幸せな出会い、ZINE'S MATE余波と連鎖。
葉っぱの坑夫を始めてからもうすぐ10年。この間に起きた主としてサイトを通じたさまざまな出会いやその不思議なつながり具合には、そのときどき驚いたり興奮したりしてきた。インターネットの世界では、物理的な距離が(時差以外に)ほとんど感じられないし、共通の言葉さえ見つければ、実世界と変わらないコミュケーションがとれる。その思いは葉っぱの坑夫を始める以前のインターネット利用者の時代から変わっていない。それとは別に、本を出したときにやった展示や、参加したイベントなどで直接読者の方にお会いしたり、話したりする機会は今までもあった。でも今回出展者として参加したブックフェアZINE'S MATEでは、今まで以上に濃い出会いがあった気がしている。ひとつには志をもって作品をつくり出展している版元やアーティストたちとの出会いがあったからだろうし、そういうオルタナティブな活動に興味をもってやって来た好奇心の強い来場者たちと出会えたからだろう。
印象に残った三つの出会いを書いてみよう。一つはEKKOさんとガレリア・デ・ムエルテ+Ragnar PerssonというスウェーデンのアーティストそしてVICE、もう一つはサウダージ・ブックスさんとそれに連なる作家たちや製本のこと、三つ目はブースに来てくれた台湾系アメリカ人写真家パトリック。それともう一人Futoshi Miyagiさんの作品。他にももっともっとあったけれどとりあえずこの三つ+1に絞って。
EKKOさんはドローイングや木版画をつかったミニインスタレーションのような作品をつくる日本のアーティスト。Gyreに出展していたガレリア・デ・ムエルテのブースで、プレビューの日に本人とメキシコ・アート旅行を綴った楽しい本に出会った。その楽しくも不思議な絵に惹かれて、ちょうど開催中だった個展にも行ってみた。ムエルテ画廊へ。そこでメキシコ土産とともに見たEKKOさんの作品は数は少ないながら印象に残るもので、さらにもう1冊の本「かおかたち」を購入。これはみずたさやこさんの文とEKKOさんの絵による寓話的で、民話的で、世界の裏側を覗き見たような奇妙なあじわいの本。「死の画廊」(ガレリア・デ・ムエルテ)との繋がりがみえるようなテイストを含んでいるな、と読んでみて思った。そうムエルテとはスペイン語で死を意味する言葉。ギャラリーの名前としてユニークだし、そのコレクションも不思議にして奇怪、ちょっと心して近寄らないと、、、という作品も多数。でもアラスカのアーティスト、アニー・オーブはとても面白い。さてそしてムエルテさんで「かおかたち」を買うとき、ふと、レジの後ろに置いてあった絵に目がとまった。見たことある。誰の絵だっけ。ムエルテさんに聞くと、なんとそれは、わたしがZINE'S MATEで購入したジンの作者、スウェーデンのアーティストRagnar Persson(ラグナール・ベルソン)の絵だった。しかも彼の個展をムエルテさんでやるという。あー、繋がった、と思った。EKKOさんの絵とセンスに惹かれてここまでやってきた理由がわかったと思った。さらに、そのときムエルテさんに紹介されていただいたVICEというフリーのアートレビュー誌(ラグナールの絵が表紙だった)、これがまたすごかった。言語は英語だけれど版元はスカンディナビアンらしく、ヨーロッパの各都市やアメリカ、日本、香港などにもオフィスがあるグローバル・マガジン。日本人の若い(16歳)アーティストのインタビューもあった。定期購読してみたい。服屋などに置いてあるとの話だった。
EKKO art
ガレリア・デ・ムエルテ
Ragnar Persson
VICE
サウダージ・ブックスの主宰者浅野さんとは、ZINE'S MATEで背中合わせのお隣さんだった。何の話が最初だったか、たぶん浅野さんがブラジルに3年ほど住んでフィールドワークしていた、というあたりの話題から始まったように思う。人類学者レヴィ・ストロースについての本「ブラジルから遠く離れて 1935-2000」を出版して、その本をもって出展されていたが、そのショッキングピンクのカバーの本の製本についてもお話しした。浅野さんは手製製本を勉強、研究しているそうで、それもわたしの興味を引いたひとつだった。そのピンクの素敵な本は、手に軽く、スミの文字の中にピンクの文字がときどき踊る、造本的にも魅力ある本なのだけれど、確か手製製本の手法を工業的製本の中に少し取り入れている、と聞いた。一見ふつうの製本に見えるけれど、手にもって本を開くとき、どこか柔らかい感じがするのはそのせいなのかもしれない。中身はまだこれから、この夏の楽しみとしてゆっくり味わいたい。偶然にも、葉っぱの坑夫の「籠女」を浅野さんは読んでくれているそうで、オンデマンド印刷、出版についての記録も葉っぱのウェブで読まれたそう。本づくりのあれこれ、手製製本をしている共通の知り合いの話など、よくぞここでとびっくり。またわたしが今回のブックフェアに合わせてつくった二つのテキスト系のジン「たった一つの、私のものではない名前」(温又柔)と「在日Koreanと南北朝鮮をよく知るための本と映画10選」(葉っぱの坑夫選)を読んでください、と渡すと、奥さんが在日コリアンとのことで、後に彼女が寄稿したある雑誌のコピーを送ってくださった。それだけではない偶然は、「在日Korean、、、」の本の中にあげていた1冊、「最後の場所で」の著者、Korean Americanのチャンネ・リーの文章を浅野さんが翻訳したことがあり(今福龍太編『「私」の探求』の中の1編)、その部分のコピーも送ってもらった。チャンネ・リーという作家をより深く知るまたとない機会となった上、その文章はとても印象深く同時に温さんの「たった一つの、、、」の内容とも深く関わっていた。「在日Korean、、、」「たった一つの、、、」この二つのジンをつくってみて本当によかったと思った。どのように読んでもらえるかがわかる読み手を一人でも得たことは何にも変え難い。
サウダージ・ブックス
最後にもう一人。パトリックは出展者ではなく来場者の一人。葉っぱのブースに友だち二人でやってきてしばし楽しく話した。パトリックは台湾系アメリカ人で、写真を撮っていると話していた。ここ何年かは台湾、中国と住み、1年前に日本にやって来たそう。ここに彼のことを書こうと思ったのは、もらった名刺にあったサイトで写真を見て、それが素晴らしかったから。2、3年まえにとても興味深いフォト・プロジェクトを中国人写真家の女の子と二人で始め、旅や共同生活を通じて互いを知り合い、盛り上がり弾け、それを作品にし、その恋の終わりとともにプロジェクトも終了した。写真家としての才能、同時に被写体としての才能にもうたれたし、その境界のなさ、二人のオーサーの境界、写真家と被写体の境界、そういう不思議に開けた感覚がとにかく新しいと思った。パトリックがブースに来たとき、共通の興味として台湾系アメリカ人映画監督アン・リーの話が出た。パトリックはアメリカの大学で写真ではなく映画を勉強していたそう。台湾系の映画監督として、エドワード・ヤンやツァイ・ミンリャンの話が出て、ツァイ・ミンリャンはいいからと何作かリコメンドももらった。彼とはその後連絡をとりあったので、これから何か面白いことが始まるかもしれない。
Patrick Tsai
*上に書いたプロジェクトはmy little dead dickという作品
これ以外にもう一つ。mixed boothで買ったジン"You Were There In Front Of Me"のFutoshi Miyagiのウェブサイトで見つけた作品について。まずジンについて書くと、赤い表紙のハガキサイズくらいの小さなやわらかな本に、片観音を開いた見開きごとに12人のポートレイト。青焼きのような色味の、輪郭がはっきりしない写真の複写のコピーのような写真が淡々とつづく。赤い文字で"You Were There In Front Of Me"と扉ページの見開きごとに出てくる。つまり写真そのものよりこの仕掛けに意味がありますよ、という見え方だった。作家のフトシさんがいたのでこのジンについて聞くと、自分の部屋のパソコンからウェブカメラを通してモニターに写っている被写体を撮影したとのこと。そういえば、最初のページにNew York, Hague, San Franciscoなどの都市名が並んでいた。不思議なプロジェクトだなあと思い、フトシさんのウェブサイトにアクセスしてみる。そこにも"You Were There In Front Of Me"はあった。このプロジェクトについてのテキストの中で、完成したプロジェクト、と書かれていた"Strangers"に興味をもつ。タイトルと"You Were There...."との関連性に惹かれたのだが、なんといっても作品自体が目を洗われるようなすばらしさで惹きつけられた。カラーの写真作品で、未だ映像としては見たことがないけれど知ってはいるある状態、時間。人と人の関係性。そのようなものがひりひりと伝わってくる。パトリックの写真にも写っていた撮影者、フトシさんの写真にも写っていた撮影者。片方は写真として撮っていて、片方は絵の手法として撮っているのかもしれないが。その意味はまったく違うのかもしれないし、共通点があるのかもしれない。今のわたしにはわからない。フトシさんは以前から知っていて、でも作品をちゃんと見たのはほぼ今回が初めて。そういう意味では他の3者同様、「出会い」があったと言えるのかもしれない。
futoshi miyagi