20100720

サッカーW杯全試合観戦記

ワールドカップ観戦中に書いたメモをひとつの作品としてまとめてみました。

ドキュメント<2010年南アフリカの小宇宙> 
http://happano.org/2010WorldCup/index.html

20100705

記憶と記録

ワールドカップ南アフリカ大会も残すところ4試合となった。全64試合なので、ここまでで60試合全部を見てきたことになる。1ヶ月足らずの間にこんなにたくさんのサッカーの試合を見たのは、もちろん初めてのことだ。全部を見ようと決め、準備もぬかりなくやったが、未経験のことだからやり遂げられるかはわからなかった。どの試合も公平に、興味と集中をもって見遂げられるか、という課題はほぼ達成できたと思う。始まって10日目の6月20日のスロバキア、パラグアイ戦の途中で眠気が襲って一部見逃したことが、唯一の気のゆるみだったか。

南アフリカでの試合はすべて、現地時間で13.30(20:30日本時間)、16.00(23:00日本時間)、20:30(14日3:30日本時間)に行なわれた。午後1時半の試合は日本時間の午後8時半とちょうどいい時間帯なので、すべてを生中継で見た。午後4時からの試合も、なるべくライブで見るようにしたが、長期のことなので無理はせず、前半だけ見て翌日残りを録画で見るなどして日常生活と折り合いをつけた。午後8時半からの試合は日本では真夜中になるので全試合、翌日録画で見た。ただ翌日にまわした試合は、新聞やテレビ、インターネットなどの情報を遮断して、結果を見ないようにして観戦した。録画を朝起きてすぐから見始めたのは、情報にさらされないためである。

全試合を見ること以外にやったことは、試合の印象を毎日記録することである。一試合ごとに2、300字程度のコメントを書いた。どんな試合だったかを自分の印象に基づいて記した。翌日の試合の組み合わせを見て、それに対する予想や期待も同程度の字数で記しておいた。なのでスタイルとしては、未見の試合についてのコメント+実際に見た後の印象記ということになる。それほど考えた末の方法論ではなかったが、案外いい方法だったとやりながら感じた。グループリーグが最終節に入った6月22日からは、一日4試合の進行になった。記録作業も大変になりそうだったが、そこまでの間に毎日3試合ずつこなすことに慣れてきていたので、それほどの苦労にはならなかった。ただ一試合ごとのメモを取っていなかったら、きっと記憶が混乱したことだろう。

試合を見るにあたってごく簡単なメモをつけていた。メモなしで見たものもあるが、多くの試合で手元のメモ帳に試合の流れや決定的な場面、カメラが捉えた印象的なシーン(試合の中身に限らず)などを書きつけた。それでもいざ試合の記録を文章化する段階では、足りない情報や忘れてしまっていることがあり、新聞やインターネットの記事を参考にした。試合をいっぺんに三つも四つも見ると、記憶に混乱が起こる。見た印象は頭の中に残っているのだが、個々の事実がその属性や背景ときちんと結びつかないのだ。脳は短期間に得た多量の情報をすみやかに整理、分類できないのかもしれない。(それとも自分の脳の能力に問題があるのか? もちろん個人差はあると思う。)

書くという行為は、そういう記憶の混乱を整理して正しく並べたり、奥に追いやられた印象を引っ張り出して改めて分析する起点をつくってくれる。たとえば今回の中継放送を見ている中で、カメラワークの素晴らしさに魅せられることがたびたびあった。ただ試合の中身に注目するあまり、特に意識することはなかった。試合の記録以外の短文集(Point of View)を書き始めて、その主題の一つとして「中継映像」を選んだとき、記憶にしまわれていた印象がよみがえった。視点として注目すべきものとして浮かび上がったのだ。

自分で試合の記録をつけようと思ったのは、同じ現実を見ていても、見る人によって、見る場所、受ける印象、そこから導き出す感想や分析がかなり違うことが予想されたからだ。自分がそれぞれの試合をどう見たかを書いておこうと思った。事実というのはいく通りもある。受け止める人の数だけあると言ってもいいかもしれない。どう見たいかという心情や特定のチームに対する期待によっても見方は大きく変わってくる。サッカーの知識や様々なスタジアムでの観戦経験、あるいは自身のプレイの経験なども、ゲームの見方に影響するだろう。わたし自身について言えば、プレイの経験はなく、試合を見て楽しめる程度の知識しか持ち合わせはない。細かい戦術や選手の配置システムについては、試合を見る中で自分で識別、判断できるほどの能力はない。まず、広いピッチ上で動く22人の選手の(カメラに映っているのは半分くらいだとしても)動きを的確に追うことができない。だいたいはボールの動きとボールを持った人を追いかけているわけだ。残念ながら、ボールを持っていない選手の動きをちゃんと捉えるほどの「目」と「知識」は持っていない。だから、すべてを鵜呑みにはしないが、実況や解説者の言うことは参考になることが多い。選手の名前に始まり、決定的瞬間でのボールの位置やボールに触った人、人と人のぶつかり合いやファウルの状況など、自分の目の能力を補うものとして実況や解説は欠かせない。再生映像も目の能力を補ってくれるが、すべての動きを再生するわけではないので、実況や解説者の目が捉えた「瞬間瞬間の事実」は自分の印象や記憶の一部となって残っていく。

それでも、一つの試合について短い文章で記録を残そうとすれば、何を書いて何を省くか、どのような視点から書くか、など結果は書く人の数だけ生まれる。余裕もなかったので、記録は自分の印象に残ったことを優先して、短時間でメモのように書いた。自分の印象に基づいているので、大会が進行していく中で過去の対戦について振り返りたいと思ったとき、ある意味参考になった。インターネットで過去の試合記録を検索して調べるより、自分の記録の方が、(自分にとっては)試合状況を思い出すのに役立っているのではないかと思った。

同じ試合を見ていても、様々な見方、受け止め方があるものだ、ということも今大会を見ていて強く感じた。見る人の属性や期待、サッカーの経験や知識によるものが大きいとは思うが、見る人の基本的な生き方や信念、サッカーに限らずものを見ていくときの視点が、そこにある現実をどう捉えようとするのかに密接に関係しているように思った。また同じ試合を改めて見直してみると、初回とはかなり違った印象で見えてくることも経験した。生中継で見ているときは、ゲームがどう動くかにどうしても心を奪われるし、少しでもそこに(どちらかのチームに期待するなど)感情移入が入れば、実際より状況を悲観的に見たり、ゲームが白熱しているように感じたりもする。

ここまでの60試合の中で、印象的な試合はいくつかあったが、それほど名勝負とは感じなかった試合をサッカーの専門家がベストゲームとして上げていたものもあった。元日本代表監督オシム氏は、韓国が大量失点したアルゼンチン戦について「大差がついたが、後半は見応えがあった。今大会のベストゲームの一つと言ってもいい」と朝日新聞のコラムで書いている。6月17日のその対戦について、「アルゼンチンはベンチにも有能なスター選手陣を備え、余裕があり、ボール扱い、試合の進め方すべてにおいて韓国に勝りゲームを支配していた。」とわたしは記録している。韓国については「残念ながらあまりいいところのない試合ぶり」とも書いている。オシム氏がベストゲームと言うからには、両チームがいい戦い方をしたに違いない。日本、カメルーン戦について「第三者が見ると質が低く、ともにミスが多かったスロベニア、アルジェリアのようなひどい試合だった。」(朝日新聞)と評したオシム氏である。サッカーの未来はこうあるべき、という高い理想と強い信念の持ち主であるオシム氏の視点を追う試みとして、またサッカーの試合をどこまで真実に近いところで受けとめられるかということを学ぶために、韓国、アルゼンチン戦を録画映像で細かく検証してみたいと思っている。