20040125

日誌を書く間がずいぶんと開いてしまった。思いつくところから、ここしばらくの間にやったことを書いてみよう。まずはいちばん近いところから、順々に過去の記憶へと。そういえば、このブログもそういうスタイルになっているな。

今日は朝から2月23日(月)から始まる本の展示・販売イベント、インディペンデント・パブリッシャーズ*に納品する既刊の本やCDを揃えて、数を数えたり、価格やISBNが付いていないものにシール貼りしたり、サンプル本を選んだり、納品書を書いたり、入れる箱を探したりなどして、主催者であるポシブルブック倶楽部に送れるよう準備をしていた。価格など印刷してしまえば簡単なのにと思われるかもしれないが、葉っぱの坑夫の本はオープン価格なので、卸す書店の掛け率によって値段が変わってくる。卸値はいっしょで、これは葉っぱの坑夫のサイトからの直販価格と同じ。取次を通していないので、そういうシステムにしている。でも、本を卸すたびにこうして価格のシール貼りをするのは結構大変。葉っぱの坑夫の本はamazon.co.jpでも販売しているが、注文がFAXで来て出荷するときも同様の作業を必ずする。

今年のインディペンデント・パブリッシャーズでは、新刊「籠女(かごおんな)」の発売をするが、それ以外に、葉っぱの坑夫の本をいつもデザインしてくれている宮川隆さんのブックデザイン展をやることが、決まっている。宮川さんはリトルモアなど商業出版のブックデザインをたくさんしているので、そういうものとインディペンデントな葉っぱの坑夫の本と両方の仕事をいろいろ集めて、一堂に展示したら面白いのでは、と会場であるプロジェット*のスタッフの人と話している中で決まった。展示する素材は今、宮川さんの方にセレクトをお願いしている。先々週、宮川さんのオフィスに行ったときにいくつか見せてもらったけれど、これが同じ人のデザイン?というようなヴァラエティで面白かった。展示は、宮川さんの希望もあって(わたしも賛成だし)、かなりラフな感じになる予定。詳細はまたここで書きます。

その宮川さんの展示をどんな風にまとめるか考えながら、今朝はひとつテキストを書いてみた。どのような使い方をするかは別にして、宮川さんのブックデザインについて、わたしなりの解釈というか感想のようなものをつらつらと書いた。書いていたら、今まで気づかなかったいろいろなことに気づいた。思い至った。書くという行為はやっぱり深く考えるということなんですね。

ひと段落して、そうそう夕べからメールを降ろしてなかったと思いダウンロードしたら、宮川さんから「籠女」の第2校がPDFで届いていた。この前、赤字を入れたものの再校正をこのファイルでする。今までの宮川さんとの本づくりの中で、PDFに変換された書類をやりとりするのは初めて。今回、初めて、中西印刷さんで今までのDTPソフト(クォーク)ではなくて、それをPDFに変換したデータで入稿することになっている。この方法がうまくいって、向こう印刷機(ドキュテック)でちゃんと出力できれば、今までのフォントの問題などいろいろな不具合が解決しそうなのだが。それで、この校正用のデータを、中西さんの方で確認してもらうため、メールに添付して送った。圧縮して約2.9MB。今のインフラならほとんどストレスのない容量だ。

PDFだと、わたしも画面で見られるし、もちろんプリンターで印刷もできる。とても便利だと思う。ただ、宮川さんによると、クォークからPDFへの変換時に少し問題が出ていて、それをこれから解決しなければならないそう。そういう意味では、デザイナーにとっては、ひと手間、ふた手間かかるということになる。

とこんな感じであれこれやっているのだが、2月23日のイベント開始日までやることがまだまだいっぱいある。そうそう、そんな中、新しい映像作品のプロジェクトもスタートしていて、一昨日、クリエーターたちが初顔合わせをした。実際の制作にとりかかるのは、もう少し先になりそうだけれど、まずは写真家、フラッシュクリエーター(2人組のユニット)、プロデューサーのわたしの4人のコラボレーターが集まって、互いの仕事や関心事について楽しく話し合った。

あ、それと、21日には葉っぱの坑夫のウェブサイトも更新したのだった。今回は「ことばの断片」に木坂涼さんの「17才、いろいろ」と「もんごろねこの ちきゅうたび うたのにおいを かいでゆく!」の第8話(イヌイットのシンガー、スーザン・アグルカークの[this child] についての3号室ロドリーグさんのエッセイ)をアップした。まだご覧になっていない方は、ぜひどうぞ。上のLinksから行けます。

<注釈>
インディペンデント・パブリッシャーズとは:
去年もこの時期に開催された「インディペンデント・パブリッシャーズ」。今年も川崎の書店プロジェットを皮きりに、4月の東京国際ブックフェアへと続いて催されます。この催しは1999年の東京国際ブックフェアで、「個人出版電子本」の展示販売としてスタートして以来今年で5年目、毎年パワーアップしながら発表の場を広げ活動を続けています。葉っぱの坑夫は2002年からオンデマンド印刷の本で参加をはじめ、今年で3回目の出品になります。

プロジェット
川崎のラ・チッタデッラの中にある、クリエーターに人気の書店。毎年ここで、インディペンデント・パブリッシャーズが開催されています。

20040113

先週末に広尾の都立中央図書館に行ったとき、有栖川宮記念公園のそばの『茶の愉』というお店で、中国茶を入れるための急須、茶碗などを買った。急須なんてなんでもよさそうなものだけれど、台南のお茶入れ父さん曰く、小さいものでないと香りが逃げてしまうそう。なるほどなるほど。向こうのお宅で使っていた4人用くらいの急須でも相当小さいのだが、2人用となるともうおままごとのように小さい。とてもきれいなデザインの黒いのを買った。台湾製で2000円ちょっとだったかな。わりにリーズナブルな値段だと思う。小さな茶杯と聞香杯も買った。聞香杯というのは香りを聞くための茶杯。台北の紫藤廬(ツートンルー)という茶館でお茶を飲んだとき、急須にお湯を入れたらまず、この聞香杯にお茶をそそぐ。そして表面の香りを嗅ぐ。それからそのお茶を茶杯にあけてから、お茶の中の方の香りを嗅ぐために聞香杯に鼻を寄せる。するとすると、すごい、さっきの表面の香りとは全然ちがった香りがするのです。とってもいい匂い。なるほどねぇ、と感心いたしましました。

さて、「籠女」の進行具合ですが、都立図書館に行ったのは、本に使うE. Boyd Smithのイラストを原典の(といっても1904年の初版ではなく、後に出版されたもの)本からコピーするため。年末に宮川さんから受けとったデザイン第一稿では、ヴァージニア大やデスヴァレーのサイトからのJPGで、解像度が72dpiと低かった。そこで本からコピーをして、それをもっと解像度の高いレベルでスキャンして原稿にしようというわけ。ちなみにSmithの作品はパブリックドメイン。

校正の方は台湾では集中してできなかったので、帰国してからじっくりやった。ひととり終わり、もう一度全体を見渡して最終判断するつもり。文字原稿はデータを流しているので、基本的に誤植というのはないのだが、文字データ段階でのミスタイプ(少々)や縦組にしたときの不具合(元データは横組ワープロ)、漢数字への変換落ち(縦組なのでアラビア数字は漢数字に書き変えた)、英文字のアキの調整など、直したい箇所がいくつか出た。

一番神経をつかったのはルビ。もともとそんなに難しい漢字は使っていなかったつもりだし、わたしは実はルビぎらい。だけれどもこの本は図書の分類も児童書の枠に入れたことだし、気になるものだけルビを振ることにした。校正をしながら、んこれは?という漢字に当たると国語辞書を調べて×や△マークがついてないか見る。×がついていると当用漢字外、△がついていると当用漢字内だけど音訓表にその読みがない場合だそう。別に当用漢字にきっちり従うつもりはないけれど、参考にした。それに1981年以降は当用漢字ではなく、もう少し漢字数の多い常用漢字が標準になっているそう。これらは新聞などの公的メディアの漢字の使用範囲の参考にされているのだと思う(義務教育の中学生レベル)。ちなみに教育漢字というのもあって、これはもっと漢字数が少なく、小学生で習う漢字だそうだ。「籠女」は児童書に一応分類したけれど、目安として自分で読む場合は小学5、6年生から中学生くらい、誰かに読んでもらうのならもっと小さくても、という気持ち。

もともと「籠女」は原典の英語も、子どもの本にしては文章が難しいし、内容もそんなに単純ではない。わりに易しい話もあれば、かなり大人な話もあってまざりあっている。でも、それだけに魅力的なお話しがたくさんあって、その理由のひとつは子どもを子ども扱いしていないところにあるのではないかと思っている。子どもというのはエネルギーに満ちたやわらかい感性の人々で、未来にひらいた想像力と好奇心をもってすれば、知らないこと難しいことも飛び越えて、遠いところへ心飛ばせられるのではないか、と信じているのだけれど。そうであってほしい。

というわけで、今のところルビは一つのお話しにだいたい平均で数個程度つけてある。全体を見て、最終的に取捨選択するつもりではあるが。ところで、教育漢字表をさっき見ていたら、1006字しかない漢字の中に「陛」と「皇」の字があった。小学生に必要度の高い漢字としては、ちょっと面白い選択かなと。陛といえば陛下、皇といえば皇室とか皇居くらいしか思いうかばないのだけれど。制度にはきっちりその国の思想があらわれているものだな、と改めて思った。

20040108

台北、台南の旅、その3
台北の大型書店「誠品書店」(24時間営業)で、地元の素晴らしい絵本作家の作品に出会った。幾米(Jimmy)という絵本作家で、わたしが購入したのは「森林裡的秘密」というモノトーンの本、第一作目の作品。言葉は北京語なので正確にはわからないけれど、漢字を見て内容をそこそこは想像できる。ほとんどが絵で表現されていて、テキストは短いものがページに1行ずつくらい。まずは絵がすばらしい。話の展開も魅力的。ちょっと孤独で、空想的で、あそびがあって、不思議な時間がながれている。

台南のお茶会で出会った中国哲学を学ぶ大学生の女の子にジミーの本を買ったことを言ったら、とても喜んでいろいろ教えてくれた。ジミーはとても人気のある絵本作家であること、彼は若くして癌におかされ今闘病生活をしていること、お薦めは「地下鉄」という絵本であること、ウェブサイトも素晴らしいこと、など。

お茶会の2、3日後にあるパーティでまたその女の子に会ったとき、なんとジミーの新作の絵本「布瓜的世界/Pourquoi」をプレゼントしてくれた。こちらはビビッドなカラーの本で、さまざまなPourquoi(なぜ?)に答えた、なぜ?と遊んでいる絵本。言葉はわからなくても、本の素晴らしさは伝わってくる。日本でも何作か翻訳・出版されているようなので、調べて手に入れたい。

台北ではfnacというCD屋さんで、CDも3枚買った。台湾の先住民の歌ものを2枚と、先住民ブヌン出身の若手シンガーBiungのファーストアルバムを1枚。Biungの歌はすばらしい。先住民という興味ぬきにすばらしい。普通に聴いてすばらしい。台北のホテルでも聴き、家に帰ってからも聴いている。あとの2枚、1枚はアタヤル族の歌、もう1枚はアミ、ブヌン、パイワンなどのポリフォニックな歌声で、これがまたすごい。多声的といっても、西洋のハーモニーや対位法とはまったく違った声の重ね方。まだ1、2回しか聴いていないので、わたしもよく理解できていない。でもすごいことはわかる。

20040106

台南の暖かさにはおどろいた。本家・坦仔麺と言われるお店をもとめて街歩きをしていたときの気温は、30℃はあったと思う。長袖のTシャツしか持っていかなかったので汗をかいた。道端のお店や屋台ではかき氷を売っていたし。日本の初夏くらいの感じでしょうか。夜になっても空気はあたたかく、深夜の公園でお茶会をする人々がいたりして、やはりここは南国、ゆるくやわらかな空気感に満ちていました。

今回、縁あって台南のあるご家族のお家に何回かお茶に呼ばれました。夜の10時くらいから家主のお父さんがお茶道具を出してきて、小さな急須に中国茶の葉をいっぱい入れて、20人くらいいた家族やお客のために何回もお湯を足してお茶を入れます。その手つきやサービスの仕方は道にいったもの。味ももちろんおいしい。よく香りしっかりした味だけれど軽さがあって渋くない。何杯もお代わりして飲みました。みんなも注がれるままに飲んではしゃべり、飲んではしゃべり。そして夜は深けていきます。

台湾の人はみんなおしゃべりが大好きだそうで、おしゃべりできなくなったら死んでしまう、と台南出身の日本育ちの女の子が言っていました。呼ばれたお茶会でも、常にポリフォニック(多声的)に会話が進行し、誰かが身振り手振りで話しはじめると、それにかぶせて何人かの人が話しを継ぎ足し、合いの手を入れ、ときに反対意見が入り、どこかで笑いが起こり、話しの山がくると少し興奮気味に声も大きくなりちょっと喧嘩しているように見えたりもして、最後にまた笑いが弾けて話がおわるという感じでしょうか。だいたい中心的な人物(よりおしゃべりの好きな人)が一人か二人いて、その人を中心に会話がまわっているという印象をうけました。

話されている言葉が外国語(台湾語)なので、より音楽的に聞こえたのかもしれません。他に日本語と英語も少し、ときにより混じります。台湾語の通訳は日本育ちの女の子がしてくれました。日本統治時代を生きたお年寄りたちや日本に留学経験のある人々は日本語が、大学生の女の子たちは英語が話せました。テレビでは北京語と台湾語が話されています。台湾の公用語は北京語ですが、とくに台湾南部では台湾語の復権が著しいそうです。それは政治家の話す言語にもあらわれていて、台湾のアイデンティティを主張する政治家(台湾独立派)は台湾語で政見放送したりするそうです。台湾ではもうすぐ総統選があるそうで、呼ばれたお茶会でもついていたテレビの政治討論会のような番組に反応して、一気に話がそこに集中して盛り上がった場面もありました。

お茶会の2、3日あと、別のパーティで、政治学を学ぶ大学生の女の子と話していて、台湾はどちらの道(中国に統一されるか、台湾として独立するか)を選ぶべきだと思うかと聞かれて、答えに窮しました。するとその女の子は、だって○○ちゃん(台湾藉で日本在住)のパスポートには台湾ではなく中国って書いてあるんだよ、と。こういうとき、当事者の一人である彼女にむかって、国境とか国家という考え方そのものがなくなっていけばいい、無化していけばいい、それが未来の平和を生むのではないか、という考えや意見はあまりに理想主義に聞こえてしまうでしょうか。