本はデータじゃない? <5>
一方アメリカのアマゾンは、PODというものが個人が出版できるフォーマットであり仕組と考えているので、そんな条件は一切ない。またアマゾンサイト上の表記も、通常の本と同じでなんら区別はない。日本のアマゾンではPODでの出版物には、タイトルの最後に[オンデマンド (ペーパーバック)]と付けてある。どういう意図からそうなっているのかは不明だ。何か「通常の出版物とは違う」という線引きをしておきたい、というようにも見える。「単行本」「新書」「文庫」という分け方をしているようなので、それなら他のソフトカバーの本と同様、「単行本(ソフトカバー)」でいいのではないか。
アメリカのアマゾンでは、PODで出版するための仕組が非常によく整っている。詳しい情報については、去年の6、7月に書いた「PODで本をつくる(アメリカと日本のアマゾン比較)<その1>」「..............<その2>」を参考にしていただきたい。アメリカのアマゾンでは、POD制作を担っているCreateSpaceという会社があり、ISBNをもっていない個人は無料でそこからナンバーを振ってもらうことも可能だ。葉っぱの坑夫も、自社のISBNではなくCreateSpaceのナンバーを振って出した(確か販売可能領域で違いがあったような記憶がある)。その場合、PublisherはCreateSpaceと表記される。
日米ともに、PODでの入稿形式はPDFファイルである。日本のアマゾンでは、入稿方法に関するマニュアルが事前に配布され、それに基づいてファイルを整える。またエクセルファイルで、書誌情報を別途送る。一方アメリカでは、ウェブにあるフォーマットへの記入によって入稿、校正、販売登録などすべての作業が(無人で)行なえる。しかもそれが非常によくできている。日本では、一点一点、印刷機の前で人が操作し確認しているような印象だ。日本ではPODへの最初の登録時のみ、サンプル本も出してくれる。ただし、日本のアマゾンでは、その後は著者であれ、版元であれ、すべて販売価格でしか本が手に入らない。これは非常に不便だ。アメリカのアマゾンでは、著者なり出版社は印刷実費で買い取ることができる。非常に安価である。ページ数によるが、$2から$4程度だ。ただし日本から購入する場合は、輸送費にお金がたくさんかかってしまう。
PODとキンドルで本を出す、という方法論は合理的な側面がいろいろある。元データからPODはInDesignなどでつくってPDFに変換、キンドルはHTMLからePubファイルをつくりmobiファイルに変換、という方法の他、InDesignでつくった本のデータを、直接ePubに書き換えるという方法もある。ただし、そのままでは使えないので、キンドルでの表示に合わせて、ePubファイルに手を入れる必要がある。葉っぱの坑夫は前者のやり方をとっていたが、今後後者のやり方も試し、どちらが便利か比べてみたいと思っている。
PODで本をつくるにあたって、今回、InDesignに挑戦してみた。キンドル用の電子書籍を自分の手でつくったこともあり、それなら再度DTPもやってみよう、という気持ちだ。アドビのInDesignが高価で買えない、と思っていたのが、クラウド登録による月間使用ができるようになったことも大きい。デザイナーではない人間が、DTPで本をつくる。その意味も考えてみたいと思った。(つづく)
本はデータじゃない? <4>
PODはこのアマゾンの仕組が日本にやってきた時点で、初めてオンデマンド印刷の現実的な利用形態となった。葉っぱの坑夫が2001年にオンデマンド印刷で出版した本は、オンデマンド、つまり注文ごとに、という名がつけられていはいるものの、1冊ずつ印刷発注ができるわけではなかった。それはオフセット印刷より経済的に少部数で印刷できる、という印刷発注方法のことで、実際には100部〜300部くらいの部数で印刷されるのが普通だった。使用している印刷機は現在のアマゾンのものと同じ系列ではないかと思われるが、1冊ずつの印刷発注は現実的ではなかった。印刷会社が受け入れていなかったと思う。後に、1冊ごとにオンデマンドで注文できる本は、見たことがあるが、1冊の価格が2500円以上と高かった記憶がある。
アマゾンがPODによる印刷、出版を始めたことで、読者が注文をしたら印刷して発送する、という本来のオンデマンド印刷が実現できるようになった。これを知ったとき、やっと実現したのだ、という感動があったが、日本の社会ではどうも注目されることがないようだ。PODに関する話題を新聞等のメディアで見たことがない。
これほど有益で利用価値のあるものが、ほとんど無視されていることには、いくつかの理由があると思う。一つは元々の米国アマゾンのPODと、日本のアマゾンが展開しているPODとは考え方や仕組に、大きな違いがあることが原因だろう。アメリカのアマゾン、つまり本拠でのPODの考え方は、個人が本を出版する、ということが基本になっている。日本のアマゾンでは個人(著者と呼んでいる)は出版登録はできるが、「許可を出版社から得ること」などが条件づけられていて、そこから見えてくるのは、一般人が本を出すということではなく、すでに出版社から本を出している作家が念頭にあるようだ。また日本のアマゾンでは、「年間50タイトル以上出版しないと、出版をお断りする」という条件になっている。
年間50冊以上、本を出せる者とはいかなる対象か。一人の作家で毎年50冊ずつ新刊を書いて出す人はいないと思う。一般の個人ならさらに無理だ。つまり個人には出版資格はない、と言っているのと同じだ。年間50タイトル以上出せる出版社にしてもそうだ。どういうレベルの出版になるだろう。この項目で前に書いたように、確かに日本の出版界では、取次からの一時金をもらうため、出版社が自転車操業のように新刊書を多量に出版することが必然となっている。その基準でいうと、50冊はそれほど多い点数ではないのかもしれない。しかしこのような出版物の乱発状態は、ちゃんとものを考えるときの基準にはなり得ない。
実は葉っぱの坑夫も、去年、PODで3冊の本を出しただけだったので、アマゾンジャパンから通達が来た。契約書の内容には含まれていない要件だったので、担当者とメールや電話で随分やりとりしたが、仲介代理店を紹介しアマゾンと同じ条件で取引できるようにする、という回答で最終的にこちらが折れた。新たに指定の代理店と契約をかわすことになった。このやりとりや進行には、多くの時間と労力を払い、また「年間50タイトル以上が基準」という要件にも、いまだ納得はいっていない。(つづく)
本はデータじゃない? <3>
日本で電子書籍が広がらない理由は他にもある。前述の作家が正直にも言っていたことだが、それでは作家がプロとして食べていけないという事情があるのだ。通常の紙の本の場合は、印刷部数の10%という印税(著作権料)が出版社から著者に支払われる。前渡し金なので、本が売れる売れないには関係ない。本を出すことで収入が得られる。しかし電子出版では、率は25%くらいと高いが、本が売れた分だけ支払われるのがスタンダード。おそらくアメリカのnet receipts(実売印税)の考え方を取り入れたからだろう。この作家によれば、電子書籍は、何百万部も売れる作家か、デビュー前の若手にしかメリットがない、と言う。
出版社にとっては、売れた分だけ著者に支払えばいいのだから、電子出版は実利的だという面はあるものの、別の大きな不利益がある。日本ではほとんどの本が取次業者(卸し業者)を通じて書店に配本されるが、出版業界の慣習として、新刊を出すときに卸し業者から出版社に、一時金のようなものが支払われるそうだ。新刊を出せば一時金が入るので、自転車操業のように、それを当てにして本を出し続けることで経営が成り立っている、という話はよく聞く。ところが電子書籍では、従来の卸し業者は仲介役として入らないので、この一時金を支払ってくれるところがない。
と、ここまで書いてきて思ったのは、もしかしたら電子書籍が日本で広がらないのは、主として発信側(著者や出版社)の問題なのかもしれない、ということ。読者にとっては、ハードカバーより割安に買える可能性の高い電子書籍は、注文後すぐに本を手に入れられるというメリットもあり、便宜性からいったら、紙の本とは違う良さがあるのだ。比較的若い層では、ネットで何か読むことは紙の本を読むより日常的であろうし慣れている。パソコンだけでなく、スマートフォンやiPadなどのデバイスで、何であれ文章を読むことも多い。デバイスでブログや誰かの発言を読む行為は、基本的には電子本を読むことと変わりない。
「本」というものを狭い意味での「書籍」のイメージでとらえずに、出版=publish=公開されたもの、を読むと考えれば、電子書籍にもすんなりと繋がるはず。今起きている電子書籍への気後れは、紙の本を印刷し、それを業界内で受け渡しすることで利益を得ている出版業界の内部の問題であり、日本の読者と電子書籍の不適合といったことではないのかもしれない。
もちろん慣れの問題はある。長く親しんできた習慣を変えることは難しいという人々もいる。ただメリットが際だてば、人は簡単に転向するものでもある、とも思う。
葉っぱの坑夫ではすでに、アマゾンの仕組をつかって、キンドル本(電子書籍)とPOD本を何冊か出している。ウェブ以外の場での発表形式として、この二つを主軸にしていこうと考えている。(つづく)