20130520

<14>安倍晋三首相の「愛国心教育」を基点に、これからの日本を考える


ここまで13回に渡って、安倍首相の愛国心や国家のアイデンティティについての発言を検証するために、いろいろな角度から書いてきました。しかしそれは結局のところ、安倍晋三という一政治家の価値を見るというよりは、そういう政権を支えているわたしたち日本人の価値を見ることになるのだ、ということに気づきます。

日本国の現首相が、もし『侵略という言葉の定義は定まっていない』とか、『慰安婦の強制を示すものはない』と発言したりすれば、それは国の最高責任者が考えを示したというだけでなく、そのような考えを支持する層が相当数日本にはいる、という可能性を露にしたことになるのだと思います。その考えがマイノリティのものであるなら、安倍さんは首相になっていないはずです。近年人気の高い政治家の一人、維新の会の橋本代表が米軍司令官に『風俗の活用』を勧めたり、『戦時中の慰安婦の必要性』説いたりするのも、そういう考えに賛成できるマジョリティが日本にいるからです。

どこの国にも、安倍さんや橋本さん、あるいは石原元都知事のような考えをもつ人間はいると思いますが、そういう考えの持ち主を国民や社会がどう扱うかは、国によって大きな差があると思います。

もし自分が安倍さんや橋本さんのような考えに賛成できないのであれば、その状況をきちんと把握している必要があります。なぜ彼らが国の重要なポストにつけるのか、いったい誰が、どのような人が彼らを支えているのか、よく見ていることが求められます。国内に少なくない数の賛成者、追従者がいる、ということは自分の身のまわり、学校や会社や地域のコミュニティにもたくさんいるという計算になります。そういう人々の考えが変わらないかぎり、日本の政治家は変わらず、日本の政治や社会も変わる可能性がありません。

安倍さんの愛国心への熱意の話に戻れば、ある国民が強い愛国心をもつよう子どもの頃から育てられたとして、それが将来どのような利益をもたらすのか、よく検討する必要があるでしょう。自国に誇りをもてる人間になる? 愛国心を育てるために、自国の優位性や伝統を賛美する意識を植えつけたとして、それによって自国に誇りをもてるようになるかは疑問です。そんなことを言っている政治家自身の発言が、海外の政府やメディアから、「バカバカしい考えだ」「そんな話は聞きたくない」と非難の対象になれば、そのことの方が「自国の誇り」を大きく傷つける結果になるのは、子どもでもわかります。

このテーマは、引き続き書いていくと思いますが、一旦ここで中断します。

20130513

<13>安倍晋三首相の「愛国心教育」を基点に、これからの日本を考える


最近の新聞に、フェイスブックのCEOザッカーバーグ氏の移民に関する発言が載りました。ワシントンポストへの寄稿文で、優れた不法移民に市民権を与えよ、という主旨でした。アメリカが必要としている優秀な人材、特に理数系の人材を今後しっかり確保していくために、不法移民に市民権取得の道を開くことが重要、と言っているのです。そのために、フォーワード・アスという政治団体を立ち上げたそうです。グーグルやヤフーの幹部もそこに名を連ねているとか。

記事によると、ザッカーバーグ氏が地元の中学校で講義をした際、起業家志望の成績優秀な生徒が大学に進めるかどうかわからない、と語ったことが契機になったとありました。その生徒はメキシコで生まれ、その後両親とともにアメリカに入国し、不法移民になったとのこと。

この記事を読んだとき、日本人が聞けば、「移民」だけでなく「不法」とまでついていたら、わりに簡単に「犯罪人」あるいは「社会不適合者」のイメージをもってしまうのではないか、と思いました。在日朝鮮人など在日の人を激しく攻撃する、「在特会」のメンバーなら、どんな言葉を投げつけだろうかと想像してしまいます。

「国」や「愛国心」の存在を強く主張する人々は、安倍首相もふくめて、世界各地で起きてきた「人が国境を超えて暮らすこと=移民」に対する想像力が著しく欠けているように思えます。おそらく安倍首相が、日本の不法移民の国籍獲得に、道を開くような政策や発言をすることはないでしょう。

しかし世界の動きとしては、解放の方向にシフトしていることは様々な事例で確認できます。たとえば二期目に入ったオバマ大統領が、最重要課題としてあげる包括的な移民制度改革。韓国でもその動きがあると伝えられているように、重国籍容認に向けた動きも諸外国では活発化しているように見えます。中国ではビザの制度を大きく変える準備をしている、との報道が最近ありました(China Daily)。海外からの才能ある職業人には、最大で5年間のビザを与える、というものでした。

ザッカーバーグ氏の活動、韓国の重国籍容認、中国のビザ延長政策、どれも現実的で合理的な判断の元、社会の向上をはかるために必要なことをする、と言っているように見えます。

20130507

<12>安倍晋三首相の「愛国心教育」を基点に、これからの日本を考える


世界が地球化している現実。だからこそ、安倍さんは「日本の香り」や「伝統」「愛国心」について、言わずにいられないのかもしれません。ただもともと純粋な「日本の香り」などというものは、なかったかもしれず、一種の幻想か物語の中の話かもしれない、ということも考える必要があります。

日本の香り、と言ったところで、「日本限定」の「純粋培養された」ものなど、本当に存在するのでしょうか。混じりけのない「日本」を探すよりは、アジア地域で共有されているものを探す方がずっと簡単だと思えます。またそれを見つけることの方が、「純粋な日本」を見つけて喜ぶより、ずっと未来的で平和的です。アジア共通の文化をベースに、地理や気候条件によって、少しずつ色合いを変えて多層なレイヤーをかぶせながら発展していった、それぞれの地域、国々。必ずしも「国境線」で分けることができないのが、文化でありその豊かさです。

国や国境線が便宜的なものであり、政治的なものであることは、戦争や内戦を知る21世紀の人間はよく認識しているはずです。国家が国民に求めるものが「愛国する」ことであったとしても、そこで生きる人間が「国境線」を半ば無視して生きることは自由です。意識の上で国境線を薄めて生きることは可能だと思います。

では個人のアイデンティティをどのように形成すればいいのか、と不安に思う人もいるかもしれません。確かに過去の時代では、国家と個人の関係が強固で、場合によっては個人としてのアイデンティティなどなくとも、国民であれば個人のアイデンティティも保たれました。それは国家が望むことでもありました。

安倍さんは改正した教育基本法についての説明で、「人格の完成とともに、日本人である、というアイデンティティを備えた国民をつくる」「伝統と文化を尊重し、郷土愛、愛国心をかいほうしていく」と言っています。(前出の講演)

「かいほう」はおそらく「解放」だと思いますが、そうだとすると、今の日本人は愛国心を表明しにくい状況にあるので、そこから解き放たれ堂々と掲げられるようになるべきだと、安倍さんは考えているのかもしれません。