたし自身のことを言うと、クラシックや近現代の音楽は聞くものの、管弦楽曲は普段あまり聞いていない。だからオーケストラについてよく知らないし、楽曲についても同様。またクラシックを聞くといっても、(誰にとってもそうかもしれないが)あらゆるジャンルを網羅しているわけではない。ごく狭い範囲、ピアノ曲、チェロやバイオリンの曲といったものが中心だったりする。ときにギターやアコーディオン、リコーダーやコントラバスーンの曲を聞いて面白く感じたとしてもだ。今回のコンサートホール閉鎖の影響下で、ヨーロッパやアメリカの劇場などがコンサート映像を配信したことにより、わたしはオペラを初体験した。このことがきっかけで、もっといろいろ見てみようという気になっている。

ベルリン・フィルのバルトーク
オペラ以外にも普段聞くことのない管弦楽曲を聞く、という体験もしている。「きっと未来につながる、ライブストリーミングの活況(1)」でも最初に紹介したベルリン・フィルは、引き続き日々アクセスしている。ここでバルトークの『管弦楽のための協奏曲』をサイモン・ラトルの指揮で聴いた。演奏の前に、ラトルによる解説(11分も!)がありそれがとても良かったこと、また楽曲自体、バイエルン州立歌劇場のオペラ『ユディト』のプロローグで聴いてとても好きになった、ということもあった。ラトルの話は非常に興味深いものがあり、それは先日見た『ユディト』のさらなる理解につながった。

人々の団結を弾くコンラッド・タオ
まったく未知の音楽家に出会うことの多いこの時期。コンラッド・タオはニューヨーク市在住のピアニストで作曲家。自宅の練習室からFacebookを通じてライブ演奏をしていた。グランドピアノのまわりをきれいにライトアップし、来てくれてありがとう、と挨拶したのちに、まず大好きなバッハの曲をと言って短い曲を弾いた(若い演奏家でこの時期バッハを選ぶ人がなんと多いことか)。それからカメラ(スマートフォン)に向かっていろいろな話をし、次に演奏したのはフレデリック・ジェフスキー作曲の《「不屈の民」変奏曲》。この曲の原題は「団結した民衆は決して敗れることはない 」というもので、チリの革命歌「不屈の民」をテーマにした36の変奏からなるピアノ曲。タオは最初にiPadをピアノの譜面台に置いて、この元歌(人々が合唱している)を流し、それから演奏に入った。このメロディは聴いたことがある、よく知られた歌なのだ。タオはこの時期にふさわしい曲として、人々の団結をうたったこの作品を選び、演奏したのだと思う。

イースターのミサのライブ
4月12日の日曜日は、キリスト教の祝祭日イースターだった。この時期、ヨーロッパやアメリカの教会はどうしているのだろう、と思い探していたらミサをライブで流しているところがいくつか見つかった。セント・パトリック大聖堂(ニューヨーク、マンハッタン)で金曜日のミサの録画映像を見てみた。確か2時間近いビデオだったと思う。天井の高い美しい礼拝堂に司祭が数人いて、祈りの言葉を述べたり、聖歌を歌ったりしていた。歌う人は一人で、歌になると常にその人が歌っていた。朗々とした声の持ち主で、きっと歌をうたう司祭なのだろう。ミサの様子を見ていて、これは宗教儀式なのだけれど、どこかオペラなどの舞台芸術に近い印象だなと思った。舞台芸術のはじまりは、宗教儀式にあるのだろうか。



宗教関係の儀式でいうと、もう一つ、ライプツィヒの聖トーマス教会の『ヨハネ受難曲』の演奏があった。こちらも内装の素晴らしい教会で、まずその大きさや美しさに圧倒される。ここはバッハが音楽行事をつかさどっていた教会で、就任期間にたくさんのカンタータを作曲、演奏していたらしい。有名な『マタイ受難曲』もここで初演された。ビデオでは『ヨハネ受難曲』(91分)が流され、それは総勢たった7人による演奏だった。ソプラノ、アルト、テノール、バス、指揮者、オルガン、チェロの7人が、少し距離を置いて立ち、演奏していた。もちろん礼拝者はいない、ガランとした礼拝堂だ。しかしこの時期、タイミングということもあり、宗教曲を普段聞かない者にとっても、バッハの音楽は心に響くものがあった。

独仏のテレビ局アルテの連続ライブ
Arte.tvというところでは、Hope@Homeというプログラムを見た。バイオリン奏者のダニエル・ホープが自宅のリビングルームに友人などゲスト演奏者を招いて、この「文化的な分離」と「シャットダウン」を受けて、「難局に対処するため」のコンサートを開くというもの。3月26日にepsode 1が公開され、4月15日の時点でepisode 19までいっていた。このアルテというテレビ局を調べてみたところ、独仏共同出資の局のようだった。コンテンツは色々で、オペラのところを見ると、プッチーニの『トスカ』をやっていた。英語字幕付きで見れるようだった。

アルテにはクラシックだけでなく、ポップスやジャズなど様々なジャンルのプログラムがアップされている。グルックのオペラ『オルフェオとエウリディーチェ』は字幕が英語ではなかったため、ざっと見ただけだったが、有名な「精霊の踊り」がどのような場面で演奏されるか見ることができた。そういえばオペラ『ジョコンダ』をどこかのサイトで覗いていたとき、バレエとして有名な「時の踊り」を見ることができた。この曲と踊りは子どもの頃からよく知っているものだったので、こんなところで出会えるとは、という感じだった。単独のバレエ作品としてしか知らなかったので。

オランダ国立バレエとオペラ
バレエでは、オランダ国立バレエがこの時期に合わせて、週替りで作品を見せていた。わたしは第1週の『ドン・キホーテ』と第2週の『くるみ割り人形』をほぼフルバージョンで見た。『ドン・キホーテ』は部分的にしか知らなかったので、全編を見ることができてよかった。『くるみ割り人形』の方はよく知っているので、つまみ食い程度にと思って見はじめたのだけれど、第1幕から子どもたちがたくさん登場して、それに惹かれてそのまま見つづけてしまった。こんなにたくさんん子どものダンサーが出ている『くるみ割り人形』は初めて見た。女の子も男の子もたくさん登場して、元気に踊っていた。この演目はよく知られたもので、わざわざ見るかどうか迷うところだが、子どものダンサーがたくさん登場するという演出は、舞台に活気を与え成功していたと思う。そのあと『眠りの森の美女』『コッペリア』『白鳥の湖(ハイライト)』とつづくようだ(それぞれ1週間の上演)。

またオランダ国立バレエは、レッスンビデオをつくっていて、この時期にレッスンに通えないダンサーたちは、自宅のキッチンテーブルなどを利用しての練習に役立ててください、とバーレッスンの映像を流している。ピアニストと講師の二人で30分くらいのものだった。

オランダ国立のオペラの方もストリーミングで作品を流している。4月21日の時点でプッチーニ『トスカ』をやっている。英語字幕があるし、よく知られた作品なので見てもいいかな、とは思っている。アメリカのオペラ好きの友人から、スタンダードなものも見たらどうかとアドバイスされている。これまで見た2本はスタンダードではないので。『トスカ』は多分スタンダードだと思う。そのあと5月に入ると、アルバン・ベルク『ヴォツェック』を流すとのことで、これはちょっと興味がある。現代音楽の作曲家ベルクの作品で、1925年に初演、当時前衛作品だったとか。今見たらどうなんだろう、という興味。

スカラ座の現代オペラ作品
RaiPlayというサイトでは、ミラノのスカラ座で2018年に上演された、ジェルジュ・クルターグの初のオペラ作品『勝負の終わり』(2018年、台本:サミュエル・ベケット)の映像を流していた。RaiPlayはイタリアのマルチメディアのポータルサイト。クルターグは今年94歳になるハンガリーの作曲家。この作品のことは以前から知っていたけれど、まさかネットで見られる日が来るとは思ってなかった。

トーク・ライブも活況
最後に紹介するのは音楽の演奏やバレエではなく、ライブでの対談。Zoomなどを使ったこのようなコンテツは、今あちこちで見かける。ときにポッドキャストをつかった音声だけのものもある。わたしが面白いと思ったのは作曲家の藤倉大と指揮者の山田和樹の連続対談のシリーズ。毎週月曜日の午後10時からライブでやっている。ロンドンの藤倉とベルリンの山田が、YouTubeによるトークのストリーミングを流している。藤倉大は少しだけ知っていたが、山田和樹は未知の人。この二人は「大ちゃん」「和樹くん」と呼び合うような、これまでに仕事も一緒にしたことがある、仲のいい音楽友だちみたいだった。話の内容は音楽に限らないのだけれど、どの話も音楽につながっている印象を受けた。「和樹くんはテクノロジー音痴」「大ちゃんは古典音楽音痴」みたいなところがあって、その周辺で笑えるところが結構あった。ただし、内輪話、裏話という感じではなく、二人を知らない人が見ていても、なぜか面白い対談になっていた。二人とも好奇心旺盛なところがあって、そこが人を惹きつけているのかもしれない。



とここまで、前回の(1)も含めて3月、4月に経験し、印象的だったライブ・ストリーミングを紹介してみた。この先、地域によってはロックダウンや外出規制が少しずつ解けてくる可能性はあるが、地球規模での警戒解除までには時間がかかりそうだ。その間、引き続き、劇場やカンパニー、演奏家などの個人がライブ・ストリーミングによる活動をつづけていくのではないか。そしてこのバーチャル・シアターというフォーマットは、世界が完全に安全になったとしても、残っていく、あるいはもっといろいろな形で発展していくのかもしれない。

ネットワーク社会というものが、思わぬ厄災によって急に進行したことは、ある意味興味深い。インフラも含めた設備・環境や人間の対応力も基礎はすでにできている。日本のような現金&ハンコ文化が根強い旧型の国でも、今後少しずつ変わっていく可能性がある。今回のことで思ったのは、インフラやスキル、対応力も大事だけれど、バーチャルな社会やその方法論に対して、心理的な面で違和感やギャップを減らしていくことが大きなポイントになるのかなと。未来はきっと、リアルとバーチャルを組み合わせることの中に、新しい方法論や可能性を見つけていくのではないかと思っている。


20200409

きっと未来につながる、ライブストリーミングの活況(1)

新型コロナウィルスの影響で、国内外の劇場が閉鎖している。コンサートへ行けない聴衆へのサービスとして、海外の劇場やレコード会社のいくつかが、無料でライブストリーミングを流したり、オンデマンドの動画アーカイブを公開している。

3月の中頃、バイオリン奏者のコパチンスカヤのFacebookで、ベルリン・フィルが無料でコンテンツを公開していることを知った。3月末までに登録すれば、1ヶ月間無料でデジタル・コンサートホールのコンテンツが見れるという。ベルリン・フィルに特別興味があったわけではないが、どんなものをやっているのか、どんな風にやっているのか見てみようと思い、すぐに登録した。
(現在、締め切り期限なしで1ヶ月間無料視聴の登録を受け付けている。日本語のガイドあり)

ベルリン・フィル:デジタル・コンサートホール

最近のオーケストラ公演や過去のシーズンのコンテンツなどあって、少しずつ見てみた。ナビゲーションや画像の質など良好で、快適に鑑賞できそうだった。また驚いたことに、サイトは完全に日本語化されていた。日本語以外に英語、スペイン語、中国語など6つの言語が用意されていた。さすがベルリン・フィルということなのか。

ベルリン・フィルのデジタル・コンサートホールは通常、有料で登録して見るもののようだ(月額1800円弱)。そのため元々のコンテンツとして、過去のアーカイブが豊富に揃っているようだった。他にも同じようなサービスがないか(この時期なので)ネット上を探してみた。海外について言うと見きれないくらい、いろいろな無料のコンテンツ提供が出てきた。しかも多くのところが日々、新しいコンテンツを継続して公開している。

海外コンテンツの中から、実際に見て聴いて印象的だったもの、未来性を感じたものをここで紹介したい。現在わたしたち(そして世界中)が被っている非常に困難な時期に、このような「夢のような出来事」が起きて、またとない体験ができることを、そして未知の世界を知る機会を得たことを心から嬉しく思う。辛い状況にあっても、新しいことが学べるのは心理的に大きな救いになるし、きっとこれは何らかの形で未来につながっていくと思う。視聴者、提供者の双方にとって。

日本のアーティスト個人やオーケストラやホールなどの機関においても、このようなアクションはあったが、いくつか見た感じでは、ムービーの意図や質などの点で、(個人的には)印象深いコンテンツとは感じられなかった。プロダクションのアイディアや技術の問題と、こういうビデオ作品を作り慣れていないことが原因かもしれない。ただ今の状況の中で、行動を起こしたことに対しては、おおいに称賛したい。まずはやらなくては何も起こらないと思うから。

以下、3月中旬から4月にかけて視聴した三つのコンテンツを中心に書いていく。


バイエルン州立歌劇場のオペラ『ユディト』

正直いってオペラにはうとい。まずオペラを通して見たことがない、劇場でもネットでも。関心もさほどなかった。しかしこの『ユディト』という作品は、ふつうイメージする昔風のオペラとはかなり違うようで、興味を惹かれた。ひょっとしたら、オペラの世界は近年、大きな変化をとげているのだろうか?

『ユディト』は今年の2月7日に収録されたものだった。しかも初演作品、その時点ではまだ(コロナウィルスの影響を受けず)観客が入った状態だった。ほんの1、2ヶ月前に初演された新作オペラを見れるなんて! と驚いた。この『ユディト』という作品は、『青ひげ公の城』と通常呼ばれているバルトーク唯一のオペラ作品。元のストーリーはシャルル・ペローで、モーリス・メーテルリンクの戯曲からオペラ台本が作られたようだ。ユディトというのは、この物語に登場する女の主人公の名前。

ほぼオペラを知らずに、また『青ひげ公』についても何も知らないまま、いきなりこの『ユディト』を見始めた。バイエルン州立歌劇場は18世紀半ばに起源があり、19世紀にはワーグナーの主要作品が初演された劇場として知られている、由緒ある立派な劇場。作品に入る前に、クレジットロールを流しながら、この歌劇場の外観がたっぷりと映された。建物は古い時代のいかにもヨーロッパという見映えだけれど、オペラの中身は違った。

まずステージ上に大きなプロジェクターがあって、夜の都会の風景が映されていた。ステージ下にはオーケストラボックスがあり、かなりの人数の大きな編成のオーケストラが入っていた。指揮者はオペラでは舞台の方を向いている。比較的若い女性の指揮者だった。画面では都会の風景から、一人の男が街を歩いていく後ろ姿に切り替わる。バルトークの音楽は不穏な、ミステリアスな緊張感に満ちたものでゾクゾクする感じ、映像も徐々にスリラータッチになっていく。(ここで使われている音楽は、バルトークの『管弦楽のための協奏曲』)

これは現代のドラマなのだ。映像の中の男はビルの地下室のようなところに入っていく。車が1台あり、そのそばに作業台のようなデスクがある。この場面を別の場所から4分割のモニターで見ている男がいる。監視カメラが設置されているのだ。ミステリー度が一気にあがる。

と、こんな風に映像は音楽のみの無言(セリフなし)で進む。バルトークの音楽の良さが際立っている。ストーリーは進んでいく。年配の女性がパソコンで仕事をしているシーンが映る。これが主人公のユディトなのだが、本名は違う、アンナ・バーロウ。身分証明書から、実は刑事であることが判明。こんなキャラクター設定は、もちろんオリジナルの台本にはないはず。

延々とつづく映画のような作品、いったいいつオペラになるのか。指揮者はプロジェクターを見ながらタクトを振りつづけている。(オリジナルの台本では、この部分はプロローグとして、前口上が語られるようだ。)

40分くらいたったところで、ステージに黒い幕が降りてきた。そして舞台の上にセットが現れる。映像の中にあった地下室と車、そして車の中には女(ユディト)が。舞台中央あたりにドアがあり、それによって右側の部屋と地下室が分けられている。ドアの右手の部屋には、映像の中で監視カメラを見ていた男がいる。そしてこのドアが『青ひげ公の城』の第1の扉だ。物語では、扉は第7の扉まであって、ドアが開けられるたびに次の部屋へと場面が転換していく(拷問部屋、武器庫、秘密の庭園など)。

映像の中のシーンが、ステージ上に現れた最初の瞬間はスリリングだった。ここから二人の主人公、ユディトと青ひげのやりとりが歌で行なわれていく。言語はオリジナルのハンガリー語。わたしは英語字幕の設定で見る。このオペラはセリフ(歌)のやりとりがシンプルで、量もそう多くはない。だから字幕を読むのは楽。またセリフの内容も、中学生程度の英語で理解できる。「Yes, I will follow you」「What beautilful flowers」「Open the door, Judith, and look at them!」のような感じだ。(ビデオを見る限り、舞台に字幕装置はなかった

オペラは字幕を読むことで、理解が飛躍的に進む。劇場で見る場合は、通常舞台の前面上部に液晶発光の装置があるようだが、モニターで見ているときは一つのフレーム内に、舞台と字幕が収まっているので、より見やすいと思う。

というわけで、この初オペラ体験は衝撃だったし、かなりの満足度に達した。バルトークの音楽の良さ、ミステリータッチのストーリーと映像、映像と舞台の組み合わせ方、活気ある女性の指揮者、キャラクター設定、舞台装置など、この作品がオペラであるということ以外のところに大きな魅力と見どころがあった。制作のケイティ・ミッチェルという演出家が、鬼才と言われている人のようで、またムービーの監督、グラント・ジーの映像もよかった。映像場面と舞台やオーケストラボックスをときに引いたアングルで映すビデオ・デザインも優れていたと思う。

劇場で見るのとはまた違った楽しみ方を、このビデオ・オペラ作品は提供していた。こういう作品であれば、もっとオペラを見てみたい。

蛇足:おそらくユディトは通常、若い女性として設定されていると思うが、ケイティ・ミッチェルの演出では、年配の女性。青ひげ公が次々に誘惑し幽閉している女性も年配ばかり。「シニア・クイーン」というコールガールの出会い系サイトに、ユディトが登録することで青ひげの家に行くという展開(ユディトは、行方不明の女性たちを探す刑事として潜入する)。

バイエルン州立歌劇場の『ユディト』の紹介ページ




ロサンゼルス発、The Industryのオペラ『Sweet Land』

バイエルン州立歌劇場の次に見つけたのは、ロサンゼルスのオペラ・カンパニーThe Industryの『Sweet Land』という作品。チャイナタウンのすぐそばにあるロサンゼルス州立歴史公園で野外上演されたもので、これも初演作品。新型コロナウィルスの影響で、3月半ばまで2週間ほど上演したところで中止になり、カンパニーは即座にこの作品を映像化して公開することを決定。スタッフ、出演者が3月15日に集合して、無観客で作品を収録したという。そして2週間後の3月29日(現地時間)に、ネット上でこれを上演すると発表した。『Sweet Land』は有料で、前売り券は日本円で1062円だった(公開後は1600円くらいになっていた)。

わたしはニューヨーク・タイムズのザカリー・ウルフという人のレビューを読んだのち、この非常に安価で提供されたプレオーダーのチケットを購入した。このオペラを見てみたいという欲望と、チケットを買うことで、カンパニーを支援できたらという気持ちの両方があった。

このオペラ作品はVimeoを通じて公開された。日本時間3月30日の朝、Vimeoからの通知が来ていて、公開がスタートしたことがわかった。すぐにアクセスする。作品は映像作品として制作されていて、最初の場面は、舞台として使われた「ロサンゼルス州立歴史公園」の俯瞰映像と、なんとも説明の難しい不思議な声の集合による、美しく力強い歌、ハーモニーだった。アメリカ・インディアン? あるいはアイヌの人々の歌声? プリミティブな発声による、古典的なオペラとはまったく違う歌声だった。

このオペラの楽曲は、1977年上海生まれの作曲家ドゥ・ユン(2017年にピュリッツァー賞受賞)と、同じく1977年生まれでナバホに出自をもつアメリカの作曲家レイヴン・チャコンの二人によるもの。未知のハーモニーと不思議なメロディ、変わっているけれど美しい歌声に導かれて、オペラはスタートする。

最初にも書いたように、このオペラは野外で上演された。ロサンゼルス州立歴史公園というのは、スプリング・ストリートとゴールドライン(リトルトーキョー駅など含む軽量電車)に挟まれた細長い地形に立地し、オペラの最中に、何回かこの電車が背景を走り抜けていく。ニューヨーク・タイムズの批評家ザカリー・ウルフは、電車もオペラのキャラクターの一人のようだった、と記している。確かに、電車が通り抜けていったときは驚いたし、演劇的な効果はそのパワーと意外性において絶大だと感じた(最初に見たときはセットの一部だと思っていたので、すごいことをするなとびっくりした)。

この野外公園に設置された舞台を広くつかってオペラは演じられる。オペラは二つの“サイド”に分かれている。一つは「feast(祝宴、ご馳走)」もう一つは「train(電車)」。ビデオで見る場合は、順番に見る。上演の場では、観客はどちらかを選んで見て、もう一つは翌日に見ることができるらしい。最初の部分と最後の部分は同じシーンで、真ん中が違っている。

スウィート・ランドを夕闇がおおう。
何ものかが夕闇とともにここにやってくる。

彼らは何ものなのか?
彼らは影と反響なのか?

わたしたちは、聖歌を耳にする、
たくさんの声、さまざまな響きが重なる声を。
岸辺でこの土地の者が、やってくる船をみている。

始まりのシーンでこんなテロップが流れる。これは植民者によるアメリカの始まりの歴史を表しているのだろうか。アメリカ・インディアンのトリックスターであるコヨーテ役の女性が歌う。やってきた見知らぬ者が「ゲスト」になるのか、と。やってきた船のキャプテンが歌う。エデンをもとめ太陽を追ってここまでやってきた、と。

バイエルン州立歌劇場で見た『ユディト』とはまた違った意味で新しいスタイルの作品だと思う。

Sweet Land (The Industry)



次回につづく