20070607

葉っぱの本がソウルのブックフェアに

6月1日からソウルのcoexで開かれていたSeoul International Book Arts Fairに、ブックショップ・ユトレヒトさんのお誘いで「葉っぱの本」を連れていってもらいました。この国際ブックアートフェアは数年前に始まったもので、もっと前からある大きな規模の国際ブックフェアと同時期にソウルで開かれているとのことでした。ブックアートフェアの方は昨日で終了。報告では葉っぱの坑夫の本は韓国の人々からとても好意的に受け取られ、面白がられ、本もよく売れたそうで嬉しいかぎり。このフェアでユトレヒトさんは共同出展していたProject AACさんと制作した本『100 Books』で、なんとコンペティションの金賞を受賞したそうです。詳細は、ユトレヒトのウェブサイト、http://www.utrecht.jp/で。

この話を最初に聞いたとき、ああいいなあ、と無条件で思いました。本やアートを通じて、若い世代を中心にしたインターナショナルな交流、特にアジア圏の交流があること、貴重だと思ったし何かいいことが起きそう、という印象をもちました。最近、文学の世界では中国、台湾の作家、韓国の作家などとの交流がコンフェレンスなどを通じて活発に行なわれていて、日本からも力のある詩人や作家が多数参加しています。まわりまわってやっとここまで来たのかな、という感じもします。つまり日本と中国、日本と韓国という直接の関係性からの発想というより、インターナショナルなコンテキストの中にアジア諸国を置くという視点を得たときに、やっと自由に交流する糸口が見えてきたのかもしれない、と。もしかしたら、今はまだ、ヨーロッパやアメリカのアートムーブメントへの共通の関心、というクッションを一つ置いたところで結ばれている関係性かもしれないけれど、ここから先は交流することの中から見つけていけばいいんだと思います。

そんなことを思っていて、今朝、書棚から興味深い一節を見つけたので以下に写し書きします。
8 Soul ソウル (多和田葉子著「エクソフォニー(母語の外へ出る旅)」2003年、岩波書店)
もしも日本が韓国に対して政治的犯罪を犯していなければ、あるいは少なくともその責任をとっていたら、もっと言葉そのものに焦点を当てた言語交流が可能になっていただろうと思う。今の状態のままでは、韓国について書くのは難しい。日本とは関係の薄い国について書いている時ほど、自由に筆を伸ばせることに気がついた。だから、ずっと書けないでいたこの本が、セネガルについて書き始めたら急に進み出したのだろう。無責任というのはよくないことだが、わたしはセネガルについては無責任に書いた。韓国については責任を感じるし、何を書いても自己欺瞞を感じてしまう。それは言語の問題に限ったことではない。たとえば、韓国の印象をきかれたらわたしは、韓国では、人々の暖かさと知的好奇心をどの土地よりも強く感じた、と正直に答えてしまうだろう。他の日本人が他のアジアの国に行って軽々しく「暖かい」とか「いきいきしている」などと書いているのを見ると、苦笑が漏れる。そのくせ気づくと自分でも同じことをやっている。

ほんの一節だけれど、ソウルの章は最初から終りまで、「14 Beijing 北京」の章と同じくらい刺激に満ちたものでした。

20070604

アメリカのウェブマガジンにインタービューが載りました

Cervena Barva Press6月号に葉っぱの坑夫・大黒のインタビュー記事が載りました。インタビュアーはフランスの詩人Denis Emorine。Denisの興味のおもむくままに質問が出ているところが、!でもあり、???でもあり、この記事の見所とも言えますが、もちろんどの質問にも真面目に答えています。「ヨーロッパでは、日本はアメリカ文化に完全に従属していると言われているけれど........ あなたの意見は?」など、他では聞かれない質問も多く、あらためていろいろ考えさせられたインタービューでした。

Cervena Barva Press

*近々、全文を日本語に訳して葉っぱのサイトのどこかに載せようと思っています。

20070602

「殯(もがり)の森」を見て

河瀬直美監督の映画「殯(もがり)の森」をNHKハイヴィジョンで見た。今年のカンヌ映画祭グランプリ受賞作品(最高賞パルムドールにつぐ2席)である。なんと授賞式の翌日の放映で、日本での一般公開が6月下旬ということを考えると、破格のサービス放映だ。

河瀬直美の作品は、長編デビュー作「萠の朱雀」以来、注目してずっと見続けてきた。公開されている、あるいはビデオやDVDで見れるもの、NHKで放映されたものなど、初期のドキュメンタリー作品を含めほとんどを見ていると思う。そのどれもがそれぞれに、わたしとっては衝撃的だった。「火垂(ほたる)」という劇場用長編作品については、葉っぱの坑夫でレビューを書いたこともある。

新作「殯(もがり)の森」は、これまでの作品に増しても驚かされる作品だった。「火垂(ほたる)」「沙羅双樹」などの長編劇場用映画公開の後に、このようなストーリー然とした筋立てがほとんどない、初期のドキュメンタリー作品を思わせるようなインディー的な作品をつくっていたとは。テーマは決して狭いものではないし、そのテーマを極めるという点でもはっきりした作品だが、手法や見え方がインディー的なのだ。パッと見た目、わかりやすいとは言い難い。あらゆる状況説明が(台詞など言葉による説明としては)省かれているし、台詞も(字幕なしの)耳だけでは聞き取りにくい。演者も主役の一人を含め、ほとんどが撮影地奈良の地元の人々、つまり演技の素人が起用されている。カンヌうんぬんの前に、今の日本でこのような作品が作られたこと自体に衝撃を覚えた。小栗康平、是枝裕和などわたしが日本で注目している他の映画監督の作品にも増して、河瀬直美の今回の作品は「行けるところまで行った」感が、いろいろなことに惑わされず徹底して作った作品のように感じられた。

こういうものをカンヌが選ぶこともすごいと思った。フランス人はどのようにこの映画を見たのか。あるいは他の国の人々は。今年のパルムドールは、ルーマニアのクリスティアン・ムンジウ監督「4カ月、3週間と2日」で、チャウシェスク政権末期の違法中絶を描いたものだという。日本ではその情報があまりないのも気になるが、どんなものか興味が沸く。ルーマニアのチャウシェスク時代のことが20年近い歳月をへて、文学や映像などの作品に反映され始め多くの人の目にふれる場にも出てくるようになったのだろうか。葉っぱの坑夫の6月スタート予定の新しいウェブ作品「Innocence」の中の「2100時」というフランスの短編小説にも、当時ルーマニア政府に押収された小説の原稿が奇跡的に発見され、出版して日の目をみるというエピソードが出てくる。

「殯(もがり)の森」については、カンヌグランプリ受賞のニュースを、

河瀬直美のオフィシャルサイトは、http://www.kawasenaomi.com/

葉っぱの坑夫のレビュー(「火垂(ほたる)」はこちらで読めます。