20100228

Tsotsi, ポスト・アパルトヘイト世代を描く南アフリカの映画


SOWETOの風景(by András Osvát/クリエイティブ・コモンズ)


ここのところ南アフリカの音楽や文学、映画を探して見たり聴いたりしている。きっかけは前回のポスト「アフリカの6月」にも書いたが、6月に開催されるワールドカップ・サッカーの開催地南アフリカについて知るうちに、いろいろ気づかされることが多かったから。南アフリカの歴史や現在を知ること、そこからの視点で世界を見直すことは今とても面白いことに思える。他のアフリカ諸国にも目を配りながら、まずは南アフリカに近づいてみる、そしてアフリカを知る、そのひとつの方法としてこの「ツォツィ」というイギリス、南アフリカ合作の2005年制作の映画は恰好の素材になるかもしれない。

ツォツィとは"thug" 悪党、チンピラなどの意味をもつ現地語スラングで、それが主人公の少年の呼び名になっている。主な舞台はヨハネスブルク都市圏にある非白人居住区ソウェト(SOWETO=South Western Townships)、バラックのような家々が建ち並ぶ巨大なスラム地帯、とでも言ったらいいだろうか。1976年に白人政府に対するアフリカ人高校生による大きな蜂起が起こった場所であり、南アフリカ最大の非白人居住区である。ツォツィや仲間たちが住むソウェトの風景が映画の中ではふんだんに使われていて印象深い。全体に光と彩度を抑えたアンバーで暗い画面、スウェトの家並みと通り、カフェやクラブ、町の人々、原っぱに積み重ねられた土管とその内側のカーブに背をあわせてすわる、そこに住む子どもたち、その不思議に美しい「絵のような風景」、遠く背後にそびえるヨハネスブルクのビル群。そのバックに全編を通して流れるのがKwaito(クワイト)と呼ばれる南アフリカのポップミュージックである。クワイトとは何か。ヨハネスブルクで生まれた都市の音楽であり、ポスト・アパルトヘイトの若者たちが怒りと悪徳を発散させる激しい歌声であり、現地語の歌詞をもつヒップホップ系ミュージックである。映画にはクワイトを中心に、南アフリカのミュージシャンたちによる音楽が多数使われていて、その響きは登場人物の顔つきや風景の映像と切り離すことができない。一つのトーンを生み出し、大きなうねりとなって映画の独自性を表現している。

「ツォツィ」には原作があり、小説では時代をアパルトヘイトの時代1950年代に設定しているが、映画では現代、南アフリカがアパルトヘイトから法的に解放されたポスト・アパルトヘイトの時代に移されている。ストーリーは仲間たちと様々な悪事をはたらくツォツィが、ある日強奪した車の中に赤ん坊を見つけたことで、自分の内面や過去と向き合っていく姿を描いている。「ツォツィ」が映画初出演であるツォツィ役プレスリー・チュエニヤハエをはじめ、ほとんどが南アフリカの役者によるもので、エキストラの中には土管に住む子どもも混じっているという。これはDVDの中の監督のコメンタリーで知った。ツォツィが子どもの頃住んでいた土管のある原っぱに来る場面があるのだが、子どもたちの表情、土管のある風景、ともに強い印象を残す。物語と現実が交差する瞬間を見る。

この映画はイギリス人プロデューサー、ピーター・フダコウスキーが小説の素晴らしさに打たれ、映画化することを考え、南アフリカ人の映画監督ギャヴィン・フッドを見いだしてやっと実現した作品という。1970年に出版されて以来、小説はニューヨークやロスアンジェルスの著名プロデューサーたちを魅了し、脚本もいくつか書かれたそうだが、制作費の確保ができないなどの問題で映画化まで至らなかった。原作者のアソル・フガードも南アフリカ人、イギリス人とアフリカーナー(アフリカーンス語を話す白人系オランダ人)の両親の元に生まれている。

この映画全編を通して感じる「生な」もの、この世に存在している悪や貧しさや優しさや無垢さ、そのリアリティは、アフリカ人俳優たちの表情や現地語で語られるセリフや歌によってかもし出されている気がする。アフリカはたくさんの言語をかかえる大陸だが、南アフリカにもかつての宗主国の英語やアフリカーンス語以外に、ズールー、コサ、ソトなど9つの言語がある。そしてそれらの言葉は自在に混合もされるようで、Tsotsi-taalはソウェトなどで話される現地語の混成語。(Tsotsi=ワル、taai=言語)

「ツォツィ」はDMMなどのネットレンタルで単品で借りられる他、オフィシャルサイトでもさまざまな映像が紹介されているので参考になるだろう。Trailerには予告編以外に、メイキングやボーナス・ドキュメンタリーの映像があって、それも素晴らしい。ボーナス・ドキュメンタリーは、撮影現場の近所に住むジョシアスという男の子と双子の男の子の日常を追ったもの。メイキングには撮影風景の他、監督のギャヴィン・フッドやツォツィ役のプレスリーも登場して映画についてしゃべっている。スタッフには白人系が、俳優陣は黒人が多く、それらの人々がソウェトというかつてのアパルトヘイトを象徴する場所で、暴力ではなく創造という知的な共同作業をなしえたことは意味深い。

南アフリカの音楽、中でもクワイトについては、インターネット上で素晴らしいドキュメンタリーを見つけた。音声を主としたレポートにInside Outという非営利のプログラムがあって、その中にKWAITO Generationがあった。レポーターのショーン・コールによるヨハネスブルクのクラブやライブ会場、レコードスタジオなど様々な場所での音声レポート、インタビュー、「ツォツィ」でも音楽を提供しているクワイトのスター、ZOLAをはじめとするアーティストの紹介やそのおしゃべりの音声、ショーンの日誌やフォトギャラリー、アパルトヘイトの歴史など、盛りだくさんでクワイトとは何なのかがサイトを巡るうちにわかってくる。特に音声は生き生きしていて素晴らしい。こんなドキュメントの方法があったかと思わせる。メインのドキュメント以外にも音声レポートがあり、artistsページではZOLAがショーンにアフリカ名をつける楽しい会話シーン、ショーンの日誌ではクワイトのスーパースター、ンザギザギの叫ぶようなまるで怒っているようなしゃべり(Reporter's Notebook, March 14. 2005) があり、ショーンに"...talking about kwaito. Or rather, I talked. He screamed. He's a screamer."と言わせている。ンザギザギが言っていることが聞き取れるかどうか以前に、その声としゃべりは一聴の価値あり。

クワイトや南アフリカの音楽については、「ツォツィ」のサウンドトラックもお勧めだ。ZOLAなど迫力のヒップホップ系だけでなく、美しいアフリカンヴォイス&サウンド、アフロポップなど今の南アフリカの音楽を知る入門としていいと思う。iTunesのストアでも扱っている。「ツォツィ」は2006年度のアカデミー外国語映画賞など欧米でいくつかの賞を受賞しているので、比較的手に入りやすいものだと思う。ちょっと気になったのは日本版のDVDのジャケット。主人公が上半身裸で赤ん坊を空高く持ち上げている写真が使われていて、映画や音楽のイメージとかなり違う。それにこんなシーンは映画の中にはなかったように思う。どこから持ってきたのだろう。配給の日活が「日本人のアフリカ像」に合うものをと思ってこれを選んだとしたらちょっとそれは違うのではないか。映画は聖なる、あるいは「素朴な」裸族のアフリカでもなければスピリチュアルなコンセプトの作品でもない。暴力と貧しさの現実、救いのない登場人物たち、そういったソウェトのざらざらした日常のリアリティの中に一点灯りをともす無垢な人間性のようなもの、それを表わした映画だと思うから。

20100216

アフリカの6月

いまデスクの脇のボードには小さな南アフリカの地図がマグネットでとめてある。ヨハネスブルク、ポートエリザベス、ケープタウンなどの街の名前が散らばっている。2010年サッカー・ワールドカップのグループリーグ組み合わせが決まったとき、新聞から切り抜いたもので、街の名前は試合会場がある都市である。アパルトヘイト(人種隔離政策)の廃棄から約20年、この地に世界中から第一級のフットボーラーやそのファンが集まってくることは、どんな意味をもっているのだろう、と地図を見ながら思う。

アフリカは日本から遠い。地理的にも知識や興味の及ぶ範囲としても、交流の頻度や深さにおいても一般的にはつながりは薄いように思う。音楽はまだしも(中でも西アフリカ系)、文学や映画となるとぐっとなじみは薄くなる。アフリカが深い関係をもつのはヨーロッパだ。政治的に、文化的に、人的交流においても。アフリカの歴史はヨーロッパの近代史から切り離すことができない。アフリカはヨーロッパ近代史における最大の被害者と言ってもいいのかもしれない。

南アフリカでのW杯の開催が決まってから、南アフリカ共和国だけでなく、アフリカの他の国々もこの開催を喜び、アフリカの人々は意識としてアフリカ全体を一つの大きな共同体のように捉えている、というような見方もあると聞いた覚えがある。FIFA(国際サッカー連盟)がどのような考えと経緯で南アフリカを開催地に選んだのか知らないが(現FIFAブラッター会長はアフリカ大陸での初開催のために、FIFAの開催地決定のルールに手を入れたとも聞くが)、アフリカの近代史を少しでも知れば、アフリカでの開催はかなり画期的なことに見えてくる。アフリカの国々はどこであれ、ヨーロッパの支配の元で悲惨な何世紀かを送ってきた。その中でも南アフリカは1910年の建国でイギリスの自治領となり、その後アパルトヘイトが法に組み込まれ、非白人の反体制勢力は弾圧され、1991年のアパルトヘイト廃棄に至るまで、世界から隔絶されたかのような価値観の中で生き続けてきた、いわばアフリカ人隷属の歴史の象徴的な存在となっている。

1976年、ヨハネスブルクの南西にあるアフリカ人最大の居住地ソウェトで、アフリカ人高校生による蜂起が起こった。きっかけは白人政府アフリカーナー(オランダ系白人、1948年にアパルトヘイト強化をスローガンにして政権を取る)国民党が、授業をアフリカーンス語(オランダ語を基盤に原住民語を加えたアフリカーナーの言語)で行なおうしたことへの反発だったという。そこから始まった若い層を中心とする反政府運動が、政府の激しい弾圧により小中学生を含む多くの死者を出す悲惨な結果に及ぶに至り、国際世論として大きな非難を受けたことが、アパルトヘイト廃絶への道に繋がったと見る研究者もいる。1976年に高校生だった人々は1960年前後の生まれとして、現在50歳あたりの人々ということになる。国家による人種隔離、人種差別の歴史はそれほど昔のことではないと改めて思い知らされる。その世代の人々が今回のワールドカップをどのような思いで待ち受けているのか、話を聞いてみたい思いだ。

南アフリカのアパルトヘイト完全廃棄は1991年だが、その前年にネルソン・マンデラの釈放があり、さらにアンゴラの独立戦争でポルトガル軍が敗退した1985年あたりから、マンデラとボタ大統領(当時国防大臣)はアパルトヘイト廃棄に向けて、話し合いの場を持っていたようである。この二人の和解への道のりの中で、1985年には雑婚禁止法(白人と非白人の結婚を法的に禁止する)、背徳法(白人と非白人の性行為禁止)などの廃止、86年にパス法(非白人は身分証明書を常時携帯の義務)が、90年には公共施設分離法が廃止された。そして1991年、アパルトヘイト基幹三法である人口登録法、原住民土地法、集団地域法が廃棄となり、1913年以来国家の法の中心にあったアパルトヘイトは終焉を迎えた。

スポーツを、特にオリンピックやワールドカップのような国家間対戦ゲームを、疑似戦争として嫌う人々がいることは知っている。確かにスポーツの国際試合を見ていると、インタビューに答える出場選手や応援する観客の中に、「愛国心」を前面に出した発言をする人も少なくない。日の丸も堂々振りかざしている。またスポーツの報道は、たとえばテレビであれば、一事が万事「ニッポン、チャチャチャ」的である。報道内容も、確かに偏向している。自分の国の選手の動向だけが関心事、という見せ方はあからさまであり、ごく普通に見られる。それに対する反発もあまり聞いたことはない。これらの現象を追っていけば、スポーツの国際大会ほど「古き良き時代」のナショナリズムを体現しているものはないと納得させられる。それは日本に限らず、地球上の多くの人間が、まだ国家という枠の中で生きることや自国の歴史や文化を相対化することなく肯定的に見ることに、それほど疑問をもっていないことの現われだろう。スポーツではこのような愛国的態度が、他の文化的な国際コンクールなどと比べると、非常に強い度合いで吹き出てくるようだ。

スポーツが、たとえばワールドカップが国対抗だからより人々を興奮させるのかどうかはわからない。ただスポーツは愛国心抜きでも楽しめるエンターテインメントであるとは思う。ワールドカップ・サッカーを見るときに、自分が日本人だからといって日本を応援しなくてはならないことはない。見ていて面白いチーム、好きな選手のいるチームの試合を熱心に見たり、応援したりすることはごく自然なことだと思う。2010年の大会で面白そうなところ、決勝トーナメントに進めそうなところはどこだろう。きっとアフリカ勢を応援するのは楽しいのではないか。たとえばコートジボワールとかガーナとか。アフリカのチームには身体能力のすぐれた素晴らしいプレイヤーが多く、ヨーロッパのトップクラブチームでも活躍している。名前をあげれるとすれば、たとえばドログバとか。コートジボワール出身で、イギリスのプレミアリーグ、チェルシーで活躍する。上手さと強さを兼ね備えた、世界でも指折りの最強のFW(フォワード)である。あるいは日本とグループリーグで対戦するカメルーンには、イタリア、セリエAに所属するエトーという第一級のプレイヤーもいる。

アパルトヘイト廃棄後20年になる今年、その南アフリカの地で、6月11日ヨハネスブルクにて、南アフリカ対メキシコのゲームによってワールドカップは開幕する。アフリカの人々の大会への思い、ホスト国としての準備の過程、開催地のそれぞれの都市の風景やそこに住む人々の顔つき、世界中から試合を見にやって来る人々の様子。試合の中身だけでなく、南アフリカ大会をとりまく様々な事象、現象をテレビなどの報道がたくさん伝えてくれることを願っている。

*南アフリカについての記述は、主に土屋哲著「現代アフリカ文学案内」(1994年、新潮選書)の内容を参考にしました。