20121116

キンドルで本を出版するまで


アマゾンが提供するPrint On Demand(以下POD)のサービスをつかっての本づくりについては、今年の6月に書いた。同じくアマゾンの電子書籍端末Kindle(キンドル)でも本を出版してみたいとずっと思ってきた。

今年の7月、アマゾンジャパンがやっとキンドルの発売について発表した。年内に発売開始、という情報だけで、具体的にはそれがいつなのか全くわからなかった。アマゾンが外に情報を出さなかったからである。そしてこの10月末に突然アマゾンサイトでの発表があり、予約受け付けが始まった。キンドルストアもオープン。

キンドルが日本でも発売されるというニュースを聞いて、すぐにアマゾンのPODの担当者にキンドル担当者を紹介してもらった。が、アマゾン直での出版の受け付け(後にKindleダイレクトパブリッシングとしてスタート)は、いつ始まるか未定とのことだった。そして早く進めたいのなら、とディストリビューションを担当する代理店を紹介してくれた。その代理店と連絡を取り、8月半ばに相手先にも顔を出し、出版までの概要や契約について説明を受けてきた。

これらのことを急いでやったのは、紙の本をアマゾンで販売する際のことを思い出したからだ。当時(10年くらい前)、アマゾンが日本でサービスを始めるというニュースを聞いて、すぐにアマゾンに連絡を取った。わたしはインターネットを始めてすぐくらいに、アメリカのアマゾンのアカウントを取り、ときどき本を購入していた。またデータベースをよく利用もしていた。それで様々な未知の本と出会っていたので、アマゾンに対して大きな信頼を寄せていた。

まだサービス開始直後だったアマゾンジャパンは、こちらの熱意ある申し出を聞いてくれて、大阪屋という取次店を紹介してくれた。そのときのアマゾン担当者との電話のことは今もよく覚えている。さっそく水道橋にある大阪屋に出向き、EC事業部の担当者と話をした。まだサービス開始当初だったこともあってか、いろいろ親切に指導していただいた。こちらは当時、本の流通に関して、ズブの素人であった。

そこから10年以上に渡って、大阪屋を通してアマゾンで本を販売してきた。FAXで本の注文があったら、すぐに伝票を付けて商品を送る、ということをしていた。納品伝票や請求書も、最初は手書きだったと思うが、途中からエクセルの書類になった。大阪屋からの指導でそうなった。それ以降、他のブックショップに対しても同じ書式の伝票を使うようになった。新しい本を出すと、大阪屋は見込み販売用として、10冊、20冊とまとめ買いもしてくれた。大変感謝していたが、この10月でその関係は終了し、葉っぱの坑夫は11月からは別の仕組(アマゾンのe託)で本を販売することになった。アマゾンと大阪屋の契約に変更が起きたためだ。とても残念なこと。それでも、ここ10年間の取引には大変感謝している。

とそういう関係を続けてきたアマゾンと葉っぱの坑夫であるが、今回はPODに加えて、キンドル用の電子書籍で参入することになった。これで紙の本はPODで、電子の本はキンドルで、という二つの出版方法を手にしたことになる。

8月にキンドルの代理店に出向き、そこで契約書の説明を受けたりして、あとは契約書にサインして電子書籍を納品、というところまできた。ところがそこから果てしなく時間がかかってしまった。まずサインすべき契約書が届かない。数日で届くはずだったものが届かないのだ。2ヵ月くらいしてやっと届き、契約は完了したが、今度は納品の手順に入れない。代理店からの連絡が散発的になっていたからだ。これは何か起きていて、ひょっとして今年中にアマゾンのサービスが開始されないということなのか、とも疑っていた。新聞などの報道でも、販売する本のデータの収集に手間どっているなどと書かれていたからだ。代理店も、混乱状態にあるのだろうか、などと思っていた矢先に、アマゾンのウェブ上でサービスが開始された。

8月、9月と、この間に、まず出版しようと思っていた4冊の電子書籍のデータの準備を進めていた。電子書籍の標準形式であるePubかキンドルに適応したMOBI形式か、いずれかのファイルでデータを送ることになっていた。当初そのどちらも作ったことのないこちらは、果たして自分の力でできるものなのか、心配しつつ日夜研究を進めていた。もし製作をどこかに頼むことになれば、当然費用がかかる。できれば葉っぱの坑夫で作りたかった。

いろいろ調べていると、ePubの基本になるデータは、ウェブを表示するための言語であるHTML系言語(実際にはXHTMLというマークアップ言語)を使用したものだということがわかってきた。それでこれはできそうだ、と一歩進むことができた。いろいろやってみたが、結論としては、HTMLで基本ファイルをつくり、それをePubに仕立てるソフトを使って編集、成形し、ePubの本として出力する、これがいいと思った。その後、別のソフトを使い、アマゾンKindle用のMOBIファイルに変換する。

HTMLからePubを作るソフトは、どうも英語圏のものしかないようで、その中からSigilというePubエディターを選んだ。まず詳細なマニュアルがあるのでそれを読んで、簡単な試作本を作るところから始めた。わからないことや、できないこと、表示が思ったようにならないことなどいろいろあったが、徐々にできるようになっていった。またソフト全体の思想も理解できるようになってきた。

変換ソフトとしてはCalibreという、これも英語圏のソフトを使った。どちらもフリーソフトである(Mac版があってよかった!)。こちらは途中から、インターフェースの表示言語が日本語化されたものが出てきた。

1、2ヵ月の学習期間と試作期間を経て、なんとか自分でeBookを作れるようになった。努力のたまもの。でも実はそんなに難しくない。HTMLをある程度知っていれば、表示がおかしいときも、Sigilのコードを開いて手で直せばなんとかなる。ウェブ出版をやってきて、その知識がここで生かせたのはよかった、嬉しい。

かなりいろいろなことがわかってきて、ほぼ思い通りの本が仕上げられるようになった。最初に出版するのは以下の4つの本。いずれもすでに紙の本で出版している本である。

ポール・デイヴィッド・メナ著「ニューヨーク、アパアト暮らし(ニューヨーク詩人による英語俳句集)」(2001年)
大竹 英洋著「動物の森 1999 - 2001」(2004年/「森ノ星」に付属のブックレット)
温 又柔著「たった一つの、私のものではない名前」(2009年)
ハビエル・ビベロス著「一枡のなかで踊れば(パラグアイ作家によるスペイン語俳句集) 」(2012年)

今後、既刊の本をキンドル版で出すことと同時に、新たな企画の本もキンドル版で、あるいはPOD+キンドルで出していくことになるだろう。海外の著者たちとも、キンドルでの本の出版について話し始めている。

またキンドルには、カラー表示ができる液晶ディスプレイのKindle FIreやKindle Fire HDといった機種もある。iPadよりやや小さい読書+アルファの端末だ。これを想定した、カラー画像を含むビジュアル作品のプランもたてられるだろう。読書機という意味では、Eインク技術をつかった通常機種(Paperwhite)がいいと思うが、オプションとしてカラー液晶で見る本、というのも楽しいかもしれない。

さて、間もなくキンドル本機は予約購入の人々の手元に届き始めるだろう(因みに、今注文しても、機種によってばらつきがあるが、来月か来年1月の到着となるらしい)。電子書籍そのものは、キンドルストアがオープンしてからすでに販売を始めている。キンドルを持っていなくても、キンドル・アプリを入れればiPhoneやiPadなどいくつかの端末で本を読むことができる。

上記の葉っぱの坑夫のキンドル本であるが、泣きたくなるような様々な「障害」のため、まだ販売開始されていない。契約を完了させることに始まりここに来るまでに「驚くほどの」「想定外の」時間がかかってきたキンドル本出版であるが、最後の最後、データのチェックのところでも???なことが起きて、入稿後2週間たつ現在もペンディングのままである。。。(通常は入稿から24〜48時間で販売が始まることになっている) 

電子書籍という言葉が使われるようになってから幾十年、それがやっと本格始動ということで一気に動きが出て、あれやこれやの問題が殺到中なのだろうか。この詳細については、事が一段落してから、事実関係をよく確認して書きたいと思う。

20121104

「在日」日本人、あるいは「印刷」書籍


ものごとを考えたり、伝えたりするときは、使う言葉の定義がはっきりしていないと、うまく進まない。日本国で使われている日本語には、それが足りないことがよくある。おそらく、○○と言えば99%の(日本に住む)日本人なら、その意味がわかる、通じると信じているからだ。しかし、世の中は中身も構成もどんどん変わっているのであり、通じると思っていたことが通じない事態があちこちで起きている。新たな定義づけや分類による、内容を正確に表わす日本語が求められている。

ここ最近の経験から、そして思うことから、わたしは二つの言葉を定義することにした。

一つは自分のことを言うときに、ただの「日本人」ではなく、「在日日本人」と言うことにした。英語で言えば、「Japanese resident in Japan」あるいは「Japanese living in Japan」か。在日日本人と言うことによって、日本に住んで暮らす人間には、在日ブラジル人や在日朝鮮人、在日中国人など、様々な人がいることが見えてくる。その人たちの中には、帰化して日本人になった人もいるだろう。また日本に住まない日本人、在米日本人や在ケニア日本人のことも思い浮かぶ。

わたしたちが使う「日本人」にも、いろいろな種類の生き方をしている人がいるということだ。また「在日」している人は、日本人だけではなく様々な国籍の人たちがいるということだ。

人と話をするとき、あるいは記者が新聞に記事を書くとき、テレビの司会者が番組で誰かを紹介するとき、いちいち「在日日本人」と言うのではめんどうだ、と思うかもしれない。しかし人の意識というのはそういうところから変わっていくのだと思う。なぜなら漠然と「日本人」という言葉が使われているとき、その大半は「不問のこととして」「純粋な日本人種の血」をもって日本に生まれ、日本語を使って日本で育ち、日本で社会の一員となり、家族をつくり、日本で死んでいく人のことだけがイメージされているからだ。

日本は血統主義を採用しているが、出生地主義の国々では、人は生まれた土地に所属するという考えなので、アメリカやカナダ、ブラジルなどではそこで生まれればアメリカ人やブラジル人となる。つまり日本で生まれた在日二世や三世の人たちも、出生地主義の考え方で言えば「日本人」ということになる。日本人であるかどうかは、「勤勉で真面目」「器用で繊細」などという性格や習性などとは関係なく、制度の中でどこに所属しているかということしか表わしていないはずなのだ。

ただ人の思い込みというのはしぶといもので、なかなか変わることがない。それならば、呼び方のほうをはっきりさせていくのも一つの方法ではないか。使い慣れない言葉を使う違和感の中で、人々が自分が誰なのか気づくきっかけとなる。


もう一つ、書籍という言葉も、新たな分類と定義づけが必要とされている。それは電子書籍という存在が現われ、今後大きなカテゴリーを占める可能性が出てきたからだ。

先日、電子書籍の一つであるアマゾンのキンドルで本を出版するため、書誌データの書き込みをしていた。そのような公式な書類の中でも、書籍という言葉の定義があいまいだったことに驚かされた。「書籍」と言えば「紙の本」という思い込みがあるらしく、「電子書籍」「書籍」という2種類の言葉が、定義もなく並べられていて混乱させられた。書式の制作者の頭には、「書籍」とだけ言えば紙の本を指す、という勝手な思い込みがあったようだ。

電子書籍の時代には、電子も紙もどちらも書籍、という認識があってしかるべきと思う。それを誰もがわかるように明確に区分するには、「電子書籍」という呼び方に対して、紙の本はたとえば「印刷書籍」と命名するのがいいと思う。あるいは「紙書籍」という言い方もあるかもしれない。

「電子」を使用されているメディア(媒体)と考えれば、「紙書籍」がいいだろうし、「電子」を表示の方法論と考えるなら「印刷書籍」がいい。いずれにしても「電子書籍」に対応する標準的な言葉がほしい。ややくだけた言い方だが、「紙の本」というのもわかりやすい。わたし自身はここ10年くらい、この言葉を使ってきた。

このように、定義があいまいなままにされている言葉は日本語には結構たくさんある。そしてその定義はものを知らない「マジョリティの思い込み」に端を発していることも多い。その場合、たいがいこうでしょ、という考えの域を出ようとせず、それ以外のことはすべて想定外となる。

ものをきちんと考えるには言葉が必要だ。その言葉を正確に使うには、一つ一つの言葉の定義がしっかりしていないと話が通じない。言葉の定義をしっかりして、その言葉を使って意味ある議論や対話をしたいものだと思う。