20160229

言葉に住む、とは?

年末から新年にかけて、言葉に関する興味深い本を2冊読んだ。一つは温又柔の「台湾生まれ 日本語育ち」、もう一つはジュンパ・ラヒリの「べつの言葉で」。温さんの本の帯にはこう書かれていた。「我住在日語/わたしは日本語に住んでいます。」 日本語に住む? あ、面白いと思った。台湾で生まれ、両親とともに3歳のとき日本にやって来た温さんは東京在住の台湾人作家。住んでいる国は日本であるが、その国籍をもっているわけではない。しかし第一言語であり、作家として使う言葉は日本語である。だから「日本語に住んでいる」のである。

一方、ジュンパ・ラヒリの方は、ベンガル人の両親のもとロンドンで生まれ、2歳のときにアメリカに移り住んでいる。第一言語及び作品の言葉は英語。そのラヒリが恋に落ちたイタリア語を20年間学んだのちに、「イタリア語に住みたい」と夫と子ども2人を連れてローマに移住した。ひょっとして夫はイタリア人か、と思うかもしれないがそうではない(TIME誌南米版の編集者を務めていたスペイン語が堪能なアメリカ人)。

言葉に恋をして学びつづけ、ついにはその言葉の国に移住してしまったラヒリの熱意と行動力には驚いた。そしてエッセイ集「べつの言葉で」は、なんとそのイタリア語で書かれたのだ! 彼女にとってはもちろん初めての英語以外の言語による著作。ローマに住むラヒリはこの先、何語で作品を書いていくのだろう。「低地」(日本語版2014年刊)という長編小説のあとがきで、ここまでラヒリの小説のすべてを訳してきた小川高義さんが、ひょっとしたら次の作品はイタリア語の翻訳者が訳すことになるのだろうか、と書いていた。ベンガル語の家庭に「住み」、英語の国に「住んで」作品を書いてきたラヒリが、すでにからだはイタリア語の中に「住んでいる」のだから、イタリア語で小説を書くときがきても驚くには当たらないのかもしれない。

「人の住む場所」 人と言語、人と国家の関係は、思っているより自由なものなのかもしれない。

自分が「どこに」生きているか、と考えるとき、通常は、というか日本では多くの人が、ためらいなく住んでいる場所=国籍を思い浮かべるだろう。日本です、と。そう言ったとき、日本というのは地理上の場所であり、国籍であり、また人種、民族、言語も「日本」で当然のように一つにくくられることが多い。日本人の顔、日本人の文化、日本語。確かに比率でいえば、日本のマジョリティはそこに属するかもしれない。しかし当てはまらない人もそれなりにいる。日本に住んでいない日本出身者で、なかでも移民1世の世代は、日本語がもっとも自由に使える言葉であることが多い。

温さんの本の中に、日本語で作品を書く台湾人作家のことが書かれていた。日本が台湾を統治していた時代に学んだ言葉、日本語が作品を書く際の言葉として選ばれたのだ。温さんはかつて日本語で書く作家が台湾にいたことを知り、同じ台湾人作家として、地理的に住む場所は違っても、日本語で書くという共通点に注目しその作家について調べはじめる。そして台湾人でありながら日本語で書くというスタンスのせいで、その作家が台湾、日本どちらの国からもほとんど無視されてきたことを残念に思う。民主化が進む前(1990年代以前)の台湾では、「奴隷教育」を被ったと理解されていた日本語による作品に光が当たるのは難しかった。また日本にも、日本統治下で日本語を学んだ日本語作家の作品を「日本(語)文学」として受け入れる素地があったとは思えない。

同じような立場にいた日本語作家は、朝鮮半島やアメリカ、ブラジルなど他の地域にもいるのかもしれない。地理的には日本の外に住んでいても、日本語に住んでいた作家やその予備軍たちが。

「べつの言葉で」の中で、ラヒリはイタリア語を愛しつつも、おそるおそる使っているところがある。常にイタリア語で書いたもの、しゃべったことに不安がつきまとう。前置詞や冠詞が間違っているのではないか、などという不安は、英語で書いたりしゃべったりする日本人と同じだ。ラヒリは本の中で、なぜ「風がある」というときは冠詞なしで「C'è vento」と言うのに、「日が出ている」のときはilという英語のtheに当たる定冠詞を使って「C'è il sole」というのか、などと具体的な疑問を示し頭を悩ませていた。確かによくあることだ。

わたしが思うに、言葉というのは基本は文法に支えられているかもしれないが、習慣(慣習)による使用法がかなりあるということ。母語というのは文法によってではなく、習慣の中で身につけるものだ。小さなときから、その言い方をずっとしてきただけで、なぜそう言うのかは考えない。幼少の頃に移住した人は、行った先の言葉が第一言語となるケースが圧倒的で、母語とほぼ同義だ。大人になってから移住した人は、住むうちにかなりの部分を習得したとしても、母語としてその言葉を話す人から見ると、ややぎこちなく聞こえることがある。あるいは思わぬところに「穴」があったりする。たまたま経験的にその言葉に出会ったことがないと、意味や使用法がわからないのだ。わりに一般的な言葉でもそういったことは起きることがある。

温さんは作品は日本語で書くが、両親や台湾の親戚は中国語や台湾の言葉も(を)話す。温さん自身にとっては第二、第三の言語である台湾語、中国語は、小説やエッセイにたびたび登場する。育った家庭では、日本語、台湾語、中国語がチャンポンで話されていたそうだ。昔、スペイン人の友人からSpanglishという言葉を聞いて、二つの言語を混ぜて話す人たちがいることを知った。ラヒリの家庭でもBenglishが話されていたのだろうか。ひょっとしてラヒリは、親が使うベンガル語、移民先で移植された英語、と与えられた言葉に対して、自ら選び取った言葉としてイタリア語の住人になろうとしているのかもしれない。第三の言葉として。自由の境地として。

20160208

素九鬼子さんの新作!

映画にもなった小説「旅の重さ」で知られる作家、素九鬼子さんの新刊本を本屋さんで見つけました。今年のお正月のことです。発行年月日を見ると2015年12月8日、第1刷となっています。正真正銘の新作です。驚きました。行方知れずの作家とされていたからです。

タイトルは「冥土の季節」。帯にはこうあります。『身長160cm。色黒。前科三犯。いたって健康。美人のワル。ーーーーー悪事の限りを尽くしてきた老婆が死に場所を探して、遍路に出た。』出版元は幻冬舎MC(メディアコンサルティング)。MCは企業出版や個人の自費出版をやっている部門(会社)だと思うので、この本は素さん自身の企画による出版なのでしょうか。

わたしが見つけた書店では、日本人作家(女性)の棚に平(ひら=表紙を正面に向けて)の状態で目立つように置かれていました。自主企画の本だとすれば、破格の扱いだと思いました。このような見せ方をしていたから、わたしも見つけたのだと思います。

本はハードカバーで、横長の絵本のような体裁です。20×15cmくらいのサイズ。ページ数は110ページと少なめ、本文の文字がかなりの大きさで、本を開いたとたんその文字の大きさに驚かされます。14編の短編連作のような仕立てで、各話の初めにカラーの絵の入った扉がついています。それもあって絵本あるいは童話仕立てのような印象があります。

主人公は93歳の老婆で、子なし、連れ合いなし、親族なし、一人で遍路の旅に出ます。といっても白装束とかではなく、白のジャージ上下に麦わら帽、白のリュックという「なんちゃって遍路」です。主人公のお婆によれば、「旅の目的があの連中と根本的に異なる」のでそれでいいそうです。お婆は、死に場所を求めて四国までやってきました。からだがあまりに丈夫なので、この四国の山道を足腰に負担をかけて登り、早いとこからだを痛めつけて道端であっさりくたばってしまうことを期待しています。

このお婆は東京生まれの孤児院育ち。母親がフランス国籍の四流歌手(なんじゃそりゃ?!)で、父親は日本のやくざとか。孤児であり、親族などのしがらみが一切ない自由の身だから、最後の決着も自分流に清々しく、とこの旅に出たそうです。

夜は野宿し、水は谷川から、食べものは道端の山ぶどうや桃、草や花も口に入れ、生で食べるおいしさを味わいます。ただ通る村の人々から、あれこれ聞かれるのだけは「何ともうざったい」そうで、つくり笑顔をしながらも「うるせえ、うるせえ」と口の中でつぶやいています。とまあ、こんなキャラクターです。

どの話も6ページ前後ですが、文字が大きいので1ページ当たり400字強として、1話3000字以内でしょうか。話はくどくどせず、あっさりどんどん気持ちよく進みます。お話ごとに山の風景が変わり、道行く者との交流のようなものもあり、一時的に道連れもでき、その中でお婆の人となりがさらにくっきりとしてきます。

この本を読んだあとで、アマゾンのプライムビデオにあった映画「旅の重さ」を見てみました。斎藤耕一監督、高橋洋子主演で、挿入歌には吉田拓郎の楽曲が使用されていました。昔見たことはありますが、素直になかなかいい映画だなと、今見てもまた感じました。古い映画ですが、古臭さはあまりありません。

さらに、昔に出版された(1977年)この作家の「さよならサーカス」を読んでみました。こちらもなかなか魅力のある小説です。孤児(またはそれに近い生き方)、山の暮らし(自然の中で生きる力)、慣習や血のつながりに基づく社会に反して生きる、などこの作家の特徴がよく出ていて、「冥土の季節」に共通する思想を感じました。素さん、変わらないですね。日本では少ないタイプの小説だと思います。個としての自分をとことん突き詰めると、反社会的な存在として排斥されるという世の中の構図が見えてきます。

2、3年前に出版されたジュンパ・ラヒリの小説「低地」を読んだときも、人が個としての自分を突き詰めるとどういうことが起きるのか、個というものの正体は何なのか、深く考えさせられました。家族とか、血のつながりとか、社会的な習慣とか常識とか、人々の生活を無条件に、あるいは無意識につないだり覆ったりしている膜のようなもの。それによって精神の安定が保てると思われているもの。個をむきだしにすれば、その膜のようなものに亀裂が入り、それまでの関係が崩れ去ります。しかしその膜のようなものを保つことばかりに心を砕いていると、亡霊か人形のような人間で社会が埋め尽くされるかもしれません。

ジュンパ・ラヒリと素九鬼子、この二人の作品に共通するものとして、小説の中の男女の関係性と子どもの扱いがあります。「低地」でも「さよならのサーカス」でも、暮らしをともにすることになった男女が出てきますが、どちらも男対女の側面は薄く、人間対人間のぶつかり合いが強烈で、そこにも個としての人間のあり方というものがはっきり現れています。また子どもがそれぞれ一人、どちらの小説にも出てきますが、どちらも女がつくった子どもで、相手の男とは関係のない子です。「さよならのサーカス」では、単に『子ども』と記されるだけで名前も出てきません。「低地」では女(母親)が個としての自分を追求するなか、結果として子どもは捨て置かれます。そこにある女と子の関係は、生身の人間同士の、個と個がヒリヒリとした痛みをともなって向き合う(あるいは向き合わない)厳しいものとなります。個の独立、一人の人間の自立の厳しさを読む者にこれでもかと暴いてみせます。

思うに、男と女、母と子、という関係性も社会的な副産物と言えないこともありません。人間から性別や親子などの属性をはいだとき、むきだしの個としての人間が現れるということになります。属性をはがれた人間というのはどんなものなのか、荒涼とした存在かもしれませんが。

「冥土の季節」のお婆は、そのようなむきだしの個としての人生を93年間送り、それを全うする形で死を迎えたいと思っているようです。この小説では、<世の中には老人があふれ、病み呆けてみじめな姿をさらし、そのため老人医療費が国の財布に穴をあけている>など、差別的にして小気味いい断罪がお婆によってなされます。93歳という超高齢であるため、何をホザこうとすでに社会の枠組から外れているから、あるいは昔話の中のいじわるじいさんの役割を担ってるだけ、といって許されるのかもしれません。20代、30代の作家には書くのが難しくとも、80歳近い高齢の作家であれば軽々と主人公に「正論」を述べさせることができるのです。