写真とは・・・
写真についてここ数ヶ月考えつづけている。小さな写真集の出版を企画しているのだけれど、それがなかなかいい着地点を見つけられない。それは単に、著者であるフォトグラファーと版元であるわたしの考えが一致点を見つけられないからなのか、それとも写真というものが今かかえている問題があって、そのことに我々制作者が何らかの影響を受けているからなのか。多分、その両方なのだろう。
写真はカメラさえあれば、誰でも撮ることはできる。カメラが一般化して普及しはじめた頃、人々を喜ばせたのは、今そのとき自分が体験していることや見ているものを記録できることだった。旅行などで珍しい場所に行ったとき、子どもの成長過程、久しぶりに再会した人との記念に、結婚式(葬式にカメラを構える人はいないが)、卒業、入学時に、と何か記録を残すことで、あとでそれを思い返せる、思い返したい、という場面で必ず人はカメラを持ち出す。今わたしたちがコンピューターを手にして、テキストでもイメージでも動画でも音声でも、デジタル化して簡単に自分のマシンに残せるように、カメラは記憶を助ける一装置であり手段だった。
フォトグラファーと呼ばれる人も、初期においてはカメラを手にして、さまざまな事象の場におもむき、何かを記録してくることが第一義だっただろう。今でも報道カメラマンたちの役割はそう違ってはいない。写真で何かを記録することは、それがアートフォトグラフィーであったとしても、ある意味ドキュメント(証拠書類をつくる)である。絵画やコンピューターグラフィックのように白紙に自分の脳内イメージを定着するのではなく、現実の物体と対面して、それを光の量や速度を調整して画像に落とし込む。仕上がりがどんなに抽象的な見映えであっても、対面する物体を撮らなければ写真にはならない。(そういえば去年のクリスマスに、ある写真家から届いた一枚の写真は、真っ黒だった。画面全体が闇だった。あれは何だったのだろう。。。)
写真家が対面する物体(空間もふくめて)を撮影する、という意味においては、現代アートとしての写真も同じだと思う。多分、現代アートとしての写真は、最初にアイディアとプランなしには始まらないこと、自分の脳内にあるイメージやコンセプトに対しての実験であること、という事前の態度において、その他のストレートな写真とは区別されるように思う。そこでは写真撮影という手段が、アートの一手法として選ばれているのだろう。
ではそれ以外の写真についてはどうか。最初に目標を定めて、場合によっては全体の構成や枚数などプランして、ある場所や人物のいるところに出向き、目標物を撮影するプロジェクトもあるだろう。もっと目標やプランが確定的ではなく、何か出会いを求めて、写真を撮ることだけ頭に入れて、カメラを用意し、撮影に出向く場合もあるだろう。そう、写真には、出会いを求めて、というアプローチが常にある。いい出会いがいい写真を生む、というように。いい出会いとは、対象物に関する撮影者の発見である。視覚的な気づきかもしれないし、出来事の意味に対する感動や落胆かもしれない。頻度としては、プロアマ問わず、落胆を撮る人は少ないかもしれないが。
今葉っぱの坑夫でつくろうとしている写真集は、現代アートとしての「作品集」ではない。写真家の動機は自然発生的なものだと思うし、残されているイメージは出会いに基づくものだ。映っている対象物はどれもそれほど特異なものではないけれど、一枚の写真の中に撮影者と対象物の出会いの空間と時間が生き生きと投影されていて、それが第三者であるわたしにも7、8割の「出会った感」を錯覚させる。その意味で、非常にストレートな、写真における第一機能を使用した写真群であると思う。それをそのまま(数十枚に絞って)本にする、作品集にする、ということが、今の、もしかしたら日本では特に、難しいことなのかもしれないと思う。
ストレートな「出会いの集積」である写真を並べたてることの意味。なぜそれを本にしたり、作品として見せなければならないのか。写真家自身の中にも、そういうものはある意味、過去の繰り返しでしかないし、似たようなものはたくさんあり、取り柄がないかもしれない、という不安の影を落とす。だから何か新しい見せ方をしたいし、今ある写真群に意味づけはできないものか、と思ったりする。だけれども写真が撮られたいきさつや、撮っている間のなりゆき、進行具合を想像すれば、その世界全体が非常に素朴なもので構成されているようにわたしには見える。その素朴さは、写真を撮る、という誰にでも簡単にできる行為のあり方とやはり密接に繋がっていると思えるのだ。その写真が「作品」として成立しうるかどうか、という問い以前の素朴さ。
では作品であるとはいったいどういうことなのだろう。今のアートの場に照らして、なんらかの「作品らしさ」を表現できていることが、作品であることの証明になるのか。本にするまでの価値があると認められることなのか。
ある創作物が作品であるためには、この世界に対して、何か作者自身の提案があることが基本ではないかと思う。この世界をどのように見て、認識しているかがまずあって、それに対して、違った意見や見方を自分の中に育てていて、そのことが創作物を表現にまで発展させるのではないか。つまり表面的な見映えだけが重要ではないということ。もちろん、作者の提案は、見映えに影響するし、それは創造物の中に必ず現われているものだとは思う。ただその提案を汲み取れるかどうかは、たとえば写真の場合、見る側の問題意識や知識、好みにかかっている。面白いことに、写真は絵と違って、作者も意図しないものが画面に映っていることが多々ある。映っているものを、作者が読み解けていないのに、第三者が偶発的に読み解くことさえある。「ああ、この後ろの山は○○山系の一部じゃないですか? 昔よく登ったので覚えています」というように。写真にはそういう万人に開かれた可能性が最初から、そしていつも備わっている。写真の原始的な魅力の一つだと思う。
作品集をつくるときには、つくっている現在、というものの影響をどうしても強く受ける。見てもらったり、買ってもらったりするのは、今生きている人間だから。でも本という形をとることは、その最初から、長く保存して残す、という使命をいくらかは負っていて、今のことだけ見ていても本当はあまり意味がない。そうするとやはり、どんなに小さなことであっても、作者自身の世界に対する提案がその本の一番の肝になるのではないか。人間というものは時代の空気に流されて生きていくものではあるけれど、それほど変移(進化)するものでもなさそうなので、一人の人間のものの見方や小さな提案は、時代を追っても100年、200年、充分通じるものだと思う。少なくとも、先の時代にも、通じる人は何人かは待っているんじゃないか、という風に思える。
ヒトのコミュニケーション能力は進化しているか
communicateとは、情報を人に伝えたり、交換したりすること、考えや感情を表して他の人の理解を得ること、互いを理解しあうこと、さらにはそれによって助け合ったり共同、協同すること。日本語でもコミュニケーションという言葉はとてもよく使われるし、ときに能力のひとつとして見られたりもする。伝達、通達、意思の疎通など置き換える言葉はないこともないけれど、ひとことで収まる日本語はなかなか思い浮かばない。
日本語にないとするなら、そういう行為が日本にはあまりなかったのか、あるいは行為はあったけれどそのことに誰も注目しなかったのだろうか。男女が歌を詠んで相手に手渡すことで恋愛を成立させていた時代があった。あれも一種のコミュニケーションだろうか。そうかもしれない、と思う。ひょっとしたら昔の日本語にはcommunicationに当たる言葉があったのか。
今の時代、科学や工業の領域は日々進化していると言われ、その研究や発明の成果から商品として産業に組み込まれるものがたくさん生まれている。たとえばパーソナルコンピューターなどはここ20年、30年の製品、商品である。その進化の経緯をすべてではなくとも体験してきた人はたくさんいる。わたしもワープロ時代も含めれば20年くらいだろうか。パソコン自体の変化、進化ということで言えば、もう大きな変移はないかもしれない。インターネットとの関係、周辺機器との関係ではまだ多少の進化はあるかもしれないけれど。
ではヒトに関しては、人類の歴史の中で進化というものはあったのだろうか、と時々考える。人間も動物だから、自然環境、社会環境への適応はしてきたと思う。たとえば日本人の体型が変わってきたのは、食べものや生活の変化によるものだろう。でもスポーツで記録が更新されるのはあれはヒトの進化なのか。オリンピックなどトップアスリートの世界では記録は更新されているけれど、一般の小学生や中学生の100m走がどんどん更新されているという話はあまり聞かない、気がする。もしそうだとするなら、スポーツ界での記録の更新は特殊な技術と経験の蓄積から生み出された、特別な判例とその実行者たちなのかもしれない。
ヒトに進化があったのかどうか、たとえば人間性が全体として豊かになっているとか、公共心が広まっているとか、あまりに茫洋としていて捉えどころがない。世界的にみて、人種差別はよくないという認識が広まった、階級社会から民主的な社会へと変化した、などはヒトの成した進化か。反対に、昔からよく言われてきたのは、年配者が若者を指して「近頃の若い者はダメだね」というもの。もしそれが本当であれば、ヒトは世代ごとに劣化し続けていることになる。社会環境の変化や技術の進化で、人間の役割が減ったり、軽減されて、それに適応した人間がもっていた能力の一部を退化させることはあるかもしれない。
電化製品やコンピューターなどの調子が悪くなったとき、カスタマーセンターに電話で問い合わせすることがある。電化製品の場合はハードが主たる対象なので話がそれほど混みいることはない。コンピューターや通信に関しては、様々な要因が考えられ、不具合の原因をつきとめるのは簡単ではないことが多い。使用者のほうは使用経験は長くてもそれほど専門知識があるわけではない。またカスタマーセンターのスタッフの方も、基本知識はある程度はあるだろうけれど、1+1=2です、という以上の答えはあまり期待できない、いわゆるマニュアル式解答がほとんどだ。機械(ロボット)と話しているような気がすることもある。何か問題が起きたとき、消費者の側はどのような経緯でそれが起きて、今どのような状態かを説明する。それに対して商品、サービス提供者の側は考えられる原因をあげ、それを顧客側でまず検証することを求めてくる。それで解決がみられない場合、コンピューターであれば修理に出すことになる。通信(インターネット)の場合はどうかというと、コンピューターよりさらに複雑だ。不調の要因となるものが特定しにくく広範囲に及ぶ(屋外の環境の変化や工事など)から、でもあるし、通信業者の方に原因を追究しようという姿勢がほとんど見られないこともその一因だ。
カスタマーセンターとのコミュニケーションで不満に感じるのは、こちらが提供している状況認識の項目に対して、それを一つずつ検討したり全体として何が起きているのかを想像、仮定する、という行為が見られないこと。個別の状況に対する分析や調査がないのだ。で、何をするのかというと、向こう側にあらかじめ用意されている万人向けの対処方法を、同じことを何回でも勧めてくる。それでも解決しないと、他に手の打ちようはないことにすぐなり、新たな方法やプラン(たとえば光ファイバー通信の導入)を契約するようにと言われる。
通信業者とのコミュニケーションは実際に最近あったことで、まだ解決をみていないのだけれど、カスタマーセンターと電話で話すたびに感じるのは、マシンや通信技術はここまで進化したけれど、それに対応するヒトの方は、ものごとの理解力、分析力、解決能力、どれをみても進化してきた結果とは思えないところがある。医療の言葉でholistic(全体論的な)というものがあるが、カスタマーセンターの中に部分と全体を繋げて見ることのできるホリスティックな見方をもった人間がいて、起きている事態に対して解決の方法や糸口を自前で創出できることがあってほしいとつくづく思う。あらかじめ用意されている問いに対する答え(マニュアル)を発信するだけなら、ロボットでも充分対応できるコミュニケーションだと思うので。
コルビジェとタウト
隈研吾さんの「反オブジェクト」という本を読んだ。隈さんは建築家で、以前からなんとなく気になる存在だった。「反オブジェクト」は隈さんが1990年代にかかわったいくつかの自身の仕事の解説書としても読めるし、建築を中心に据えて絵画や思想、メディアにまで広げて論じた近代以降の文化論のようにも見える。
反オブジェクトの意味するところは、建築物のありようとして、物体として対象物として周囲の環境から突出しないこと(環境から切断されないこと)で、環境との関係性をどのように設定するかの思考の試みである。建築は西洋の歴史の中で見ても、記念碑的な意味合いが元々あるものだし、それは大きな流れとしては近代以降今に至るまでそれほど変わっていないのかもしれない。この本の中では、オブジェクト的か反オブジェクト的かの例として様々な建築物や建築家の名前が登場するが、ル・コルビジェとブルーノ・タウトはこの二つのアプローチのそれぞれの筆頭となっている。
コルビジェは20世紀を代表する近代建築の巨匠と言われる人、今の日本でも、雑誌や本などに名前が普通にあがってくる人気者である。詳しいことはあまり知らないものの、四角い白いモダンな建物の写真のイメージはあった。コルビジェをよくは知らないわたしにまで伝わっているその像=イメージは、コルビジェ自身が仕込んだものであったと知ったのは、「反オブジェクト」を読んでのことである。コルビジェは建物が写真に撮られ、印刷物となり、そのイメージが世界中に配布されることを予め考慮した上で設計プランを練った、と隈さんは書いている。写真写りがどのようなものになるか、たとえ小さなモノクロの写真であっても、そこに写る建築物はオブジェクトとしてくっきりとしたイメージを人々に伝えうるか。これがコルビジェの課題だった。マスメディアでは伝達のしようのない壁面のテクスチャーは必要なく、作品集では、建築物がより周囲の環境から自立して見えるよう、写真に映り込んだ微妙な陰影を消すために、写真の上から建物の壁面を白く塗りつぶすことさえしたという。
一方タウトの方は、建築と環境の関係性を主題にしていた建築家だったと隈さんは言う。ただそのように理解されることは稀で、また思想が20世紀という時代の要請から孤立していたこともあり、世界的に名を知られる建築家でありながら、全体としては不遇の作家として生涯を終えたようだ。タウトは1933年から3年間、日本に滞在している。そのときに熱海の日向邸という住宅の地下室部分を設計している。すでにある木造家屋の海に向かって張り出した空中庭園の下の斜面地に、オブジェクトとしての外観をもたない地中に埋もれた部屋を増築した。普通なら世界的な建築家が手がけるような案件ではない。それにも関わらず、タウトは熱心に取り組みその仕上がりにも非常に満足していたという。建築とはオブジェクトではなく関係性であると考えるタウトだからこそ、環境に埋没する外観デザインのない建築設計をひとつの実験の場として引き受けたのではないか、と隈さんは考える。
隈さんは偶然にも、タウトの日向邸の隣りに、ゲストハウスを建てる依頼を受ける。その最上階が「水/ガラス」(1995年)という作品名で知られる、隈さんの「反建築」作品のひとつである。それは不思議な見映えの「反オブジェクト」で、屋外のフロアには水が満ちていて、その端には立ち上がりの縁というものがなく、水の輪郭線はそのまま背景の熱海の海面へと溶けている。フロアは実際には15cmほどの深さをもつが底は石の色で消されて見えないようになっているという。その中央部にガラスの床、壁、屋根をもつ透明なラウンジ空間があり、ゲストハウスの主要部分と通路でつながっている。
タウトについてもコルビジェ同様、わたしはたいして知っているわけではないが、たまたま何年か前にミュンヘンの書店で買った厚手の作品集をもっている。テキストがドイツ語なので絵や写真を見て理解するしかないのだけれど、並木道や丘陵地のスケッチがたくさんあって、そのイメージから発想されたように見える建物のデッサンや写真が並列して置かれていたりする。
隈さんは「反オブジェクト」という本を通じて、建築というオブジェクトのもつ、周囲を圧倒する威圧的で一方通行的な存在の仕方を批判したかったと言う。物質、物体によって構成されるはずの建築物がオブジェクトとしてではない仕方で存在しうるのか、という問いに対して、タウトの日向邸や自身の作品群をもって、解決の糸口を具体的に示してもいる。一つ一つの案件の反オブジェクト化へと歩む思考の過程が記述されているが、その解決法は視覚ではなく聴覚への働きかけであったり、建築物そのものの見映えではなくそれを体験する人の反応であったりと、多岐に渡っていて、建築と言って思い起こす物質を中心とする活動範囲から、ときとして大きく外れているように見える。
産業構造や資材の進化、技術の更新などが建築の可能性と一体なのは理解できるが、この本で隈さんはむしろ哲学と建築の関係を何回も取り上げ、深く掘り下げていた。たとえばカント。タウトもカントの思想には強い影響を受けていたと隈さんは書いている。建築家がこんなにも哲学と深く関わるものなのか。でもオブジェクトそのものである建築物を、あえて反オブジェクトとして存在させることに専心し、実際にこの世に出現させて証明するその経緯は、哲学そのものなのかもしれない。
隈研吾「反オブジェクト/建築を溶かし、砕く」(ちくま学芸文庫、2009年5月刊)