20090926

歴史は生もの、事実も、歴史書も

歴史とは昔起きたことを研究したり、記述したものだから、ひとたび公になって共通認識として収まったなら変わることがないのか、と言えば、そんなことはないらしい。歴史は時代と共に激変するのだ。そんなことは(何となくは)知っている、というのも「常識の範囲」かもしれないが、それでも、学校の教科書が改訂を重ねているらしいことや、実際に自分が聞いてきたことと違う「歴史」と出会うと、人はそれなりに驚くものだ。たとえば、

アイヌは中央の勢力に追われて北海道まで流れ着いた人々である。

というのはよく言われていること。今でも多くの人がそう思っているかもしれない。でも近年のある研究によれば、アイヌの人々は縄文時代から北海道にいた、ということがわかっているそうだ。アイヌは、新人(原人、旧人の後の、今から3万年前くらい)の段階になって、東南アジアなど南方からやって来た原アジア人の流れを汲む、縄文人の母体となる集団の特徴を多く持つという。東南アジア系の「古モンゴロイド」とも言われるその集団は、北海道から沖縄まで全域に渡って住んでいたそうだ。一方、弥生時代に、中国や蒙古、朝鮮半島などから渡って来た渡来系の北東アジア人は、大陸に渡った原アジア人が北の生活に適応して身体的特徴を変化させた人種で、「新モンゴロイド」とも言われている。その人々は長い期間かけて渡来し、日本の西部を中心に定着していった。紀元前3世紀から7世紀くらいまでの1000年の間に、相当数の北東系集団が渡来したと言われる。近年の研究の中には、数十万人から百万人が渡来したという説もある。西日本を中心に住む渡来系の集団は後に、日本列島に最初の政権をつくった人々の祖先であるとされ、政権の抵抗勢力となった周縁地域の各集団は、古モンゴロイド系(東南アジア系)の集団の末裔ということになるらしい。

この言説を前提にするなら、日本人の源流には二つの元集団があって現在に至るまで混合を繰り返してきたが、アイヌは元集団の一方の縄文人、つまりより早く列島にやってきた東南系の集団の特徴を強く残す人々(沖縄人もそうだという)ということになりそうだ。過去の研究では、アイヌは(沖縄人も)、日本人の起源の部外者として、本土人とは異なる別集団として扱われてきたという。渡来系の人々の数を少なく見積もったり、アイヌや沖縄人を日本人の起源から外したり、という傾向がこれまでの歴史認識にあったとするなら、何をもって「日本人」の起源をイメージしようとしていたのだろう、という疑問が沸いてくる。たとえば、現代日本人に直接つながる日本原種の純血古代人のようなイメージであるとか? 縄文人という言葉の中に、そういう「ロマン」を見ていた可能性もあるが、アイヌこそその縄文人の特徴を残す人々でその集団は日本全域にいた、ということになれば、その夢も成立不能になる。

また日本の始まり、として、3世紀ころの「大和朝廷」による国家統一が言われていた時期が長いと思うが、最近では高校の教科書でも「大和」や「朝廷」の言葉は適切さを欠くので、「ヤマト政権」「ヤマト王権」などの限定的な用語に変わってきていると言う。「大和朝廷」という言葉には、日本がいかに古い時代から、現在の皇室につながる勢力によって「日本の元」となる中央集権国家が形成されていたか、ということを言いたいニュアンスを感じる。時期についても、国家としての日本の成立は、律令制が導入された7、8世紀ころと見るのが近年の歴史学の解釈らしい。

特別な機会でもないかぎり、改めて歴史書などひもとく人は少ないだろうと想像すれば、それぞれの生年に沿った学校教育の「成果」が、そのままその人の一生の歴史認識となってしまうのだろうか。その他の科学知識は(歴史学は社会科学だと思うので。「神話」に基づく学問ではなく)、医学でも、生物学でも、地球科学でも、ある程度は進歩の経緯が一般人にも更新されて伝わっているように思う。でも歴史となると、20年、30年、40年前の認識そのままでも、それを自覚することなく生きていける、ということであるなら、ちょっと恐いことかもしれない。

歴史学というものが、時代によって解釈を変え、必ずしも公正、公平な認識の元に編まれないとすれば、それは何故か。それは過去の解釈はそのまま「今」に関係しているからだろう。いまだに「日本は単一民族国家」などと発言する政治家が首相レベルを含めて後をたたないのは、国民的理解としても、それは歴史的に見ておかしいと判断する人が数の上でまだまだ少ないからかもしれない。その意味で、歴史書の変遷を見ていくことは、その時代その時代の政治や国民が何を事実として受け入れていたかの、もうひとつの歴史となるのだろう。

*前半の日本人の起源に関する言説は、岩波書店「日本列島と人類社会」(岩波講座/日本通史/全21巻、別巻4」の第1巻(1993年)の中の、「日本人の形成」(埴原和郎)の章を参照しています。この言説への反論やその後の新たな研究成果もあるかもしれませんが、出版から16年後の今読んで、個人的には一説としてそれなりに納得がいきました。
*元政権の一部の政治家たちが「日本は単一民族国家」と言ってきたことが、在日朝鮮人、アイヌ、沖縄人などのマイノリティへの視点を欠くということで問題になってきた。今回この文章を書いていて、それはもっと根深く、古代に及ぶ歴史認識も含めての単一民族国家論だったのではないかな、と思った。

20090904

自国の歴史を学ぶとき

今でこそ社会科学関係の本はわたしの読書の中心をしめるジャンルだけれど、中学や高校時代の社会科への興味はかなり低かった。どんな科目があったかすら出てこない。日本史、世界史、倫理?、、、あとは、政治経済なんてあったっけ、というくらいものである。中でも日本史は退屈だった。授業の大半を寝て過ごした。正直言って知識のレベルは、常識的な範囲での年表的事実や大まかな時代ごとの出来事、歴史上の著名人すら危うい。以来、日本史に限らず歴史関係の本を手にとることは稀だった。大河ドラマなどのテレビや映画などで歴史ものを見た覚えもほとんどない。オマエは日本人か、と問われれば、どうでしょう、、、と返すしかほかはない。

それがこの夏、900頁に及ぶ大部の歴史書をほぼ読破した。「現代朝鮮の歴史――世界のなかの朝鮮」(明石書店、2003年)、アメリカの学者、ブルース・カミングス(Bruce Cumings)の著書である。カミングスは朝鮮半島の歴史や政治を専門とするシカゴ大学の教授で、この本は朝鮮半島の現代史を中心に扱ったものだ。韓国で英語教師をしていた経歴や奥さんが(名前からみて)韓国系らしいことから、普通のアメリカ人とは違った視点を持つ機会、環境に恵まれたことが想像される。アメリカのみならず、世界的にも、朝鮮半島現代史の第一人者の一人とされているらしい。

カミングスの本は学者の本としてはとても読みやすいだけでなく、ものの見方や論理、文章の書き方がアクチュアルで生き生きしていて、また自身の経験(土地の経験や人との出会い)からくる感じ方も日常的なレベルで語られているので、本人から話を聞いているように読み進むことができる。多分、カミングスにとって学問とは大学や学会の所有物ではなくて、実世界や人々と直接繋がっているものなのだろう。たとえば「現代朝鮮の歴史」では、朝鮮戦争やその後の南北それぞれの歩み、統一の問題に加えて、アメリカに住む朝鮮系の人々(Korean American)についても1章が割かれている。ちょうど読んでいる最中に、クリントン氏の訪朝や金大中氏の訃報があったのでなおのこと、この本に描かれている朝鮮現代史が現実味を帯びて感じられた。

朝鮮現代史であるから、当然のことながら日本もしばしば登場する。植民地時代は言うにおよばず、韓国の民主化の歴史や北朝鮮の建国の経緯の中にも、それ以前の李王朝時代の中にも日本の姿は見え隠れしていた。もちろん朝鮮戦争はアメリカ人カミングスにとって一方の当事者であるわけで、それ抜きにこの地域の問題を語ることはできないだろうが、わたしにとっては日本でも朝鮮半島でもない人間が語る両国間の歴史、という視点が面白く感じられた。そしてこの本を読む間に、日本の歴史について少し学んでみたい気が起きてきた。ここで語られている日本という国はいったいどういう国なのか、別の視点からも知りたいと思ったのだ。

さて人は自分の国の歴史を、この言い方が大雑把すぎるなら、自分が生まれ育った土地の歴史をどのように知ったらいいのだろう。たとえばどんな本を読んだら知りたいことが知れるのか、その前に知りたい「その国の歴史」とは何か、という問題があるかもしれない。年表的な、あるいは人物伝的な、あるいは戦記物的な歴史が知りたいわけではない。自分が求めているのは、歴史や歴史書を成り立たせている「歴史自身の意味」や、現在の視点から見た「過去の捉え方」としての歴史、つまり歴史を知る意味とともに学ぶ歴史、ということかもしれない。

そんな気持ちでいくつかの本を当たっているとき、「日本列島と人類社会」というタイトルの本を見つけた。この「日本列島」という言葉こそ、わたしの知りたい「この地域」の歴史の俯瞰図に近い気がした。日本ではなく、日本列島。日本列島という言葉には、「国体」としての日本から解放されて、東アジアの海に浮かぶいくつかの島からなる一地域、列島社会という印象がある。そうなのだ、日本列島という島の連なる海洋地域にどんな人々が集まって来て暮らすようになり、いつ、どのようにして境界を設けたり少数民族を排して「日本国」を主張するようになったのか、少数民族は、あるいは隣国はどういう状態だったのか、日本語と言われる言語はどのように定着したのか、自然環境としての列島にはどういう特徴があったのか、そういう全体を通してこそ「日本」の歴史は知る意味がある。こういう科学的歴史観を基本にすれば、日本海が東海(朝鮮語でトンヘ)であっても、竹島が独島(ドクト)であってもなんら差しつかえないはず。二つの呼び方は両立する。植物が言語や地域によっていくつもの違う名前を持つように。時に「歴史」は社会科学を逸脱して、学問や研究とは関係ない感情の世界に行ってしまうことがあるのだろう。

領土獲得史や王位継承史としての日本史だけでは息がつまる。自分のいる国が古来より、立派な人物(武将やら皇族やら政治家、学者、文人など)たちの宝庫で立派な事ごとを成しとげ、立派な日本国をつくって現在に至る、式の「愛国教育」を今さら受けなければならない理由はどこにもない。

負け惜しみに聞こえるかもしれないけれど、学校時代に日本史を学ばなかったおかげで、偏見や悪弊なく白紙の状態で今から列島の歴史を辿ることができそうだ。一度知ってしまったことを元に戻すのはそれなりの労力をともなう。一度信じてしまったことを覆すには時間がかかる。ラッキーなことだったのかもしれない。


1.ブルース・カミングス(Bruce Cumings)
2.日本列島と人類社会:岩波書店「岩波講座/日本通史/全21巻、別巻4」の第1巻(1993年)。編集委員:網野善彦ほか。