フットボール、その文化的側面(1)
*この原稿はアメリカのオンラインマガジンに英語で書いたものを日本語訳したものです。日本語版では一部、説明を加えたり、日本向けに変更したところがあります。こうやって両言語で書いてみると、改めてそれぞれの言語の読者の姿(前提としなければならない知識の範囲や常識)に思い当たり興味深いです。CNNのワールドスポーツをケーブルテレビで見ていて、気づいたことがあった。ワールドスポーツは一日に何回か放送している「世界のスポーツ」を紹介する30分番組。そこで扱うスポーツは様々だが、ヨーロッパのサッカーリーグのニュースが結構多く、シーズン開幕前でも、夏のツアーや移籍情報、選手へのインタビューなどほぼ毎日何らかのトピックを扱っていた。アメリカはサッカーより、アメリカンフットボールやバスケット、野球の国だと思っていたので少し意外だった。
確かにCNNは世界2億世帯に視聴されているニュース網で、しかも「ワールド」スポーツなのだから、自国の嗜好とは別の放送をしていても不思議はない。そうであっても、日本ではこういう立ち場(世界視野)からのニュースがないので、意外な感じがする。
この夏、マンチェスター・ユナイテッドとバルセロナの両フットボールチーム(どちらも昨シーズンのチャンピオンズ・リーグのファイナリスト:ヨーロッパのクラブチーム最高峰を決めるリーグ戦)が、それぞれ夏のアメリカツアーを行なった。6月、7月はヨーロッパサッカーのオフシーズンで、多くのビッグクラブが世界各地でツアーをやっている。昨シーズンのファイナリストは揃ってアメリカツアーをやっただけでなく、対戦もした(このゲームでは昨シーズンの敗者が勝っている)。アメリカにはMLSというサッカーのメジャーリーグがあるが、実はそこには、ヨーロッパでかつて活躍したスター選手の何人かが、最後の選手生活を送っていたりもする。デイヴィッド・ベッカム、ティエリ・アンリなどの選手だ。マンチェスター・ユナイテッドは今回の夏のツアーで、MLSオールスターズのチームとも対戦した。こういうニュースを聞いていると、アメリカにも結構なサッカーファンがいるのではないか、そういう土壌が育っているのではないか、と思えてくる。
いずれにしても、サッカーは、選手、観客、テレビ視聴者において世界最大の人口数を有しているスポーツだ。子どもから大人まで多くのファンがいる。あらゆるスポーツの中で、もっとも影響力の強い競技ではないだろうか。サッカーはごくシンプルなスポーツだ。サッカーをするのに道具はいらない。数人のプレイヤーとボール一個あれば(もしボールがなければソックスを丸めて使えばいい、と言ったのは元日本代表の中田英寿)どこでもできる。
わたしはサッカーファン、テレビで見るだけの観客ではあるが。Jリーグ創成期に、一度だけ競技場に足を運んだことがあるだけだ。そうであっても、1998年のワールドカップ・フランス大会からずっと、サッカーを楽しんできた一人だ。その年、日本代表は長年の苦労を超えて、初めてワールドカップに出場した。それでテレビでいくつかの試合が放映された。決勝戦のブラジル対フランスの試合を朝早く起きて見たことを覚えている。ここからわたしのサッカー観戦が少しずつ始まった。
といっても、日本代表の話をしようとしているのではない。正直に言えば、「我が(国の)」チームというものにはまったく執着していない。わたしは日本で生まれ、日本で育ち、今も日本に住んでいる。日本人であれば、そしてサッカーファンであれば、95パーセントくらいの人(在日朝鮮人などを除き)が、日本代表を応援しているのではないかと想像される。でも実際のところ、サッカーファンであることと、愛国者であることは何の関係もない。一般にスポーツを見るとき、たとえばオリンピックなどでは、たいていの人は日本の選手やチームを応援する。それが当たり前と思われているし、テレビなどのメディアもそれを前提に放送している。しかしながら、それはスポーツの本質とはあまり関係ないことだと思うのだ。スポーツを戦争にたとえて言う人がいるのは知っている。が、今のこの時代、21世紀において、わたしにはそうは思えない。スポーツは、わたしたちが考えてきたよりもっと、心の広い、可能性を秘めたものではないか。
スポーツには考えてみるに足る、様々な側面がありそうだ。中でもサッカーはいくつかの意味深い点を有している。なぜならまず、サッカーは世界中の国々でプレイされてきた。豊かな国から貧しい国、キリスト教国からイスラム圏、共産圏から資本主義国まで。サッカーは地球上のあらゆる種類の人々に、ずっと昔からプレイされてきた。それはサッカーがごく単純なスポーツで、ボール一つあればどこでも遊べる競技だからだ。スーダンの難民キャンプで、子どもたちがサッカーで遊んでいると本で読んだときは驚いた。10歳前後の子どもたちが、食べるものも満足にない中、サッカーで遊んでいるのだ。そこでは飢えや病気で毎日死んでいく子どもがいるというのに。これは何を意味しているのだろう。サッカーで遊ぶことは、人間の本質、あるいはそれに近い部分と何か関係しているのかもしれない。わたしたちは食べ、眠り、子孫を増やし、そして遊ぶ。
わたしの好きなサッカーチームと言えば、韓国代表チーム。プレイスタイル、ファイティングスピリット、何人かの才能あるプレイヤーに惹かれてのことだ。韓国代表が日本代表と対戦するとき、もちろんわたしは韓国代表を応援する。アメリカ代表チームも好きなチームだ。彼らはいつも素晴らしいプレイをするし、ランドン・ドノバンのような選手は、強いハートでしばしば印象的なプレイを見せてくれる。ワールドカップ南アフリカ大会で、ドノバンは信じられないような決勝ゴールをあげ、見ている者の心をわしづかみにした。アルジェリア戦の後半ロスタイムでのことで、アメリカはグループリーグを突破するためにぜひとも勝ちが必要だった。だから彼のゴールは値千金のものだった。わたしはドノバンがイングランドのプレミアリーグ、エバートンでプレイしていたときを知っている。アメリカのクラブからのローンでの、たった3ヶ月のことではあったけれど、ドノバンは素晴らしいプレイを披露し、エバートニアンから熱狂をもって受け入れられ、愛されていた。その後彼はアメリカに帰ったが、エバートンのファンはそれをとても残念がっていたようだ。(つづく)