ワールドサッカーの愉しみ(1)
今年はワールドカップイヤー、6月11日から約1ヶ月にわたって、サッカー世界一を決めるイベントが南アフリカで行なわれる。今回の参加国・地域は最初のエントリーで204と過去最大、これは北京オリンピックの出場国数と同じである。(その後ブータン、グァムなどの棄権やエチオピアの除外処分があって、199ヵ国となる)
世界200ヵ国もが参加するスポーツイベントと聞けば、実際に本大会で目にするのは32のチームであっても、想像力をかきたてられる。予選は2007年夏に南太平洋で、オセアニア地区の予選を兼ねたサッカー大会でスタートしたという。そこから2年かけて各大陸での予選が行なわれ、アフリカ(6)、ヨーロッパ(13)、南米(4.5)、北中米(3.5)、アジア(4.5)、オセアニア(0.5)、計32ヵ国の出場が決まった。アジア地区では41チームが第4次まで予選を戦い、最終予選でグループAのオーストラリアと日本が、グループBの韓国と北朝鮮が南アフリカの本大会へと進んだ。
日本がワールドカップ本大会に初出場したのは、1998年のフランス大会。アルゼンチン、クロアチア、ジャマイカのグループHでプレイし、3試合全敗で終わった。得点もわずか1点。でも多くの日本人がこのフランス大会で初めて、ワールドカップをテレビ観戦したのではないかと思う。その次が2002年日韓大会。このときは開催国枠のため予選なしで日本と韓国は出場できた。両国とも充分な準備と実力ある監督を海外から新たに迎え、日本が決勝トーナメントに進出してベスト16、韓国が強豪イタリア、スペインを破ってベスト4、どちらにとっても、また世界から見ても、大きなサプライズを起こした。次の2006年ドイツ大会ではアジア予選は勝ち上がったものの、本大会では両国ともグループリーグ敗退。日本は一勝もできずにグループ中最下位、得点も3試合で2点。振り出しに戻ったような成績だった。韓国は1勝、1分、1敗でグループ3位でやはり敗退した。そして2010年の今大会、どちらの国もアジア予選を勝ち上がって出場権を得た。また北朝鮮も44年ぶりの本大会出場を決めている。さてどんな戦い、プレイがこの夏には待っているのだろう。
ワールカップ約80年の歴史を見ていくと、優勝国というのはブラジル、イタリア、ドイツなどごく限られた国々。強いと言われるフランスやイングランドも自国開催のときのみの優勝。スペインに至っては1950年に4位に入ったのが過去最高(近年はベスト8、16のあたりを行き来)とは、強いイメージがあるだけに意外だ。4位までを見ていっても、ほとんどがヨーロッパ各国で、南米勢からブラジル、アルゼンチンが混ざるくらい。2002年の3位トルコ、4位韓国はかなりの異変だったと思われる。そういう過去のデータを見ていて感じるのは、サッカーの勝敗結果はかなりの部分、試合や競技における経験値が影響するのかなということ。韓国はこれまでに複数回の本大会出場経験があるが、ベスト4に入れた大きな理由は、経験値の高い監督がマネージメントしていたからかもしれない。フース・ヒディンクという韓国を率いたオランダ人監督は、オランダ代表を1998年フランス大会でベスト4に導いた他、ヨーロッパの有力クラブチームで名を馳せ、今も実力、人気ともに衰えない世界レベルの名監督の一人。
とはいえ、サッカーに番狂わせやサプライズはつきもの。足でボールを蹴るという不自由な体づかい(頭、胸も使えるが)のせいか、オウンゴール(守備している最中、自陣のゴールに球を入れてしまう)、失神や流血、大けが、選手同士のケンカ、一発退場、ととんでもないこともよく起きる。一つのボールを追いかけて攻守の二人がものすごい勢いでダッシュする姿は、見ていて何だか可笑しいし、ピークに達しようとする体の使い方は素晴らしくもある。プレイ中の互いのシャツの引っ張りあいは子どものケンカのようだし、攻守の体が重なり、肘がはいり、足蹴りがはいったりすれば、たちまち一瞬にして緊張が走る。そういうときの欧米人の体での意志表現はいつも目を見張らされる。頭を少し後ろに反らしながら直立姿勢となって胸を突き出す。二人とも欧米人の場合だと胸と胸の張り合いになる。すごいボディランゲージだと思うし、いつの時代からのものなのだろう、と想像してしまう。ワールドカップでは、決勝トーナメントに入れば一発勝負の勝ち抜き戦なので、あとに引けない真剣勝負度は最高潮に達し、語り継がれるような番狂わせやサプライズも待っている。
ワールドカップは一応、国や地域を代表するチームが戦う競技イベントだけれど、だからといって愛国心一辺倒のものかというとそうでもないと思う。もしそうであれば、自国が予選落ちして本大会に出場できなかったら、観戦する興味がなくなってしまうだろうが、世界のサッカーファンというのは自国だけを応援しているのでもなさそうだ。日本でも、とくに日本を応援するということでなく、第三者的にワールドカップを楽しみにしている人々はたくさんいる。たとえば普段ヨーロッパのクラブチームで活躍している選手たちが、ワールドカップでは別の組み合わせで、違うチームの環境の中でいつもとは違うプレイをする。違うクラブのメンバーが同じ国のチームでプレイすることもあれば、クラブのメンバー同士が国を分けて戦うこともある。それを見るのもワールドカップの楽しみのひとつ。
わたし自身、W杯をきっかけにワールドサッカーの面白さに気づき、その延長線上で、ヨーロッパのクラブチーム、中でもイングランドのクラブチームの試合をよく見るようになった。イングランドのプレミアリーグはヨーロッパでも最も水準の高いプレイが行なわれているリーグで、世界中から夢をもとめて多くの外国人プレイヤーが押し寄せている。フランス、オランダ、ドイツ、スペイン、セルビア、ロシアなどの欧州勢に加え、アフリカ人選手が迫力あるプレイで異彩を放っている。カメルーン、ガーナ、コートジヴォワール、ナイジェリアなどなど。ヨーロッパで活躍するブラジル人も増えている。サッカー王国、才能の宝庫であるブラジルはピーク期にある選手のほとんどがヨーロッパでプレイする。アジア人はまだ少ないが、プレミアリーグにも韓国から2、3のプレイヤーが来ていてなかなかの活躍ぶりだ。
(つづく)
ゴーディマとアフリカの作家たち
アフリカ大陸の作家の本を探して読んでいる。過去に読んだことのあるアフリカ人の作品といえば、エイモス・チュツオーラくらいか。ヨルバの森や民話をベースにした物語を書く、ナイジェリアの作家である。英語で書く作家で、ヨーロッパでも評価を受けている。民話風の作品を少し訳したことがあるが、描かれる風景、人々、英語の文章自体も、独特の持ち味があり、いわゆる英米文学とはかけ離れたものだった。
今回最初に手にとったのは、南アフリカの作家ナディン・ゴーディマという人の作品。ゴーディマはユダヤ系の家に生まれた移民で、父はリトアニア出身、母はイギリスからやってきた。英語で作品を書く白人の女性作家である。南アフリカにおいて興味深いのは、イギリスやオランダにルーツをもつ白人系の人々がアパルトヘイトの時代をどのように生きて、現在なにを考えて生きているかということ。1990年代初頭にアパルトヘイトが撤廃されるまで、南アフリカはいわば世界から隔絶された価値観の中にあった。その中で、黒人たちのことはある程度想像はついても、白人たちがどんな風に暮らしていたのかは考えが及ばなかった。ゴーディマの作品、エッセイ、紀行文、短編集などを読むうちにだんだんその謎が解けてきた感じだ。
南アフリカの白人はアパルトヘイトの時代、すべてが人種差別主義者だったわけではない。南アフリカでは長い間、白人、黒人、カラード(混血)、インド人が分断された地域で暮らしてきた。分断したのは白人政府である。そのため多くの白人系の人々は、自分たちの居住区の外の世界(黒人やカラードの住む世界)を知らずに暮らしてきた人が多いようだ。そして外の世界には「無関心」で日々を送り、学校や買い物、レジャー、その他日常的なことをすましてきた。意識としてどれくらい黒人やカラードを差別しているかは、人それぞれだろう。ただ特に気づいたり考えたりしない限り、無関心で通すことは可能であり、それが白人として安全に生きる道なのだ。
一方、白人の中にもアパルトヘイトに反対し、黒人とともに地下組織で活動し、逮捕されたり、獄中生活を送ったり、海外に亡命したりした人々もいた。ゴーディマのエッセイや短編の中にも、そのような人々は登場する。ゴーディマ自身、反アパルトヘイトの活動家、あるいは支援者であり、出版物のいくつかはアパルトヘイト時代に南アフリカでは発売禁止になっている。文学の面白いところは、ある状況を伝え表現するとき、事実の表面を列挙するのではなく、作家の視点から分析や仮説を試み、それまでの知識や経験も使いながら真実に近づこうとする態度だ。そこではノンフィクション、フィクションの差はそれほどないように思う。小説となったものは、より普遍的な理解へと読者を導く可能性はあるけれど。複雑に絡み合う現実世界というものを象徴的に表わすことができるという意味で。
今回目を通した(通しつつある)ゴーディマの本は3冊。最初に手に取ったのは岩波ブックレットの中の1冊「ナディン・ゴーディマは語る/アフリカは誰のものか」。これは1992年にゴーディマが来日した際、日本の翻訳家たちと行なった公開対談の記録で、ゴーディマについてまったく知らなかったわたしにとって、手頃な入門書となった。わずか50ページくらいの冊子といっていい本だが、この作家がどんな考えと語り口をもった人なのか知ることができた。ゴーディマという作家のもつ、非常に明晰な語り口と強い意志に魅力を感じた。それで次に、「いつか月曜日に、きっと」(The Essential Gesture: Writing, Politics and Places)というエッセイ集を読みはじめた。これは1950年代から1980年代に書かれた作品を、訳者が著者の了解を得て年代順に並べた作品集で(原著の出版から20年近いの年月がたっていた事情から)、それは南アフリカにおいてアパルトヘイトが最も激しく社会をおおった時代に当たる。黒人の、白人の反アパルトヘイト活動家たちの評伝的なもの、コンゴ河やボツアナをまわったときの紀行文など、題材はさまざまだが、各エッセイの冒頭に置かれた編者クリングマンの短い解説文とともに読み進んでいくと、南アフリカとその周辺地域の当時の状況が徐々に飲み込めてくる。文学の素晴らしさはやはり、読む者が「能動的に」なって、書かれている事実と関わりをもっていくプロセスにあると思う。その行為の中で、作家が書いていることの、あるいは書いていないことの意味を汲み取っていくことができる。何かを知る、ということはそういうことなんだなあ、と思った。
さらに「ゴーディマ短編集JUMP」を今読んでいるところだ。小説だからフィクションではあるが、前述のエッセイ集と交互に読んでいると、どの作品がどちらに入っていたか忘れてしまうことがあった。それが事実であれ架空の物語であれ、ゴーディマの声を聞いている、という印象。普段から小説を読むことの少ないわたしだが、この短編集が内容、語り口、スタイルにおいて質が高く、また読んで面白く、なぜ書かれたのかがよく理解できるという意味で、貴重なものだと感じた。小説というのは、ときにノンフィクション以上に強く現実をとらえ、作品に映し出す術を隠し持っている方法論なのだろう。
ゴーディマ以外の作家では、南アフリカ出身でボツワナに出国したカラードの作家ベッシー・ヘッドや、ナイジェリア出身の黒人作家ベン・オクリの作品を英語の原書もふくめ、ぼちぼちと読んでいる。それぞれ個性が際だつ作家で、どちらもちょっと小さな作品に触れただけでも、他で経験したことのない感触を文章や内容から感じさせられる。対象になっているものがアフリカの厳しい自然だったり、村や人々の救いのない貧困だったり、オクリの場合は精霊と村人が入り混じるマジカルな世界だったりして、自分の周辺の現実からは遠いのだが、アフリカという場所に興味があれば、汲みつくせない豊かな水の流れ、宝の山を目の前にしているような気持ちになるだろう。遠いことを強く身近に感じること、文学の果たしている役割のひとつだと思う。
前回紹介した映画「ツォツイ」に加えて、その後「遠い夜明け」という反アパルトヘイトの黒人活動家スティーブ・ビコを描いたイギリス映画を見た(1987年、リチャード・アッテンボロー監督、デンゼル・ワシントン主演)。生前ビコと交流のあった白人新聞記者が、ビコの獄中の死は暴行によるものではないかと疑問をもった。真実を書いた本を出版するため、身の危険を冒して家族とともにボツアナ経由でイギリスに亡命するというストーリー。映画のクレジットによると、描かれている内容はほとんどが事実に基づくことだそうで、映画の最後には
ソウェトの蜂起を再現した映像の下に、テロップで、実在の活動家たちがどのような(表向きの)理由で死んだ(殺された)かの公式発表が延々と流されていた。著名な活動家であったスティーブ・ビコの名もその流れの中にone of themとして現われたが、そこには「スティーブ・ビコ、ハンガー・ストライキによる死」と記されていた。