アマゾン・キンドルが開く未来(1)
やっとキンドルを買った。3週間くらい前のことである。アメリカで発売以来ずっと欲しかった電子書籍用タブレット。
アマゾン・ジャパンは日本で年内に端末の発売とサービスを開始すると発表し、サイトで予約受け付けを始めた。が、正確な時期はまだ未定。世界では、アメリカを皮切りに、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、スペインなどですでにキンドルでの読書が広まっている。日本では、出版業界の消極的対応やアマゾン、出版社間の契約項目の調整の問題で、長い間ペンディングの状態がつづいていた。角川書店など大手出版社の一部が動いたことで、ここ数ヶ月の間に状況は一変した。これまでもソニーなどが読書端末を扱ってきたがおおむね低調であった。
それがここへきて、楽天がコボタッチを日本で発売し、大々的に宣伝するなど、手の平を返したような状況が生まれつつある。アマゾンが年内、と期限を区切って発売の可能性を示し、電子出版での読書をリアルなものにしたからだろう。キンドル発売前になんとか先手を打ってしまわないと、、、という思惑が透けて見える。コボタッチは準備が整わないまま、見切り発車したためなのか、元々そういうレベルだったのかわからないが、肝心の本の収録が追いつかず、また装備や操作上の不備も露呈して、消費者の間で悪い評判を広める結果となった。
キンドル以前に読書端末として広まったものは、わたしの知る限りないので、おそらく2007年にアマゾン・コムが発売したキンドル第一世代により、現在の電子書籍の流れは始まったものと思われる。わたしがキンドルを欲しいと思った理由、たとえば人気を博したiPadを買うのではなく、キンドルこそ欲しいと思いつづけてきた理由はいくつかある。もちろんiPadとキンドルでは守備範囲が違う。できることや何が優先かもかなり違うので、単純に比べることはできない。が、大きく言えば、どちらもmobile computing のデバイスである。iPadはスクリーンが大きく、カラー表示ができ、本も読めるが、写真を見たり、映画や音楽を鑑賞したり、ゲームをしたり、と幅広い遊びができるタブレット。それに対してキンドルは、機種にもよるがメインのものはスクリーンがモノクロで小さい(標準機種で6インチ/約15cm)。それは読書に特化しているからで、音楽やオーディオブックも聞けるし、おそらくアプリケーションも入れられると思うが、主たる目的は読書である。あまり本を読まない人は、キンドルをもつ必要はないかもしれない。
わたしがキンドルこそ欲しいと思いつづけてきたのも、自分が本を読む人間だからだ。キンドルの本は、iPadやその他のデバイスでも読むことはできる。が、たくさん本を読むならやはりキンドルで読むのが一番。iPadと大きく違う点は、モニター画面がEインクという技術を導入していること。iPadはノートパソコンなどと同じ高解像度液晶ディスプレイでバックライトを使用しているが、キンドルのEインクは紙にインクで印刷したものに近い視認性をもち、見やすく目が疲れない。また低消費電力でバッテリーが長くもつ。画面を見た印象でいうと、マットな紙にクリアな文字が印字されている、というもの。
標準的な機種であるキンドルタッチの場合、Wifi接続をoffにした状態で1日平均1.5時間読書した場合、2ヵ月充電がもつ、とアマゾン側の説明にはある。iPadが電気をくうことを考えると、2ヵ月は頼もしい。キンドルにはWifi接続(無線LAN)のみのものと、3Gに対応したものとある。キンドルは購入の際、アマゾンのアカウントをもった上で買うので、購入したキンドルは接続設定を終えると、使用者を認識する。最初バーの隅に「My Kindle」と表示されていたものが、たとえば「Kazue's Kindle」となり、それによりアマゾンのショップと直接繋がっていることが確認できる。
これにより、本を探したくなれば、キンドルストアに行き、本を購入、ダウンロードが一瞬のうちにできるようになる。これまではアメリカのサイトで買った本は、Expressでも使わない限り、3週間から1、2ヵ月はかかったので、夢のようである。真夜中だろうが早朝だろうが、読みたくなったときにいつでも手に入る。接続に通信費はいっさいかからない。充電のもちを考えれば、Wifiは使わないときはoffにしておくのがいいらしいが、on、offは一瞬の操作でできることなので特別面倒なことでもない。iPadが日本中を圧巻したとき、わたしも興味はもったが、通信費がネックになった。毎月数千円を払うことに抵抗感があった。
iPadは充電や維持費において、使用者に負担をおわせる。また自分が発信者(出版やアプリの販売者)となる場合も、負担が大きい。たとえ何も発信しない場合でも、毎月の、永遠につづく出費を覚悟しなければならない。これらの条件を知って、わたしはiPadは自分および葉っぱの坑夫には適さないと判断した。
キンドルはどうか。アマゾン・ジャパンの対応基準はこれからだと思うが、とりあえずは個人ではなく、出版社を相手にスタートさせるようである。アメリカのアマゾンは違う。アマゾンのアカウントをもっていれば、誰でもキンドルで出版ができる仕組をつくった。費用はいっさいかからない。このあたりがアマゾンのフラットな思想を表わしている。優れた点だと思う。
アマゾン・コムの書籍データベースは、スタート当時から完成の域に達していて、訪れる人々を感動させた。わたしもその一人。未知の素晴らしい作家にここで出会ったことは一度や二度ではない。決定的な出会いもしている。当時、日本の書籍のデータベースは非情に貧しかった。大手のネット書店も、さびしい状況だった。日本でも国会図書館や日比谷の都立中央図書館などでは、それなりの本の検索はできていた。データベースの技術がまったくなかったわけではない。商業の世界では、そこにお金をかけられなかった(かけていいものかの判断がつかなかった)のだろう。
キンドルの優位性は、アマゾンの完成された書籍データベスが背景にある。本に関してアマゾンは、司書を何人もフロントに置いているように、読者からの信用を勝ち得ている。そしてハード(端末)は、使用感、維持費などにおいて、できうる限りの技術と負担軽減が実現されている。読者の利便性を最優先事項に置いている、というのは単なる「企業としての言い分」ではないように見える。多くの追随機種やその販売元は、アマゾンの思想ではなく、「出来上がった形と方式」を真似ているだけではないのか?と思ってしまう。
キンドルはアマゾンという企業にとって、ここまでの十数年間に培ってきたもの、歩いてきた道のりを表わす集大成であり結晶のようなもの。そうわたしには見える。本の読み方を、習慣を、ひとの生活を変える、大きな提案を全世界にむかってしている気がする。
実際にキンドルでどのように本を読んでいるのか、本を読む以外何につかっているのか、葉っぱの坑夫のキンドル計画とは、これらについては次回書きたい。