今シーズンのベストゲーム、ベストチーム、ベストプレイヤー
去年の今ごろ、「世界最高峰を決めた夜」というタイトルで、ヨーロッパのサッカークラブの最高峰を決める、チャンピオンズリーグ(CL)の決勝戦について書いた。そして今年も昨土曜の晩(日本時間でおとといの早朝)、ドイツのミュンヘンで、今年のヨーロッパ一を決める試合が行なわれた。
去年はイングランドのマンチェスター・ユナイテッドとスペインのバルセロナFCの対戦で、どちらもすでに国内のリーグ優勝を果たした後のCL決勝戦だった。今年の決勝戦2チームはイングランドのチェルシーFCとドイツのバイエルン・ミュンヘンで、どちらも今シーズンリーグ優勝は逃していた。
実質的には世界一、と言われるヨーロッパのCLは、中でもその決勝は、世界じゅうのサッカー選手が考えうる最高の舞台。4年に一度の国対抗のワールドカップも世界一を決める舞台ではあるが、近年はW杯よりCL優勝の方がサッカーファンの注目度が高い、とも言われている。
スポーツというのは面白いもので、文学や音楽、演劇などと同様、勝敗の結果だけが注目点ではない。確かに最後のところで勝敗があるから、はっきりとした結末があり、それは取り返しようのないものだけに、勝負への執着はやる側にも見る側にも強く残るのだが。スポーツにおいて見るべきものが結果だけはないとすれば、それは何か。ひとことで言うのは難しいけれど、いわば人生と同じようなもの、なのかもしれないと思う。人はひとつの人生で、いかに生きるかを考え、何を成すかを探し、自分にできることを探り当て、それを一直線に、あるいは迷いさまよいながら進んでいこうとする。多分一人の人間にとって、死ぬまでにそれを果たせたかどうかは重要だと思うが、やはり成果だけではなく、それを果たすために何を自分がやり抜いたかが、意味あることとして残るように思う。
文学などの芸術と言われるものが扱っているのは、主としてその過程のことではないか。結論だけが重要なのであれば、小説も最初と最後を読めばことが足りる。
さまざまな人間活動の中で、文学や音楽に対して大きな敬意をはらっている自分だが、スポーツに対しても同じくらい、得るもの(楽しみや学び)が大きいと感じている。これまでテニスやボクシングなど、主に国際試合の対戦をテレビで見てきたが、ここ10年はサッカーの国際試合が中心だ。(ケーブルテレビのJSportsを見ていると、自転車競技からホッケー、ラグビー、ダーツと様々なものが世の中にあるのは知っているが、今のところサッカーで手一杯の状態)
さて、今年のチャンピオンズリーグである。今年は様々な番狂わせが起きて、たとえば去年決勝戦出場のマンチェスター・ユナイテッドが、グループリーグの段階で勝ち点が稼げず、決勝トーナメントに進めなかった。スイスのバーゼルという強豪とは言えないチームに、ホームでもアウェイでも勝てなかったのには驚かされた。また今シーズン、イングランドのリーグで、ユナイテッドを最後の最後で抜いてリーグ優勝を果たしたマンチェスター・シティが、グループリーグで敗退してしまったのも意外だった。決勝戦出場のバイエルン・ミュンヘンと、グループリーグでは互角の戦いをしていたのに。
イングランドから出場した4チームの中で、最も期待されていなかったチェルシーFCが決勝に残ったことは、サプライズの一つだった。チェルシーは元々は強いチームで、リーグ優勝に常にからむような実力派ではあるが、今シーズンは不調がつづき、3月には期待されていた新任の監督もついに解任。リーグ戦は6位という不名誉な結果に終わっていた。この順位では来年のCL出場はできない。(今年のCLで優勝すれば出場の特典が与えられる)
今年のCLは、スペイン勢同士の最終対決になるのではないか、という見方が早くからされていた。去年の王者バルセロナFCとレアルマドリーの2チームが、誰もが納得する最有力候補だった。前年CLの後は、バルセロナに勝てるチームは、世界中探しても当分見当たらないだろう、とまで言われていた。勝てる可能性があるのは、レアルマドリーくらいだが、リーグではなかなかバルサに勝てなかったのが先シーズン。今シーズンは、バルサの調子が今ひとつとも言われていて、リーグ優勝もレアルマドリーに明け渡していた。ただしスペインリーグでも、CLでも得点王はバルサのスター、メッシが取っていて、その活躍ぶりは群を抜いていた。
今年のCL準決勝に残ったのは、レアルマドリー、バイエルン、バルセロナ、チェルシーの四つのチームだった。レアルマドリーとバイエルンはホームとアウェイで互角の戦績だったが、最後のPK戦でレアルマドリーが三人の選手が得点できず、敗退した。バルセロナとチェルシーについては、多くの人々が、サッカーファンからサッカー評論家、スポーツコメンテーターまで、当然バルセロナが勝ち抜けると思っていたようだ。が、第1戦でホームのチェルシーが1−0で勝ち、試合を有利に進めた。バルセロナが無得点に終わったのは、サプライズと言ってもいい。たとえアウェイでの戦いであれ、あれだけ得点力のあるチームが無得点とは。アウェイでの得点は、2試合の得点合計が同じになったとき有利に働くので重要だ。第1戦が終了した時点で、チェルシーの勝ち抜けの可能性は出てきたが、カンプノウ(バルセロナのホームスタジアム)での第2戦では、バルサが大量得点して簡単に挽回できるのでは、と思う人がまだ多かったのではないか。バルサに(特にカンプノウで)勝てるチームなどいない、という思い込みと、今年のチェルシーはリーグで低迷してるから期待できない、というのが理由だ。
そうした周囲の見方の中、バルセロナのホームでの第2戦が行なわれた。バルセロナはいつもどおりボールを長い時間保持し、ボールをまわし、何度も決定的チャンスをつくった。ゲームのほとんどの時間帯、90分を通じて、チェルシー側のゴール前で両選手がプレイしていた。これがバルサのスタイルだ。チェルシーは引いて守り、ほとんどの時間自陣ゴール前に押し込まれ、必死の守りだった。が、むやみにボールやボール保持者を追いかけず、かわされないようにしながら、体力を無駄に消費しない戦いをしているように見えた。去年決勝で負けたマンチェスター・ユナイテッドの戦い方から学んだのだろうか。徹底したそのやり方は、かなり功を奏していた。
しかしやはりカンプノウでのバルサは強い。ついに前半の終わり頃で立て続けに点を入れ、2−0に持ち込んだ。しかも前半途中でチェルシー側は、ディフェンスの要で主将である選手の退場で、10人になっていた。一発退場を示すレッドカードを主審が掲げたとき勝負は見えた、と思った人は多かったのではないか。わたし自身、こりゃダメだ、と思った。あらゆる状況がチェルシーに不利であり、ああやっぱりな、と思わされた瞬間だった。が、チェルシーの選手はあきらめていなかった。アウェイゴールを1点でも取れば、合計2−2となり勝利できる。バルセロナの2点目の3分後、すでに前半ロスタイムに入っていたが、チェルシーは素晴らしいカウンターの速攻で1点をしとめる。
アウェイゴールの差でたちまち優位に立ったチェルシー。追加点を入れないと勝ち抜けられないバルセロナ。それでも、まだこの時点で、チェルシーの勝ち抜けを確信できた人はほとんどいなかったのではないか。10人になったチェルシーは後半、自陣ゴール前の守りをいっそう固めた。このまま守りきれば勝てる。しかし後半の45分間、バルサの猛攻にゴール前で耐えつづけるのは至難の業と思われた。いずれゴールが生まれる、と誰もが思ったに違いない。実際危ない場面はたくさんあり、PKさえバルサに与えてしまった。しかしメッシの蹴ったPKは、まさかのクロスバー直撃でノーゴール。こんなことがあるのか、という展開だった。
このまま終わっていても、チェルシーは勝てた試合ではあった。準決勝で敗退など考えていなかったバルセロナは、なんとしても点をとらなければならない。この心理的な差は大きかったとは思う。残り10分のところで、チェルシーの就任して間もない暫定監督は、トーレスというフォワードを入れてきた。守りきるのではなく、さらに点をとりにいくというメッセージなのだろうか?と思った。トーレスはイングランドで過去最高額と言われる移籍金でチェルシーに来たスター選手だったが、移籍以来1年以上たつのに、ほとんど活躍ができていなかった。この日もそのせいでスターティングメンバーから外れていた。が、トーレスがフィールドに入ってきたとき、何かひらめくものを感じた。いいぞいいぞと、何か賛成したいような気持ち。期待の新任監督が解任された後、チェルシーではアシスタントコーチだった人が、監督を引き継いでいた。この人は悪くない。まだ若く、監督経験も少ないが、クールな頭をもった人のように見えていた。(わが家ではその風貌から「おじぞうさん」と呼んでいた)
残り10分。悪くない時間帯だ。サッカーでは何か一仕事するのに充分な時間。そして後半ロスタイム、投入されて12分のところで、これまでの1年間の不調をすべて取り戻すくらい価値のある得点をトーレスは決めた。そのとき、点を取らなくてはいけないバルセロナは、ほぼ全員が敵陣内に入っていた。ハーフライン近くでボールを受けたトーレスは、無人に近いピッチの約半分を独走、これほどの見せ場はないというくらいの感動的な場面だった。最後は前に出てきたゴールキーパーをかわしてボールをゴールに流し込んだ。見事としかいいようがない。胸のすくような、ファンでなくとも心を奪われる、圧巻の攻めを見せたチェルシー。これでトータル3−2、チェルシーが勝ち抜けた。
バルセロナの選手たちの落胆ぶりは尋常ではないように見えた。そういえば、ハーフタイムが終わって後半開始の直前、カメラがベンチのペップ(バルサの監督)を映していた。ペップはからだを半分に折り、頭を両手で抱えていた。あれは何だったのか。アウェイゴールを入れられて同点にされたことで、ショックを受けていたのか。でもまだ45分残っているわけだし、バルサの得点力をすれば不可能なことなどないように思えるのに。しかし結果がチェルシーの勝利だったことを考えると、あのとき何か予感するものがあったのだろうか。
この準決勝の戦いぶりを見て、チェルシーというチームの素晴らしさを再発見した。以前から強さのあるチームとは思っていたが、こんなすごい試合を見せてくれるとは。バイエルンとの決勝戦も結果が予測できないいい試合だったと思うけれど、やはりバルセロナとの準決勝、そこを勝ち抜いたチェルシー選手の肉体と精神の強さは、誰も持ち得ないような高いレベルもので、この戦いが決勝戦の結果にも影響を及ぼした可能性はある。
決勝は延長戦でも勝敗が決まらず、PK戦にまでもつれ込んだ。勝利を決めた最後のキッカーは、チェルシーのドログバという選手だった。コートジボワール代表の34歳。最晩年の選手生活の中で迎えたこのCL決勝の、試合を決める最後の最後のPK戦の、最後のキッカー。対するバイエルンのゴールキーパー、ノイアーはこのPK戦で止めたのは一人ながら、ここまですべてのキッカーの動きを読んでいた。ドログバは試合後のインタビューでこう言っている。「非常に難しかった。でも自信があった」 この言葉通り、ノイアーはドログバが蹴った方向と反対に大きく飛んだ。読みは外された。ドログバのPK成功でチェルシーが勝利を手にしたのは、何とも象徴的。今年のCL全体の中でも、ドログバのいくつかのゴールは決定的な場面できめられ、ひかり輝いていた。優勝を飾るにふさわしいチームのスタープレイヤーだった。
今シーズンも各国複数のチームで、目を見張るようなプレイや選手たちと出会ったけれど、やはりベストゲーム、ベストチームは何かと言えば、バルセロナ戦のチェルシーであり、ベストプレイヤーはドログバだと思う。