20111227

ハイクの世界性

朝起きたらまずコーヒーを入れて、それを飲みながらスペイン語のハイクを一句訳す。最近の日課になっている。ウェブで南米の作家を探しているとき出会った、パラグアイ人作家の俳句集「En Una Baldosa」(一枚のタイルの上で)を最初から一つずつ読んでいっている。

わたしのスペイン語の能力は低い。ずっと昔に少し覚えた基礎的な知識をベースに、2、3年前に買った有能なスペイン語辞書を繰りながらハイクを読み、訳すのだ。ほとんどクイズかパズルのような世界と言ってもいい。でもこれが楽しい。英語ハイク同様、スペイン語のハイクも形としては三行詩だ。ごく短い言葉の断片によって紡がれた極小の世界。スペイン語のタイトル「一枚のタイルの上で」もそのことを表している、と後で作家本人から聞いた。サッカーの盛んな南米らしく、「『一枚のタイルの上で』くるくる回る」と言えば、ゴール前で数人の選手に囲まれながらかわしてゴールに向かうプレイ、を指すらしい。

語学能力がたとえ低くても、何とか意味がとれるのがハイクだ。ハビエル(この俳句集の著者)の俳句集はPDFになっていて、1ページに一句が置かれている。大きな余白をあけて、それぞれの一句に頭から番号が振ってある。その余白がハイクにふさわしいと思った。プリントしたハイクの1ページの大きな余白に、わたしはボールペンで言葉の意味を書いていく。たとえばこんな風だ。

2.
Vidrio empañado.
Apenas puede verse
el arco iris.

vidrio=[英] glass
empañado=曇らせる、汚す(動詞empañandoの現在分詞)
Apenas=[英] hardly
puede=[英] can(動詞poderの三人称単数、現在)
verse=[英] see(動詞ver)
el=[英] the(elは男性、単数)
arco=bow, arch
iris=虹、
arco iris=虹

[英]と書いてあるのは、英語の何に当たるかということ。わたしの愛用しているプログレッシブのスペイン語辞典は、そこが優れている。日本語よりずっと英語に近いスペイン語の意味を知るとき、日本語の意味をずらずらと読むより、英語で何に当たるかが書いてある方が言葉の全体像がパッとつかめる。ただ辞書の全部の言葉にこれがついているわけではない。

こうやって語句の意味をまず知る。それからそれを並べてみる。英語に一度置き換えた方がわかりやすい場合もある。たとえばこのハイクなら、
cloudy glass / hardly can see / rainbowのように。ハビエルは英語で"cloudy glass / the rainbow / can hardly be seen"と訳してくれた。わたしはこれを日本語にするとき、このように並べてみた。

ガラス曇り
見ること叶わず
虹の弓

出来た! と面白がるわけだ。このようにうまくいかないこともある。動詞の複雑な変化などで、単語の意味が取れないこともある。また語句の意味はわかっても、何を言わんとしているのかが不透明なときもある。ハイクではそういうことはよくある。とても短い言葉の中で表現をしているので、理解に想像力や前提となる知識が必要なこともあるのだ。日本語の俳句でもそれはよくある。特に江戸時代の俳句などだと、その時代の風習や俳句を書くときの決まり事に知識がないと、とんちんかんな理解をしたり、まったく意味がとれなかったりする。

わたしの俳句との出会いは英語ハイク、それまで俳句をまともに読んだことがなかった。その理由の一つが、季語をはじめとする様々な決まり事を知らないと理解すらできない、というイメージがあったから。ところが英語のハイクはそういう決まり事から自由なので、単純に短い三行詩として楽しめる。さらには、英語ハイクを読むようになってわかったのは、俳句のポイントは季語や5−7−5の音節にのみあるのではない、ということ。実際、英語ハイクには季語も5−7−5もない。それなのに正にこれが俳句のツボだ、という精神に満ちていた。最初に書いたハビエルの俳句集のタイトル「一枚のタイルの上で」にも現われているように、ごくごくミニマルな言葉の世界に、広々とした世界への視点を埋め込む、というのもその一つ。写真のシャッターを切るように、ある瞬間の光景を鋭く切り取って小さなフレームに収める、という側面もある。

ハビエルを始め、英語やイタリア語、スペイン語などでハイクを書く詩人たちは、芭蕉をきっかけとして俳句の魅力に取り憑かれた人が多い。最初に英語に訳されたのだろうか、たぶん一つの言語から始まり、次々に様々な言語に訳されていったのだろう。大きく広がったのはインターネット時代以降かもしれない。芭蕉は17世紀の俳人だから、もちろん著作権は消滅している。パブリックドメインになった詩がネットを通じて訳され、広がっていくのは充分に想像できる。ウィキペデアの松尾芭蕉の項目には、ずらりと他の言語版が並んでいる。芭蕉の世界的広がりを証明する事例だろう。芭蕉より少しあとに生まれた小林一茶は、芭蕉ほどの世界性はウィキペディアの各国言語版を見るかぎり現われていない。

これは芭蕉の俳句のほうが世界性があったからなのか、たまたま芭蕉には良い訳書があったからなのかはわからない。小林一茶はアメリカの詩人とのプロジェクトで、最近200句くらいを英訳したことがある。また詩人のナナオサカキによって訳された「INCH by INCH - 45 HAIKU by ISSA」という本があり、わずか45句ながら、一茶の世界がユニークな英訳で紹介されている。わたし自身はナナオサカキの翻訳や、自分が参加していたプロジェクトのことから、芭蕉より一茶のほうになじみがあるが、多くの日本国外の作家や詩人たちが夢中になる芭蕉も、一度読んでみたいと思っている。

わたしhが英語ハイクに出会ったのはアメリカの詩人ポール・メナの句集で、それはニューヨークの下町の風景を切り取ったものだった。次にロシア人のアメリカ留学生が綴った、アメリカ滞在記のスタイルをとった句集。それからアメリカの俳人によるミズーリの森や草原をうたった句集もあった。これらの本は葉っぱのウェブや小さな紙の本で出版している。

パラグアイ人作家、ハビエル・ビベロスのハイクもいくつかを「Fragments/ことばの断片」で来年1月に紹介しようと思っている。ときにサッカーの話などしながら、作者の助けを借りてスペイン語のハイクを一句一句訳すことは無上の喜び。ハビエルからは英語に訳して先に送ってあげようか、と言われたけれど、いや自分でまずはスペイン語から一句ずつ訳したいと断った。もちろん、ひと通り訳したあとで、確認も含めて助けを借りたいと頼んではあるけれど。そうそう、ハビエルの句集には、パラグアイの現地語グアラニー語の句もいくつか入っている。そちらはさすがに読めないので、スペイン語/英語に訳してもらっている。

ハイクというのはどこか、無名性、匿名性を秘めている気がする。西洋の詩が作品然としているのに対し、もっと気楽でオープンなものを含んでいる。その上で素晴らしい芸術性も備えている。そのあたりのことも、ハイクの世界性と関係があるように思える。

ポール・メナ「ニューヨーク、アパアト暮らし」
1.ウェブ版、2.紙の本版

アレクセイ・アンドレイエフ「ぼくのほらあな」
1.ウェブ版、2.紙の本版

ジョン・サンドバック
1.ウェブ版、2.紙の本版

20111212

出版の未来形:PODと電子出版

iPhone、iPad、Kindleなどの人気でここのところ、世界的に電子出版の話題が復活している。そこで電子出版を含めた出版の可能性について、葉っぱの坑夫のこれまでの活動を振り返りつつ、改めて考えてみたい。

葉っぱの坑夫を始めたのは2000年の4月。ウェブによる出版とプリント・オン・デマンドによる紙の本の出版、この二つを実行するためのいわば実験的プロジェクトだった。ウェブにコンテンツを載せることを「publish/出版」と位置づけ、インターネット上でボーダーレスに本を公開していくことをまず念頭に置いていた。日英バイリンガルにしたのも、言葉による壁を少しでも減らすためだった。実際やってみると、読者や寄稿者には、英語圏だけでなく英語を解する様々な国や地域の人々がいることがわかった。

出版の形式としては、当時PDFがまだ広まっていなかったこともあり、特定のソフトウェアに頼らなくてすむHTMLによるウェブブラウザーでの閲覧を基本とした。日本では「ホームページ」という言い方が主流だったが、葉っぱの坑夫としてはあくまでも「出版」の一形式という捉え方をしていた。インターネットでの出版は、インフラの整備やコンテンツを保存しておくサーバーを借りるなど、一定の費用は常時かかるが、紙の本を出版するほど大きなコストが一時にかかることはない。実験的プロジェクトにとっては、そこが何よりの利点だ。

当時のプリント・オン・デマンドは、実際には1冊ずつ注文して製作するわけではないが、小ロットでの印刷が可能になる出版形式だった。コスト面でいえば、500部以下の出版に、オフセット印刷より単価のメリットがあると言われていた。今はオフセットの方もネットの印刷屋さんなどでかなり安くなっているので、事情は少し違ってきたと思うが。葉っぱの坑夫では、数冊の本をこのプリント・オン・デマンド(POD)をつかって出版した。初版300部で始めたものが多い。

2011年12月現在、電子出版もPODも日本ではまだそれほど一般的ではないものの、あらためてこの二つの方法論が今後の出版に与える影響は大きいのではないかと感じている。特にインディペンデントな小さな出版にはメリットが多く、新たな道が開けそうな予感もある。前回、アメリカのamazonの電子出版について、キンドルという端末の話を中心に書いた。なかでもamazonがやっているSelf Publishingという個人出版・販売のシステムに驚かされた。アメリカのamazonではこのSelf Publishingとともに、PODによる出版もできるようになっている。そしてこのPODについては、日本のアマゾンでも実はできることがわかった。アマゾンのトップページには入口が何もないので見つけるのが難しいが、わたしはたまたま検索をかけていて発見した。この仕組を使うと、データをアマゾンに置いておくだけで、読者から注文があったときアマゾン側が印刷して読者に発送(販売)してくれる。

試しにアマゾンでPODによる日本語の本を買ってみた。100頁程度の本だと、コスト的に1000円以内の定価で売ることが可能なようだ。それほど割高感はない。印刷は今のところ表紙だけカラー印刷(PP加工)ができ、本文はモノクロのみ。洋書のペーパーバックという体裁だ。読むことで言えば、特別な欠点も見当たらない。日本では紙の本は初版はハードカバーが多く、装幀や使用紙も凝ってつくられる場合があるが、そういうものにはもちろん対応していない。テキスト主体の、内容を読むための本、ということで言えば充分だと思うが。その意味で、PODによる本は、デジタルの本(電子書籍)に近いものだろう。手触り感や微妙なビジュアル上のニュアンスを発信側の意図通り伝えるのは難しいが、中身は読める。電子書籍もまた、フォントの大きさを変えられるなど、読む側の好みを重視する傾向が強い。これは今後の本のあり方の一つの道だと思う。

出版する側から見ると、アマゾンのシステムをつかってPODと電子出版で本づくりをすることは合理的だと思う。コンテンツの基本データを、PODとキンドル用に適応させてアマゾンのサイトにアップロードすればいいだけだ。本の登録にはあらかじめ、版元の登録をしておく必要があるがハードルは高くない。紙の既刊本は在庫が切れた時点でPODに切り替えれば、重版することなく販売が続けられる。PODと電子出版には基本的に絶版というものが起こらない。現在の出版事情を考えれば、大変望ましいことに見える。

葉っぱの坑夫では、この二つの方法を既刊および新刊の本で試してみたいと思っている。PODについては、米国の源泉税を免除してもらうため、書類に必要なEINを取得しなければならなかったり、入稿につかうデータ原稿のPDFをアマゾン側の印刷システムに合わせるための調整が必要だが、それほど高いハードルではないと思う。キンドルの方は、日本のアマゾンでは大手出版社との合意ができていないので、利用はもっと先になるだろう。

アマゾン以外にも、海外にはこのような出版、販売の仕組をもつ会社はいくつかあるようだ。作家や個人出版社はこれまで流通の手段を安定的に確保するのが難しかった。本はつくれても、その先の流通、販売がなかなか難しい。が、こういった出版、販売システムをつかえば、データを用意するだけで、とりあえずその両方が満たされる。アマゾンは書店であるだけでなく、出版の部分も担うことになる。内容の質に関するチェックはないので、様々なレベルのものが本として世に出る(出てしまう)ことは確か。だけれどもそのことに大きな実害はあるだろうか。本を探すとき、読者はたいてい自分の関心にそって検索をかける。そこに出てきたリストから、版元やレビュアーのコメントを参考にしつつ、また中身のサンプルを実際に目にして、目的に近そうな本を選ぶ。検索システムというのは、広告と違ってフラットで平等なもの。大手出版社や著名人の本を読者が選ぶとは限らない。いろいろな面で、受け手の側の自由や便利が広がっている。発信側の目論見だけでものごとが進む世の中ではなくなるかもしれない。

電子出版の仕組の例として二つほど上げてみたい。一つは先日発表されたばかりのボイジャーが開発したBinBというシステム。BinBとはBooks in Browsersのことだそうで、インターネット環境とブラウザーさえあれば、パソコンでもモバイル端末でもアクセスして読書ができるという。これまでボイジャーはエキスパンドブック、T-TIme、ドットブックなど読書用の閲覧&作成ソフトを多く開発してきた。それらは閲覧のためにアプリケーションをダウンロードする必要があった。今回のBinBはそれが必要ない。よりオープンなシステムということなのだろう。また個人作家に向けた、セルフパブリッシングの仕組もまもなくスタートさせるとリリースにはあった。今後の動きを期待したい。因みに現在フリーで閲覧できるサンプル作品を体験してみた。「解説『虎虎虎』」という本をパソコンで見てみたところ、表示はきれいで読みやすい。読書用端末を持っていないのでそちらでの見え方はわからないが。ややページ繰りが重い気もしたが、実際の読書で試してみないとそのあたりの快不快はわからない。
BinBのサイト:
http://binb-store.com/


もう一つは海外のものでLulu.com。これは英語圏にいくつかある出版代行サービス会社の一つ。電子書籍だけでなく、プリント・オン・デマンドの仕組をつかった紙の本(ハードカバー、ペーパーバック、フォトブックなど)を出版、販売している。会社概要によると、設立は2002年、一千万を超える出版者をもち、毎月二万タイトルを出版しているそうだ。出版者側の利益は販売価格の80%、つまり20%がルルの取り分。ざっと見たところ制作をサポートするシステムがあり、自作を保存したワードなどのデータを変換して簡単にアップロードできるようだ。ルルを知ったきっかけは、ある作家が本をルルで売っていたから。そのときはeBookで買ったので、配送料はなしで本代5ドルを払った。同じ本をPODのペーパーバック版で買うと、本代が9.98ドル、配送料がスタンダードメールで約9ドル(到着まで7〜17日)で合計20ドル弱になる。送料が高くなってしまうのは、ルルの本拠がアメリカにあるからだ。日本在住者に本を売りたい場合は、そこはネックになる。またeBookの場合、英語以外の言語はiBookstoreでは今のところ販売できないとの但し書きがあった(ルルは自サイトで本を販売するだけでなく、アマゾン他の書店への販売網をもっているということ)。これはアップル側の制約だと思うが。eBookの見映えがどんなものか試してみたい人には、フリーのサンプル作品も置いてあるので感じがつかめる。わたしはペルーへの旅を綴ったLara Simpsonさんという人の写真入りの本をダウンロードしてみた。
Luluのサイト:
http://www.lulu.com/

アマゾンもルルも、そしてアップルも、電子書籍を日本語での出版に利用しようとすると、まだ充分ではない点は多い。前回書いたアマゾンのキンドルの問題もそうだが、様々な理由で電子書籍化がまだ日本の社会にはフィットしにくいということか。ただ英語圏でこれだけ読者、出版者(著者)が拡大していることを考えると、遅かれ早かれそのときはやって来ると思うのだが。技術の方は、キンドルで日本語フォントを装備したヴァージョンが出るなど、一足早く準備は整っているように見える。