20120130

動画で聴く音楽の楽しみ

1ヶ月前くらいだったか、偶然みつけたYouTubeの動画に面白いものがあった。ノルウェーの夏の風景を撮ったもので、見始めてすぐああなんかいいな、見ていて心地いいなと思ったのだ。全編が車中から撮影したもののようで、バックの音楽に乗って画面は滑るように動いていく。水辺を車は走っているようで、海なのか湖なのか画面には常に水の風景が映し出され、それに空、山、変わった形の岩山、水辺の家々などが心地よいテンポの中、次々に現われる。(タイトルにあったので調べたら、ノルウェー最北部にあるロフォーテン諸島のようだ)

数分の映像だが、フルスクリーンにして見てみて驚いた。画像が非情に美しい。画像の精度は高いが、まったくストレスなく見られる。もうこれくらいのストリームは何でもないのだなと思った。音楽も悪くないし、フルスクリーンで見てみて、何か新しい映像の、というより音楽のあり方を感じた。この「Norway Summer 2011 -Lofoten」という映像をつくった人は、クレジットによるとMArioという人で、最後にFilmed by MArioと出てくる。プロなのかどうかはわからないが、全体のつくりはいたってスムーズだ。音楽はどこから取っているのかちょっとわからない。最近ではエイベックスなどで、ニコニコ動画用に無料で許可なく使える楽曲が提供されていると聞くから、他の国でもそういう動きはあるかもしれない。

Norway Summer 2011 -Lofoten
by MArio



こちらも偶然見つけた音楽映像だが、ブラジルの作曲家エルネスト・ナザレーのピアノ曲「Odeon」を様々な人が弾いている。最初に見たのがLars Roosというピアニストの弾く「オデオン」。フルスクリーンで見ても映像はきれいで音もOK。演奏も悪くない。ナザレー(1863 - 1934)はブラジルのショパンとも呼ばれた作曲家、ピアニストで、タンゴやポルカ、ワルツなどブラジルの香りのする情熱的で生きのいい音楽をたくさんつくっている。因みにこの「オデオン」という曲は、ナザレーがピアノ弾きをやっていた映画館オデオン座にちなんだものらしい。

Ernesto Nazareth
ODEON
1.Lars Roos


次に同じ音楽をClaraさんという女の子が弾いているものを見つけた。ピアノはグランドピアノだが自宅、あるいは学校の教室のような場所での演奏。途中やや危なげなところがあるものの、全体としては気分よくテンポよく弾いていて、この曲の心をつかんでいるように見えた。こういう演奏はいいと思う。

2.Clara Zendejas


こちらも同じ「オデオン」。コンサートホールの映像らしい。Bernd Lhotzkyというピアニスト。そつなく弾いているが面白みはない。とわたしは感じた。面白いのはこの演奏にはたくさんの人がコメントを寄せていて、「ひどい演奏だ」という人もいれば「明らかにすばらしい」と反論する人、ちゃんと弾いてるけど感情が伝わってこないという言う人、ナザレー自身が弾いてるのを聴いたけどもっとゆっくりだったと言う人、それがどうした音楽は自由にやっていいものだという人、等々、議論が白熱していた。

3.


最後はFredrik Wangerという人の演奏。ちょっとこれも他の人と違っていて興味深かった。撮影場所は自宅か。
4.



同じ曲を様々な人(プロのピアニストからアマチュア演奏家まで)の演奏で聴き比べるのは面白い。これ以外にも、年配の夫婦が一台のピアノでなかなかの手並みで連弾している微笑ましいもの、かなり高齢と見受けられるラテン系男性がよたつきながらも楽しげに乗って演奏しているものなど、いくつもの「オデオン」があった。もしナザレーが見たら、なんというだろう。


Maria Joao Pires e Antonio Meneses
もうひとつ。ポルトガルのピアニストで近年はブラジルに住むマリア・ジョアン・ピリスの去年のコンサートから。チェロとのデュオで素晴らしい演奏。映像も美しい。



さて、YouTubeの埋め込みコードを使って各映像を表示しているが、著作権は大丈夫なのか? 多分、YouTube自身は検閲をしていないと思うので、すべての映像に共有ができる埋め込みコードが表示される。これはできない、というものがない。YouTubeにある映像が許可されたものなのかそうでないのかは視聴者には判断できない。サッカーなどの試合中継の映像は、テレビ局がというよりは多分、クラブ側が見つけるとすぐに消去してしまうケースが多い。欧州のクラブではたいてい有料で試合の模様を販売しているので、無料のものが出回るのは困るから監視が厳しいのだろう。では音楽家はどうなのか。自宅で撮影されたものはその映像の出所から推測して、本人または関係者が投稿している可能性が高い。それ以外のものは不明だ。音楽家にとって、コンサートの映像が無許可で外に出てしまうことは不利益かそうでないかは、個々の判断にばらつきがあるだろう。

今月18日のWikipedia英語版の24時間Blackoutなど、インターネット界の反対にあって、米議会で票決が無期限に延期されたSOPAとPIPA二つの法案(インターネットを介した不正コピーを防止するための法案)。しかし今後もインターネットにおける著作権侵害の問題は続くことだろう。視聴者であると同時に投稿者でもあるユーザー、募金を読者につのりつつ無料での閲覧を提供し続けるウィキペディアのような活動あるいはサービス、そしてGoogleやYouTube。わたしも含めて、ウィキペディアやGoogle、YouTubeなしでは暮らせない、と思う人は世界中にたくさんいるだろう。ウィキペディアの英語版で作曲家を調べていたら、いくつかのページで演奏の動画が使われていた。YouTubeからの動画だ。百科事典もここまできたかと思った。ある作曲家について調べていて、その作曲家の楽曲の演奏が参照できる。読者としてはこれほど素晴らしいことはない。「著作権の問題」を抜きにすれば、人間の知的生活の前進であり、日々を豊かにする大きなプレゼントである。

人間の生活を豊かにするものだが、ときに人間の権利を侵害もするもの。いずれ(どれくらい先の話になるかはわからないが)人間はその落ちどころを見つけるだろう。それまでどれだけの議論がかわされることになるのか。そこに人間の英知を見ることができるのだろうと思う。

20120115

十六歳の冒険

十六歳とはどんな年齢だったか。一人の日本人少年の世界旅行の記録を読んでいて考えた。ときは1979年5月、その少年は二年前から計画、準備していた一年半に及ぶ世界一周の自転車旅行を実行した。旅の二年前、中学三年のときに思いついたその計画は、高校は定時制高校に行き、昼間働いて夜学校に行って資金をつくり、二年生になったら休学して旅に出るというものだった。

両親には旅の二年前、定時制を選ぶことを話すときに旅の計画について話したらしい。が、当の親はその案を認めたものの、どこまで本気と理解していたかはわからない。それに旅の実行は二年先なのだから、そのときが来てから反対しても遅くないと気楽に受けとっていた可能性もある。二年もあれば人の気持ちも変わるもの、とくに成長著しいこの年齢の「子ども」が一つ考えを維持できるものかどうか。

が、この少年オリザくんはとことん本気だった。あらゆる計画が隅々まで念入りな一方、事の進め方や決断には思い切ったところがあり、世の中もそれなりに見えていたようだ。資金を貯めるためのアルバイトは、いくつか試した後に、新聞配達を住み込みですることにした。親には反対されたが、本人によれば親から離れて住み込みで働くことは独立の一歩、そもそも世界一周旅行は未来の自分の自立、独立への切符でもあったらしい。

オリザくんは旅の実行の年の一月に、正式に両親に旅の計画を発表した。詳しい旅の計画書もちゃんと書いたあった。一年半といえば、それなりに長い年月である。1970年代というのは、大人でもそれほど多くの人が海外旅行をしていた時代ではない。経験した人も、そのほとんどが団体旅行だった。そんな時代に、弱冠十六歳にしてオリザくんは一年半の旅に出た。泊まるところさえ決まっていない、風来坊的旅行、しかも乗り物は自転車。

オリザくんの両親は一年半という年月は長いので、途中で一時帰国することを提案する。しかしもちろん息子から拒否される。旅先から手紙を書くことすら放浪の冒涜、と考えていた本人とすれば受け入れがたいことだったろう。でもこの少年はそれなりに心の寛い人間だったようで、そんなに会いたければそっちがくればいいだろう、と言ってしまう。それに飛びついた両親は、じゃあ半年後にハワイあたりで会おうと提案する。が息子は即座に、計画では半年後はエジプトにいるから無理だと言う。ところが考古学に興味のある父親はエジプトと聞いて、ピラミッド、、、それだ、とばかりに盛り上がり、半年後オリザくんはエジプトで両親と会うことになるのだ。

なんという息子、なんという親だろう。素晴らしい。

わたしがオリザくんの旅の顛末を知っているのは、オリザくんが旅から帰った十七歳のときにこの旅についての本を書いて、翌年出版したからだ。1981年、「十六歳のオリザの未だかつてためしのない勇気が到達した最後の点と、到達しえた極限とを明らかにして、上々の首尾にいたった世界一周自転車旅行の冒険をしるす本」という長い長いタイトルの本が、晩聲社という出版社から出版された。装幀は鈴木一誌さんでブックデザインもいい。出版社がこの旅の記録の価値を認めて出版したことが伺える。ソフトカバーのペーパーバックであるところがまた洒落ているし、本の分量も充分、中の写真や旅の行程を地図に記した手描きイラストも素晴らしい。そしてなによりもこの本を一級品にしているのが、オリザくんの旅の顛末の紹介から全行程の記録に至るまでのテキストだ。過不足のない完璧さで書かれ、仕上げられている。目次の文章(タイトル)がまたよく出来ていて、これをずらずらと読むだけでワクワクさせられる。

うーん、十七歳、あなどれない。

十四歳の少年が一人でこっそり世界旅行を計画し、十五歳で周到にその準備に入り、十六歳で実行、一年半後に帰国した十七歳は旅についての本を書き、翌年十八歳で出版する。これを聞いただけですべてに渡っての能力の高さを実感させられる。彼は、オリザくんは天才なのか。そうかもしれない。のちにオリザくんは、本名である平田オリザという名で劇作家になる。このジャーナルで去年の11月、「対話ができる人、できない人」で取り上げた平田オリザさん、その人である。

十六歳とはどんな年齢だったか。

親として自分の息子や娘を見るときは、今の時代であれば、十六歳はまだまだ頼りない「子どもの領分」にいる人間である場合が多いだろう。が、事実は、中学生になる年齢くらいから、自分を見る目社会を見る目が確実に備わり、驚くような新奇な発言を発するようになり、親は新しい世代の人間ここにあり、と感心させられることもあるのではないか。親が子どもの成長を目の当たりにして至福を感じる瞬間だ。

いっぽう自分の十六歳を顧みてみれば、親を離れ自分のことだけに視界を広げようとする時代だったと思う。わたしの場合、十六歳のとき、当時住んでいた地方都市を離れ、親元を出て、東京のバレエ団に入るために転校手続きをしようとしていた。本人には強い意志があったけれど、最終的に親の一人がこの決定を受け入れられず、泣く泣く元の高校に戻り卒業まで家を出ることは叶わなかった。泣く泣くというのは言葉の表現上のことではなく、すでに決定し手続きも終えたことが最後の最後に他人の意思でくつがえされたことに憤り、激しく抵抗して実際に大泣きした。それにしても、オリザくんと違ってなんと無力だったことか。世界旅行ではなく、東京に行って勉強するだけなのに。オリザくんの親と自分の親の、子どもへの信頼度の違いなのか。確かにオリザくんは親に恵まれていたとは思うが、本人の用意周到さもまた半端ではなかったから、その点でもわたしは負けていた。

今デスク脇に掛けられている葛西薫さんデザインのカレンダーの一月九日のところには、小さくComing-of-Age Dayという文字が赤字で書かれている。成人の日を記しているわけだが、この日が「一月の第二月曜日は祝日」という意味以上に表していることは、今では小さくなっているのかもしれない。成人の日が意味をもった時代もあっただろうけれど、今となっては「タバコとお酒」というボーダーラインもたいした魅力はないわけで、何をどう祝ったものかはっきりしないのが現状ではないか。あるいは元々それほどたいした意味のない記念日だったのかもしれない。

大人への道は十代の半ばころにもう、スタートしている。オリザくんが世界旅行によって自立と独立の予行演習をしようとしたように、誰にとっても、そのあたりから大人への過程を歩み始めているのだ。親から距離を置き、自分だけのことを考えて世界に出ていくこと。その大切な時代が十代半ばなのだと思う。その時期にしっかりした自覚を自分の中にもてないと、三十代、四十代になっても親離れができない人間になってしまう可能性がある。




新版・十六歳のオリザの未だかつてためしのない勇気が到達した最後の点と、到達しえた極限とを明らかにして、上々の首尾にいたった世界一周自転車旅行の冒険をしるす本(364ページ、ハードカバー、1996年、晩聲社)




文庫版・十六歳のオリザの冒険をしるす本 (450ページ、2010年、講談社文庫)