20150831

元号とわたし:または安保法案

元号、「昭和」とか「平成」など(のちに天皇の名前となる名称)で数え、呼ぶ年号のことに、わたしは否定的なこだわりをもってきた。その理由の一番大きなものは、面倒だから、というものだ。区役所に行って書類を書いたり、銀行や郵便局で送金や受け取りをするとき、年月日のところに「平成  年」とあり、空欄に年度入れるわけだがそれがパッとわからない。いま平成でいうと何年に当たるのかが計算しないとわからないのだ。また昭和何年に創立、などと言われたときに、何年前のことなのかがすぐに思い浮かばない。足し算、引き算をしないと出てこない。それでイライラする。

日本の社会内では西暦を補足的につかいながらも、元号を主としてつかっていると思われ、会社勤めの人などは、書類を書く際、日常、年度は元号で書くことに慣れているかもしれない。想像だが、外資系の会社では、内外の事務処理をする上で、西暦が主になっているのではないか。一般の人の日常の感覚がよりどちらに依存しているか、これも想像でしかないが、おそらく時間感覚としては、いまは西暦で年度を数えて生きている人の方が多いのではないかと思う。

インターネットの世界では、電子メディアの新聞各紙、ブログなどの日付は西暦で表記されている。記事を書く人や投稿する人が日付をつけるのではなく、投稿時に自動的につくものが西暦の年度、日付(時間も)なのだ。これはコンピューターの処理として、元号より合理的だからだろう。元号の場合、それが変わるたびに、日付のシステムを替えなければならない。

さてこの元号、自分がつかい慣れないからイライラするということの他に、あまりつかいたくない気分もあった。なぜなのか、あまり考えたことがなかったが、理由の一端が最近わかった(ように思い腑に落ちた)。

安保法制に関する記事を(ネット新聞の)ハフィントンポスト日本語版で読んでいたときのことだ。2015年6月15日付の記事で、安倍政権が成立させようとしている安保法案について、衆院憲法審査会で憲法違反であると述べた長谷部恭男・早稲田大学教授と、小林節・慶応大学名誉教授の二人が、日本外国特派員協会で会見したときの模様が記されていた。その中にあった外国人記者からの質問に次のようなものがあった。「新しい憲法解釈を支持する著名学者は、日本会議にみんな属している。影響力をどう見ているか」。日本会議? 

思い出した。そういう民間組織があり、日本の政界に大きな影響を与えている、というか自民党議員の大多数が「日本会議」に属している、という事実を以前に知り、びっくりしたことがあったのだ。役員には安倍晋三、麻生太郎、下村博文といったなるほどという面々が名を連ねている。(この日本会議については、日本のメディアではほとんど扱われたことがないので、大多数の国民はその存在を知らない)

日本会議の活動には、憲法の改正や有事法制の整備、学校の教科書から「自虐的」「反国家的」表現(慰安婦問題など)を取り除き、愛国心を育てることに力を入れることがある。国旗国歌法の制定もその一つである。その日本会議について、ハフィントンポストを読んだあとで、改めて調べていて気づいたことがあった。日本会議の成り立ちについて、ウィキペディアに次のように書いてあった。

1997年5月30日に「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」とが統合して組織された。

この「日本を守る国民会議」とはなんなのか調べてみると、その元は「元号法制化実現国民会議」であり、その組織がのちに旧軍人関係者や保守系文化人などとともに、現在の日本会議を創立したらしい。元号法制化は、「元号法制化実現国民会議」がつくられた翌年、閣議決定され、国会で元号法が制定された(1979年)。いかにこの組織が政界で力をもつかがわかる一例だと感じた。元号は、戦後の日本国憲法下では法制化されていなかった。1979年の時点で昭和天皇が高齢化していたこともあり、死んだときに議論が起きないよう法制化しておきたい、ということだったようだ。この旧組織も、現在の日本会議も、戦前の日本の価値観を重視し、そこに戻りたいという意思があるように見える。安倍首相の言う「戦後レジームからの脱却」というのも、この考えにぴたりと重なる。戦後レジームというのは、戦後の憲法や教育基本法に代表される新体制のことだ。

安倍政権下で教育基本法はすでに改定された(2006年)。そしていま、安保法制が変えられようとしている。わたしが思うには、元号法の制定は、一見小さなことのようだが、日本会議がやろうとしている法制化の流れの一環であり、もっとも早く実現された法案ということになるのではないか。元号法制定(1979年)、国旗国歌法の制定(1999年)、教育基本法改定(2006年)ときて、いま安保法案(憲法改正が叶わなかったため)の改定と見てくると、その流れははっきりとした一本の道を描いているように感じられる。

ところで先にあげたハフィントンポスト日本語版の、外国人記者からの質問に小林節・慶応大学名誉教授は以下のように答えていた。

“日本会議には知り合いがたくさんいますが、彼らに共通する思いは、第2次大戦で負けたことが受け入れがたい。その前の日本に戻したい。彼らの憲法改正は明治憲法と同じですし、今回も、明治憲法下の5大軍事大国となって世界に進軍したい。そういう思いを共有する人々が集まっていて、自民党の中に広く根を張っていて、よく見ると明治憲法下でエスタブリッシュだった人の子孫が多い。”

「第2次大戦で負けたことが受け入れがたい」人々。そういった人々は、最近見た映画「日本のいちばん長い日」(1967年の旧版の方)にもたくさん登場していた。映画を見ていて、この人々の心情は(生死にかかわらず)いまも生きているし、子供や孫にも受け継がれているだろう、と思った。つまり少なくはないボリュームの人々が、戦前の日本社会をいまも夢見ているのかもしれない。信じられないようにも思うが、安倍さんが首相になっていることや、日本会議という右派団体が存在して政界に影響を与えているのは、その証明だろう。

元号がいまも日本社会で広くつかわれている理由は、法制化により企業や団体が使用を強制されているから、というより、おそらく役所への提出書類の基本が元号になっているからではないかと思う。日本のあらゆる公的主要機関への提出書類の基本が元号だから、企業もそれに合わせているのではないか。その意味で、元号法の制定は重要な意味をもっていたと思われる。

わたしの元号に対する「なんとなくいやな感じ」の背景には、戦前の価値観への復帰という志向が、透けて見えているからではないかと思う。

20150810

15年目の倉庫整理とリニューアル


今年の4月で、葉っぱの坑夫は創設15年となった。その頃生まれた子どもは、15歳の高校生だ。サイトをスタートさせた頃は、ウェブについて未知のことがたくさんあったけれど、15年間学びつつやってきて、葉っぱの坑夫もなんとか高校生くらいにはなっただろうか。

サイト構築やウェブのデザインは、2000年当時グラフィックデザイナーのYoshimi氏がつくってくれたものを、継ぎ足し継ぎ足しやってきた。香港の雑居ビルのように、その場その場で継ぎ足していった感もある。もともとYoshimi氏にしても紙のデザイナーであり(というか当時まだデザイナーの誰もが、ウェブデザインを学びはじめたばかりだった)、葉っぱの坑夫のウェブデザインも、紙のデザインにハイパーリンクがついているようなものではあった。それで15年間、基本は変えずにやってきた。

15年間の香港雑居ビル状態を少し整理したほうがいいのではないか、とここ何年か思ってきた。そこにこの春、Googleが検索エンジンにおいて、モバイル対応の有無で検索時の優位性を判断するという発表があった。調べてみれば、モバイルがウェブへのアクセスの割合において、デスクトップパソコンを抜いたという報告もある。パソコンをまったく持たず、多くのことをiPadやiPhoneのようなモバイル型コンピューターで済ませている人がたくさん出てきているのだ。パソコンをもっていても、仕事以外のことはモバイルで、という人も多そうだ。メールチェックやウェブの閲覧なら、iPadでなんの問題もないのは明らかだ。

この状況を見て、これは何かしなくては、葉っぱの坑夫をモバイル対応にしていったほうがよさそうだ、とすぐに思った。ついでにといってはなんだが、香港雑居ビル状態も、この機会に解消しよう。サイトは15年でかなりふくらんでいるので、大改造になりそうだ。。。さて、どこから手をつけるべきか。デザインやサイト構築を誰に頼むか、あるいは自分でできるだろうか。そんなことを具体的に考えはじめたのが、今年の6月に入ってから。

いろいろ考えたり試したりしていて、WiXといウェブ制作のシステムをつかってみることにした。やはり葉っぱの坑夫の出版の基本は、デスクトップ・パブリッシングである。本でもウェブでも、専門家の手にゆだねず自力でやってみたい。出版に至る道筋や方法論も含めての、出版のアピールだと思っている。

今回選んだWiXというのは、HTML5でサイトを構築、デザインするクラウド上のシステム。モバイルにも対応するページが簡単につくれる。テンプレートがたくさん用意されていて、それをカスタマイズして自分のサイトをつくるのだ。ブログのホームページ版といってもいいかもしれない。実はこういうシステムができないものかと、葉っぱの坑夫をはじめた頃からずっと思っていた。それがやっと使えるものとなって登場したのだ。

しかし、WiXで果たして思うようなサイトがつくれるのか、カスタマイズはどこまでできるのか、旧サイトからの移行はうまくいくのか、困った時にカスタマーサービスは適切に受けられるのか、などたくさんの不安材料があった。そこでまずは無料登録で、サイト制作を試してみることにした。

結果は、まずまず。ざっとした使い方がわかっただけの段階だけれど、徐々に覚えていけば、いろいろできそうな感じだ。WiXの仕組をつかってまず新プロジェクトのコンテンツをつくってみることにした。8月から始めるノンフィクション企画だ。WiXのデザインには、写真などのビジュアル素材を効果的に見せる意図を感じた。iPadなどでコンテンツを楽しむために、ビジュアル素材は欠かせないということだろう。即座のアピール力があるのは、やはりビジュアルということのようだ。

今回スタートさせるノンフィクション企画「世界消息:そのときわたしは」のいくつかの記事は、写真も重要な素材になってくる可能性がある。また理解を深める目的で、記事に合わせて、写真を効果的につかってみたいとも思っている。以前からクリエイティブ・コモンズの写真をうまく利用できないかと考えていたが、出来事や場所で検索すれば、記事にあった良いものが見つけられるかもしれない。最近はクリエイティブ・コモンズ仕様の写真も、高解像度のものが用意されているので、4K、5Kの超高精細モニターでも美しく表示できるだろう。

WiXの写真処理機能は簡単に扱えて、それなりに仕上がる仕様になっている。photoshopのような複雑なことはできないが、素材をトリミングしたり、彩度を落としたり、効果を付け加えたりと、用意されている変形やフィルターの中から合うものを使用することは可能だ。クラウドのアプリなので、機能のアップデートも行われているようだ。

ノンフィクション企画のコンテンツをざっとつくったあと、今度は新しい葉っぱの坑夫のトップページのデザイン案にとりかかった。二つの案をラフでつくってみた。一つは写真を全面に使用したもので、上部にWeb Press 葉っぱの坑夫のタイトルを入れるというシンプルなもの。もう一つは表紙用のテンプレートではなく、about用の文字のみのテンプレートをつかってみた。上部にタイトルが入り、その下に日本語、英語で簡単な紹介のリード文、その下に6つの文字ブロックを組んだ。主要なメニューが六つあるというイメージ。連載中のタイトル二つに加え、「葉っぱの坑夫について/About」「作品アーカイブ/Archives」「Happano Store」「ブログによる活動日誌」が並ぶ。上に日本語、下に英語を置く。日本語はデフォルトの黒(グレー)、英語テキストは濃いブルー(紺)にしてみた。パッと見は同じ色に見えるくらいの色の違いだ。日本語のみのコンテンツには、英語のテキストは入らない。印象としてはモノトーンで、テキストのみのトップページ。

この二つを何日間か眺めていて、最終的にテキストのみの方に決めた。理由は写真を全面につかった方(リーフマイナー=葉っぱの坑夫が跡をつけた葉っぱの写真)は、ビジュアルにアピール力があり、一見インパクトはあるが、ある意味よくあるタイプのデザイン。最近のHPにはこの手のページが多い気がする。

テキストのみのトップページというのは、これが表紙か??という「表紙らしくなさ」があるが、葉っぱの坑夫の意図が、翻訳を中心とするテキストにあることを訴えたいのであれば、適していると言える。また日本語と英語を並列表記させることで、2ヶ国語とかバイリンガルという言葉をつかわずとも、どんなサイトかがひと目でわかるのもいいと思った。

というわけで、新しい葉っぱの坑夫のトップページはこんな風になっている。
www.happanokofu.org
現在、もともとのサイトのトップ、happano.orgもそのまま有効になっている。予定としては、約1年間かけてコンテンツを現在のアーカイブから、WiXでつくっている新たなサイトに移行にさせ、最終的にドメインは、もともとのhappano.orgを引き継ぐというプランだ。つまりhappanokofu.orgの方は、移行期のみの一時的なアドレスとなる。

ただ現在までのすべてのコンテンツを新たなものに作り変えるのは、不可能だろうと思っている。画像素材にしても15年前のものをそのまま使うのは苦しいだろうし、それはそれとしてそのままの形で、残す方がいいと思っている。そういった作り変えないコンテンツはWiXとは別のサーバー内に置いて、ハイパーリンクでアクセスできるようにするつもりだ。

何と何を作り変えて、どれを別サーバーに移動するのか、のプランを今後つくっていかなくてはならない。happanokofu.orgを最終的にhappano.orgに移行する手続きやタイミングなど、まだ不明なこともある。WiXの仕組をすべて理解したわけではないので、学びつつ理解しつつ、最良の方法を見つけていくことになるだろう。