ピリスとの再会、ピアノレッスン
ポルトガルのピアニスト、ピリスに出会ったのはどれくらい前のことだったか。かれこれ20年、いやもっと前になるかもしれない。来日したときに演奏会に行き、終演後楽屋口であいさつをした。知り合いだったわけでも、紹介があったわけでもなく、よく覚えていないが、演奏が素晴らしかったのでお会いしたいと思い待っていたのだと思う。当時まだ小さかった息子もいっしょだった。楽屋口から普段着で出て来たピリスは一人で、スターピアニストのように見えなかった。その日の演奏はモーツアルトやショパン、そして確かベートーベンのソナタもあったと思う。ヨーロッパ人としてはとても小柄で少女のような外見、でもベートーベンをエネルギッシュに演奏していたのが印象的だった。東京郊外のM市での演奏会、コンサートホールというより公会堂のような所だったと思う。ステージ衣装は当時としては異色と言っていいと思うが、お姫様ドレスではなく、中国服のような可愛らしいチュニック風の上着にスパッツのような細い短めのパンツ、それにフラットシューズ。髪は短めのボブで、飾り気のない率直な人柄に見えた。ステージでのおじぎもピアノに片手をかけてのものではなく、ピアノの前に立ち、丁寧に深々と頭を下げた。そのピリスがNHKの「スーパーピアノレッスン」という番組で若い人たちにピアノを教えている。たまたま書店の店頭で教則本をみつけ知った。ピリスではなく、マリア・ジョアン・ピレシュとなっていた。たぶんこちらの方がポルトガル語の発音に近いのだろう。現在はブラジルのサルバドールに在住。この番組、ピアノ・ワークショップもそこで収録された。「オオハシの巣」という意味のトッカ・ド・トッコというスタジオで、ブラジル人の若い男女数人とオランダからピレシュが呼んだ兄弟二人が生徒。他に共演するチェロの少年やピレシュの長年の音楽仲間もいる。
トッカ・ド・トッコは木の床にインディオ風のラグを敷いて、壁際には焼きものやタペストリーなどを配したリゾートのような、くつろぎの家といった感じの場所。生徒たちもくつろいだ恰好で、10代の男の子たちはみんなバミューダにTシャツ、女の子もTシャツにスカート、ショートカットに日に焼けた肌のピレシュも含めみんな足元は素足。ピアノを弾くときも、である! これにはちょっとびっくり。みんなでピレシュを囲んで床に思い思いに座り込み、ピレシュの話を聞いたり、意見を言ったり、誰かがピアノを弾くのを聞いたりする。自分の番がきてピアノの前にすわり、弾くときも、裸足のまま。左右の足はペダルを踏むので裸足だとやりにくいかな、と思ったのだけれど、そんなこと誰も頓着してる風ではない。ピレシュ自身がちょっと弾いてみせるときも、裸足のままなのだから。
レッスンは(ピレシュは一方的に教えるのではなくて、学び合うワークショップと言っている)、ときにピアノを弾くことよりも話をすることに時間が割かれる。ある日の番組では30分の中で、多くの時間が話をすることに費やされた。その日、ピレシュは演奏するときの「恐れ」の気持ちについて語り、みんなにも話をさせた。人前で弾くときの「恐れ」はなぜ起こるのか、どこからやって来るのか、どうしたらそこから解放されるのか、あるいはどのように向き合えばいいのか。生徒は10代前半の少年から20代前半くらいまでの音楽学生たちだ。レッスンの間も、この「恐れ」に囚われるといつもの自由な演奏が不可能になる。できていたことができなくなる。ピアノを弾く幸福感が失われる。聴く人にも幸福感が伝わらない。恐れを取り除くこと、あるいはそれと向き合うこと、それなしには良いレッスンはできない。今ここにある問題であり、演奏家として生きるなら生涯に渡っての大切な問題となる。ピレシュ自身が今も問いつづけている問題である、という。
また、人の本質について話す。他人と自分を比べるという行為、そのことはちょっとstrangeだとピレシュは言う。なぜなら、人の本質は同じだから。同じものは比べられないと。外見や性格は違っても内側の本質(substance)に変わりはない、だからともに何かを創造したり、コミュニケートしていくのがいいのだと。そのことが受け入れられないと比較しようとしたり、衝突が起きたりする。そんなことを「わたしの経験を話すと」と言ってピレシュは語る。
ブラジル人のロムロ君(17才)のレッスンは、課題曲がショパンの「幻想即興曲」だった。すらりと背の高いバミューダに真っ赤なTシャツのロムロ君が裸足の足をペダルに乗せ、ピアノを弾く。ピアノを初めてまだ6年とのこと。遅く、自分の意志で始めた生徒はときに飛躍的な進歩をすることがある。ロムロ君はエモーションが時に先走り、ピレシュから注意を受ける。ルバート(tempo rubato=テンポを拍通りとらず、自由に揺らせて弾くこと)はいらない、シンプルにに弾くの、と何回も言われたりする。手先や頭でルバートしてはダメ、身体がどう流れていくか感じながらコントロールして弾くの、と言う。あるいはある音の打鍵が違うと言う。上から叩いてはダメ、と。違うところは繰り返し、繰り返し、良くなるまで、ロムロ君が理解したと思われるまで弾かせ、ときに自分が椅子に座って弾いてみせる。こうじゃないの、こう。先生に言われたことをその場で理解して、音で表わすことは、ときにとても難しい。何回もやるうちに、自分でもわからなくなるのだ。どうしたらいいのか、途方にくれる。そんな場面もロムロ君のレッスンではあった。でも繰り返し挑戦することで、あとで一人になったときにわかることもある。
オランダから来ているユッセン兄弟のレッスンはまだ見ていないけれど、とても楽しみだ。二人ともまだ10代前半。ピレシュが小さい頃から見て来た生徒なのかもしれない。車座になってピレシュが話しているときに弟のアルトゥールを探す。「アルトゥール、どこなの? 見えるところに座って。あなたの顔が見えないといやなの」 アルトゥールはこのワークショップの最年少。ピレシュは「恐れ」の話やフレーズについての、ときに難しい話をする。英語で、ポルトガル語で。あるいは交互に混ぜて。生徒によってはどちらか一方の言葉しか理解しないから。最年少のアルトゥールが話を理解しているかどうか、ピレシュはいつも確認していたいのだろう。そこを基準にしているのだ。だからアルトゥールが「知ってる」「わかる」と言うと、小麦色に焼けた顔をパッと崩して本当に嬉しそうだ。
前前回の番組のときだったか、みんなで近くのビーチに遊びに行った。そこへ地元の少年団がやってきてこの地域の伝統武道カポエイラを披露する。カポエイラはパーカッションに合わせて踊りと格闘技の混ざったようなことをする。ワークショップの面々も混ぜてもらい、このカポエイラをひととき楽しんだ。ブラジルでは貧富の差などから非行に走る子どもが多いことから、このような活動があるという。ピレシュ自身、この少年団の活動を支援しているそうだ。音楽を学ぶこと、ピアノを弾くことがこの世界のどこにつながっていくのか、そういうことを考えることに意味があるとピレシュは考えているのかもしれない。
「スーパーピアノレッスン」は毎週土曜日の午後0:30から、NHK教育テレビで。ピアノを弾かない人が見ても、たぶん面白いと思う。ピレシュという現代的にして野生味のあるアーティストと、創造の本質にかかわる心ときめくひとときが過ごせるのだから。