20170217

20世紀初頭の動物作家たち

19世紀末から20世紀前半にかけて、北米を中心に新しいタイプの動物作家が数多く生まれたということを、ラルフ・ラッツの “The Wild Animal Story : Animals and Ideas” という論文で読んだ。日本でも有名な作家をあげると、たとえばカナダの作家、アーネスト・トンプソン・シートンがそれに当たる。アメリカの作家、ジャック・ロンドンもこの中に含まれている。ジャック・ロンドンを動物作家と呼ぶのがふさわしいかわからないが、『白牙』などでオオカミの野生の物語を書いていることは事実だ。

シートンは今でも子どもを中心に読まれている作家だと思うが、日本で知られる『シートン動物記』という本は、原典にはない。シートンが書いた(そして絵も描いた)たくさんの物語を、日本の出版社や訳者が編集して『….動物記』としたようだ。ファーブルの『昆虫記』にならったのかもしれない。

ラルフ・ラッツが「新しいタイプ」の動物作家と呼んだのは、人間がつくりあげた動物をめぐる架空の話ではなく、野生動物をリアルな描写で描いた、本当の動物の姿を記したという意味で「新しい」ということらしい。ほぼ同世代だが少し前の時代のイギリスの作家、ラドヤード・キプリングは、よく知られた小説『ジャングル・ブック』で動物を描いているが、新たな動物作家たちの「リアルな物語」とは境界を異にするということだと思う。

シートンを始めとする新しいタイプの動物作家たちは、自ら森や草原に出ていき、そこで長年にわたるを観察をし、それをもとに物語を書いている。物語といっても、それは必ずしもフィクションを指すわけではない。ジャック・ロンドンの作品は小説と言っていいと思うが(事実に沿っていないという意味ではない)、シートンは自著の中でわざわざ次のように書いている。
わたしは、この物語のなかで、「ウサギの言葉」を人間の言葉に訳して、読者のみなさんにお伝えします。訳すときに、わたしはウサギがいっていないことは、ひと言もつけくわえていないことを、読者のみなさんに誓います。(福音館書店『ラギーラグ』)
シートンの物語は小説ではないかもしれないが、フィクションの様式で語られた物語だと思う。「ウサギが言っていないことは、ひと言も書いていない」と言うように、実際に観察したことを創作の方法で仕上げた作品と言っていいかもしれない。

それに対して、ラルフ・ラッツが「現代版のシートン」と呼ぶ、アメリカの作家でナチュラリストのウィリアム・J・ロングは、よりノンフィクション的作法で作品を書いている。シートンが動物を主人公として書いているのに対し、ロングは一人称「わたし」が森を歩いて出会った動物たちを描写するスタイルだ。動物ルポルタージュと呼んでもいいかもしれない。シートンの物語が、登場人物である動物たちがどんな事件に遭遇するかを記したものだとすれば、ロングの物語は、「わたし」がどんな動物たちと出会い、何を目撃したかを記すことが中心だ。しかしそこには報道記事のような記録ではない、ノンフィクションとしての物語があり、動物と出会ったときの書き手の興奮や失望などが話を魅力あるものにしている。

ウィリアム・J・ロングは日本では全くと言っていいくらい知られていない。まず日本語に訳された本がない。知っている人がいるとしたら、このジャンルの研究者くらいではないか。作品は数多く、Wood Folk Seriesとして知られる何冊かは、特に有名である。1952年が没年なので、アメリカの現在の著作権法でいうと保護期間内となるが、1978年の法改正以前に死亡しているため、現行法が適用されていない可能性がある。グーテンベルクなどいくつかのアーカイブに、複数の作品が登録されており、無料で誰もが作品を読むことができる。アメリカのアマゾンでも、いくつかの本がペーパーバックや電子書籍で売られており、たくさんのレビューがついているものもある。シートン同様、アメリカでは一定の読者を今も得ているのだろう。

ロングの魅力は子どもの頃から自然のそばで暮らし、成長してからは野生動物を追って旅をし、野鳥をふくめ、さまざまな野生動物を身近に観察してきたことで「自然界のマナー」を知り尽くしているところにある。ロングは「自然の掟」というような表現はしない。少し違った観点から動物を見、動物とつきあっているようだ。多くの野生動物は臆病で、偉ぶらず、礼儀を知っている、とロングは観察の中で感じている。たとえば人間社会や物語の中ではあまり評判のよくない、カラスやキツネもこれに当てはまる。また森の動物たちの間で起きるさまざまな出来事、事件をコメディ(喜劇)として捉える感性の持ち主でもある。多くの観察者は、動物間で起きる出来事を「悲劇」と捉える傾向が強いようだが、ロングの見方は違っている。野生動物の世界を「掟」とか「弱肉強食」「悲劇」のように捉えていない。
これらのことは、わたしが小さなころ、経験から得たものだ。本で知ったことではない。自然が語る言葉をわたしは理解していたのだと思う。そしてたくさん観察することで、鳥や動物たちは野生の暮らしを受け入れていることがわかるようになった。おそらく意識せずに、遊びの一種として、面白おかしい役割をそれぞれ演じているのだ。のちに野生動物についての文学や似非科学が現れ、ある者は楽しい森を悲惨な話で満たし、またある者は厳しい生存競争として広めようとした。しかしわたしが野外に一歩足を踏み入れ、動物たちを目の前にすれば、こういった借り物の見方は白日のもとにさらされる。頭で作り出された悲しい物語であったり、誤りの多い机上の科学理論だということがわかる。(Wood-folk Comedies, 1920)

ロングは子どもの頃、庭に野鳥のための食卓を用意して毎朝観察していたが、鳥の種類や学名を覚える前に、個々の鳥の存在を個として捉えていたと書いている。「顔」や羽の色で識別し、名前をつけ、その後に鳥の種としての名前を知るという順番だったりもしたらしい。この付き合い方はごく最近になって、徐々に認識されてきた野生動物に対する理解の仕方に近いものがある。マダライルカ、アジアゾウというように、種として大雑把にその特徴を捉えてわかったように思うのではなく、indivisual(個)として動物を捉えることを大切にする 見方だ。その昔、黒人奴隷を十把一絡げにして、「字も読めない野蛮人である黒人」のように種として捉えていたのに似て、動物の能力を低く見積もり、個々の性格や能力の違いには目をとめない見方が動物に対しては長くつづいた。それは動物に対して非対称の見方をしていたからだろう。人間のほうが動物より優れているという見方だ。今もこの考え方がなくなったわけではない。

もう一人、この時代の興味深い作家に、カナダのグレイ・アウルという人がいる。前述のラルフ・ラッツの論文を読んでいたとき、この名を見て聞き覚えがあると思った。何年か前に、葉っぱの坑夫のメンバーだったカナダの友人が来日した際、もらった本があった。その作家の名前ではなかったか、と思ったのだ。実はその本はほとんど読んでいなかった。さっそく書棚を探してみたら、やはりこのグレイ・アウルの本だった。イギリスに生まれ、20世紀初頭にカナダに移住し、そこでインディアンと親しく付き合い、自分もインディアンであるように振舞っていたという。それで名前がグレイ・アウルなのだ。写真を見ると、顔立ちは確かに西洋人で、しかし髪型や服装はインディアンのものだ。オジブワ族の女性と長く暮らし、その人の影響を受けて、狩りをすることから野生動物の保護へと生き方を変えたらしい。

そもそも20世紀初頭に野生動物を描く作家が多数あらわれた要因は、18世紀から19世紀にかけて起きた産業革命に対する反応(反動)の一つだった。当時、こういった作家の作品は多くの読者を得たそうだが、それまでの動物観を壊すところがあるため、作品に対する反発もたくさんが生まれた。「動物は本能で行動するものである」から、人間のように経験から学び行動するという見方は「科学的」ではない、動物を擬人化している、というような論議があったという。そのような論者の中に当時のセオドア・ルーズベルト大統領もいた。ルーズベルトは、アメリカのあらゆる学校の図書館からロングの本を排除したとも言われる。こうした非難に対してロングは、当時の新聞で、「腰に銃を備え、馬に乗り、ときに何人もで押しかけていては、野生動物の本当の姿はわからない」と反論したようだ。

ロングは著書の中でこう書いている。

森の動物たちは、人間が彼らに興味をもつ以上に、人間に好奇心をもっている。森で静かにすわれば、ニューイングランドの山裾の町によそ者がやって来たとき程度のざわめきで済む。自分の好奇心を制御すること。そうすれば少しして、動物たちの方が好奇心に耐えられなくなる。この人間は何者か、ここで何をしているのか、見にやって来るにちがいない。そうすればこっちのもの。彼らが好奇心を満足させようとしているうちに、恐れを忘れ、あなたが見たこともないような暮らしの断片を見せてくれるだろう。(Secrets of the Woods, 1901)

20170203

キンコン西野の「お金の奴隷解放宣言」

漫才コンビ、キングコングの西野(にしのあきひろ)が自分の絵本を無料で公開している、という話を聞いた。なんでも「お金の奴隷解放宣言」と名をうって、なぜ絵本をネットで無料公開するのかを説明しているらしい。さっそくその宣言を読んでみた。

絵本は幻冬社から去年の秋に発売された『えんとつ町のプペル』で、23万部の「マグレ当たり(本人の弁)」ヒットになっているという。インクづかいなど印刷にお金をかけたことで、2000円という少し高めの値段になってしまったとか。ある日小学生からの投稿で、「2000円は高い。自分では買えない」と言われたことから、キンコン西野は考えはじめたそうだ。

自分はこの本を子どもたちに届けたい、読んでほしいと思って描いた。子どもの方もこの絵本を読みたいと言っている。両者が願っているのにそれが叶わない。なぜか。それはお金のせいだ。お金を介してるせいで、読める人と読めない人が出てしまっている。ならばそのお金を抜きにすれば、読みたい人が読めるようになるのではないか。絵本をお金から解放してやれば、お金を払って読みたい人は本を買って読み、お金のない人は無料でネットで読める。

キンコン西野はこのように考え、発売から3ヶ月後の2017年1月19日に、ネットで絵本の内容のすべてを公開することにした。すでに23万部売れているということで、関係者には制作代金を支払い、版元も(そして著者自身も)利益がとれていることでできた決断だとは思う。しかし無料商品(無料公開)というのは、日本ではあまりないことなので、つまり商習慣として馴染みがなく、どちらかというと社会から嫌われる行為のように思う。

『えんとつ町のプペル』の無料公開も、各方面から反論が相次いだようだ。出版社や書店がダメージを受けるのではないか、クリエーターにお金がまわらなくなる、無料化はよくない金の流れをつくる、、、などなど。しかし無料公開したとたん、アマゾンで売り上げが伸びていき、売上ランキング(絵本部門)でとうとう1位になったそうだ。西野いわく、人は「確認作業で動く」「知っているものを買う」。

ネットで全編見た人が、手元に置きたい、自分でお金を払って買いたいと思って購入したというのだ。そしてネットでは、無料ということで(おそらくSNSなどを通じて拡散も進み)たくさんの人がこの絵本を目にした。その人たちがどのような心理に陥って購入という行動に出たかは興味深いと思う。まず絵本の内容や絵がいいという判断や気持ちが必要だ。次にそれを無料で公開してくれたことへの(出会いをつくってくれた)作者への感謝や、このような行為への賛同があったのかもしれない。

ネットで公開された『えんとつ町のプペル』は、絵本の順番どおりに、テキストと絵を並べていっただけのシンプルなもの。ゴシック体の文字に、700ピクセルくらいの大きさのそこそこ大きな絵。この画像にはプロテクトすらかかっていない。デスクトップに保存してスクリーンセーバーにもつかえそうだ。人に(無断で)利用されたりすることを気にしていない、ピリピリしてない。画像にウォーターマーク(透し模様)を入れたり、右クリックでDLされないようにする技術は誰でもできる簡単なもの。(葉っぱの坑夫も、『イルカ日誌』のプレビューをする際、原著の版元から言われてプロテクトをかけた。言われたから従ったが、インスタグラムやツイッターなどで画像をシェアして拡散する時代に、画像プロテクトとは???という疑問をもったことは確か)

ネットで読める(見れる)絵本は、本の形になった絵本とは内容は同じだけれど、仕立てが違う。どんなストーリーで、どんな絵があるのかは、ネットのコンテンツで十分わかる。でも紙の本になったとき、どんなサイズの、どんな厚さのどんな質感の紙に、どんな色合いで印刷されたものか、タイトルやデザインはどんな風か、といったことはわからない。元データは変わらなくとも、作者が描いた出力のイメージや到達点に関して、紙の絵本こそがこの作品の「オリジナル」と言っていいと思う。ネットで公開する場合も、工夫しようと思えば、いくらでも本らしい仕立てには出来たと思う。アプリケーションをつかい、絵本をめくって読むようにだって出来たはずだ。音声や音楽やアニメーションを部分的に追加することだってできただろう。でもそれはやっていない。ネットで公開するのはコンテンツの素材、あるいはデータに過ぎないということかもしれない。

「お金の奴隷解放宣言」を知ったきっかけは、書体デザイナーの佐藤豊さんのブログだ。佐藤さんはキンコン西野の無料公開に対して賛同する人、反感をもつ人を次のように分析している。

非難する人は、仕事を誰かに貰って生きている人…。
称賛する人は、仕事を自分で作って生きている人…。

なるほど。そういう分類はできるかもしれない。

この問題に関心をもったのは、葉っぱの坑夫が2000年のスタート当時から、ネットのコンテンツはすべて誰でも読みたい人が読めるよう無料で公開してきたことと関係がある。もともとコンテンツの公開を、「作品の出版」と捉えてきてもいる。無料であっても作品は作品。作品の価値と有料か無料は直接関係ない。またネットで公開しているコンテンツの中から、読者の作品との出会いの機会を増やす意味で、ある時期から、紙の本やキンドル本にもすることを始めている。紙の本は当時のオンデマンド印刷で、葉っぱの坑夫スタートの翌年にもう始めている。印刷費があるから有料の本だ(それに書店では無料の本は扱ってくれない)。でも内容は同じ。ネットでは写真が入っているけれど、紙の本は写真ではなくイラストやデザイン的な見せ方で、という違いはある。あるいはネットではフラッシュプレイヤーをつかった動的でインタラクティブな作品に、紙の本はモノクロの小さな本、というケースもあった。でも基本になるテキストは同じ。それに対して、アマゾンのレビューで、「購入したあとにネットでも読めたことに気づいた」というような、やや批判的(不満?)なことを書いている人もいた。そのとき、あーやっぱりな、日本ではそう思う人が多いんだな、と思った。キンコン西野への非難と同種の考え方だ。

インターネットが当たり前の時代になってから使い始めた人には、そのように感じる人が多いかもしれない。インターネット一般化の始まりの時期(1990年代の終わりごろ)、ネットの中心は商売の手段や場というわけではなかった。ネットという空間で、何ができるのか。どんな人々がいて、何をやりとりするのか、など未知な世界を目の前に、多くの人がワクワクしていた。そこにはお金、という介在物を第一にする思想はあまりなかった。そこは表現の場、個人や団体のアピールの場であったりもした。そしてこの世界はグローバルネットワークを基本としていた。フリーウェアとかシェアウェアという名で、誰かが開発した便利なソフト(アプリ)が、無料だったり、少額だったりで世界中で配布されていた。インターネットの世界は、今以上に国境がなかった。アーティストは自分のサイトをかっこよくつくり、国外にまでオーディエンスを広げようとした。NGOや非営利団体はその活動を世界にアピールし、寄付を募っていた。青空文庫が参考にしたグーテンベルクという非営利団体は、過去の文学作品を続々とアーカイブし、世界中の人々が無料で読めるようにしていた。

このようにインターネットのはじまりは、お金を介さない、世界中の人がアクセスできる場として発展し、人々の心をひきつけたのだ。いま日本でも普通につかわれる「シェア」という言葉は、この時期のインターネット抜きには生まれなかった思想だと思う。現在も、海外の(主として英語をベースにした)サイトは、無料で多くの有益なものを提供している。お金や商売に直接関わらずに、出版活動をしている。しかし日本では青空文庫や葉っぱの坑夫がしているような活動はあまり多くなく、無料で誰もがアクセスできることへの評価も低い。公共の財産という考えや、公共という空間に対する認識があまりないのかもしれない。

キンコン西野の絵本の無料公開への反発や非難は、そう思ってしまう側の社会認識の低さや、日本社会の常識への服従から生まれているのでは、と思えてくる。

1月30日のキンコン西野のブログには、今後さらに絵本の無料化を進め、自分の絵本の全作品がネットで読める図書館をつくろうと思う、と書いてあった。図書館、なるほど。図書館では本が無料で借りて読める。誰もそれに文句は言わない(出版社が最近言っているようだが)。それは公共のものだから。公共のための活動は役所の専売特許か? そんなことはない。任意の団体、グループ、個人も公共のための活動はする。NPO(非営利団体)という言葉が、日本の社会でもここ10年くらいの間につかわれるようになってきた。そのように日本も進化してきている。ただし、アメリカとは違って、あくまでも法人としての活動しかNPOとして社会的には(税の優遇措置など)認められていない。個人や小グループが非営利的活動をすることへの理解は(中でもそれが創作に関係することでは)、キンコン西野の例でもわかるように、まだまだ低いのだと思う。

「お金の奴隷解放宣言」