20080825

ウソと日本人 〜 スポーツ報道

何年か前のことになるが、日本に住むヨーロッパ人の友人からこう言われた。日本人の特質として"silence," "lie," "suicide"この三つがある、と。沈黙、嘘、自殺。沈黙と自殺はすぐに納得した。黙して語らず、あるいは言葉を重ねることなく相手に重要なことを伝えるという美意識は確かにあるし、自殺はここ数年の日本の自殺者の数を見るまでもなく、死によってお詫びをしたり、悪を浄化させたいと願ったりという心性はおなじみのものだ。また沈黙と自殺はどこか繋がっている気もする。

では嘘はどうか。日本のことわざに、「嘘(つき)は泥棒のはじまり」という戒めがあるけれど、同時に「嘘も方便」という言い方もある。ヨーロッパ人の友人は日本人、日本社会の何を見てウソが多いと思ったのだろう。

ウソを「(意図された)本当のことではないこと」、と理解することにしよう。本当のことではないこと、は日本人の好みの傾向を表わしているのだろうか。ここで言う「日本人」とは、個々の人間のことを指しているのではなく、たとえば視聴率や人気度が死活問題となるテレビ、新聞などのマス、準マスのメディアの受け手として、「想定される行動をとる人々」の心性の総体を言う。納豆が健康にいいとなればスーパーに走っていって買いだめしたり、温暖化で地球が危ないとおどされればエコライフを送ろうと誓う人々の行動が、世の中のある部分を動かしているので、メディアや企業はその人々をコントロールしつつ、その行動様式に注目もしている。そういう対象となる人々の「心性の総体」がここで言う日本人だ。

以前から感じていたことの一つに、日本人は現実を客観的に、ある種の合理性や科学性をもって見ようとすることに、あまり価値を置いていないのではないか、ということがある。たとえ「黄色」という現実があったとしても、「黄色」とそのまま見るのは辛いし、気分もよくないとなれば、「黄金色」と見てもいいし、場合によっては「クリーム」や「白」と言ってもいいという心性だ。現実と向き合って渡り合ったり分析したりすることよりも、「現実」を自分の心の中でどんな色に染め上げ、どう表現して人に伝えるか、の方に価値を置いているように見える。そうしているうちに、元の現実のほうはどっかへ消え去っている。

「ニライカナイからの手紙」という日本映画(2005年、熊澤尚人監督、蒼井優、南果歩出演)を見て驚いた。竹富島に住む女の子の7歳から20歳までを追った作品だが、その女の子は7歳のとき母が東京に出て行ったため、祖父の家で育つ。母が家を離れた理由は明かされず(視聴者にも、娘にも)、ただ年に一度、女の子の誕生日に母からの手紙が届く。映画の中でもその手紙は何回か読まれる。手紙の中で、20歳の誕生日が来たらすべての真相を話す、と繰り返し書かれている。そして女の子が心待ちにした20歳の誕生日に知らされた真相とは、母はとっくの昔に死んでいて、母が死ぬ前に書き溜めた手紙が毎年届けられていた、という事実だった。唖然とした。こんな残酷なことを子どもにしていいものか。母親は自分が病気で長くないのを知って、でも「せめて娘の心の中で、母として生きていたい」という願望を果たすため、こんなにも無惨な、取り返しのつかない残酷な行為をしてしまったのだ。映画はこの母の行為を肯定したつくりになっている。その母の想いが見る人の「感動を誘う」はずのつくりになっている。そして実際、ウェブで映画の感想やamazonのレビューなど見てみると、映画館でもDVDでも「日本人」は「泣きに泣いた」ようである。。。 真実を知らせないことで、現実に向き合わせないことで、17年という長い歳月(子ども時代の全てといっていい)を無駄にさせ、ウソの中に生きさせた大人の罪は重い。娘が母の死という現実とともに成長していく機会を最初から奪ってしまった。

このような心性が日本人の中に広く認められるとするなら、友人の言う日本人の「嘘」の資質は的を得ていると思われる。そしてこのような心性は学問、研究やスポーツには向かないものかもしれない。スポーツジャーナリズムも同様だ。北京オリンピックに限らず、国際大会の日本のスポーツ報道を見ていていつも感じる違和感は、「日本人がいかに活躍したか」か、「たとえ負けても、日本人はどれだけ頑張ったか」か、「家族の愛情あってこその成果だった」というおきまりの美談に終始していることだ。ある競技でどんなに素晴らしい活躍をした選手がいても、その人が金メダルをとっても、それが日本人でなければインタビューの報道さえされない。常に日本人の選手だけがインタビューされ報道される。その競技の結果や全体像、その意味するところには関心がないと視聴者は思われている。一位になった人が結果を出した直後に何を言うか、関心が向くのは「それが日本人だった場合」だけ。本当だろうか。報道側の思い込みの産物なのか、これが「日本人」の好みなのか。これからきっとオリンピック・ハイライトなる番組があちこちで放映されるだろうが、「日本人の活躍」なり家族師弟をめぐる美談が8、9割を占めるだろうことが予想される。小さな子どもが知らずに見たら、「日本人は北京オリンピックで世界一の活躍をしました。」と勘違いを起こすかもしれない。大会の全体を客観的事実としては見れないのだから。

このオリンピック期間中、新聞(一般紙)の中で、開会式の演出の虚偽性が批判されているのをたびたび目にした。「国家主義」「国益のため」「個の人格を軽んじる」などなど。ディレクターのチャン・イーモウは「小さなことを意図的に拡大するのはよくない」と日本の新聞のインタビューに応じたそうだ。チャン・イーモウは、今回、想像するにプランを二重性、三重性の中に成立させることを考えていたのではないか。中国政府にも通り、中国国民(国内、国外)にも喜ばれ、中国以外の国の人々にも共感してもらえるような多義性をもったプランにすることを。そこには単純ではない、様々な巧妙な策略が張り巡らされたことだろう。映画だけでなく、オペラの演出でも海外で知られるディレクターなのだ、内向きの目しか持っていないとは思えない。「活きる」という映画では、内戦から文革に至る波乱の政権下で生きるブルジョワ層の男の没落の生涯を描いていたが、その描き方が一筋縄ではない。二重性、三重性の価値の中を流されるままに、でもしたたかに、しぶとく生きていく男の姿は滑稽で哀れで人間そのもので、国家と個人の関係性をうまく表現していると思った。中国国内では政治的理由から、上映が禁止されていた時期もあるという。

日本では何ににつけ、ものの見方が単純すぎる気がする。報道を鵜呑みにしてしまうことと、気持ちのいいウソには目をつむってしまうことの間には深い関係がありそうだ。

日本の報道は、チャン・イーモウの演出の虚偽性を批判する前に、自己のスポーツ報道のあり方の「ウソ」を振り返り、何をこれからしていくべきか、真剣に考えたほうがいい。今の時代、スポーツがスポーツそのものだけでは存在し得ないものだとするなら、スポーツジャーナリズムもまたスポーツの未来に深く関わっているのだから。

20080818

日本語<で>読むこと、日本語<で>書くこと(作家水村美苗の評論を読んで)

水村美苗の長編評論「日本語が亡びるとき ------ 英語の世紀の中で」を読んで衝撃を受けた。(「新潮」9月号)

葉っぱの坑夫を始めた当初から、母語以外の言葉で作品を書く作家たちにずっと興味を持ち続けてきたが、水村美苗のこの評論は、その対極から見た日本語と言語全般、文学の世界性についての考察であると感じた。今回読んだのは、筑摩書房からこの秋出版予定の全7章からなる評論のうちの最初の3章である。それでも280枚(原稿用紙400字詰めで)に及ぶもので、文芸誌に掲載するものとしてはかなりのボリュームのスペシャル待遇、また思わぬ視点から日本語の未来を捉えた、非常に迫力ある評論となっている。たまたまタイトルをウェブで検索にかけてみたら、「ウェブ進化論」の著者梅田望夫さんがTwitterで「これは必読でしょう」と書いていて、梅田さんの守備範囲の広さに驚くと同時に、この評論のインパクトが及ぶ速度と距離に快い緊張感を感じた。参考までに、最初の三章のタイトルを上げると:

一章 アイオワの青い空の下で<自分たちの言葉>で書く人々
二章 パリでの話
三章 地球のあちこちで<外の言葉>で書いていた人々

水村美苗は小説家である。3作ある作品のうち、わたしが読んだのは「私小説 From left to right」という自伝的内容の英語混じり横書き長編小説。デビュー作が漱石の未完の作品「明暗」の続編を<完成させた>「続 明暗」で、出たとき話題になったので作家の名前だけは知っていた。他の2作品を読んでいなかったこともあり、第2作目の「私小説」を読んだ感じでいうと、このような長編評論を書く作家であることはとても想像できなかった。小説家とはかくもすごい存在、自己の中にとんでもない深さと重さで蓄積してきたものをさりげなく物語として差し出すけれど、実は大変な思考力と論理性に裏打ちされた動機を抱え込んでいて、小説とはその見上げるような構築物の結果としての物語であり、そこから滴る濃い蒸留水なのだ。

水村美苗はアメリカ在住時代の少女期に近代日本文学の熱烈な読者であったという。12歳で家族とともにアメリカに渡ったものの、英語にもアメリカにもなじむことができず、その抵抗手段として日本と日本語への強烈な思慕をひとり孤独に育んだ。それが後に「明暗」を漱石の完璧な文体で<完成させて>小説家としてデビューするところにつながっている。近代日本文学といえば、これほどわたしにとって縁遠いものはない。もともと小説をあまり読んでこなかったことに加え、近代日本文学となると、漱石にしても鴎外にしても、もっと最近の川端、三島も、誰であれ、1作以上読んだ作家はほとんどいないかもしれない。そういう嗜好、傾向が、母語以外の言葉で書く作家たち、多和田葉子やリービ英雄、チュツオーラなどへの興味となって現われていたとも言える。近代日本文学=日本村の、終わった時代、過去の、越境文学=世界市民的な、未来の、というような単純な枠組みで言語表現の世界を見ていた可能性もある。しかし、である。そのような傾向をもつわたしのような読者にも、それともそうだからなのか、水村美苗のこの評論は内容、構成、文体、すべてに渡って、その鋭さと包容力で、ときにスパイスが効いたユーモアもちりばめ、底力を感じさせる強烈な印象を送りつけてきた。そして近代日本文学を<書く>ことが、あるいは読むことが、日本語の将来と深く関係していることに気づく。

水村美苗がこの評論を書く直接のきっかけとなったのは、アイオワ大学の国際創作プログラムへの参加だったのかもしれない。一章で取り上げられているのはそのときの体験の詳細であり、世界各国から招かれた作家や詩人たちと出会い、生活や旅をともにしたことからの気づき、考察が綴られている。一章の中で詩の一節ででもあるかのように、繰り返し書かれているのは次のような言葉だ。

人はなんといろんなところで書いているのだろう………。
地球のありとあらゆるところで人が書いている。

このプログラムには、モンゴル、中国、韓国、ヴェトナム、ビルマ、リトアニア、ボツワナ、イスラエル、ポーランド、ノルウェー、アルゼンチン、などなど、そしてイギリスやドイツからの参加者も含め、様々な国籍の作家が二十数名集まったという。全体としてみると非西洋圏に分類される作家たちが多かったようだ。その作家たちはこのプログラムの期間中、自分の作品を書き進める自由が、それも滞在費や書籍代まで保証された中で仕事をする自由が与えられている。作家たちの多くは貧しい国からの、あるいは言論や表現の自由が制限された国からの来訪者であり、それぞれが負っているものは軽いものではない。それでも、と水村美苗は思う、人々はどういう状況であれ書いている、それもそれぞれの自分の言葉で書いている。そのことへの強烈な感動、共感とともに、日本語も含めた<それぞれの自分の言葉>で書く人々がいま置かれている状況を思い、絶望感を膨らませていくことになる。それがこの評論の最初の動機であると想像され、それゆえ最初の章に、評論とは見えない文体の、小説の始まりのような書きぶりでアイオワのことが置かれているのではないかと思った。

ウェブを検索していたら、このプログラム中に水村美苗が(多分、発表のために)書いた小論が見つかった。以下にそのリンクをつける。今回の長編評論の種、あるいは核になるようなことがそのときすでに書かれている。

"Why I Write What I Write" International Writing Program, Iowa University, 2003, in English
"On Translation" International Writing Program, Iowa University, 2003, in English

ひとつ気づいたこと。「Why I Write What I Write」の中で水村美苗は、自分はただ書いているわけじゃない、自分は<日本語で>書いているのだ、と言う。いつも<日本語で>書くことを意識していると。作品を書く手段、道具としての日本語からは解放されているのだと。これは水村美苗が20年におよぶアメリカ在住生活で日本語と距離を置いていたことで得たものに違いないし、最終的に導き出された結論「日本語であえて書くこと」は、ドイツに住み、ドイツ語でも作品を書いている多和田葉子と驚くほど似ている。

それともうひとつ。アイオワ大学でのプログラム中に、アルゼンチンの作家、韓国の作家から小説の翻訳の申し出を受け、スペイン語版の方はブエノスアイレスの出版社から今年、「Una novela real」(「本格小説」)として出版されたようである。水村美苗のウェブサイトにニュースとして載っていた。英語以外の言語間で、互いに作品を翻訳し合うことで読者を確保していく道、それも<自分たちの言葉>で書く人々にとって、ひとつの可能性だと思った。

20080804

自然保護:住む人の視点、訪ねる人のアプローチ

去年の秋に試訳を始め、翻訳の協力者を得て、やっと連載をスタートすることができた「雨の降らない土地」。自然や野生を特異な文体で綴ったメアリー・オースティンのテキストに加え、ミヤギユカリさんがそれを読んでイメージした絵をたくさん提供してくれている。本編だけでなく、ミヤギさんの絵を使った小博物誌を含むフラッシュムービーもプロローグとして作ってみた。
雨の降らない土地(第1話 7月30日掲載)
http://happano.org/landoflittlerain/index.html


メアリー・オースティンは作家であると同時にナチュラリスト、エコロジストの草分け的存在で、カリフォルニアの沙漠地帯に15年近く暮らした後にこの作品を書き上げた。オーウェンズ・ヴァレーというシエラ・ネヴァダ山脈とインヨー山脈に挟まれた谷間の小さな町を点々として暮らしたという。このあたりはヨセミテなどの景勝地も近くにあり、またモハヴェ沙漠、デス・ヴァレーといった場所も沙漠歩きの名所の一つなので、自然愛好家から登山家、冒険家、観光客に至るまで多くの人が昔からこの一帯を訪れ、紀行文や写真集、文献としてまとめられた本も少なくない。有名なところではナチュラリストで自然保護を訴え、アメリカの国立公園の父と言われたジョン・ミューアがいる。ミューアはオースティンより少し上の世代だが同時代人で、実はこの二人、当時自然保護の考え方の違いから対立し、それぞれの著書で持論を書き論争もしていたようだ。

「The Flock」(メアリー・オースティン著)のバーニー・ネルソンのあとがきによれば、ミューアいわく自然は「原始の手つかずのまま」保護されるべきもので、それが訪れる人々を喜ばせアーティストにインスピレーションを与える、だから放牧された羊たちがこの地域の美しい牧草地を喰い荒らすのは自然破壊であり、羊を連れた羊飼いは無教養な気の違った、不清潔な種族であるから排除すべきと主張していたのに対し、オースティンは土地は生き物の生息地として意味があり、また土地と生き物は相互共生の関係にある、美しい美しくないという人間的視点から価値のヒエラルキーを敷くべきではない、自然破壊として恐れるのはむしろ都会から押し寄せる観光やレジャーの欲望の波であり羊や羊飼いではない、羊飼いの制御のもとで動く羊は牧草地を活性化こそすれだめにすることはない、また羊飼いは土地について知恵と知識の豊富な極めて正気の人々である、と反論していたそうである。羊飼いとなればオースティンにとっては友人であり、この地の自然について学んだ尊敬すべき人々であり、ミューアの羊飼い排除論にはだまってはいられなかっただろう。しかし時代の進歩はミューアの思想を選んだ。羊飼いたちは職を失って山を降り、ミューアの提唱でヨセミテに続いて国立公園が各地に出来た。ミューアはエコロジスト、シエラクラブの創設者として今も知られる著名人となり、シエラ・ネヴァダ山脈にはジョン・ミューア・トレイルとその名を冠した登山家たちのあこがれのルートもある。

ミューアがこの地をたくさん歩き、愛し、その記録を多くの著書に残し、つまりこの地の自然をよく知っていたことは間違いない。ほぼ同じ地域をオースティンも熟知していた。では何が二人の違いを生んだのかと考えたとき、わたしが思ったのは、ミューアは基本的に旅人であり、この地に対しての訪問者であったのに対し、オースティンは居住者(生息者)であり、ここで生きることが重要であったということだ。一般に旅人は訪問地に対してロマンチストである。その美しい景観こそ自分にとって価値があり、将来に渡って変わってほしくないと願う。一方居住者は他の野生動物と同様、そこで生き延びることが課題であり、自分自身がその土地や自然に含まれ運命を共にしていることを知っているリアリストである。オースティンはここに住む当事者であると同時に、この地への移住者であり作家でもあることから観察者でもあった。なのでロマンチストな旅人の部分ももっていたと思われるが、基本は居住者的リアリストであっただろうし、そうでありたいと願っていたはずだ。

エコロジスト、ナチュラリスト、冒険家、旅人、自然写真家、そういった人々が自然界についての記録を残すことは多い。そこで気づいたのは二つのタイプがあって、一つは旅人として自然や野生動物にアプローチする人々、もう一つは居住者としての視点から対象に触れ、その体験を記録する人々、その二つがあるように思う。オースティンは居住者の視点から書く人であるが、ここ最近わたしが手にした本で居住者の視点から書かれたものに注目すべきものがいくつかあった。写真家の宮崎学はこのジャーナルでも「フクロウの夢、サギの現実」(2008.01.08)のポストで紹介しているが、伊那谷に生まれ育ち、居住地の山で長い年月をかけて動物を定点観測してカメラに収めている。写真集「死」や写真絵本「けもの道」「水場」に見られるように、その地の特異さや景観的な美しさ(観光性)をつきぬけて、もっと普遍的な生命のあり方に迫っている。無人カメラの使用という特異な手法も、一種、反人間主義的(人間をあらゆる存在の頂点、管理者とみなす思想に異議を唱える考え)な思想の現われに見える。前回のポストで書いた「野生の樹木園」の著者ステルンも、著書の中でイタリア北東部プレアルプスの自分の居住地で子ども時代から見てきた木について、一本一本解説している。ステルンは木について生態や歴史を詳しく語るだけでなく、人間がその木を暮らしの中でどのように利用してきたかについても具体的に語っている。木々をよく知り深く愛しているが、そこに旅人的ロマンチシズムはない。秋田のマタギに話を聞いたり、古老から集めた民話を本にまとめている野添憲治は、秋田に生まれ能代に住みつつ、そこからさらに山奥に入った根子に家を借りて半居住生活をしながら「マタギを生業にした人たち」を書いた。「住んでこそ見える現実」の章で、この地域について民俗学的な採集や調査による立派な論文や昔話は発表されているが、それがどんなに正確なものであったとしても生きている人間の息づかいや温もりが欠けていると感じたと書いている。それはローラー採集(調査)の誤りから来ているのではないか、と。もちろん調査には調査の、学術的なものには別の存在の意味があるとは思うが。そこで思い出したのは、書店で手にしたルース・ベネディクトの「文化の型」という本。文化人類学者としてアメリカ・インディアンの居留地に入り、部族の暮らしをつぶさに観察し、族長などから話を聞き取り、その特徴を捉え分類し詳細に記している本である。その印象は、野添氏がローラー採集による論文に感じたことと似ていた。あくまでも先住民は「調査」の対象なのだ。ミューアにとってヨセミテの自然が「景観」であるように。

こういったローラー採集による収集や、冒険家や旅人写真家による作品を否定するつもりは全くないし、そういう作品の方が世に出ることが多く支持もされていることから(また本になるまでの効率もよく)、実際書店などで出会うことも多いため、わたしが読んできたものの多くもこちらのタイプだ。でもそうではないもの、居住者の視点による著書ももっと世に出て、読まれていいと思った。最近の環境問題の社会への出て来方を見ていても、そういう視点(旅人的ではない、目立たない日常の変化にも目を向けつづける長期的、局地的かつ包括的で、現実的視点)の欠如から誤った方向性のアピールがされているのでは、と感じることも多い。世界的な地球温暖化へのキャンペーンにしても、どこかエコロジーという「のぼり」をひとたび手にすれば、何疑うことなくそれを振りかざして突き進んでいってしまうように見え、そのアプローチに教条性や偽善性、神経の粗さや性急さを感じてしまう。エコロジストにもっと、居住者的な経験と視点があれば、そして人間主義一辺倒な考えから距離を置くことができれば、薄っぺらではない「環境保護」論がもっと出てくると思うのだけれど。


*宮崎学の写真絵本についてのレビューはこちら:
宮崎学の写真絵本と出会う