20090816

zineとは、そして本とは?

ジンについては今回のブックフェアに参加するにあたって、いろいろなジンを手に取ってみたし、その始まりについても知った。最初はジンと言えば、スイスのニーブスが作っているようなコピー機と中綴じで制作されたアーティストブックくらいしか思い浮かばなかった。それもイメージとしては、テキストのほとんどない絵か写真によるビジュアルブック。ニーブスがこのタイプのジンを短期間にたくさん作って広く知られたので、ジン・カルチャーが知られていなかった日本では、これがジンの典型と見られるようになったのかもしれない。でもジンをよく知る人によれば、ジンと言えばまずテキスト、そこで何を言うかがジンのジンたる由縁、という感じだった。確かに、アメリカのジン・パブリッシャーであり多種多様なジンのディストリビューターでもあるMicrocosm Publishingのカタログを見ていると実にさまざまなジンがこの世にあることがわかり、その世界の広がりには圧倒される。

ジンについてここ何回か書いてきて、最後に「本としてのジン」について考えて一区切りつけたい。それは「本とは何か」ということを考えてきたわたしにとって、ジンという出版スタイルは、一つの暗示のように思えたから。

ところで、葉っぱの坑夫はスタート時からweb publisherというスタンスをとってきた。名前にWeb Pressとついているのもそのため。20世紀の終わりにインターネットのウェブの世界を知り、その技術を知り、そのディストリビューションの卓越ぶりに感銘を受けて、本の出版/publishをインターネットで始めた。「出版」という言葉が日本語ではほとんど「紙の本の世界」にしか使われていなかったときに、ネット上でのウェブによる「本の出版」に可能性を見たのだ。今でも出版、と言えば一般には紙の本のことを指すことが多い。そして紙の本の方が、価値が高いように思われがちだ。

作家やアーティストたちにとっても、どちらかと言えば、紙の本で出版されることの方が、ウェブで出版されるより価値があると思うかもしれない。そこにある真理、心理はどういうものだろう。考えられる一つの理由として、ウェブ上の作品はモノではないので、いつか消えてしまうかもしれない、ということ。ただ実際には、紙の本だって出版後どんどん消えているし、どんどん処分もされている。たかだか10年かそこら前に出版されたものが、一般市場では簡単に手に入らないことも多い(今はamazonのマーケットプレイスで買えることも多いが)。紙の本だからと言って、20年先の将来が保証されているわけではない。

では紙で本をつくることの魅力とはどこにあるのか。葉っぱの坑夫がウェブですでに発表した本を紙の本にしていたのは、別の読者の窓口(市場)を探すためだった。ネットにアクセスしない人、ネットで本を探したり読んだりしない人、本屋などのリアルショップで本に出会いたいと思っている人、そういう人たちにも葉っぱの坑夫の本を知って、読んでほしいと思ったから。ネットでテキストを読む人と、本好きの人が必ずしも重ならないと気づいたのだ。わたし自身の行動パターンにおいても、ネットでテキストは読むけれど、「本を読む楽しみ」を味わいたいときは、まずコンピューターから離れて好きな場所で、が基本。何をするにもコンピューターが必要で、常時そこに貼りつかざるを得ない人間にとっては、電源を切るだけでリラックスできる。職業上そういう人は、今多いのではないか。

ジンによる本づくりのことを考えはじめて気づいたのは、ジンは紙の本でありながら、部数と印刷経費と在庫の問題からある意味解放されることだった。それを考え続けていくと、作家にとって「紙で本をつくり出版すること(してもらうこと)」によって得られる夢の実現とは、どの部分なのか、という疑問が浮かび上がってくる。自費出版請け負います、という業者が一時日本で増え業績を上げたようだけれど、そこに夢を託した「作家たち」が望んでいた「本の出版」とは何だったのか。もし「ちゃんとした」出版業者から、「ちゃんとした」体裁の本をつくり、それなりの数(50部とか100部とかではない)で出版され、全国の本屋の店頭で「ちゃんと」売られること、だとしたら、今の書店や出版業界の現状をまともに観察すれば、何もちゃんとしていないことがわかるだろう。夢は叶わないのだ。

「ちゃんとした」本かどうかは、部数や印刷方式や値段や書店に置いてあるかどうか、で決まるわけではない。

葉っぱの坑夫は最初の数冊の紙の本を、オンデマンド印刷というコンピューターのデータから直接紙に印刷される方式の技術を使って作った。オフセットと言われる一般的な印刷より、300部くらいまでであれば、かなり安くできるのがメリットだった。ただし当時オンデマンド機のカラー印刷の技術はまだ低く、値段も高かったので、モノクロ印刷が主で、それも写真印刷にはドットが粗くて適さない、ということで、学術書や詩集などに使われることが多かった。ジンは基本的にコピー機を使って印刷されることが多いが、最近ではコピー機自体が多機能化し、高度なコンピューターを搭載するようになったため、出力機を兼ねているものがほとんどで、レーザープリンター&ハードコピー機の仕様になっている。オンデマンド印刷機と多機能コピー機は、データから出力という意味でほとんど同じようなものになった、ということかもしれない。それに加え、家庭で使われているインクジェットプリンターの方も、デジカメで撮った写真をプリントできるくらい精度が上がった。レーザーとは仕上がりのクォリティの問題というより(保存耐用年数も含めて)、主として印刷方式の違いに過ぎないのかもしれない。

とするなら、ジンを、あるいは本を作るのに、特別な印刷設備はいらない。自分のインクジェットプリンターで、あるいはコンビニなりキンコーズなりのコピー機で、好きな部数だけ作って出版すればいいのだ。単価的には他の印刷方法より高めになるだろうが、一度に1000部刷ろうと思わなければ問題ない。商売としての出版ではなく、本という形で作品を発表するのが目的であれば、「ちゃんとした(自分の納得のいく)」本の内容と仕様さえプランできれば、あとはゴー!刷って、綴じて、配るなり売るなりすればいいのだ。初めて作る本が、300冊、あるいは1000部単位で作れないのは悲しい、などと思ってはいけない。本というのはそう簡単に売れるようなものでもないのだから。たくさん刷って売れるはず、と思わないかぎり、ジンであれ本であれ、20部、30部、から作ってみて世に出して、その本がどういう運命を切り開いていくか、試してみるのがいいと思う。改訂したいところや追加があれば、第2刷には変更を加えて刷ることも可能だ。更新していける。そう考えるとジンは、ウェブのつくり方にも似てくる。大きく違うのは部数とディストリビューションだ。ジンはひとつひとつのコピーがオリジナルでコピーした数が出版数、ウェブはオリジナルは一つでそのコピーは不特定多数の人にほぼ無制限に行き渡る。

ジン、ウェブ、どちらもコンピューターを媒介にした今の時代の出版方法だと思う。確かにジンは、作って配って、売って、そのとき見てもらうのが主要課題で、長く残すことはあまり考えられていないかもしれない。ウェブも同様。でもどちらも、書誌番号(ISBNなど)を振って、国に書誌登録すれば、後世に残すことだってできる。葉っぱの坑夫ではウェブ作品の書誌登録はまだしていないが、ジンは今回つくった4作品すべて登録し国会図書館に献本している。それはたとえば、30年後に国会図書館なり書誌検索で「鼠小僧」と引いた人が、アリ・マルコポロスと芥川龍之介による葉っぱの坑夫のコラボレーション版の鼠小僧と出会うかもしれないということだ。自分の本が「ちゃんとしている」ことを強く望む人には、本の体裁や部数だけに夢を託すのではなく、こういう(伝わり方における)「ちゃんと」仕方、夢の持ち方だってあるんだと知ってほしいかな、と思う。

国会図書館ですら、「こんな薄っぺらい小さな本は本ではないから書誌に載せられない」とは言わないのだから、ジンも本なのである。ジンが本をつくりたい人の道場、実験場となって、そこから他のスタイルの本作りや出版へのさらなる道を切り開いていけたら素晴らしいと思う。