20120723

テレビの新しい楽しみ方、電波によらない放送とは?


テレビの平均視聴時間が世界一、と言われる日本でも、ここ十年くらいの間にテレビ離れが進んでいるらしい。日本の一般家庭のリビングや茶の間をイメージするとき、テレビ(それも多くは大型テレビ)がドンと部屋の中心に収まっている風景はよくあることだった。昔は日本の家族の団らんの中心にテレビがあった。その団らんが縮小した時代には、家族がそれぞれ自室にテレビを置いて見る、という風潮もあった。最近ではテレビ番組をテレビ受像機ではなく、パソコンで見る人たちもそれなりにいると聞く。福島原発事故のあと、テレビを見なくなった、という声もときどき聞く。テレビでニュースなど見るのがばからしくなった、というのが理由の一つらしい。エンターテインメントの発信者としての魅力減少だけでなく、報道をするメディアとしての信用も失ってしまったのだろう。

一方でインターネットに目を向ければ、テキストや画像だけのコンテンツを経て、今は動画(音楽も含めた)の人気が高まっている。動画の与えるインパクトは確かに、他のメディアによる伝達方法より強く直接的だ。初期には動画といっても、パソコンに内蔵されている動画ソフトやフラッシュプレイヤーなどで、ダウンロードしたファイルを再生することが多かったが、動画共有サービスのYouTubeができてからは、幅広い層の間で動画への興味が増大し、距離がぐっと縮まった感がある。個別に見ていたものが、場の設定により動画を共有するようになり、視聴者がそこに自分も動画を投稿し、検索で見たいものを探し、さらには他者の動画を自サイトやブログなどで表示するという機能が加わって、どんどん広がっていった。今ではCNNなどのテレビ局も、ニュースの中で、内戦や暴動の現地映像をYouTubeから流していることも多い。画像は粗いが、それでも用は足すということなのか、よく言えばライブ感が増す気がする。

テレビ離れが起きていることと、YouTubeのような動画サービスに人気が集まっていることとの間には、関連性があると思う。 衛星放送やケーブルTVを別にすれば、多くの人はテレビを買って、タダで見れるものの中から言わばお仕着せの番組を見てきた(NHKは受信料があるが)。しかしタダで見れるものは、一緒にたくさんのCMを見なければならないし、面白いものがそれほどあるわけではない。平均的日本人に見てもらえそうな、ごく一般的と思われるなコンテンツを並べることになる。あるいは見ても見なくてもいいような、暇つぶし的なコンテンツ。旅行で言えば、昔風の団体旅行ツアーの周遊日程のようなものである。また平均的日本人というものも想定しにくくなり、趣味がバラけてきているので、万人に受ける番組づくりも難しくなっている。テレビが主として高齢者に見られている理由は、そういうところから来ているのだろう。

Google TVやApple TVといった、既存のテレビ視聴の仕方とは違うことができる仕組がここ数年の間に出てきた。確かApple TVは「見たいものしか映さないテレビ」、というような触れ込みだったと思う。専用機器をテレビとLANで繋いで、iTunesからプログラムを探して、あるいはオンデマンドでビデオ・コンテンツを購入したりして利用する。高精細度(HD)の画像で、映画や動画サービスのコンテンツ、スポーツ中継などを見ることができる。Apple TVやGoogle TVに繋ぐには、テレビ側の仕様としてHDMI接続ができるなどの条件があるので、古い型のテレビではそれができない。

インターネットのサイトに、VimeoというYouTubeのような動画サービスがある。アート系の作家たちが、Vimeoをつかって作品を公開しているのによく出会い、あるときVimeoのサイトがあることに気づいた。YouTubeと大きく違う点は、動画を制作した本人しか投稿できないこと。また多くの作品が高精細度画像によるものである。YouTubeでは自作他作、テレビからの引用(多くは違法)、ゲームのプレイ画面などありとあらゆる投稿がある。それに対してVimeo(videoとmeを合わせた造語らしい)の方は、作家が自分の作品を投稿して視聴者に見てもらう。サイトのAbout USによると、2004年に(アメリカの)映像作家たちが互いの作品を見せ合い、共有するためにつくったサービスらしい。「創造的な作品」という言葉とともに「人生のいっとき」を分かち合うために、とありインディペンデントな姿勢が現われていると思った。また「共有する楽しみと友好にもとづくこの場が、あなたの創作意欲を燃え立たせ、自分も作って投稿したいという気持ちにさせる」ことを望んでいる、とも書いてある。コンテンツの中には、ガイドラインとともに、ビデオスクールという項目があり、カメラはどういうものを選んだらいいか、に始まる動画によるレッスンが並んでいる。トップページで公開されている最新の作品のクォリティはどれも高いが、このレッスンは初心者向けに徹している。そのあたりも、特別な人だけでなく、誰もが作品をつくり投稿できることをアピールしているのだと思う。Vimeoの作品投稿には無料、プラス、プロ仕様の三つの選択肢がある。

このVimeoのサイトを見ていたことと、UEFA(欧州サッカー連盟)が、過去の試合のビデオコンテンツ(有料/1試合フルタイムで$1.99=160円程度)をかなりの数アーカイブしていること、この二つのことから、テレビをHDMI対応の新機種に買い替えることにした。2、3ヵ月前のことである。テレビはより高精細度なフルハイビジョンを選んだ。数ヶ月前にMacBook Proというアップルのノートパソコンをサブマシンとして購入していた。それと新しく買ったテレビをHDMIで接続する。Macとは直接は繋げないので、間にアダプターを挟んでHDMIケーブルと繋ぐことになる。これでOK。Vimeoの作品をいくつか見てみる。画像はウソのようにきれいだ。ウソのように、と言うのは色が鮮やかすぎて超自然的な感じという意味。色調調整は出荷時のままなので、調整すればかなり変わるかもしれない。現時点ではパソコンの画面より1、2段階明るく強い色調だ(機種はパナソニック)。MacBook Proの画面自体、非情にきれいなのだが、フルハイビジョンの大きな画面(といっても32インチ。これ以上になるとパソコンからの画像があれる可能性がある、と聞いたから)で見ると、きれいなだけでなく迫力もある。誰かと一緒に見る場合は、ノートパソコンよりテレビの方が適している。

UEFAのコンテンツも見てみたが、こちらは画像のクォリティが低く、ちょっとがっかりした。パソコンで見ていたときはそれなりと思っていたが、テレビ画面で見ると、近くの映像はいいが遠くの画像がぼやける。容量が大きくならないように、という配慮なのか、それともテレビの放映権との兼ね合いでもあるのか。技術、インフラ的には、ADSL接続レベルでもVimeoの20分を超える作品をストレスなく見れるので問題ないように思うのだが。試合直後のコンテンツなら、アクセスが集中してダウンしてしまうとか、映像がとぎれるなどあるだろうが、アーカイブのコンテンツならそんなこともないと予想される。まだ高画質のビデオを揃えるところまで、体制としていってないのだろうか。残念なことだ。粗い画像で見るか、高画質で見るか、楽しみの質が大きく変わるからだ。

今後サッカーのような世界市場の人気コンテンツは、データ化が進むだろう。テレビ放送だと、日本の場合、日本代表や日本人選手が出ている試合に焦点が絞られる傾向が強い。しかし人の興味は、たとえ日本人であっても、日本人周辺にとどまるとは限らない。また在日韓国人の人は韓国人プレイヤーの出ている試合に興味があるかもしれないし、在日ブラジル人は南米のサッカーが見たいと思っているかもしれない。そういう要望はこれから高まっていく傾向にあると思う。放映権を買っての一般放映から漏れたコンテンツが見れるよう、個々の人間が、オンデマンドで試合ごとにお金を払って見ることのできる仕組が充実してほしいと思う。

テレビをこのようにネットとの連携で見る場合、「テレビ」の概念はすでに変化している。日本の法令では「テレビジョン」とは、「電波を利用して、静止し、又は移動する事物の瞬間的影像を送り、又は受けるための通信設備」と定義されているらしいが、パソコン接続やApple TVでのテレビ視聴は、電波を利用している、とは言えない。言わばテレビ受像機そのものは、空の箱のような存在。中に何を入れるかは、個人の好みと選択による。

新しい放送のあり方、仕組も広がってくるかもしれない。たとえば紛争地帯のNGOで活動する人(あるいは映像関係の協力者)が、現地の状況を伝えるために映像に収める。それを本人または周辺の人が編集して作品にし、NGOの活動を集めた動画ポータルサイトに投稿する。視聴者はNGOポータルに行って、興味のあるもの、最新のものを見て、世界の現状を把握する。そこにドネーション(寄付)の仕組を入れてもいいだろう。電波によらない放送局だ。既存とは異なるニュースソースの誕生である。こういうことがあらゆるジャンルに及んだとき、人の「テレビ」を見るときの選択肢は圧倒的に広がる。

作品のクォリティの低下を心配する人もいるかもしれない。それは真のクォリティとは何か、ということを厳しく問い直すことに繋がるだろう。プロの、あるいは商業目的の放送局や映像作家が、自分の仕事で何を示していくのかを見直すことに繋がるかもしれない。アメリカのアマゾンが提供するPODやキンドルで本を出版する仕組と、同じ問題がそこにはあるだろう。

20120709

PODで本をつくる(アメリカと日本のアマゾン比較)その2


(前回ポストのつづき)

アメリカのアマゾンで本をつくるには、まずアマゾンのIDを持つ必要がある。日本のアマゾンとは別にアカウントを作る。これさえ取得すれば、POD、さらにはKindle(アマゾンが開発した電子書籍端末。日本でも今年じゅうに発売されると言われている)でも出版できる。

まず、amazon.comのページに行って、ページの下の方にあるMake Money with Usの項目にある、Independently Publish with Usをクリックする。次ページに行くと、Self-Publish with Usとあって、Self Publishing(これがPOD)とKindle Booksと並んでいるので、ここから前回説明した本づくりを代行するCreateSpaceのアカウントをつくる。

CreateSpaceのメインページに行くと、Publish your words, your way.と書かれた下に、「ここにあるツールやサービスがあなたの本づくりを手助けし、できた本を何百万人もの読者に提供することができます。」(原文は英語)とある。自分ですべてやる場合は無料、人手(デザイナーなど)を借りたい場合は、仕事に応じた料金を払って進めることも可能。まずはサイトのツールなどを使いながら、自分でやってみるのがいいと思う。自分のアカウントに作りかけの本を置いておいて、プレビューしながら何度でも直すことができるから、納得いくまでやって仕上げることができる。説明のところには、ロイヤリティのことなど詳しく書いたページもあるので、最初にざっと見ておくといいかもしれない。

今回、葉っぱの坑夫では、本のデータは日本のアマゾンでつくったPOD入稿のためのPDFファイルをそのまま流用した。オンデマンド・プリント用のPDFファイルの作り方は、だいたい統一されているように見える。表紙、背、裏表紙は別ファイルで、本文は見開きではなく、1ページ単位で保存する、などのルールは、どこのオンデマンド機でも共通のように思う。アマゾン・ジャパンでPODを作る際、受けとった仕様書に沿ってつくってあれば、アメリカのアマゾンでもそのまま問題なく使えた。

本のデータをPDFでつくってある場合は、CreateSpaceのサイトからそれをアップロードするだけで済む。この一連の仕組は非常にうまくできているが、Flash Player10.2がインストールされていないと、全行程を作動させることができない。因みにMacユーザーの人でOSヴァージョンが古い人(10.4など)は、アドビのサイトでは現在、Flash Player10.3しかダウンロードできないので、行き詰まってしまうかもしれない。10.2がダウンロードさえできれば、OSX10.4に対応しているようなので、CreateSpaceのサービスが使えるのだが。アドビはMacへのサービス、対応はあまり親切とは言えない。この件については今回大変苦労したので後でまた書く。

今回、葉っぱの坑夫では、新しいヴァージョンのMac(Lion:OSX10.7)をつかって、CreateSpaceでの工程を進めたので、大変快適だった。PDFをアップロードすると、そのプレビューをすぐにサイト上で確認することができる。そのインターフェースがまた素晴らしくよくできている。本のページを繰るようにして、見た目の仕上がりを確認することができる。問題の箇所があれば、マーキングとアテンションで、そこの何が問題かを告げてくる。問題の指摘がなく、あるいは解決すれば、その先に進むことができる。PDFでの入稿でなく、サイトのツールをつかっての本づくりも可能だ。ガイドラインをよく読みながら、進めていく。その場合も、このプレビューの工程は同じと思われる。

本のデータづくりとともに、本の概要についての記述も登録する。日本では書誌データと言われているものだ。本のタイトル、著者名、内容説明、著者のバイオグラフィーの他に、カテゴリーやキーワードも登録する。本が読者の検索にきちんとかかるように、考えて入れるようにする。アマゾン・コムはアメリカのサイトなので、すべて英語での記述が必要だ。ビジュアルの本の作者で、英語を書くことが苦手であれば、説明は簡単なものにして、キーワードや中身検索、画像登録に力を入れて何とかすることもできるかもしれない。が、すべての工程が(ガイドラインを読むのも)英語なので、英語に慣れる必要はあると思う。基本的にはシンプルな英語で説明されているので、ある程度コンピューターやソフトを使う知識があれば、高校生くらいの英語力で辞書を引きながら理解することは可能だと思う。

こうやって本のデータ、概要説明の工程を終えると、販売チャネルの選択、値段付けがあって販売にたどりつく。販売チャネルは、CreateSpaceとamzon.comの他に、amazonヨーロッパ(イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、スペインなど)を選ぶこともできる。すべて無料である。また少しお金を出せば、さらにチャネルを広げることもできるようだ。データを登録完了してから、2、3日の内にもう、サイトでの販売が始まっていて、驚かされた。確か、最終データ登録の後に、一度だけメールによる確認があったと思うが、あとはすべてオートメーション化されている。

PODの登録を終えると、Kindleでの出版を薦められる。アップロードするファイルが違ってくるが、これも手順にしたがって、ファイルをつくりアップロードすれば、キンドルでの出版も簡単にできる。基本はワードの書類をつかう。こちらは登録してから、サイトでの表示、販売まで少し時間がかかるようだ。キンドルのユーザー(プライム会員のみか?)は、キンドルの図書館で本を借りることができる。借りた本を期間限定で他の人に貸すことを許すオプションがあり、その参加不参加を著者・版元が問われたりもする。

アメリカのアマゾンでは登録後すぐに、サイトでの販売が始まったが、日本のアマゾンでは1ヵ月以上の日にちがかかるようだ。オートメーションではなく、多くの部分を人力でやっているからなのか。葉っぱの坑夫の本も、データ登録後1ヵ月近くたつが、まだ印刷機でのテストや調整の状態。この先まだ1、2週間はかかるかもしれない。

アメリカと日本のアマゾンとでの違いで、もう一つ大きかったのは、入稿データのPDFのヴァージョンの制限。アメリカではヴァージョンは特に問われなかったが、日本ではPDFの仕上がりヴァージョンが1.5以上となっている。古い型のMacをつかってると、これがクリアできない。1.4までのものしかつくれないからだ。今回、デザイナーのつくったPDFが1.4だったので、何とかそれを1.5に上げようと方法を探した。アドビのAcrobatというソフトを買えば、処理ができることはわかっていたが、5万円以上するソフトである。ヴァージョンを上げるだけのために買うのはためらわれた。またマック版は試用版もアドビが提供しておらず、試すこともできない。

そこでMac用のフリーやシェアウェアのソフトを探す。Mac用フリーソフトは現在とても少ないようで、PDFコンヴァーターを探したが見つからなかった。しかたなくWindows用のソフトを探した。見つけはしたものの、ダウンロードしたどのソフトも、PDFのサイズを実寸に合わせようとすると、データが90度回転してしまう。ソフトウェアの会社に問い合わせをしたが、向こうも原因、対処法がわからないようだった。そこでアドビのサイトに行って、Windows用の試用版を使ってみることにした。きちんと保存ができれば、とりあえず今回の分は変換ができる。試用版は30日間という期間の制限で、ヴァージョンを変えたデータを保存することができた。それで今回は入稿データまでたどりつくことができた。

結局、今後のことも考えて、Mac版のアクロバットを購入した。基本機能だけの、もっと安い簡易版が(たとえば1万円くらいで)あれば用は足りるのに、と思ったがプロ仕様の1種類しか売ってないのだから仕方ない。あるいはクラウドで、ヴァージョン変換などを1回いくらでサービス提供することはできないのだろうか。アドビにはそういうことを望みたい。これだけ広く使われているPDFであり、印刷ということでも、今後PODが広まれば、ヴァージョン変換の要請も増えるかもしれないのだから。

アメリカのアマゾンでつくったPOD本が先日届いた。輸送に2週間程度かかったが、日本のアマゾンより先に実物を見ることになった。印刷はきれいで、まったく遜色ない。表紙のカラー、pp加工、紙の選択など、特に普通の印刷本との違いは見つけられない。日本のアマゾンのものも出来てきたら、二つを見比べてみたい。

ところでアメリカのアマゾンは、出版した本を著者や版元が印刷実費で買える仕組がある。これが非情に安い。日本のアマゾンでは、著者や版元も正価で買うしかない。この違いは大きい。PODに関する思想の基本的な違いではないかと思われる。ただしアメリカのアマゾンの場合は、日本から買う場合は送料が高くなるので、その分の上乗せがある。日本のアマゾンでも、出版元が実費で買える仕組を適応してほしいと願う。

アマゾンのPODおよびキンドルにおける、セルフパブリッシングの仕組は、本づくりの思想を、未来を変えるものだと思う。ここまで一般の個人に対して、フラットで開かれたサービスを提供している企業を、あまり他では見たことがない。その思想とともに、それを実現するテクノロジーもレベルが高く、目を開かされる思いだ。

日本の社会がもつ、上位者の既得権へのこだわり、縁故や根まわしへの信頼と依存、法人優先社会、こういったものと相反する思想なので、どこまで日本でこの仕組が浸透、発展していけるかはわからない。でもネット社会の広がりで、日本の人々、それによって形成された社会の「個人が何かを成すことに対する考え方」も徐々に変わってきてはいる。未来に期待したい。

アメリカのアマゾンで出版した本3冊:
tenement landscapes/ニューヨーク、アパアト暮らし

En Una Baldosa/一枡のなかで踊れば

Step into Sky/ステップ・イントゥ・スカイ