アメリカのオンラインジャーナルに書いた今年の出来事(日本語訳)
アメリカのオンラインジャーナルSwans Commentary(12月17日号)に寄稿しました。去年に続いて2度目の年末回想録「Year-End Reviews」への参加で、「2012 Japan: Radioactivity Risk, Territorial Dispute, And Rush Of eBooks」のタイトルで書いたものです。 その日本語訳を以下に掲載します。内容は、原発事故から20ヶ月たった今放射能汚染を日本人がどのように受けとめているか、東シナ海の小さな島を巡る紛争と日本のメディア、キンドル発売による日本の出版、電子書籍業界の殺到と混乱、の三つに焦点を絞ったものです。
原文はこちら。
「2012年の日本:放射能リスク、領土紛争、電子書籍狂想曲」
一年を振り返って、心に浮かんだ三つの出来事を選んでみました。
1.2011年の原発事故の余波
去年のこの年末レビューで、原発事故とその多大な影響を「放射能汚染とともに生きる」のタイトルで書いたことを思い出します。あの事故から20ヵ月がたちました。20ヵ月たった今はどんな状況なのでしょう。表面上は、時間の経過とともに、事故の余波は薄らいでいるように見えます。人々がいつもいつもそのことばかり考えているようには見えないし、最優先されるべきものでもなくなっているようです。とはいえ、多くの人が東京の首相官邸前で、原発再稼働に反対して、毎週金曜日にデモに参加しているのも事実です。(日本人にとって、中でも子どものいる若い女性層も含めた普通の人々が、政治的なことで行動を起こすのは非情に稀なことです)
多くの日本人は放射能汚染のことを、日常生活の中で、なるべく考えないようにしているのかもしれません。人々は福島やその周辺地域でとれた野菜や魚を食べることが、安全ではないかもしれない、ということを知ってはいますが、だからといってどうしたらいいのかもわからない状態です。つまり考えないようにする、ということ。
しかし中には、特に小さな子どもをもっている人たちは、放射能汚染の問題を重く受けとめてきました。十歳以下の娘が二人いるわたしのある友人は、自分が住んでいる場所の放射能汚染を不安に感じています。その人は東京に住んでいます。彼女は、娘の一人が学校で給食を食べることを拒んできました。代わりに、自分で作った弁当を子どもに持たせています。またその友人は、娘が学校の授業で、校庭での野菜づくりに参加することも断っています。自分の娘が、放射能に汚染されているかもしれない校庭の土を、直に手でさわるのが心配なのです。原発事故後に、東京の幼稚園のいくつかが、放射能汚染のことを考えて、園庭の砂場の砂を除去したと聞いています。
わたしの友人が過剰な心配性であるとはまったく思えません。
2.小さな島をめぐる、日中紛争への反応
基本的に、たとえそれが日本に関することであっても、領土問題には関心がありません。この九月に日本政府が自国の領土であると主張するために東シナ海の小さな島を買った後、ある著名な日本の作家が、テレビでこんな発言をしました。われわれは今、こんな領土問題にかかわっている暇はない、と。日本政府はこの島が日本の領土であることを、強く主張し続けてきました。この作家は、こういう領土問題というのは、いつだって政府間、国家間、植民者たちによって決められた境界線からやってくるものであり、そこに住んでいる人々とは何の関係もないのだ、と言ったのです。つまり「あんたたちの問題にすぎない」ということ。
わたしはこの作家の考えに全面的に賛成です。わたしたちには、考えたり話し合ったりしなければならない、もっと大事な問題があります。ところが、この作家によると、テレビ番組の後で、たくさんの非難中傷が彼のツイッターに押し寄せたそうです。「おまえは非国民か!」というような。
おやまあ、今だに「非国民」などという言葉が、誰かを中傷するときに有効なのでしょうか? もしわたしが、誰かから「おまえは非国民だ!」とののしられたら、こう言うでしょう。「はい、その通り! あなたのその『おまえは非国民だ!』の言葉を大変誇りに思います」と。実際わたしは、「非国民」としてぜひとも生きたいし、それは非国民として生きることこそ、あるいは平和的で偏見のないコスモポリタンとして生きることこそが、わたしたち人間にとって、平和な世界へのいちばんの近道だと考えるからです。
この領土問題で何より驚かされたことは、日本の主要新聞が揃って、日中間で問題になっているこの島を、「日本の島」あるいは「この島は日本の領土である」と記述していたことです。日本の新聞というのは、政府と同じということなのでしょうか? メディアと政府は一枚岩ということなのか? メディは、政府とは別に、この領土問題に関して、独自のものの見方や意見というものをもたないということなのでしょうか?
もし政府見解と何一つ変わるところがないとすれば、メディアは政府の宣伝機関となってしまうでしょう。
もちろん、これはよくあることだと知っていますし、また日本だけの問題でもありません。最近、チャイナデイリーという中国の新聞をキンドルで読むようになりましたが、その新聞もあの島は自国のものだと書いています。中国と日本のメディア、どちらも同じ、変わるところがない。
日本の人々の多くは、日本が中国より文明的で先進的であると思っている傾向があります。しかしこの領土問題を見るかぎり、日本と中国に違いはありません。同じ穴のムジナです。
3.アマゾンの告知で起きた、電子書籍への殺到とパニック
友人の一人で、日本在住のスペイン人男性がかつて言いました。「日本人はカメだね、何につけすごく遅い」 これを言われたのは数年前のこと。今、彼の意味していたことが、わたしには理解できます。
日本で最初に電子書籍の波が起きたのは、1990年代の後半のことです。日本電子書籍コンソーシアムが設立され、電子書籍の実験が始まりました。まずコンソーシアムは、電子関連企業と協同して、電子書籍リーダーをつくりました。わたしはこの実験に参加し、モニターで読書するのがどんな具合か、リーダーをテストする一員になりました。当時、わたしは電子書籍をダウンロードするために、理由がよくわからないまま、都心の書店まで(家から1時間くらいかけて)行かねばなりませんでした。すでにインターネットがあったにも関わらずです。いずれにしても、電子書籍の実験は失敗し、コンソーシアムはたった2年でなくなりました。
その後、いくつかの電子書籍に関する動きが日本でありました。いくつかの電子関連企業が本を読むためのデバイスをつくり、また新しい電子書籍の書店もネットに現われました。しかし、それらの動きは大きな力をもつことはなく、普通の人にも本の愛好家にも、特別な影響を及ぼすには至りませんでした。わたしにしても、電子本を売るネットショップで本を買ったことはありませんでした。それは読みたい本がなかったからです。それらのショップが売る本は、街の本屋にある本ともアマゾンにある本とも違っていました。おそらく日本の名の知れた作家や商業出版社は、電子書籍をつくったり売ったりすることに興味がなかったのでしょう。あるいは自分たちの本が電子本になることを、どういう理由からか恐れていたのかもしれません。
こういう状況の中で、いちばん目立った存在は、インターネットの青空文庫でした。青空文庫は非営利の電子本を提供する組織です。日本では、非営利で本を出版することは大変珍しいことです。青空文庫は、プロジェクト・グーテンベルクのように、著作権の切れた作品をボランティアを募ってテキストに打ち込み始めました。この十年に打ち込んだテキストは、日本語の電子書籍の進歩にとって大変な財産となりました。誰も、どんな企業も成し得なかったことを青空文庫はしてみせたのです。今年の10月にアマゾン・ジャパンがキンドルストアを始めたとき、書棚にあった50000タイトルのうち、大半が青空文庫からの本だったと聞きました。このことは他の商業出版社がこの十年あまりの間、何も用意してこなかったことを意味しています。日本に電子書籍の時代がやって来ることが信じられなかったか、既得権が侵されることを心配するあまり、そんな時代は来て欲しくないと願っていたか、そのどちらかだった可能性があります。
そして今、日本の出版社や出版業界は電子書籍プロジェクトに殺到し、一気にすべてを成し遂げようとしています。カメ日本は、突然ウサギに豹変しました。
わたしは長いこと、アマゾンが日本でもキンドルのサービスを始めるのを待ち望んでいました。日本の商業出版社にとって、アマゾンとともにサービスを始めることは、困難で厳しい試練でした。それはキンドルの世界に参入するには、出版社にとって多くの障害となる事情があったからです。日本の出版社が五十年以上に渡って、大変保守的で閉じた世界でビジネスを行なってきたことが原因です。
もちろん、わたしにとって、英語より日本語で本を読む方が楽ですが、それでも英語の本を読むために、アマゾン・ジャパンがサービスを始めるより前に、アメリカ版キンドルを購入しました。以来、キンドルで本や新聞を読んで楽しんでいます。そしてまた、わたしの運営する非営利出版社葉っぱの坑夫で、プリント・オン・デマンド(POD)の本とともに電子書籍をアマゾンで販売することを始めました。この二つの本を出版する手段は、大変役に立ち便利で、また小規模出版社や自主出版をする著者にとって経済的でもあります。
日本の電子書籍の読者たちが、来年にはどんな風に育っていくかを、楽しみに見守りたいと思っています。