Olympic Voices From China
というタイトルのニュースレターを受け取ってメールを見たら、Words Without Bordersという文学ジャーナルの4月号のお知らせだった。WWB(あらゆる境界を超えていく言葉)は世界文学(世界各地で様々な言語で書かれている小説やエッセイ、詩、ノンフィクションなど)を翻訳して出版するオンラインマガジン。紙の本でアンソロジーも出している。orgのアドレスから非営利であることがわかる。使用言語は英語。4月号の特集は中国の女性作家たちの作品を集めたもので、それでちょっと「人目をひいてしまう」前述のタイトルとなっているのだろう。7人の中国女性作家の短編作品やノンフィクション、エッセイがウェブ上で読める。多くの作品は中国語から英訳されたもので(英語で直接書いた人もいるようだが)、作品を集めて編集したYu Yingが翻訳にもかかわっている。Yingは、ナボコフがプーシキンの「オネーギン」の英語への翻訳について語った「摩天楼の高さに及ぶくらいの脚注を書きたい」という言葉を冒頭に引いた、「摩天楼のような脚注」というタイトルの長い紹介文も寄せている。
特集は今起きている聖火リレーにまつわる妨害事件よりもずっと前から企画されていたものだろう。またどの作品の内容も、オリンピックと関係しているわけではない。では何故、わざわざこのような(人騒がせともとれる)タイトルをWWBは付けたのだろう。(ニュースレター発信は4月16日)
中国は今、様々な局面で強い風当たりを受けているように思う。チベット問題は中でも格好の「誰も異議を挟めない」弱点の一つだろう。それを掲げての抗議運動の世界的な広がり、この現象にはわたしは最初の時点から何かいやなものを感じていた。詳しくは知らなかったが、漠然と不自然なものを感じていた。この運動の本当のところは今も知らない。ただ純粋なチベット弾圧への抗議行動なのか、疑問は消えない。
そもそも聖火リレーにともなう抗議行動の趣旨は何なのか。日本ではどんな受けとめ方が一般にされているのだろう。もちろん様々な考えがあるのだろうが、たとえば出発式が行なわれる予定だった長野の善光寺が、チベット問題を理由の一つに上げて会場提供を断ったことは何を意味しているのか。新聞によると「平和の象徴である善光寺」で厳戒態勢が敷かれたり暴動が起きては困る、という考え方があったらしい。平和とは、これは善光寺だけでなく、多くの日本人にとってもそうかもしれないが、自らの強い意志のもとに守ろうとしたり、切り開いたりしていくものではなく、目の前で起きていることに問題があれば、自らが関わらないようにそっと手を引き波風のない現状を維持する、ことなのかもしれない。一度は(多分喜んで)引き受けたことならば、この問題にもっときちんと向き合い、事の次第を様々な角度から自前で調査し、深く考えることによって違ったアイディア、結論も生まれたかもしれないと思うと残念だ。それを考えることが平和を望み実践することなのではないか。(オリンピック自体が、平和への貢献があるイベントかどうか、についてはここでは問題にしない)
WWBの中国女性作家特集をぱらぱらと読んでみたが、なかなか興味深いものがあった。中国の内部には様々な葛藤が、歴史的に、思想的に、言語的、民族的にあることが伝わってくる。編集者のYingによると、たとえば広東語と北京語は、同じ漢族の言葉とはいえ、方言の範囲を超えて、ラテン語圏におけるフランス語とイタリア語の違いくらいのギャップがあるという。少数民族と漢族の間にある不均衡や差別だけでなく、漢民族の間にも優劣や不平等があるということなのだろう。政府の一人っ子政策にもめげず、妊娠して村を出奔する母親の話など、WWBの特集からは現代に生きる顔のある「中国人」が垣間見える。中国という国は、とてつもない矛盾と葛藤と10億を超える個人を抱え込んだ、人間のあらゆる種類の悩みを内に持つ国なのかもしれない。
そういう隣国をもった日本に住む日本人が、相手を知り理解する一つの方法として、文学や映画は有効だと思う。同じように一般的なマスの報道に接しても、文学や映画で違う側面に触れたことがあったり、多様なものの見方を知っていれば、大声で言われていることを鵜呑みにしてしまう可能性は減るだろう。もしオリンピックが平和の祭典であるならば(たとえそうでなかったとしても)、観戦したり、話題にしたり、あるいは出場する人々が、平和でありたいという気持ちをイベントに投影することで変わるものはあるはず。それはテレビで試合を観戦しているときの家族間でかわされる会話から始めることができる。
Words Without Borders:The Online Magazine for International Literature
今世界市場で翻訳出版されている本の50%が英語から他言語への翻訳で、英語への翻訳は3%以下であるという状況に危機感を抱いて始められたプロジェクトのようだ。アジア、中東、アフリカ、ヨーロッパ、カリブ、、、と様々な地域の、様々な言語、多様な文化圏の作品が、英語への翻訳を通して紹介されている。back issues を見ていて驚いたのは、LITERATURE FROM THE "AXIS OF EVIL"(「悪の枢軸」からの文学)と題して、2006年9月号でイラン、イラク、北朝鮮、「その他の敵対する国家」(米国に対して)の特集を組んでいること。この特集はアンソロジーとして紙の本にもなっているようだ。このタイトルのつけ方から見て、やはり、4月号のOlympic Voices From Chinaも、現状へのそれなりの意思表明としてつけられたものである可能性がある。もう一点気づいたこととして、back issuesには日本に関する特集は見当たらなかった。単体の作品としては、アジアの作品のところに1点だけあったが。どういう事情からなのか。WWBに興味を持たれていないというよりも、著作権や原稿料、その他のハードルから日本の作家の合意が得られないのかもしれない。WWBは非営利活動なので原稿料はない可能性もある。ただ日本の職業作家でも、星野智幸などは自分のホームページで、英語に翻訳した作品を積極的に載せたりしているので、コーディネイトする人がいないだけかもしれない。