20110215

地球上のさまざまな英語、そこから生まれる文学

日本に住む日本人にとって、母語の日本語の次に親しみのある言葉といえば英語である。現時点をとれば、おおむねどの世代にとっても当てはまるのではないか。日本には中国文字(Chinese Character=漢字)があるので、文字的には中国語のそばにいるとも言えるが、たとえ文字が同じでも読みが違うし、中国語が理解できるとは言いがたい。

世界の中でいちばん話されている言葉は何か。ウィキペディア英語版によると、多い方から、標準中国語、スペイン語、英語がそれを母語とする人間の三大言語であるそうだ。ある学者は、母語でない話者の数も含めれば、英語はおそらく地球上で最もよく使われている言語ではないか、としながらも、中国語も様々な地域語話者を換算すれば、英語話者を上回ると想定している。おおざっぱな見方をすれば、中国語と英語、この二つが地球で最も話されている言葉ということになりそうだ。

地球上で英語を母語とする話者の数は3億5千万人程度、ネイティブではないが公用語や第二言語として使っている人の数も含めれば、読み書き能力や言語習熟度によってカウントは変わるが4億7千万〜10億という報告もあるらしい。最大の英語話者国はアメリカの2億5千万、人口の96%に当たる。次がインドで人口比は12%に過ぎないが、人口が10億を超えるのでその数は1億人を超える。3番目がナイジェリアで7900万人、人口の約半数。ここで思ったのは、アフリカの中でも英語で作品を書く作家の数がだんとつのナイジェリア、英語話者が多いところから来ているわけだ。4番目にやっとイギリスが来る。5900万人、国民の98%が英語話者である。そしてもう一つ意外だったのは、5番目に来るのがフィリピンで、カナダやオーストラリアはその次である。これは元の人口がフィリピンは8400万と多いせいで、ただそれでも英語話者58%という高い比率を示している。

中国語の場合、広東語、福建語、上海語、北京語、、、など数あると思われるが、各方言間でどの程度違いが大きいのかは、中国語を理解しないのでわからない。想像するに、英語の方が、地域で違いはあっても、その核となる部分はおおむね近いものがあるのではないか。シンガポールは、元の人口が470万人と少ないので英語人口も比例して総数は多くないが、国語であるマレー語や標準中国語、インド系の言葉タミル語とともに公用語として使われている。これはイギリス統治時代の名残りと考えられる。ビジネスや政治では英語が主として使われているそうだ。ただ国民の比率でいうと、中華系が76%と最も多く、マレー系、インド系がそれにつづく。中華系の人の多くが英語と中国語のバイリンガルなのかもしれない。若い世代では2カ国語、3カ国語を話す者も多いが、古い世代では中国語しか話さない人もいるという。またシンガポールにはシングリッシュと言われる、地域英語がある。発音や語彙、文法にマレー語や中国語の影響が見られる英語である。国としてはシングリッシュではなくイングリッシュを話すよう、国民に求めているとそうだ。

ネットでSinglishと引くと、いろいろ面白いサイトが出てくる。たとえばシングリッシュとはこういうものだ、というムービーがある。「Singaporean Singlish kills the English language, Funny Talk」と「Singlish Chat on Phone」はほぼ同じシナリオを元にしたアニメーション。パーティをするのだけどどんなメニューがある?とレストランに客が電話をする、というシチュエーション。店主はバリバリのシングリッシュ・スピーカーのおばさん。その英語は「we haf de flu joos」というもので、fried riceを「Fly Rice(ハエごはん)」と言い、コーラを「Cock(鶏)」と発音して、いったいどんな飲み物だ、と客を戸惑わせる。どういう意図で作られた作品かわからないが、シンガポール人がみずからのおかしな英語を笑い飛ばし遊ぶジョークなのかもしれない。ジャパングリッシュというのはここまで確立されてないし、なにより日本人自身に自覚がないので、こういうジョークが生まれるにはまだ時間がかかるだろう。
Singaporean Singlish kills the English language, Funny Talk
Singlish Chat on Phone

英語を話す人の広まりの原因として、ひとつは移民によるものが考えられる。何らかの理由でアメリカやイギリスなどに移住し、そこで現地の言葉を話すようになる。中国人の移民のお年寄りの中には中国語しか話さない人もいると聞くが、その子どもや孫の世代では、英語が第一言語になっていくようだ。たとえ家庭では中国語を話しても、学校をはじめ外の世界では英語しか話さなくなるのだ。一世の世代は子どもに中国語を学ばせるため、週末に塾のようなところに行かせたりもするらしいが、本人たちは何故そんなものを学ばねばならないのかと、不満をもっていたりする。インド系のアメリカ人の様子は、ジュンパ・ラヒリの小説でよく描かれているが、ベンガル語の補習校に通って文字や言葉を学ぶ、という話はあまり聞かない。ただ同郷の人々はなにかと集まってパーティをしたり、コミュニティのようなものを作ってはいるようだ。

中国系のアメリカ移民で作家になった人はそれなりの数があるようだ。移民第一世代として作家になった人として、わたしがこのところ興味をもって読んでいるハ・ジンがいる。ハ・ジンは中国の大学で英語学を学んだ後、アメリカの大学に留学する。渡米後わずか5年の1990年には、英語による最初の詩集をアメリカで出版している(Between Silences)。それは10代の頃、人民解放軍の兵士として従軍していたときの経験を綴ったものだ。初期の小説や短編集は主に中国を舞台にしたものである。最新作の小説「自由生活」や短編集「A Good Fall」はアメリカに移民として住む中国人がモデルになっている。数々の文学賞をアメリカで受賞しているハ・ジンだが、最初の受賞は渡米後わずか10年のフラナリー・オコナー短編作品賞。カリフォルニア生まれのコミック作家Gene Luen Yangは「American Born Chinese」で知られる、子どもの世代の中国人作家。移民ではなく、赤ん坊の頃に養子としてアメリカに渡って来て、アメリカ人両親の元で育った中国人作家も出てきている。そういうケースだと、元の親や中国人コミュニティとの関係がなく、母語も英語となり、容姿だけ東洋系の普通のアメリカ人として育つ。中国からアメリカへの養子は多いようで、ハ・ジンの小説にも登場するし、わたし自身もそういう人を知っている。

移民や養子によるアメリカへの移住に対して、イギリスの影響が大きいのが旧植民地の国々である。ボツワナ、ジンバブエ、ケニアなどのアフリカ諸国、インド、パキスタン、バングラディッシュ、マレーシア、パプアニューギニア(オーストラリアの信託統治)などの国々は、第一言語ではないものの公的な言葉として英語が広く使われている。中南米諸国にもイギリスの統治の影響で、英語が第一言語として使われている国は多い。ハイチやジャマイカなどの国々では、英語の他にクレオール語(アフリカやインディオの言葉とヨーロッパからの言葉が混合した言葉)も使われているようだ。南米で唯一英語が第一言語の国、ガイアナは国民の約半分がインド系、残りが黒人、混血、インディオなどで、ヒンディー語やインディオの言葉も一部使われているようだ。こういった他の言語の共存もありつつ、英語を主要言語とする国々からも、英語で作品を書く作家は生まれている。

文学の世界では、こういう出自の作家の作品をポストコロニアル文学、あるいはNew English Literature(s)と呼んでいるらしい。移民文学(migrant literature)とは成立がまったく違うが、複数の言語や文化集団の中に身を置き、そのギャップがその人間の感性や思想に影響を及ぼしているという意味で、この二つには共通するものがあるように思う。日本=日本人=日本語、それ以外、それ以上の状況を想像しにくい文化集団に住む人間からは、簡単には理解できないものがある。ポストコロニアル文学や移民文学を読むこと、そこで描かれている世界を知ること、そういう作家の視点に気づくこと。ここ何十年かの間に、世界のあちこちで体験された個人の歴史が大きなうねりとなって、今、文学の中に吐き出されているようなイメージがある。

一つ言語や一つの文化集団に収まりきらない人間のありようを文学を通じて体験していきたい、そのような意図から、葉っぱの坑夫では、新しいプロジェクトをスタートさせようと、今準備を進めている。タイトルには「Birds Singing in New Englishes/とり うたう あたらしい ことば」というものを考えている。birdには移動する生きもの、境界を越える鳥、渡り鳥、というイメージを、new Englishesには旧英語圏の外にある様々な文化の香り漂う英語のイメージを託している。Englishが複数形になっているのはそのバラエティを表現している。どういう作家を選ぶかを検討する中で、だんだんプロジェクトの輪郭が形をとるようになってきた。スタートは3月以降になると思う。



*Singlishのアニメの中で、シンガポール人の客は「auntie」という言葉でレストランのおばちゃんに話しかけている。親戚でもない人に「おばちゃん」と話しかけるのは彼らの生活習慣から来ているものと思われる。日本でもテレビの取材などでよく「おばあちゃん、お元気そうですね」などと呼びかけるのと一緒だ。現代の英語圏、もしくは西洋語圏ではあまりないことだろう。ナイジェリア人がヨーロッパで年配の女性に対して、ファーストネームの呼び捨てにするのがどうしても抵抗感があって、名前の前に「mama」と付けて相手に不審がられる、という話もある。同じ英語を使っていても、使う人の心情や文化環境によって、使用法が変わってくることの例だろう。

20110201

著作権とどう付き合っていくべきか、考えてみた

去年の暮れに著作権についていろいろ考える機会をもった。ある出来事をきっかけに、著作権というものに対して、それに関わる人々がどのような考えをもってそれを捉え、行動の規範にしているかに触れることになった。

もともと著作権については、葉っぱの坑夫スタート以来、折に触れて考えることはそれなりにあった。まずウェブ出版社として、作家たちから作品を提供してもらったり、翻訳の許可を得たりする際に、著作権者と連絡をとる必要があった。文学などのテキスト系、音楽、絵や写真、この三つでは著作権者の周辺事情はだいぶ違う。日本では、文学の場合は作家本人ではなく出版社が著作権処理の代理人的な役割をしている印象がある。出版社による作家の囲い込み的な目的もあるのかもしれない。欧米などの英語テキスト圏では、出版社ではなく、作家の代理人が業務を請け負っているケースが多いようだ。ただ作家といっても、まだ新人であったり、新人でなくても、インターネット上でブログを書いていたり、自分の情報をオープンにしていて、直接連絡が取れる人もいる。そういう人であれば、本人と直接交渉することが可能だ。作家と代理人や出版社との間で、何か特別な約束事があるにしても、法律上の著作権そのものは作家本人に所属するものだと理解している。

音楽の場合は、作詞、作曲、演奏者などの権利が著作権法によって保護されている。商業音楽の世界では、その取扱い機関として、日本音楽著作権協会(JASRAC)というところがあり、作家の依頼を受けて管理をしているケースが多いようだ。作家自身が著作権処理をしている場合や、JASRAC以外の機関に頼んでいる人もいるかもしれない。一時期、JASRACへの批判が高まったときに、複数の音楽家が集まって別の権利団体を作ろうという動きがあったのを覚えている。音楽の使用許可を得たい側から言うと、管理団体があってそこに定型化された申請をすれば済むというのは、事務的なのである意味楽とも言える。作家の連絡先を探して、使用料の交渉をして、という手順を踏まなくて済む。

文学にもこういう管理団体があったら、便利かもしれないとも思う。作家が自作を登録し、一定の管理料を払って、著作権業務を委託する団体。そうなると出版社の囲い込みから作家がはみ出してくるので、出版社にとってはあまりありがたくない仕組になるかもしれない。ただもしそういう団体があって、作家が自作を登録していれば、作品の二次使用や翻訳の許可がネット上で簡単に取得できる可能性がでてくる。古い作品や短編などが再登場して、広まる可能性を秘めている。作家と直接の関係をもたない出版社が、複数の作家のアンソロジーを編んだり、翻訳出版するなどの企画も生まれるかもしれない。現在は、(日本では)作家自身が出版社に恩義を感じていたり、著作権にうといことから出版社を頼り、また出版社の方も作家を育てているという感覚からか、この両者の結びつきの強さにより、オープンな著作権管理団体など必要としていないのかもしれない。

絵や写真の世界はどうか。詳しくは知らないが、アメリカなどではギャラリーが作家を抱えていて、代理人の役割を果たしているように見える。日本ではフリーランスのイラストレーターや写真家は、よほど手広く活動している人以外は、作家自身が管理しているように見える。出版社や広告代理店との繋がりの深い人は、それらのところが代理をしているかもしれない。インターネットで自身のウェブサイトをもち、自作を紹介している写真家やアーティストは、文学の作家よりずっと多いのではないか。

著作権の元々の考え方は、何かものを作って公開すれば、その作品の使用に関して著作者が権利を主張できるというものだ。使用の際の対価やどのように使用されるかについての判断に、著作者は権利をもっているものと考えられる。著作権は特許のように申請制ではなく、作品を発表した時点で自然発生するので(ベルヌ条約などの無方式主義により)、この世にある音楽やテキストや絵は、誰のものであれ、有名作家のものであれ子どもの描いたものであれ、皆著作権が存在することになる。作者の死後50年(アメリカ、ヨーロッパなどでは70年)たったものは、自然消滅する。

著作権の存在するものを使用する際は、本人または代理人から許可を得る必要がある。これは法律で決まっているからでもあるが、そうでなかったとしても、他人のものを使用する際には、作者にひとこと声を掛けるという行為は、人間として自然なことでもある。たとえ素人画家でもアマチュア作家でも、自分の作品が見知らぬところで勝手に印刷され、値段をつけて売られていれば、あまりいい気持ちはしないだろう。ひとこと言ってくれればいいのに、と思うのではないか。お金が目的で創作行為をしていない人なら、本にしたい、CDにしたい、と言われれば、対価なしでも喜んで許可をするのではないだろうか。更にはお礼を言われるかもしれない。

わたしの知っている例では、あるインディーバンドの人々が、古い歌をアレンジして何曲かレコーディングしてCDにした。その楽曲の中には既に著作権が切れているものもあったが、まだ生きているものもあった。数曲に著作権が存在していることは知っていたが、そのバンドの人々は作者や代理人に許可を得ないままCDを制作、販売してしまった。作者(または代理人)に許可を得なかった理由として、そのバンドの人々は、規模が小さなプロジェクトだから問題ないと考えたようだ。こういう考え方はアマチュアバンドやインディーズの人々の間では、もしかしたら普通に通っていることなのかもしれない。ただ著作権の基本の考え方からすると、「私的な使用」または特定の条件を満たしている上演や上映(非営利、入場料、出演料無料など)を除いて、使用者の責任として許可を得なければならない、となるだろう。それが作品の作り手である著作者の権利を守ることになるからだ。

「私的な使用」の範囲は明文化されていないかもしれないが、自分が楽しむための個人的な領域内と捉えるのが常識ではないかと思う。著作権がある作品を無許可で演奏し、自宅のパソコンでCDRに焼いて、10枚、20枚つくって友だちに配る、あるいは売る、という行為が私的な使用の範囲かどうかは議論が分かれるところかもしれない。が、論理的に言えば、自分の記録保存のために1枚のCDに焼いてとっておく、というあたりが基本的な「私的な使用」の範囲だと思う。数は少なくても10枚、20枚の複製を作ることは、「個人」を超えた行為と見なされてもしかたない。

パソコンと周辺機器の進化と普及によって、多くのアマチュアやインディーズの人々がそれなりのクォリティで、しかも安価に、音楽CDの制作ができるようになった。誰もが「アーティスト」としての活動ができるようになったということだ。これまでプロでなければ手をつけにくかったことが、アマチュアの人々の手に渡り広がった。これぞ技術と社会の進歩というものであり、人間にとって豊かで良いことであるのは間違いない。ただ、得難かったものが手に入った、ということは、その権利の取得とともにある種の社会的な責任もついてまわることに気づかなければならない。

社会が進化していく中で、人々がその恩恵を受け、その成熟した社会を更に良いものにしていくには、個々の人間の社会への理解が必要と思われる。自分という人間が社会の中でどういう意味をもち、どんな役割を果たしているのか、自分対社会、という少し引いた位置からの目線で眺めてみることも大切だと思う。自分のやっていることが、周囲の友人、知人を超えた範囲の場所で、どういう影響をもたらすか、想像する力を持つべきだと思う。高価で精密なオモチャを子どもが欲望にまかせて振り回すようなことではない、自分の手にしているものをしっかり認識し、それをどのように使うかの知的な判断も含めて、良い作品を生み出そうとしている「アーティスト」の人々には正しい選択をしていってほしいと思う。

JASRACのような管理団体も、作家たちが自分の権利を守るために業務を委託している組織であり、もし不備なところや好ましくないところがあるのなら、作家たち自身がその改善に尽力するべきだろう。ホームページを見るかぎりでは、こういった管理団体も、今の時代のアマチュアやインディーズの活動に合わせて、他人の楽曲を使用する場合に簡単に申請や使用料の試算ができるシステムを用意しているようで、ごく小さな規模の活動にも対応しているようだ。であれば、アマチュアであっても、こういう仕組を使って、自分たちの活動をより明確な形で社会にアピールしていくことは、音楽の制作にもいい影響を及ぼすのではないかと思われる。