Tsotsi, ポスト・アパルトヘイト世代を描く南アフリカの映画
SOWETOの風景(by András Osvát/クリエイティブ・コモンズ)
ここのところ南アフリカの音楽や文学、映画を探して見たり聴いたりしている。きっかけは前回のポスト「アフリカの6月」にも書いたが、6月に開催されるワールドカップ・サッカーの開催地南アフリカについて知るうちに、いろいろ気づかされることが多かったから。南アフリカの歴史や現在を知ること、そこからの視点で世界を見直すことは今とても面白いことに思える。他のアフリカ諸国にも目を配りながら、まずは南アフリカに近づいてみる、そしてアフリカを知る、そのひとつの方法としてこの「ツォツィ」というイギリス、南アフリカ合作の2005年制作の映画は恰好の素材になるかもしれない。
ツォツィとは"thug" 悪党、チンピラなどの意味をもつ現地語スラングで、それが主人公の少年の呼び名になっている。主な舞台はヨハネスブルク都市圏にある非白人居住区ソウェト(SOWETO=South Western Townships)、バラックのような家々が建ち並ぶ巨大なスラム地帯、とでも言ったらいいだろうか。1976年に白人政府に対するアフリカ人高校生による大きな蜂起が起こった場所であり、南アフリカ最大の非白人居住区である。ツォツィや仲間たちが住むソウェトの風景が映画の中ではふんだんに使われていて印象深い。全体に光と彩度を抑えたアンバーで暗い画面、スウェトの家並みと通り、カフェやクラブ、町の人々、原っぱに積み重ねられた土管とその内側のカーブに背をあわせてすわる、そこに住む子どもたち、その不思議に美しい「絵のような風景」、遠く背後にそびえるヨハネスブルクのビル群。そのバックに全編を通して流れるのがKwaito(クワイト)と呼ばれる南アフリカのポップミュージックである。クワイトとは何か。ヨハネスブルクで生まれた都市の音楽であり、ポスト・アパルトヘイトの若者たちが怒りと悪徳を発散させる激しい歌声であり、現地語の歌詞をもつヒップホップ系ミュージックである。映画にはクワイトを中心に、南アフリカのミュージシャンたちによる音楽が多数使われていて、その響きは登場人物の顔つきや風景の映像と切り離すことができない。一つのトーンを生み出し、大きなうねりとなって映画の独自性を表現している。
「ツォツィ」には原作があり、小説では時代をアパルトヘイトの時代1950年代に設定しているが、映画では現代、南アフリカがアパルトヘイトから法的に解放されたポスト・アパルトヘイトの時代に移されている。ストーリーは仲間たちと様々な悪事をはたらくツォツィが、ある日強奪した車の中に赤ん坊を見つけたことで、自分の内面や過去と向き合っていく姿を描いている。「ツォツィ」が映画初出演であるツォツィ役プレスリー・チュエニヤハエをはじめ、ほとんどが南アフリカの役者によるもので、エキストラの中には土管に住む子どもも混じっているという。これはDVDの中の監督のコメンタリーで知った。ツォツィが子どもの頃住んでいた土管のある原っぱに来る場面があるのだが、子どもたちの表情、土管のある風景、ともに強い印象を残す。物語と現実が交差する瞬間を見る。
この映画はイギリス人プロデューサー、ピーター・フダコウスキーが小説の素晴らしさに打たれ、映画化することを考え、南アフリカ人の映画監督ギャヴィン・フッドを見いだしてやっと実現した作品という。1970年に出版されて以来、小説はニューヨークやロスアンジェルスの著名プロデューサーたちを魅了し、脚本もいくつか書かれたそうだが、制作費の確保ができないなどの問題で映画化まで至らなかった。原作者のアソル・フガードも南アフリカ人、イギリス人とアフリカーナー(アフリカーンス語を話す白人系オランダ人)の両親の元に生まれている。
この映画全編を通して感じる「生な」もの、この世に存在している悪や貧しさや優しさや無垢さ、そのリアリティは、アフリカ人俳優たちの表情や現地語で語られるセリフや歌によってかもし出されている気がする。アフリカはたくさんの言語をかかえる大陸だが、南アフリカにもかつての宗主国の英語やアフリカーンス語以外に、ズールー、コサ、ソトなど9つの言語がある。そしてそれらの言葉は自在に混合もされるようで、Tsotsi-taalはソウェトなどで話される現地語の混成語。(Tsotsi=ワル、taai=言語)
「ツォツィ」はDMMなどのネットレンタルで単品で借りられる他、オフィシャルサイトでもさまざまな映像が紹介されているので参考になるだろう。Trailerには予告編以外に、メイキングやボーナス・ドキュメンタリーの映像があって、それも素晴らしい。ボーナス・ドキュメンタリーは、撮影現場の近所に住むジョシアスという男の子と双子の男の子の日常を追ったもの。メイキングには撮影風景の他、監督のギャヴィン・フッドやツォツィ役のプレスリーも登場して映画についてしゃべっている。スタッフには白人系が、俳優陣は黒人が多く、それらの人々がソウェトというかつてのアパルトヘイトを象徴する場所で、暴力ではなく創造という知的な共同作業をなしえたことは意味深い。
南アフリカの音楽、中でもクワイトについては、インターネット上で素晴らしいドキュメンタリーを見つけた。音声を主としたレポートにInside Outという非営利のプログラムがあって、その中にKWAITO Generationがあった。レポーターのショーン・コールによるヨハネスブルクのクラブやライブ会場、レコードスタジオなど様々な場所での音声レポート、インタビュー、「ツォツィ」でも音楽を提供しているクワイトのスター、ZOLAをはじめとするアーティストの紹介やそのおしゃべりの音声、ショーンの日誌やフォトギャラリー、アパルトヘイトの歴史など、盛りだくさんでクワイトとは何なのかがサイトを巡るうちにわかってくる。特に音声は生き生きしていて素晴らしい。こんなドキュメントの方法があったかと思わせる。メインのドキュメント以外にも音声レポートがあり、artistsページではZOLAがショーンにアフリカ名をつける楽しい会話シーン、ショーンの日誌ではクワイトのスーパースター、ンザギザギの叫ぶようなまるで怒っているようなしゃべり(Reporter's Notebook, March 14. 2005) があり、ショーンに"...talking about kwaito. Or rather, I talked. He screamed. He's a screamer."と言わせている。ンザギザギが言っていることが聞き取れるかどうか以前に、その声としゃべりは一聴の価値あり。
クワイトや南アフリカの音楽については、「ツォツィ」のサウンドトラックもお勧めだ。ZOLAなど迫力のヒップホップ系だけでなく、美しいアフリカンヴォイス&サウンド、アフロポップなど今の南アフリカの音楽を知る入門としていいと思う。iTunesのストアでも扱っている。「ツォツィ」は2006年度のアカデミー外国語映画賞など欧米でいくつかの賞を受賞しているので、比較的手に入りやすいものだと思う。ちょっと気になったのは日本版のDVDのジャケット。主人公が上半身裸で赤ん坊を空高く持ち上げている写真が使われていて、映画や音楽のイメージとかなり違う。それにこんなシーンは映画の中にはなかったように思う。どこから持ってきたのだろう。配給の日活が「日本人のアフリカ像」に合うものをと思ってこれを選んだとしたらちょっとそれは違うのではないか。映画は聖なる、あるいは「素朴な」裸族のアフリカでもなければスピリチュアルなコンセプトの作品でもない。暴力と貧しさの現実、救いのない登場人物たち、そういったソウェトのざらざらした日常のリアリティの中に一点灯りをともす無垢な人間性のようなもの、それを表わした映画だと思うから。