テレビの新しい楽しみ方、電波によらない放送とは?
テレビの平均視聴時間が世界一、と言われる日本でも、ここ十年くらいの間にテレビ離れが進んでいるらしい。日本の一般家庭のリビングや茶の間をイメージするとき、テレビ(それも多くは大型テレビ)がドンと部屋の中心に収まっている風景はよくあることだった。昔は日本の家族の団らんの中心にテレビがあった。その団らんが縮小した時代には、家族がそれぞれ自室にテレビを置いて見る、という風潮もあった。最近ではテレビ番組をテレビ受像機ではなく、パソコンで見る人たちもそれなりにいると聞く。福島原発事故のあと、テレビを見なくなった、という声もときどき聞く。テレビでニュースなど見るのがばからしくなった、というのが理由の一つらしい。エンターテインメントの発信者としての魅力減少だけでなく、報道をするメディアとしての信用も失ってしまったのだろう。
一方でインターネットに目を向ければ、テキストや画像だけのコンテンツを経て、今は動画(音楽も含めた)の人気が高まっている。動画の与えるインパクトは確かに、他のメディアによる伝達方法より強く直接的だ。初期には動画といっても、パソコンに内蔵されている動画ソフトやフラッシュプレイヤーなどで、ダウンロードしたファイルを再生することが多かったが、動画共有サービスのYouTubeができてからは、幅広い層の間で動画への興味が増大し、距離がぐっと縮まった感がある。個別に見ていたものが、場の設定により動画を共有するようになり、視聴者がそこに自分も動画を投稿し、検索で見たいものを探し、さらには他者の動画を自サイトやブログなどで表示するという機能が加わって、どんどん広がっていった。今ではCNNなどのテレビ局も、ニュースの中で、内戦や暴動の現地映像をYouTubeから流していることも多い。画像は粗いが、それでも用は足すということなのか、よく言えばライブ感が増す気がする。
テレビ離れが起きていることと、YouTubeのような動画サービスに人気が集まっていることとの間には、関連性があると思う。 衛星放送やケーブルTVを別にすれば、多くの人はテレビを買って、タダで見れるものの中から言わばお仕着せの番組を見てきた(NHKは受信料があるが)。しかしタダで見れるものは、一緒にたくさんのCMを見なければならないし、面白いものがそれほどあるわけではない。平均的日本人に見てもらえそうな、ごく一般的と思われるなコンテンツを並べることになる。あるいは見ても見なくてもいいような、暇つぶし的なコンテンツ。旅行で言えば、昔風の団体旅行ツアーの周遊日程のようなものである。また平均的日本人というものも想定しにくくなり、趣味がバラけてきているので、万人に受ける番組づくりも難しくなっている。テレビが主として高齢者に見られている理由は、そういうところから来ているのだろう。
Google TVやApple TVといった、既存のテレビ視聴の仕方とは違うことができる仕組がここ数年の間に出てきた。確かApple TVは「見たいものしか映さないテレビ」、というような触れ込みだったと思う。専用機器をテレビとLANで繋いで、iTunesからプログラムを探して、あるいはオンデマンドでビデオ・コンテンツを購入したりして利用する。高精細度(HD)の画像で、映画や動画サービスのコンテンツ、スポーツ中継などを見ることができる。Apple TVやGoogle TVに繋ぐには、テレビ側の仕様としてHDMI接続ができるなどの条件があるので、古い型のテレビではそれができない。
インターネットのサイトに、VimeoというYouTubeのような動画サービスがある。アート系の作家たちが、Vimeoをつかって作品を公開しているのによく出会い、あるときVimeoのサイトがあることに気づいた。YouTubeと大きく違う点は、動画を制作した本人しか投稿できないこと。また多くの作品が高精細度画像によるものである。YouTubeでは自作他作、テレビからの引用(多くは違法)、ゲームのプレイ画面などありとあらゆる投稿がある。それに対してVimeo(videoとmeを合わせた造語らしい)の方は、作家が自分の作品を投稿して視聴者に見てもらう。サイトのAbout USによると、2004年に(アメリカの)映像作家たちが互いの作品を見せ合い、共有するためにつくったサービスらしい。「創造的な作品」という言葉とともに「人生のいっとき」を分かち合うために、とありインディペンデントな姿勢が現われていると思った。また「共有する楽しみと友好にもとづくこの場が、あなたの創作意欲を燃え立たせ、自分も作って投稿したいという気持ちにさせる」ことを望んでいる、とも書いてある。コンテンツの中には、ガイドラインとともに、ビデオスクールという項目があり、カメラはどういうものを選んだらいいか、に始まる動画によるレッスンが並んでいる。トップページで公開されている最新の作品のクォリティはどれも高いが、このレッスンは初心者向けに徹している。そのあたりも、特別な人だけでなく、誰もが作品をつくり投稿できることをアピールしているのだと思う。Vimeoの作品投稿には無料、プラス、プロ仕様の三つの選択肢がある。
このVimeoのサイトを見ていたことと、UEFA(欧州サッカー連盟)が、過去の試合のビデオコンテンツ(有料/1試合フルタイムで$1.99=160円程度)をかなりの数アーカイブしていること、この二つのことから、テレビをHDMI対応の新機種に買い替えることにした。2、3ヵ月前のことである。テレビはより高精細度なフルハイビジョンを選んだ。数ヶ月前にMacBook Proというアップルのノートパソコンをサブマシンとして購入していた。それと新しく買ったテレビをHDMIで接続する。Macとは直接は繋げないので、間にアダプターを挟んでHDMIケーブルと繋ぐことになる。これでOK。Vimeoの作品をいくつか見てみる。画像はウソのようにきれいだ。ウソのように、と言うのは色が鮮やかすぎて超自然的な感じという意味。色調調整は出荷時のままなので、調整すればかなり変わるかもしれない。現時点ではパソコンの画面より1、2段階明るく強い色調だ(機種はパナソニック)。MacBook Proの画面自体、非情にきれいなのだが、フルハイビジョンの大きな画面(といっても32インチ。これ以上になるとパソコンからの画像があれる可能性がある、と聞いたから)で見ると、きれいなだけでなく迫力もある。誰かと一緒に見る場合は、ノートパソコンよりテレビの方が適している。
UEFAのコンテンツも見てみたが、こちらは画像のクォリティが低く、ちょっとがっかりした。パソコンで見ていたときはそれなりと思っていたが、テレビ画面で見ると、近くの映像はいいが遠くの画像がぼやける。容量が大きくならないように、という配慮なのか、それともテレビの放映権との兼ね合いでもあるのか。技術、インフラ的には、ADSL接続レベルでもVimeoの20分を超える作品をストレスなく見れるので問題ないように思うのだが。試合直後のコンテンツなら、アクセスが集中してダウンしてしまうとか、映像がとぎれるなどあるだろうが、アーカイブのコンテンツならそんなこともないと予想される。まだ高画質のビデオを揃えるところまで、体制としていってないのだろうか。残念なことだ。粗い画像で見るか、高画質で見るか、楽しみの質が大きく変わるからだ。
今後サッカーのような世界市場の人気コンテンツは、データ化が進むだろう。テレビ放送だと、日本の場合、日本代表や日本人選手が出ている試合に焦点が絞られる傾向が強い。しかし人の興味は、たとえ日本人であっても、日本人周辺にとどまるとは限らない。また在日韓国人の人は韓国人プレイヤーの出ている試合に興味があるかもしれないし、在日ブラジル人は南米のサッカーが見たいと思っているかもしれない。そういう要望はこれから高まっていく傾向にあると思う。放映権を買っての一般放映から漏れたコンテンツが見れるよう、個々の人間が、オンデマンドで試合ごとにお金を払って見ることのできる仕組が充実してほしいと思う。
テレビをこのようにネットとの連携で見る場合、「テレビ」の概念はすでに変化している。日本の法令では「テレビジョン」とは、「電波を利用して、静止し、又は移動する事物の瞬間的影像を送り、又は受けるための通信設備」と定義されているらしいが、パソコン接続やApple TVでのテレビ視聴は、電波を利用している、とは言えない。言わばテレビ受像機そのものは、空の箱のような存在。中に何を入れるかは、個人の好みと選択による。
新しい放送のあり方、仕組も広がってくるかもしれない。たとえば紛争地帯のNGOで活動する人(あるいは映像関係の協力者)が、現地の状況を伝えるために映像に収める。それを本人または周辺の人が編集して作品にし、NGOの活動を集めた動画ポータルサイトに投稿する。視聴者はNGOポータルに行って、興味のあるもの、最新のものを見て、世界の現状を把握する。そこにドネーション(寄付)の仕組を入れてもいいだろう。電波によらない放送局だ。既存とは異なるニュースソースの誕生である。こういうことがあらゆるジャンルに及んだとき、人の「テレビ」を見るときの選択肢は圧倒的に広がる。
作品のクォリティの低下を心配する人もいるかもしれない。それは真のクォリティとは何か、ということを厳しく問い直すことに繋がるだろう。プロの、あるいは商業目的の放送局や映像作家が、自分の仕事で何を示していくのかを見直すことに繋がるかもしれない。アメリカのアマゾンが提供するPODやキンドルで本を出版する仕組と、同じ問題がそこにはあるだろう。