20100424

詩でつづられたキューバ暗黒の時代


"The Surrender Tree - Poems of Cuba's for Freedom"という本を読んだ。
著者はロスアンジェルス出身の作家マルガリータ•エングル、キューバ人の母とアメリカ人の父をもつ。この作品は1868年に始まるキューバの独立戦争の30年間を、奴隷の少女Rosaと周囲の人々の語りを交互に編むことで、叙事詩のようなひとまとまりの物語詩に仕上げている。(英語スペイン語の二つの版を収録。翻訳者名が両ヴァージョンに入っているが、多分オリジナルは英語ではないか。)

この作品を生むきっかけとなったのは、著者の曽祖父母である。1896年キューバの農民だった二人は、「8日以内に村を離れ、強制収容所に収監されること。それ以降、村で発見されたものは全員抹殺」という植民政府の突然の命令で難民となった。そこから遡ること30年、1868年10月、一部のキューバ人農園主たちが自分の奴隷を解放し、スペインからの独立を宣言した。武装した反乱軍とスペインの間で独立戦争が始まり、ジャングルに隠れた看護婦たちは野生植物をつかって負傷兵の手当をする。主人公ロサも小さいながらもそのような看護婦の一人だった。

Some people call me a child-witch,
but I'm just a girl who likes to watch
the hands of the women
as they gather wild herbs and flowers
to heal the sick.
(Rosa)

逃亡した奴隷たちは奴隷狩りにつかまって連れ戻される。病気やけがをしている者はロサのもとに連れてこられる。ロサは野生植物で治療をする。逃亡者はコーヒー園やサトウキビ畑に戻るか、また人知れず逃げ出す。

I watch the slavehunter as he writes his numbers,
while his son,
the boy we secretly call Lieutenant Death,
helps him make up big lies.
(Rosa)

「死の中尉」とロサたちがこっそり呼んでいた男の子は、父親の奴隷狩りの手伝いをしていた。

When I call the little witch
a witch-girl, my father corrects me ---
Just little witch is enough, he says, don't add girl,
or she'll think she's human, like us.
(Lieutenant Death)

奴隷たちは、黒人たちは、キューバでもアフリカでも、人間以下の生き物とずっと思われてきた。本人たちも自分が人間であることを忘れてしまうくらい、あまりに長くそれは続いた。

La Madre is the nickname
that fasinates us most ---
The mother --- a woman, and not just a runaway,
but the leader of her own secret village,
free, independent, uncaptured ---
for thirty-seven
magical years!
(Rosa)

My father brings the same runaways back,
over and over.

I don't understand why they never give up!
Why don't they lose hope?
(Lieutenant Death)

逃亡奴隷には肌の黒い人たちだけでなく、中国人もいたという。マングローブの沼地に逃げ込み、魚やカエル、ワニをつかまえて生き延びていた。

Slavery all day,
and then, suddenly, by nightfall --- freedom!

Can it be true,
as my former owner explains,
with apologies for all the bad years ---
(Rosa)

I am one of the few
free women blessed
with healing skills.
(Rosa)

ロサは奴隷解放後も、森の中で病気やけがを治療する活動をつづける。スペインは反逆者の手で解放された奴隷の自由を認めなかった。それで奴隷狩りはまだ森をうろついていた。やがてロサはJoseという男と結婚し、ホセはロサの医療活動を支援する。

He says he will be Cuban now, a mimbi rebel.
He tells me he was just a young boy
who was taken
from his family in Spain,
a child who was put on a ship,
forced to sail to this island, forced to fight.
(Jose)

ロサはけがを負った人治療の必要な人は誰であれ手当をした。ホセは森で見つけたスペインの負傷兵の少年を助ける。それがロサの望みだから。少年はまだ幼く、スペインから船で連れてこられ戦争に加担させられている。少年はキューバの緑の丘が好きだ、ここで農民になりたり、キューバ人になりたい、反対側の人間にないたい、スペインと戦う反逆者になる、と言う。

交互にあらわれる複数の声による物語詩は、読んでいてスリルがあり魅力的だ。詩のスタイルをとっているため状況の具体的説明は最小限である。キューバ独立戦争のアウトラインを知るためには、読後に他の本や資料で調べた方がいいかもしれないが、この本を読むことで得られるのは、実際に起きたことのある部分を、被支配者の側からの視点で、拡大鏡で見るような感覚だ。この詩の中では詳細が書かれていないが、わたしが興味をもったのは、キューバ人農園主の一部が過去の年月をわびつつ自分の奴隷を解放したいきさつ。スペインからの独立と自らが奴隷を解放すること、この二つが農園主たちの中でどのように作用していたのだろうか。

この本の中にはときどき英語でもスペイン語でもない言葉がイタリック書体で現れる。たとえばmambi。ロサは本文の中で、スペイン人が黒人をこの言葉で呼ぶのは先住民やアフリカの言葉の響きがするからだろう、と書いている。そしてさらに、ロサはこのリズミックな言葉をわたしたち自身をあらわす言葉として、戦う部族をあらわす言葉として使う、とも書いている。本の中では説明はなかったが、あとで調べたらコンゴの部族語リンガラ語で反逆を意味する言葉だそうだ。

この物語詩に登場する人々のほとんどは実在の人物をモデルにしているという。ロサはRosa la Bayamesa(バヤーモの女ロサ)として知られている。バヤーモは蜂起の際に反政府軍の中心地となった地域。著者マルガリータ•エングルは他の著書"The Firefly Letters"でも実在の人物を核にして物語詩を紡いでいる。こちらはスウェーデンの作家、フェミニストFredrika Bremer(1801-1865)とアフリカからキューバへ奴隷としてやってきた少女とお金持ちのキューバの少女の三人が出会い、旅をし、言葉や文化の違いを超えて結びついていく姿が描かれているという。

The Surrender Tree: Poems of Cuba's Struggle for Freedom
2010年3月16日、Square Fish刊
英語, スペイン語
ペーパーバック、384頁

Margarita Engleインタビュー(YouTube):"The Surrender Tree"について、子供のための詩について(この本はティーンエイジャーのために書かれたものだから)、自身の子供時代について話している。本が扉の形をしているのは偶然じゃないと思う、だって本をめくっていくことは知らない世界に足を踏み入れていくことでしょう、と言っているのが印象的だった。

20100410

ワールドサッカーの愉しみ(2)

ワールドカップの愉しみは、世界最高レベルのパフォーマンスが、国や人種の入り混じる中で目の当たりにできること。一瞬のまばたきの間にわずかな隙間をねらって放たれる矢のようなシュート、トップスピードにギアチェンジされたときの野生動物のような素晴らしい走り、ゴール際での攻守一斉のハイジャンプ、そのジャンプの最中鋭敏に振られるヘディングの頭、ボールに飛びつくキーパーの横っ飛び、ピッチ上に描かれる人の流れの緩急のダイナミズム、勝敗結果だけでなく、こうしたパフォーマンスが見る者に強い感銘を与える。

ワールドカップにはこのようなハイパフォーマンスを見せてくれるプレイヤーがたくさんいる。それも人種、民族、所属国、すべて多岐にわたっている。普段は各国のプロリーグでプレイする選手たちが、4年に一度だけ一カ所に集まって試合をする。今回は初めてのアフリカ大陸での開催ということで、地元アフリカの国々が活躍してあっと言わせる結果を見せつけるかもしれない。ガーナ、ナイジェリア、コートジヴォワール、カメルーン、アルジェリア、そして開催国の南アフリカ。2カ国くらいは決勝トーナメントに残ってほしい。そうなればきっとアフリカ大陸全体が熱い盛り上がりを見せるだろう。この6カ国の中では、カメルーンが1990年にベスト8に入っている。ナイジェリアはベスト16に2回、ガーナがベスト16に1回、コートジヴォワールは2006年がワールドカップ初出場ながら、選手のほとんどがヨーロッパのリーグでプレイし、その中の数人はスペインやイングランドのトップリーグで中心選手として活躍している。つまり世界レベルの選手が何人もいるということ。アフリカでは1970年以前に安定的にワールドカップに参加していた国は少なく、それは「アフリカの年」と言われる1960年の各国の独立以前は、黒人たちがサッカーをするような環境になかったことが想像される。南アフリカの場合は、1994年に初出場するまでの25年間はアパルトヘイト政策のため、国際サッカー連盟(FIFA)から制裁を受けて参加ができなかった。

南アフリカ、コートジヴォワール、ナイジェリア、モロッコとアフリカ大陸での監督経験が長いフィリップ•トルシエ(元日本代表監督)は、「アフリカという大陸の良さ、そこに住む人々の良さが世界中に伝わる大会になってほしい」と著書の中で語っている。また南アフリカにとどまらず、全アフリカを象徴する人物、ネルソン•マンデラが存命中にこの大会が開かれることは意味深い、とも言っている。ワールドスポーツの面白さはスポーツの中身そのものだけでなく、開催国やそこに集まる多様な人々について知る機会になっていること。アフリカはアジア人にとっても、西洋諸国の人々にとっても、それほど近しい場所ではない。文化的にも未知の部分が多いだけに、発見できることは少なくないのではないか。

FIFA(国際サッカー連盟)の出した2010年のOfficial Bookの中に、ブブゼラについての話があった。ブブゼラとは南アフリカで使われる色とりどりの応援ラッパ。この音がそうとうやかましく、ヨーロッパの選手たちからはプレイに集中できないと不評。ブブゼラ持ち込み禁止の検討まで出たという。でも南アフリカの選手にとってはスーパープレイさえ生み出すかもしれない、士気を高めてくれる最高の応援らしい。そこでFIFAのブラッター会長がこう言った。「喜びの表現法に差別を行使したら、その一方でどうやってFIFAは差別撲滅キャンペーンを展開できようか」と。また、南アフリカで開催することを決めた時点で、われわれはヨーロッパではなくアフリカを経験することを選んでいる、忘れないでほしい、ここはアフリカなのだ、とも。確かに、そのとおり。ブブゼラ鳴り響くやかましいスタジアムでプレイすることが、南アフリカにとってはホームの、他の地域のプレイヤーにとってはアウェイの試合になるのだ。

ワールドサッカーと言えばまずワールドカップのことを思い浮かべるが、各国リーグもいまは多国籍選手の集団となっている。Jリーグでも外国人枠はあるものの、ブラジル人、韓国人選手など海外からの選手は増えているようだ。ヨーロッパではEUの中では就労の自由の問題もあって外国人枠はない。一般にリーグの中で上位に位置するチームほど、外国人率が高いように見える。イングランドのプレミアリーグでもヨーロッパ各国、アフリカ大陸から多くのプレイヤーがやって来て活躍している。主力の多くがイギリス人以外の外国籍の選手で占められている。

ワールドカップ本大会でプレイすることは、どのサッカー選手にとっても大きな夢だ。またそこでの活躍が、その後の選手としてのキャリアに道を開くこともある。なにしろ世界中のサッカー関係者が見ているわけだから。特にアジア人選手にとっては、数少ない国際舞台でのプレイとなる。日韓大会でベスト4になった韓国チームで活躍したパク•チソン選手は、2002年当時京都パープルサンガでプレイしていたが、ワールドカップ後オランダの強豪PSVに移籍した。ちょうど小野伸二選手がオランダリーグの別のチームにいた頃と重なる。パクはPSVの2年目、3年目続けてヨーロッパ各国のリーグ王者を決めるチャンピオンズリーグに出場。2回目のときはチームはベスト4を獲得。そのときのパクの目覚ましい活躍は世界の目にとまり、イングランドの強豪マンチェスター•ユナイテッドから声がかかり移籍した。現在もそこでイングランドでは数少ないアジア人選手として活躍している。マンチェスター移籍後も、毎年チャンピオンズリーグに出場、2008/2009シーズンはアジア人で初めて決勝の舞台にも立った。

サッカーの専門家(ジャーナリストや解説者)によれば、今サッカープレイヤーのレベルを決めるのは、(国の)代表経験ではなくヨーロッパのチャンピオンズリーグ(CL)にどれだけ出場したか、どのレベルまで勝ち進んだことがあるか、その経験だという。なぜヨーロッパかといえば、アジアは言うにおよばず、南米リーグとヨーロッパリーグのレベルにも大きな開きがあるかららしい。ヨーロッパに世界レベルの選手が集まるのは、プレステージ性とともにもちろん経済の問題が大きい。ヨーロッパのビッグクラブの規模や資金力にかなうものはない、ということだ。なんだ結局お金のあるなしか、と思うとつまらない気がするが、現状はそうなっている。お金と能力が一極化するこのような状況は、まさにこの世界の縮図。生々しいものがある。

こういったヨーロッパを中心とするサッカー事情の影響の中で、ワールドカップも行なわれることになる。そうやって見ていくと、単純な国対抗のスポーツイベントというより、個々のプレイヤーの背景やチームのつくられ方、代表監督の選び方にもさまざまな発見がある。代表監督は国籍を問わないので、その選択のされ方やチーム、お国柄との相性も興味深い。

ワールドカップで上位にいくには、より経験豊かな選手をチームは確保する必要がある。そして選手の経験値を計るひとつの目安が、上に書いた欧州CLでの経験ということらしい。つまり世界レベルの戦いをどれくらい経験したかということ。日本代表の選手でいうとCL経験者は、中村俊輔、小野伸二、中田英寿、本田圭祐などだがまだまだ経験した試合数は少なく、準決勝や決勝など大一番での試合経験はない。CLに数多く出場するには、欧州のリーグに所属して長くプレイすること、所属のチームがその国のリーグの上位を占めてCL出場権を毎年獲得すること、チーム内でCLの試合に出られる実力を自分が常に保つこと、などいくつものハードルがある。日本代表レベルの選手で、まだ何人かは欧州のリーグに所属しているけれど、最近帰国したプレイヤーも多い。来年、再来年と先のことを考えると、残念なことだと思う。

*文中の数字などはWikipedea、FIFA公式ページなどのデータを参照しました。

FIFA公式ページ(英語、ドイツ語、フランス語、スペイン語)
日本の新聞や雑誌では読むことのできない、独自のリポートや選手紹介などが国ごとに掲載されている。日本のページでは先日のセルビアとの親善試合についても触れられている。