20100928

バイオグラフィーと選手生命

インターネットを始めてから気づいたことの一つに、biographyの存在がある。bioなどと省略しても使われるが自己紹介文のことで、日本ではプロフィールという言葉もよく使われている。英語圏、ラテン語圏の人々と何か協同でプロジェクトをすれば、必ずバイオをくれ、と言われたものだ。インターネットのウェブでは、初期の頃には定番としてabout usというサイトの主催者を紹介するページがあった。英語圏ではほぼ100%、それも何か誇らしげに存在を主張している気がしたが、日本語の世界では必ずあるものでもなかったから、自己紹介はそれほど必須の事項ではないのかもしれない。

バイオグラフィーを読むのは結構面白い。人のバイオを書くのも、ときに面白いと思うことがある。葉っぱの坑夫を始めた頃に、多和田葉子さんのバイオを書いた。「すべって、ころんで、かかとがとれた」というエッセイを英訳して掲載させてもらったときのことだ。確か、いくつかの多和田さんのエッセイを読んで、そこから読み取ったことをバイオの形にして仕上げたのだったと思う。多和田さん自身に読んでもらってOKをもらい、顔写真もドイツから直接送ってもらった。山尾三省さんや木坂涼さん、、、他にも有名無名の様々な作家やアーティストのバイオを作品を掲載するたびに、日本語、英語で書いていた。

通常バイオと言うと、それほど長くない文章の中に一人の人間の経歴が簡潔に記されているものだが、autobiography(自伝)や評伝(biography, critical biography)になると一冊の本の長さがある。インターネットで人物を調べているとき、Googleで名前を入れるとウィキペディアが上位に来ることが多い。ウィキペディアは投稿型の百科事典だが、人物事典、バイオグラフィー集の側面も持っている。作家であれば作品リストや受賞歴が上げられているし、スポーツ選手であれば所属チームの変移や各種の成績、受賞歴、出場試合数などデータがずらりと揃っている。文中の用語や人名にリンクがあって詳しく知ることもでき、またいくつかの言語で掲載されていることも多いので、たとえば日本語の記事に知りたいことが載っていなければ、英語なり他の言語を参考にすることもできる。リンクされている言語の多様さ、数によって、その人物の世界での広がりの度合いも想像できる。植物のバイオグラフィー(というかどうか知らないが)を見るときは、和名と英語名の比較をしたり、ある植物が同じものであるかをウィキの日英ページを比較することで確認もできる。

ウィキペディアで読むスポーツ選手の経歴は興味深いことが多い。出身地や子ども時代のエピソードなどでなるほどと納得することもあるが、興味のある選手であれば、やはりデータを見るのが面白い。スポーツ選手は何といっても、成績で評価が決まる部分が大きいから。丹念に数字を見ていくと、意外な発見をしたりもする。すでに引退した選手のデータというのも興味深い。もうそこに新たな成績が追加されることはないので、現在のものが選手としてのすべて、成し遂げたことの全貌になる。選手生命という言い方があるが、人間としてはともかく、現役を退いた人にとっては、そこにある選手時代のデータは選手としての一生である。そう考えると「選手生命」という日本語はなかなか的を得た言葉だ。

先日、10年連続で年間200安打を達成したイチロー選手は36歳にして悠々現役、しかも大リーグという野球の世界最高レベルでプレイしていてのことだ。同じ記録を持つ(連続ではないが)ピート・ローズ選手が言うには、イチローはあと10年は無理だろうが7年はプレイできるのではないか、とのこと。ローズ自身は45歳までプレイしたそうだ。ローズによれば、野球選手にとって39、40歳が一つの転換機とのこと。サッカー選手と比べるとかなり長命だと思うが、日本の野球選手の引退年齢を見ると、長嶋茂雄が38歳、王貞治が40歳、野茂英雄が40歳、張本勳が41歳、現役の選手では工藤公康が現在47歳と驚くべき長命。野球は見たことがなく選手についても詳しくないので、もっと例として適した選手がいるのかもしれないが。ただ一流とされる選手でも原辰徳が37歳、江夏豊が36歳、江川卓が32歳で引退してることから推測すると、40歳を超えるのはきっとそれなりのプレイヤーにしかできないのではないか。

サッカー選手で見ていくと、日本の選手では、最も高い水準で活躍したと思われる中田英寿が29歳と若くして引退し、少し前の人では釜本邦茂が41歳、木村和司が36歳、原博美、川淵三郎が34歳、となっている。現役選手では三浦知良、中山雅史がともに43歳でプレイを続けている。もちろん長くプレイすればいいというものでもないと思う。プレイした年数とその中身、更にはどんな環境でプレイしたかが重要なのはもちろんのこと。前述のピート・ローズは言う。「イチローほどのレベルの選手になると、自分の理想のプレーができなくなったときに苦しむだろう。彼が40歳になり、出場120試合で150安打だとしたら、満足だと思うのか。」 そういう意味でもここから先のイチローのプレイ振りは注目に値する。年追うごとに意味が増すかもしれない。

内容も素晴らしく、プレイ年数も長い、そしてチームやリーグで充分活躍できている、それこそが現役選手の意味するところだろう。海外のサッカー選手で選手生命の長い人として、たとえばマンチェスター・ユナイテッドのライアン・ギグス、ポール・スコールズがいる。ギグス36歳、スコールズ35歳、ともに今もイングラド・プレミアリーグという世界最高レベルのリーグの、常に優勝が狙える位置にいるビッグクラブでプレイしている。そして才能あふれる若手選手たちが世界中からこのクラブを目指してやってきて、たとえチーム入りできても激しいポジション争いで出場がままならない中、この二人は現在もチームになくてはならない選手として見る者を圧倒している。20年近い年月を第一戦でプレイしている二人には、それに伴う様々な輝かしい成果ももちろん蓄積されている。

ギグスとスコールズが所属するマンチェスター・ユナイテッドには、アジア人として初めて、このチームのファーストチームでプレイする韓国のパク・チソン選手がいる。2005年のチャンピオンズ・リーグの準決勝の舞台で、オランダのPSVの選手として活躍し、ユナイテッドのファーガソン監督にスカウトされた。以来、5シーズンをこのチームでプレイしている。そのパクも来年は30歳になる。サッカーでは30歳を超えたあたりで引退する選手も多いので、ここからがパクの新たな挑戦、勝負どころとなるだろう。中田英寿はあまりにも早い引退をしたことで、サッカー選手としての大きな成果は上げられなかった。ヨーロッパでの選手生活も、後半は移籍が多く、あまり恵まれた状況になかった。それが引退を早めたのかもしれない。

中田選手は引退の理由を、サッカーをするのがあまり楽しくなくなってしまった、という言葉で表していた。体調やケガなども理由の一つだったかもしれないが、クラブチームで思ったような活躍ができていないことが大きかったと思われる。最後の所属はイングランド・プレミアリーグのボルトンで、1年期限のローン移籍ではあったものの、プレミアでプレイできることに大きな希望をもって入団したようだ。自身のブログにそう書いていた。ボルトンはプレミアでは中堅どころのチームだが、中田が移籍した前年はリーグ6位(過去最高順位)だった。そこにも希望をもっていたようだ。これだけ日本では注目を集め、スター選手だったにもかかわらず、意外なことに世界のサッカーの檜舞台、欧州チャンピオンズ・リーグには一度も出場の経験がない。サッカー選手の力量や活躍度を計るものさしとして、国の代表やW杯出場よりも重要で実質的、とされる世界最高峰のクラブチームを決める毎年の大会だ。

中田選手がチャンピオンズ・リーグ(CL)に出場できなかった理由のひとつは、所属チームのレベルの問題があった。イタリアのセリエAで7年間プレイした中田だが、所属したチームの中で最高レベルにあったローマは中田が在籍した2000/2001年シーズンに、18年振りのリーグ優勝を果たしCLに出場している。しかしその年のCLで中田はプレイする機会を得られなかった。セリエAでの7年間に、中田選手は5つのクラブを渡り歩いている。一つのクラブに1〜2シーズン在籍という速いペースである。ローマのような有力なチームでもっと長くプレイできていれば、CL出場のチャンスもあっただろうと思う。

ドイツのブンデスリーガで10年間の選手生活を送ったプレイヤーに奥寺康彦さん(1952年生まれ)がいる。ケルン、ブレーメンといった強豪チームに所属し、安定した活躍をしていたそうだ。ドイツでの2シーズン目には、CLの前身であるチャンピオンズ・カップ準決勝の大舞台も経験している。

イングランド、スペインなど欧州の中で有力な国のリーグであること、リーグ内で上位を保てるレベルの高いチームに所属すること、加えてその有力チームの中で主力となって活躍できること、そしてそこで長くプレーすること、これらすべての条件をクリアするには、高い水準のプレイと体の管理が要求される。中田はイタリアという有力国で、レベルの高いチームに所属もしたが、在籍が1年半と短かった。スコットランドのプレミアリーグで4シーズンプレイした中村俊輔は、3シーズンCLに出場しているが、スコットランドのリーグ自体はそれほどレベルが高くはない。でもチームがリーグ首位を保つことでCL出場権を得、中村は日本人最高の17回の出場を果たしている。W杯南アフリカ大会で活躍した本田選手(CSKAモスクワ)は、CL本大会2009/2010シーズンに4回出場し、チームは過去最高の8位をしとめた。ロシアはリーグのレベルも高く2位までに入ればCL出場権を得られるが、今年はチームが前年5位に終わったため、出場権を得られなかった。本田選手はまだ今年の1月に移籍してきたばかり、ぜひとも今年のリーグ戦を2位内に終え、来年のCLに出場できるようにするのが目標の一つとなるだろう。

そういえば前述のピート・ローズがイチローについて「マリナーズという弱いチームで安打を打ち続けることに価値はない。」と書いていた。挑戦状なのかエールなのか。ヤンキーズのような優勝への期待を背負ったチームで、厳しいマークを受けながらプレイすれば、全米の注目を集めるし、素晴らしさがより引き出されるだろう、ただし200安打は打てないかもしれないが、とも。そうやって引いて見てみると、大リーグを俯瞰したときのイチロー選手の見え方とともに、イチローの選手としての生き方の選択という側面も見えてくる。

ここまでの文章はウィキペディアの各選手のバイオグラフィーのデータを見ながら書いた。中田選手のようにもうこれ以上データを更新できない人もいれば、本田選手やこの夏ドイツに移籍した香川選手のようにこれからが勝負、どんどんデータを塗り替えていける人もいる。興味があるのはティエリ・アンリやマイケル・オーウェンなど10代のときから欧州で華々しい活躍をしてスター選手となり、今はピークを過ぎた30代を迎えて選手生活を続けている「実力者」たち。彼らの表情には不安と迷いの陰りがときに見える。アンリはNYは好きな街だからという言葉を残してヨーロッパを離れ、メジャーリーグというサッカーの新天地アメリカへと渡っていった。オーウェンは所属のチームが下位リーグに降格した2009年に契約が切れフリーの状態になった。そのときマンチェスター・ユナイテッドのファーガソン監督から声をかけられ二人で食事をし、二つ返事でこのチームにやって来たという。フリーだったため移籍金は0である。現在オーウェンの出場機会は多くない。が、得点をしたときの巧さは独特のものがあるし、観客もオーウェンに敬意を抱いているのが見てとれる。同じマンUのパク・チソン選手はもっと地味な選手だが、何よりこのチームでプレイし続けていることがすごいし、実力、経験ともにアジア選手の中ではトップクラス、それにまだピークを過ぎたわけでもない。ただ30歳を超えていくここ2、3年のプレイが、この先の選手生活と選手生命をどう終わらせるかにきっと関係してくるだろう。間近には共にプレイする仲間として、ギグス、スコールズといった手本にできる選手もいる。応援しつつ、見守っていきたい。

20100913

小説を探す旅

読む本がなくて困っている。読みたい本が減ってきたと思っているうちに、いま購読中の本を終えたら次に読むものがない、というような恐怖(?)さえ感じる。世の中では長期に渡る出版不況もあって、出版社が自転車操業のようにして本を多量に出版し続け、本屋さんには新刊が溢れているというのに、である。

知らないうちに自分の興味の範囲、守備範囲が狭くなってきたのだろうか? まあ、それも少しはあるかもしれない。テレビ番組などは地上波では見たいものがほぼ0である。自分が変わったのかテレビの方が変化したのか。なんとなくどーでもいいものを漠然と見ることがなくなった。でもテレビとは元々そういうものなのかもしれないのだ。

昔、知り合いと本の話をしていて、「じゃあ、あなたはいったい何を読んでいるの???」と聞かれたことがある。いくつかの著名な、あるいは人気の小説家の名前や書名を上げられて、わたしがどれも未読だったからだ。たとえば宮部みゆきのような。そのとき自分でも、いったい自分は何を読んでいるんだっけ?と思い返した。家の本棚には確かに本はいっぱいある。引っ越しのときなどは本の整理と売却から始めるほどだ。さて、自分は何を読んで来たのか。

ひとつ言えることは、小説などフィクションが少ないこと。よほどこれと思わないと、一つの小説世界に入っていくことが難しい。多くはノンフィクションか、何かについて(研究や体験からの成果など)解き明かしたもの、と言えるかもしれない。ただ小説も、少ないながら読むし、短編も中編も長編も読み、それぞれなるほど小説にしかできないことをやっているな、と感心したりもしている。

小説のいいところは重要なことが、ぎゅっと凝縮された形で受け取れることで、ノンフィクションのようにひとつのことを言うために、それを証明し納得させるための素材をずらりと展開しなくて(されなくて)いいことである。こういう人間がいた、こういう事件があった、というサンプルが充分なリアリティをもって語られればいいことで、全部が描き出されている必要はない。ある意味効率がいいのかもしれない。

小説でもノンフィクションでも、未知の世界がページを繰るごとにその先にあると予感されながら読むことほどわくわくすることはない。またある箇所で立ち止まり、しばらくそこに留まってその文章の感触を楽しみたい、言っていることをもっと深く感じたい、と思うような表現と出くわしたときは、幸せな気持ちになる。人生を、この世界の存在を積極的に肯定したい気分になれる。インド系アメリカ人作家ジュンパ・ラヒリの短編、中編にはそういうものがいくつもある。英語でも一つ二つ読んでみたが、同じように素晴らしかった。受けた印象は日本語でも英語でも、ほとんど変わりなかった。文章にそれほど強い何かが宿っているのだろう。

ここ最近読んでいるのは、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェというナイジェリアの作家の長編小説"Half of a Yellow Sun"。イボ族出身の美しくまだ若い女性の作家で、この小説では1960年代末のビアフラ共和国の誕生およびそれに伴うビアフラ戦争を題材にしている。1960年代初頭と1960年代末期が章を変わるごとに交替で表われ、何人かの魅力的な登場人物がそれぞれの時代をどのように生きたかが、効果的に語られている。主人公である双子の姉妹やその恋人を取り巻く、ナイジェリア南部の知識層、裕福層の人々の生活ぶり、夕方になると誰かの家に集まってグラスを傾けながら政治談義に花を咲かせたりするような、ハウスボーイやメイドに「サー」と呼ばれているような人々の日常が描かれている。と同時にハウスボーイや使用人たちとその田舎の暮らし、あるいはインテリたちの親の世代(魔術を信じているような)の話も同時に一つの核になっている。イボ語もたくさん登場する。ロンドンから帰国して流暢な英語を話す双子の一人も、ときにイボ語を話す。1960年代とはいえ、この小説の中では、インテリの女性たちは自立していて男に媚びることもない。アディーチェが描くアフリカ人の一方には、洗練された思想と生活様式をもつコンテンポラリーなアフリカ人の姿がある。

ナイジェリアといえば、ヨルバ族出身のチュツオーラが有名でわたしも楽しんで読んだことがあるが、他にもたくさんの作家がいる。ウィキペディアのアフリカの作家リストの中でも、専用のページが必要なくらい数多くの作家を生み出している。

読む本がない、本屋さんに行ってもなかなか読みたい本と巡り会えない、という中で、ネットを使って自分で作家を開拓していくのが案外早道なのかもしれない。英語で書いている作家の場合、ウェブで短編を読むことも可能なので当てをつけるのにいい。今、たまたまNew Yorkerのサイトに行ったら、アディーチェの"Birdsong"という作品が9月20日付けで掲載されていた。

本探しであと考えられるのは、昔の作家で未知の人(ドフとエフスキーとかシャーウッド・アンダーソンとかバルザックとか)の中に興味深い人がいるかどうか探してみること、それと、、、(今までほとんどしたことはないが)既読の本を繰り返し読むことを試してみるとか、だろうか。