20080525

形になること、プロセス、出版、マニュスクリプトを読む

複数のプロジェクトを同時進行させながら、海外、国内の作家から送られてくる作品を見たり、読んだりすることをここのところやっている。プロジェクトの方は、2人〜数人の間で進められることが多いので、それぞれが関わっている他のプロジェクトと調整しながらの進行になり、思いついたところですぐ形になるというわけにはいかない。葉っぱの坑夫を始めた頃は、作品の制作や本づくりと同時進行的に、その進行記録を逐次公開してプロセスと作品が一体化したものという見え方を意識していたところがあった。今は少し違っていて、作品を発表するしないにかかわらず、それぞれの作家やクリエーターとメールでやりとりする量や質は昔と変わらないけれど、現在進行形での経過報告をウェブ上ですることは少ない。また以前のようなスタイルをとることもあるかもしれないが、今はちょっと違った気分というか。もしかしたらここ2、3年のblogやSNSによる、多くの出来事が逐次、即時に公表でき、それに対する即時応答もできるという状態に疲れを感じ始めたのかもしれない。面白いもので、一つの技術が手に入ったばかりのときはそのこと自体から無数の輝きが放たれていたものが、ひとたび常態化すると、今度はその技術を使うことを強制されているような気分が生まれる。という気がする。ここのところの葉っぱの活動報告を見てみると、更新と更新の間隔が長く、一つのポストがやたら長い。なかなか書き始めず、一旦書くとなると大量に書くというスタイルになっているようだ。読む身からすると、負担なことかもしれないが。

それともうひとつ。以前はプロセスを大事にすると言いながらも、形にすることに対して今以上にこだわりがあったように思う。ある種の強迫観念のような。もちろん形にすることは大切だし、面白いし、意味があることだが、あるプロセスを経た結果、形になり得なかった場合や、葉っぱの坑夫以外のところで形にすることになってもそれはそれでよいし、その場合もできることはサポート、協力したいと思ってやっている。結局大切なのは、人と人、人と作品が出会って、何かそこで面白いこと、一が二や三になるようなことが起こり、あるいは化学変化のようなことが起きたりして、見たことのない聞いたことのない視野、ヴィジョンが体験できることではないか。それが創作活動の基本のように思う。うまくいけば、そしてチャンスに恵まれれば、それがウェブの作品や本という形になって、第三者のところにまで届けることが可能になる。このようなやり方が許されるのも、葉っぱの坑夫の活動がworkではあってもjobではないからだろう。参加している、寄稿している人々にとっても、voluntary(自発的な、志願した)な仕事としての作品づくりになっているのだと思う。

もう5月も後半なので6月以降のことになるけれど、今後の予定として、今年の後半にウェブの連載作品が一つ、紙の本が一つ、形になってくる見通し。その他今進めているプロジェクトの中から、形になるものが出てくるかもしれない。それとは別に、紙による実験的な出版についての試行錯誤もこの何ヶ月かやってきた。今までやってきたこと以外の方法論の開拓、第三の道というか、ある素材を「本」という形に収めるための考え方であり、再度「本」や「出版」について考えることでもあるのだが、そういうことを考え続けてきた。それは葉っぱの坑夫に寄せられる寄稿作品が与えてくれた課題だ。ひとつひとつの作品とどのように向き合い、その出口を探していくのがいいのか、その解答探しの旅である。ウェブと紙、この二つのメディアをもっと緊密に相互作用的に繋げていく道の探索でもある。

最近送られてきた作品のひとつに日本を題材にした長編小説がある。長編なので一度に読む時間を取るのは難しく、かといって気まぐれに切れ切れに読むのも気が進まない。それは2、3年前に一度、スペイン語で書かれたマニュスクリプト(美しくプリントされ、出力ビューローで製本され形を整えられた原稿だった)として作家から見せてもらったことのある作品で、マニュスクリプトの外観も美しかったが、本文にはスペイン語に混じってときどき、日本語(主として漢字)の姿が見え、その全体に興味を惹かれていた。また作品の主題についても作家から話を聞いていた。その作品を作家自身が英訳し始めたことを聞いたのは1年以上も前のことだ。すでに着手していた新作の長編小説の進行を一時休止し、この翻訳をしているとのことだった。並々ならない想いがあると想像された。「非常に大変」と聞いていたその翻訳作業が終わったという話を聞いて、ほんとうにやってのけたのかと改めて驚いた。だから英訳されたこの作品が送られてきたとき、「I'm finally done...」の言葉を聞いたときはわたしも嬉しかった。だから彼がした大変な思い、志に応えるような読み方をしたいと思った。そこで毎朝起きてすぐに、一つの章を読んでは簡単なノートをつけ、作家にメールすることにした。ここまでのところ7日かけてやっと三分の一のところまできた。時間をとるのは大変だが読むこと自体は楽しい。今やっているこの行為が何に結びついていくのか、まだわたしにもわかっていない。でも明日も、あさっても、同じことをしようと思っている。