楽しみを奪う日本のスポーツ報道(その1)
アレックス・ファーガソンの自叙伝(英国版)を読んでいる。サッカー界では超有名な人で、イギリス人(スコットランド人)でサーの称号をもつマンチェスター・ユナイテッドの元監督である。先シーズン71歳で引退し、その何ヵ月後かにこの自伝を出し、大きな評判を呼んだ。監督の入れ替わりが激しいプレミアリーグ(イングランド最高位のカテゴリーのリーグ)で、27年間という長い期間君臨しつづけ、たくさんのタイトルを獲得し、クラブを世界最高のクラブの一つにした人である。
とは言え、ぜひとも自伝を読んでみようとは思っていなかった。JSportsのサッカー中継時に自伝が出たことを知ったのだが、そのときの解説者が言うには、「あれは暴露本だ」とのことだったから。様々な現役も含めたプレイヤーのことをこき下ろしている、というのだ。名前をあげて○○はこうだと言ってるらしいが、酷いことだ、なんでサーまでいった人が、そういう「下品な」本を最後に書かなくちゃいけなかったのか、せっかくの経歴をおとしめるような行為だ、非常に残念ですね、と言っていたのをよく覚えている。
その少しあとで、別のサッカーライター(大阪在住のイギリス人で、日本語で記事も書く)が、サッカーニュースの番組で、読んだけれどそれほど重い内容ではなく読みやすく、ちょうどクリスマスシーズンだから、プレゼントにという意味でこの時期に発売になったのでは、と言っているのを耳にした。なんだ、そういう本なのか。クリスマスに暴露本を贈る人はいないだろうから、そういう含みで言ったのかもしれない。難しくないから、(英語だけど)誰でも読めそう、まずは読んでみては、というニュアンスも感じた。それで読んでみようかな、という気になった。
アマゾンで探すと、紙の本とキンドル版で出ていた。英語圏の新刊はたいていキンドルでも出ている。だから時差なく、日本で買って読むことができるのがいい。そこでサンプルをダウンロードして読んでみた。退任を決意したときのエピソード、その理由が妻の姉妹の死にあったことなどが述べられていた。この本自体が、献辞で、妻の姉(妹?)に捧げられている。自身のグラスゴー時代の話に始まり、それからマンチェスター・ユナイテッド監督時代の話へと展開されていく。サンプルで読んだ範囲で感じたのは、なかなか興味深い良い本だということ。退任の主たる理由となった妻キャシーへの想いに、ある種の感動すら覚えた。奥さんに対して深い愛と尊敬の念を持っているんだ、あのファーガソンが、と。また、本からファーガソンの声がリアルに伝わってきて(たとえゴーストライターが文の仕上げや本の構成を助けていたとしても)、その意味でも良い本だと思った。
そして年が明けてから、(他の本を読み終えたのをきっかけに)この本を購入した。まだ60%と1/2を過ぎたあたりだが、この本のもっているトーンや意図のようなものは、ほぼ理解している。目次にならぶ、ユナイテッドで活躍した(活躍中も含め)数々の有名選手の名前、ベッカム、ロナウド、ニステルローイ、ルーニーや、モウリーニョなど有名監督の名は、確かにそれだけでセンセーショナルだ。「あの」ファーガソンが書いているのだから。しかし、ここまで読んだところでは、暴露本的な要素もトーンも特にない。確執のあった選手についての記述も、良きところや優れた才能を認め、充分誉めた上で、なぜ自分やクラブとの確執が起きたのかを、それなりの愛をもって書いている。自分の目から見た、ある選手の欠点や短所を書いた場合も、一方的に非難する書き方ではない。
わたしはこの本は、エンターテインメント性をもちつつ(つまりある種のサービス精神のある)、加えて誠実に書かれた良質な自叙伝だと思った。またマンチェスター・ユナイテッドという世界でトップクラスの人気クラブを、監督の目から追った、貴重な27年間の記録にもなっている。なぜこれが暴露本呼ばわりされねばならないのか。
わたしはこの本を暴露本と言った粕谷秀樹さんというサッカー評論家の見識を疑う。イギリス人のサッカーライター、ベン・メイブリーによる異なる意見がなかったら、この本を読んでいなかったかもしれない。騙されるところだった。なぜ粕谷さんは、この本を暴露本と感じたのだろう。一ヵ所か二ヵ所、あたらないと思える表現があったから? でも本の冒頭部分を読めば、この本のトーン&マナーを感じることはできたはず。暴露本のそれでは全くないのだから。彼はこの本そのものを読まずに、イギリスのメディアの一部が取り上げたキャッチーな批判部分だけ見て、暴露本だと断言したのだろうか。ものを言うときに、原典にあたらず、街のうわさ話を信用して、決めつけるような知ったかぶりを言うのは、ジャーナリストや評論家としてあまりに質が低い。粕谷さんが人気のあるコメンテイターということを考えると、彼だけがこういうやり方をしているのではなく、日本の社会ではこのやり方が許されてきたということ。つまり全体として日本のスポーツ報道の質は低い、ということにもなると思う。
スポーツジャーナリストも他のジャンルの良質なジャーナリストがしているように、何かを非難するときは(誉め上げるときもそうだが)、できるかぎりその元のところを取材、調査した上で、発言してほしい。たとえジャンルが政治、社会でなくとも、放射能漏れや政治家の汚職、公的資料やデータの改ざん問題でなくとも、同じように読者や視聴者に対して責任があるのだから。
P.S. もし粕谷さんが、英国のメディで(できれば自身の英語で)、この本を「暴露本」と非難したのならまだ許せるところはある。その発言には、(著者自身からのものも含めて)反響や反発がともなうからだ。しかし日本語で日本のメディアで語っている限り、現地にはほぼ届かない。反応も反発も来ない。だから軽率な発言ができる、とも言える。つまり日本人相手の日本人限定で、語られたことということだ。そういうものを、わたしたちはいつも聞かされている。
ガーナの作家の小説、発売開始!
去年の夏から準備していた小説「青い鳥の尻尾」(原題:Tail of the Blue Bird)がやっとアマゾンで発売になりました。ガーナの作家、ニイ・アイクエイ・パークスのコモンウェルス賞(デビュー小説部門)で最終候補となった作品です。
こちらページでは、本の内容の他、著者へのインタビューや小説に登場する音楽やガーナの風景の写真も紹介しています。また本文の抜粋もいくつか読めるようにしてあります。
アマゾンのサイトでは、なか見!検索で本文を読むこともできます。また
キンドル版はサンプルがダウンロードできます。なか見!検索は、20%の閲覧を許可しているので、量的にはキンドル版よりたくさん読むことができます。(ただし、ところどころページが省かれている)
アフリカの若手作家の作品は、あまり日本語になっていないと思うので、興味のある方はぜひ。
[この小説について]
2010年度のコモンウェルス賞最終候補作品となった、ガーナの作家ニイ・パークスのデビュー小説です。
何百年にも渡って変わることのないガーナ奥地の村ソノクロム、そこで起きた奇妙な事件。不吉な残存物(おそらく人間のもの)が発見され、それを解明するため、イギリス帰りの若い監察医カヨ・オダムッテンが村にやって来る。ヤシ酒とともに語られる村の長老オパニン・ポクの昔話と、科学的犯罪捜査による事件解明の過程がスリリングに交錯する。
アフリカと西洋社会、古い世界と新しい世界の対比の中で、現代アフリカ社会のリアルな姿が浮き彫りにされる。
[キーワード]
現代英語文学、アフリカ文学、ガーナ、呪術、監察医、ストーリーテリング、ヤシ酒、コモンウェルス賞候補作品
[著者について]
ニイ・アイクエイ・パークス。ガーナの出身の詩人、作家。1974年イギリスに生まれ、ガーナで育った。パフォーマンス詩人でもあるニイは、イギリス、ガーナ、ヨーロッパ各地、アメリカなどでリーディングイベントに活発に参加してきた。2007年、詩と文学への功績に対して、ガーナACRAG賞を受賞。詩集に、"Ballast: a remix" (2009年)、"The Makings of You" (2010年)がある。前者はイギリスの新聞ガーディアンに「パワフルかつ驚きの、歴史と言語のリミックス」と賞賛された。この小説の原典Tail of the Blue Birdは、2010年度のCommonwealth Prize(Best First Book)の最終候補作品となった。
2013年のこと、2014年のこと
去年11月初旬にオンラインジャーナルSwans Commentaryの編集者ジャイルスから、今年のレビューを書きませんか、という誘いがあった。さて何を書こうか、何が書けるかと考え、とりあえず一年を思い出すためにこのジャーナルを眺めてみた。
1月最初のポストから始まった『安倍晋三首相の「愛国心教育」を基点に、これからの日本を考える』は、5月まで14回に渡って書き続けている。前年の12月に安倍さんが首相になったことに大きな落胆があり、安倍さんと日本をめぐることをじっくり考えてみたかったのだ。ジャイルスから震災のあとのことについても、少しでもいいから触れてほしいと言われていたので、ブエノスアイレスでの安倍さんのスピーチ(オリンピック招聘の際の)のことも書いた。福島の原発事故の汚染水は、港湾内で完全にブロックされているから問題ないとして、多くの日本人をびっくりさせたあの発言である。
その記事を書いているとき、安倍さんの著書『美しい国へ』の英語版があることに気づいた。“Toward a Beautiful Nation: My Vision For Japan”というタイトルで、アメリカのアマゾンに出ていたが在庫切れの状態、一つ星をつけていたレビュアーによると、版元に問い合わせたら、英訳はされたとは思うが一度も市場には出ていない、本が出てすぐにリストから外した、という返事があったそう。一国の首相が書いた本がそんな扱いを受けていたとは。。。いったい何が問題だったのだろう。論議の的になりやすい表現、たとえば日本が自身の負の歴史を認めようとしない記述が含まれていたとか?
日本では相手が誰かによって、話し方も話の内容も変えることがあるけれど、世界のあり方がグローバルになった今、こっちにはこう言い、あっちにはああ言い、というのは通じにくい。そして安倍さんのように「正直に」同じ調子で話した場合は、うちの中では許されていたことも、外に出たら大ひんしゅくというはめにもなる。一国の長がそんなこともわからないとは思えないけれど。
2014年、今年も日本の長は変わらず安倍さんだ。その意味ではいやなもやもやが晴れることはない一年になりそうだ。何をやるかは見張っていないといけないが、あまり希望の抱けない長を観察する楽しみは薄い。でも安倍さんの支持率はあまり下がることもなく、まずまずの人気。つまり国民の多くが安倍さんをいいと思っているのだ。そういう社会にわたしたちは生きている。何をするにも、仕事でも商売でも、将来のことを考えるにも、そういう社会の一員であることは、一定の意味をもってしまう。逃れられない部分がある。
ではどうしたらいいのか。どこを見て、何をやっていけばいいのか。面白いのか。2014年の葉っぱの坑夫は、前半は南米文学の翻訳をしていこうと思っている。「文学カルチェラタン」というタイトルで、ブラジルを始め、ウルグアイやコロンビア、アルゼンチンなどの比較的若い層の作家の作品を取り上げていくつもり。音楽や映画などサイド情報も集めたいと思っている。6月にはサッカーのワールドカップがブラジルで開かれるし、南米からは6ヵ国が出場するので、当地ではそれなりの盛り上がりがあるだろう。
南米文学と同時進行で、7月に出す本の準備も進めていく。アフリカで一番新しい独立国である南スーダン、内戦時にそこから逃げ出した難民の子どもたちが書いたノンフィクション、"They Poured Fire on Us from the Sky"を翻訳する。ほぼ出版の契約が完了しており、間もなくプロジェクトをスタートさせる。
去年の最後のポストで紹介した、ガーナの作家の小説「青い鳥の尻尾」は、年末年始をはさんだことで発売が少し遅れている。間もなく発売開始のお知らせができると思います。
上に書いた英語による寄稿はこちら。
Swans Commentary: Years in Review 2013