20040827

富山、音楽祭レポート(3)
福野町、日本の田舎の風景

富山、音楽祭レポート(1)--- 「スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド」全体についてのレポート
富山、音楽祭レポート(2)--- 即興演奏と即興的演奏の違いについて(安居寺コンサート)

日本国内はそれほど旅していないこともありますが、どこかへ行く場合でも、それはやはり観光地の周辺がほとんどでした。今回富山県砺波郡の福野町という人口15000人弱の、これといって観光資源のない普通の町に滞在したことは貴重だったかもしれません。富山市内から車で約1時間、友人の運転する車で、砺波の山間部のくねくね道を走りながらたどりついた福野町は、緑の稲穂が風にゆれる典型的(のように見える)日本のコメどころの風景をもつ町でした。周囲を山に囲まれ、田畑が広がり、防風林をめぐらした家々がぽつぽつと点在しています。JR城端線というローカル線が走っていて、福野の駅はレトロだから一見の価値あり、とは聞いていましたが、行けずじまいでした。

滞在したのは、コンサートのあった安居寺という町はずれにあるお寺のすぐ近くの日本旅館。裏山と沢にはさまれた、木造のかなり大きな古い建物でした。富山行きの1週間ほど前、帰宅すると、そこの女主人からの留守電がはいっていました。富山なまりのゆっくりとした調子で「主人が体調をくずして入院したので、宿泊をキャンセルさせてほしい」というのです。これはこまったと、折り返し電話をして事情を確認し、他に泊れるところはないか探してもらうことにしました。やはり滞在予定日の周辺は、スキヤキのイベントがあるため、福野町内で泊れるところはありません。隣の町ならとホテルを紹介してくれましたが、せっかくなので福野町に泊りたい。そこで食事などいらないから、泊るだけ泊らせてもらえないか、と頼んでみました。そうですねぇ〜、と最初しぶっていましたが、朝ごはんだけなら用意します、ということで泊めていただくことに。

宿泊当日は、富山市内で夕方ラジオの収録があったこともあって、6時すぎに宿に到着。シーンと静まり返っていて灯りもなく、人の気配もなく、これは、と一瞬心配になりました。玄関をあけて声をかけると、女主人が出てきて「もう、いらっしゃらないかと思いましたぁ」と言われました。他の泊まり客はみんなキャンセルしたそうで、その夜はわれわれだけ。送ってくれた地元の友人に、うわさでは『出る』らしい、なんて言われてもいて、さもありなんという広さと廊下でつながれ伸びていく複雑な建物の構造、そしてかなりの古さ、さらには人のいない深閑とした感じ。でも案内された部屋は広々としていて、格子戸の玄関風の引き戸の奥にもう一つ唐紙があって、そこには3帖ほどの茶室のような部屋があり、その隣に広い畳の間と福野の町が見おろせる板間のテラスがある角部屋。さらにもう一つ小部屋の寝室がありました。大変ゆったりとした造りで大満足でした。ひと夏中、本など持ち込んで、日がな昼寝したり、裏山を散歩したり、書きものをしたり、などするにはもってこいの場所です。(ただし、一流ホテル並みのアメニティがそろっていて、お湯が出て、うんぬんかんぬんという人には向きません)

さて、その日の夕食ですが自分たちでなんとか調達しなければなりません。宿は休業状態ですから。こんな町はずれだとは思っていなかったので、さてどうしたものかと女主人に聞くと、下の道に降りていくと蕎麦屋が一軒ある、とのこと。時計を見るともう7時。閉まってしまっては大変と、すぐに宿を出ました。台風の影響で強い風が吹き荒れる中、蕎麦屋と言われたところにたどりつくと、そこは食堂のようで、中に人影が見えました。カウンター席といくつかのテーブルがあって、おばあちゃんが二人、地元の男のお客さんが一人いました。おばあちゃんの一人は店の人で、もう一人は近所の人といった感じで桟敷席に横になっていました。メニューはけっこういろいろあって、オムライスやどんぶりものもあったと思います。メニューを見ている間、お店のおばあちゃんが、われわれが遠くから来たというので珍しがって、隣にすわってあれこれずっとしゃべりかけてくるので、とうとうカウンターの中にいたお嫁さんが、出てきて先に注文を決めてから、と言いました。「いなりうどん」というのを注文してみたのですが、そのいなりの味付けと煮方、うどんの出汁に使っている天然昆布について、おばあちゃんの話はずっとずっと続きました。そしてさらに違う話題にも・・・(すぐ前にある最近重要文化財に指定されたお屋敷の話、その造りの見事さ、だけどそれはここらの百姓の年貢で建ったものだなどなど)、食べている間も、食べ終わっても、店を出るまで話は続きました。。。お嫁さんが途中で来て、ナスの漬け物とせんべいをサービスしてくれました。

年号を昭和で数えてみせるこのお店のおばあちゃん、数えで81になると言っていましたが、とても元気そうでした。でも少し前、お腹を手術して1ヵ月ほど入院していたので、その間、店を休んでいたそうです。そうか、このあたりでは、主人がからだを壊すと、店を閉めざるおえないということなんだな、あの旅館も、この食堂も。もうやめてしまおうか、とも思うんだけど(店開ければ、電気もつけならんし、いろいろ費用もかかるんで)、みながやってくれんと困るというんでね、とおばあちゃんは嬉しそうに言っていました。たしかに、もしこの食堂がなかったら、わたしたちも大変こまったことでしょう。

食堂で会った桟敷にいたおばあちゃんとは、その後バスの停留所で再会しました。前回と同じく、杖がわりの手押し車を押して、バスから降りてきたところで、こちらは町に行くところでした。降りたおばあちゃんとワンマンバスの運転手が、料金を払った払わないで口喧嘩をはじめました。このバスの路線は一日5便くらいで、バスの運転手はいつも同じ人です。運転席とバスの下で、しばらく言い合いは続きました。乗客はわたしとわたしの連れ、もう一人は中学生くらいの女の子でした。決着のつきようのない言い争いなので、しばらくしてバスは発車しました。怒気のこもった顔つきと口調から一転して、笑顔の運転手がわたしたちに言いました。「えっと、昨日と同じところで止めたらええの?」

安居寺のバス停付近

20040824

富山、音楽祭レポート(2)
即興演奏と即興的演奏の違いについて

(「スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド」全体についてのレポートはこの下の「富山、音楽祭レポート(1)」をお読みください)

安居寺のコンサートの続編です。
セネガルのアフリカンドラムのグループ、ドゥドゥ・ニジャエ・ローズは、オールパーカッションの男女20人くらいの大集団。コンサートマスターであるドゥドゥをぐるりと取り囲んで、一糸乱れぬ激しいアフリカンドラムの連打につぐ連打の嵐で聴衆を圧倒し、踊り狂わせます。前夜祭と安居寺の2回見聴きしましたが、音もさることながら、女性たちの身のこなしにも魅了されました。色鮮やかなそれぞれのアフリカンドレスを身にまとい、腰にはドラムをたずさえ、片手にドラムスティック、もう片一方は素手で叩きます。踊りながら。歌いながら。腰の振り、首の振り、きらきら光る目、口の中に生き物を飼っているみたいな動きをするピンクの舌、力強い腕の振りおろし。声も素晴らしかったです。

今回のスキヤキでは、ドゥドゥの女性たちによるセネガル料理のワークショップもあったみたいです。セネガルと言えば、前回のワールドカップサッカーでのセネガルチームの勝利の踊りを思い出す人もいるかもしれません。ゴールするたびに、コーナーに数人のプレイヤーが集まって輪になり、独特の勝利のダンスをしていました。セネガルのフォークロアなのか、自分たちのオリジナルなのか、変わったポーズ、身のこなし、リズム感、楽しげ(ちょっと照れている人も)で、強くひきつけられました。それ見たさもあって、セネガル戦全試合を見たくらいです。そういうこともあって、今回のドゥドゥのプレイ(こちらは演奏のプレイですが)も楽しみにしていました。もうかなりの高齢(70才くらいか)だと聞いているリーダーのドゥドゥのプレイ&ダンスはアフリカンのエッセンスに溢れていたし、全体としてはとてもよかったと思うのですが、個人的な趣味としては、ちょっときまりすぎ、ショーアップされすぎの感がありました。もう少し(セネガルチームのダンスのように)即興的なグルーブがほしかったなと思いました。

ドゥドゥに振られたプレイヤーが次々に自分のソロをひとしきり叩くシーンもあって、そういうところには多少の即興性を感じましたが、全体としては、一糸乱れぬドラム・オーケストラという感じが強かったように思います。でも、観客の中からたくさん男女が途中からステージ前に駆けこんで、ドラムに身をゆだね、身をゆすり熱狂していましたから、そこまで乗れなかったのはわたしの趣味傾向、資質かもしれませんが。

即興演奏、というとたとえばジャズの演奏を思い出しますが、わたしの言う即興性というのは、それとも少し違います。即興性というのは、クラシックの演奏、楽譜のかっちり決まったたとえばベートーベンやモーツァルトのピアノソナタでも起こりえることです(というか、それのない演奏は凡庸です)。要は、演奏におけるスタンスのようなもののことなのです。だからジャズのトリオで、ソロパートが入り乱れるいかにもジャズのスタイルをとった「即興的」演奏があったとしても、だから即興性があるとは限らないということです。わたしの言う即興性とは、演奏者が自分の頭の中にある音のイメージをなぞらない演奏、のことです。イメージはもちろん持つんですが、それをなぞるのではなく、新たな音、そこで生み出せる音、演奏者にとっても「生まれて初めて聴く音」を出す、というようなことです。そして出した(出た)音に一瞬一瞬すばやく細かく反応しながら、次の音、次の音、と出して演奏していくという綱渡りのような演奏のことを即興的、即興性とわたしは呼んでいます。

ドゥドゥの場合は、20人に及ぶ大集団ドラム、名前もオーケストラですから、演奏スタイルが違うと言ってしまえばその通りなんですが、もしあそこにわたしの聴きたい即興性がもっとあったら、もっともっとすごいことになっていたのでは、と想像してみるのです。リーダーのドゥドゥは、今回で引退ということも耳にはさんだので、それは彼の後継者たち若い世代のメンバーが果たしてくれるのかもしれません。

*この項、つづく予定。
(レポート1に、写真を追加しました)

20040823

富山、音楽祭レポート(1)
スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド

富山に遊びに行ってきました。「Sukiyaki Meets The World」というワールド・ミュージックを主体にした音楽イベントを見に行くためです。富山は初めてということで、前夜祭の前々日に富山入り。富山シティFMの音楽&トーク番組にゲスト出演して葉っぱの坑夫のことを話す機会にも恵まれました。(詳細は後述)

まず音楽祭ですが、場所は富山市から車で1時間ほど西に走った砺波郡にある小さな町、福野町。20日の前夜祭に始まって21日、22日と週末にかけての3日間、福野町内の複数の会場をつかって行なわれました。この音楽祭(通称スキヤキ)は1991年から毎夏行なわれているということですから、今年で14年目。世界各国からミュージシャンを招いての音楽イベントが、人口15000人足らずの町でずっと続けられているのはすごいこと。
福野町の田園風景


20日の前夜祭では、顔見せとして海外からのミュージシャンなどワールドミュージック系の演奏が野外特設会場でつぎつぎに紹介されました。これは無料入場でしたし、会場広場にはフード関係の屋台や様々な雑貨の出店が出て、食べ、飲み、観賞しと大賑わいのお祭り模様。音楽好きの若者だけでなく、地元の子供たちやお年寄りなど、みんな集まってきて夏の一夜を楽しんでいました。ここで印象的だったのは、ギニア出身の若手音楽家4人組バ・シソコの演奏と歌。コラというアフリカン・ハープの独特の美しい音色とアフリカンヴォイスとでも言いたいハスキーでやわらかなサバンナを連想させるような歌声、そしてパーカッションが素晴らしく、ほんの2、3曲でしたがもっと聴きたいと思わせるに充分の演奏でした。22日の最終日のヘリオス円形劇場でのコンサートでは、エレクトロニック系サウンドを中心にした楽曲を演奏するとのことでしたが、残念ながら22日は東京に戻ったのでそれは聴けませんでした。

20日は前夜祭コンサートの後、22時からのマンディングで行なわれたクラブナイトに行きました。葉っぱの坑夫のFragmentsに寄稿していただいている、富山在住のシンガー・ソングライター吉本佳代さんのライブがありました。エレクトリックピアノ、ギター、パーカッションのシンプルな編成のバックサウンドにのせて、前作ミニアルバムから3曲、この秋リリース予定の楽曲を含めた新曲4曲を、のびやかな声とすばらしいグルーブで歌って聴衆を魅了しました。わたしの印象に強く残ったのは「ほしのみちゆき」というタイトルのかわいらしい歌。野山の季節の移り変りをうたった歌で、春、夏、秋、冬、と歌い継がれる詩の風景は唱歌のように素朴な味わいなのですが、この歌い手の自然なグルーブにふわっと乗ると、すばらしい輝きを放つ今の歌になります。

即興的でエスニックな香りのするヴォイスによる間奏を自在にはさむなど、簡単にポップスとかロックとかJ-POPなどの既成ジャンルに収まりきらない、自由度の高い、自分自身のうたを身につけているシンガーに見えました。そのセンスが、狭いところに隠りがちな日本人シンガーとはひと味違う、今の世界をリアルにライブに感じさせていて、そのあたりも外国人もふくめた聴き手を強くひきつける要因となっているのでしょう。

21日は中心会場のヘリオス前庭で、アーティストたちによる作品の出店市場「アートマルシェ」やフリーマーケット、オープンカフェ、参加型フリーイベントなど賑わっていました。わたしはこの夜、町のはずれにある1300年前につくられたお寺「安居寺(あんごじ)」の境内で行なわれたコンサートに行きました。実はこの安居寺のすぐ隣の古い旅館に宿泊していたので、前日はゆっくり境内を見たり裏山を散策したりしていました。展望台からは遠くの山々、福野町の田畑やこの地方独特の防風林に囲まれた家々が一望できます。
ヘリオス前庭のテントカフェ


安居寺の境内


コンサートはまだ陽が落ちる前の6時15分にスタート。演奏が進むにつれて辺りが暗くなると、かがり火が焚かれ、寺の建造物や木々に向けてのライトアップがきれいでした。この日の出演者は、韓国出身のパーカッショニストとダンサーのユニット、ヨンチ&ウヒ、沖縄出身の島唄うたいでシンガー・ソングライター大島保克、セネガルからやってきたアフリカンドラムのドゥドゥ・ニジャエ・ローズ・パーカッション・オーケストラの3組。ヨンチ&ウヒは、スキヤキのワークショップから生まれたというアフリカンドラムの演奏グループ、サラマレクム(日本)の面々が賑やかに打ち鳴らすチャンゴ(韓国の伝統打楽器)と踊りの隊列を引き連れて、舞台脇の坂道を客席にむかって下りながらのとても演劇的な演出による登場でした。安居寺の場を生かした、そして彼らの演奏によく合った、感動的なオープニングでした。それ以降のどの演奏、演奏者もすばらしかったけれど、わたしの中では、このオープニングのヨンチ&ウヒがこの日のベストワンでした。ヨンチはとくに大変才能にあふれた人に見えました。あとクロージングの演奏者全員のセッション、これもなかなかでした。アフリカンドラム+チャンゴ+島唄、ですから。

さて、最初に書いた富山シティFM(77.7MHz)の出演ですが、収録したものが8月29日(日)の夕方5時5分からの「Hands and Minds」で放送されます。パーソナリティはスキヤキのライブにも出演の吉本佳代さん。葉っぱの坑夫の成り立ちや出版活動について話しました。地域限定ですけれど、お聞きになれる方、よかったらチャンネルを合わせてみてください。
*この項、つづく予定。

Sukiyaki Meets The WorldのオフィシャルHP

20040817

お知らせ、最近のみものなど

もっと早くにお知らせを書こうと思っていたのですが、ミヤギユカリさんの「Kaguya, the bamboo princess/竹姫物語」(Nieves刊)が日本でも発売されました。葉っぱの坑夫での取り扱い分はあっという間になくなってしまいました。現在、川崎のプロジェットと大阪のいとへんの2店で販売しています。
*本の中身の紹介は、こちらでも見れます。
スイスのインディペンデント出版社NIeves

大阪の「いとへん」さんは、「竹姫物語」の取り扱いの問い合わせをいただいて、その後「籠女(かごおんな)」と「糸ごよみ」もショップで販売していただくことになりました。関西地方でははじめての販売なので、なにはともあれ喜んでいます。

葉っぱの坑夫の本はネットと首都圏のショップでの販売が主ですが、最近地方の図書館からの注文がぼちぼちとあったり、「はらの日誌」のはらの工房(富山)さんでもビーズのアクセサリーや雑貨などといっしょに本を置いていただいています。こうやって少しずつでも広がっていってくれると、ほんと嬉しいんですけど。

ウェブのプロジェクトを進めたり、本を制作したり、新しいプランを練ったりと、どうしてもつくるほうにエネルギーも時間もそそいでしまうので、営業面が手薄です。合間をぬってささっとやっているのが現状。ときに販売面のことにもじっくり取り組まなければと思ってはいるのですが。。。

今年の12月発売をめどに、「森の位相/Into The Wood」のフルヴァージョンの制作を進めています。北米ノースウッズの森を題材にしたフォトムービー(CD-ROM)とノースウッズの動物についてのテキストをまとめたチャップブックの組み合わせで、販売する予定です。ムービーは一部を近々ウェブ上で公開の予定。現在そのムービーづくりとCDで使う音(音楽)のプランを練っているところ。

そんなこともあって、ここ最近はいろいろなジャンルのCDを聴いたり(エレクトロニカ系やノイズ系なども)、アーティストのつくったDVDもよく見ています。じつは今日も、プロジェットのネット販売で映像・音響アーティスト高木正勝さんのrehome(CD+DVD mini album)を購入。明日から休暇で富山(Sukiyaki Meets The Worldというワールドミュージックの音楽祭/福野町という小さな町で開催)にしばらく行っているので、 見るのはしばらくおあずけですが。最近見たものの中では、Jack JohnsonのThicker than waterが最高でした。もともとサーフィン・ドキュメンタリーは大好きなのですが、これはジャックの歌やバックの音楽もいいし、インターフェースはアーティスティックだし、ジャックを含めた制作スタッフたちのコメント編もとても楽しめます。サーファーのスタッフたちが自分たちの気分にぴったりの映画がつくりたかった、というのがよーく伝わってくる作品。そうそう雑誌Coyoteの3号はジャック・ジョンソン特集とか。

20040806

「動物の森」英語版の校閲者マレクさん

5月にスタートしたノースウッズ(アメリカ、ミネソタ州)の森の動物たちについて綴ったショートエッセイ「動物の森 1999 - 2001」(The inhabitants of the North Woods)ですが、日本語、英語、日本語、と順番に更新をつづけています。現在、日本語版では10の動物や虫が登場しています。英語版の校閲をしてくれているのが、シカゴの非営利出版社A Small Garlic Pressのマレクさん。マレクとは葉っぱの坑夫立ち上げのときからのおつき合いなので、もうかれこれ5年になります。いっしょに山尾三省の詩を英訳したり、さまざまなテキストにアドヴァイスをもらったり、と、わたしにとっては英語およびクリエイティブライティングの先生ともいえる人。(会ったことはありません。メールと1回だけ電話で話したことがあります)

動物の森では、写真家の大竹英洋さんが日本語だけでなく英語のテキストも自分で書いています。それをマレクに校閲してもらっているわけです。わたしは間にはいって中継ぎをしています。これが結構楽しいのと、とても勉強になります。ふだん自分で英語でテキストを書く場合は、どうしても自分の知っている表現内で書いてしまう傾向がありますが、他人の書いた文章はなるべくその表現を生かした上で、英語話者にわかりにくい言い回しや文法的な間違いだけを直そうとするので、新たな表現が身につくのです。そしていつもながら、英語の考え方と日本語の考え方の違いになるほどねぇーと、感心することもたびたびです。
(思うに、日本人で英語がどうも不得意という人の多くは、単語とか文法などより、この「英語の考え方」になじめない、というのが理由として大きいのでは、とも。)