20100830

小さなメディアとしての「テレビ」

8月半ばからサッカーの欧州リーグが始まるので、ケーブルテレビでスケジュールを調べようとしたら、番組表がすっぽり空白になっていて何も書いていない。テレビのEPG(電子番組ガイド)で見てもネットで調べても同じ。開幕戦が数日後に迫っているのにである。電話で局に問い合わせしたら、イングランドのプレミアリーグは3年契約が終了し、今年の契約がまだ整っていないという。どうなるかはまだ未定なので、今年の放映に関しては何とも言えないとのこと。こんなにギリギリまで放映権が取れていないとは、かなり驚いた。ひょっとしたら、W杯前後に日本人選手がドイツのリーグに移籍しているので、イングランドをやめてブンデスリーガと契約するとか? などと考えてみたりした。

万が一プレミアリーグが放映されなかったときに、たとえばネットで中継を見る方法はあるだろうか、と考えて、「ライブ中継、サッカー」などのワードを入れて検索してみた。いくつか出てきはしたが、コンテンツが空だったり、サイトが古かったりしてうまく見られそうなものがみつからない。英語で検索したらやはりいくつか出てきて、その中でちょうど見たかったプレシーズンマッチの試合がリストされているところがあったので、Paypalで7ポンド(年間料金)ほど払ってメンバーになってみた。ただその時点で、自分のパソコンで本当にライブ中継が見られるか、自信はあまりなかった。Macユーザーはこういうときかなり不利である。Oleole Footballというそのサイトは、Macユーザーが見る場合の変換ソフトウェアも案内していたので、それも含めて必要とされるソフトウェア(無料)をダウンロード、インストールした。

時差が夏時間で8時間あるイギリスの午後1時キックオフの試合、プレミアの下のリーグだったが、その時間にリンクのネットテレビに合わせてみた。おおっ、映った。ライブ中継がストレスなく映っている! 画面をフルスクリーンにしてみた。画像は多少荒れるがこのほうが見やすいし迫力がある。この試合は問題なく約2時間の視聴ができた。次は本当に見たかった試合、午後3時キックオフのマンチェスター・ユナイテッド対チェルシーの試合(コミュニティシールド)。試合が始まって少ししたら、画像が途切れだした。プレシーズンマッチの一番人気、世界中で多くの人が同時に視聴しているため、ラインがいっぱいになっているのだろう。ネット中継しているアクセス先をいくつか変えてみたが同じだった。日本時間で午前1時の試合終了まで見るには見たけれど、混雑による中断でかなりのストレスがあった。肝心なところで画像がストップし、動き出したらもうゴールシーンは終わっていた、というような致命的な欠陥があった。

最近はUStreamなどを使って、中継映像をリアルタイムで流す試みがいろいろされているから、ネットでのライブ中継そのものは別に珍しくないかもしれない。ただ海外のテレビ番組をリアルタイムでネットで見る、というのはまだそれほど定着していないのではないか。ネットのスポーツ中継は、コンテンツの元がテレビ局である。ウェブの映像を置いてあるページや画面の枠には広告が満載なので、テレビ局に一定料金をネットテレビが支払い、あるクォリティ以下の画像で配信するなどの規定の中で、視聴者には無料で見せているのではないか。わたしが契約したイギリスのサイトは、映像配信料を取っているわけではなく、試合情報とネットテレビを結びつけたサービスを売っているのである。いつどことどこの試合があり(世界各地のリーグや国際親善試合をざっと網羅している)、それはここのネットテレビで見ることができるという情報とリンクである。

テレビというのはマスを扱うメディアだけれど、ネットで配信される場合、小さなメディアとして存在することが可能になる。テレビ放映が始まって100年足らず(日本では約半世紀)の間に、人々は皆が面白いと思う番組をいっしょに見ることが、だんだん苦痛になってきた。CSやケーブルテレビなどで選択肢は増えたけれど、まだまだ「放送」という思考法や法規制から自由ではなく、何を流すかはテレビ局次第。見たいものがあっても、テレビ局が放映権を買わなくては番組にならない。オンデマンド放送というのもあるが、日本ではコンテンツがいつまでたっても充実しないし、絶対数が少なく、様々な趣味趣向に応えられるようなものではない。それほどまだ利用されていないのかもしれない。テレビは無料で見るもの、という感覚が視聴者にも強く残っているのだろう。実験的な試みとして、今年の春ごろ、韓国映画「息もできない」を渋谷のシネマライズ公開と同時に、特別料金(2000円弱だったと思う)で同時テレビ公開していた。オンデマンド放映としては画期的だと思う。

ネット中継としては、レンタルCD、DVDのDMMがライブコンサートを先日、ネット上で配信していた。XJapanのライブを確か3000円程度で中継していた。ただし画像サイズはフルスクリーンよりかなり小さかったようだ。開催地に行けないファンにとっては価値があるかもしれない。映像のクォリティがどういうレベルなのかはわからないが。DMM自身がこの企画の主体なのか、あるいはDVDの素材として後に使う映像を買っただけなのか。多分後者だろう。

この秋、グーグルがGoogle TVというウェブ・テレビを発表するらしい。TV meets Web. Web meets TV. というキャッチフレーズで、Google TVの組み込まれたテレビか、条件を満たした接続可能なテレビ上で、テレビ番組とウェブのコンテンツがシームレスに視聴できる、ということらしい。番組はすべてテレビ、ウェブ並列で検索することができ、録画予約も可能とか。画像のクォリティはどういうレベルなんだろう。YouTubeなどのネットの動画は小さいサイズでもきれいとは言えない。ただネット上の中継番組も録画できるとなると、時差の大きい欧州サッカーの試合も楽に録画ができそうだ(パソコンの場合、Windowsならソフトの利用で録画も可能らしいが、Macは様々な条件を満たしていないと使えない)。

Google TVがどういうものなのかは実際に見て、使ってみないとまだどうとも言えない。希望は、テレビのサイズとクォリティで、ネットで配信されているコンテンツが、リアルタイムで、あるいはアーカイブとして蓄積されて、好きなときに視聴できることだ。有料でもかまわないから、発信者がウェブのコンテンツの映像クォリティを高めたり、配信用の回線を太くしたりして対応してほしいものだ。もしこれが進めば、今CSやケーブルテレビで放映されているものが、将来はウェブのコンテンツとして配信されるようになるのかもしれない。インターネットが普及したときに、商業、政府機関、非営利、個人のコンテンツが混在化したように、テレビでも同じことが起きるのだろう。それによってウェブのコンテンツにも変化が起きるだろうが、テレビ番組の方にも影響が出るに違いない。テレビと言えば視聴率、テレビと言えば無料、テレビと言えばコマーシャルの嵐、その結果質の低い、どうでもいいような穴埋め的番組が蔓延してきたとするなら、この影響はテレビにとっても新しい展開を促すきっかけになるかもしれない。

20100816

自分と日本人

自分の属する国、日本に対して違和感を常にもって生きてきた。多分、個人生活と社会生活を過ごすうちに、長いことかけて定着してきたものだと思う。葉っぱの坑夫を始めた2000年にはすでにその感覚はあった、ある程度自覚的だったと思う。なぜ葉っぱの坑夫を始めたのか、というインタビューで、「日本に対する違和感から」と答えたこともあった。確かに、一つの理由ではある。日本に生まれ、日本人として育ち、日本の公立学校で教育を受け、日本社会に出て働き、税金を納め、選挙権、被選挙権を持ち、日本人と結婚して日本人の子どもを育て、多分日本人として死んでいく、それが自分だ。どこにでもいる「一般的な日本人」のプロフィールを持っている。それなのに、日本という国にあらゆる側面で共感を持つことができない。政治や社会制度のことだけを言っているのではない、それを支えていると思われる集団としての、あるいは個々の日本国民に対しても共感を持てることは、実は少ない。もちろん個人として共感を持てる人、尊敬できる人は日本人の中にもいる。その人たちの多くは、自分が日本国民であることに自覚的だ。

アーティストが、作家が、アイデンティティであるとかその人独自の思考や表現を持つとして、少なくとも今の世界では、自分の属している国がどんなプロフィールを持つかということと無関係に創造行為をできるとは思わない。個々の人間のアイデンティティというのは、本人の意識のあるなしにかかわらず、国のアイデンティティの内側にある。そのこと抜きに自分のアイデンティティを考えても、意味ある結論に到達はできないだろう。どんな個性的な人も、個々の人間が持つ生物的な、あるいは成長過程の特殊性による独自のアイデンティティというものが自分の半分を占めるなら、あとの半分は所属する国の国民が負っているアイデンティティによるものだ。「自分探し」の行為も、残り半分の○○国民である、というところを糸口にして考えていった方が、個人としての自分を探索するより返って近道かもしれない。

8月は日本にとって終戦にまつわる月であり、日本が占領統治していたアジアの国々にとっては解放の月である。どちらの国民にとっても、戦争が集結したという意味で歓迎できる出来事であったろうが、心情的には大きな隔たりがあって当然である。その大きな隔たりを考えることが、あの戦争を今につなげて考えることの意味のひとつだと思う。「語り継がれ」なければならないのが、自国民の「悲惨な戦争体験」「被爆体験」でしかないならば、未来を良きものにしていくのは難しそうだ。「悲惨な戦争体験」「被爆体験」は受け身のことであり、結果である。相手を定めて糾弾するならまだしも、「もうあんなことはたくさん」と不明の対象に何十回唱えようと、自らが起こしたことではない「受け身」の出来事は、未来のプランに生かせない。

考えなければいけないのは、自分たちが能動態として成したことだ。「あんなことはすべきではなかった」「二度とあのようなことは起こさない」「ああいう心情にあった自分(日本国民)は正常ではなかった」と考えることは、未来のプランにそのままつなげていける。それは戦争というものが持つ真の悲惨さに近づくことであり、人間の存在の意味を問うことであると同時に、今後どのような世界を人間は目指せばいいのかの指標になるだろう。また被占領国だった国の人々と、反対側からそれぞれの体験を共有し、戦争について未来について、語り合える場を生み出す可能性がある。そういう場を日本が先頭に立ってつくり、たとえば多くの人間が視聴できる放送という形で、アジアの関係諸国がこの時期に同時に見ることができたら、そしてそれを恒例化していくことができたら、議論の積み重ね、相互理解の深まりに役立つのではないか。

「日本の人は、自分にとって気持ちのいいことばかり聞きたがる傾向があるのではないか」とは、サッカーの元日本代表監督イビチャ・オシム氏の発言だ。その通りだと思う。事実がどうであれ、自分たちにとって心地いい物語ばかりが尊重される、ということは日本の社会のあらゆるところに浸透していると思う。だから戦争体験を語る8月のテレビ番組も、そのほとんどが「被害者」としての側面からしか語られない。向き合うことすら耐えられない加害者としての体験や心情を語ること、それを今の人間が受け止めようとすることには、大きな意味があるはずだ。誰にとっても気持ちのよくない事実、話題にしたくない出来事には耳を塞ぎ、「悲惨な被害者」としての体験にだけ進んで耳を傾け、同調、同情して涙さえ流すことができるのが日本国民だとしたら、そこには大きな違和感を感じないわけにはいかない。

20100805

普天間と日本人であること

「普天間についてのガイドブックのようなものが出版された、と聞いたので手に入れてみた。「FUTENMA 360°」という本(ビブリオユニゾン)。本の執筆、編集人である三枝克之さんによると、普天間は基地の街ではあるけれど、それだけではない、海、自然、文化と魅力のある場所でありフォトジェニックでさえある、ということだった。どういうスタンスの本か、よくはわからないまま購入したわけだが、こちらとしてもそれほど深い問題意識があったわけではなく、とりあえず何か普天間について知る手がかりになるかもしれない、という軽い気持ちだった。

実際手にとってみると、15cm角くらいの小さな本は、たくさんの写真によるビジュアルブックだった。普天間、と言ったとき、視覚的に思い浮かぶのがせいぜい沖縄の地図くらいであるとするなら、この本をぺらぺらと繰っていけば、実際の街の風景や自然環境や食べ物などが紹介されているので、なんとなく様子はわかってくる。副題にwelcome bookとあるし、この街の良さを知ってほしい気持ちがまずはこの本を作らせたのだろうか、という気はする。基地の街としてのアメリカン、あるいはインターナショナルな雰囲気や、元米軍の住居地区の紹介なども、ひとつの魅力として語られていた。

ただこの街の特殊な形状、ドーナツ状の円環都市であるという説明には、やや刺がささったようなところが感じられた。それは書き方によるものというよりは、その事実によって読者が感じとるものかもしれないが。宜野湾市がなぜ世界でも珍しいドーナツ状の街なのかと言えば、中心部に米軍基地があるからだ。その広さは皇居の3倍、宜野湾市の約25%に当たるという。千代田区、中央区を合わせたくらいの土地の真ん中に、皇居の3倍の大きさの真空地帯(この本では「禁中」という言葉が使われていた)がある。

このような真空地帯を街が、住民がかかえて暮らしているというのは、どんな感じなのか想像してみる。もし、基地の南に住む者が海に出ようとすれば、まっすぐ北に向かって進むのではなく、基地に沿って大きく迂回して行かなければならない。その迂回道は鉄条網のフェンスで囲われている部分と、体制への風刺や抵抗も含めたグラフィティが描かれているコンクリート塀の部分とがあるらしい。基地の中の様子については、Core Areaという最後の項目で紹介されていた。敷地内に広がる深い森、将校クラブ、レストランやフードコート、厳しいチェックがある関門ゲート。もちろん内部に住民が入ることはできない。そこは日本ではないのだから。

鳩山政権が普天間の移設先は沖縄県外に、と公言していた頃、ひょっとして実現することはあるのだろうか、という期待はゼロではなかった。「FUTENMA 360°」の本の中にも、1997年に日米両政府が全面返還を発表したまま実現されていない、という記述があった。そしてやはり、というべきか、今年5月、県外移転は断念、という結果になった。自民党党首時代、小泉純一郎首相も普天間を県外へという案を口にしたことがあった。「沖縄の負担を全国民が分かち合おうということならば、本土移転、国外移転の両方を考えていい」と2004年10月に発言していたそうだ。そしてその後、引き受け手がどこからもでなかった、と言ってこの案を引っ込めたという記事も見た。本当のところはわからない。

引き受け手とは、沖縄県以外の全国の都道府県とその住民のことである。自分の住む町の巨大なエリアがごっそり消滅して、「禁中」である基地が建設されたら、と想像してみる。昼夜を問わない軍用機の発着による騒音。普天間で起きたような近隣地区への墜落事故の可能性もある。日本側が裁くことのできない米兵による犯罪もあった。誰も引き受けたくなどない他国の軍事施設なのだ。日々の暮らしや街の歴史とは無関係の、異物である存在を地域に抱えることだ。それを宜野湾市の住民は、いやおうなく引き受けさせられ続けている。それがどういうことなのかは、自分の街が、そして自分が住民として引き受けてみなければわからないことだと思う。

日米安保条約という「恩恵」の中で過ごしてきたすべての日本人は、普天間の問題と直接関係をもっている。誰もそこから逃れることはできない。戦後、サンフランシスコ講和条約によって独立国として再スタートした日本は、同時に、アメリカの同盟国としてその軍事施設を背負うことにもなった。独立後半世紀以上たった今も、状況は変わっていない。2000年代になって、南米ではアメリカの政治、経済、軍事などの介入下にあった国々が、反米政権を打ち立て独自の道を進み始めているという。南米の国々にできて日本にできないとしたら、その理由にはどんなことがあるのだろう。国が半植民状態にあって、自国の意思だけでは自国領土についての決断ができない立場にあるとしたら、その一員であり国を支えているはずの国民が自由意志をもつ自立した人間として日々を生きることは可能なのだろうか。今、自分が自由で解放されている、日本は自由と民主の国だ、と感じているとしたら、それがどこまで信じていいことなのか、一度検証してみる価値はありそうだ。