20200131

動物をパートナーにする人々、ズー


この冬の休みに衝撃的といっていい本を読んだ。濱野ちひろ『聖なるズー』、2019年度開高健ノンフィクション賞受賞作品。衝撃的な内容ではあるのだけれど、読み終わったあとには、衝撃よりもこの世界の仕組について、より深く知った気分の方が強く残った。

ズーというのは、多くの人が人間同士でしているように、動物たちとの間に関係を築き、愛を交わし合う人たちの呼び名。その行為にはセックスも含まれる。動物とのセックスなどというと、アブノーマルとか動物虐待という言葉が浮かぶかもしれない。

わたし自身、2015年に『新たな科学の視野:牛やイルカの「人権」問題』というタイトルで、動物保護の立場から、「動物を支配下に置くことのできる人間が、動物に対してセックスを強要することはレイプにあたる行為。肉体的に、心理的に、当の動物が被害を受けるであろうことは想像できる。」と書いている。

これは当時、デンマークが動物の「人権」保護の観点から、牛や馬との性行為を全面禁止する法案を可決したというニュースを読んだことへの反応だった。ヨーロッパの他の国、ドイツやイギリスなどでは法的に動物との性行為が禁止されていたため、法的には問題のないデンマークに、動物と関係を持ちたい人々が集中したことが問題になり、その結果この法律ができた。

この記事を読んだ当時は、動物と性的関係を持ちたい人々がいること、すでにそれを禁止する法律が存在すること(禁止する必要性があったということ)、デンマークがその圏外にあったことで人が押し寄せたこと、にまず驚いた。そして動物と性的関係を持つことが、イコール「虐待」や「レイプ」とみなされていたことに何の疑問も感じていなかった。

上の引用で「動物を支配下に置くことのできる人間が」と書いたが、これは動物保護を訴える人々の視点と重なっていると思う。現在もその観点から反対運動をしている団体が、ドイツにあるようだ。確かに、デンマークまで行って、動物とのセックスを実現しようという人々が、動物に対してどのような精神性を持っていたのかは不明だ。この話からは、昔の日本人男性による東南アジアへの買春ツアーのことが思い浮かぶ。

しかし『聖なるズー』で報告されているズーたちは、動物虐待やレイプとは無関係の人々だ。著者の濱野ちひろさんは、ズーたちの生態を調べるためにドイツに何回も渡って、長期取材をしている。なのでこの本でレポートされているのは、一人(日本人)を除いて、すべてドイツでのこと。

著者がズーたちに目を向けたのは、自身がパートナーから長年にわたって虐待を受けていたことが元になっている。その関係から抜け出ることのできない自分を責めつづけた著者は、関係を切る目的で一度正式に結婚し、結婚したのちに晴れて離婚している。関係を断つためには、結婚が必要だったようだ。つまりパートナーとの関係性を、一度、社会的なものとして公開する必要があった。

その著者が、虐待を受けていた自分と正面から向き合う必要を感じたことが、30代後半になってからの大学院入学とそこでの「動物との性愛の研究」へと繋がった。

『聖なるズー』を読んで世界の一端が読み解けたように感じたのは、支配と被支配の関係に気づいたからだ。これは人間社会のどこにでも存在する(動物の世界ではどうなのか。あったとしても人間が理解しているような支配・被支配ではないかもしれない)。人は意識することなく、支配、被支配の関係に陥ることがある。というより支配、被支配のない社会、支配、被支配のない人間関係は想像しにくい、とも言える。

『聖なるズー』で描かれるズーたちは、精神においても肉体においても、関係を築く動物たちとの主従関係、支配と被支配がなく、対等だ。動物と対等であるとはどういうことか。ドイツでは飼い犬が日本よりずっと厳しく調教されていることは、ミュンヘンを訪れたときの経験で知っていた。ドイツの犬は、道端でも、レストランでも、従僕のようにおとなしく声を出すこともない。伏し目がちな態度とでも言ったらいいか。一度、通りにあるカフェで、犬を連れていた人が連れていた犬をひどく叱っているのを見た。その叱り方は激しいもので、犬は絶対服従に見えた。

もしかしたらこういったドイツにおける犬の飼育の仕方と、ズーたちの存在は関係があるのかもしれない。正反対という意味で。

ズーたちにとって、身近な動物(主として大型犬)と親密な関係を結び、相手が望めば性的な関係に至ることもあるのは自然なことなのだ。『聖なるズー』の著者が取材協力を申し出た、ZETA(ゼータ)というコミュニティは、同じ志向や体験をもつ人々のネット上にできた場だ。ZETAの多くの人は、幼い頃、あるいは子ども時代に、自分と動物の特別な関係に気づいている。これは同性愛者がそうであるのと類似している。著者はドイツ滞在時に、何人かのズーの家に泊まらせてもらい、一緒に生活しながら話を聞き、彼らの生活ぶりを観察した。

ここで対等ということに戻ると、ZETAのズーたちは、パートナーである動物と完全な対等性を望んでいることがわかった。支配、被支配の関係を持たない。それはたとえば性行動に至る場合のきっかけにも現れている。濱野ちひろさんの取材によれば、何人かの人の証言として、「向こうから誘ってくる」ことで始まる、とある。

人間は家の中でも通常服を着ているが、ドイツではベッドに入るとき(特に男性の場合)、何も(下着も)着けずに寝る人がそれなりにいるそうだ。そういう無防備な状態でベッドで寝ているとき、それに飼い犬のパートナーが気づいて、ベッドに潜り込んでくるという。またそれ以外の場面でも、犬の方が寄ってきて親密な状態になりたいというアプローチを仕掛けてくることがあるそうだ。どちらの場合も、2者の関係性が完全に対等であることが前提になっている。人間の方から仕掛けることがないのは、その方法だと支配、被支配の関係と似たものになりやすいから。だからズーたちは、パートナーから誘いがあったときのみ、それに応える形で関係をもつ。

動物にそのような人間に対する性的衝動はあるのか、とか、親密になりたいという意志を発することがあるのか、またそのような動物側の態度を人間は汲みとれるものなのか、という疑問が湧くかもしれない。それに対して、ズーの人々は、動物にはそれぞれパーソナリティがあり、それを感じ、関係を築くことで細かな意志表現のニュアンスまで理解できるようになると答えている。

動物一頭一頭にパーソナリティがあることを感じる、それを感じることで理解が進み、親密な関係を結ぶことができる、という話は、わたしがこれまでに訳してきたいくつかの野生動物の観察家や研究者の報告と重なるところがある。子ども時代に庭にやってくる野鳥を、種として理解するより前に、個々の存在(パーソナリティ)として受け入れていたウィリアム・ロングもその一人だ。また『イルカ日誌』のデニース・ハージング博士も、バハマの海で25年間、身近に観察し交流してきたのは、種としてのタイセイヨウマダライルカであると同時に、個としての1頭1頭のイルカたちだ。

ズーたちの話にある「動物の方が誘ってくる」は、彼らの方が人間に好奇心を寄せてくる、というウィリアム・ロングの次のような文章とも共通性がある。

森の動物たちは、人間が彼らに興味をもつ以上に、人間に好奇心をもっている。森で静かにすわれば、ニューイングランドの山裾の町によそ者がやって来たとき程度のざわめきで済む。自分の好奇心を制御すること。そうすれば少しして、動物たちの方が好奇心に耐えられなくなる。この人間は何者か、ここで何をしているのか、見にやって来るにちがいない。そうすればこっちのもの。彼らが好奇心を満足させようとしているうちに、恐れを忘れ、あなたが見たこともないような暮らしの断片を見せてくれるだろう。(Secrets of the Woods, 1901)

ここには主従の関係がなく、人間と野生動物が限りなく対等の関係に近づいている。ロングの本は、当時のアメリカ大統領ルーズベルトによって、「科学的でない、動物を擬人化している」という理由で、学校図書館からくまなく排除されたそうだ。それに対するロングの新聞上での反論は、「腰に銃を備え、馬に乗り、ときに何人もで押しかけていては、野生動物の本当の姿はわからない」というもの。ルーズベルトは狩りを趣味にしていた。つまり動物とは支配、被支配の関係で接し、そこから動物のすべてを理解していたということになる。

ルーズベルトに限らず、人間は長い歴史の中で、動物を支配下に置く見方をしてきたのだと思う。古くは17世紀のフランスの哲学者デカルトは以下のように書いている。

動物の肉体は、機械としては比較にならないほど厳密に構成されている。その運動の適性は人間の発明したどんな機械より見事である。動物の機械は(知識に基づいて動いているのではなく)器官の仕組みに応じて動いているだけだ。獣には理性がまったくない。獣の魂は本質的に、人間の魂とはちがっていると考えるしかない。感情を示す運動は動物も示すが、これは機械でも簡単にまねできる。器官の命ずるままに動くのが動物の天性なのだということになる。(ルネ・デカルト著『方法序説』山形浩生訳からの部分要約)

また18世紀のドイツの哲学者カントはこう書いている。

動物には意識がなく、人間の目的の手段としてのみ存在する。 (秋田大学 バイオサイエンス教育・研究サポートセンター 動物実験部門のHPより要約)

カントは動物に対してだけでなく、人間(人種)に対する見方も、現代の感覚からするとひどく差別的である。

アフリカの黒人は、本性上、子供っぽさを超えるいかなる感情も持っていない。(中略)それほどこの二つの人種(註:白人と黒人)の間の差異は本質的で、心の能力に関しても肌色の差異と同じほど大きいように思われる。 (イマヌエル・カント著『美と崇高との感情性に関する観察』より要約/ウィキペディア日本語版より)

著名な、今も尊敬を受けているヨーロッパの哲学者が揃って、このような耳を疑う発言をしているのは驚きだが、当時は人間(ヨーロッパ系を祖先とする)を世界の中心に据える必要があったのだろう。

そしてその流れは今も続いている。人間中心主義といわれるものであり、ヨーロッパ系民族中心主義(「白人」という人種はないので、ここではその言葉を使わない)でもある。支配、被支配の関係性でいうと、デカルトやカントの考え方には動物との対等な関係性は存在しない。

人間中心主義に対して、生命中心主義という言葉がある。人間と人間以外の自然、生態、環境を同等に見る考え方だ。自然環境だけでなく、すべての生命、生きものが支配、被支配の関係ではなく、人間と対等な生態系の一員であるということだ。

ズーの人々が動物との関係において、支配、被支配を嫌い、対等なパートナーシップを結ぶことで関係性を築き、愛の交歓をしているとすれば、それはあらゆる人間にとって一つのお手本になるのかもしれない。人間同士の関係で、夫婦、恋人、兄弟、親子、友人の間で、どれほど相互の関係性において対等性が保たれているかは問われる問題だ。

そう考えると、『聖なるズー』の著者が、パートナーから受けた虐待の体験から、動物性愛やズーの人々のことを研究するようになった道筋は、明快で、非常に納得のいくものに見えてくる。

問題は人間が異種の動物と愛を交わすことにあるのではない。生命をもつ存在同士が、どのような関係性を築くことができるのか、という点が重要なのだと思う。

20200117

写真、映像、音楽:ドキュメントのいま(2)


ロシアの国境地帯6万キロを撮る写真家
マリア・グルズデヴァ『Border』

マリア・グルズデヴァ(Maria Gruzdeva)という1989年ロシア生まれの写真家の『Border: A Journey Along the Edges of Russia』という本を買った。これはロシアの国境地帯を旅しながら撮った写真集で、国境線は陸地部分のみで2万キロ(海洋を含めると6万キロ)あるそうだ。

サイトの紹介によると、マリア・グルズデヴァは、詳細な調査をもとに企画されたドキュメンタリー写真を、長期プロジェクトで撮っているとこのこと。集団的な記憶、場所の感覚、所属の感覚、風景とアイデンティティの関係性、といったことをテーマにしている。

この写真集を手にしたのは、border(国境、国境地帯)という言葉、その実体に興味があったから。またロシアとの国境であったことも、関心の理由の一つかもしれない。ロシアという国は、どのような国々と国境で接しているのか。思い浮かぶのは東ヨーロッパの国々や旧ソビエトの国々、中央アジア、そして中国、北朝鮮、日本。エストニア、ウクライナなど旧ソ連共和国の中には、今も領土の所属問題で、ロシアと紛争が続いているところがある。日本もその一つ。

中国とロシアの国境には、以前から興味を持っていた。この本が国境線のすべてを網羅しているかどうか、今のところわからないのだが。(旅のドキュメントなので、本の先頭から順に読んでいっているので、経路と最終地点は読み終わるまでわからない)

近年、中国とロシアは国際政治的に協力関係を築いているように見えるが、それとは別に、両者の国境地帯では、地元民、そして日常的物品がかなり行き来していると聞いている。そこに興味を抱いている。アジアに属する中国と、ヨーロッパに属しているロシアは、言語的にも文化的にかなり違うと思うのだが。

タイトルの「Border」に戻ると、わたしがこの言葉を耳にし実感として受け入れたのは、かなり前(20年以上か)のことで、メキシコに旅したときだ。メキシコ滞在を終えて、最初の滞在先であるロスアンジェルスに戻ろうとしたとき、国境警備隊のメキシコ人男性に道を聞いた。そのときその男性の口から出てきたのが「border」という言葉だった。あそこがアメリカとの国境だ、と教えてくれたのだと思う。そのときborderという単語は知っていたかもしれないが、実態と結びついていなかった。国境に身を置いたとき、borderという言葉が初めて生きた言葉として、自分の中に刻み込まれた。これがborderなのか。

アメリカとメキシコの国境を超える際、メキシコからの不法入国者たちが、バスに乗せられて強制送還されるところを見た。そういう光景とborderという言葉は一つになって、わたしのイメージの中に焼き付けられた。

グルズデヴァの『Border』では、現在、Rayakoski (ラヤコスキー) というノルウェーとフィンランドとロシアが出会う国境地帯にいる。北極海に面したスカンジナビア半島北部、北の果て。Googleマップで場所を確かめることはできても、ストリートビューはさすがにない。Googleもここまでは来ていない。グルズデヴァは、ロシアの国境警備隊の人たちと車で移動している。僻地であることに加え、国境地帯を単独で行動することは難しいのだろう。ラヤコスキーには、行けども行けども森と沼、沼と森、という風景の中を何時間も走って到着している。

『Border』は写真とテキストから成り立っている。写真集なのでもちろん写真が中心ではあるが、かなりの量のテキストが間に挟まれている。テキストは主として撮影日誌だ。旅の行程に沿って、町の名前、建物や教会、記念碑(第2次大戦時のものなど)、宿泊施設、前哨基地で働く人々などのことが描写されている。写真そのものにはキャプションは一切なく、写真ページが数ページから十数ページ続いたあとにテキストが来る。各地域の写真の扉ページには、地名と地図があり、地図の中に該当の地区が赤でマークされている。またテキストページの対抗ページには、写真家のノートが複写されている。ノートの内容は、撮った写真のサムネールと簡単なコメント、長文の日誌、手描きの地図や絵など。(この写真家はフィルムで撮影しているようだ)

なぜ撮影日誌のテキストと、写真家のノートのビジュアルを写真集に含めているのか。二つの理由を想像する。一つは写真家が伝えたいものは、撮った写真という結果だけではない、ということ。ロシアの国境地帯を旅し、風景やそこにあるものを見、そこにいる人々と出会い、その地域を知り、写真に記録すること、その行為の全体がプロジェクトになっているからではないか。もう一つは、読者がもし、写真のみを見た場合、そこから(独力で)引き出せる情報は少ない可能性があるから。撮られた写真には、たくさんのコトバが含まれているはず。その風景を、その建物を、その人をなぜ撮ったのか、どういう意味で写真に収めたいと思ったのか。もちろん渋谷の街や東京タワーを撮影した写真だって、写真家が意図したことを読者が汲みとれるとは限らない。しかしほとんどの読者にとって未知の土地、未知の風景、未知の文化であれば、手がかりは最小限になるだろう。それを助けるためのテキストであり、ノートではないかと思う。

写真自体には日付けも地名のキャプションもない。視覚で捉えられるもののみが提供されている。初めてその土地に立った人のように風景を眺め、その後にテキストでその土地のバックグラウンドを知り、疑問の隙間を埋めるというような意図から、このようになっているのだろうか。これが(テキストの量の多さも含めて)この写真家の、このテーマを扱う際のドキュメントのスタイルなのだろう。


ドキュメントとは事実に基づく情報を写し取ること、記録すること。しかしその写し取られた情報を、見る側が受容し、理解する力がなければ意味あるものにはならない。作品として成立しにくくなる。写真はビジュアル作品だが、視覚的受容能力(画面構成やフレーミングに対する理解力)だけでは、作品の意図を汲むことは難しい。

また「事実に基づく情報」というものも、実は特定しにくい曖昧なものかもしれない。一つの風景、1匹の動物でさえ、存在は一つであっても、それを見る視点によっていくつもの事実が生まれる。とするとドキュメントというのは、それを記録し作品化する制作者にとっての「事実」でしかないとも言えるし、だから面白いとも言える。またいかようにも見る人を騙せるものであるとも言える。最新のテクノロジーなど使わなくともだ。

スイス生まれのアメリカ人写真家ロバート・フランク(1924~2019年)は、「写真はフィクションであり、それが動くとき、リアリティとなる」とあるところで書いていた。写真から映像作品に活動の場を移していた時期の発言かもしれない。ある事実を写真家が自分の視点でシューティングするとき、その事実は写真として定着した時点でフィクションとなる(作者が発生し作品となることにより、事実から離れる)、という意味だろうか。

ロバート・フランクの『Moving Out』という写真集を見ていて思いついたことがあった。ロバート・フランクの写真集で最も有名な『The Americans』が、日本で受け入れられ、彼につづく多くの写真家に多大な影響を与えたことの理由の一つは、彼が非アメリカ人だったからではないかな、ということ。実はわたしもロバート・フランクがスイス出身とは知っていたけれど、そこまで移民のアメリカ人という意識はなかった。

『The Americans』時代の写真はいま見てみると、アメリカの外からやって来た人間が描写した「アメリカの風景と人々」という気がする。その視点に、日本人は(意識はしていないと思うが)親しみを感じたのではないだろうかと。つまりアメリカをそれなりに知り、アメリカに憧れていたとしても、自分はアメリカの外にいる人間、外国人だから。

ロバート・フランクは改めて調べてみると、両親はユダヤ系で、第2次大戦中、フランク家はスイスに無事留まることはできたが、父親は(ドイツ国籍を失ったのち)無国籍状態だったようだ。それでロバートを含む息子たちのために、スイス国籍の申請をしている。ロバート・フランクはアメリカに渡ってから、アメリカ国籍を取得している。最初の妻である彫刻家のメアリー・フランクは、イギリス出身で、子ども時代に親元を離れ、祖父母のいるアメリカにやって来た。

こういった背景を知ると、ロバート・フランクの旅したアメリカ、写真に撮ったアメリカが、今までと違った視点で見ることができるように思う。わたし自身は『The Americans』を見たのは、出版後ずっとあとのこと(1990年代後半)だけれど、もっと前に見ていた日本人読者は、おそらくロバート・フランクを「外国人」や「移民」という視点からは見ていなかった(あるいは実感できていなかった)可能性はある。まず「移民」という言葉が、日本人にとって実感をともなって意識されるようになったのは、ごく最近のことだからだ(ここ10~20年くらい)。それ以前は移民といえば、日系のブラジル移民かハワイ移民のことを指していた。

記録された「事実に基づく情報」を写真や映像といった実写で見るとき、見る側の視点や知識の量が大きく影響することに改めて驚かされる。ドキュメントをとる(撮る、録る)とは、ドキュメントを見るとは、あるいは事実とドキュメントの関係は、というようなことをこの記事を書きながら考えていた。


写真集『Border』を2、3日前に読み終えた。北欧や北極圏、黒海沿岸、中央アジア、中国や北朝鮮との国境地帯、樺太や色丹にも行った。写真を見て、テキストを読み、場所の確認をGoogleマップでする。さらにその場所が町であったり、道路があればストリートビューで周辺の風景や建物を見てまわる。かなりの僻地と思われる場所にも、ストリートビューはある。見知らぬ土地の風景を眺め、川を渡り、道ゆく人々に注目し、家々を見てその土地の暮らしを想像する。『Border』に登場する場所が、国境地帯という旅行者のあまり行かない場所だけに、ストリートビューで見る風景は貴重だ。

マリア・グルズデヴァは『Border』のテキストで、そこで見たもの、出会ったもの(人)を熱意を込めて書くことがある。それを読んでいて、ほとんど写真を撮る行為と同じだな、と思った。写真とは、シャッターを押した結果現れるものであると同時に、シャッターを押さなかった場合にも、写真家によってフレーミングされた一つの世界の見え方である。写真家とは世界を、ある場面を、ある時間を、自身の視点によってフレーミングするその行為によって成り立っているのかもしれない。

最後に、グルズデヴァが書いていたいくつかの印象的な描写を日本語にしてみようと思う。

P171ボルネオ(Barneo):北極点に近いロシアの浮氷の基地。毎年、ほぼ同じ場所、同じ時期に、2ヶ月以上、設定される。
時間というものが存在しない、という不安に囚われた。永遠につづく光の世界、夜と昼の交替がない世界。
時間は消えてしまったように思えた。時を刻む行為を止めてしまった。
キャンプの人たちは、決まった時間に寝起きしない。
何もない世界、ただ生活が広がっている。
仕事をし、食べ、眠る。その繰り返し。
それぞれの人が、起きて眠るという自分の時間の中を生きている。
時間というものが存在しない。
時間の感覚があやふやになり、居場所を失う。
ただただ白い世界に包まれて、足元には白い雪の「床」、目の前には白い空気の壁。 

P280
ソロヴェツキー(ソロフキ)諸島:ロシア北西部に位置するバレンツ海の湾にある島々。
夕方になって、わたしは滞在しているホテルに向かった。(中略)草原を横切っているとき、黒い僧衣を着た修道士が目に飛び込んできた。修道士は急いでいるようで、僧衣の裾をはためかせていた。風わたる、枯れ色の草原が波うつ中をゆく彼は、水の上を歩いているように見えた。ありふれた風景かもしれないが、そこには真実といっていい、人の心の奥深くに突き刺さり、忘れがたいものになるような、信じがたい一瞬の美があった。